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記事 28件
  • 「サブカルしか勝たん!」小林よしのりライジング Vol.491

    2024-01-09 18:25  
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     2024年、とんでもない年明けになってしまったが、今年最初のライジングなので一応言っておこう。明けましておめでとう。
     とにかく正月から暗くなりがちだったが、わしはこの1年、とことん人を楽しませる、人の心を明るくする作品やイベントを創作していこうという意欲で、走り抜ける決意である!

     前回は2023年を「ニヒリズム蔓延の年だった」と、あえてネガティブに総括した。最後に少しだけ希望をほのめかしておいて、続く今回で一気に反転攻勢に出るものを書くつもりでいたら、いきなり出鼻をくじかれたような形になってしまったのだが、だからといって立ち止まってはいられない。
     確かに、日本の現状にはちっともいい材料が見当たらない。国際社会において、政治力では全く勝てない。そもそも国家としての軍事力の点で勝てないのだから、どうにもならない。「話し合い」による解決のためにこそ日本が力を発揮すべきだとか言ったって、現実には何もできない。ロシアを見ても、中国を見ても、イスラエルを見てもわかるとおり、話し合うにもその背景には基本的に軍事力が要るのだ。
     このままでは何が起こるかわかったものではない。ウクライナ戦争の結果次第では、ロシアが北海道から上陸して侵略してくる可能性だって、もうないとは言えなくなってしまった。

     そんな状況にあるというのに国内政治はガタガタで、遠心力だけが働いて、ひたすらバラバラになろうとしていくばかりである。
     かといって、政治に求心力を働かせようとしたらどうなるかといえば、ロシアや北朝鮮や中国のような独裁国家になるか、安倍政権時代のような忖度社会になるかしかないということもわかった。アメリカでも求心力を欲したら、またもトランプが出てくるという有様だ。これでは、いくら政治に求心力が生まれても、国は全く豊かにならない。
     そこで、どうすれば国の結束力を高めながら、権力の持つ拘束性や忖度といった負の部分をなくし、国家を強くすることができるのかということが課題となる。
     これは、まだ世界のどこでも答えの出せていない課題である。

     そして、ある意味でわしがやろうとしているのは、実験室レベルの小さなサイズではあるが、この課題への挑戦でもある。
      わしが『ゴー宣DOJO』でやろうとしていることは、結束力を高めるけれども、ひとりひとりが強制されたり忖度したりすることなく行動して、そうして新しい世代の息吹を自由に開放してあげるという方法を作り出す実験である。
     ひとつの集団性の実験を、ここで行っているのである。
     そしてこれは、漫画家であるわしがやっているというところに意味があるのだ。
     これは、『おぼっちゃまくん』の「茶魔語」の時に顕著だった、漫画の作品を通じて全国の読者が共同体的な感覚を持ち、さらに作品を盛り上げていくという手法の応用である。この手法が『ゴー宣』にも持ち込まれ、さらに『ゴー宣道場』で発展していったのである。
     つまりこれは、漫画家・小林よしのりというサブカル作家が始めた、サブカルから派生した作品の一種であり、だからこそ強いとも言えるのである!

      今の日本が世界に向かって勝てるのは、サブカルだけだ。「サブカルしか勝たん!」という時代がやって来た。他に希望はない!
     ハリウッドで続々映画化されたアメコミのスーパーヒーローものは、一時期は凄かったが、最近では「何これ?」と思うようなヘンなものが多く、堕落していっているように見える。もう出し尽くした感があり、新しい知恵があまりないのである。
      そんな中で、日本の『ゴジラ-1.0』の成功は痛快だった。
     一時は『ゴジラ』もアメリカにすべて取られてしまって、もうハリウッドじゃないと作れないのではないかと思わされたりもしていたから、見事に巻き返してくれたのが嬉しかったのである。

     あと、やっぱり『シン・ゴジラ』は違ったということが証明されたのも嬉しいことだった。
  • 「男らしさ、女らしさをなくすべきか?」小林よしのりライジング Vol.488

    2023-12-12 16:40  
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     人間、なろうと思えば、必ず何かの「被害者」になることができる。
      現在の自分が不遇なのは自分のせいだと認めることができず、どこかに自分をこんなことにした「加害者」がいると思いたがる、不幸な人は必ずいる。
     そして、そんな人を自分のイデオロギーのために利用しようという人も、必ずいるものだ。

     先月「ゴー宣道場」ホームページで始めた「ゴー宣ジャーナリスト」ブログで知ったのだが、11月19日に「国際男性デー」なんてものがあったらしい。 「『男らしさ』という固定観念や、男性や男の子の健康に目を向け、ジェンダー平等を促す日」 なんだそうだ。
    「国際女性デー」というのがあって「女らしさ」という観念をなくそうとしているというのは聞いていたが、なんとその男性版が出てきたらしい。
     男らしさ・女らしさをなくそうなんて、それでどうしようというのか? わしには、無茶苦茶としか思えない。男がスカートを履いて、両脚を斜めにくっつけて座り、女がズボンを履いて、股開いて座れとでも主張する日なのだろうか?

