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タグ “哲学の先生と人生の話をしよう” を含む記事 35件

哲学の先生と人生の話をしよう:「男前が好きな自分を認めても良いでしょうか?」

「男前が好きな自分を認めても良いでしょうか?」相談者:かずさん(京都府在住・28歳女性・専門職)Q. 本当につまらない質問なのですが、28年生きてきて今まで好みの男性は正統派の格好良い人より、少し癖のあるような男性(名前を出して良いかどうか分かりませんが、例えば松田龍平さんなど)が好きでした。 自分より顔の作りが綺麗な方だと緊張してしまい、2人きりで会うことは自分にとってしんどいことでした。自分でも、男前は好きじゃないんだと思っていました。しかし、最近になって仕事上で男前の人と2人きりになるような機会が数回続き、やはり自分は男前が好きなんじゃないかと思うようになりました。 今まで、男前は好きじゃないと思っていたのは、おそらくすっぱい葡萄と同じように、手に入らないから自分に都合をつけていただけのように思います。 しかし、私も28歳で独身です。彼氏が欲しいと思っていますが、彼氏はいません。決してモテるタイプでもないので、今から男前を追い求めるのもどうかと思い、今後、方向性がはっきりせずフラフラしてる状態です。 主訴がはっきりしない相談で申し訳ありませんが、こんな私を客観的に見て頂いて何か助言頂けると嬉しく思います。よろしくお願い致します。A. ご相談ありがとうございます。 そうですね、まぁ、お寄せいただいた相談を読みながらまず思ったのは、「この人、自分の話ばっかりしてんなぁ」ってことですね。 その仕事で一緒になってる「男前」の人ってのも、この文面からでは全然リアリティをもって想像できませんね。別に相談文が短いってことじゃなくて、そもそもその人が、かずさんの網膜には映っているのでしょうけど、結局、かずさんの頭の中にある「男前」フォルダに収められているだけで、その顔の画像すらよく見てないんじゃないでしょうか。 こうやって書きながら考えてると、かずさんの相談、ツッコミどころ満載な気がしてきました。かずさんの相談では、「男前」なる存在があらかじめ存在していることが前提になってますね。つまり、「男前」なるものの本質があって、その本質に与【あずか】っている者とそうでない者とが、もうあらかじめはっきりと決まっているということですよね? そんなことあり得るんですか!? もうこの人生相談も終わりが近づいているので(!)わざと面倒な言い方をするとですね、それって古代ギリシャのプラトンが言っていたイデアの考え方ですね。 

哲学の先生と人生の話をしよう:「男前が好きな自分を認めても良いでしょうか?」

哲学の先生と人生の話をしよう:先が見えず不安です。自信を持つにはどうしたら良いでしょうか?

