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「寝屋川中1殺害事件、近代化の闇に魔物の徘徊」小林よしのりライジング Vol.145
2015-08-25 19:20153pt偏見は差別を助長する。
だが偏見が人間の警戒心として有効に機能する場合もある。
偏見という言葉の持つ両義性の間で、「これは差別か?」「これは真っ当な警戒心か?」とバランスをとる判断能力が必要になる。
大阪・寝屋川の中1男女二名誘拐・殺人犯は、2002年にも同様の監禁事件を犯していたとテレビで言っていた。
その時は男の子が監禁されてるから、どうやら今回の事件は男の子の方が目的だったようだ。女の子は一緒にいたから、先に始末したということか?
少年監禁性欲という極めて特殊な変質者もいるのだろう。
性的な変質者は再犯する可能性がある、これは一概に偏見とも言えず、性欲の問題だから抑制できずに暴走する危険性を考慮せざるを得ない。
だからアメリカでは「ミーガン法」で性犯罪者にGPS探知機の装着を義務付けて、近所の人々が追跡できるようにして再犯を防止している。
人権問題のようにも見えるが、被害者になり得る女子供の人権の方が大事だというのは、わしには理解できる。
しかし深夜に子供を徘徊させる親も問題だが、何度でも同様の事件が起こっているし、「親は何してるんだ?」とその度に思ってしまう。
それほど家族間の絆は切れてるのだろう。子供は家族共同性の綻びをツイッターやラインなどのSNSで繕って、誰かと繋がっていれば安心するようだ。
親は親で、ケータイを持たせているから安心と思うらしく、貧困層の親は仕事だけでくたびれて、子供を見守る余裕もないという状態なのだろう。
ケータイがあり、コンビニがあり、ファミレスがあり、漫画喫茶があり、近代化されて便利な社会だから、我が子を放っておいてもどこかで生きているはずとしか思わないようだ。
便利で近代化された時代にも、人間という獣は蠢いている。
今の時代は弱者が弱者を狙うから、男子も女子も関係なく、獣に狙われる。
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