     少し調べてみたが、「国際女性デー」の源流は20世紀初頭まで遡り、オーストリア、デンマーク、ドイツ、スイスで初の「国際女性デー」の記念行事が行われたのが1911年。現在、3月8日とされている「国際女性デー」は1975年に国連が定め、1977年に国連総会で決議されている。
      もともと「フランス人権宣言」が女性の人権を認めていなかったことに顕著なとおり、世界中で女性の権利は著しく低く抑えられていた。
     そのため歴史の必然として女性の権利・地位向上運動が起こり、その一環として「国際女性デー」の発想が生まれたわけで、「女らしさ」の否定にまで暴走してしまった現在のありようは論外としても、その着想の時点においては十分な必要性があったとはいえるだろう。
      それに対して「国際男性デー」には、何ら歴史的な必然を感じない。単に「『国際女性デー』があるんなら、『国際男性デー』も作らなきゃ、男女平等じゃないやい!」というような、駄々っ子の発想としか思えない。

     実際、「国際男性デー」はカリブ海の小国トリニダード・トバゴで1999年に始まったもので、まだ歴史も浅く、国連も正式に認定していない。
     なんでトリニダード・トバコかというと、たまたまこれを提唱した学者がトリニダード・トバコ人だったからで、「人権真理教」の本場・アメリカの発祥ですらないのだ。今まで知らなかったのも当然としか言いようがない。
     そしてなぜか今年になって、その話題をわずかながら聞くようになったわけだが、 それは、例によって左翼マスコミが煽り立てたからだ。
      朝日新聞は今年初めて「国際男性デー」のイベントを開催、これに併せて11月18日から25日まで(web版)、8回にわたって「らしさって 国際男性デー」と題する連載特集を組んだ。
     では、朝日新聞がこの特集で「国際男性デー」の普及のためにどんな主張をしたのか、見てみよう。

     連載の第1回では64歳の元消防士を取りあげ、次のような身の上話を紹介する。
     何不自由ない家庭に育ち、23歳で子供の時に憧れた消防士になる。
      消防は軍隊を思わせる、厳しい上下関係の男の世界。勤務は苛酷で、同僚は過労で倒れるが、「頑張るのが当然と思っていた」。
     40歳の頃、8歳下の女性と見合いし、結婚を前提に付き合ったが、女性の母親から「顔も見たくない」と言われるほど嫌われ、頭に来て「親を捨てろ」と言い放って別れを切り出され、やり直そうとしたが破局、今も独身。
     55歳の時、部下に声を荒らげて「パワハラ」と訴えられ、処分には至らなかったが、職場では孤立。家でも一人きりで孤独。
     5年前、定年退職して駅ビルの管理会社に再就職するが、周りはほとんど女性で、何を話していいかわからない。上司から「お客様」を迎えるお辞儀の角度を細かく指導されていらつく。「言い方がすごいきつい」などと苦情を言われたこともある。
     初日から辞めたくなった。お金にも困っていない。でも辞めない。 その理由は「男のプライドがあるから」と、記者の目を見つめて真剣な表情で言った。

     こんな男の身の上を延々と読ませて、いったい何が言いたいのかというと、要するに 「この人がこんなにつらい人生になってしまったのは、世の中に『男はこうでなければならない』という、『男らしさ』の観念があるせいだ」 と主張しているのだ!
     男性は認定心理士のセミナーで 「『男はこうあるべきだ』にがんじがらめになっていますね。つらくないですか?」 と言われ、はっとしたという。そして、女性と別れた時や職場で孤立していった時、いつも 「男たるもの強くなければ」と言い聞かせてこなかったかと自問したそうだ。 それで、「あのときこうしていればという後悔ばかり。自分で選んだ人生だけど、孤独ってしんどいな」と言ったそうだ。

     続いて記事には大妻女子大学准教授の田中俊之という「社会学者」が登場。
  • 「ジャニーズ問題:マスコミの〈検証〉」小林よしのりライジング Vol.485

    2023-11-07 16:05  
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     そろそろジャニーズ問題に関する報道が減少してきたが、わしは、これは日本人の危うさが満載の重要案件だと思っているので、「SPA!」の「日本人論」で連載を続けて、単行本で出すつもりだ。
     BBC報道からわずか4か月で、ジャニーズを誇りにしていた連中が、続々被害者として名乗り出て、半年足らずでジャニー喜多川とジャニーズ事務所をキャンセル(消滅)させてしまうという異常事態を、どのように分析し総括するかは日本にとって極めて重大な問題なのだ。
    「人権VS文化」の構図は、歴史に裏付けられた芳醇な文化と、天皇制を持つ日本人が了解しておかねばならない。
     そして報道が下火になってきたタイミングで、各メディアでは「検証ブーム」が始まった。
     これまでジャニー喜多川の「少年愛」の「噂」を知っていながらスルーしていたくせに、このあたりで検証ゴッコをして、反省しているふりだけ見せてお茶を濁そうというわけだ。
     その一例として、「AERA」10月3日号に載った編集長・木村恵子による 『本誌はなぜ沈黙してしまったのか AERAとジャニーズ事務所の関係を振り返る』 と題するザンゲ記事を見てみよう。
     この記事、本論に入る前に、まず編集長のレベルの低さに呆れた。
     なにしろ、冒頭からこう書くのだ。
    「故・ジャニー喜多川氏による性加害問題では、未成年の子どもたちを含む数百人が被害に遭うという未曽有の犯罪が半世紀以上にわたり放置されてきました。」
     ジャニー喜多川の行為を 「未曽有の犯罪」 と言い切っている。しかも続けてすぐその後に 「絶対権力を持つ立場にある性犯罪者」 とまで決めつけている。
     既にライジングVol.482で詳述したが、ジャニー喜多川は犯罪者ではない。
      ジャニー喜多川は一件の刑事告訴もされていない。裁判で有罪判決を受けていないどころか、刑事事件として起訴すらされていないのだから、「犯罪」とも「犯罪者」とも言えないのだ。 少なくとも、法治主義に則るのであれば。
     本当はマスコミもそのことはわかっているはずで、だからこそジャニー喜多川の行為については必ず 「性加害」と記述し、「性犯罪」とは書かなかった。 姑息ではあるが、一応は区別して言葉を変えていたのだ。
     普通なら、編集長は部下が「性犯罪」と書いた原稿を出した時に、それを注意して「性加害」に書き換えるのが役目であるはずなのに、それが自ら率先して混同しているのだ。
     AERAは長らくジャニーズ事務所と絶縁状態だった。1997年にジャニー喜多川の独占取材をした際に「書かないという前提で聞いた内容を書いた」ことが発端で関係がこじれ、記者会見も出禁になっていたという。
     しかし、SMAPや嵐などが大人気になるにつれ、ジャニーズタレントを表紙や記事に使いたいと考えるようになり、和解を模索、その結果2013年に取材が解禁となり、2013年4月15日号の櫻井翔を皮切りに、AERAの表紙をジャニーズタレントが飾り始めた。その回数は2022年度にはなんと18回、3号に1号以上はジャニタレの表紙という状態にまでなっていた。
     この件について、前編集長は 「ジャニ―ズ事務所のタレントを表紙に起用すると販売が見込めて製作部数が増やせる。部数減を何とかしたい、そして新たな読者層にAERAを知ってもらいたい、という思いから」 だったと語っている。
     また、現編集長も全く同様に、 「紙の雑誌の売れ行きが厳しくなっていくに従って、依存度が高まっていったのは問違いありません」 という。
     この辺りの事情はAERAに限った話ではなく、どこのメディアも全く同じである。 どの雑誌でもジャニタレを使えば部数が伸びるから起用していた。同様にテレビ局なら番組の視聴率が上がるから、企業ならCM効果が高いからジャニタレばかり起用していたわけだ。
     他の芸能事務所にそんな人気のあるタレントが大勢いたなら、その事務所のタレントばかり使われていただろう。それだけの話である。
     だから、ジャニーズ事務所がマスコミにはっきり圧力をかけたというような事例が出てくることはない。
     AERAの場合は、数年前までジャニーズを退所したタレントも表紙やインタビュー記事に起用していたが、近年はそれがなくなっていたそうで、それは 「事務所から不満を示されたこともあり、問題になるよりは掲載を控えようという意識が働くようになっていきました」 という事情だったという。また、社内全体にも 「他部署も含めお世話になっているので、なるべくハレーションを起こさないように」 という意見があったという。
     結局は「忖度」だったわけだ。
      視聴率や売り上げが確実に上がるから人気タレントを起用するとか、人気タレントを使えなくなるのを恐れて事務所に忖度するとか、そういうのは商業主義ならば普通のことだ。
     それを「反省」するとか言って、今になってジャニタレをボイコットしているマスコミや企業は、 それならば今後は「売れるタレントは使わない」という結論に達するのだろうか?
     そんなことは決してありえない。 売れるタレントを使えるのならば、使うのは当たり前だし、そのタレントを使うために事務所に忖度することだって、今後も起こるだろう。
      ここで本当に反省したというのなら、「商業主義をやめる」という選択をするしかないのだが、もちろんそんなわけはない。 だったら何が悪かったと思っているのか、全くわからないのである。
  • 「学歴秀才が日本を劣化させる」小林よしのりライジング Vol.484