「先が見えず不安です。自信を持つにはどうしたら良いでしょうか?」相談者:mocavanillaさん(東京都・41歳女性・会社員)Q.いつも國分先生ならではの視点、切り口からのご回答に感嘆しております。毎週楽しみにしていたこの連載も終わってしまうとのことで、思い切って相談させてください。つい先日、離婚をした41歳の女です。SEをやっております。10年連れ添いましたが、相方が結婚3年目でうつを発症し、休職と復職を繰り返すようになりました。たまに大喧嘩をしつつも、どうしても元気だった頃の楽しい記憶から、いつかまたよくなると、今思うと楽観的にごまかして過ごしてしまった気がします。転機としては、自分の仕事の負荷が増え、周囲ともうまくできなくなり、私もうつで休職してしまったことに発します。元々心身が強くないこともあり、自分のことで精一杯のため、この先、うつの彼の人生までを背負っていく自信がなくなってしまったのです。偽善っぽいですが、ぶっちゃけますと、彼の具合は悪くなる一方で、もう働けるようになる自信がないと言われ、私が養うから大丈夫!とは答えてあげれなかったのです。(以前、宇野さんには某イベントでご相談させていただき、彼とちょっと距離をおいてみたらどうかとアドバイスいただきました。)私はその後復職し、体調の浮き沈みはあるものの、なんとか続けています。ただ、休職により評価を落としてしまっている自分は、自分自身先が見えず、正直不安です。離婚してから2ヶ月がたちますが、彼とは連絡をとっていません。劇的に回復してる姿とか、私に関する手紙とか写真は処分した話とか、元気になってまた恋をしたいとかの発言を目にしては、なんとも寂しいような、ムカつくような、複雑な気持ちになり凹みます。長々と失礼しましたが、ご相談というか、ご意見を伺いたいのは、・私は病気の家族を見捨てた薄情な人間だと、先生から見ても思われますか・どうしても自己評価が低く、自信がもてないのですが、自信をもつための心掛けなどありましたら、ご教示下さい・独り身でも前向きに生きていくために、これが大事というようなものがありましたら、お聞かせ下さい支離滅裂な文章で恐れ入りますが、叱咤いただいて構いませんので、よろしくお願いします。A. ご相談をお寄せいただきありがとうございます。 何よりもまずお伝えしておきたいのは、mocavanillaさんが前の旦那さんと離婚したことには何らの道義的な問題もないということです。 誰かにそう言われたのでしょうか? 病気の家族を見捨てた薄情な人間だなんて全然思いませんし、そんな風に思う人がいるんでしょうか? 「私が養うから大丈夫!」というのは本当に重い言葉です。mocavanillaさんは責任を感じているのでしょう。けれど、それが言えなかったから自分はひどい人間だなどと思ってはいけません。 たぶん、誰よりもmocavanillaさんを責めているのはmocavanillaさんご自身ですね。その背景には「ひとたび婚姻関係を結んだのならば、すべての責任を引き受けねばならない」とmocavanillaさんが強く思い込んでいることにあるように思えます。 しかし、婚姻関係は契約に過ぎません。その内容は当事者が決めればいいことです。 おそらくmocavanillaさんは、婚姻関係に限らず、いろいろな物事や人間関係について、「これはこうでなければならない」という強い思い込みを抱いているのではないでしょうか。仕事の仕方、友人との付き合い方、配偶者との関係、どんなことについても「こうでなければならない」なんてことはありません。 もちろん、そう思い込んでいるものをほぐしていくのは大変です。しかし、自分にそういうところがないか少し考えてみてください。たぶん「自己評価が低い」というのもそのせいでしょう。「自分はこうでなければならない」と思っていたら、自己評価は低くなるに決まっています。 その問題と関係しているのですが、僕がとても気になったのは「独り身」という言葉、そして、mocavanillaさんがまだ彼に対して思いを寄せているという点ですね。 

哲学の先生と人生の話をしよう:先が見えず不安です。自信を持つにはどうしたら良いでしょうか?

哲学の先生と人生の話をしよう:勝手に悪人のレッテルを貼られて困っています

「勝手に悪人のレッテルを貼られて困っています」相談者:イッセイのパパさん(東京都・31歳男性・会社員)Q.勝手に悪人のレッテルを貼られて困っています。ぼくは口下手なのかも知れませんが、基本お喋りで思ったことをズバズバ言うタイプです。そのためなのかも知れませんが、プライベートでも仕事でも、言ってないことを言った、やってないことをやった、思ってもいないことを思ってるなど、悪いイメージを持たれています。そのために、ことあるごとに無実の罪を証明するための弁解をする機会が非常に多く、弁解することにいいかげん疲れてしまいました。家内や友人に相談すると、口調や声のトーンや表情が強く感じて怖く高圧的に感じると言われましたが、どうにもなかなか直すのが難しいです。何かアドバイスをお願いします。A. 相談をお寄せいただきありがとうございます。 正直申しますと、全然状況がつかめません。「悪人」というのは非常に強い言葉で、その人間の性質が本質的にゆがんでいるというニュアンスがあります。だから普通「お前は悪人だ」とは言いません。イッセイのパパさんも「お前は悪人だ」と言われたことはないんですよね? だから「悪人のレッテルを貼られて」というのはよく分からないんです。 ご相談の内容を簡潔にまとめると、自分が思っていることと周囲からの反応にズレがあるってことですよね? イッセイのパパさんは文面から察するにガーガーしゃべる感じです。だから、「周囲からそんな風に思われるぐらいで、本当に悩んでるのかなぁ」って思ってしまうんです。どうなんでしょうか。  

