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記事 2件
  • 「伊藤詩織著『Black Box』事件全容一覧」小林よしのりライジング Vol.304

    2019-02-19 20:50  
    150pt
     ジャーナリストの伊藤詩織さんが実名で顔を出してレイプ被害を訴えたのち、出版された『Black Box』(文藝春秋)。
       この本のなかで、詩織さんをレイプしたとして描かれているY氏は、捜査の末に逮捕状が発布されたにも関わらず、逮捕当日に警視庁上層部からの鶴の一声で「逮捕中止」の“恩恵”を受けている。Y氏は安倍晋三、麻生太郎らと個人的に非常に近しい間柄であり、その様子はY氏本人が出版した『総理』(幻冬舎)につぶさに描かれた。
    ■公私ともに総理と親しいY氏
     
    『総理』(幻冬舎)より抜粋
     7月26日、私は逆風の渦中にあった安倍と東京・富ヶ谷の私邸でじっくり話す機会があった。白いサマーセーターにチノパンというくつろいだ姿でリビングルームのソファに腰かけた安倍は――
     またしばらくの沈黙の後、今度は安倍が口を開いた。
    「お通夜に行くんだけど、一緒に行かないか?」
    「もちろんです。ありがとうございます」
     富ヶ谷の安倍の自宅で待ち合わせをして、安倍の車で中川(昭一)の東京・世田谷の自宅に向かった――
     麻生と安倍。私は何度となく3人で食事をし酒席をともにした。この経験を通じて断言できるのは、永田町広しといえどもこの二人ほど、いわくいいがたい独特かつ特別な関係は見たことがないということだ――
    「本年4月より8%の消費税を国民の皆様に(…中略)」
     安倍は本番さながらに、私に向かって語りかけた。目の前で、現職の総理が解散を宣言している。私はまるで自分が、官邸1階の記者会見室にいるような錯覚にとらわれた――
     翌日日本に向かう政府専用機の機内で安倍が麻生と協議した末に増税時期を最終決断するという段取りになっていた。しばらく考え込んだ安倍は、
    「Yちゃん、ちょうどいいからさ、麻生さんが今何を考えているかちょっと聞いてきてよ」
     これは大変なことになったと私は思った。解散と増税をめぐる、総理と財務大臣の腹の探り合いを私に仲介しろというのだ――
     
     Y氏が出版した『総理』(幻冬舎)には、Y氏が第一次安倍政権退陣後、辛酸をなめている間もずっと安倍に寄り添いつづけた様子とともに「復活を遂げ生まれ変わったスゴイ安倍首相」がたっぷりと描かれている。
     私邸で会う仲であるだけでなく、安倍に誘われて一緒に中川昭一氏のお通夜に出向き、意見を出し合って戒名をつけたり、民主党政権時に起きた東日本大震災で、安倍に誘われて一緒に東日本大震災へ支援物資を運びにいったりと「公私ともに」密着している間柄だ。2014年の「消費増税先送り解散」の際には、前夜に同じホテルに宿泊していた安倍晋三と麻生太郎それぞれから、気楽に部屋に呼びつけられ、それぞれの部屋を往復して、首相秘書官よろしく「首相見解」と「財務大臣見解」の綿密な伝令役まで果たしていた。
    ■「ストップを掛けたのは警視庁のトップです」
     一方、伊藤詩織さんの『Black Box』では、Y氏との生々しい会話やメールでのやりとり、その時の詩織さんの心情とともに、最初に相談した高輪署の刑事の対応、意識がなくなった詩織さんを抱えて部屋に連れ込むY氏が映り込んだホテルの防犯カメラの映像、その際に二人を乗せたタクシー運転手の証言、ホテルの部屋を掃除した記録などひとつひとつ「犯行」と「Y氏の嘘」の証拠を積み重ねてゆくも、逮捕状の執行が止められてしまうという一部始終が記録されている。
  • 「平成のわし、活躍しまくり」小林よしのりライジング Vol.303