    2023-10-24 17:10  
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     先週号で書いた「イスラエルよりウクライナだ」は、ライジングの読者には大好評で、やっと納得がいったという感想を多数もらった。
     しかし、予想通りとはいえ、これと同じ意見を唱える知識人は一人もいない。こんな意見は、マスコミには皆無である。
     決して「逆張り」などしていないのに、わしの意見は圧倒的少数となることが非常に多い。時には今回のように、唯一の意見になってしまうこともある。
     なぜ、いつもそうなるのだろうか?
     最初に結論を言ってしまおう。
     それは、知識人やマスコミの全員が 「学歴秀才」 だからだ。
     学歴秀才は、テストでいい点を取ることだけを目指して生きてきた人間だ。
      出題者が求めているとおりの答案を書くことしか知らない人間だ。
      出題者が間違っているかもしれないなんて発想は、死んでも思いつかない人間だ。
      学歴秀才は褒められる解答を目指す。学歴秀才は嫌われる解答が書けない。
     だから、学歴秀才は必ず全員が同じことを言う。
     パレスチナ・イスラエル問題では、 「このままでは夥しい民間人の犠牲者が出る。今は双方とも冷静になって、ただちに銃を置き、両者が対話のテーブルに着くべきだ」 と言いさえすれば、100点満点の解答だ。 「パレスチナ問題は放っておけ」 なんて書いたら、0点なのだ。
     どうやったら真実に迫れるかではなく、どうやったら100点が取れるのかということしか考えずに生きてきた人間だけが、東大だの京大だのに入り、その後、ある者は学者になり、ある者は新聞社やテレビ局に就職する。
      だから知識人・マスコミ人は全員が学歴秀才であり、全員が同じ意見しか持たない。そういう構造が出来上がってしまっているのだ。
    「AERA(10月23日号)」では姜尚中が、ハマスに対するイスラエルの報復が「現代のゲルニカ」になる恐れがあるとして 「とにかく即時停戦を叫ぶ必要があります」 と書き、東浩紀が「報復合戦は犠牲者を増やすだけ」として 「一刻も早い停戦を望みたい」 と書いている。
     二人とも、言ってることが全く同じだ。しかも、そんなことを言ったところで、何の意味もない意見だ。だが、それが求められる100点満点の解答なのだ。
     学歴秀才の知識人なんか何百人いても同じことしか言わないのだから、一人いれば用が足りる。いや、今ならチャットGPTで十分だ。
      そして大衆ってものは、そんな学歴秀才に権威を感じてしまっている。
     大衆と庶民は違う。 庶民は、生活に根付いた歴史感覚に基づく自らの常識で判断する。
      だが大衆は、自分では判断しない。高学歴の偉い偉い秀才様がそうおっしゃるんだから、これが正解だと疑いもなく信じる。 やがて、自分も最初っからそう考えていたとまで思い込んでしまう。そして、マスコミに登場する知識人らと同じことを、みんなで言い始めるのだ。
     テレビのコメンテーターには学歴のない芸人やタレントがよく使われるが、これなど典型的な「大衆」代表だ。学歴秀才様のお気に召す意見を言うことだけが求められ、忠実にその役割を果たすのである。
      そうして大衆は学歴秀才の意見と完全に同化し、時にはその意見に反する者をバッシングし、炎上させたりもする。
     だから 「パレスチナ問題は放っておけ」 なんて意見は、絶対にどこの雑誌にも載らない。たとえそれが真実かもしれないと思うマスコミ人がいたとしても、載せたらバッシングされてしまうから、怖くて載せられない。真実なんかどうでもいい。人に好かれなければ商売にならないのだ。
     ジャニーズ問題でも同じである。
     学歴秀才は全員 「子供の人権を侵害したジャニー喜多川を徹底的に断罪せよ」 と唱える。それ以外の意見は、決してマスコミには登場しない。
      そもそもテストで100点を取るためには、「人権」という言葉を決して疑ってはならないのだ。
     現在の法制度が全て「人権」という言葉の下に出来上がっているから、裁判官だろうと弁護士だろうと全員、「人権」は決して疑ってはならない概念として受け入れている。だから「人権」と言われたら、脳がしびれて一切の思考が停止してしまうのだ。
      一度「人権侵害」と認定されたものは、問答無用で「絶対悪」として糾弾しなければ、100点が取れない。
     だからジャニー喜多川が既に故人であるにもかかわらず、ジャニーズ事務所までも「性加害」を犯した組織として糾弾しまくり、消滅させてしまうところまで追い込んでしまうのである。
  • 「パレスチナよりウクライナだ」小林よしのりライジング Vol.483

