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「若者、子どもにワクチンを打ってはいけない~心筋炎・心膜炎について」小林よしのりライジング Vo.409
2021-09-07 17:45150pt「こびナビ」の木下喬弘医師が、9月3日の読売新聞朝刊で、 「日本で接種が進む新型コロナワクチンは、有効性や安全性が証明されている」 という書き出しで、ワクチンの接種率を高めるべきだと主張している。
木下いわく 「16歳以上のワクチン接種ではデータの蓄積が十分あり、有効性や安全性が証明されている。12~15歳も問題なく、接種をためらう必要はない」 そうだ。
また木下は 「デルタ株では、元気な若者でも重症化し、時に死に至る」 とも発言。だが、若者の重症化はまれだ。10代となると滅多ない出来事で、現在にいたるまで死者もいない。
ワクチンを2回接種しても感染するというのは、もはや常識だ。重症化して死亡する人が増えていることも知られはじめ、「有効性」は崩壊の一途をたどっている。ましてや、「安全性」などどこの誰が「証明」したというのか?
これらの発言は完全なデマだが、それを全国紙がノーチェックで堂々と掲載するのだからまた恐ろしい。
ただでさえ、ほとんどの大人が高熱で倒れるような薬剤を、10代の子どもに対して 「接種をためらう必要はない」 とは、私はとても思えない。木下は、「ワクチン接種させたい」という狂った欲望に燃えているだけで、人々の体のことなど思いやってはいない。医者ではなく、活動家だ。
8月24日、厚労省は、ワクチン接種後の心筋炎や心膜炎が疑われる症状が出たとの報告が、8月8日までに72件あったと公表。 ワクチンを接種していない人よりも、発生頻度が高い可能性がある という。報告されただけで72件だから、実際にはもっと多いだろう。
厚労省によれば、40歳未満の男性に多い傾向があり、接種から数日以内に、胸の痛みや呼吸困難などの症状が表れるという。実際、ワクチン接種後に胸の痛みを訴える患者が、心臓医のもとに連日押し寄せているという話が聞かれる。
すでに10代に接種を進めている米英からは、若者ほど心筋炎・心膜炎が起きやすいことが報告されており、日本はまだこれからが本番だということになる。
●英諮問委員会、「12~15歳への接種推奨しない」
9月3日、 イギリスのワクチンと予防接種に関する独立した諮問委員会が、「12~15歳の健康な子どもに対するコロナワクチンの接種を推奨しない」という声明 を発表した。(声明内容)
理由は、この年代の子どもたちは感染してもほとんど重症化しないことがわかっていること、そして、接種後に若者を中心として、心筋炎の発症が報告されていることが挙げられている。
委員会は、イギリス、アメリカ、カナダなどの接種後の心筋炎に関連する安全性データを検討し、 「mRNA COVID-19 ワクチンの接種と心筋炎との関連性を示す確実な証拠が増えている」 と述べている。アメリカとカナダのデータでは、1回目よりも2回目の接種のほうが心筋炎の報告率が高くなっているという。
また、ワクチン接種後の心筋炎の報告は非常にまれとしながらも、 「重篤な可能性があり、まだ報告されていない段階である」 とし、 「これらの事象の稀少性と、ワクチン接種後の心筋炎を発症した子どもや若者のフォローアップ期間が限られていることを考えると、これらの有害事象に関連する健康リスクについては、かなりの不確実性が残っている」 と述べている。
つまり、「ほとんど報告されていないから無視してよい」ではなく、「まだ報告も観察期間も極めて限られており、かなり不確実だからこそ注意するべきだ」と言っているのだ。
デイリーメール紙の報道によれば、イギリスでは、すでに8月10日の段階で、接種後の10代の若者1,200人に、心筋炎の症例が確認されていた。
●米CDC、「青少年の副反応の1割が重篤」
アメリカからはこんな報告もある。 -
「菅政権が狙うショック・ドクトリン」小林よしのりライジング Vol.376
2020-10-27 16:00150pt不思議な現象である。人出がかなり増えているが、全員マスクをしている。マスクをしてさえいれば感染しない、感染させないと信じているらしい。
彼らは、コロナ禍はもう終わったとは思っていない。「不安」や「恐怖」はずっと変わらず、心理の奥底に沈殿したままだ。恐怖は本能に沁みつくから、そう簡単には払しょくされないのだろう。けれども自粛するには限界を感じてもいるようだ。
