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記事 18件
  • ちろうのAKB体験記:第23回 疑問、葛藤、推し変へ

    2013-12-13 11:41  
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    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar407215第23回  疑問、葛藤、推し変へ

    AKB48は日を追うごとにますます人気を獲得していった。それと反比例するかのように、ぼくはAKB48への情熱が冷めつつあった。それは推しメンである小林香菜への興味が薄れていることに他ならなかった。小林香菜の握手に行ったり権利を使ったり、つまりはわずかな時間とは言え直接喋る機会はあったのだが、その時間はもはや楽しいものではなくなっていた。相変わらず緊張してうまく喋れないし、会話も特に内容のないぎこちないものに終始しがちだった。AKB48が地下アイドルであったのなら良かったのかも知れない。小林香菜がAKB48を辞めたら、あるいはAKB48自体がなくなってしまったら、一般人となる彼女と個人的に繋がることすら出来るんじゃないかと邪なことを考えないわけではなかった。しかしAKB48はますます人気を付け世間的にも知られるようになり、ファンの数も増えている。劇場公演は日に日に入れる頻度が少なくなっていく。その状況の中で、少なくない時間とお金をかけてAKBヲタ(小林推し)を続けるモチベーションを保つことは難しくなってきていた。
    かといって今さら推し変(推しメンを変えること)をするようなエネルギーも持ち合わせていなかった。既存の正規メンバーの中にお気に入りのメンバーもいたし、認知されているメンバーもいないわけではなかったが、別の誰かを代わりに推しメンに据えることなどできない。確固たる推しメンには、目に見えない、しかし超えられない壁【※1】というものがあるのだ。ぼくのAKBヲタとしてのキャリアはたった一人、小林香菜を推したことのみとなるのだろう、と思った。「AKBヲタになることは、推しメンを見つけること」である。それはつまり「推しメンがいなくなることは、AKBヲタでなくなること」でもあった。少なくともぼくにとっては。 
  • ちろうのAKB体験記:第22回 ひまわり組はじまる

    2013-12-06 16:29  
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    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar401801第22回  ひまわり組はじまる
    ひまわり組は初めての告知から物議を醸した。まず「ひまわり組」という言葉が初めて公開されたのが戸賀崎氏のブログで、2007年5月24日のエントリなのである。
    「皆様にお知らせです!ずっとこの発表を待っていたかとは思いますが・・。ついにみなさんお待ちかねの〈ひまわり組〉の初日が決定致しました!」
    http://ameblo.jp/akihabara48/entry-10034539922.html
    これには一瞬、「いつの間にそんな発表があったっけ??」と混乱させられた。強いて言うなら発表されて以来放置されている「ばら組」「ゆり組」の話である。しかし「ひまわり組」とは!?
    これは運営側の立場でありながら、何も伝えるべき情報を伝えられない(そもそも決まっていないことが多すぎた)状況に耐え切れなくなった戸賀崎氏の渾身のギャグだったと後に本人が語っている。つまりはこのエントリに対する反応は「待ってねえよ!ってかひまわり組って何だよ!」というものが正解だったのだ。そして徐々に情報が明らかにされ、チームA・チームKから混合のチームを作りダブルキャスト制であることが知らされた。
     