    2023-10-17 14:50  
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     まさかここに来て、ハマスがガザ地区からイスラエルへ越境攻撃し、イスラエル史上最大規模の戦争状態になろうとは思ってもいなかった。
     こんな時に、まだジャニー喜多川の「性加害問題」なんかを追及している日本のマスコミに、存在する意味なんかあるんだろうか?
     パレスチナ自治区のガザ地区を実効支配するイスラム組織・ハマスは、2021年5月の大規模戦闘の後、イスラエルに対する戦意を喪失したかのように装いながら、周到に計画を練っていたらしい。
     そして10月7日、ハマスはイスラエルの油断を突いて作戦を実行。ドローンでイスラエル軍の監視システムを空爆、複数の戦闘員が電動機付きパラグライダーで空から越境。さらに地上ではガザを封鎖していたフェンスを破って、多くの戦闘員と武器を積んだトラックが越境した。
     これと同時にハマスはロケット弾数千発をイスラエルの中部、南部に向けて発射。イスラエル軍が混乱している間に、野外の音楽イベントや警備の手薄な集落を襲い、多数の住民を殺害し、女子供まで連れ去って人質にした。
     この攻撃は米政権にも「寝耳に水」の奇襲だった。完全に不意を突かれたイスラエルはガザ地区への燃料や水、食料の供給を遮断する「完全封鎖」を実施した上で、地上戦を開始。近く全面侵攻に踏み切るとみられる。
     ハマスとイスラエルの死者は戦闘開始から1週間で合計3500人を超えたが、戦闘の長期化は避けられず、死者数は到底これでは済まないだろう。
     朝日新聞社説は11日、ハマスに対して「いかなる理由であれ、一般市民の殺害や誘拐は卑劣なテロ行為であり、容認できない」と非難。
     だがその一方で、結論では 「イスラエルは占領地への違法な入植を拡大し、解決を遠ざけてきた。パレスチナ人を絶望の淵に追い込んだことが、今回理不尽な形で暴力が噴き出した背景にあることを忘れてはならない」 と、イスラエル側も批判している。
     産経新聞社説は同じく11日、ハマスを 「これは無差別の大規模テロ行為であり、民間人や非軍事目標を攻撃した国際人道法(戦時国際法)違反の非道な戦闘行為である。いかなる理由があれ、到底容認できない」 と非難した。
     ただし、産経はイスラエル側の責任について触れながらも 「だからといって、多くの人命を奪う攻撃が正当化されるわけはない」 として、あくまでもハマスだけを非難する。9.11から1ミリも動いていない「テロは絶対悪」とする単純脳だ。
     だが、この事態にどう対応すべきかという点に関しては、朝日も産経もほとんど意見は同じである。
     朝日はこう書いている。
    「憎悪と報復の連鎖を止め、流血拡大を抑えるため、国際社会は最大限の働きかけを講じる必要がある。」
    「イスラエルに大きな影響力を持つ米国や、ハマスとパイプがあるエジプト、カタールなどアラブ諸国には、連携した外交努力が求められる。」
     一方、産経はこうだ。
    「戦火の拡大はなんとしても防がなくてはならない。」
    「『2国家共存』を支持するバイデン大統領は今こそ『中東の仲介者』としての役割を発揮してほしい。イスラエルやアラブ諸国と良好な関係を持つ日本にも大きな役割があるはずだ。」
     どちらも、国際社会の働きかけで戦争を止めなければならないという論調だ。
     だが、わしの意見は朝日とも産経とも違う。
     国際社会の中で問題を解決するのであれば、当然ながら「国際法」がベースになる。
     だが、ハマス対イスラエルの戦いは、国際法秩序の範囲内には入らない。なぜなら、どちらも国際法を守る気が全くないからだ。
     ハマスがやっている、民間人を拉致して人質にするとか、非軍事目標を攻撃するとかいうことは、産経新聞も指摘するとおり明白な国際法違反である。
     だが、産経はスルーしているが、イスラエルも国際法違反をやりまくっている。そもそもヨルダン川西岸のパレスチナ自治区内でユダヤ人入植地を拡大していることが国際法違反だし、今回のハマスの攻撃以後、ガザのパレスチナ民間人を標的に水や食料、エネルギーを遮断したのも明確な国際法違反である。しかもイスラエル軍はガザへの砲撃で国際人道法に違反する白リン弾も使用している。
     そして、それら数々の国際法違反については、国連やEUや国際人権団体が抗議をしているが、イスラエルは聞く耳を持とうともしないのだ。
  • 「ジャニーズ廃業会見、立証責任の重要さ」小林よしのりライジング Vol.482