哲学の先生と人生の話をしよう:勝手に悪人のレッテルを貼られて困っています

哲学の先生と人生の話をしよう:悲観的な夫に腹が立ってしまいます

「悲観的な夫に腹が立ってしまいます」相談者:くるみさん(三重県在住・53歳女性・教育関係)Q.名古屋アウトプット勉強会の『暇と退屈の倫理学』の読書会で先生にお会いして以来のファンです。先月初めに夫が2度目の脳梗塞になりました。職場復帰もしましたが、思うように仕事ができず、他の人が残業ばかりしていて疲れている、自分を見る目が冷たいと、気にしています。今日は配置換えを頼んでくると言って出社しました。「無理」「できない」が口癖のようになっています。リハビリを続けていたら、今より良くなるからといくら言っても悲観的なことばかり考えます。私自身はプラス志向なので、否定的な態度を見ると腹が立って腹が立って…どういう風に接していけばいいのか悩んでいます。彼の考え方を変えるように働きかけたほうがいいのでしょうか。私自身の受け止め方を変えたほうがいいのでしょうか。A.ご相談をお寄せいただきありがとうございます。まずは大変常識的なアドヴァイスになってしまうと思うのですが、二度の脳梗塞でご主人は精神的に相当まいっているように想像できます。「無理」「できない」が口癖になるというのは仕方のないことです。ご主人の気持ちになって理解を示すことが大切ではないかと思います。何か大きな怪我をしたり大きな病気にかかったりすると、そのことを考えるために多大なエネルギーを使わねばなりません。人間の精神エネルギーには一定の量があり、どこかが大量にエネルギーを消費すると、他の部分には多くのエネルギーを使うことはできなくなります。精神の様々な部分にエネルギーを使える状態にある人は、たとえ目の前の状況が絶望的で、悲観せざるを得ないように思われても、その状況から抜け出すための可能性を探すことにエネルギーを使えます。したがって、悲観的にはならないでしょう。しかし、新しい可能性を探し当てるためのエネルギーが精神の中に残っていなければ、そのようなことはできません。これはやる気の問題ではない。「やる気」そのものが、精神の中の限られたエネルギー資源に依存しているからです。 

