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タグ “宇野常寛の対話と講義録” を含む記事 79件

【特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第6回 坊屋春道はなぜ「卒業」できなかったか――「最高の男」とあたらしい「カッコよさ」のゆくえ

ご好評をいただいている特別再配信、今回は本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』です。『クローズ』『頭文字D』を題材に、男性向けマンガが切り拓いた新境地とその限界について論じます(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年4月29日の講義を再構成したものです/この記事は2016年7月22日に配信した記事の再配信です)。 宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。 延長戦はPLANETSチャンネルで! 『クローズ』とヤンキーマンガのカッコよさ  さて、前回までは「週刊少年ジャンプ」を中心に少年マンガと戦後日本人の「成熟」感、とりわけ消費社会下の男性性の問題について考えてきました。  そしてここからは少し角度を変えてこの問題を掘り下げていきたいと考えています。その上で僕がとても重要だと考える作品があります。それは高橋ヒロシの『クローズ』です。いわゆる「ヤンキーもの」のマンガですね。1990年から1998年まで「月刊少年チャンピオン」で連載されていた全26巻のちょっと長い作品です。最近は『クローズZERO』(2007年)で小栗旬、『クローズEXPLODE』(2014年)で東出昌大の主演で話題になったので、知っている人も多いと思います。  やたらめったらヤンキー高校生が出てきて、延々と派閥抗争を繰り広げる例のアレですね。舞台は鈴蘭高校という、とある地方都市の底辺校です。この鈴蘭高校は「カラスの学校」と呼ばれる不良たちの掃き溜めで、ここでは生徒の大半を占める不良少年たちがいくつかの派閥に別れて、高校の支配者の座をめぐって十年以上ものあいだ抗争を繰り返しています。そして鈴蘭周辺の高校の不良少年グループもこの抗争に外側から干渉し、ほとんど戦国時代のような様相を呈しています。しかも抗争が激しすぎて、この鈴蘭高校は史上まだひとりも校内の派閥を統一した「番長」が生まれていない。こうやって改めて紹介するとなんだか笑ってしまいますが、僕はこのマンガこそが、これまで議論してきた少年マンガと戦後の男性性の成熟の問題を、決定的なかたちでえぐり出してしまっていると考えています。そしてこの『クローズ』はヤンキーマンガに革命を起こしたと言われています。  では、この『クローズ』のどこがすごいのか。  まず、このマンガには「大人」がまったく出てきません。それまでの70、80年代のヤンキーマンガは「大人社会へ反抗する」ということを中心的なモチーフにしていました。不良は大人社会に対するカウンター的な存在だったわけです。  ところが90年代の『クローズ』になると、「大人への反抗」というモチーフがなくなってしまうんです。第1話で主人公が転入手続きをするシーン以外、先生が出てこない。ほかに働いてる普通の大人の人も、OBのおじさんがひとり、たまに顔を出すだけでほとんど出てこないんです。そして次に「女子」がまったく出てこない。  このふたつはとんでもないことです。要するに『クローズ』の世界には「超えるべき父」も「守るべき女」もない。かつてのように目指すべき大人や、超えるべき「父」は、もうこの世界には存在していない。かといって「女の子をゲットする」ことで男の証を手に入れようとしても、この世界には「女の子」がいないのでそれも不可能です。  つまり『クローズ』では、昔のような「強くたくましくなり、父を超えて女を守る」という従来のマチズモが信じられなくなった時代のヤンキーもののマンガだったと言えます。その結果、大人社会へ反抗するのではなく不良少年同士の抗争だけが描かれることになった。  さて、その『クローズ』の物語は主人公の坊屋春道が鈴蘭高校に転校してくるところからはじまります。この主人公の坊屋春道のもつ「カッコよさ」こそが、この作品のメッセージそのものだと言えるでしょう。  その春道が第1話で「お前は何者だ?」と尋ねられます。そこで春道はこう返すんですね。「オレはグレてもいねーしひねくれてもいねぇ! オレは不良なんかじゃねーし悪党でもねえ!!」と。ヤンキーマンガの主人公がこれを言っちゃうのはすごいですね。大人社会への反抗としての不良、ヤンキーというものがこの時点で全否定されている。  この時点で作者の高橋ヒロシが、かつてのヤンキーマンガを捨て去り、新しいヤンキーマンガを始めようとしていることが明確にわかります。不良でもなければ悪党でもない、この少年をヤンキーマンガの主人公にしたのは、当時としては画期的でした。では坊屋春道というあたらしいヤンキーがどんな男の「カッコよさ」を示していったのか、見ていきましょう。  ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…   ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。   ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