    2023-10-04 11:00  
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     10月2日のジャニーズ事務所記者会見を見たが、くだらなさが極限に達していた。
     なにしろその会見場にいる者が誰ひとり、事の本質を一切理解していないままに進行していくのだ。まるで異次元の会話を延々と聞かされているようで、ストレスが溜まって仕方がなかった。

      今後、「ジャニー喜多川」という人物の痕跡はこの世から完全に消し去られるらしい。
      史上最大・最速のキャンセルカルチャーの成立である。
    「ジャニーズ事務所」の名称は「スマイルアップ」に変更され、「被害者」への補償などの業務のみをする会社として存続し、その業務が終了次第廃業するという。そして現在所属しているタレントのマネジメント等の業務は新たに設立する別会社に移行し、その新会社の名称は公募するのだそうだ。
     先月7日の会見に引き続き、ジャニーズ側はひたすらベタ折れ、平謝り。自ら血祭りに遭いに行っているのだから、どれだけマゾなのかと言いたくなった。
     この問題はわしから見れば、これほどまでにチンケな話ってあるのかっていうくらい、卑小な話だ。弁護しようと思えばいくらでも方法はあった。
     それをものすごい大事件のようにデッチ上げられ、そのままに流されてしまったのだから、こんな情けない話はない。

     そんなジャニーズに対して、さらに図に乗って襲いかかろうというハイエナみたいなマスコミの醜悪さは、とても見られたものではなかった。
     前回の会見の質疑応答で「1社1問まで」という取り決めを無視して、ひとりで10分以上東山紀之を糾弾しまくった東京新聞の望月衣塑子は、今回も最前列中央に陣取り、質疑応答で挙手しまくっていたが、さすがにジャニーズ側も前回のルールもマナーも無視した所業を見かねたようで、司会者は徹底的にスルーし続けた。
     そして、今回は決して指名されないと察した 望月は、マイクなしで勝手に東山に「セクハラ疑惑」を糺したり、野次を飛ばしたりし始めた。
     東山が「セクハラはしていません」と答えても望月は何度も「セクハラ」について怒鳴りまくり、その様子はまるで総会屋か、ストーカーみたいだった。
     いくらなんでもこれはひどいと他の取材陣も思ったらしく、井ノ原快彦が「落ち着いていきましょう」と諭した時には拍手まで起きた。
     記者会見後のネットの反響を見ても、やはり今回はマスコミ側の異常さを指摘するものが多く、望月がやったことは完全にオウンゴールになった。もっとも、自分が絶対正義だと信じて疑わない望月は、絶対に気づいていないだろうが。

     そんな望月の隣で挙手し続け、一緒にスルーされた記者が憤慨してX(旧ツイッター)に長文の恨みつらみを書き連ねていたが、その中でジャニー喜多川がやったことをこう評していた。
    「ジェフリー・エプスタイン事件やハービー・ワインスタイル (ママ。正しくはワインスタイン) 事件よりおぞましい、戦後史に残る、世界でも最悪といっていい性加害事件」
     これだけで、この記者が何もわかっていない馬鹿だということが完全に露呈している。
     アメリカの著名な実業家だった ジェフリー・エプスタイン は児童への性的暴行などの容疑で2006年に起訴され、2008年に禁固18カ月の有罪判決を受けた。そして2019年には別の性的虐待事件で再び逮捕され、拘留中に死亡。自殺と発表された。
     アメリカの有力な映画プロデューサーだった ハービー・ワインスタイン は、長年にわたる性暴力や性的虐待事件によって2018年に逮捕され、2022年にニューヨークの裁判所で禁錮23年の判決を受け、2023年にはロサンゼルスの裁判所で更に禁錮16年が上乗せされ、現在服役中である。

      だが、ジャニー喜多川は犯罪者ではない。
      ジャニー喜多川は逮捕も起訴もされなかった。
     ジャニー喜多川の「性加害」は、1件の刑事事件にもなっていないのだ。
     会見中、記者たちの発言に「ジャニー氏の犯罪」などという言葉が平気で出て来ていたが、それを聞いても、誰ひとりこのことすら認識していないのは明らかだった。
      ジャニー喜多川の「性加害」の事実は最高裁で認められているというが、それは 民事裁判においてである。
     民事裁判と刑事裁判は全く違う。というより、裁判には「刑事」と「民事」があるということすら、はっきりわかっていないのではないか?
  • 「キャンセルカルチャーとは何か?」小林よしのりライジング Vol.481