    2019-02-12 22:35  
    150pt
     平成って、わしがすごく活躍した時代だったのよ、知ってる?
     先日は保守思想誌「表現者クライテリオン」が「平成の小林よしのり」でインタビューに来たし、今度は西日本新聞が「平成の小林よしのり」でインタビューに来ることになっている。
     それで意識したのだが、平成は、小林よしのりの時代だったのだよ。
     そういえば『おぼっちゃまくん』のテレビアニメ放送開始は、平成元年1月15日だった。
     1989年1月15日のスタートは前年から決まっていたのだが、昭和天皇の御病気で全国を上げての自粛ムードになってしまい、こんなアニメが放送できるのかと危ぶまれた。
     そして昭和64年(1989)1月7日、昭和天皇崩御。
     これはもう放送延期もやむなしかと思っていたら、その後、自粛ムードは予想外に早く解消して、1週間後には世の中の雰囲気もほぼ平常通りに戻り、放送は予定通り開始された。
     そんなわけで、決して意図してそうなったわけではないのだが、『おぼっちゃまくん』は「平成最初のテレビアニメ」となったのだった。
     思えば、手塚治虫が死んだのが平成元年2月9日。手塚は昭和3年生まれだったから、ほとんど昭和と共に生まれ、昭和と共に逝ったようなものだ。
     手塚治虫の昭和が去り、小林よしのりの平成が来た…なんて言ったら、さすがに言い過ぎか?
     その平成も、再来月いっぱいで終わりを迎える。
     そんなわけで、今回は平成のわしの活躍を、年ごとに振り返っておこうと思う。なお、登場する人物の肩書等はすべて当時のものである。
    平成元年(1989)
      テレビアニメ『おぼっちゃまくん』放送開始。
     この年、わしは『おぼっちゃまくん』で第34回小学館漫画賞児童向け部門を受賞した。
     しかし審査員の老漫画家が講評で 「絵は下手だし品はない」「次回からはヒットしているとか、アニメになったとか関係なしに選びたい」 とボロクソ言ったためにブチキレて、受賞スピーチで 「絵が下手で、品のない漫画を描いて漫画賞をもらった小林です。この漫画賞の汚点になるかもしれないのに、わしの作品に賞を与えてくれた審査員の勇気に感謝します」 と皮肉をかました。
     これはかなりの問題になったようで、次回から審査員は総入れ替えになった。
      
    平成2年(1990)
     アニメが大ヒットとなり、『おぼっちゃまくん』を描きまくっていた。
    「コロコロコミック」は月刊誌だが、本誌の他に別冊、増刊にも描いていたし、コロコロの初代担当編集者が移動していた関係で「小学4年生」でも連載、他にも「少年サンデー」や、コロコロの妹雑誌「ぴょんぴょん」(というのがあったらしい)に出張掲載したこともある。
     時はまさにバブル絶頂期で、『おぼっちゃまくん』は完全に時代を捉えていた。
    平成3年(1991)
     この年も『おぼっちゃまくん』を描きまくっていた。
     そして『おぼっちゃまくん』のヒットによって、『東大一直線』をはじめとする過去の作品が続々と新装版で出版されていった。
     一方、 月刊誌「宝島」でも、『おこっちゃまくん』というタイトルの見開き2ページのエッセイ漫画を描いていた が、編集者が作品を全く理解していないので、嫌になって自分で連載を打ち切った。
     すると、「週刊SPA!」の渡邊直樹編集長が「うちで描いてほしい」と言ってきて、これが『ゴーマニズム宣言』につながる。
    平成4年(1992)
      年明けから「週刊SPA!」で『ゴーマニズム宣言』の連載開始。
     スタート時は隔週2ページだったが、評判が良く、11回目から毎週連載になった。
     他愛ないエッセイ漫画的な内容も多いが、後の『差別論』の原点といえる『差別だらけの社会を糾弾せよ!』『青春の差別』はすでにこの年に描いている。
     また、編集者の企みで薬害エイズ訴訟の傍聴に出かけ、怒りでブチキレそうになったという心情も描いている。
     一方で『おぼっちゃまくん』も、1回50ページ・前後編の長編エピソードを描くなど、表現の幅を広げていった。