【特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第6回 坊屋春道はなぜ「卒業」できなかったか――「最高の男」とあたらしい「カッコよさ」のゆくえ

京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第22回 〈テレビアイドル〉の最終兵器としてのおニャン子クラブ【金曜日配信】

本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回は、80年代半ばのおニャン子クラブの登場から、「歌謡曲からJ-POPへ」移り変わるなかで拡散していく90年代のアイドルシーンを振り返ります。 (この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年7月8日の講義を再構成したものです) おニャン子クラブの衝撃とアイドルブームの終焉  角川三人娘が活躍したのとほぼ同時期、80年代半ばに大ブームを起こしたのが、秋元康プロデュースのアイドルグループ「おニャン子クラブ」でした。 (おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」映像上映開始) (画像出典)  知っている人も多いと思いますが、AKB48の原型となったのがおニャン子クラブです。ほとんど素人に近いような女の子が何十人もいるという形態ですね。まあ、身も蓋もないことを言えば人の好みは様々ですが、何十人か揃えておけば、好みのタイプの女の子が一人ぐらい見つかるでしょ、ということで大人数になっているんですが、それ以上に重要なのはこの「普通さ」「素人っぽさ」です。それが「作り込まれていない本物」感として人々を惹きつけたわけです。  おニャン子クラブは、「夕やけニャンニャン」というフジテレビのバラエティ番組から生まれています。歌番組ではなく「バラエティ番組」、というところがひとつの特徴ですね。当時フジテレビは非常に勢いがあって、「オレたちひょうきん族」があって「笑っていいとも!」があって、そしてこの「夕やけニャンニャン」がある。これらの番組の共通点は、「内輪感」です。楽屋でタレントかアイドルがしている芸能界の内輪話があえてそのまま放送されていた、というところが画期的でした。  普通に考えたら「お前たちの内輪話なんて知らないよ」ということになりそうですが、そうではないんですね。東京の芸能界で楽しそうにやっている人たちの内輪話を眺めることで、視聴者は一見遠くにある東京の芸能界を身近に感じることができる。自分もテレビ番組のなかに入っているような錯覚が感じられるわけです。これは当時大流行した手法でした。「笑っていいとも!」とかを毎日見ていると、自分もその一員になったような気がしてきますよね。いまのテレビのバラエティ番組って、当たり前のように芸能人同士がキャラいじりとか内輪話をたくさんしていますが、あれはこの頃生まれた手法なんです。  80年代当時、まだそれほどグローバル化も進んでいないなかで、一番かっこいい世界は東京のメディアの「ギョーカイ」でした。出版、放送、広告ですね。比喩的に言えば「東京でテレビの仕事をしている」というのが一番かっこいい時代だったから、テレビ業界人たちが楽しく集まって内輪トークをしているのがすごく輝いて見えたわけです。たとえば当時の「ギョーカイ」のスターとして糸井重里がいますが、彼が作っている雑誌の投稿欄に、一般読者と同じ感じで糸井重里が自分の意見を載せたりするんです。糸井重里は編集する側なのに、ですね。そういった手法によって、「糸井さんと僕たちは友達なんだ」という感覚を一般読者にも感じてもらうような仕掛けになっていた。  「夕やけニャンニャン」は、アイドルをオーディションで選んでいく段階すらもテレビで放映してしまっていた。素人に近いような、どこにでもいそうな女の子たちがアイドルデビューしていく様子を見守るわけです。彼女たちはとんねるずとかと一緒に、なんでもない他愛のない内輪話をしているんですが、その楽しそうな様子を観ることでみんながアイドルたちのことを好きになっていく。あえて〈楽屋〉を半分見せることによって、視聴者の親近感を得る。これが80年代のフジテレビ的な演出手法の特徴で、その後のテレビバラエティの演出のひとつの大きな流れになっていきます。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…  ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。  ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第22回 〈テレビアイドル〉の最終兵器としてのおニャン子クラブ【金曜日配信】

