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  • 中川大地 タンポポの綿毛を追って ~『この世界の片隅に』ファンムーブメントの軌跡~(PLANETSアーカイブス)

    2020-01-17 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、映画『この世界の片隅に』とそのファンムーブメントの考察です。2016年11月、わずか63館で封切られた本作は、熱烈なファンムーブメントの後押しを受けて公開規模を拡大、異例のロングランヒットとなりました。公開前のクラウドファンディング当時からファンムーブメントに参加してきた評論家の中川大地が、その軌跡を追いながら、作品と現実が呼応する本作の意義を改めて問い直します。(初出:『ありがとう、うちを見つけてくれて「この世界の片隅に」公式ファンブック』双葉社)※本記事は2018年4月1日に配信された記事の再配信です。
    【告知】 1月21日放送予定のPLANETS the BLUEPRINTに『この世界の片隅に』の監督・片渕須直氏がゲスト出演します。ご興味のある方は以下のリンク先から、ぜひご覧ください。片渕須直×宇野常寛「(さらにいくつもの)片隅から描かれた世界とはなにか」
    ▲『ありがとう、うちを見つけてくれて 「この世界の片隅に」公式ファンブック』(双葉社)
     2017年6月16日、映画『この世界の片隅に』の累計動員数がダブルミリオンを突破した日の翌朝、テアトル新宿での凱旋上映で200万100人目くらいの観客として祝福する時間を、筆者は来場者たちと共有していた。
     各地のファンミーティングや広島でのロケ地巡り等で知り合ったその面々は、古参の原作ファンから、アニメ化に際してのクラウドファンディングの支援者、主演女優の応援団まで、それぞれまったく異なる背景から参入してきた人々だ。しかしながら、みなSNSでの発信や勝手イベントの実施・参加など、並外れた能動性をもって自ら作品にコミットし、“自分事”としての使命感をもって意識的にムーブメント化しようとする人々の割合が非常に高いという点だけは、不思議と一致していた。
     そうしたファンムーブメントは、どのように触発され、本作を異例のロングランヒットへと押し上げたのか。本稿では、筆者が本作をめぐる折々の縁に目の当たりにしてきた軌跡を辿り直しつつ、その意味を改めて問い直してみたい。
    こうの漫画が誘う「昭和越しの戦争体験」
     2005年、初夏。右手を失ったすずさんが激昂した玉音放送から干支が一巡りし、終戦60年の節目を偲ぶ企画が様々に登場していたおりのこと。
     駆け出しのライターだった筆者は、戦後日本の漫画やアニメ等の歴代のサブカルチャーが、いかにあの戦争を描いてきたかを検証する雑誌特集に携わっていた。その前04年には、こうの史代の『夕凪の街 桜の国』が刊行されて大きな話題を呼んでおり、双葉社の担当編集である染谷誠氏を訪ね、同作の反響について訊かせていただいたことがあった。
     取材の席上、広島での被曝体験に端を発する3世代の戦後史を繊細な筆致で描いた同作に続いて、呉軍港空襲を題材に、いよいよこうのが戦中の時代そのものを描く新作を準備中であるとの話を聞いた。それが、筆者が『この世界の片隅に』という作品の存在を知った、最初の機会だった。
     その呉ではこの年、大和ミュージアムこと呉市海事歴史科学館がオープンしている。同館が協力した映画『男たちの大和/YAMATO』の公開とも相まって、戦後長らくタブー視されてきた「軍都」としての歴史を直截に見据えていこうとする機運が熟してきつつあったわけだ。
     だから筆者の目には、『この世界の片隅に』の登場は、まさに『夕凪の街』から『桜の国』への変遷で描かれたような語り手世代の交代によって、ようやく左右のイデオロギーの呪縛を脱したフラットな視点から、日本人の戦争の語り継ぎ方が様々な意味で更新されていく大きな流れとして見えていた(実際、大和ミュージアムの施設や関係者たちの人脈は、後述する映画化に際しての現地支援ムーブメントでも中核的な役割を果たしていく)。
     直接の戦争体験者たちからの語り継ぎを得る機会は、やがて完全に失われていくほかはない。だとするなら、私たちはいかにして風化と忘却に抗いながら、しかも押しつけがましい教条に陥ることなく、大切な記憶を後生に遺していくことができるのか。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 『この世界の片隅に』――『シン・ゴジラ』と対にして語るべき”日本の戦後”のプロローグ(中川大地×宇野常寛)(PLANETSアーカイブス)