哲学の先生と人生の話をしよう:悲観的な夫に腹が立ってしまいます

哲学の先生と人生の話をしよう:「相談というのは、どうやってすれば良いのでしょうか?」

「相談というのは、どうやってすれば良いのでしょうか?」相談者:サシヒャライネンさん(栃木県・29歳男性・フリーター)Q.國分先生はじめまして。いつも楽しんで(楽しんで良い物なのか難しいものも多々有りましたが)読ませて頂いていた人生相談が終了してしまうということで、自分もなにか相談しようと思い筆をとりました。そして「さて、何を相談しようか」と考えた所で気付いたのですが、どうも自分には大小問わず人に持ちかけるような相談事が無いようなのです。それで思い当たったのですが、自分はどうやら人に何かを相談するという事がこれまでの人生で殆ど無かったのでした。両親が幼い頃に離婚して女性家系である母方に引き取られ身近に相談できる同性の年長者がいなかった事や、完全に文化系な自分に対して家族の殆どが体育会系である事、根がいい加減でふざけた性格であるらしく重い空気が苦手な事など、いくつかの理由が重なっていると思います。そして極めつけがうちの家系はどういう訳か絶対に間違いを認めない血筋であるらしく、 何か自分が意見を言うと「アンタは間違ってる」と碌な説明も無いまま切り捨てられてしまうという事が多々あり、酷い時は明らかに相手が間違っていても自分の意見が容れられる事はなく、いつの間にか家族に対し何かを言うことが億劫になってしまった事です。勿論、自分の意見が絶対に正しいなどとは思いません、家族の言い分も何割かは理解出来る事が多いのですが、自分にも何割かは理があるだろう、とそう感じるのですが、彼女たちは100対0で自分たちが正しいと言わんばかりの勢いです。そんな訳で、学生の頃から大体の悩み事は自分でひたすら考える以外の対策を取ったことがありません(家族にさえ理解を得られないのに、ましてや他人では…という諦念が学生の頃は特に強くありました。今も少し残っています)。それで大体の場合はなんとなくの結論が出ましたし、そこにきて元々考えるのが好きだった性格もあり、そうした事は苦にならなかったのですが、それでも時折、誰かの言葉が欲しくなります。しかし他人どころか家族にも相談を持ちかけた事がないので、その時々の悩みに関して適切な距離感での相談が出来る相手やその作法が解らないのです。また、そうして適切な距離感や作法をあれこれ考えてる内に、外堀が埋まるような形で悩みに対する答えが出てしまうこともあり(この程度の相手にこう相談を持ちかけたい、と考えたいうことは自分はこう思っているのだろう、という様に)、ますます他人に相談する事が無くなってしまいます。なんでも一人でやってしまう、考えしまうというのが良くないことは重々解っていて、ガス抜き程度の愚痴はよく友人にこぼしますし、時には冗談の形で本音を出したりもしてみますが、やはり余りにシリアスな空気での相談事というのができません。結局はトライ&エラーで適切なやり様を見つけるしか無いのでしょうが、これまで約30年間これでなんとかやれてしまった自負が邪魔をして失敗して今上手くいっている関係が壊れてしまうリスクを負う踏ん切りがつきません。今の友人や職場はとても好きで、壊したくないのです。果たしてこのままで良いのでしょうか?それともやはり、関係が崩れるリスクを負ってもトライ&エラーに踏み切るべきでしょうか?相談というより殆ど愚痴のような内容になってしまい恐縮ですが、お答えいただければ幸いです。A. ご相談をお寄せいただきありがとうございます。 サシヒャライネンさんに僕は非常に強い共感を抱きました。なぜなら僕も「人に何かを相談するという事がこれまでの人生で殆ど無かった」からです。誰かに相談するという環境もなかった。他人に理解を得られるはずがないだろうと諦めていた。よく分かります。 しかも自分で考えればだいたい問題は解決してしまう。「外堀が埋まるような形で悩みに対する答えが出てしまう」とはなかなか面白い表現ですね。なるほどと思いました。 ただ、いまサシヒャライネンさんはそれなりに他人の言葉が欲しいという気持ちを感じている。また、なんでも一人でやってしまったり考えてしまったりするのは良くないことだとも思っている。この辺りがとても大切ですね。 さて、僕はちょっと前にこんなことを知りました──つらいことがあった時、あるいは何か苦しい思いを抱えている時、それを人に離すと楽になるというのです。サシヒャライネンさんは知ってましたか? 最近はよく学生にも「知ってる? つらい事って人に話すと楽になるんだよ」って聞いてます(笑)。 なんか笑っちゃうような話です。だって、多くの人はそんなことは世間知として知っている。それをアラフォーの男がやっと知り、しかもその効能を実感する、と。でも、意外とこのことを知らないひとは多いのではないでしょうか? そして、サシヒャライネンさんや私のように、誰かに相談するということを実践してきていないがために、つらいことを誰かに話したいけれどもその「作法」が分からない……そんな人も多いのではないでしょうか? 僕は家庭内でそれをすこしずつ実践していきました。そうして分かったのは、とにかく口に出すのが大切だということです。 

