京都国際マンガミュージアムの「マンガと戦争展」で、
呉智英氏と対談した。
呉氏とは『戦争論』がヒットしている頃に会った記憶があるから、
多分17年ぶりだと思う。
髭に白髪が増えたようだが、イメージは変わってない。
相変わらず矍鑠とした態度で、唯我独尊な感じが頼もしい。
呉氏の話でいくつか気になったことを書いておく。
『救世主ラッキョウ』から、わしが人を扇動する何かに
目覚めたと言っていたが、あれは何を意味しているのかが
掴めなかった。
『大東亜論』に関しては頭山満一人を歴史の主軸として
語るつもりはない。
頭山ら玄洋社の面々や、頭山に関わる知識人や
金玉均・孫文らを描きながら、明治から昭和への
近代主義の陥穽を点検し直すことに眼目がある。
テロで何かが変わると描きたいわけでもないが、
来島恒喜が大隈の条約改正を葬ったことも歴史の事実。
歴史は神が動かしているのではなく、人間が
動かしているのである。
強力な個人の玉突きで歴史が動くのは今もそうで、
歴史を動かす主体は政治家でも官僚でもない。
今回の解釈改憲による安保法制でも、カールシュミット流に
国家主権を行使しているつもりで、民衆の歓呼にも担保されず、
ブーイングしか起こせないような演説力では話にならない。
例外状況がないときに独裁者を気どっても、
ピエロになるだけなのである。
呉氏が言ったシベリア抑留は漫画にならないという見解は
確かにそうだが、方法論を考えてみる。
呉氏は会って何か話せば、どうしても触発される人だ。
しかし角南氏が亡くなっていたとは知らなかった。
わしを10万馬力から100万馬力にしてくれた編集者だった。
京都国際マンガミュージアムはかなり凄い施設だった。
歴史を感じさせる学校の校舎を改良して、膨大な漫画本を
収納し、完全に漫画ファンに扉を開き、しかも選挙の時は
地域の投票所としても利用されているという。
訪れる子供から大人までがミュージアムのあちこちで
漫画を読みふける姿は感動的ですらある。
京都に来た時は一度寄ってみるといい。
漫画家の手形が飾ってあって、わしも手形とられてしまった。
死んだらデスマスクならぬデスハンドになるな。
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