    2023-09-26 20:00  
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     先週は9月7日に行われたジャニーズ事務所記者会見がいかに異常なものだったかを検証したが、その後もマスコミの暴走は止まらず、「ジャニーズ事務所」という名称を消滅させるまでに追い込んでしまった。
      ジャニーズ問題は、日本史上最大の「キャンセルカルチャー」となった。
     2019年にジャニー喜多川が亡くなった際には東京ドームで「お別れの会」が開催され、一般参列者は8万8000人に及んだ。東京ドームで芸能関係者のお別れ会が行われた例は、現在のところ後にも先にもこれだけであり、参列者数は日本の著名人の葬儀関連行事で最多だった。
     ところが、そこまで称えられた功績が、今や丸ごと「キャンセル」され、「なかったこと」にされようとしている。
     ジャニー喜多川は「もっとも多くのコンサートをプロデュースした人物」「もっとも第1位のシングル曲をプロデュースした人物」として、2010年にギネス世界記録に認定された。性加害をしていようがいまいが、このプロデュース記録の事実に変わりはない。
     ところが、ギネスはこの記録を削除してしまった。そしてついには事務所に「ジャニーズ」の名を冠することすらできなくなった。
     もはや「ジャニー喜多川」という人物など、最初からこの世に存在しなかったかのように扱わなければ、許されないような有様になってしまっている。
      このように、ある個人の過去の言動を問題化し、その人物の存在を社会から完全に消去してしまう運動のことを「キャンセルカルチャー」という。
     もともとキャンセル(cancel)とは、「予定をキャンセルする」とか「計画をキャンセルする」というような使い方をする言葉だ。
      その「キャンセル」を、 「これまであった好ましくないものをやめる、否定する、ボイコットする」 といった意味で使う言い回しは、40年ほど前から黒人コミュニティで始まったそうだ。
     その形容を広めたのは70年代に人気だったファンクバンド「シック(Chic)」の「ユア・ラブ・イズ・キャンセルド(Your Love is Cancelled)」という歌だという。「お前への愛は終わった」ということを、まるでレストランの予約でもキャンセルするかのように 「お前への愛をキャンセルする」 と表現したわけで、これは奇をてらったジョークの性質を含んでいた。
     そんな軽薄で滑稽な言い回しだった「キャンセル」の意味合いが大きく変わったのは 2010年代半ばから である。
     この頃から主にSNS上で、 「キャンセリング(cancelling)」 と呼ばれる糾弾行動が頻繁に起こされるようになった。
      芸能人や政治家などの著名人、あるいは一般人の過去の犯罪や不祥事、不適切な言動の記録を掘り起こして炎上させ、その過ちを徹底的に追及、その対象者に対して「ユー・アー・キャンセルド(You are cancelled. お前はキャンセルされた)」と宣告し、その人物を社会的に葬り去り、世の中から完全に消し去るまで糾弾を続けるという運動である。
     このような運動を 「コールアウトカルチャー(call-out culture)」 といった。
      そしてアメリカでは、このコールアウトカルチャーがリベラル派による人権運動と結びつき、一大ムーブメントとなった。
     2017年、ニューヨーク・タイムズが映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる数十年にわたるセクハラ問題を告発する記事を掲載、これが大反響となり、被害者が続々と「私も」と名乗りを挙げ、 「#MeToo」運動 に発展。ワインスタインは翌年逮捕され、禁固23年の有罪判決を受けた。
     #MeToo運動はさらに拡大し、俳優のケビン・スペイシーやコメディアンのルイ・C・K、NBC重役のマット・ジマーマンや看板情報番組の司会者マット・ラウアー、CBS大物ニュースキャスターのチャーリー・ローズ、メトロポリタン・オペラ名誉監督ジェームズ・レヴァイン、コメディアン出身の民主党上院議員アル・フランケン等々、 多くの人が続々とセクハラを告発されてキャンセルされ、降板、解雇、辞職などに追い込まれていった。
     わしが好きな映画監督の ウディ・アレン はハリウッドから追放され、作品はアメリカでは公開できなくなっている。
     そんなヒステリックともいえる「キャンセリング」の波が、日本にも押し寄せたことを わしが初めて意識したのは2018年4月、財務省の福田淳一事務次官が辞任させられた件だった。
     福田には女性記者に対して誰にでもかまわず「胸触っていい?」「手縛っていい?」などと口走るヘンな癖があった。もっとも実際に手を出したことは一度もなく、それまで取材に当たっていた女性記者はみんな受け流していたし、嫌なら「やめてください」と一言いえば済むはずのことだった。
     ところがテレビ朝日がこれを「セクハラ発言」と報じ、福田は否応なく辞職に追い込まれたのである。
      同年9月には雑誌「新潮45」が衆院議員・杉田水脈の「LGBTには生産性がない」とする原稿を掲載したために、廃刊させられてしまった。 なぜか発言した本人ではなく、載せた雑誌がキャンセルされてしまったのだ。
     杉田の発言は差別心丸出しで論外のものだったが、だからといって言論の場をひとつ潰してしまうというのは、明らかにやりすぎだった。
  • 「ジャニーズ記者会見の狂気」小林よしのりライジング Vol.480

