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記事 37件
  • 「被害者側に立たない言論は許されないのか?」小林よしのりライジング Vol.495

    2024-02-20 19:15  
    300pt
     言論は社会的に正しいと(現時点では思われている)意見しか許されないのだろうか?週刊誌がスキャンダル記事を書いた時点で、加害者・被害者が決定し、社会から「キャンセル(排除)」されることが正しいのだろうか?
     その社会的正しさが間違っていた時は、誰が責任を取るのだろうか?
    「地球は丸い」という言論が罰せられていた時代もあったのだ。
     ジャニー喜多川や松本人志や伊藤純也が加害者で、被害を訴えた者たちは、間違いなく被害者であり、疑問を呈したら「セカンドレイプ」とする判断は、正しいのか?
     草津町長を性加害者として糾弾していた者たちは、自称被害者が嘘をついていたと判明したのち、反省したのだろうか?

     わしは月に1回「週刊エコノミスト」の巻頭エッセイ『闘論席』を担当しているが、ここでも「キャンセルカルチャー」に対する批判を書き、「自称・被害者側に立たない」文章を書いた。
     ところがこれに編集部から異議が唱えられ、担当編集者や編集長と何度も協議を重ねたものの、書き直しを余儀なくされてしまった。『闘論席』を担当して5年以上になるが、そんなケースは今回が初めてである。
     まずは、わしが最初に書き、ボツになった原稿を読んでもらおう。

      ジャニー喜多川という人物が存在した痕跡まで抹消せよとする「キャンセルカルチャー」は、次の標的にお笑い芸人・松本人志やプロサッカー選手・伊東純也を選んだ。
     しかし、これを煽動している週刊文春や週刊新潮の記事を熟読しても、彼らのやったことは絶対にレイプではなく、何の犯罪行為でもない。
     週刊誌は「レイプ」とも「性犯罪」とも書かず、「性加害」としきりに書いているが、それは何なのかが問題なのだ。
     どうやら、それはセックスを目的とした合コンのことらしいが、合コンで出会って気に入った男女が即ホテルに行くことなど、膨大にあることだろう。同意があるなら、それを非難できない。
     松本人志ほどの有名人なら、スキャンダル記事を恐れるのは当たり前で、女遊びも難しいのだろう。「性接待」などと表現しているが、拉致したわけでもなく、女性が拒否できたのなら、犯罪性はない。
     人間の下半身の話は醜悪になるのは当たり前で、週刊誌は何ら犯罪にも当たらない、単なる不良の行儀の悪い遊びを、レトリックで嫌悪感を催す記事に料理しているだけである。
     男だろうと、女だろうと、遊びでセックスしている者は多いし、異性を道具扱いしている女性だって普通にいる。遊びの性的関係から、ロマンチックな恋愛に発展することもあれば、怨恨が残る関係になることもある。
     たとえ遊びの性的関係から怨恨が残ろうと、あくまでも私的な問題であり、それを週刊誌が社会正義を背負ったかのように書き立てて、才能ある人物を抹殺するのは社会の損失である。
     キャンセルカルチャーを正義とする風潮には、決して与してはならない。

     これのどこが悪いのか未だにわからないのだが、とにかく「被害者」の言い分に配慮していないのがいけないらしい。
     締め切りの翌日、担当編集者が仕事場に来てスタッフと協議、それをもとに、上の文章を書き直した原稿を送った。
     だがそれでも納得してもらえなかったので、わしが直接電話して、まず週刊文春の記事中から、「レイプ」に該当する記事を送ってくれと頼んだ。わしは毎回週刊文春の記事を赤線引っ張りながら読んでいて、文春が一度も「レイプ」という言葉も、「性犯罪」という言葉も使っていないということを確認していたのだ。
     担当氏は誠実な女性で、全部の記事を読んでくれて、最初の一回だけ「性的被害」と見られる記述を見つけたと報告をくれた。松本が無理矢理、フェラチオをさせたという証言だが、そのことを「レイプ」と表現されてはいない。この証言が真実なら、「性被害」とは言えるかもしれないが、なにぶん「証言」しかないので「犯罪」と立証することが難しいだろう。
     担当氏はわしの言い分を分かってくれて、自ら「修正案」を考えてくれた。それは、この編集者は相当に有能だとわしが確信するほどの文案だった。

     その議論の最中に、もしそれが性犯罪ならば、なぜ被害者が「刑事告訴」しないのかと言ったのだが、編集部側が言うには、昔はレイプは「親告罪」だったから、被害者側が「刑事告訴」しなければならなかったが、 現在は法律が変更されて、レイプは 「非親告罪」 になったから、被害者の刑事告訴の有無は問題ではないという見解 だった。
     
     レイプは2017年の刑法改正までは「親告罪」で、それまでは確かに被害者が自ら「刑事告訴」をしなければ事件とはならなかったが、 法改正によって現在は「非親告罪」になっており、被害者による告訴がなくても事件化できる というのだ。
     じゃあ、被害者が何も訴え出ていなくても、警察が週刊文春の記事を読んで自主的に捜査に入り、松本人志を逮捕する可能性があるというのか? もしそんなことがあったら、恐るべき警察国家だということになる。
     実はこの時点で、わしは「親告罪」「非親告罪」についてよく理解していないところがあったため、その先の議論はうまくかみ合っていなかった。
     そこで、後で調べてわかったことをここに書いておく。
  • 「大谷翔平の記者会見を見て」小林よしのりライジング Vol.489