  • ちろうのAKB体験記:第21回 古今東西、出禁物語

    2013-11-29 14:38  
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    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar396553第21回  古今東西、出禁物語出禁(出入り禁止)にまつわる話は多い。劇場にあるルールを破った行為を行うと出禁宣告を受け、それ以降AKBに関する一切のイベントに参加できなくなる。別室に呼び出され、写真を撮り、名前(本名・ハンドルネーム)を控えられる。それはさながら犯罪者のような扱いだ。より悪質なものは永久出禁を宣告され、情状酌量の余地を与えられて期間限定となる場合は、それが解除される際に反省文を書かされる羽目になる。そもそも本当の犯罪行為と呼べるものもある。たとえば過去にはAKBの握手会場でスタッフが回収した握手券を束ごと盗んでそれを再利用したり売ったりした者がいて、逮捕された(この時に、法律的には握手券は単なるCDのおまけではなく立派な「有価証券」であることが定義された)。さらに酷いものでニュースにもなった事件だが、メンバーの住所を調べ、郵便局に郵便物の転送届けを出したヲタがいた。その後、郵便局で転送届を出す際には厳重な本人確認が課されるようになった(既存の制度を変えさせるほどの影響力があった事件だったのである)。いずれも劇場ではそこそこ知られていた有名ヲタであった。そのような本当の犯罪行為はさておき、変わった理由で出禁になった例をいくつか紹介したいと思う。最も有名なのは「値上げ反対コール」出禁だ。 
  • ちろうのAKB体験記:第20回 脳内パラダイス公演千秋楽~チームKの終わり

    2013-11-22 17:25  
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    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar391251第20回  脳内パラダイス公演千秋楽~チームKの終わり2006年12月17日から始まった脳内パラダイス公演は、初日を迎えてからすでに6ヶ月ほどが経っていた。その間に春のちょっとだけ全国ツアー、チームBのデビュー、推しメンである小林香菜の生誕祭、と様々なイベントが通り過ぎていった。そしていよいよ、その千秋楽の日を迎えようとしていた。千秋楽は2007年6月22日と発表された。そしてこの公演の後には、チームA・チームKというチーム分けをなくし、ひまわり組として活動することが決まっていた。その後、ひまわり組がいつまで続くのか、そもそもAKB48自体どのように展開していくのかファンはおろか運営側も分かっていなかったのだ。必然的に、この6月22日の千秋楽が元祖チームKとしての最後の公演となることが予想された。ここではメンバー側のことではなく、ヲタの側の変化を体験記として記述してみたいと思っている。チームKが体育会系と言われた所以は、メンバーの結束力が高かったのにも加えて、ヲタの存在感が異様に高かったことによる部分も大きい。それは過激派、あるいは武闘派といっても差し支えなかった(喧嘩を頻繁にしていたわけではないけど)。現場では様々な軍団(派閥)が形成され共存しており、前述の「パラダイス軍団」を始め「Kリーガー」「ベロT軍団」「チーム10代」「チームBBS」など多岐にわたっていたが、中でも強烈だったのが「チェキ男軍団」と呼ばれる一派だ。 
  • ちろうのAKB体験記:第19回 初めての私信

    2013-11-15 17:07  
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    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar386088第19回  初めての私信私信とは読んで字のごとく、自分に向けての何かしらのメッセージということである。アイドルとヲタが連絡を取り合うことは事実上禁止されているので(その禁を破って罰則を受けたメンバーも少なくない)、通常はメンバーからメールや電話を通して私信をもらうことはない。しかし、メンバーがブログやモバメ(モバイルメール)、現在であればぐぐたすなどで発信したメッセージを、「これはもしかして自分宛のメッセージなのでは!?」と勝手に解釈し「私信」だとするネタ的コミュニケーションが存在するのである。わかりやすいのは、メンバーにプレゼントしたものがブログで画像付きで紹介される【※1】などである。「ファンの方にもらいました!」ということもあれば、あえてそういうことを言わないで画像を上げるだけの場合もある。また、自分がプレゼントした服を着ている画像、またプレゼント等がたまたま背景に写りこんでいる場合などもある。そのような時、ヲタは高らかに「私信キターーー!」と宣言しなければならない。そしてヲタ同士で、その私信を受け取った回数を競うのだ。これは立派にゲームとして成立していた。 
  • ちろうのAKB体験記:第18回 100MVPその2

