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成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 堤幸彦(6)『池袋ウエストゲートパーク』後編ーー堤、クドカン、窪塚洋介。それぞれのIWGP
2018-11-01 07:00
ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は『池袋ウエストゲートパーク』論の後編です。ドラマ版と原作小説を比較しながら、作品に関わった3人のクリエイター、石田衣良と堤幸彦と宮藤官九郎の影響を検討。さらに本作以降、窪塚洋介が背負うことになった時代性について考察します。
石田衣良からみた『IWGP』
次に原作小説とドラマのストーリーの違いについて考察したい。 石田衣良はシナリオ版『池袋ウエストゲートパーク』(角川書店)の解説で、小説とドラマの違いについてこう書いている。
メディアが違うから、原作(寒色系シリアス)とドラマ(暖色系コメディ)のトーンは違うけれど、両者は最も大切な部分で共通していたとぼくは思う。 それは圧倒的なスピード感とキャラクターの立体感だ(もうひとついうなら池袋という現実の街のライブ感)。ぼくも作家なので、文体にはかなり気をつかう。IWGPでなにを一番大切にしているかというと、人物の描写と文章のスピード感なのだ。 それを宮藤さんは即興性豊かな組み立てと特異なコメディセンス(その場の思いつきともいう、だがなんと切れ味のいい思いつきか)でしっかりと再現してしまった。(「風を切ってフルスイング 石田衣良」:『宮藤官九郎脚本 池袋ウエストゲートパーク』著:宮藤官九郎・角川書店より)
石田はドラマ化に際して「小説とテレビではメディアが違います。原作に気兼ねなどしなくていいから、とにかく思い切りフルスイングしてください。そしたら空振りだって納得できますから」(同書)と磯山に伝えたそうだが、ドラマ版『池袋』と小説を比べると、物語の流れは大筋では同じだが、細部が微妙な変更が施されており、その改変の仕方が見事だというのが当時の印象だった。
のちに数々のオリジナルドラマを手がけることになる宮藤だが、本作は原作モノだったこともあり、作家性に関してはまだ未知数だったが、まずは優秀なアレンジャーとして、その才能は大きく印象づけたと言えよう。
「ダサさ」をまとうことで見えてくるもの
原作の改変ポイントは多数あるが、中でも大きく変わったのは主人公のマコトの造形だろう。小説はマコトの一人称で進むハードボイルド小説の構造となっている。台詞もカッコよくてクールだ。 それをドラマ版では工業高校上がりの馬鹿なヤンキーで素人童貞という側面を強く打ち出している。
原作小説の第一巻が発売されたのは1998年、ドラマ化されたのは2年後だが、最先端の都市の風俗(ストリートカルチャー)というものは、活字になった時点でどんどん古びてしまう。 小説の『池袋』もその側面は強く、情報の鮮度という意味ではドラマ版は圧倒的に不利である。また、小説では成立したカッコいい語りも生身の人間が喋ったら台無しになることも多い。仮に小説をそのまま映像化していたら目も当てられない作品となっていただろう。 だが、宮藤の脚本はカッコよく書かれていた石田衣良の世界を少し斜めから見て、あえてかっこ悪く――宮藤がドラマ内で用いる言葉で言うなら「ダサく」――することで、物語を読み替えて言った。
それはそのまま、トレンディドラマで描かれていたような匿名性の高いおしゃれな街としての東京ではなく、地元(ジモト)としての池袋という、具体的な土地の持つ固有性を打ち出していくという作業だった。 宮藤の脚本は脚本の構成はごちゃごちゃしているが、一つ一つが具体的だ。会話の中には固有名詞がたくさん登場し、その延長で、実在するテレビ番組や芸能人が登場する。 権利関係の処理の問題もあってか、実在する商品名や固有名詞を出すことをためらうドラマは今も少なくないが、固有名詞が具体的であればあるほど、そこに描かれている人間たちの実在感は増していく。すべてのものに固有の名前があり、ワイドショーや雑誌で語られる記号としての東京や女子高生やカラーギャングではなく、くだもの屋のマコトや風呂屋のタカシといった、固有名を取り戻すことで、流行り廃りの激しい風俗の根底にある地に足の付いた感覚を取り戻したことこそが、テレビドラマにおける宮藤の最大の功績だろう。
それは人間関係の描き方にも現れている。特に画期的だったのはマコトの母親・リツコ(森下愛子)の描き方だ。 原作小説では、ほとんど描写されてないリツコのディテールはコミカルではあるが、シングルマザーながらにマコトを育ててきた母親としての優しさやたくましさが描かれていた。
