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記事 81件
  • 男と食 32|井上敏樹

    2022-02-01 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、2022年3月から放送開始の『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』も手がける脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回は敏樹先生行きつけの富山の名店についてです。あえて締めに「おにぎり」を提供する割烹のことが気になって仕方ない敏樹先生。思い切ってその秘密を大将に尋ねてみると……?
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    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第69回 男 と 食 32     井上敏樹 
    最近、富山に夢中である。毎月のように通っている。もちろん、食のためだ。私は観光に興味がない。桜を見るくらいなら桜餅を食べたい。モミジを見るよりもモミジ饅頭を食べたい。大体美しい風景などというものは心に差し込んで来ない。目から入って頭の後ろに抜けていく。美しい物は子供の頃に沢山見た。その記憶があれば十分である。歳を経た汚れた目では美を美としてまっすぐに見る事が出来ないのだ。ただし、女性となると話は別だ。それは料理についても同じである。女性にせよ料理にせよ、子供の頃より今の方が美を感じる。多分、欲があるからだと思う。歳を取ると欲が介在しなければ美を掴む事が出来ないらしい。
    さて、富山には多くの良店があるが、抜群に素晴らしい店が二軒ある。ふじ居と冨久屋である。この二店はその美味と個性において、全国的に見てもトップレベルである、と思う。私が去年一年間、あちこち食べ歩いた中で、最も印象に残っているのが冨久屋の鮎雑炊である。そして二番目がやはり冨久屋の熊のお椀だ。鮎雑炊は土鍋に米と水を按配し、そこに活きた鮎を放って火にかける。程よい所で鮎は取り出して捨ててしまう。味つけは塩だけ。つまり、上品な鮎の出汁で雑炊を食べる。玲瓏な味、幽玄な味だ。かと言ってぼやけた味ではない。夜空をよぎる流れ星のように出汁の輪郭はくっきりとしている。熊のお椀もまた、いい。熊の場合、普通は八方出汁か味噌味で供するものだが冨久屋ではそんな凡な事はしない。大量のネギを煮込み、ネギの出汁を取って熊に合わせるのである。これがまた熊の脂によく合う。すっきりとした極上の味わい。『あ~あ、ありがたい』と思わず冨久屋の大将と月の輪熊の魂に手を合わせたくなる。そして最後には冨久屋名物のおにぎりが登場する。大将が自ら握ってくれるおにぎりである。大きい。ふわっとしている。みんなで『お~』と盛り上がる。
    さて、ここでおにぎりが問題になる。ある日、いつものように大満足して冨久屋を後にした私は、バーでウイスキーを飲みながらふと、ある事に気づいた。なぜ、おにぎりなのか? 本来、割烹のシメと言えば炊き立ての土鍋のご飯である。ぴかぴかの銀シャリを一文字に切ったのを食せば香りといい甘さといいこの上ない。それをわざわざおにぎりにする必要があるのか。分からなくなった。大体おにぎりとは携行食、つまりお弁当のためのものではないのか。お客たちが『お~』と声を上げるのは、誰もが持つおにぎりに対する郷愁のために違いない。母親が握ってくれた夜食やお弁当──お袋の味だ。そんな思いを突くのは弱みに付け込むようで少々ずるいのではないか? そこでふじ居の大将に尋ねてみる事にした。冨久屋とふじ居は同じ富山の料理人として親しい関係にあるらしい。彼ならきっと私の疑問を解消してくれるだろう。ふじ居は完全無欠の料理屋である。天国に一番近い店である。いや、天国である。ふじ居に行くと、あまりに素晴らしく現実感がないのですでに死んでいるのではないかと思ってしまう。
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  • 男と酒器 2|井上敏樹