    2013-11-08 20:20  
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    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar380556第18回  100MVPその2その日はやはり特別な公演となった。2時間弱の公演のあいだずっと最高の気持ちで過ごすことができた、忘れられない公演だった。それは何より、僕たちヲタだけでなく、主役である小林香菜にとっても間違いなく嬉しい公演となるだろうことが容易に想像されたからだ。まず最前列のセンターブロックがほとんど仲の良い知り合いで、同じメンバーの熱心なヲタである。最前ばかりではなく2列目センターにも小林香菜のヲタが集結していた(こういう時、不思議な力が働いて、生誕メンバーのヲタは何故か良席に座れるものなのである)。公演中はもちろんレスをもらえるのだが、前方に集結している自分のヲタに順番にレスをしていくものだから、分散されて自分への目線が少なくなるほどだった。初めて、推し被り同士が集結することの弊害を体験したのだった。しかしこの日ばかりはお祭りなので、そんなことを言うのは野暮というものだ。公演の終盤では、小林香菜を主役に生誕セレモニーが行われ、今年一年の抱負などを語った。それを見守るのは本当に感慨深いものであった。公演後には、カフェスペースに残ってMVP撮影である(ちなみに優先入場とMVP撮影の権利は別々の日に使うこともできる。使用期限は特にない)。1人ずつ劇場内に呼ばれて中に入ると、ステージ中央で公演出演メンバー全員が整列していて、その中央に立ってメンバー全員と記念撮影をする。初めに指名したメンバー(ぼくの場合はもちろん小林香菜だ)が隣の位置となる(この際、欲張りなヲタは逆隣に2推しのメンバーを配置することもあった。そんなことが可能なのか分からなくても、ダメ元でお願いしてみるのだ。アイドル現場では何でも「やったもん勝ち」である【※1】)。 
  • ちろうのAKB体験記:第17回 100MVPその1

    2013-11-01 16:28  
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    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar375333第17回  100MVPその12007年4月。AKBヲタになって8ヶ月ほどが経っていた。その時、ぼくにとっての一つの到達点が近づいてきていた。100MVPである。ついに公演を100回見ることになったのだ。8ヶ月で100回はペースとしては早いだろうか?早いといえば早いが、最短であれば3ヶ月程度で到達できる数字である(週末には一日2公演、夏休みには平日でも一日2公演行われていた。一日3公演のときもあった)。週末しか来られないファンだと1年以上かかることもあるので、平均的と言えると思う。100回公演を見たら、MVP特典を受けることができる。MVPの始まりは、2005年12月のある日。プロデューサーの秋元康氏が劇場に訪れ、突然「公演中、一番頑張ったファンにMVPを与え、出演メンバー全員との記念撮影とサイン入りTシャツをプレゼントする」と発表したのだった。そして一人のファンが選ばれ、本当にその特典を得たのだが、それは大きな批判をされた。そんな特典があるのなら誰もが欲しがるのは当然だし、結局大きな声を出して騒いで目立ったファンが有利で、そういうことが苦手なファンにとっては不公平なのではないかということだった。それはもっともな批判で、その日の夜のうちにその特典は廃止された。そして代わりに「100回公演を見たらMVP」ということになったのだ。この100回というのは、今考えると絶妙な数字である。 
  • ちろうのAKB体験記:第16回 チームBデビュー