    2023-12-19 17:30  
    300pt
     大谷翔平選手のドジャース移籍記者会見を見た。
     野球解説者やスポーツライターにはそれぞれに言いたいことがあるだろうが、わしはそれらとは全く違う視点で、ナショナリストとしての感想を記しておきたい。
     わしが見てまず驚いたのは、大谷ってデカいんだということだった。
     普段の野球中継だと、他の選手に交じった姿しか映らないので気づかなかったが、記者会見やニュース映像でマスコミや球団関係者と並んでいるのを見て、並みのアメリカ人よりもずっと大きいのがわかった。
     あの大谷の体格を、日米で戦争して負けた時の日本の兵隊たちが見たらどう思うんだろうと、まずわしは思ってしまったのである。
     アメリカとの戦争に敗れた時の日本人は、小っちゃかった。
     歩兵はほとんどが百姓で、田畑を耕しているから、背は低いが足腰だけは強くて、重装備を背負ってものすごい距離を徒歩で行軍することができた。
     日本兵にとっては普通の行軍を、米兵の捕虜を護送する際にやらせたらバタバタ倒れて死んでしまって、それが後に「バターン死の行進」と言われたりしたのである。
     日本人が小さいのは人種的な特徴で、そのハンディを克服するような体格の日本人が登場することはないと思っていたのに、それが現れたのだ。これは戦後の経済発展と、それに伴う栄養状況の改善などによることは間違いない。
     ただ、だからといって、敗戦したおかげで戦後こんないい世の中になれたとか、負けてよかったとかいう話ではない。
     戦争はもう否応もないことで、いいとか悪いとかいう判断でやったり、やめたりできるものではない。負けると分かっていても戦わなければならない時だってあるのだ。
     大東亜戦争では、インテリの学生も特攻隊に志願し、死んでいった。『戦争論』で描いたが、彼らは自分が特攻したからといって、それで戦争に勝てるとは思っていなかった。しかし、負けた後に子孫へ残すもののために、自らの若い命を賭けたのである。
     戦艦大和で出撃した秀才たちも、理知的に考えた結果として、未来の日本の礎になるためと思って散っていったのだった。
     そうして彼らが期待をかけた「未来の日本人」が大谷翔平であれば、英霊たちも皆、その雄姿を見て喜ぶだろうなあと思うのである。
     昭和9年(1934)11月、読売新聞の社長・正力松太郎がベーブ・ルースらメジャーリーグ(当時は「大リーグ」といった)のオールスターチームを日本に招請し、「日米野球」を開催した。
     まだ日本にプロ野球チームはなく、読売新聞が「全日本軍」を編成して対戦したが、結果は16戦全敗と散々。伝説の投手・沢村栄治がベーブ・ルースを三振に打ち取るなど、1失点の好投を見せたのが唯一の快挙だった。
     日米野球終了後の12月、読売新聞は「全日本軍」を中心に「大日本東京野球倶楽部」を設立。後に「東京巨人」と改称、これが現在の読売ジャイアンツのルーツである。
     昭和11年(1936)には大阪タイガース(現・阪神タイガース)や名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)などが設立され、プロ野球リーグがスタートする。しかし、戦前は「早慶戦」に代表される学生野球の方が人気だったらしい。
     その後、大東亜戦争が勃発。戦況の悪化に伴い、昭和19年(1944)にプロ野球は休止となり、そして敗戦。
     野球では全くアメリカに歯が立たず、さらに戦争でも圧倒的な国力の差の前に惨憺たる敗北となってしまった。
     まさかその78年後、日本人がアメリカ・メジャーリーグのナンバーワン選手になるなんて、誰も思いもしなかっただろう。しかも、あのベーブ・ルース以来の二刀流で、ルースを上回る記録を残すなんて、ありえないとしか思わないはずだ。
     戦後だってほんの少し前まで、日本のプロ野球はアメリカ・メジャーリーグとは比べ物にならないほどの、レベルの差があると誰もが思っていた。
     一世を風靡した漫画『巨人の星』では、主人公・星飛雄馬は子供時代から元プロ野球選手の父に、「大リーグボール養成ギプス」という児童虐待としか言いようのない装具を付けられ、野球の英才教育を受ける。
     しかし「大リーグボール養成ギプス」と言いながら、親子の目標は大リーグではなく「巨人の星」をつかむこと、つまり日本のプロ野球のジャイアンツのスター選手になることだった。
     飛雄馬は巨人の投手になり、「大リーグボール」という魔球を投げるが、最後まで大リーグに入るという話にはならなかった。
     漫画でしかありえない物理的に不可能な魔球や、漫画でしかありえない不自然な描写が続出して「荒唐無稽」とも思えた『巨人の星』だが、その作品においてさえ日本人がメジャーリーグに入団するという展開は「ありえない」こととされ、描かれなかったのだ。
  • 「権力者を“権威”にする国葬は必要ない!」小林よしのりライジング Vol.449