のちに織田裕二主演の連続ドラマ『ロケット・ボーイ』(フジテレビ系)の脚本を宮藤に依頼するプロデューサーの高井一郎は『池袋』の脚本について「よく見ると普遍的な親子愛や友情が隠れて描かれていますよね」(「特集・宮藤官九郎」『クイックジャパンvol.35(太田出版)』より)と語っている。 小ネタで彩られたサブカルドラマとして語られがちな宮藤の作風の奥底にある本質を高井は早くから見抜いていた。 それは一言で言えば家族も含めた共同体(仲間)に対する信頼である。 80年代のトレンディドラマ以降、テレビドラマで家族が描かれる機会は年々減っていた。橋田壽賀子・脚本の『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)を例外とすれば、家庭内暴力や不倫といったネガティブな形でしか家族は描かれなくなっていた。 『未成年』(TBS系)等の野島伸司のドラマは、その反動もあってか、家族再生を試みるのだが、そこで描かれたのは血の繋がらない中間共同体的なもの、『池袋』で言うとGボーイズ的な共同体だった。そういった共同体は反社会的な性質を帯びて、やがては暴走して崩壊する。それは学生運動末期の連合赤軍事件やオウム真理教の地下鉄サリン事件などに連なる、日本の疑似家族共同体の失敗の歴史の反復とも言えよう。 対して宮藤が面白いのは、一方で疑似家族的な仲間のつながりを描きながら、対立軸として血縁関係にある親子を描かないところだ。むしろ、親子も友達のように付き合ってしまうことで、今まで重々しいものだった家族という概念自体を軽いものとして扱っていたのである。
原作小説とドラマ版の大きな違い
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成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第7回 堤幸彦(5)『池袋ウエストゲートパーク』前編ーーリアルな場所でめちゃくちゃ虚構
2018-10-02 07:00
ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。今回は、2000年に放送されたドラマ『池袋ウエストゲートパーク』を取り上げます。宮藤官九郎が脚本を手掛け、長瀬智也や窪塚洋介といったキラ星のごとき若手俳優たちが出演していた本作は、以降のテレビドラマの方法論を劇的に変えることになります。
『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』が公開された直後の2000年4月。堤幸彦は石田衣良の小説をドラマ化した『池袋ウエストゲートパーク』(以下、『池袋』)をTBSで手がけることになる。
▲『池袋ウエストゲートパーク』(2000)
物語の舞台は池袋。くだもの屋の実家で母親と暮らす真島マコト(長瀬智也)は、仲間たちとつるんで楽しい日々を送っていたが、ある日、友達のリカ(酒井若菜)が何者かに殺される。リカが援助交際をしていて、あやしい男に付きまとわれていたことを、ヒカル(加藤あい)から聞かされたマコトは、カラーギャングのGボーイズたちの協力の元、独自の調査をはじめる。やがて世間を騒がしている性犯罪者・絞殺魔(ストラングラー)に犯人の目星をつけたマコトたちはストラングラーを捕獲。リカを殺した犯人とは別人だったが、この事件をきっかけにマコトの名前は池袋中にとどろき、警察には相談できないイリーガルな事件の解決を依頼されるようになる。
リカを殺した犯人はいまだ不明だったが、トラブルシューター(便利屋)として池袋で起こる事件を次々と解決していくマコト。一方、池袋では勢力を拡大するGボーイズに対抗するカラーギャングのB(ブラック)エンジェルズが勃興、やがて、池袋を巻き込んだ抗争へと発展する。
『池袋』は今となっては伝説的な作品だ。
まずは豪華な出演俳優。主演の長瀬智也を筆頭に佐藤隆太、山下智久、窪塚洋介、坂口憲二、妻夫木聡、高橋一生といった、のちに頭角を表す若手俳優が勢揃いしている姿は壮観だ。同時に脚本を担当したのが大人計画の宮藤官九郎だったこともあって、阿部サダヲ、荒川良々、池津祥子といった大人計画所属の俳優も脇で活躍しており、大人計画以外にも古田新太、河原雅彦、きたろう、峯村リエといった小劇場系の俳優が出演している。三谷幸喜という先行例はあったものの、小劇場系の才能がテレビドラマに一気に流入してくるきっかけとなったという意味でも画期的な作品である。
この見事な配役を行ったのが、プロデューサーの磯山晶。『ケイゾク』の植田博樹と同じ1967年生まれ。1990年にTBSに入社した二人は同期である。