【特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第5回 補論:少年マンガの諸問題

「特別再配信」の第10弾は『京都精華大学〈サブカルチャー〉論講義録』をお送りします。今回は、前回までの少年マンガ論の補論です。部数的なピークを過ぎた「週刊少年ジャンプ」が、自身を題材にすることで、ある種の限界を露呈してしまった『バクマン。』。そして、高橋留美子の『うる星やつら』の世界、ラブコメの母胎的な箱庭を相対化した、押井守の映画『 ビューティフル・ドリーマー』について取り上げます(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年4月29日の講義を再構成したものです)。 宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。 延長戦はPLANETSチャンネルで! 『バクマン。』の七峰くんは本当に「悪」なのか?  さて、ここまで「週刊少年ジャンプ」を中心に少年マンガについて考えてきました。「少年ジャンプ」の歴史はこの国の消費社会の歴史でもあり、とくにその中で「成熟」や「老い」という問題が作家や編集者の意図を超えたところで現れてしまっているところがあります。  ただ、僕が最近強く感じるのは現在のジャンプは、この授業で取り上げたようなかつてのものからはかなり変わりつつあるように思います。たとえば最近『バクマン。』の映画版がヒットしていましたよね。この作品は『DEATH NOTE』を送り出した大場つぐみと小畑健の原作、作画コンビが自分たちの体験を素材にしたマンガで、主人公はマンガ家を目指す二人組の少年です。舞台はそのものずばり集英社の少年ジャンプ編集部で、彼らは次々と交代する担当編集者と格闘し、そして毎週の読者アンケートの結果に一喜一憂しながら作家として一本立ちしていく。なかなかよく出来た作品で、二人の少年がプロデビューしていく過程がそれこそ「少年ジャンプ」のバトルマンガのようにスピーディーでメリハリの効いた展開で描かれています。マンガ家の世界も分かりやすく紹介されていて、知識欲も程よく満たしてくれる。しかし、端的に言ってこれって「ジャンプ礼賛マンガ」になってしまっている感は否めない。  たとえば、主人公たちの最大の「敵」に設定されるのは、「七峰くん」という同世代の少年マンガ家です。彼は外部スタッフを活用して組織的に、そして集合知的に作品を作り上げていくスタイルを採用しているのだけど、なぜか『バクマン。』では彼のスタイルは「卑怯なこと」であるかのように描かれてしまっている。  でも、僕には考えれば考えるほど、七峰くんのどこが悪なのかさっぱり分からない。っていうか七峰くんのやっていることって、「マガジン」の手法ですよね。もっと言ってしまえば樹林伸の手法です。彼は外部のスタッフを含めた集団によるマンガ制作のノウハウを確立しようとした。しかしジャンプは作家主義を貫いてきたことにプライドを持っている。だから七峰くん=マガジン的な手法はすごく嫌いなんですね。要するにライバル雑誌のノウハウを「悪」として描くことでこの作品は成立している。これはちょっとかっこ悪いんじゃないか、というのが僕の正直な感想です。「自分たちの歴史最高!」とか「僕らが今まで積み上げてきたものをリスペクトしなさい」って自分で言うのってカッコ悪くないですか? ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…  ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。  ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