    2022-10-04 18:15  
    150pt
     安倍晋三元首相の「国葬」が終わった。
     わしは最初から賛成も反対もしない、無関心という姿勢でいた。政府がやると決めてしまった以上、中止などできるわけもなく、反対を唱えたって意味がないからだ。
     しかしやったことの総括は必要であるし、それにもかかわらず誰も正確な総括をしていないのだから、ここでわしがやっておくしかないだろう。
     そもそも今回の葬儀、一般には「国葬」という表記が多かったが、政府はずっと 「国葬儀」 と言っていた。
     日本では明治以降、国葬は「国葬令」という法律に基づいて行われていたが、 国葬令は戦後失効・廃止され、現在は国葬の基準を定めた法律はない。
     それを全額国費で行うのなら、少なくとも国民の代表である議会に問うべきじゃないかと思うのだが、岸田内閣は閣議決定だけで実行した。
     実際には、現状の制度では国会の関与等の担保が存在しないので、 閣議決定だけでやっても法的に問題はないらしい。
     しかし政府もそれをよく理解していなかったのか、十分な説明もせずに強行した形になってしまった。それで、これではとても「国葬」とは呼べないということで、「国葬儀」という、国葬であるような、ないような、ヌエのような言葉を使ったようにも思える。
      実は、戦後唯一の「国葬」の前例とされていた吉田茂元首相の場合も「法的根拠の不在」を野党に追及され、政府は国会答弁で 「国葬儀」 という言葉を使っており、岸田内閣はそれを踏襲したのだ。
     そういう、国葬なのかそうでないのかよくわからない「国葬儀」を、マスコミも大衆もなんとなく「国葬」と呼んでいたわけで、これはあまりにもいかがわしすぎる葬儀だった。
     それならいっそ、「国葬儀」ではなく「国葬 偽 」という名称にすれば、ことの本質を表現できてよかったんじゃないか? 「偽国葬」なら、もっとはっきりわかったと思うが。
     そんな調子で、最初っからいかがわしさに満ちた「国葬」だったが、そのいかがわしさの中でも最たるものが、一般献花に並んだ人の列の映像だった。
     ネトウヨはこの映像に大興奮、ツイッターでは 「とんでもない長蛇の列、いや、これは大蛇の列です」「サイレントマジョリティの静かな抵抗に涙。日本はまだ大丈夫」 などと、感涙にむせぶ者までいた。
     だが、その参列者の人数は「2万人」だったという。
     わしはそれを聞いて、「なーんだ」と思ってしまった。
     わしがAKBのコンサートを見に行っていた頃は、国立競技場で7万人を動員したりもしていたし、新日本プロレスの東京ドーム大会では6万人入っていたし、その他にもわしはいろんなミュージシャンのスタジアムコンサートなどに行っているから、直観的に「2万人しかいなかったの?全然少ないな」と思ったのだ。
     献花の列が長かったのは、単に行列の管理の仕方がヘタで、一列に並ばせていたからにすぎない。
     2万人を一列で並ばせたら、だらだらとものすごく長くなってしまうのは当然で、普通のコンサート会場ならそんな並ばせ方はしない。何列にも分けて並ばせて、スムーズにさばいてしまう。 「献花会場まで5時間かかった」なんて報道もあったが、コンサート会場でそんなことをやったら、入場できた時にはコンサートが終わってしまうじゃないか。
      しかも、そこに統一協会の動員がかかっていないわけがない。
     安倍晋三は統一協会とズブズブの関係で、それゆえに統一協会を憎む若者に殺されたのだから、統一協会が献花に動員をかけないはずがないということくらい、誰だって考えるだろう。
     だから、本心から国葬に行きたいと思っていた人は、実際にはものすごく少なかったということになる。
     ところが「羽鳥慎一モーニングショー」までが、その映像を流して「すごい行列です!」などと興奮気味にミスリードしていたものだから、馬鹿じみていると思った。そんなに安倍が好きだったのだろうか? 
     そこでわしはブログにこう書いて、ネトウヨを挑発してやった。
    「コミケなら1日10万人が集まるのに、国民の巨額の税金を使ってやった国葬が、たったの2万人か!」
    「巨人戦なら東京ドームに4万人、集まるらしい。
     なのに国を挙げて交通規制して、大騒ぎでやった国葬がたったの2万人とはこれいかに?
     少ないな~~~~~~~~~。」
     するとこれがネットニュースで断片的に紹介され、それがSNSで拡散されて炎上した。反響は賛否が半々というところだったが、激昂して罵詈雑言をわめき散らすネトウヨの反応は、実に面白かった。
  • 「リコール署名偽造の怪」小林よしのりライジング Vol.400

    2021-06-01 19:00  
    150pt
     今回で「小林よしのりライジング」は第400号だそうだ。
     何か400号にふさわしいものをと言われたのだが、何がふさわしいのかよくわからないし、「SPA!」では書かないだろう話題を記録しておこうと考え、通常運行で書くことにする。
     愛知県の大村秀章知事に対する リコール運動の署名偽造事件 は、リコール団体の事務局長ら4人が逮捕されるという事態に至った。
     一昨年に行われた芸術祭・ あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」 で慰安婦像や、昭和天皇の肖像画を燃やす映像が展示されたことに抗議して、ネトウヨ連中がリコール運動を起こしたものの、一般人の賛同がちっとも得られず、署名が全然集まらなかったので偽造したというわけで、やっていることが陳腐すぎる。
     しかも 約43万5千人分の署名のうち8割超の約36万2千人分が偽造 だったというのだから、醜いのに加えて、あまりにも幼稚でバカである。
     このリコール団体の会長を務めていたのが、美容外科・高須クリニック院長の高須克弥で、高須の女性秘書が署名簿指印の不正に関与していたとして警察に事情聴取され、関係会社が家宅捜査を受けている。
     そしてリコール運動に応援団として加わっていたのが名古屋市長の 河村たかし で、高須と共に街頭で署名を呼びかけたりしていたのだが、署名偽造の疑惑が浮上すると、市長選を控えていた河村は高須と距離を置き、 「リコール運動の発案者は自分ではない」 と発言した。
     これに対して 高須は、発案者は間違いなく河村だと激怒し 、 「うそを言うのは許せない」「河村市長の正体がわかって嫌になった」 として、河村とは「絶交する」と表明。これまた醜い様相を呈している。
     高須は 「偽造は知らなかった」 と言う一方、 「全責任は僕が取る」 と言っている。もっとも、具体的にどう責任を取るつもりなのかは全くわからない。
     高須は全身癌で、「人体実験」みたいな先進医療を受けて生き永らえている状態だというから、そんな老い先短い人を批判するのは心苦しいのだが、この人自身が完全なネトウヨで、ネトウヨ業界の巨大スポンサーになって手が付けられない有様になっているのだから、批判しなきゃしょうがない。
     今回のリコール運動も、高須の出した金で行われたことはまず間違いない。そうでなければこんな運動に専任の事務局長らスタッフを置いて、佐賀にアルバイトを集めて36万もの署名を偽造するなんてことをやる資金など、あるわけがない。
     仮に高須が本当に偽造を知らなかったとしても、高須におべっか使って金の世話をしてもらっているような奴らが、のぼせ上って高須の金を使ってやったのだろうから、やはり高須自身の責任も大きいというしかないだろう。
     終末期の「SAPIO」誌はどんどんネトウヨ記事ばかりになっていき、それとともに毎号必ず、高須が上半身裸で大きく写っている高須クリニックのカラー広告が表紙裏などに1ページどーんと載っていて、おぞましくてたまらなかった。
     おそらくそんな調子で、今も高須はネトウヨ雑誌の大スポンサーになっているのだろう。
      花田紀凱編集長の「月刊Hanada」に至っては、昨年 『高須克弥院長熱烈応援号・"愛知のテドロス"大村秀章愛知県知事リコール!』 と題する、単行本扱いの別冊まで発行している。
     その誌面に登場するのは百田尚樹、有本香、竹田恒泰、武田邦彦、門田隆将、小川榮太郎、島田洋一、高橋洋一、長谷川幸洋、岩田温、ケント・ギルバート、デヴィ・スカルノといった、自称保守・ネトウヨオールスターズだ。
     そしてさらに、高須の「わが天皇論」「わが靖国論」や「感動の半生記」なんてものまで載せている。よく恥ずかしくないものだと思うしかないおべんちゃら本まで作って高須を持ち上げ、リコール運動を応援したのだ。
     しかしこんな売れるはずのない本、よく出せたものだ。高須クリニックが出版費用を全額持って作ったんじゃないかという気すらする。
     それにしても、こうまで臆面もなく自称保守たちが高須マネーに寄ってたかって群がってきて、高須をヨイショしている様子がものすごくキモイ。すさまじい下品さだ。
     一体なぜ、こうも下品になるのか。それについては、高須がどうやって大儲けしたのかを見ていけば、なんだか納得がいく。
     高須は、「チンコの皮」で財を成したのだ。
     それまで日本ではあまり行われていなかった「包茎手術」を、一大産業に仕立て上げた張本人こそが高須克弥である。
     そもそも基本的に仮性包茎に手術は必要なく、真性包茎でも不要という見方もある。しかも、実は男性の6割超は仮性包茎で、こっちの方が多数派なのだ。
     歴史的には、江戸時代や戦前には日本にも包茎を「恥」とする感覚があったらしいが、戦後にはそのような意識は薄れ、消え去る寸前になっていた。
     ところが1980年代頃から、男性雑誌に「包茎は恥ずかしい」「包茎は男じゃない」「包茎は不潔」「包茎は女にモテない」といった記事がガンガン載るようになり、「包茎は恥」「包茎は手術が必要」といった価値観が「常識」になっていったのである。
     なぜそんなことが起きたのか? それについて、高須克弥は自らミもフタもなくネタバラシしている。
  • 「地球温暖化の原因はCO2(二酸化炭素)か?」小林よしのりライジング Vo.331