『池袋』は、今はなくなった金曜夜9時枠で放送されていたドラマで、夜10時からの金曜ドラマでは植田がプロデュースする『QUIZ』が放送されていた。 『QUIZ』は『ケイゾク』にあったアメリカン・サイコサスペンスの要素をより強めた劇場型犯罪を題材にしたもので、閑静な住宅街で起きた誘拐事件を精神を病んだ女刑事・桐子カヲル(財前直見)が追いかけていくというドラマだ。チーフディレクターは『ケイゾク』に参加した今井夏木が担当した。
一方、『池袋』には『ケイゾク』に参加していた金子文紀がセカンドディレクターとして参加している。磯山と金子、そして本作でプライムタイムの連続ドラマの初執筆となった宮藤が『池袋』でチームを組むことになる。後にクドカンドラマと呼ばれる一連の流れはここから始まったのだ。
――当時を振り返ると、「ケイゾク」の植田さんと、「池袋ウエストゲートパーク」(2000年TBS)の磯山晶プロデューサーという、TBSの2人のプロデューサーがドラマ界に新しい風を吹き込んだような印象があります。
「磯山の『池袋』もそうですけど、それまでのTBSのドラマ作りのフォーマットを大きく変えたとは思いますね。スタジオ2日、ロケとリハで3日みたいな、それまで何十年も続けてきたクラシックな撮り方ではなく、オールロケで、編集室を3ヶ月押さえっぱなしにして編集し続けるとか、音楽も、劇伴をそのまま使うのではなく、コンピューターに取り込んで音の要素だけを使うとか。『JIN-仁-』(2009年TBS系)も、音楽は『ケイゾク』のチームが担当しましたし、その後のTBSのドラマは、当時のチームの分派が作ってるものが多い。『ケイゾク』や『池袋』で始めたドラマ作りのノウハウは、今のTBSドラマに着実に受け継がれていると思いますね」【テレビの開拓者たち/植田博樹】「地上波のドラマもできるし、ネットで見ても面白い、というドラマを作るのが理想」(2/3)
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成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第6回 堤幸彦(4)『ケイゾク』ーー柴田純の限界と朝倉の悪意
2018-09-04 07:00
ドラマ評論家の成馬零一さんが、90年代から00年代のテレビドラマを論じる『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。押井守作品の強い影響下にありながら、刑事ドラマとしては真逆の方向を向いていた『踊る大捜査線』と『ケイゾク』。そして、堤幸彦が『ケイゾク』で鋭く追求したオタク/匿名性の問題は、後のフェイクニュースの時代を予見することになります。
『踊る大捜査線』と『ケイゾク』ーーアニメの影響下に生まれた真逆のドラマ
「否定すること自体がテーマだった」という『ケイゾク』だが、その否定していった作品の一つに、1997年に登場した刑事ドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系、以下『踊る』)も含まれていたのが、今振り返ると興味深い。 『踊る』と『ケイゾク』。この二作は90年代に盛り上がりを見せていた『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメの影響が、テレビドラマに移植されていった代表作だと言える。 しかしその影響の現れ方は、今振り返ると正反対だったと言えるだろう。
まず、『踊る』について簡単に説明したい。 本作は1997年にフジテレビ系で放送された刑事ドラマだ。
▲『踊る大捜査線』
主人公は脱サラして刑事になった青島俊作(織田裕二)。コンピューター会社の営業として働いていた青島はサラリーマン的なしがらみに幻滅して刑事となるが、刑事ドラマのような世界は現実には存在せず、警察の世界もサラリーマンと同じく、組織のしがらみに縛られた場所だったという現実に直面する姿を描いたドラマだ。
本作には過去の刑事ドラマや『新世紀エヴァンゲリオン』等のロボットアニメからの影響が強い。監督の本広克行(1965年生まれ)はアニメ監督の押井守の影響を受けており、その影響を隠そうとしないオタク世代の監督だった。
