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記事 2件
  • 「セカンドレイプ魔・小川榮太郎」小林よしのりライジング号外

    2019-09-10 16:10  
    153pt
     日本人は、未だに近代人にはなっていない。
     野蛮人としか言いようのない、知性も品性もない人間が「知識人」の扱いで「言論誌」に論理のかけらもない文章を載せている。
     しかもその内容が、レイプ被害者を侮蔑・嘲笑する「セカンドレイプ」以外の何物でもない代物なのだ。
     こんなものが平気で流通しているということだけは、決して海外には知られたくない。
    「月刊Hanada(10月号)」に、自称文芸評論家・小川榮太郎の 『性被害者を侮辱した「伊藤詩織」の正体』 と題する文章が載っている。
     詩織さんは性犯罪被害者のまさに当人なのに、その人をつかまえて「性被害者を侮辱した」とは、一体どういうつもりだろうか?
     まあ小川の目的が、詩織さんをレイプした容疑で逮捕状が出ていながら、逮捕を免れたジャーナリスト(元ジャーナリストか?)Yの擁護にあることは、読まなくてもわかる。小川もYも、共に安倍政権の提灯持ちである。同じ提灯を持つ者同士、お仲間意識も連帯感も相当に強かろう。
     文章は冒頭、熱海のホテルにおけるYの様子の描写から始まる。
     詩織さんがYを訴えた民事訴訟の裁判が行われた日、小川がYを熱海に誘ったそうで、小川は 「人生を賭けた裁判の疲労は並々ならなかっただろう」 とYをいたわっている。
     そして小川は、Yの父親が事件のショックから体調を崩し、昨年亡くなったことに触れ、 「私も先年、父を亡くした。レイプ犯の汚名を着た息子が孤立するなかで、病重くなり続けた氏の父上のことを思う都度、私は何度いたたまれぬ思いにかられたことだろう」 と、深い同情の気持ちを表明している。
     案の定、完全にYの味方をするつもりで書いている文章である。
     ところが信じられないことに、小川はこれだけYに肩入れしたすぐ後に、ヌケヌケと 「が、この件に情実は、絶対あってはならない」 と言ってのける。
     そしてさらに、 「私は山口氏を『信じる』という選択は、この件では全くするつもりはなかったし、してはならないと思っている」「私は、山口氏を信じるのではなく、証拠資料、証言を通じて、より真実に近い当日の出来事を知りたいと思った」 と強調して、中立・客観的な立場でこの件を論評するかのような態度を装うのだ!
     一体、どのツラ下げて?
     あれだけ、Yと個人的に親しいことを自ら明かし、Yの無実を願って死んだであろう父親に同情し、Yが父を死に追いやるような親不孝をしたのではないかとは露ほども疑っていない心情を吐露している人物が、今さらこの件を中立の視点で検証するなどと言ったところで、どこの誰が信用するか?
     この客観性皆無の頭の悪さには本当に驚く。フリチンで街中を闊歩しながら、「私は露出狂ではない!」と叫んでいるようなものである。
     Yはホテルの自室に詩織さんを連れ込み、性交したことは認めている。
     そこで争点は、その性交がレイプだったのかどうかに絞られる。
      レイプか否かを決定づける最大の要件は、「合意の有無」である。
     合意なく行われた性交はレイプ。それに尽きる。
     ライジングVol.307(https://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar1743157)や『ゴーマニズム宣言』第50章「レイプ裁判の判決がおかしい!」(「SPA!7月2日号」)で詳述したように、現在の日本の裁判では「抗拒不能」(抵抗・拒否できない)という要件が過剰に考慮され、理不尽な判決が連続しているが、あくまでも第一に考えなければならないのは、というより、唯一考慮すべきなのは、「合意の有無」であると言っていい。この認識は、今日の世界的な潮流として定着しつつある。
     ところが小川は信じられないことに、最重要の要件である「合意の有無」を 「密室のことで、判定のしようはない」 とあっさり放り出し、完全に論点から切り捨ててしまうのだ!