    2019-10-01 20:40  
    150pt
     純粋まっすぐ少女が、国連に出てきて顔をゆがめて居丈高に大人たちを糾弾する演説をしている映像なんか見たら、まずその時点で少なくとも『ゴー宣』の読者ならば、直感的に警戒心が湧くのではないだろうか?
     9月23日、国連の温暖化対策サミットでスウェーデンの16歳の活動家、グレタ・トゥーンベリが各国代表を前に演説を行い、経済成長を優先して温暖化対策の取り組みに消極的だった「大人たち」への怒りをぶつけ、涙ながらにCO2(二酸化炭素)削減を訴えた。
     グレタは昨年8月から毎週金曜日に学校をボイコットして「気候のための学校ストライキ」と書かれたプラカードを手に、国会議事堂の前で座り込みを始め、同様の行動をするようにと、SNSで世界中の若者に呼びかけた。
     その活動は「#FridaysForFuture(未来のための金曜日)」と呼ばれて瞬く間に広がり、今年3月15日の金曜日に行われた「未来のための世界気候ストライキ」には、世界125カ国で100万人以上の学生が学校をさぼって参加した。
     グレタはたった1人で始めた運動を1年足らずで世界規模に拡げたということで、ノーベル平和賞の候補にノミネートされ、TIME誌の「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれている。なおグレタは現在、学校を1年間休学して地球温暖化をアピールする活動に従事しているという。
     国連温暖化対策サミットを前にした、9月20日金曜日の抗議行動は世界160カ国で行われ、参加した学生は400万人以上にも上った。
     ニューヨーク市の公立学校は、デモ参加のための欠席を認める異例の対応を取り、このデモに参加したグレタは 「きょう学校や仕事を休んだとしても、気候変動対策のほうが大切です」 と訴えた。
     「バカ言うな! 学校や仕事の方が大切だ! 日常に戻れ!」と言いたくなるが、『脱正義論』を読んだ者なら分かるだろう。
     ところが、現在マスコミはグレタを大絶賛して英雄扱いしている。
     ただ「若者」であることだけを武器にして、 「あなた方は私たちを裏切っています。しかし、若者たちはあなた方の裏切りに気付き始めています。未来の世代の目は、あなた方に向けられています。」 などと演説し、大人を糾弾するグレタに対して、特に左翼マスコミは惜しみない賛辞を贈るのだ。
     朝日新聞は9月25日の社説でグレタの演説から 「若者はあなたたちの裏切りに気づき始めている。もし私たちを見捨てる道を選ぶなら、絶対に許さない」 の言葉を引き、 「こうした若者たちの怒りを重く受け止めねばならない」 と唱えた。
     NHK「クローズアップ現代+」では9月26日の放送でグレタを特集し、キャスターの武田真一アナが 「グレタさんの言葉に、大人の一人として私も目を覚まさせられました」 なんて言っていた。
     マスコミは、本当に責任持てるのか?
     グレタは11歳の時に地球温暖化への不安から鬱になり、12歳で自らビーガン(完全菜食主義者。肉・魚だけでなく、卵・乳製品も一切摂らない)になり、同じく12歳の時から環境への負荷を抑えるためとして飛行機に乗ることをやめ、国連に出席する際にはCO2排出量ゼロのヨットで15日間かけて大西洋を横断して来た。
     グレタの父はスヴァンテ・トゥーンベリという俳優兼作家・プロデューサー、母はマレーナ・エルンマンというオペラ歌手で、二人とも環境保護の活動家である。
     両親はグレタと共に頻繁にメディアに登場、グレタがヨットでニューヨークに向かう際には父親が同伴。母親は 「娘は空気中のCO2を裸眼で見ることができる」 というイタい発言をしたことがある。
     また、グレタは発達障害の一種である「アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム症)」を抱えている。これは「コミュニケーションや対人関係が苦手」「興味の偏りやこだわりの強さ」「感覚の偏りや動きのぎこちなさ」といった特徴がある障害だが、両親はグレタの発達障害や摂食障害などについても積極的に発言しているという。
     両親がどこまで意図的にグレタを自分の活動に利用しようとしたのかはわからないが、グレタは両親が学校に行くようにと注意しているのに聞かないというし、ビーガンになることを両親にも強要したり、海外公演に行く機会の多い母親にも飛行機に乗らないよう要求したりもしているそうだから、むしろ両親の思惑をも超えた、過激な活動家になっているのかもしれない。
     おそらく両親は、思い込んだら突っ走る性質を持つアスペルガー症候群を抱えた子供に幼少時から「地球温暖化の恐怖」を刷り込んでいたはずで、そのためにグレタは鬱になり、育ち盛りの時に自らビーガンを選んでしまい、そして環境活動家になってしまったのだろう。これは虐待の結果だと言っていい。
     わしは地球温暖化よりも、この娘の将来の方がずっと心配だ。
     ネット上では、グレタについて「胡散臭い」「どう見てもヤバい子供が周りの大人に利用されてる構図」「彼女に必要なのは学校に行く事と適切な治療だと思います」といった、実にごもっともな声があふれているが、マスメディアでは絶賛しか許されない状態になっている。
  • 「山本太郎のポピュリズムは大衆迎合ではない」小林よしのりライジング Vol.325