『踊る』は、舞台となる湾岸署を中心とした箱庭的世界観が実に豊かで、細部まで作り込まれた、繰り返しの視聴に耐えうる作品だった。そのためテレビドラマでは珍しいオタク的なファンが多数生まれた。 視聴率こそ当時の基準ではヒット作といえるものではなかったが、熱狂的なファンの後押しもあってか、放送終了後にレンタルとビデオセールスが盛り上がり、SPドラマが三本放送された後に映画化された。 こういった、テレビ放送時は低視聴率で打ち切りに近い形で終わるものの、熱狂的なファンコミュニティが生まれ、再放送で人気に火が付き、雑誌やラジオといったメディアの後押しと口コミで話題となり、やがて劇場映画が公開されて大ヒットしイベント化していく流れは、1974年の『宇宙戦艦ヤマト』や1979年の『機動戦士ガンダム』といったアニメで起きた現象だ。1995年に放送された『新世紀エヴァンゲリオン』も、テレビ放送終了後に同じ流れを辿り社会現象となっていき、インターネットのファンサイトがその後押しをした。 つまり、『踊る』は作品自体も繰り返しの鑑賞に耐えうるマニアックな作品だったが、ファンの消費行動や、放送終了後のメディア展開も、『ヤマト』、『ガンダム』、『エヴァ』といったアニメ作品をなぞるようなものとなっていったのだ。
深夜ドラマの『NIGHT HEAD』(フジテレビ系)など、「ドラマから劇場映画へ」という流れはそれ以前にもあったが、この流れを決定的にしたのが『踊る』だった。 今ではドラマシリーズの続きが劇場版として放送されるというモデルは当たり前のものとなっているが、視聴率偏重だったテレビドラマの評価軸に、新しい成功モデルを持ち込んだドラマだったといえよう。 テレビシリーズが終了した後にSPドラマ、劇場版が作られた『ケイゾク』も、基本的には『踊る』と同じビジネスモデルを展開していたといえる。 しかし、同じアニメの影響下にあるオタク的なテレビドラマでありながら、画面に現れている世界観は、真逆のものだったと言える。
それはどちらも押井守作品を参照していながら、『踊る』の劇場版タイトルが『踊る大捜査線 THE MOVIE』という『機動警察パトレイバー』の劇場版タイトル『機動警察パトレイバー the Movie』 を連想させるものとなっていたのに対し、『ケイゾク』の劇場版タイトルが『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』であったこと。押井守の初期代表作で、『パトレイバー』に較べるとアニメ的なビジュアルが全面に出ていて、記号的な映像だからこそできる観念的な世界を展開した『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』から引用されていたという違いに、大きく現れている。
▲『踊る大捜査線 THE MOVIE』/『機動警察パトレイバー2 the Movie』
▲『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』/『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』
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成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第5回 堤幸彦(3)『ケイゾク』ーー過去は未来に復讐する
2018-08-07 07:00
ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。『金田一少年の事件簿』で一躍ヒットメーカーに躍り出た堤幸彦が、1999年に手がけた、テレビドラマ史に残る問題作『ケイゾク』。それは、サンプリングとリミックスを旨とし、最終的に自己破壊でしかリアルを表現できないという、90年代の時代精神を体現した作品でもありました。
堤の映像は土9のみならず、佐藤東弥、大谷太郎といった日本テレビのディレクター達に大きな影響を与え、その後の土9のドラマはもちろんのこと、日本テレビのドラマの映像センス自体を書き換えてしまったと言っていいだろう。
彼らにしたらある種、ショックだったと思うんですよ。ただ、僕自身はずっと土曜9時でやっても、何の広がりもなかったワケです。自分の位置がテレビ的にどうなのかっていうのもわかるし、いくら暴れん坊みたいにやっていても、結局はドラマを作るっていう、ベーシックな仕事の基本はなんら変わらないっていう、そういう意味で寂しくなってきたなと思っていた、ちょうどそういう時期に、渡りに船で『ケイゾク』の話をいただいたんです。なら、もう一回チャンスがあるだろうなぁって、それでやってみたんですね。 (「テレビドラマの仕事人たち」著:上杉純也/高倉文紀(KKベストセラーズ)堤幸彦インタビューより)
