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  • 「柳原白蓮が美智子妃ご婚約に反対した理由」小林よしのりライジング Vol.94

    2014-07-22 15:45  
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     NHKの連続テレビ小説『花子とアン』では先週、仲間由紀恵演じる蓮子が美輪明宏の『愛の賛歌』をBGMに駆け落ちした。
     今後、ドラマではどのように描かれていくかわからないが、今回はまず、そのモデルとなった史実を簡単に紹介しよう。
     蓮子のモデルは「大正三大美人」のひとりと謳われた歌人・ 柳原白蓮 (やなぎわら・びゃくれん)、本名・ 燁子 (あきこ)。華族の名門・柳原家の出身で、父は伯爵・柳原前光(さきみつ)、母は妾の芸妓であった。
     父の妹・柳原愛子(なるこ)は明治天皇の側室で、大正天皇の生母であり、燁子は大正天皇の従妹にあたる。
     15歳で遠縁の北小路家の7歳年上の跡取りと結婚、翌年長男を出産するが、望まない結婚であった上に、夫が粗暴であったことなどから、20歳の時に子供を北小路家に残すことを条件に離婚。
     実家に戻った燁子は4年間幽閉同然の生活を強いられ、その間にまたも望まない縁談の話が進められたことから家を飛び出す。
     そして、親族の世話によって23歳で東洋英和女学校に編入し、ここで後に翻訳者・ 村岡花子 となる 安中はな と出会う。
     卒業後、燁子に再び望まない縁談の話が進められる。相手は九州の炭鉱王、 伊藤伝右衛門 だった。
     伝右衛門は前妻を亡くした直後。無学文盲の労働者あがりの炭鉱王と皇太子の従妹、しかも年齢差25歳という異例の結婚は連日大々的に報道される。2万円(現在の約6000万円)の結納金を始めとする大金が動き、燁子は「金で買われた華族」と話題になった。
     もともと全く不釣り合いな二人の結婚生活である。しかも前妻との間に子はいないと聞かされていたが、伝右衛門は妾との間に娘があり、妹の息子二人を養子にしていて、燁子はいきなり二男一女の母となる。
     そしてさらには伝右衛門の妾で家を取り仕切る女中頭のおさきとの確執などから、燁子は孤独を深めていった。
     燁子はその思いを短歌に託し、「 白蓮 」の名で歌人としての地位を確立。また、九州の文化人を集めたサロン活動を始め、「筑紫の女王」と呼ばれるようになる。
     そんな中で燁子は7歳年下の帝大生で、社会主義の雑誌「解放」の責任編集者をしていた 宮崎龍介 と出会い、恋に落ちる。
     宮崎龍介の父は『大東亜論』の第3部には必ず登場することになる、辛亥革命を支援した大陸浪人・ 宮崎滔天 である。
     やがて燁子は龍介の子を宿し、二人はついに駆け落ちを決意する。
     だが、当時は「 姦通罪 」があった時代である。姦通罪とは、配偶者のいる女性が夫以外の男性と関係を持った場合、夫が告訴すれば、男女双方が2年以下の懲役に罰せられるというもの。
     逆に正妻のある男が他の女性と関係を持っても罰せられない、完全に男尊女卑の法律である。
     そこで龍介は友人の大阪朝日新聞記者らと共に、マスコミを利用して燁子に同情的な世論を喚起し、伝右衛門が告訴できないようにしようと画策。
     かくして大阪朝日に「 筑紫の女王失踪 」のスクープ記事が載り、 燁子が伝右衛門に宛てて書いた絶縁状が掲載された。
     掲載された絶縁状は、燁子が書いたものに龍介らが手を加えたもので、
    「愛なき結婚が生んだ不遇とこの不遇から受けた痛手のために、私の生涯は所詮暗い暮らしのうちに終わるものとあきらめたこともありました。しかし幸いにして私にはひとりの愛する人が与えられ、そして私はその愛によって今復活しようとしておるのであります」
    「私は金力を以って女性の人格的尊厳を無視するあなたに永久の決別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を守り、かつ、つちかうためにあなたの許を離れます」
    といった、激烈な内容だった。
     この大阪朝日のスクープは大反響を巻き起こし、「 白蓮事件 」の名で全国の話題となる。
      ライバル紙の大阪毎日新聞は面目をかけて伝右衛門のインタビューを取り、絶縁状に対する反論の連載記事を掲載した。
      伝右衛門は記事の公開を渋り、事後承諾で載せられたのだが、3回目になって伝右衛門側から中止要請があり、連載は4回で終了した。
      結局、伝右衛門は姦通罪に訴えることもなく、事件からわずか10日後、離縁を発表した。
     その理由は、大正天皇の従妹である燁子を投獄することは避けたかったからとも、龍介が社会主義思想を持っていたことから、事を荒立てれば炭鉱で労働争議を焚きつけられる恐れがあったためとも言われるが、実際にはそれ以上の理由があったように思えてならない。