    2019-08-13 19:30  
    153pt
     案の定、ともに今回の参議院に議席を得て、政党要件を満たした「れいわ新選組」(れいわ)と「NHKから国民を守る党」(N国)を一緒くたに論じる動きが出てきた。
     れいわとN国は全然違うということは、ここではっきりしておかなければならない。
     週刊新潮(8月8日号)は 「衆院選に100人擁立をぶち上げた!『山本太郎』を台風に育てる慄然『衆愚の選択』」 という記事を組み、れいわをN国と一緒に扱って 「参院選で生まれた新しい芽は、所詮は衆愚の選択のたまものであるということか」 と書いた。
     そして「月刊Hanada」編集長の花田紀凱は産経新聞(8月3日)のコラムでこの記事について、 「ここで、『か』は不要。衆愚の選択そのものではないか」 と評している。
     ネトウヨ愚民の雑誌を作っている編集長のくせに、自分を衆愚のひとりとは思いもせずに、上から評論しているのには笑わされる。
      れいわの躍進は衆愚の選択ではない。
     N国の方は衆愚の選択の極致である。
     その違いも見抜けないのでは、その目はフシ穴である。
      そもそも山本太郎には、参議院議員としての6年間の実績に対する信用があり、今回ネットで急に人気が出ただけのN国とは決定的に違う。
     山本のイラク戦争や消費税、原発などに関する発言を見て行くと、具体的な国家像といえそうなものが垣間見える。
     山本が国会で、イラク戦争の際に自衛隊が米兵をファルージャまで運んだじゃないかと追及するのを見たが、あれは素晴らしかった。 そこには、アメリカに追従して侵略戦争にまで加担するような日本ではいけないという国家像があり、それはわしと全く一緒だ。
      消費税廃止の主張は、消費を増やすことによって経済を回していこうという資本主義の考え方であり、これもわしと考えが同じだから支持できる。 消費税を財源に、国税で社会保障をやろうというのはむしろ社会主義的なのだ。
      また原発反対には、原発事故によって国土を喪失してしまったという思いがあり、それもわしと同じである。
      しかも原発問題について天皇陛下(当時)に山本が渡した直訴状は、毛筆縦書きで、使用する紙の質も正式なものだったらしく、これは単なるパフォーマンスではできない。 もしかしたら山本は、かなり保守的な人間なのかもしれない。
     陛下がその後「私的ご旅行」で、足尾銅山の鉱毒被害を明治天皇に直訴しようとした田中正造の記念館を訪れ、その直訴状をご覧になったのは、明らかに山本の直訴状にお応えしてのことだろう。
      小沢一郎が開いた皇統問題の勉強会にわしが呼ばれた時にも山本は来ていて、れいわでは女性天皇・女系天皇を認める方針を明言している。
      さらに、憲法については護憲派ではないらしい。
     全部が理想的に備わった政党なんか出てくるわけがないのだ。ある程度具体的に共感できる国家像を持っていて、なおかつ身障者など社会的弱者を助けようという感覚もあり、バランスが取れているという判断でわしは支持した。
     それを、地上波に乗らず、ネットで人気が出たからというだけの理由でN国と一緒に扱っては絶対にいけない。
     もっとも、日本が韓国に対する輸出管理を強化したことに対して、山本が 「『なめられてたまるか、ぶっ潰してやれ』という小学校高学年くらいの考え方はやめましょうって話なんですよ」「大人になろうぜってことなんですよ」 などと言っていたのはいただけない。これはまだリベラル左翼な気分から抜けきっていないのだろう。
     国と国との約束を守らない韓国をこのまま甘やかすことこそ、大人の態度ではない。 大人の態度=甘やかす態度ではない。むしろ韓国のためを思えばこそ、厳しくすべき時には厳しくしなければいけないのだ。
     こういう感覚が残っていてはまだ全幅の信頼を置くわけにはいかず、用心して見ておく必要があるということは前提として、以下の論を進めていく。
     評論家の東浩紀は、 「れいわ新選組ってかなりポピュリズム的な政党だと思うんです。つまり、『現実に実現できないかもしれないけど、そうなったらいいな』という口当たりのいい政策を使い、かなり劇場型政治を演出して、一気に浮動層をかき集めることがポピュリズムだとしたら、今回のれいわ新選組はまさにそう」 と批判した上で、 「ここでポピュリズムに巻き込まれないでほしいなと僕は思っています」   と警告を発している(J-WAVE『JAM THE WORLD』7月22日)。
  • 「芸人の闇営業や、哀れ」小林よしのりライジング号外