【特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第5回 補論:少年マンガの諸問題

京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第21回 テレビ文化へのカウンターとしての角川三人娘

本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回は、80年代アイドルブームのもうひとつの側面を語ります。テレビではなく映画を主戦場とした「角川三人娘」が日本アイドル史に与えたインパクトとは?(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年7月8日の講義を再構成したものです) 斉藤由貴、南野陽子、浅香唯を輩出した『スケバン刑事』  アイドルブームと80年代の空気感をもう少し味わってみてほしいので、この映像を観てみましょう。 (『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』映像上映開始) ▲スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説 VOL.1 [DVD] 南野陽子 (出演), 相楽ハル子 (出演)   これは1985年から3年間やっていた『スケバン刑事』というドラマシリーズですね。原作は和田慎二による少女漫画で、主人公はスケバンだけど実は政府の密命を受けて刑事として活動している、というお話です。  ドラマでは初代が斉藤由貴、二代目が南野陽子、三代目が浅香唯が主演でした。これは二代目ですね。主人公は五歳の頃から悪の組織に鉄仮面を被せられてしまっていて、やがて自分の両親を殺した悪の組織に立ち向かっていくというストーリーです。「重合金ヨーヨー」っていう特殊な合金で作られたヨーヨーを使って敵を倒していくんですね。当時のトップアイドルが主役を演じて、アクションシーンはだいたい吹き替えでやっています。  で、このドラマが子どもに大受けして、僕が小学生の頃はクラスでヨーヨーが流行ってました。このドラマのせいで当時の小学生はヨーヨーは人に投げつけるものだと誤解してましたね(笑)。あと、南野陽子演じる主人公は高知出身という設定で「おまんら、許さんぜよ!」って土佐弁っぽい、坂本龍馬っぽい喋り方をするので、みんな間違った土佐弁を喋ったりしてましたね。  このドラマはフジテレビと共同で東映が制作して、大野剣友会も関わっていて、つまり昔の『仮面ライダー』のスタッフと近い人たちが作っていたんです。だからアクションは全部吹き替えです。「馬鹿馬鹿しいことを全力でやることが一番かっこいい」という、当時のフジテレビを代表格とする80年代の文化を、ここにも見て取ることができると思います。  主人公側は南野陽子を含めた三人組で敵と戦うんですが、主題歌(「なぜ?の嵐」)はそのうちの一人で当時おニャン子クラブに在籍していた吉沢秋絵が歌っていて、作詞は秋元康です。  三作目(『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』)はなぜか忍者ものになっていて、忍者の末裔の三人が敵と戦うという話です。なんで忍者なのかというと、要するに東映が作っていたからです。アイドルという言い訳を駆使して、忍者ものというすでに終わったジャンルを再生しているという側面もあるわけです。 (風間三姉妹「Remember」映像上映開始) (画像出典)  この『スケバン刑事』の頃はアイドルブームが終わる頃で、そのひとつのクライマックスとして社会現象化したのが「おニャン子クラブ」と「角川三人娘」でした。アイドルブームが続いていくなかで変わり種が出てくるんです。今まで見てきたアイドルは全員基本的には最初歌手としてデビューして、人気が出たら女優もやっていくというルートでした。だから基本的に最初は、歌番組が主戦場だったんです。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…  ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。  ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第21回 テレビ文化へのカウンターとしての角川三人娘

【春の特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第4回 〈ジャンプ〉の再生と少年マンガの終わり