     これでは話にならない。 小川は法的・社会的にレイプがどう定義づけられているのか、特に最近はどう考えられているかを一切調べようともせず、完全な無知のまま、 「合意の有無など言っても意味がない」 と決めつけているのだ。
     小川は「新潮45」の廃刊号となった昨年10月号に載せた、杉田水脈の「LGBTは生産性がない」発言を擁護する文章でも 「LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもない」 と開き直り、LGBTを「全くの性的嗜好」と完全に間違ったことを平然と書き、LGBTよりも 「痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう」 とまで暴言を吐き散らした。
     議論の前提として必要最低限の知識すら知ろうともせず、完全無知のまま、自分の思い込みだけで平気で誤りを書きまくることを常とする小川榮太郎には、根本的に物書きの資格などないのだ。
     小川は、Yが詩織さんをレイプしたとされる2015年4月3日の詩織さんの行動について、いちいち批判を加えていく。
     その日、詩織さんは靖国神社の奉納相撲の取材をした後、砂埃を浴びた服を着替えるため自宅に寄り、待ち合わせ場所の居酒屋に時間に遅れて着いているが、それに小川はこんな難癖をつけるのだ。
  • 「抗議・恫喝・脅迫が表現の自由を委縮させる」小林よしのりライジング Vol.327

    2019-08-27 20:05  
    153pt
     慰安婦少女像は政治的プロパガンダのための木偶(でく)人形である。韓国の恥の象徴である。
     韓国内にも慰安婦少女像に恥を感じる人たちはかつていたらしい。そりゃそうだろう。慰安所を利用していた老人がいたはずだから。
     世界中に国家の恥の象徴をバラまく今の韓国人の感性は「反日」イデオロギーのせいで、相当に劣化している。
     本来なら日本や世界中であの少女像を展示するということは、韓国の恥を展示することであり、自国に対するヘイトスピーチに近いので、わしとしては腹も立たない。自国民をヘイトするヘンタイ国民だなと思って、嗤ってしまう。
     恥のイコン・慰安婦少女像を日本で展示してやろうという相当意地悪なことを企んだ津田大介という男は天罰が下っても止むをえない馬鹿である。
     呉智英氏によれば、慰安婦少女像はぜんぜん「表現の不自由」じゃなくて、日本大使館前でも、韓国中でも、アメリカでも展示されているのだから、「表現の自由」を謳歌している、それをわざわざ展示して、炎上を誘って「表現の不自由」をねつ造してしまったのだから、津田大介という人間は「当たり屋」みたいなものだと言っている。これはなかなか凄い見方だ。
     その恥のイコンを「芸術」とまで勘違いする輩が現れているようだから、あの木偶人形に対する「批判」や「嘲笑」や「侮蔑」は構わないのである。いくらでも罵ればいい。慰安婦像が「神聖不可侵」にならないように、批判と侮蔑をしておけばいいのだ。
      ただし、抗議・恫喝・脅迫はダメなのだ!
     日本ではできる限り広い範囲で「表現の自由」を担保しておかねばならない。
    「表現の自由」の範囲が広ければ広いほど、その国は民主主義が発達していて、中国や韓国や北朝鮮などは、「表現の自由」が狭い分、民主主義が未発達であり、独裁制が幅を利かせているということなのだ。
     愛知県で3年に1度開かれている国内最大規模の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が、開催3日で展示中止に追い込まれた。
     同展は4年前に東京で行われた、各地の美術館で展示できなくなった作品などを並べる「表現の不自由展」を見たトリエンナーレ芸術監督の津田大介が、当時の実行メンバーに「その後」展をやってほしいと打診して実行されたものだった。
     先の「表現の不自由展」では在特会が拡声器を持って「ぶっ殺してやるから出てこい」と罵倒、なんと来場者の姿を勝手に撮影してネットに上げるなどの嫌がらせをしたため、会期中は総勢80人のボランティアが警備に当たり、来場者が無断撮影されないようシーツで出入り口を隠すなどの対応に追われたという。
     そんなことから、実行メンバーは「その後」展の実行委を引き受ける際には「相当の覚悟と準備が必要」と考え、津田にも不当な暴力に屈しないよう釘を刺していた。そして津田も、圧力に屈しないよう「僕も一緒に闘う」と言っていた。
     ところが開幕してみると案の定、慰安婦少女像の展示や、昭和天皇の肖像を燃やす映像展示に対する抗議が殺到した。
     その抗議のやり方は尋常なものではなかった。 トリエンナーレ事務局は大量の抗議電話によって事務所機能が完全に失われ、トリエンナーレとは無関係の組織にまで大量の抗議電話が押し寄せた。
     中には 「お前の母親の写真を燃やしてやるぞ」「実名をネットでさらす」 といった、抗議というより恫喝というべき電話も多く、連日未明まで続いた対策会議では、「このままでは自殺者も出かねない」という報告も出されたという。
     2日目早朝には 「ガソリン缶を持って行く」 と、京アニの事件を思わせる脅迫ファックスが届き、その翌日には、このままでは円滑で安全な運営ができないとの判断から、トリエンナーレ実行委員会会長の大村秀章愛知県知事が「表現の不自由展・その後」の展示中止を発表した。
     同展の実行委は、「一緒に闘う」と言っていたはずの津田が3日で折れ、何の相談も説明もなく中止が決められてしまったことに相当憤慨している
     十分予想のついていたリスクに対して全然対応できなかったことに対して、津田は 「準備不足だったことは認めます。ただ、どのような準備をすれば可能だったのか…」 と泣きごとを言っていた。
     この件ではトリエンナーレ実行委委員会会長代行の河村たかし名古屋市長が会場を視察し、 「日本国民の心を踏みにじる行為」 だとして大村知事に展示中止を求める抗議文を出していたことから、権力による「検閲」だとの声もあったが、大村知事や津田は「検閲」を否定している。
     まあ、「検閲」よりも、津田が説明しているとおり、 過剰な抗議と恫喝・脅迫によって運営が機能不全となり、死者が出かねないと判断したものだろうと思う。
     最初の脅迫ファックスの犯人は逮捕されたが、展示の中止後も愛知県の関連施設には 「県庁職員らを射殺する」「県内の小中学校、高校、保育園、幼稚園にガソリンを散布して着火する」 といった脅迫メールが770通以上届き、その脅迫犯はまだ捕まっていない。
      このような抗議・恫喝・脅迫が、表現の幅を確実に狭めてしまうのだ。