    2019-07-09 14:40  
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     芸人の「闇営業」問題には、可哀そうで気の毒でたまらない思いがする。
     あれを謹慎処分にするなんてことは、しちゃいけない。しかも無期限だなんて、あんまりだ。
     そもそも芸人の間では、事務所を通さない営業は「直(じか)営業」とか、内職をひっくり返して「ショクナイ」とかいって、普通に行われていたことだという。
     なにしろ吉本興業の若手芸人って、事務所を通した仕事では本当に食えないのだ。
     吉本興業には6000人の所属芸人がいるが、お笑いで食えているのはほんの一握り。
     現在、吉本の芸人になりたい者はまず吉本が運営する吉本総合芸能学院(NSC)に入るが、NSCを卒業しても吉本芸人として身分が保証されるわけではない。
     NSC東京校の場合、卒業生は劇場でネタバトルランキングを行い、客の投票でギャラがアップしていくシステムとなっている。
       ギャラが出るのは上位190組で、それ以下はノーギャラ。しかもギャラが出るといっても、最底辺のランクでは1ステージ500円だという。
     1日放送のテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」で証言した元芸人の場合、1ステージ500円で、しかもトリオだったから1人がもらえるのはわずか167円。横浜の自宅から渋谷の劇場まで行っていたから、交通費が往復1100円かかり、一度ステージに立つごとに933円の赤字だったという。
     そのうえ吉本には所属芸人が山ほどいるので、ライブは1カ月1回、60秒しかチャンスがない。そこで勝てば3分とか、月3回とか出られるようになり、吉本社内から注目され、仕事やオーディションの声がかかるようになるが、それまでが過酷だという。
     しかもそこを乗り越えたとしても、若手芸人は月10~15本のライブをこなしても月収2万円程度で、とても食っていけるわけがなく、飲食店アルバイトなどで生活費を稼ぐしかないという。
     ところがこの話が放送されたら、現役の芸人がツイッターに「そういう『ぬるい』情報を流すのはどうかと思う」「俺ならもっと厳しい現実を言える」と書いたというから、実際にはどこまで暗黒が広がっているのか想像もつかない。
     テレビ等のギャラの、芸人と所属事務所の配分は通常「5:5」か「6:4」で、良心的な事務所だと「7:3」という場合もあるが、吉本の若手はなんと「1:9」だという。
     実際、ある程度売れている若手でも、同じ程度の芸歴の人の同じ程度の仕事のギャラを比べたら、吉本よりも他事務所の方が何倍も高いということなどザラだそうだ。
     それを「ケチモト」とか、「ピンハネじゃなく『ピンクレ』だ」(ピン=1割をかすめ取るのではなく、1割しかくれない)とか言ってネタにもしていたのだが、もうさすがに笑い事では済まなくなっている。
     わしにも新人漫画家だった時代はあるから、そういう話を聞くと身につまされる思いがする。
     わしは幸いにもデビューしてすぐ「週刊少年ジャンプ」で連載が決まったものの、その時は大学を出たてで全くお金がなかった。原稿料は作品が雑誌に載ってから1カ月くらい経たないと入らないので、生活費も底をついて、ついにはバイトをしながらじゃないと描けないという状態になってしまった。
     そんな時に編集者から「次のコンテをなぜまだ送ってこないのか」と催促の電話が来たので、素直に「バイト先を探していたもので」と言ったら編集者がびっくりして、連載も始まっているのにバイトなんかやられちゃ困る、専属契約にして契約金を払うから描き続けてくれということになり、それで原稿料とは別に50万円が入ってきて、安心して執筆に専念できるようになったのである。
     わしはその時の50万円がそれまで見たこともない巨額の大金に思えて、仰天したものだ。昭和50年(1975)のことで、当時の大学初任給が平均89300円だったというから、給料約5カ月半分。現在の価値に換算すると90万5000円くらいに相当するらしいが。
     専属契約金は2年目以降、100万円、150万円と上がっていった。
     その代わり専属契約だから集英社以外の出版社では一切描けず、それが後々には嫌でたまらなくなってきた。連載が終わっても他社の雑誌に移ってすぐ次の連載を起こすということはできず、集英社の雑誌からお声がかかるのをじっと待っていなければならないのだ。
     それで、わしはもう勝手にどこででも描きたいと思って専属契約を打ち切り、少年画報社の「週刊少年キング」で連載を始めたのだった。
     吉本興業は最低限の生活保証もせず、あれほど酷いギャラしか払わないのに、それで若手芸人はどうやって食っていけばいいんだ?
     バイトで生活するにしても、芸人はいつ仕事が入るか分からないから、拘束時間が決まっている普通のバイトはなかなか出来ない。
     そうなると若手芸人が直営業をやるのも無理はない。拘束はないし、基本的にギャラは高い。新人でも相場は最低3万円、運がよければ、テレビのギャラならM-1優勝芸人クラスに相当する10万円以上になる。しかもそれが事務所を経由しない「取っ払い」でもらえるとなれば、それは手を出して当然というものである。
     そもそも吉本興業には契約書すらないのだ。契約を交わしていないのなら、事務所と関係なくどこでどんな仕事をやっていても、法的に何の問題もないはずではないか。
     いまでは食えない芸人の窮状もある程度知られているから、今回の「闇営業」に関しては、売れていない芸人に対する風当たりはそれほど強くはなく、もっぱら売れている雨上がり決死隊の宮迫博之と、ロンドンブーツ1号2号の田村亮が矢面に立たされている。
     ただしこれにも事情があるようで、闇営業の仲介をしていたカラテカの入江慎也は人の懐に入って恩を売るのがものすごく上手いらしく、明石家さんまでさえ「俺、入江には世話になっているから、入江に頼まれたら俺も絶対に行っていた」と、参加した芸人たちに同情を示していた。
     そう考えれば、行かなくても食えるのに後輩のために闇営業に行って、特に激しく叩かれて仕事を失った宮迫と亮も、かなり気の毒という気がしてくる。
  • 「正しい宗教のつくりかた」小林よしのりライジング Vol.320