    2021-11-29 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。贋作を買わされたという友人の体験談から、こだわりのお酒の注ぎ方まで、前回に引き続き骨董にまつわる敏樹先生のエピソードが語られます。
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    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第68回 男 と 酒 器 2     井上敏樹 
    私の友人にKという骨董好きがいる。私同様、酒器を中心に蒐集しているのだが、大きな狐に憑かれている。狐に憑かれる、とは物に執するあまり頭が変になる状態を言う。恋愛と同じだ。私もKもお互いに相手が唯一の骨董仲間であり、なんとか相手を出し抜き佳品珍品を手に入れようと骨董屋通いに余念がない。
    そのKがやってしまった。贋物を掴まされたのである。しかも相手は確信犯。タチが悪い。その日、ちょっとした用事のついでにその店に立ち寄ったKだったが、ズラリと陳列された骨董の品々を見て完全にイッてしまった。マニアなら喉から手が出るような物ばかりである。しかも信じられないほど安い。後になって私もKが購入した品を見せて貰ったが、なかなかよく出来ている。とは言え、勉強家のKは骨董歴は短いが、それなりの知識もあり、普段なら騙されるようなレベルではない。Kの目を曇らせたのはやはり欲だ。狐に憑かれたKは大恋愛の真っ最中なのだ。まさにアバタもエクボ、相手が悪女であろうと魔女であろうと惚れてしまったら天使にも見える。Kは店を出て走った。銀行で金を降ろすためである。そうして大枚叩いて粉引きの筒盃、粉引きの徳利、唐津のぐい飲みを購入した。
    だが、手に入れた途端、Kの脳裏に疑惑が湧いた。本物なら全部で1000万はする品々である。それを100万以下で入手できるものだろうか。自分の物にした瞬間、見えて来る物があるというのが骨董の不思議で、ここら当たりも恋愛に似ている、と言えるかもしれない。いてもたってもいられずKはタクシーで行き着けの骨董店に向かった。業界でも目利きで通っているその店主は『全て偽物です』とにべもない。さて、この場合、即座に贋物店に取って返し『この野郎、騙しやがって! 金返せ!』と怒鳴り込むのが普通の感覚かもしれないが、多くの場合、骨董好きはそうはしない。騙される方が悪いと言う暗黙のルールが業界にはあって被害者は勉強代として黙するのである。『しかし、見事に騙されたものだな』後日、Kが買った贋物披露会で私は一杯飲みながらそう言った。同情はしない。せせら笑うのが礼儀だ。しかも、その頃のKは親しい骨董屋に『少しは目が利くようになったようだが、その頃が一番危ない』と言われており、まさにドンピシャだったのだ。笑うしかない。
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  • 男と酒器|井上敏樹

    2021-10-28 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回は、最近敏樹先生がハマりはじめたという骨董について。盃に映った空を眺め、敏樹先生は何を思うのでしょうか。
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    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第67回 男 と 酒 器      井上敏樹 
    まず、謝罪したい。以前、私はこのエッセイで骨董好きな人間を批判した事があった。無責任だ、と。自分勝手だ、と。その私が近頃すっかり骨董にはまっているのだ。思えば小学校の頃、通信簿に必ず無責任だ、協調性がない、と書かれた私である。運命は決まっていた、と言えるかもしれない。もっとも私の場合、酒器と食器に限定されているので、まだまだ初心者のレベルである。本当の数寄者は日々使う道具を越え、ただ見て楽しむだけの鑑賞美術を愛するものだ。仏像とか掛け軸とかだ。そしてそういった鑑賞美術品は酒器よりもずっと高価である。おそろしい。大体、骨董という漢字自体、分解すると骨に草、重なるである。不気味だ。
    さて、骨董を始めると、まず誰もが決まって陥るジレンマがある。真贋問題である。たとえば苦労して手に入れた壺があったとする。前々から望んでいた平安の壺である。ういやつういやつとばかりに日々撫でたり摩ったり、一緒に風呂に入ったり抱いて寝たりと愛を捧げたその愛器が、ある日、有名な目利きに贋物である、と断ぜられたとする。この場合、どうするか。真贋などどうでもいい、たとえ偽物であっても好きなものは好きなのだ、という態度は一見、爽快のようだが、所詮めくらの開き直りである。骨董好きなら自分を恥じる。おのれの眼の低さを恥じ、捧げた愛を恥じる。二度と壺と床を共にする事はなく、押入れの奥に放り込む。評論家の小林秀雄も骨董好きで名高いが、かの良寛の掛け軸を壁にかけ、来客がある度に鼻高々に自慢していた。そんなある日、やって来た良寛の研究者が偽物である、と断罪ー次の瞬間、小林は愛刀の一文字助光で掛け軸を両断した、という。これが骨董好きの姿勢である。妥協のない姿勢である。
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  • 男と病|井上敏樹

    2021-08-31 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回は敏樹先生の、ふたりの友人のエピソード。彼らの仲が深まったきっかけと、ある病の感染経路について語ります。
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    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第66回 男 と 病     井上敏樹 
    友人がコロナになった。しかもふたり同時にである。中川(仮名)が三十代、岸本(仮名)が四十代。私とこのふたりは同じ職業という事もあって、ちょくちょく飲食を共にしたり旅行に行ったりする仲である。従って私も罹患してしかるべきなのだが、私が多忙な期間、中川と岸本は夜な夜なふたりで行動を共にしていたらしい。私を仲間外れにしたわけではないが、半端なふたりが半端な遊びをするからこういう目に合うのである。神はいる。『それで、一体どこでコロナに罹ったのだ?』長い自宅療養の末、ようやく保健所から外出許可の出たふたりに私はまずそう尋ねた。『それが……』と、なにやらふたりしてもごもごしている。
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  • 男と贈り物|井上敏樹