6月も続きます!「2017年春の特別再配信」第8弾は「京都精華大学〈サブカルチャー〉論」の第4回をお送りします。『ONE PIECE』『HUNTER×HUNTER』『銀魂』『DEATH NOTE』などの作品を例に挙げながら、90年代の黄金期終焉以降、「週刊少年ジャンプ」が復活するまでの様々な試行錯誤を分析します。(2016年7月1日に配信した記事の再配信です。この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年4月29日の講義を再構成したものです)。 宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。 延長戦はPLANETSチャンネルで! 樹林伸とマガジンの逆襲  1995年から翌年の96年にかけて、週刊少年ジャンプの黄金期を支えた三大連載が終了し、その直後にライバルであった週刊少年マガジンの発行部数が――ほんの少しの間ですが――ジャンプを追い抜きます。  この90年代半ばのマガジンの原動力になったのが『金田一少年の事件簿』で、この作品を立ち上げたのがカリスマ編集者として有名な樹林伸ですね。彼は講談社の編集者として、そして事実上の原作者として『金田一少年の事件簿』『シュート!』『GTO』など数々のヒット作を世に送り出しました。その後独立して、「天樹征丸」をはじめとして様々なペンネームでマンガ原作を手がけるようになっていきます。  この樹林伸という編集者の手法は2つの点で革命的でした。ひとつは一本のマンガ作品をひとりの作家とその担当編集者のタッグで作っていくのではなく、原作者、シナリオライター、作画者といったチームによる制作手法を洗練させたことです。いま挙げた作品の中では『金田一少年の事件簿』がこの手法で制作されています。  最近映画化もされた『バクマン。』で題材になっていますけれど、ジャンプ編集部はほとんどこういう作り方をしませんね、あくまで才能のありそうな若い作家を編集者が一対一で鍛え上げていくというやり方にこだわっています。ある種の作家主義的な信仰が強いのがその編集方針の特徴です。対してマガジンにはこうした信仰があまりない。『巨人の星』や『タイガーマスク』で60年代後半のマガジンを支えたのが梶原一騎という原作者だったことが象徴的ですが、マガジンには原作者を別に立てたマンガが相対的に多かったし、何より編集者が事実上の原作者として機能するケースが以前から多かったようです。そして樹林伸はこうしたマガジンの編集文化を発展させて、企画のできる編集者、しっかりしたシナリオが書けるライター、絵の上手いマンガ家のチームというスタッフワークで作品を生むシステムを組み上げた。  たとえば当時、島田荘司を代表格とする「新本格」といわれるミステリ小説の潮流があったのですが、そのノウハウを上手く少年マンガに落とし込んで成功させたのが『金田一少年の事件簿』だった。要するに、隣接ジャンルの流行りものを、ブレーンをつけて調べさせてそれを少年マンガのフォーマットに落とし込めるようにしていったんですね。  たまたまですが、僕の友人には講談社のマンガ編集者が何人かいて、この樹林伸の弟子筋にあたる人を2、3人知っています。彼らはやっぱり憧れがあるんでしょうね。アイドルだったりゲームだったり、他のジャンルの流行を意識した企画色の強い編集主導の作品を作りたがる傾向があります(笑)。  そしてこれは彼らから聞いた話ですが、樹林伸が確立したもうひとつの手法が、マンガのコマ割りに関するものだそうです。彼は、独自にコマ割りの演出方法を分析して、その理論を理解すれば経験不足の若手編集者でもマンガ家のコマ割りを必要があればある程度直せる理論を開発した、と言われています。要するに樹林伸という人はマンガに対して、物語やコマというものに対してとても工学的な発想を持っている人なのだと思います。もっと言ってしまえば、究極的には特定の作家の才能に頼らなくても質の高いマンガを作ることができる、と考えているという確信が彼の思想を支えている。もちろん、その思想はまだ完全に実現されたとは言えません。少なくともマンガの世界では、まだまだジャンプが代表する作家主義のほうが主流です。しかし樹林伸のような集団的なクリエイティビティの優位を主張している人たちの存在感は、この頃よりもずっと大きくなっているのは間違いないですね。たとえば、ちょうどマガジンがジャンプに追いつこうとしていた時期に、『トイ・ストーリー』を引っさげて世界をあっと言わせたアメリカのピクサー・アニメーション・スタジオがそれです。ピクサーはいま、事実上の経営統合によって仮想敵だったディズニーを乗っ取り、世界のアニメーションの頂点に君臨しています。あるいは、国内で言えばこの数年、ニコニコ動画やピクシブなどの創作系SNSを舞台にしたボーカロイドなどの二次創作が一大市場を形成するようになっています。こちらは、ピクサーのようなプロフェッショナルによる集団創作というよりは、ソーシャルメディアの特性を活かしたボトムアップの集合知的な創作ですが、どちらにせよ、僕たちが未だに強固に抱いている作家性の神話、とくに個人の天才だけが創作に寄与して集団的な思考はそれを阻害する、という物語はこの時期から内外で大きく相対化されはじめたと言えます。そしてこの時期のジャンプ対マガジンの戦いは、実はその一局面でもあるわけです。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…  ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。  ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