    2020-01-10 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは2016年の映画『この世界の片隅に』をめぐる宇野常寛と中川大地の対談です。戦時下の一人の女性の視点を通して個人と世界の対峙を描き、大好評を博した本作。しかし、その出来の良さゆえに逆説的に明らかになった「戦後日本的メンタリティの限界」とは?(構成:須賀原みち/初出:「サイゾー」2017年1月号)
    【告知】 1月21日放送予定のPLANETS the BLUEPRINTに『この世界の片隅に』の監督・片渕須直氏がゲスト出演します。ご興味のある方は以下のリンク先から、ぜひご覧ください。片渕須直×宇野常寛「(さらにいくつもの)片隅から描かれた世界とはなにか」
    中川 本作は、『シン・ゴジラ』と対にして語るのに今年一番適した作品だと思いました。『シン・ゴジラ』は日本のミリタリー的な想像力が持ってきた最良の部分をリサイクルして、従来日本が苦手といわれてきた大局的な目線での状況コントロールに対する夢を描いていた。一方で、『この世界の片隅に』は『シン・ゴジラ』で一切描かれなかった庶民目線での大局との向き合い方を描ききった。この両極のコンテンツが2016年に出てきたことは、非常に重要です。
     すでに多くの人が語っていますが、雑草を使ってご飯を作るような戦時下の生活を“3コマ撮りのフルアニメーション”に近い手法で丹精に描くことにより、絵として表現できる限りの緻密さと正確さで日常描写を追求するという高畑勲の最良の遺産を、見事に現代的にアップデートしていた。そうした虚構の力によって、劣化していく現実へのカウンターを打てていたのは、素晴らしいと思う。
    宇野 片渕さんは高畑勲的な「アニメこそが自然主義的リアリズムを徹底し得る」というテーゼを、一番受け継いでいる人なんだと思う。高畑勲が前提にしていたのは、自然主義とは要するに近代的なパースペクティブに基づいた作り物の空間であるということ。だからこそ、作家がゼロから全てを生み出すアニメこそが自然主義リアリズムを貫徹できるという立場に立つ。対する宮﨑駿は、かつて押井守が批判した「塔から飛び降りてしまうコナン」問題が代表する反自然主義的な表現、彼のいう「漫画映画」的な表現こそがアニメのポテンシャルであるとする。
     片渕さんの軸足は高畑的なものにあるのだけど、『アリーテ姫』【1】や『マイマイ新子と千年の魔法』【2】がそうであったように「アニメだからこそ獲得できる自然主義リアリズム」をストレートに再現するのではなく、常に別の基準のリアリズムと衝突させることでアニメを作ってきた。比喩的に言うと、本作はその集大成で、“高畑的なもの”と“宮﨑的なもの”がひとつの作品の中でぶつかっていて、しかもそれがコンセプトとして非常に有効に機能している。そういう意味で、戦後アニメーションの集大成と言ってもいいんじゃないかと思いますね。

    【1】『アリーテ姫』:01年公開の、片渕監督の出世作。制作はSTUDIO 4℃。
    【2】『マイマイ新子と千年の魔法』:09年公開。片渕監督の代表作。制作はマッドハウス。

    中川 そうした大前提の上で、原作が持っていたコンセプトとのズレや違和を語るなら、こうの史代の幻想文学性とでもいうべきものが、映画では児童文学性に置き換えられて失われてしまった部分もある。片渕さんは「子どもだから見ることのできる世界」といった児童文学的なものへのこだわりが非常に強く、これはむしろ“宮崎的なもの”に近い。
     『この世界の片隅に』は、周りから大人になることを押し付けられて嫁に行ったすずさんの日常の鬱憤が、最終的に戦争という理不尽さの受け止め方につながる構造になっている。映画では周作と水原哲に対するすずさんの目線は、子どもでいたかった人が大人の性愛関係を拒絶するように描かれている。それは、片渕さんがすず役の声優として、『あまちゃん』以来ユニセックスなイノセンスを持ち続けているのんという女優にこだわったことにも表れています。でも、こうのさんはミニマムな人間関係の中で表出する世界の残酷さに対する感性が非常に高い人で、『長い道』【3】でも描かれたように、こうの作品のヒロインは大人の性愛関係を前提に織り込んだ上で、男性との間の丁々発止のバーター関係を築いている。その違いが、片渕さんによるこうの史代解釈の限界とも感じました。