    2021-06-30 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回は「贈り物」について。物を「贈る」ときには、その相手への理解度が問われているのだと敏樹先生は語ります。
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    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第65回 男 と 贈 り 物     井上敏樹 
    友人から連絡があった。前々から行きたかった割烹の予約が取れたのだが、店の主人に手土産など、持参するべきだろうか、と言うのである。私は即座に返答した。やめなされ、と。もちろん、色々な考え方があるだろうが、よほど相手に対する理解がないかぎり、物を贈るのは危険である。この世に迷惑な事はあまたあるが、いらない物を貰う事ほど迷惑なものはない。先日も知り合いの知り合いの知り合いと会食があり、その知り合いの知り合いの知り合いが私に手土産を持って来た。帰宅して開けてみると鳩サブレである。これには困った。無論、鳩サブレに罪はない。寧ろお菓子の中では傑作の部類に入るであろう。だが、私は甘い物が大の苦手なのだ。甘味でなんとか食べられるのは愛だけだ。試しに渋茶を入れて食べてみたがやはり腹におさまらない。しかし、敵は食べ物だ。捨てるわけにはいかない。今、鳩サブレは私の部屋の片隅で眠っている。時が解決してくれる、それが私の答えである。鳩サブレは時が流れ、賞味期限が切れ、捨てるという行為に私が罪悪感を抱かなくなるまで眠らねばならない。
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  • 男と差別|井上敏樹

    2021-05-06 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回のテーマは「差別」。(一見)差別的な用語に過敏に反応してしまう昨今の風潮について、敏樹先生がユーモラスに語ります。
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    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第64回 男 と 差 別     井上敏樹 
    駅の自販機でお茶を買った。『お~い、お茶』というものである。ふと、思った。この商品名は差別的なのではないのか。『お~い、お茶』とは言うまでもなく、夫が妻に対してお茶を要求する言葉であろう。もちろん、妻が夫に、或いは子供が親に言う事もあろうが、この場合、今や死語となりつつある亭主関白を表しているのは間違いない。ちょっと前に森元首相の女性蔑視発言が問題になったが、『お~い、お茶』は差別ではないのか。だが、よく考えてみるとこの商品名はなかなか賢い、と気づいた。『おい』ではなく『お~い』と伸ばしている所がミソだ。大声を上げている。つまり、この家は広い。お屋敷である。ならば、当然、昔風に言えば『お手伝いさん』のひとりやふたりいるだろう。この男はお手伝いさんにお茶を要求しているのだ。ならば差別ではない。お茶を出すのもお手伝いさんの仕事だからだ。『~』によってこの商品は救われているのだ。
    さて、差別と言えば先日、友人から面白い話を聞いた。
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  • 男と歌|井上敏樹

    2021-03-31 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回は、「歌」にまつわる思い出について。同窓会の席で、小学校時代の友人の死を聞かされた敏樹先生。彼の歌声は、どうして少年時代の敏樹先生の心に刺さったのでしょうか。
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    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第63回 男 と 歌     井上敏樹 
    先日、小学校時代の友人から連絡があった。久しぶりに同窓会をやるので、是非出席してくれ、というのである。話は自然とかつての級友たちの噂になり、そこで私はAの死を知らされた。おそらく級友たちの中でAの死に最もショックを受けたのは私だったろう。特別親しかったわけではない。Aには私の知る限り友人と呼べるような相手はいなかった。一度先生のひとりが『でくのぼう』と呼んだが、今では問題になるであろうその言葉に納得しない者はいなかった。馬鹿だったのである。いつも鼻を垂らしてボ~ッとしていた。授業中に発言した事は一度もない。髪は多分母親が刈っていたのだろう、下手糞なざんぎり頭だった。服は時々色が変わったが、一年中同じような薄汚れたセーターで通していた。なにが面白いのか分からないが、時々ぶひぶひと鼻を鳴らして笑っていた。そんなAがいじめの対象にならなかったのは、ひとえに体が大きかったせいだ。小学4年生で百七十センチを越えていて、クラスで、いや、学年で一番大きかった。体格もがっしりとした筋肉質。だが、運動はまるでダメ。跳び箱も跳べなければ逆上がりも出来ない。Aはもっさりと、ただ大きいだけだった。 そんなAにもひとつだけ取り柄があった。歌が上手かったのである。もっとも、それを知っていたのは私だけだったが。
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  • 男と髪|井上敏樹