【春の特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第4回 〈ジャンプ〉の再生と少年マンガの終わり

京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第20回 日本的〈アイドル〉の成立と歌番組の時代

本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回からは「アイドルの戦後史」がテーマです。60年代から徐々に「アイドル」という存在が日本社会に定着し、80年代に一大ブームを迎えていった歴史を辿ります。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年7月8日の講義を再構成したものです) 「アイドル」は日本にしかいない?  今日の講義のテーマは「アイドル」です。この10年くらいで日本のサブカルチャーの中心はすっかりアニメからアイドルに移動してしまった。だから、いま大学生のみなさんの世代にとってはアイドルがサブカルチャーの中心にいるというのは当たり前のことかもしれません。しかしアイドルの歴史をさかのぼっていくと、実は80年代に盛り上がって、そのあと一度下火になったもののこの10年くらいでまた盛り返してきた、という文化だということが分かります。  みなさんぐらいの年齢の人にはわからない感覚かもしれないですが、僕と同世代だとアニメファンとアイドルファンって仲良くないんですよ。と、いうかアニメファンの中にアイドルを毛嫌いする人が少なくない。アイドルファンのほうに「アニメも好き」という人はたさくんいるんですけれど、逆はそうでもない。アニメファンのなかにはアイドル嫌いが多くて、「三次元は許さん!」とか言ったりするんですね。2ちゃんねるやニコ動にも多いと思いますが、今の30代、40代の男性アニメファンは「二次元のキャラクターにハマるのはいいけれど、三次元にハマるのはよくない」という謎の思想を持っている人が多いんです。僕なんかはアニメも好きだけどアイドルも好きでAKB48関連の仕事もをしたりもしているけれど、「お前はアニオタのくせになぜAKB48の番組に出るんだ、ふざけるな!」って怒られたりします。これはなぜかというと、30、40代の古い世代のアニメオタクにとって、サブカルチャーって「現実から切り離されていること」が重要だからですね。アイドルは半分が現実、半分が虚構の存在です。そういう思想的な反発があるんだと思います。  では、今のサブカルチャーの中心部であるアイドルとはどういうものなのかを、ここからは話してみたいと思います。  アイドルという言葉を直訳すると「偶像」ですよね。でも、いわゆる僕らが使っている意味の「アイドル」は日本にしかいないんです。そこでまずはこの言葉の定義から見ていこうと思います。  まず、Wikipediaの「アイドル」の項目を見ていきましょう。Wikipediaって色んな人の断片的な記述をつなぎ合わせているからいい加減なことも多いんですが、Wikipediaの「アイドル」はよくできていると思います。ここでの「アイドル」の定義はこうです。 「成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物」 (アイドル - Wikipediaより)   アイドルって必ずしも歌がうまいとか演技がうまいとか、そういうわけではないですよね。ファンはその人の成長過程を共有し、存在自体を応援する。定義的には、「人気者」としか言えないですよね。  日本の芸能って、こういうものが多いんです。伝統芸能である歌舞伎もそうだし、宝塚歌劇団もそうですが、完成されたプロの芸を受け取るのではなく、未熟なプレイヤーがだんだんとうまくなっていく過程をファンコミュニティが応援する文化なんです。だから日本におけるアイドルというものは、日本的な芸能界の延長線上にある、トラディショナルな概念だと思います。たとえばお隣、韓国のK-POPアーティストはプロフェッショナリズムを徹底しますよね。大陸や半島はこうはならないんです。同じ東アジアでも、日本独自の感覚ですよね。  アイドルという言葉が日本で使われ始めたのは、Wikipediaに載っているように50、60年代ですね。この時期、アメリカではエルヴィス・プレスリーやビートルズといった歌手たちが大ブームを巻き起こしていて、それが日本にも輸入されて流行しました。向こうで「女学生のアイドル(bobby-soxer's idol)」と呼ばれていた言葉が、日本では和製英語「アイドル」として定着していったわけです。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…  ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。  ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第20回 日本的〈アイドル〉の成立と歌番組の時代

【春の特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第3回 〈週刊少年ジャンプ〉の終わりなき日常

「2017年春の特別再配信」、第6弾は本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』の第3回です。今回からは少年漫画がテーマ。敗戦国のマチズモの否定と〈アトムの命題〉の影響下にある少年漫画は、トーナメントバトルという成熟なき成長の形式を生み出しました。80〜90年代の〈週刊少年ジャンプ〉黄金期とその終焉から、戦後日本人の男性性の内実を解き明かします(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年4月29日の講義を再構成したものです/2016年6月17日に配信した記事の再配信です )。 宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。 延長戦はPLANETSチャンネルで! 戦後日本と男性性の問題  今回の講義は「少年漫画」がテーマです。みなさん、少年漫画というと何を思い出しますか? 今時の学生だと『ONE PIECE』『NARUTO』『名探偵コナン』といったあたりですかね。『ドラゴンボール』も再編集版アニメを放送しているので馴染みが深いかもしれませんね。  これらの作品を産んだ週刊少年ジャンプ、週刊少年マガジン、週刊少年サンデーといった週刊少年誌は、発行部数を見れば一目瞭然だと思いますが50年代末から現代に至るまで日本の漫画シーンの中心にあり続けています。老舗の〈サンデー〉はこの10年で大きく部数を減らして潰れかけていますが、〈ジャンプ〉と〈マガジン〉は最盛期にくらべればだいぶ減りましたがまだまだ健在です。ざっというと〈ジャンプ〉が約245万部で〈マガジン〉が115万部くらいかな? これは同じ漫画週刊誌でも〈モーニング〉が約26万部、〈ビッグコミックスピリッツ〉が17万部くらいなので、どれくらい週刊少年誌が大きな存在か分かると思います。そして、これら週刊少年誌の人気漫画はだいたいアニメ化されるので、より大きなポピュラリティを獲得することが多いです。とくに、60年代から90年代まではテレビの支配力が今とは比べ物にならないくらい大きかったので、この時代に子供だった世代は最大の共通体験が少年漫画だと言っても過言ではありません。戦後社会において漫画はある時期からずっと雑誌を基点とした少年少女文化の中核に位置していました。  そこで出てくるのが、「成熟」をいかに描くかという問題でした。戦後日本では1960年代頃すでに漫画文化が普及していたのですが、多くの場合は少年少女向けの雑誌に掲載されていたことになるのだけれど、それは媒体の対象読者の年齢層的に登場人物の成長を描かざるを得なかったことを意味します。その結果、「成熟」をいかに描くかという問題が戦後漫画の、とくに少年漫画の中核には存在し、その性格を決定づけたと言えます。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…  ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。  ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