    【3】『長い道』:訳ありで結婚した夫・壮介と妻・道の、穏やかだが奇妙な生活を描いた短編連作集。01~04年連載。

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  • 中川大地 タンポポの綿毛を追って ~『この世界の片隅に』ファンムーブメントの軌跡~

    2018-03-07 07:00  
    550pt



    2016年11月、わずか63館で封切られた映画『この世界の片隅に』は、熱烈なファンムーブメントの後押しを受けて公開規模を拡大、現在でも上映が続く異例のロングランヒットとなりました。3月15日はNetflix配信開始、3月18日は日本映画専門チャンネルにて初のテレビ放送が行われます。公開前のクラウドファンディング当時からファンムーブメントに参加してきた評論家の中川大地さんが、その軌跡を追いながら、作品と現実が呼応する本作の意義を改めて問い直します。
    ※本稿は2017年7月発売『ありがとう、うちを見つけてくれて 「この世界の片隅に」公式ファンブック』(双葉社)掲載の同名原稿の再録です。


    ▲『ありがとう、うちを見つけてくれて 「この世界の片隅に」公式ファンブック』(双葉社)
     2017年6月16日、映画『この世界の片隅に』の累計動員数がダブルミリオンを突破した日の翌朝、テアトル新宿での凱旋上映で200万100人目くらいの観客として祝福する時間を、筆者は来場者たちと共有していた。
     各地のファンミーティングや広島でのロケ地巡り等で知り合ったその面々は、古参の原作ファンから、アニメ化に際してのクラウドファンディングの支援者、主演女優の応援団まで、それぞれまったく異なる背景から参入してきた人々だ。しかしながら、みなSNSでの発信や勝手イベントの実施・参加など、並外れた能動性をもって自ら作品にコミットし、“自分事”としての使命感をもって意識的にムーブメント化しようとする人々の割合が非常に高いという点だけは、不思議と一致していた。
     そうしたファンムーブメントは、どのように触発され、本作を異例のロングランヒットへと押し上げたのか。本稿では、筆者が本作をめぐる折々の縁に目の当たりにしてきた軌跡を辿り直しつつ、その意味を改めて問い直してみたい。
    こうの漫画が誘う「昭和越しの戦争体験」
     2005年、初夏。右手を失ったすずさんが激昂した玉音放送から干支が一巡りし、終戦60年の節目を偲ぶ企画が様々に登場していたおりのこと。
     駆け出しのライターだった筆者は、戦後日本の漫画やアニメ等の歴代のサブカルチャーが、いかにあの戦争を描いてきたかを検証する雑誌特集に携わっていた。その前04年には、こうの史代の『夕凪の街 桜の国』が刊行されて大きな話題を呼んでおり、双葉社の担当編集である染谷誠氏を訪ね、同作の反響について訊かせていただいたことがあった。
     取材の席上、広島での被曝体験に端を発する3世代の戦後史を繊細な筆致で描いた同作に続いて、呉軍港空襲を題材に、いよいよこうのが戦中の時代そのものを描く新作を準備中であるとの話を聞いた。それが、筆者が『この世界の片隅に』という作品の存在を知った、最初の機会だった。
     その呉ではこの年、大和ミュージアムこと呉市海事歴史科学館がオープンしている。同館が協力した映画『男たちの大和/YAMATO』の公開とも相まって、戦後長らくタブー視されてきた「軍都」としての歴史を直截に見据えていこうとする機運が熟してきつつあったわけだ。
     だから筆者の目には、『この世界の片隅に』の登場は、まさに『夕凪の街』から『桜の国』への変遷で描かれたような語り手世代の交代によって、ようやく左右のイデオロギーの呪縛を脱したフラットな視点から、日本人の戦争の語り継ぎ方が様々な意味で更新されていく大きな流れとして見えていた(実際、大和ミュージアムの施設や関係者たちの人脈は、後述する映画化に際しての現地支援ムーブメントでも中核的な役割を果たしていく)。
     直接の戦争体験者たちからの語り継ぎを得る機会は、やがて完全に失われていくほかはない。だとするなら、私たちはいかにして風化と忘却に抗いながら、しかも押しつけがましい教条に陥ることなく、大切な記憶を後生に遺していくことができるのか。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。