堤が土9の仕事に限界を感じはじめていた頃、蒔田光治の仲介で、TBSの植田博樹と出会う。編成時代の植田はTBSのドラマが持つ保守性にフラストレーションを抱えていて、なんとか新しいドラマを作れないかと考えていた。そんな時に堤が手がけた『金田一少年の事件簿』を見て、これはTBSでは作れないドラマだと驚いたという。その後、植田はプロデューサーに復帰。1999年の1月からはじまるドラマを急遽、立ち上げなければならなくなる。その時にTBSでは作れない新しいドラマを作るため、堤幸彦とコンタクトを取る。
TBSのブランドイメージって僕的には非常に高かったんですよね。第2NHK的というか、絶対、自由に作れる世界じゃないなっていう気がなんとなくしていたワケです。ところが、そこにいた植田という男が、これが、僕が今まで見た中で一番の暴れん坊でね、スレスレの人だったんです。(同書)
視聴率ではフジテレビや日本テレビに遅れをとっていたが、当時のTBSにはNHKに次ぐ老舗のイメージがあった。中でもテレビドラマ、特に金曜ドラマに関しては「ドラマのTBS」という圧倒的なブランドがあり、外部ディレクターの堤にとっては、プレッシャーの大きな仕事だったのだろう。 そんなTBSの社員ということもあって、自分とは違う世界を生きるエリートだと、植田に対してはどこまでドラマ作りに対して本気なのかと様子を窺っていた堤だったが、企画を進めていくうちに植田の情熱は本物だと感じ、やがて意気投合するようになっていく。 そして、ドラマ史に残る問題作『ケイゾク』(TBS系)が生まれることになる。
▲『ケイゾク』
『ケイゾク』ーーミステリーに対する醒めた視点
『ケイゾク』は、東京大学法学部を首席で卒業した警部補・柴田純(中谷美紀)が迷宮入り(ケイゾク)となった事件を専門に捜査する部署・捜査一課弐係に配属されるところから始まる。
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成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010) 第4回 堤幸彦(2) 悪ふざけと革命願望(後編)
2018-07-11 07:00
ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。第2回の(2)では、堤幸彦のほか、押井守や村上龍、小林よしのり、秋元康など、多くの作家を輩出した1955年生まれを、「60年代の革命と80年代の消費社会の間に宙吊りにされた世代」という側面から捉え、彼らの作品に滲み出る、革命への〈憧れ〉と〈断念〉について考えます。
堤の「人工的でありながら生々しい映像」
堤幸彦は『テレビドラマの仕事人たち』(著:上杉純也/高倉文紀・KKベストセラーズ)に収録されたインタビューの中で、自身の映像について「マルチカメラを使ってトレンディドラマみたいなことはムリ」と語っており、外様の自分が世の中に出て目立つためには、他のドラマがやらないことをやるしかなかったと語っている。
インタビュアーの上杉純也は、堤の演出の特徴を以下のように書いている。
極力スタジオセットを避ける、スタジオで撮る場合でもセットは全部天井ありの4面総囲みにする。それは“人間の視点に一番近い映像でなくては、アニメやCMには勝てない”という思いからだった。(『テレビドラマの仕事人』より)
堤は『金田一』の際に、マルチカメラ(複数のビデオカメラを使ってマルチアングルで撮影する手法)で、スタジオに組んだセットで撮るという、既存のテレビドラマの手法ではなく、オールロケで一台のカメラで撮影していくという手法を選択した。 また、当時のテレビドラマとしてはカット数が多く、下から煽るようなアップや、魚眼レンズの歪んだ映像で顔を撮影するような、奇抜な構図の映像が多かった。これはミュージッククリップの手法からの影響である。 『金田一』第2シーズンではマンネリを避けるために、演出がより過激化した。
例えば“犯人はお前だ!”っていうのも“は・ん・に・ん・は・お・ま・え・だ・!”って10カットくらいになったり、縦にカメラがグルグル回ったり。まぁ、小難しくても、小学生が楽しめる作品にはなったと思いますけど」(同書)
また『サイコメトラーEIJI』では、照明を使わずにノーライトで撮影しているが、これは当時としては画期的な一つの事件だった。 当時のテレビドラマが、映画と比べて映像面で劣ると言われた理由は、照明に時間を割くことができず全体にライトを当てるため、陰影のないぺらぺらの映像となっていたからだ。照明を使わずに撮影すると、ザラザラとした映像となりブロックノイズなども出てしまうが、それが逆にドキュメンタリー映像のような生々しさを生んでいた。