【春の特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第3回 〈週刊少年ジャンプ〉の終わりなき日常

【春の特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第2回 サブカルチャーから考える戦後の日本

「2017年春の特別再配信」、第4弾は本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』の第2回をお送りします。今回は、21世紀に改めて見直す〈サブカルチャー的な思考〉の可能性と、その中でもとりわけ〈オタク的な想像力〉を重視すべき理由。そして、20世紀前半に普及した〈自動車〉と〈映像〉が、いかにして現代社会を作り上げたのかを論じます(この原稿は、京都精華大学ポピュラーカルチャー学部 2016年4月15日の講義を再構成したものです/2016年5月20日に配信した記事の再配信です)。 宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。 延長戦はPLANETSチャンネルで! いま、サブカルチャー的な思考を経由する意味  前回は60年代の「政治の季節」の終わりから70年代以降のサブカルチャーの時代、そして2000年代以降のカリフォルニアン・イデオロギーの台頭までの流れを、駆け足で見てきました。1970年代から20世紀の終わりまでは世界的に人口増加=若者の時代であり、そして若者の世界は脱政治化=サブカルチャーの時代だった、とおおまかには言える。もちろん、サブカルチャーと政治的な運動の関係は内外でまったく異なっているし、一概には言えない。しかし重要なのは、マルクス主義の衰退からカリフォルニアン・イデオロギーの台頭までは「世界を変える」のではなく「自分の意識を変える」思想が優勢な時代であって、そこに当時の情報環境の変化が加わった結果としてサブカルチャーが独特の機能を帯びていた、ということです。そして、そのサブカルチャーの時代は今終わりつつある。  普通に考えれば、サブカルチャーの時代が終わろうとしているのなら、僕はとっとと話題を変えてカリフォルニアン・イデオロギー以降の世界を語ればいい。情報技術の進化と、その結果発生している新しい社会について語っているほうが有益なのは間違いない。僕は実際にそういう仕事もたくさんしてます。  でも、ここではあえて古い世界の話をしたい。それはなぜかというと、皮肉な話だけれど、いま急速に失われつつあるサブカルチャーの時代に培われた思考のある部分を活かすことが、この新しい世界に必要だと感じることが多いからです。  かつてサブカルチャーに耽溺することで自分の意識を変え、さらには世界の見え方を変えようとしていた若者たちは、いま市場を通じて世界を変えることを選んでいる。実際に、僕の周囲にもそういう人が多い。学生時代の仲間とITベンチャーを起業して六本木にオフィスを構えているような、いわゆる「意識高い系」の若者たちですね。彼らは基本的に頭もいいし、人間的にも素直です。付き合っていて不快なことはないし、仕事もやりやすい。だけど、話が壊滅的に面白くない。  なぜ彼らの話が面白くないのか、というとたぶんそれは彼らが目に見えるものしか信じていないからだと思うんですね。彼らはたとえば、うまくいっていない企画があって、それに対して予算や人員を再配置して最適化するような仕事はとても得意です。しかし、今まで存在していなかったものを生み出すような仕事は全然ダメな人がすごく多い。もちろん、そうじゃない人もちゃんといて、彼らはものすごく創造性の高い仕事をやってのけているのだけど、その反面これだけ賢い人なのになんでここまで淡白な世界観を生きているんだろう、という人もすごく多い。ブロックを右から左に移動するのはものすごく得意で効率的なのだけど、そのブロックを面白い形に並べて人を楽しませることが苦手な人がとても多い。正確にはそれができる人とできない人の落差があまりにも激しくてびっくりするわけです。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…  ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。  ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