哲学の先生と人生の話をしよう:「相談というのは、どうやってすれば良いのでしょうか?」

哲学の先生と人生の話をしよう:「母親と、母親の夫との距離感がつかめません」

「母親と、母親の夫との距離感がつかめません」相談者:毛皮さん(神奈川県・21歳女性・大学生)Q. 私は小学1年生の時、両親の離婚を経験しました。その後しばらくの間、いやずいぶん長い間、私は母親と2人で暮らしていました。いわゆる母子家庭です。 しかし、私が高校2年生の時、母親は事実婚という形式ではありますが再婚しました。以来4年が経っています。ですが、4年経ってもまだ私にはそこはかとない違和感があります。 一番大きな違和感は、母親が「女」としての顔を見せることでした。今までも母親の彼氏の話や愚痴、恋愛相談などを聞いてはきましたが、実際に私と同じ空間に母親の好きな異性がいるという状況には見舞われたことがなかったので、驚きの連続でした。母親はその新しい夫に甘え、時に赤ちゃん言葉のような言い回しで話し、出がけには必ずキスをしていました。新婚夫婦にとっては当然のこと(?)なのかもしれませんが、今までほとんど母親の「母」としての姿しか見てこなかった私には衝撃的でした。また、母親と私と2人で暮らしていた頃は母親は私のものといった感じで、私と2人単位でよく行動を共にしていました。それが母親の新しい夫が来てからは、母親は彼と2人単位で行動することが増えました。その理由を母親は「子離れしないといけないと思ったから」だと言っていました。確かにそうなのかもしれません。私も母子家庭の時の状態から脱して親離れすべきなのでしょう。しかし突然そのように関係性を変えられてしまい、母親は彼色に染められてしまい(母親は恋愛依存体質なのでその時付き合っている相手に合わせて趣味嗜好や生活のモードがかなり大きく変化します)、私は大きな喪失感を味わいました。「今まで私が見てきた母親はどこに行ってしまったの?」という感じでした。母親の新しい夫ともどんな距離感で付き合っていけばよいのか、いまだに掴めません。事実婚ということもあり、義父ともなかなか思えず、母親にも再婚当初「私の旦那ではあるけどあなたのお父さんと思う必要はないわよ」と言われました。しかし母親の新しい夫は時に私のことを「親として」叱ったり諭したりしようとします。私はそれを素直に受け入れることができません。今後もこの3人での共同生活は続くと思われます。私は母親と、また母親の新しい夫と、どのような距離感で、どのような関係性を築くべきなのでしょうか?アドバイスをいただけたら嬉しいです。A. ご相談ありがとうございます。 大変当惑なさっていると思います。いまの生活に入って4年ということは、高校生半ばごろに「母親の彼氏」が家に来たということですね。相談文を読みながら、毛皮さんは大変しっかりした方だと思いました。高校生でもこの状態に対応するのは非常に難しかっただろうと思います。もっと幼い頃だったら、毛皮さんは非常につらい思いをされたかもしれません。 まず僕がお伝えしたいのは、もし今の状態がつらく、耐えきれないということなら、それをお母さんに伝えること、そして、お母さんとお母さんの彼氏との関係について、はっきりと訊ねてみることです。 

哲学の先生と人生の話をしよう:「母親と、母親の夫との距離感がつかめません」

哲学の先生と人生の話をしよう:「女性との接し方が分からず、ホモソーシャル的な空気に逃げてしまいます」

第4回「女性との接し方が分からず、ホモソーシャル的な空気に逃げてしまいます」相談者:回遊魚さん(東京都・24歳・文系院生)Q.  國分さんこんにちは。2年前、東大での東浩紀さん千葉雅也さんとの鼎談にふらりと寄って以来のファンです。  今回は文系院生ヘタレの自己開示にお付き合いいただけるということで、有りがたく思っております。  今回ご相談したいのは、女性(というか人間)との付き合い方についてです。  自分は中学や高校のはじめごろまでは、クラスの女の子などが単純に好きになっていたと記憶しているのですが、高校の中頃からでしょうか、恋愛から撤退して、男友達とばかり遊ぶようになりました。  そして、気づいたらホモソーシャル的空気(たしか定義上、ホモソーシャルを構成する男性は女性を一人以上所有していることになっていましたから、正確にはホモソーシャルですらないのですが)の中での振る舞いしかできなくなっていました。  たとえば、キャバクラや合コンに行っても、最も楽しいのは、その後の男同士の「反省会」の飲み会なのです。そこでなされる会話は、いかに女性の前で派手に失敗したか、という笑い話が中心です。つまり、女性との関係の構築に失敗することを一つのパフォーマンスと化して、男性同士の関係を再強化しているわけです。言い忘れましたが私は性的マイノリティ当事者というわけではないです。ない、、、はずです。  さらに自分の問題は、女性との関係構築の不得手を、コミュニケーションがもつ原理的な暴力性(人は人の踏み込まれたくない領域を知ることはできない、など)に対して向き合っているナイーブな俺、という自意識で処理しているところです。厳しい現実に乗り出すしかないというのはわかっているのですが、そこに困難があるのです…。  とはいえ最近はAKBの握手会に行くなかで、「人を思う本当の気持ち」のようなものを自分のなかに取り戻しつつある気にもなっています。  どうやって、まともな人間関係構築の可能性を回復したらいいのか?そもそも、もう回復を目指すべきではないのか?お答えいただければ幸いです。A.  質問をありがとうございます。  人生相談、まだ四回目ですが、実は寄せられているのは恋愛関連の相談がほとんどです。これは驚くべきことです。もちろん、僕のところに質問をお寄せくださる人の数は多くはない。またこの話題は人に相談しやすいということもあるかもしれません。  そうだとしても、この偏りは注意を引かざるをえません。どれほど多くの人が(広い意味での)恋愛関係に悩んでいるか。人生の中には本当に実に多くの悩みの種がありますが、少なからぬ人が、その中の一つである(にすぎない)恋愛関係に強く悩んでいるのです。  ここまではそれらの質問を脇によけて答えてきたのですが、もう避けて通るわけにはいかないと思い(まだ四回目ですが…)、今回から数回にわたり、恋愛関連の質問を続けて取り上げます。  その際、注意点があります。何回になるかは分かりませんが、この一連の恋愛関連の相談には教科書があります。その教科書をきちんと読んで欲しいということ、そして、僕の話もなるべく続けて読んで欲しいということです。なぜなら一つの体系を前提にしてお話していくからです。  教科書は、  二村ヒトシ著『恋とセックスで幸せになる秘密』(イーストプレス)  です。表紙はかなりオシャレですが、このタイトルからは軽薄な恋愛系自己啓発書をご想像される方もいらっしゃるかも知れません。また書き方も一見すると自己啓発書っぽい(各項目の最後に簡潔な命題が一つだけ掲げられている等)。しかし、この本は、極めて精密に構築された思考の体系と、豊富な観察上の事実──二村さんがおそらくはご自身がいらっしゃる独自の環境ゆえに獲得し得た観察上の事実に基づいて書かれています。  二村さんはアダルトビデオの監督です。この仕事は恋愛や性についてたえまなく思考することを強いるのではないでしょうか。僕は二村さんと一度お目にかかったことがありますが、大変思考を刺激されました(あとAVの話で盛り上がりました)。 