1. 奇抜な映像でカット数が多い。 2. オールロケ 3. 照明を使わない手持ちカメラの映像 堤演出の特徴をまとめるなら以上の三点だろう。 (さらに、『金田一』の時点ではまだ控えめだが、『池袋ウエストゲートパーク』以降になると、大人計画の宮藤官九郎のような、小ネタを多用したアドリブ混じりの軽妙な会話劇が劇中に持ち込まれるようになっていく)
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成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第3回 堤幸彦(1) 悪ふざけと革命願望(前編)
2018-06-13 07:00
ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。第2回では、『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』『TRICK』などで知られる映像作家・堤幸彦を取り上げます。1995年に「土9」枠でヒットした『金田一少年の事件簿』は、以降のキャラクタードラマの先駆けとなる、画期的な作品でした。
テレビドラマの画期となった『金田一少年の事件簿』
1995年。失速する野島伸司と入れ替わるようにテレビドラマの世界で頭角を現したのが、『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系、以下『金田一』)でチーフ演出を務めた堤幸彦だ。
『金田一』は少年マガジン(講談社)で連載されていた人気ミステリー漫画をドラマ化した作品だ。横溝正史の推理小説『八つ墓村』や『悪魔の手毬唄』に登場する名探偵・金田一耕助を祖父に持つ高校生・金田一一(はじめ)が主人公となり、行く先々で起こる殺人事件を探偵として解決していく。
▲『金田一少年の事件簿』
95年4月にSPドラマ『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』として放送された本作は7月から連続ドラマとして放送された。その後、SPドラマ、第二シーズンが放送されたのちに映画化されて大ヒットとなり、堤幸彦は日本テレビから社長賞を受け取った。
堤が手がけたシリーズはここで一旦終了したが、その後、二度もリブートされる人気シリーズとなった。
『金田一』は様々な意味で画期的な作品だった。
まず第一に、本作は10代から20代前半の若者向けのドラマとして作られていた。
本作が放送された日本テレビ系土曜9時枠(土9)は、もともとトレンディドラマブームの余波で作られたドラマ枠だった。しかし、後発ゆえに視聴率の面では苦戦しており、他局との差別化に苦しんでいた。
そんな中、野島伸司が企画した『家なき子』が大ヒットしたことで、ドラマ枠の方向性が大人向けの作品から子供向けへと大きくシフトすることになる。その結果、生まれたのが少年漫画を原作とする『金田一』だった。
本作の成功は、仕事と恋愛が中心だった日本のテレビドラマに、漫画やアニメを楽しんでいたような男性視聴者の取り込みに成功した。
70年代から80年代前半にかけては人気刑事ドラマの『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)や松田優作が主演を務めた『探偵物語』(日本テレビ系)のような男性視聴者に向けた男臭いドラマが多かったが、80年代後半になりバブル景気が盛り上がっていくと、トレンディドラマのような社会で働く女性にとっての仕事と恋愛を描いたものが増えていった。その結果、いわゆるF1層(20~34歳の女性)に向けた作品がテレビドラマの中心となっていく。当時は邦画も停滞期だったため、男性視聴者の多くは漫画・アニメ・ゲームといったオタクカルチャーへと関心が向かっていた。そんな中、少年マガジンのミステリー漫画を原作とする『金田一』は、劇中の犯人を推理するというゲーム的な要素もあって、普段はドラマを見ない男性視聴者からの支持を獲得した
同時に、主演を務めたのが、ジャニーズ事務所に所属する男性アイドル(以下、ジャニーズアイドル)・KinKi Kidsの堂本剛だったことで、アイドルファンの女性視聴者の取り込みにも成功している。つまり本作は、男性アイドルを主人公にした「アイドルドラマ」の始まりでもあったのだ。
今でこそ、テレビドラマの主演をジャニーズアイドルが占めることは当たり前となっている。しかし、当時はSMAPの木村拓哉が『あすなろ白書』(フジテレビ系)等の恋愛ドラマに進出し始めたばかりの時期で、堂本剛も同じユニットの堂本光一と共に『人間・失格〜例えば僕が死んだなら〜』(TBS系)に出演していたが、それはあくまで例外的なもので、俳優とアイドルの境界は、今よりも大きく隔たっていた。本木雅弘、岡本健一といったジャニーズアイドルの俳優業が本格的にスタートするのはアイドルを辞めてからであり、アイドルでありながら俳優としても活動するというスタイルが成立するのは、SMAPによってアイドルが歌、バラエティ、司会、俳優といった多ジャンルで活躍できることが証明されてからである。