そこでマスクだ。「マスクさえつければ」という信心だけは、彼らにとって必要なものだから、信心を奪うのはなかなか難しい。
だが、そんな非科学的な迷信社会に自分を合わせるのが難しいというわしのような男はいる。泉美木蘭のような女もいる。理不尽に慣れない性格を持つ者にとっては、外出する度にうんざりと言うか、げんなりと言うか、「終わってない」という失望感に、怒りがこみ上げるのだ。
多分、怒りがこみ上げるからには、失望はしても絶望はしていないのだ。
そういう人間が、香港で中国共産党の弾圧を受けても、自由のために戦おうとして、人生を棒に振るのかもしれない。損な性格である。もっと器用ならば、全体主義に嫌悪感も湧かず、それが正義と信じてマスク警察に励むこともできるのかもしれない。
恐怖と諦めが入り混じって、マスクにすがって外出するという、中途半端な心理状態の大衆にとって、菅政権の正体を真剣に考えるほどの気力は湧かない。ケータイの料金値下げとか、ハンコ不要論とか、不妊治療の保険適用とか、大衆受けしそうな分かりやすい政策を並べられると、「案外いいじゃん」と油断してしまうかもしれない。
この先にとっておきの改革が待ち受けていようと、そっちの不安には気づかないままになってしまう。だが菅政権の目玉商品はこれからだ。
菅義偉首相が本当にやりたいことは、小泉構造改革路線への回帰である。
あの田舎のオヤジ然とした風貌にごまかされるが、菅は根っからの新自由主義者、市場原理主義者だ。それは、菅が掲げる理念が「自助、共助、公助」であることにも表れている。
菅はこの理念を「まずは、自分でできることは自分でやってみる。そして、地域や家族で助け合う。その上で、政府がセーフティーネットで守る」と説明している。
要するに「自助」とは「自己責任」のことである。まずは自己責任で何とかしろ、それで無理なら周りの者で助け合え、国が手を差し伸べるのは一番最後、というわけである。
そもそも公助とは生活保護などの「福祉」だけを指すのではない。国や自治体による、消防・警察、そして自衛隊などを含む、公的支援全般のことである。
国は「公助」を行うのが役割であり、政治家ならば、しかも政権を担っているならば特に、公助をいかに広く、手厚く行えるようにするかを考えるのが本来の使命だと言っていい。特に民間の体力が弱っていくときには。
にもかかわらず、首相が「公助」を「自助、共助」よりも後に置いたということは、小さな政府路線の続行であり、 国の役割はできる限り縮小し、人は自助努力で行動させ、富める者はどこまでも富んでいき、貧しくなる者はどこまでも貧しくなる。その結果は自己責任。これが新自由主義の原則であり、菅は就任早々あからさまにそれを宣言したようなものだ。
これは大いに不安を抱かせる政策路線のはずだが、大衆にはもっと本能で感じる不安と恐怖がある。もちろん新型コロナの問題だ。冬になれば第3波が来るはずだからと、今のうちに外出して飲み食いしてストレスを発散させている。
菅首相は政府の有識者会議として「成長戦略会議」を立ち上げ、その委員に慶応大名誉教授の竹中平蔵や、国際政治学者・三浦瑠麗、元ゴールドマン・サックスのデービッド・アトキンソンを入れた。
全員、ゴリゴリの新自由主義者である。特に竹中平蔵が入っていることだけでも、小泉構造改革路線への回帰という意図は明白である。
そして注目すべきは、 デービッド・アトキンソン である。
アトキンソンは日本の中小企業を「非効率」としか思っておらず、「競争力を高める」ために中小企業を統合・粛清すべきだというのが持論で、「日本の中小企業は半分消えていい」と力説している。
日本の企業の99.7%を占める中小零細企業にこそ、他にはない技術などがあり、これが日本の潜在力の源泉であるということが、アトキンソンには全く理解できないのだ。
菅はアトキンソンと以前から親交がある。経産省幹部は「菅さんはアトキンソン信者」だと言っており、実際に菅の政策は驚くほどアトキンソンの提言を丸呑みしたものだ。安倍政権の「影の首相」は首相秘書官の今井尚哉だったが、菅政権の「影の首相」はアトキンソンだと言われている。 -
「日本学術会議事件の裏の問題」小林よしのりライジング Vol.375
2020-10-20 19:10150ptどうやら、菅政権が発足1か月で行った最も大きな仕事は、「日本学術会議の会員6人の任命拒否」ということになりそうだ。
しかしわけがわからん話だ。この任命拒否は、学術会議や野党が言っているような、「学問の自由」の侵害の問題なのか?