哲学の先生と人生の話をしよう:「女性との接し方が分からず、ホモソーシャル的な空気に逃げてしまいます」

哲学の先生と人生の話をしよう:「問題のある先輩に、どのように対処すれば良いでしょうか?」

第25回「問題のある先輩に、どのように対処すれば良いでしょうか?」相談者:ドリトスさん(東京都・28歳女性・会社員)Q.國分先生、こんにちは。「人生相談」コーナー、毎号おもしろく拝読しております。人生の悩みというほど大きいものではないのですが、最近仕事で、というか職場で悩んでいることがあります。簡単に言うと、仕事のやり方にいささか問題があるのではないかと思っている先輩がいるのですが、それを自分のような後輩が指摘していいものか?ということです。上司が言うのがベストなのはもちろんですが、今のところ上司から先輩にその点を指摘する様子は見受けられません。上司が何か言うのを待つべきなのか、あるいは上司に働きかけて伝えてもらうべきか……。どのやり方が一番円満なのだろうか、と考えている次第です。國分先生に聞くよりビジネス書でも読めよ、という話なのかもしれませんが、おうかがいしてみたいです。よろしくお願いいたします。A.  ご相談をお寄せいただきありがとうございます。  僕は大学の教員で、普段の仕事はほとんど個人プレーです。また、出版関係でいろいろな方とお仕事させていただいていますが、その場合は、やりたいことだけをやることができます。つまり、気が乗らない仕事なら受けないし、一緒に仕事をしたい人とだけ仕事をするわけです。  ですから、ドリトスさんのような悩みをもつことはあまりないのですが、やはりないわけではなくて、教員で協力してやらないといけない仕事というのもあるんですね。その場合には、ドリトスさんと似たような印象を他の人の仕事に対してもつこともあります。  まぁ僕の場合は面倒になると「ああ、僕がやりますよ」といってさっさと片付けるとかいう場合が多いですね。でもこういうやり方は自分一人で仕事を抱え込むことになるのでよくないです。ごくたまに本人にも言います。けれど、一番穏便なのは、上司に頼んで言ってもらうことでしょう。  この相談はより広い問題に関係しているので、話を拡大してみましょう。  誰かやどこかの機関がマズいことをしようとしていて、それを何とかして止める、あるいは違う方向に持っていこうとする場合にどうしたらいいか?  これは大変重要な問題ですね。一言で言うとそれは政治になります。 