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成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第2回 野島伸司とぼくたちの失敗(後編)
2018-04-10 07:00
ドラマ評論家の成馬零一さんの連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』。TBS三部作において〈無垢なるものを守るための共同体と暴力〉という主題に向き合った野島伸司。1995年にその臨界点となる『未成年』が放送されますが、その結末が示した限界は、キャラクタードラマの時代への転換を促すことになります。
野島三部作が切り開いたものと、その限界
90年代前半の野島伸司のフジテレビ系の作品は、当時の空気を知る上での歴史的資料としては面白いのだが、現在のテレビドラマの水準と比較すると映像や演出の面で、どうしても見劣りする部分がある。
対してTBS系の金曜ドラマで放送された『高校教師』以降の野島三部作と言われる作品群は、今の視点で見ても、一つの映像作品として鑑賞に耐えうるクオリティを保っている。
中でも圧倒的な完成度を誇るのが1993年の『高校教師』である。
▲『高校教師』
物語の舞台は、とある女子校。大学の研究室から生物の教師として赴任した羽村(真田広之)は二宮繭(桜井幸子)という女子生徒と知り合い、やがて教師と生徒という立場を超えた恋愛関係へとなっていくのだが、実は繭は芸術家の父親との近親相姦の関係にあった。
物語は羽村だけでなく、繭の友人の相沢友子(持田真樹)と体育教師の新藤徹(赤井英和)、そして相沢をレイプして自分のものにしようとした藤村知樹(京本正樹)の関係も同時に描いていく。
教師と生徒の恋愛にレイプや近親相姦といったショッキングな描写が盛り込まれた本作は、過去の野島作品と比べても過剰に性的な物語だった。
本作と同時期に女子高生がブルセラショップでパンツを売ったり、テレクラで売春(援助交際)を行うといったゴシップ記事が話題となり、やがて90年代後半の女子高生がマーケティングの対象となるコギャルブームへとつながっていった。
そう考えると本作もまた、女子高生を性的に消費することに対する過剰な盛り上がりを見越したトレンディな作品だったと言うこともできるのだが、桜井幸子が演じる繭の異様な存在感(当時、桜井幸子は19歳で年齢的には高校生ではなかった。元々大人びた雰囲気を持つ女優だったが、彼女だけが一人浮き上がって見えるような大人びた存在感は年齢の問題もあるのではないかと思う)もあってか、今見返しても色あせていない。野島ドラマの中では数少ない時代を超えた古典的傑作となっている。白を基調とした映像も素晴らしく、テレビドラマとしてのルックも格段に美しい。
本作は、はじめて野島伸司がTBSの金曜ドラマという名作ドラマ枠で執筆した作品だ。
金曜ドラマは古くは『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』といったテレビドラマの巨匠である脚本家・山田太一がドラマを発表していた場所で、ドラマファンからすると特別なドラマ枠だ。90年代の野島伸司作品以降も堤幸彦演出の『ケイゾク』や宮藤官九郎・脚本の『木更津キャッツアイ』などが放送され、テレビドラマ史に残る作家性の強いドラマの多くはここから生まれてきた。
今までフジテレビで書いてきた野島にとって、金曜ドラマで書けるということはそれだけ名誉なことで、ここで作家として認知されたという面は大きいだろう。
岡田惠和、北川悦吏子、三谷幸喜といったこの時期に頭角を表した脚本家たちは、山田太一や倉本聰、市川森一、向田邦子といった脚本家の作品を見て影響を受けた書き手が多い。彼らのドラマは作家性が高く評価されており、シナリオ文学と一部で呼ばれていた。
彼らのシナリオ集は書籍として販売され、脚本家志望の若者に大きな影響を与えた。
そして、1980年に向田邦子が直木賞を受賞したことでドラマ脚本家が作家として評価される機運が高まった後で、彼らのシナリオを読んで世に出てきたのが90年代に活躍した脚本家だ。
野島も無論、その一人だ。彼の群像劇の中に社会性のあるショッキングなテーマを盛り込んでいくというアプローチは、山田太一の『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』の方法論をよりスピーディーかつショッキングなものとして、キャッチーに見せていると言えよう。