    2019-06-25 20:55  
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    ●わたしの先生
    「溶田研究会にご寄付をしてくださったみなさま、本当に、本当にありがとうございました。厚く、厚く、御礼申し上げま……あっ、溶田先生」
    「今日の練習かい? 偉いなあ。鶴見さん、よろしく頼むね。きみはこの溶田研究会の期待の星だよ。素直で真面目な良い子だし、きみのような若い女の子は、ただ存在するだけでいいぐらいだ。溶田研究会のアマテラスだね」
    「そ、そんな、畏れ多いです。先生、昨日配信の溶田宗泰チャンネルも拝見して勉強させていただきました。今日は先生のお役に立てるよう、精一杯がんばります!」
     楽屋前の廊下で緊張して立ち尽くし、挨拶の練習を繰り返していた私をわざわざ励ましに来てくれたのは、尊敬する溶田宗泰先生だった。旧皇族の溶田家に生まれ、日本と皇室についての著書をたくさん出版している溶田先生は、多数のテレビ出演をこなしながら、国史や伝統文化を学ぶ「溶田研究会」を主宰し、全国で講演活動を行っている。私は研究会に参加して学ぶ一女子大生に過ぎないが、今日は先生の講演の場で、特別に挨拶の時間を任されることになった。壇上で大勢に向かって話すのははじめてのことで、昨夜は緊張で眠れていない。
    「あれ、目が充血してるぞ? 鶴見さんはがんばり屋だからな。僕ね、きみを一番評価しているんだ。リラックスしていこうね」
    「は、はい!」
     四角い眼鏡の奥でやわらかく微笑みながら、先生が一歩こちらへ近づき、私の左肩にそっと手を置いた。先生がこんなに近くにいて、私に触れている――!
     その途端、先生の触れた部分から痺れるような熱い電流が走り出すのを感じた。それは渦を巻いてたちまち全身をかけめぐり、脳の隅々の神経細胞から手足の指先まで細密にゆきわたって、私の内側を感激の恍惚でいっぱいにした。
     なんてことだろう、旧皇族の溶田宗泰先生が、歴代の天皇の血を引く御方が、いま私の体に触れている。そして、私だけを見て微笑んでいるのだ。ここには溶田先生と私だけがいる。先生は、私が緊張でよく眠れていないことに気づいてくれた。一緒にこの会場へやってきた両親ですら言ってくれないことを、すぐに悟ってくれた。やっぱり先生は普通の人じゃない。そんな普通じゃない凄い人に、私は評価されているなんて。
     大地から浮き上がるような感覚だった。胸がいっぱいになり、涙があふれ出そうだった。
    「溶田先生、まもなくお時間です」
     呼び掛けるスタッフのほうを振り向き、壁の時計を確認した先生は、右手でさっと眼鏡の位置を整えると、表情を引き締めて舞台袖へと向かっていった。
     なんて素敵なんだろう。勉強会でもテレビでも、私は先生の横顔を見るのが好きだった。大きな下顎と立派に突き出た喉仏。そこには男性としての強さと逞しさが宿っている。けれども決して粗暴なイメージはなく、全体の佇まいは上品そのもの、時に激しく、時に相手を説き伏せるように、とめどなく繰り出される知識もやはり旧皇族としての凄さを感じさせた。
     生まれも育ちも私なんかとはまるで違って、本来は同じ空間にすらいられない人のはずだ。そんな人が気さくに励ましてくれる。それどころか、肩に手まで置いてくれる。そんな溶田先生のために、今日はがんばらなければ。
     ほどなくして、「君が代」の前奏が流れだした。溶田研究会開幕の合図だ。
  • 「運動のなれの果ての狂気」小林よしのりライジング Vol.302