    2023-09-19 17:49  
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     9月7日に行われたジャニーズ事務所の記者会見は、異常としか言いようのないものだった。
     しかもその異常性を誰一人自覚することもなく、ひたすらジャニー喜多川やジャニーズ事務所を「悪」として排斥する動きが続いている。そこには常識も良識も正気も存在しないのに、誰もが「正義」を背負っていると思い上がっている。
     今回はその記者会見の異常さを記録として残そう。
     記者会見の質疑応答で出た質問のレベルの低さには、思わず耳を疑った。
     最初に質問をしたTBS「報道特集」の村瀬健介は、開口一番こう言った。
    「半世紀以上の長期にわたって、数百人の少年に対して性被害が行われたという、史上空前の加害行為ということになると思うんですけれども」
     ジャニー喜多川のしたことが、 史上空前の加害行為!?
     報道特集は、ウクライナ戦争を扱っていないのか?
     ウクライナ当局によれば、 これまでに少なくとも1万9000人のウクライナ人の子供たちがロシア支配地域およびロシア本土に連れ去られ、そのうち帰還できた子供はわずか400人足らずだという。 国際刑事裁判所(ICC)はこれを戦争犯罪として、プーチンに逮捕状を出している。
      ジャニー喜多川が、子供を一人でも強制連行したか!?
     だが、この記者会見ではこんなデタラメな誹謗中傷でも何でも言いたい放題で、ひたすら故人を吊し上げるのみだった。
      そしてジャニーズ側も、ひたすら記者たちに同調してジャニー喜多川をどこまでも悪者に仕立て上げることで、許しを乞おうと決めていたらしい。
     新社長となった東山紀之は、いつも「ジャニーさん」と言っていたはずなのに、この会見では「喜多川氏」と言い続けた。そして、そのことを指摘して「ジャニーさんへの想い」を問う質問が出ると、こう答えたのだ。
    「喜多川氏に関しては、エンターテイメントというのは人を幸せにするためにあるもので、それはそうじゃなかったと」
    「沢山の人を巻き込んで迷惑をかけて、結果あの方は誰も幸せにしなかったなと。なので喜多川氏と呼ばせていただくことになりました。」
      ジャニー喜多川が作り上げたエンターテインメントは間違いなく多くのファンを幸せにしたはずだし、東山自身もその作品のひとつだったはずだ。
     ところが東山は「あの方は誰も幸せにしなかった」と決めつけ、もうそんな人を「ジャニーさん」とは呼びたくないから、距離を置いて「喜多川氏」と呼ぶことにしたと言ったのである。
      これはジャニー喜多川と共に、自分自身をも完全否定するものだった。
     東山がここまでベタ折れしたのを見て、取材側は「水に落ちた犬は叩け」とばかりにますます図に乗った。
     ユーチューブで発言しているという本間龍とかいう作家は、「ジャニーズ事務所」の名称を変更しないという件について、こんなことまで言ってのけたのだった。
    「ジャニーズ事務所と言えばジャニー喜多川氏の作った会社で、その方が下手をすると40年、50年、数百人、数千人の人々を不幸のどん底に叩き落としてきたという状況の中で、その方の名前を今後も頭に乗っけていくというのは、あまりにも常識外れだと思います。あえて言うと『ヒトラー株式会社』『スターリン株式会社』なんて無いわけですよね。それに匹敵するほどの犯罪を犯したというご自覚が足りないのではないかと思うのですがいかがでしょうか」
      ジャニー喜多川が、ヒトラーやスターリンに匹敵する犯罪をした!?
      ジャニーがいつ、600万人のユダヤ人を虐殺したホロコーストに匹敵するようなことをした?
      ジャニーがいつ、1000万人を虐殺したといわれる大粛清に匹敵するようなことをした!?
     こんな暴言を吐く馬鹿が、平気で記者会見の場に入り込めることが信じられない。ここまで来ると、いくらなんでも単なる名誉毀損だ。
     ところがなんと、この暴言に対しても東山は 「おっしゃる通りでございます」 と答えた。ジャニー喜多川はヒトラーやスターリンに匹敵する悪事を成したと認めてしまったのだ。しかも東山はその後さらに 「本当に人類史上最も愚かな事件だと思います」 とまで言った!
     ここまで故人の名誉を踏みにじっていいのだろうか!?
     もしかしたら、質問した方もされた方も、ヒトラーやスターリンが何をしたのかという知識すらなく、ただ漠然と「極悪人の代名詞」としか思っていないレベルだったのかもしれないが。
     そしてさらに仰天したのが、東山の 「今回は法を超えて、救済、補償というものが必要だなと思っています」 という発言だった。
  • 「〈性自認〉の曖昧さを保守としてどう捉えるか?」小林よしのりライジング Vol.475

    2023-07-18 16:55  
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     ひたすら弱者・少数者に同調し、あまつさえ弱者・少数者は「聖なる者」と思い込んだら、それは左翼、乃至リベラル・サヨクの空疎な立場に回収されてしまう。この世に楽園はないのだから、リアリズムに立脚した理想に向かう道を選ばざるを得ない。空想平和主義や、空想平等主義に堕ちるわけにはいかない。
     先週は「LGBT理解増進法」について書いたが、偶然その配信日にトランスジェンダー女性の女子トイレ使用制限をめぐる訴訟の最高裁判決があった。
     これは非常に意義のある判決で、次はそれを書こうと準備していたのだが、その翌日にはryuchell(りゅうちぇる)の自殺という衝撃的なニュースが入ってきた。
     りゅうちぇるのことは最新刊『よしりん辻説法⑥ 恋愛論・完』でも描いているので、これは先に論じなければならないだろう。
     りゅうちぇるについてはわしも見誤っていて、極めて普通の道徳的な感覚で捉えていた部分があった。
     だから、りゅうちぇるとぺこが離婚した際は、まずぺこが可哀想だと感じ、りゅうちぇるは無責任じゃないかと思ってしまった。
     それで、こんなことなら結婚しなければよかったし、子供を作らなければよかっただろうという道徳的な気持ちから、『恋愛論・完』の中で 「自分探しは子供をつくる前に終わらせておかねばな」 と書いてしまったのである。
     だがこれではまだ「性自認」の認識が甘かったと言わざるを得ない。
    「性自認」はどこかの時点で固定するもので、自身の意識の上でも踏ん切りがつけられるものだという思い込みが残っていたのだが、それは間違っていた。
      人によっては、「性自認」が一生定まらずに揺れ動き続ける場合もあるし、それは本人の意識ではどうにもならないものだった。
      りゅうちぇるの性自認は、幼少時にはLGBTのどれにも当てはまらなかったらしい。 前回書いたが、心の性にはLGBT以外に、 無性 (女性でも男性でもない)、 両性 (女性でも男性でもある)、 中性 (男性と女性の中間)という「Xジェンダー」と呼ばれるものもある。
     りゅうちぇるは、身体性は男性で、女の子が好き、かわいいものが大好きで、仕草のいちいちが女っぽく、何をしてもからかわれることが多かったそうで、 「これで男の子が好きな方がまだわかりやすいし、楽って思っちゃってた。それか普通の男の子になりたいと思ってた。こんなにかわいいものが好きなのに、なんで女の子が好きなんだろう」 という葛藤を抱えていたと自ら語っていた。
     りゅうちぇるは高校卒業後に沖縄から上京、バイト先の古着店でぺこと出会い、交際に発展。二人でタレントとして成功した後、結婚。男児が誕生する。
     りゅうちぇるはこの時のことを、「 女性を好きになることは、僕の人生の中で、初めての事でした」「一生一緒に居たいと思えたからこそ結婚して 夫婦になる道を選択し そしてその愛が形になり、最愛の息子も生まれました」 と振り返っていた。
     しかしその後、りゅうちぇるは 「父親」であることは心の底から誇りに思えるのに、「夫」であるということはものすごく苦しくなってしまい、生きていくことさえ辛いと思う瞬間もあったという。
    「父親」の自認は誇りなのに、「夫」の自認は苦痛なんて、標準的な男であるわしからすれば、意味が分からないと思ってしまう。
     そして、全ての気持ちをぺこに打ち明け、話し合った結果 「これからは“夫”と“妻”ではなく、人生のパートナー、そしてかけがえのない息子の親として、家族で人生を過ごしていこうね」 ということになり、離婚。そしてその後も家族として同居を続けていた。
      血のつながった「親子」であれば、自分がこの子の父親だという関係は自然に受け入れられたが、元は他人である「夫婦」の場合は、その前提に「男」と「女」という性自認がなければ、関係が成り立たなかったということらしい。
     りゅうちぇるにはおそらく「男」という明確な性自認がなく、それでもぺこと恋をして子供も出来て 「父」にはなったが、「夫」であり続けることには耐えられなかったのだろう。
     そのために離婚して、ぺこと「夫婦」ではなくなるが、「人生のパートナー」ではあり続け、家族として一緒に生活するという判断をしたのだ。
     では、離婚から1年足らずで自殺という悲劇に至った理由は何なのだろうか?
  • 「『よしりん辻説法⑥ 恋愛論・完』とLGBT法」小林よしのりライジング Vol.474