    2013-10-25 15:23  
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    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar201205第16回  チームBデビュー2007年4月8日、チームBがデビューした。これでA・K・Bと3チームが出揃ったことになった。しかし正式なデビューは8日であるが、その前日の7日にゲネプロが行われ、このとき当時行われていたガチャの景品として「ゲネプロ招待券」というものが存在し(これに入れたのは100人程度だった)、実質的にはその日が初日だという見方もあった(本当の初日はいつか、というのはヲタにとってとても重要な問題である。なぜならそれに入っているかどうかで最古参を名乗れるかどうかが決まってしまうからだ)。本当のゲネプロだったため、客席の半数近くは招待された関係者で、演出上の不具合がある可能性がある等のアナウンスがあった記憶がある。お披露目イベントから数名が脱落して人員が足りなくなったために、当時のチームAから浦野一美、平嶋夏海、渡邊志穂がチームBに移籍していた。元々の彼女たちのヲタにとっても大切な日となった。ちなみにぼくはというとゲネプロ、初日ともに入ることができず、お披露目公演があってから3日後にようやく入ることができた。チームBのメンバーはお披露目イベントこそ行っていたものの、ぼくにはやはりその全貌を掴むことはできず、唯一デビュー前に「週刊プレイボーイ」にてプロフィールやニックネームが公開されていたのみだった。するとその時すでに次期エースと称されていた渡辺麻友が、怪我をしたという理由で休演。その日、幕が上がると同時に椅子に座って登場し、休演の理由を語った。ぼくはこの時、ちょうどステージ中央が柱の裏に位置するような場所に座っており、ここでも渡辺麻友の姿を確認することができなかった!渡辺麻友とは一体どれほどの美少女なのかと頭を抱える羽目になった(その後渡辺麻友は復帰し「BINGO!」で選抜に選ばれると、そこからはメディア選抜常連として活躍を続ける)。演目はチームKが行っていた青春ガールズ公演。慣れ親しんだ公演ということで、ファンは初見から振りコピやお決まりのコールをして盛り上がることができる。そのエネルギーはステージにも伝わり、相乗効果を生む。全く同じ公演とはいえメンバーが一新し、アレンジも若干変わったりもしていて新鮮に映った。チームBがデビューしたのはチームA・Kが出揃ってから1年後。チームAとチームKの間にもデビューまでに4ヶ月の差があったが、チームBの場合は1年が空いている。年齢が若かったこともあり、「妹グループ」的な印象だった。この頃には劇場公演のチケットが売れ残るということはまずなくなっていた。AKB48のファンの総数は確実に増えていったのだ。チームBには全く興味を示さない人もいれば、AKBであればどんなチームでも構わず入る人もいた。そんな中、チームAでもチームKでもすでに古参ヲタが幅を利かせていてうまく馴染めなかった比較的新しいヲタにとって、チームBの登場は格好のチャンスだった。さらに、多くの新規ファンを獲得するのにおいてやはり渡辺麻友の存在は大きかった。そこで、遅れを取り戻すかのようにチームBに積極的にコミットし始めた人を、古参ヲタは「Bダッシュ」と言って揶揄した。いつの時代も古参ヲタは新規客を見下すのだ。【※1】しかしそれは規模の問題で避けられないことでもある。例えばピンチケという呼称が象徴的であるが(ピンクチケットの略。18歳未満の客のチケットがピンク色だったことに由来している)、初期の現場にはいなかった、若くてあまりマナーを知らないヲタも増えてきた。また新規客を表す言葉として「PD」という呼び名もありそれは「ポッと出」の略だった。「新規」よりも蔑称のニュアンスが強い(今ではあまり使われなくなってしまったが)。当時は劇場公演が終わったあとにヲタがドンキ裏に集まって出待ちをするのが通例で、またそこは重要なヲタ同士のコミュニケーションの場でもあった。しかしメンバーが送迎車に乗り込む際、必要以上に大声を出したり騒いだりするヲタが増えたため、近隣からクレームが殺到することとなりある時からドンキ裏での出待ちは完全に禁止となった。そうなったのはBヲタのせいだったと言われている。もちろんたまたまそういうタイミングだっただけだとは思うが(笑)。単純に、メンバーが増えるに伴ってファンの総数も増えていったのだ。ぼくはもちろんどんなチームの公演でも見ておきたいタイプ(「DD=誰でも大好き」ともいう)なので、チームB公演にもよく入っていた。すると暫定的な推しメンを見つけてしまうもので、ぼくのチームBの推しメンは菊地彩香(あやりん、現在は菊地あやか)だった。しかしあやりんはあまりレスをくれるタイプではなく(自分がしょっぱかっただけ?)、やはり積極的にレスをくれて高まらせてくれるのは 
  • ちろうのAKB体験記:第15回 春のちょっとだけ全国ツアー