【春の特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第2回 サブカルチャーから考える戦後の日本

【春の特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第1回 〈サブカルチャーの季節〉とその終わり

「2017年春の特別再配信」、第2弾は本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』の第1回です。テーマは戦後の若者カルチャーの変遷。60年代の学生運動の挫折から、サブカルチャーの時代の到来、米国西海岸で生まれたカリフォルニアン・イデオロギーの拡大と、サブカルチャーの時代の終焉まで、1960年代から2000年代までの世界的な文化状況を、俯瞰的に論じます(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年4月15日の講義を再構成したものです/2016年5月13日に配信した記事の再配信です)。 宇野常寛が出演したニコニコ公式生放送、【「攻殻」実写版公開】今こそ語ろう、「押井守」と「GHOST IN THE SHELL」の視聴はこちらから。 延長戦はPLANETSチャンネルで! はじめに――〈オタク〉から考える日本社会  これから半年間、「サブカルチャー論」という授業を担当する宇野と言います。もしこの中で僕のことを知っている人がいたら、たぶんワイドショーやテレビの討論番組に出演して、社会問題についてしゃべっているところを見た、という人がほとんどだと思うのですけれど僕はどちらかといえば社会ではなく文化の評論家で、専門はサブカルチャーです。特にアニメやアイドルといったオタク系の文化を題材にしてきました。  この授業はそんな人間が、なぜ社会問題について語るようになったのか、というところからはじめたいと思います。僕という人間と社会のとかかわりから、サブカルチャーと現代社会のかかわりについて考えるところを議論の出発点にしたい。  というのも、僕がニュース番組に出ると「あんな奴をテレビに出すな」という苦情がいっぱい来るんですよ(笑)。なぜなら、僕は生放送中にまったく「空気を読まない」からです。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…  ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。  ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

【春の特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第1回 〈サブカルチャーの季節〉とその終わり

京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第19回 アイドルアニメと震災後の想像力【金曜日配信】

本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回は「戦後アニメーションと終末思想」をテーマにした講義の最終回です。〈現実=アイドル〉に敗北したあと、〈虚構=アニメ〉は何を描くべきなのか?(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年6月10日の講義を再構成したものです) 〈現実=アイドル〉が〈虚構=アニメ〉を追い越した  こういった感覚は、アニメとインターネットの関係にも言えるわけです。アニメを含めた映像は原理的に虚構の中に閉じている。作家が演出し、編集したつくりものを視聴者はただ受けとることしかできない。しかしインターネットは原理的に半分は虚構だけれども半分は現実に接続してしまっている。どれだけ作り手が虚構の世界を完璧に作り上げても、受け手という現実がそれを打ち返すことができる。ニコニコ動画にコメントがつくように、虚構がそれ自体で完結できない。双方向的なメディアであるインターネットは、原理的に虚構の中に完結できず、現実に開かれてしまう。  震災後の日本に出現したのは、まさにこの感覚だったと思うんですね。「ここではない、どこか」、つまり完全な虚構に入り込んでしまうのではなく、現実の一部が虚構化している。日常の中に非日常が入り込んでいる、とはそういうことです。  この2011年頃は、アニメからアイドルへと若者向けのサブカルチャーの中心がはっきりと移行していった時期に当たります。AKBに先行して2006年頃にブレイクしたPerfumeにしても元は広島のローカルアイドルで、この時期にライブアイドルブームが起こり始めていました。インターネットの登場によって、アイドルというものがテレビに依存しなくても成立するようになってきた。小さい規模であればライブの現場+インターネットで盛り上がれるわけです。AKB48は2005年に結成されたわけですが、2008年ぐらいまでは今ほどテレビに出ておらず、そうしたライブアイドルとして着実に人気を伸ばしていました。  これ以前の80年代にもアイドルブームは起こりましたが、当時はテレビを中心とした「メディアアイドルブーム」でした。しかし21世紀のライブアイドルブームはテレビに依存せずに伸びてきて、同時にサブカルチャーの主役にも躍り出たわけです。  ここまで話してきたことを考えれば、それは当然の流れなわけです。そもそもアニメにアイドルを持ち込んだ80年代の『マクロス』でもライブシーンが重視されていました。当時のアイドルブームというものを意識して、実際の3次元のアイドルに負けないような映像を作ろうという意識がすごく強かったんですね。『マクロス』シリーズはその後も連綿と続いていくわけですが、近作『マクロスF』(2008年放映開始)の劇場版を観ると、それがより顕著になっていることがわかると思います。 ▲劇場版マクロスF~サヨナラノツバサ~ [DVD] 中村悠一 (出演), 遠藤綾 (出演), 河森正治 (監督)   2012年には、秋元康が企画・監修した『AKB0048』というアニメが放映されました。近未来の宇宙を舞台に、伝説のアイドルグループ「AKB48」の名を継承したアイドルたちが、戦場にやってきてライブをして戦争に干渉するというストーリーです。これは本当に『マクロス』そのままの内容ですが、実際にアニメ制作は『マクロス』のスタッフがかなり関わっているんですね。 ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…  ・入会月以降の記事を読むことができるようになります。  ・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。  

京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第19回 アイドルアニメと震災後の想像力【金曜日配信】
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