哲学の先生と人生の話をしよう:「問題のある先輩に、どのように対処すれば良いでしょうか?」

哲学の先生と人生の話をしよう:「理想や熱を持って働きたいというのは贅沢なのでしょうか?」

第24回「理想や熱を持って働きたいというのは贅沢なのでしょうか?」相談者:バンダースナッチさん(大阪府・26歳男性・会社員)Q.こんにちは。是非聞いて下さい。広告会社に入社して3年目の男です。学生時代から熱望していた業界で、拾ってくれた会社には恩義も感じています。ただ、入社してすぐ、これでいいのかと悩むようになりました。いわゆる理想と現実と壁もあるのですが、希望していた企画部ではなく、営業部へ配属され、異動の見込みはないと告げられたためです。意気込んで『何でもやります』と言って入った手前、話が違うとも言えません。そんなこと言わなければ良かったのかも知れませんが。。正直、今私は、仕事が楽しくありません。妥協した発言(そのつもりはなかったのですが)の結果、そんな不遜な思いを抱くようになってしまったのです。企画職をやりたいだけなら、気がとがめても、転職すればいいのかも知れません。ただ、恐ろしいことに、自分が本当に企画職をやりたかったのか分からなくなることもあります。私自身は、畢竟欲しいものを総取りできるくらい、(宇野さんではないですが)圧倒的に勝利するしかないのではないかと考え、日々働いています。手は抜きません。努力もしました。甲斐あって、営業成績は飛躍的に伸びました。しかし、働く程、勝利に近づいているというよりは、単にすり減っているようにしか思えない時が多いです。結果が出れば楽しくなるかと思ったのですが、そうはなっていません。それこそ、自分に嘘をつくようです。もっとシンプルに、自分の理想や熱を傾けて生きたいのですが、それは贅沢なのでしょうか。そもそも、私自身が言う仕事とは何なのか、迷っています。長くなりましたが、質問はこうです。國分先生にとって、仕事とは何ですか?その仕事が、いわゆる飯の種と一致しない場合、どうするのがより愉しいでしょう?そして、本当はこれだけが聞きたかったのかもしれませんが、國分先生は、自分の理想や熱意を保つために行っていることはありますか?このまま腐っていくのは嫌なのです。以上です。小さい話で恐縮ですが、ご助言頂ければ幸いです。A. ご相談ありがとうございます。 確かに難しい質問なのですが、正直言うと、悩みが一般的・抽象的すぎてうまく答えられない感じがあります。 こういうことはよくあると思うのです。なんとなく仕事に不満である。このままでいいのかどうか……。かといって、別の場所に移るべきかどうかも分からない。しかしこのままだと何か自分が腐っていきそうな感覚がある……。 昔からそう思っていましたし、この人生相談をはじめてこの考えの正しさを再認識しましたが、どんな悩み(問題)も一般的・抽象的である限りは解決しないのです。いかなる問題も個々の具体的状況の中にあります。そして個々の具体的状況を分析すると、必ず突破口が見えてくるのです。 しかし、悩み(問題)が一般的・抽象的である場合には、そうやって分析する情報がほとんどない。だから、Aとも言えるがBとも言えるというような対立に陥ってしまって、答えが出ない。 バンダースナッチさんの文面を読んでいると、バンダースナッチさん自身がどうもそのような一般性・抽象性の落とし穴に陥っているような気がします。仕事が面白く思えないために、自分が陥っている状況を具体的に分析することができなくなっているような感じです。 更にそれに、「手を抜いてはいない」「努力もした」という自信、というよりは言い訳のようなものが働いて、よりいっそう事態を悪化させています。 悩みを聞いていると、最初は困っているような振りをしていたのに、次第に「私は頑張っているんだ」と頑なに、それこそ自信満々に言い出す人っていますよね。あの頑なさが何よりもまずいんですね。「自分は頑張っている」というのが出発点になってしまい、それ以上考えがさかのぼれないからです。 だいたい、頑張れば何かが解決するわけじゃない。頑張るんじゃなくて、考えることの方が必要です。そして考えるためには、情報とその分析が必要です。 たとえば、 