    2021-01-29 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回はずばり、髪の話。薄毛の話から、美容院、床屋にまつわるエピソードを綴ります。
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    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第62回 男 と 髪     井上敏樹 
    五十過ぎの男が何人か集まると、大体ふたつの事柄が話題に登る。インポテンツとハゲである。『最近おれの王子は自律神経失調症だ』『それはそれで楽でいいではないか』だの『お前、最近額が後退して来たな』『そう言うお前は天辺が寂しいぞ』だのとお決まりの会話が繰り返される。頭と股間では位置が遠いが、この両者の関係は実に深い。たとえば飲む育毛剤なるものがあって、これを服用すると股間がショゲる。頭髪は立つが珍宝はうなだれるわけだ。飲む育毛剤が男性ホルモンを抑制するせいである。男性ホルモンは頭髪の大敵なのだ。胸毛となると逆に男性ホルモンが栄養になる。胸毛のある男にハゲが多いのはそのためだ。頭髪と胸毛では、ホルモンが逆の作用を及ぼすのが面白い。
    王子の問題はさておき、私も頭髪の方が最近あやしい。ハゲというのではないが、髪の毛が細くなって力がない。透けている。若い頃は思ってもみなかった事である。父や祖父も死ぬまでハゲる事はなかったので、安心していたのだが、数カ月前に美容院に行ったら、『少し薄くなって来ましたね』と美容師に言われた。不快である。
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  • 男と金|井上敏樹

    2020-12-25 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回はお金にまつわるエピソードです。ある晩、神社の境内で見つけた千円札から、拾ったお金についての思い出が蘇ります。敏樹先生の考えるお金論とは……?
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    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第61回 男 と 金     井上敏樹 
     金を拾った。友人と酒を飲み、夜、神社の境内を歩いていると、寒風に煽られ、枯葉がさざ波のように打ち寄せて来て、その中に千円札が混じっていたのだ。まさに神様からの贈り物である。子供の頃はよく金を拾ったものだ。おそらく地面に近い位置で生きていたからだろう。私の友人に、『あ〜、金が降って来ないかな〜』と口癖のように呟き空を仰ぐ者がいるが無駄である。金は空からは降って来ない。地面を見ている方がましである。生まれて初めて金を拾ったのは今よりずっと地面に近い頃――弟とふたりで遊んでいると、道端に百円玉が落ちていた。興奮した。当時の私にとって百円と言えば大金だった。駄菓子屋に行けば麸菓子や酢イカやアンズやあんこ玉がたらふく食える。だが、私は弟の手前もあって、別の行為を選択した。つまり、交番に届けたのだ。交番への道のり、私は自分がひどく誇らしかったのを覚えている。まるで英雄にでもなったような気分だ。私はお巡りさんの前にグッと握り拳を差し出した。『お金を拾いました』そう言って指を開くと、掌に百円玉が光っている。だが、お巡りさんは言ったのだ。『君は偉い。取っておきなさい』と。幼心に私は学んだ。拾った金は自分の物になるのだ。使っていいのだ。そう言えば私の母も同じ事を学んでいた。学び、そして実践していた。
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  • 男と食 31|井上敏樹

    2020-10-30 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。ある日、お茶漬けのCMを見た敏樹先生。母親が子供たちに朝食としてお茶漬けを出すそのCMから、幼稚園の頃の恐ろしいお弁当事件が頭をよぎります。
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    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第60回 男 と 食 31     井上敏樹 
    衝撃的なCMを見た。『朝はお茶漬け』というものである。極く普通の若い母親が、朝の食卓で子供たちにお茶漬けを出す。子供たちは美味しそうにお茶漬けをかき込み、『美味しかったよ、お母さん』とばかりに笑顔でランドセルをしょって学校に行く。『朝はお茶漬け』である。あんまりではないか。別に私はお茶漬けを否定しているわけではない。私だって時々食べる。寧ろ好きだ。だが、それはちょっと小腹が空いた時とか二日酔いの朝とかであって、育ち盛りの子供に与えるようなものではない。しかも朝食である。朝食というのはその日の勢いを決定づけるとても大事な食事である。この母親には愛がないのか。炊き立てのご飯と味噌汁、焼魚に納豆等を出すのが真っ当な母親というものではないのか。お茶漬けとは関係ないが、私はこのCMを見て、幼稚園の頃のお弁当事件を思い出した。私の母親が昼食として私に菓子パンを持たせたのである。焼きそばパンだがメロンパンだか忘れたが、モソモソと菓子パンを食べる私を見て当時の先生は眉をしかめた。そして私に言ったのだ。『井上君、もっとちゃんとしたお弁当を作ってくれるようお母さんに頼みなさい』と。帰宅した私は先生の言葉を母に伝えた。サッと母親の顔色が変わった。『本当に先生がそう言ったのかい?』と、私に迫った。しまったと私は後悔した。母のプライドが傷ついている。元々母は料理好きで、いつもは立派なお弁当を作っていた。おそらくたまたま体調が悪くてその日は菓子パンを持たせたのだ。
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