    2013-10-18 17:11  
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    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar193475第15回  春のちょっとだけ全国ツアー2007年3月、初めての全国ツアーが行われた。そのタイトルは「春のちょっとだけ全国ツアー~まだまだだぜAKB48!~」。東京厚生年金会館、愛知厚生年金会館、NHK大阪ホール、福岡国際会議場で行われた。文字通りの、主要な都市だけの「ちょっとだけ」全国ツアーである。ぼくは3月10日に行われた東京公演、3月17日に行われた名古屋公演を見た。そして後にAKB48に加入し、ぼくの推しメンとなる指原莉乃は福岡公演を見ていたという。東京公演ではそれなりに客が入っていたが、その他の会場ではやはり会場を満員にすることはできていなかったようだ。公演後にはチームAとチームKに分かれて、どちらかのチーム全員とハイタッチをすることができた。ここでは運営側にとって様々な問題が生じたという。AKBの初期の歴史を記録した名著「48現象」(ワニブックス)にはこう記してある。「しかしここで2つの大きい問題が生じる。1つは夏公開のAKB48出演映画「伝染歌」の撮影スケジュールと完全にカブってしまったこと。もう1つは劇場公演と共通の衣装を使うため、運搬・クリーニング等の都合でツアー中は劇場で衣装が使えなくなることだ。そのせいで2月26日から4月3日までの1ヶ月強、12日、13日のA公演を除き劇場公演がまったく行われないという異常事態に陥る。〈会いに行けるアイドル〉のアイデンティティの危機。当然ファンの反応は猛反発だった。」主要メンバーがツアーなど外部のコンサートに出かけ、経験の浅いメンバーが劇場公演に出ずっぱりになることを「劇場を守る」などと表現することがあるが、この頃は今のような研究生はもちろん、チームBすら発足する前なのである。衣装についてもそうだが、どこにも劇場を守る存在がいなかったのだ。 
  • ちろうのAKB体験記:第14回 脳内パラダイス公演はじまる

    2013-08-30 20:29  
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    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちらhttp://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar305077第14回 脳内パラダイス公演はじまるチームKの青春ガールズ公演が千秋楽を迎えると、1ヶ月間「K1st Partyが始まるよ」リバイバル公演が行われた。その後も、次の公演の準備期間や節目の公演にサプライズ的に過去のリバイバル公演が行われることが度々あった(前述の1周年記念公演はチームAの「Partyが始まるよ」リバイバル公演だった)。そして12月17日、ついに「K3rd 脳内パラダイス公演」が封切られた。これも「青春ガールズ公演」に負けるとも劣らない神公演と評しても良いものだった。高校生の軽音楽部を彷彿とさせるバンド演奏「友よ」から始まり、表題曲「脳内パラダイス」、「気になる転校生」で一気に劇場の盛り上がりは最高潮に達する。アンコールはダンスが特徴的で男らしい振り付けでチームKらしさを存分に出した「花と散れ!」で始まり、青春ガールズ公演でも好評だった「Virgin Love」、「シンデレラは騙されない」、「転がる石になれ」のメドレー。ラストで披露される「草原の奇跡」ではメンバーと一緒に、ファン同士も肩を組んで合唱するのがお決まりとなった。「草原の奇跡」はプロデューサーである秋元康が自ら「不朽の名作」であると評するほどである。さらにはユニット曲で、大島優子がソロで歌う「泣きながら微笑んで」を与えられたのもこの公演だった。「渚のCHERRY」では前田敦子一人がマイクで歌うことが話題となったが(バックダンサーが3人いた)、「泣きながら微笑んで」は完全に一人でのパフォーマンス。後に劇場公演では高橋みなみ、秋元才加、柏木由紀、松井玲奈(SKE48)といったメンバーがソロ曲を与えられるが、その流れの始まりとも言える曲である。ユニット曲でソロを任されるのは、人気と実力を認められていることの明確な証だと言えるだろう。