    2019-02-05 20:15  
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     わしは「運動」が大嫌いである。
     ここでいう「運動」とは、「体育・スポーツ」の「運動」ではない。
    『広辞苑』でいえば4番目の意味で、 「目的を達するために活動すること」 。つまり 「社会運動」 とか 「市民運動」 とかのことである。
     わしは特に、ある政治的主張を掲げて、なんらかの団体行動によって圧力をかける行為を「運動」と認識している。
     右派の運動だろうと、左派の運動だろうと、わしはこれには常に警戒感を抱いている。
     ところがわしは、どういうわけだかすぐ運動に関わってしまう。どうやら、そういう体質を持っているようだ。
     大学の時は、学生運動に関わりかけた。
     きっかけは学費値上げ反対運動だった。友達に貧乏で服が買えずに、いつもジャージで過ごしている奴がいたものだから、このうえ学費が上がったらそいつがかわいそうだと思ったのだ。
     そもそも、どんどん学費値上げをして、新しい校舎を建てたりする必要があるのかと素朴に思ったし、当時は文部省が「期待される人間像」なんてものを提唱していて、我々を権力が資本家にとって都合のいい人間に改造しようとしているのかと、反発を覚えてもいた。
     デモに参加するとブラックリストに載せられて、就職に不利になってしまうので、みんなタオルとヘルメットで顔を隠していた。ところがわしはそんなダサいことをすることが嫌で、普段の恰好のまま加わっていたから、デモの中で目立ってしまって違和感ありすぎだった。
     だが実は「学費値上げ反対」は、別の運動に引っ張り込むための入り口で、デモをしていると、他にどんどん違うシュプレヒコールが上がってくる。そして、次は佐世保に原子力潜水艦が入港するから、反対運動をしようとか誘われるようになった。 
     わしはそのうち、何なんだ、これは? という感覚になってきた。漫画家になる前に本を読むため大学に来たのに、なんでデモなんかやっているのだと思い、 「個の確立が先だ」 と運動から手を引いた。そして読書と漫画制作に没頭し、雑誌に投稿を続けて、漫画家になったのである。
     薬害エイズ訴訟の支援運動は、原告の少年たちが仕事場にやって来て頼まれてしまったから、かわいそうになって、これは「情」の問題だということで始めた。
     けれどもこのとき運動に加わった学生たちは、自分はこれで完全に正義の側にいると信じ、正義に酔いしれ、それがなくなったら、自分のアイデンティティが揺らぐというくらいの感覚にまでなってしまった。
     その有様を見て、わしはもうこれはあかんと思い、国の謝罪を勝ち取り、裁判の和解が確実になったことを見極めた上で、これで運動は終りだ、「日常に戻れ!」と唱えた。
     そうしたら猛反発を受けたので、徹底して運動というものを総括しておかねばダメだと、『脱正義論』を描くことになったのだった。
     ところがそんなことがあったのに、わしはその直後に「新しい歴史教科書をつくる会」の運動に参加した。
     これは西尾幹二に誘われたのだが、その時は『ゴー宣』で慰安婦問題について描いていたので、なんでこんなに自虐史観で自分の国を貶めることに血道を上げているんだという怒りが、まずわしの中にあった。
     わしの祖父はそんな悪人じゃなかったし、戦争に行って大変な苦労をしたのに、なぜその世代が、まるで犯罪者だったかのように蔑まれなきゃいけないのかという憤りが出発点で、これもまた、祖父の世代に対する「情」の問題である。
     それで、完全に分断されてしまった祖父の世代と孫の世代を繋いで、 「死者の民主主義」 を達成しようと、歴史教科書運動に参加したのである。
     ただし、この時には薬害エイズ運動の教訓があるから、読者を運動自体に参加させることはせず、常に 「よき観客になれ!」 と釘を刺しながらやっていた。
     歴史教科書については、主に「採択」に関して運動が必要となった。
  • 「反知性ワードに動揺する弱い個じゃダメだ」小林よしのりライジング号外

    2018-11-13 18:10  
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    『戦争論』を出版して20年、これまで左翼から何回 「ネトウヨの生みの親」「歴史修正主義」 という言葉を浴びせられたかわからない。
     だが、そもそも本当に『戦争論』がネトウヨを生んだと言えるのか、「歴史修正主義」とはどういうもので、それに『戦争論』が該当するのかといった根拠を論理的に示した上でこの言葉を使ったケースには、まだ一度も出会ったことがない。
    「ネトウヨの生みの親」も、「歴史修正主義」も、根拠もなくただネガティブなイメージだけを刷り込むための「思考停止ワード」である。
     言ってみれば子供が「お前の母ちゃんデーベーソ!」と叫んでいるのと何一つ変わらない、論理を完全に放棄した 「反知性ワード」 なのである。
     ネトウヨもネトサヨも全く同じで、誰かを攻撃しようとしたら、ものすごく単純な「思考停止ワード」のレッテル貼りをする。
     ネトウヨはわしを含めて気に食わない相手には、誰彼構わず「サヨク」だの「チョーセン人」だのという「思考停止ワード」を浴びせて罵倒する。ただ、特にわしに対して「ネトウヨの生みの親」や「歴史修正主義」のように攻撃力のあるワードは編み出していないから、ネトサヨよりもネトウヨの方がもう一段レベルは低いのかもしれない。
      なぜ右も左も思考停止ワードを使うのかというと、それは、論理では戦えないからだ。
      どっちも知性ゼロで、論理では絶対に勝てないから、根拠のない負の言葉を貼り付けて軽蔑し、イメージダウンを図るという手段しか取れないのだ。
      ところが世間の人間というものは不思議なことに、こんな単純な手段にいとも簡単に引っかかるのである。
     そのレッテルは正しいのだろうかと疑問を持つ者もいない。それじゃあ小林よしのりという人は、実際にはどんなことを言っているのだろうと自分で確かめてみる人もいない。
     ただ、小林よしのりとはそんな言葉をぶつけられて、軽蔑されている人なのかと思うだけなのだ。
     いくらこっちが論理で説いても、右も左も議論から逃げ、ただ悪いイメージがつく反知性・思考停止ワードを貼り付けるだけという攻撃をしてくる。
     そもそも「ネトウヨの生みの親」という言葉は、朝日新聞が何度も使った。
      朝日新聞がそう言えば、その言葉のみで、左翼は『戦争論』を読みもせず、何も考えもせずに、そういうものだと結論付けてしまう。
     かつてシールズの学生と対談したら、いきなり面と向かって「ネトウヨを生み出したことを謝れ」と責めてきたが、この学生は『戦争論』を読んでもいなかったはずだ。
     実はその対談には、シールズの学生がもう一人参加する予定だった。そのツイッターを時浦が追跡したところ、その学生は対談前夜、律儀にも『戦争論』を読んでいたが、読んでみて、これはとても勝てないと怖気づいた様子で、当日ドタキャンしていたそうだ。
      どんなにネガティブな単語を貼り付けられようと、わしが何を主張しているのかを理解している本当の読者ならば、そんなものに動揺するはずがない。
     右も左も、わしの読者のことを 「小林よしのり信者」 と呼ぶが、これなんかはまさにネガティブイメージを貼り付けるためだけの反知性ワード・思考停止ワードである。
      ところが実際には「信者」の単語に動揺して、そうは言われたくないと思ってしまう人が出てくる。
     ゴー宣道場の門下生にも「自分は信者じゃない」と言い出す人がいるのだが、実はそれはもう、その時点で罠に嵌っているのだ。