哲学の先生と人生の話をしよう:「理想や熱を持って働きたいというのは贅沢なのでしょうか?」

哲学の先生と人生の話をしよう:「彼氏の仕事を応援することができません」

第23回「彼氏の仕事を応援することができません」相談者:アクアマリンさん(東京都・39歳女性・自営業)Q.國分先生、はじめまして。格好悪い話ですが、ご意見頂ければ幸いです。私には付き合って3か月になる恋人がいます。そこそこ名の知れた企業の会社員ですが、知り合った当初から「会社の中だけで終わるような人間にはなりたくない。そのために会社の仕事とは別に事業を立ち上げて頑張っている」という、男のロマン的な壮大な話を聞かされていました。ただ、その事業の内容についてははっきりと聞かされていませんでした。しかし付き合いが進むにつれ、色々と彼の行動に不信感を抱くようになり問い詰めた所、その事業が某海外ブランドのネットワークビジネスであることを打ち明けられました。ネットワークビジネス…と言えば聞こえはいいですが、早い話がマルチ商法。試しにその会社のHPを見てみると「毎週20%のコミッションが支払われる」「新たな会員を育てればあなたの収入もアップする」他にも、特別ボーナス・豪華旅行・車などの高額賞品・・・出るわ出るわ、胡散臭い誘い文句のオンパレード。やっている本人も「ネズミ講みたいなもんだ」と、あっけらかんと言い放つ始末。それが「男のロマン」なのだとしたら、なんて小っちゃいもんなんだろうとショックというより、情けなさでいっぱいの気持ちになりました。彼は私にその会社の商品を買わせたり、会員にさせたりするつもりはないようで、私自身も「一切関わる気はない」と言い放ってあります。ただ彼は、「この仕事に懸けている。理解してほしい」と言います。そう言う彼がやっている仕事について「理解」はしましたが理解をした上で、「賛成」することはどうしてもできません。出来る事なら止めて欲しいし、必死で阻止したいところですがその道に詳しい方に聞いても、マルチに嵌っている人の洗脳を解くのは本人が大損でもして気づかない限り難しいと言います。こんな怪しい仕事をするような彼とは早い段階で別れてしまった方が得策なのでしょうが、マルチをやっているという部分を除けば良い相手ですし、私も年齢が年齢なので、出産の事などを考えるとどんなに小さな縁でも逃したくないという思いがあります。ただ、いくら私の事は大切にしてくれるとは言え金儲けのために、どこかの誰かを欺くような事をしているのか・・・そんな事実を知っていながら笑って過ごしていていいのだろうか・・・という後ろめたい気持ちは拭うことはできません。説明が長くなりましたが、先生にお尋ねしたいのは相手にわずかでも不信感を抱きながらの付き合いは遠くないうちに歪みが生じ、破綻を招くするものなのかどうか。また男性の立場から見て、自分の仕事に対して理解を示さない、応援する気がないパートナーとは関係を続けることは難しい事なのでしょうか、という事です。よろしくお願いいたします。A. ご相談をお寄せいただきありがとうございます。 非常にセンシティヴな相談内容だと思います。しかし、アクアマリンさんの中ではほとんど答えは出ていて、いまは誰かに背中を押してもらいたい……そういうお気持ちなのではないかとご相談の文面を読みながら考えました。「相手にわずかでも不信感を抱きながらの付き合いは、遠くないうちに歪みが生じ、破綻を招くするものなのかどうか。」 はい。アクアマリンさんがこのように正確に記述している通りであろうと思います。不信感を抱きながらの付き合いは、遠くないうちに歪みを生じるでしょう。 ですが、ここで一点付け加えなければなりません。歪みが「破綻」へと向かうのならば、それはむしろ幸運である。歪みを抱えたまま、歪んだ状態が続いていく可能性こそが最も恐ろしい、ということです。 革命家だったらこんな風に説明するかもしれません。 ……資本主義は矛盾を抱えており、矛盾の堆積はいつか革命を引き起こす。しかし、もしかしたら社会は、矛盾に対する対応策をあれこれと捻出し、矛盾を、その悪質な搾取・抑圧機能はそのままに、しかし決定的な効果はもたない状態で維持するかもしれない。そうなると、矛盾はそのまま維持されていているのに、いっこうに革命は到来せず、搾取と抑圧の止まない社会が続いていくことになる。しかも、社会はある程度その矛盾、すなわち搾取と抑圧に対する対応策を捻出しているから、人々のつらさは、相当なものでこそあれ、許容不可能な程度には達しない。人々はつらいけれども、そのつらさを我慢して、耐えてしまう……。 

哲学の先生と人生の話をしよう:「彼氏の仕事を応援することができません」
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