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  • 「断言主義から放言主義へ」小林よしのりライジング Vol.152

    2015-10-20 19:00  
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     90年代前半、『ゴーマニズム宣言』がヒットし始めた時、真っ先に注目されたのは、その 「語り口」 だった。
     人にどう思われようが、自分の思うところをズバリと「断言」するスタイルは、当時としては非常に斬新なものだったのだ。
     それは、自ら意図したことでもあった。
     なにしろわしが『ゴー宣』を始める当時は、 「価値相対主義」 の時代であり、「ポストモダン」の時代だった。絶対的価値はない、価値判断から逃げるべきであるという風潮が主流だったのだ。
    週刊SPA!平成4年(1992)1月22日号に載った連載第1回では、わしは 「日本人はまったく自分を主張せん!」「謙譲の美徳にかくれてはっきりモノを言わん態度をとりたがる!」 と批判し、 「自分の考えをゴーマンかませ!」 と檄を飛ばすことから始めている。
    「傲慢」だの「たかが漫画家が」だのというバッシングが来るのも想定のうちで、それでもかまわず表現の自主規制問題から部落差別、オウム事件、薬害エイズ事件、従軍慰安婦問題から歴史認識問題と、その当時誰も手をつけようとしなかった事柄について次々発言し続け、様々な反響を巻き起こしながら現在に至っていることは、古くからの読者には周知のことであろう。
     だが、そんな「ゴーマニズム」の語り口がウケると、いつの間にか似たような物言いが増えてきた。
     そして気がつくと、今や「断言調」の語り口は世の中に氾濫している状態である。
     世間一般の目からすれば『ゴーマニズム宣言』の小林よしのりの語り口も、よくある「断言調」の物言いのひとつで、そう珍しくはないものに映っているのではないか。もしかしたら、むしろその中ではまだおとなしい方に見えているかもしれない。
      何しろ、一般大衆の多くは「語り口」しか見ていない。その「断言口調」で何を言っているのか、発言の内容まで深く吟味しようとは考えない。
      どんなに間違ったことだろうと、全く無責任な放言だろうと、明らかな嘘八百だろうと、とにかく強硬に「断言」さえしていれば、スゴイと思われるのだ。
      その発言が批判を受け、しかもその批判が正当で、発言が矛盾していることが暴かれていても、開き直って破綻した主張を「断言」し続ければ、批判に屈しない信念のある態度だとして人は喝采するのだ。
     だから、安倍晋三の人気は落ちないのである。
     安倍晋三は、安保法案の審議において「断言」を繰り返した。
    「戦争に巻き込まれるということは絶対にないということは断言したい」
    「徴兵制が敷かれることは断じてないと明快に申し上げておきたい」
    「専守防衛が基本であることにいささかの変更もない」
     この「断言」は、オリンピック招致の際のあの発言を思い出させる。
    「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」
    「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている」
    「健康に対する問題はない。今までも、現在も、これからもない」
    「東京にはいかなる悪影響を及ぼしたことはなく、今後も及ぼすことはありません」
      いずれの「断言」も何一つ根拠がなく、明らかな大嘘である。そしてそのことは散々指摘され、批判を浴びているのに、それが大して安倍のダメージにはならないのだ。