    2023-07-11 18:10  
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    『よしりん辻説法⑥ 恋愛論・完』(光文社)が発売中だ。
     6年間続いた『よしりん辻説法』の完結編であるとともに、一昨年からのシリーズ『恋愛論』の締めくくりであり、さらに「よしりん最後のギャグ漫画」と銘打っている。今後、わしのギャグの才能はインド版アニメ『おぼっちゃまくん』に注力することになる。
    『恋愛論・完』ではLGBTも射程に入れて「恋愛とは何か?」を論じたが、そのような視点で書かれた本は、これが初めてだろう。
     この本には、29年前に美輪明宏と行った対談を描いた幻の作品『聖人列伝』を単行本初収録した。
     読んでもらえばわかるとおり、わしはこの当時から美輪の性別を超えた魅力を認めている。それならば、現在論じられているLGBTについても認めなければ整合性が取れないわけだが、今回はその点でも論理が通ったものになっていると思う。
     それにしても、今どきの知識人は「美輪明宏」という存在をどう捉えているのだろうか? 単にキワモノのタレントのように扱って無視しているんじゃないか?
     若き日の美輪明宏の魅力は、三島由紀夫、江戸川乱歩、寺山修司、澁澤龍彦など多くの作家・知識人を虜にした。当時の知識人の知的レベルは非常に高く、美輪の持つ、性が明確ではない妖しさや美しさといったものを十分理解できたのである。
     今どきの自称保守知識人のような、「男は男らしく、女は女らしく」だの、「世の中には男と女しかいない」だのという単細胞な意見を平気で言えるバカに、美輪明宏が理解できるわけがない。そもそも、昔だったらそんなバカは「知識人」など名乗れなかったはずで、「知識人」の劣化はあまりにも深刻である。
      体の性別と心(脳)の性別は必ずしも一致するわけではなく、それは先天的なものであって、本人の意思で自己決定できるものではない。このことくらいは、もう一般常識にしなければいけない。
     遺伝子による体の性別は、卵子と精子が受精した瞬間に決定する。
     男女の性別は、母親の持つXX染色体と、父親の持つXY染色体の組み合わせによって決まる。XとXを受け継げば女児、XとYならば男児となる。Y染色体には「SRY」という性を決定する遺伝子があり、これを受け継ぐと精巣が形成されて男性になるのである。
     ここまでは、あくまでも「体」の性別が決まるまでの仕組みで、既に広く知られた「理科」の領域である。
     しかし、人の性別はこれだけで確定するほど単純なものではない。 実際には、SRY遺伝子が働かず、 染色体が「XY」なのに身体的特徴が女性 という人もいれば、 染色体が「XX」なのに身体は男性 という人もいるのだ。
     そして、 心の性別は母親のお腹の中で、胎生12~22週の頃に決められる。
     この時期の胎児の脳は性的に未分化な状態で、 男性ホルモンの「アンドロゲン」の作用を受けて初めて男性化する。 アンドロゲンは胎児自身の精巣から分泌され、女児の場合は精巣がないので脳も女性化する。
      しかし男児でも、アンドロゲンが十分に働かない場合などは脳が女性化する わけで、このようなことが起こる原因までは十分解明されていないという。
     また、さらに最近の研究では、脳の性別は母親のお腹の中にいる間に完成するわけではないということもわかってきたそうだ。
      第二次性徴期と呼ばれる思春期は、性ホルモンの分泌が盛んになり 、この時期に分泌される男性ホルモンや女性ホルモンの働きによって、心身ともに大人の男性・女性へと変わっていく。
     詳しいメカニズムはまだ解明されていないが、 この時期に脳も男性の脳、女性の脳へと発達していき、いわば、心の性別の仕上げが行われるという。
     ここで「先天的」「後天的」という言葉を使うと、誤解を生じかねない。
     生まれた後、思春期になってから決まるのなら「後天的」ではないのかと思われそうだが、「後天的」とは、生後の周囲の環境や本人の意思による行動・学習によって身に付くものをいう。
      思春期にどのような性ホルモンの分泌が行われるかということが、生後の環境や、ましてや本人の行動・学習で左右されるわけがなく、この場合も「先天的」な変化と見なければいけない。
     体と心の性別は思った以上に複雑に決められているもので、そのメカニズムは未だにわからない部分が多い。
     異性に恋をするか、同性に恋をするかということも本人の意思でどうにかなるものではなく、いくつもの条件が重なった結果の「偶然」で決まっていると思うしかないものなのだ。
     わしは普段「LGBT」と書いているが、それがいつの間にか「LGBTQ」になり、「LGBTQ+」になり、次々増えていっている。
     しかし、本来はそうして細かく分類していくのもおかしいというべきで、それらの境界も、ものすごく曖昧なのだ。