しかし、そんなスピード感が、一つ一つのエピソードやモチーフを軽く扱っているように見えてしまう。当時から野島の作風を山田太一や倉本聰といったシナリオ文学以降の流れとして捉える向きはあったが、山田太一のドラマのドラマを熱心に見ていた視聴者ほど、野島に対する評価は厳しかったと記憶している。野島ドラマは高尚な文学として読まれるには、下世話で面白すぎたのだ。
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【新連載】成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)第1回 野島伸司とぼくたちの失敗(前編)
2018-03-01 07:00
ドラマ評論家の成馬零一さんの新連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』が始まります。第1回で取り上げるのは、90年代を代表するドラマ脚本家の野島伸司です。80年代トレンディドラマの“アンチ”ともいえる陰鬱な展開で人気を博した野島ドラマですが、その中には00年代に全面化する共同体への志向が、既に萌芽していました。
この連載は、1995年から2010年のテレビドラマについて語るクロニクル(年代記)である。
その時期に製作されたテレビドラマや、脚本家や演出家といった作り手に言及することで、その時代のテレビドラマで何が起きていたのかを、一つ一つ紹介していこうと考えている。
なぜ、1995年から2010年という区分なのか
1995年は、戦後日本の大きな転換期となった年だ。
1月17日に阪神・淡路大震災が起こり、3月20日にはオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。戦後、経済発展と共に治安に関しては世界一と言ってもいい平和大国だった日本に初めて不穏な影が差し込んだのだ。
そして、終身雇用と年功序列という戦後の経済成長を支えた日本型の家族経営が機能不全に陥り、新卒採用が見送られ就職氷河期が叫ばれるようになる。
後に「失われた20年」と言われる日本の低成長時代がいよいよ本格化しはじめたのだ。
だが一方で、大衆文化だけは遅れてきたバブルを謳歌していた。週刊少年ジャンプの発行部数は600万部を超え、小室哲哉がプロデュースしたアーティストの曲が立て続けにミリオンセラーを記録し、テレビドラマも高視聴率を獲得していた。
中でも大きな存在感を見せ始めていたのが、アニメーションである。
95年には押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』と大友克洋が監修を務めた『MEMORIES』という劇場アニメが上映されたのだが、この二作の評価は世界に通用するクールなポップカルチャーという位置付けだった。
大友克洋監督の『AKIRA』が海外でカルト的に評価されて以降「日本のアニメはクール」というジャパニメーションブームが起き、逆輸入的に国内のアニメを評価する動きが数年前から起きていたのだが、その勢いが本格化するのもこの年である。
何より反響が大きかったのはテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の登場だろう。
14歳の少年がエヴァと呼ばれる巨大ロボット(劇中では人造人間と呼ばれている)に乗って、使徒と呼ばれる謎の巨大生物と戦う物語は、『マジンガーZ』以降のロボットアニメや『ウルトラマン』等の特撮ドラマのテイストを盛り込んだ、戦後サブカルチャーの総決算とでも言うような内容で、謎が謎を呼ぶストーリーと登場人物のナイーブな心理描写はアニメの枠を超えて、あらゆるカルチャーに今も影響を与え続けている。
テクノロジーとコミュニケーションの面で大きかったのはマイクロソフトのOS・Windows95が発売されたことだろう。今まで一部のマニアだけのものだったパソコンが一般層にも普及し、メール、チャット、BBSといったインターネットを介したコミュニケーションが本格的に始まったのもこの年だった。
つまり、戦後日本が積み上げてきた経済発展が終わる一方で、文化面では漫画やアニメといったオタクカルチャーを中心とした後にクールジャパンと呼ばれるような流れが誕生し、その一方でインターネットの登場によるコミュニケーションの変容が始まったのが95年だったと言える。
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