菅政権は6人の任命を拒んだ理由を頑として説明せず、 「総合的俯瞰的に判断した」 という何の説明にもならない言葉を繰り返しているが、説明されなくてもその理由は誰の目にも明らかだ。 さんざん指摘されているとおり、かつて安保法制や共謀罪に反対した人物だから外したのだろう。
安保法制と共謀罪にはわしも反対したが、わしの反対と、任命拒否された学者たちの反対とでは、全然根拠が違っている。そのことは、特に強調しておく必要がある。
学者たちの反対の根拠は 「日本を再び『戦争のできる国』にしない」 という、 完全な反戦左翼の平和ボケ感覚でしかない。
それに対してわしは自主防衛が目標である。日本を「戦争に勝てる国」にしたいと思っているのだ。
ところが安倍政権が成立させた安保法制や共謀罪は、ただアメリカへの従属を強化することだけが目的で、かえって日本の自主防衛を妨げるだけのものだった。
そのためにわしは真正保守の立場から反対したのであり、動機が180度違う。
菅政権が左翼学者を任命したくないという、その目論見はよくわかる。大っぴらに説明はできないだろうが、それは完全に見え見えである。
だがこれが「学問の自由」の問題なのかと言えば、内閣府の特別機関である日本学術会議の会員になることと、学問の自由を守るということの間には、何の関係もない。
別に日本学術会議に入らなくても学問は自由にできるのであって、会員に任命されなかったからといって、学問の自由を侵されたことには全然ならないのだ。
日本学術会議は、 「戦時中に科学者らが戦争に協力させられた反省に立つ」 として昭和24年(1949)に設立された、政府から独立して政策提言等を行う機関である。
昭和24年といえば、日本は占領下の真っただ中だ。学術会議の初代会長・亀山直人はGHQが「日本学術会議の成立に異常な関心を示した」と発言しており、実際に発足の際にはGHQの助言も受けている。
当然ながら、そこには憲法9条と同様に、 「日本を二度と戦争のできる国にさせない」 というGHQの意図が明らかに入っていたわけである。
そんな歴史的経緯があるため、今も学術会議は反戦左翼の色が非常に濃い。「学者の国会」などと言われるけれども、会員は選挙で選ばれるわけではなく、現会員が次の会員を推薦するという非民主的な手続きになっているから、どんなに時代が変わっても会議のカラーは全く変わらず旧態依然、占領下のままなのだ。
日本学術会議は3年前、防衛省が創設した研究助成を批判し、 「研究者は軍事研究を行うべきでない」 とする声明を発表。この声明を受け入れ、研究をストップした大学もあった。
しかし学問の自由を尊重するのなら、「軍事研究を行う自由」も守らなきゃいけないんじゃないか? 「軍事研究を行うべきではない」って、それこそ「学問の自由」を侵害しているのではないか?
そもそも、軍事研究は行わないとする理屈はおかしい。科学技術は軍事技術から切り離せるものではなく、民生目的の技術が軍事目的に転用されることも、その逆もいくらでもありうる。
あらゆる科学技術は、軍需産業に利用されてしまう可能性がある。科学にはいい面も悪い面もある。それが科学の最初からの宿命であって、宿命にどうこう言っても仕方がない。 というか、『鉄人28号』くらい見たことないのだろうか?
学者は軍事研究も含めて、ただ学問の自由を行使すべきものであって、反戦左翼イデオロギーを根拠に軍事研究を認めないなどと言っても、説得力は全くない。
ただし今回の件に関しては、独立性の高い機関の人事に政権が介入し、「御用機関」につくり変えようというやり方に対して、わしは反対する。
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