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記事 2件
  • 「三種の神器に見る日本の国柄」小林よしのりライジング Vol.312

    2019-04-23 22:55  
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     今回が、平成最後の「小林よしのりライジング」となる。
     天皇皇后両陛下は三重県伊勢市へ、在位中最後となる地方ご訪問をされた。
     伊勢神宮で天照大神に退位の報告をする「神宮に親謁の儀」を行うためで、勅使ではなく 天皇自らが伊勢神宮に赴き、退位を報告するのは史上初 のことだという。
     この際、皇居にある 「三種の神器」 のうち剣と勾玉が持ち出され、侍従が移動の際に神器の入ったケースを捧げ持っている様子や、天皇陛下の伊勢神宮参拝の際に、陛下の前を剣、後ろを勾玉の入った箱を捧げて歩いている様子がテレビ等に映されて、世間の関心を呼んだ。
    「三種の神器」とは、「八咫鏡(やたのかがみ)」「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」をいう。
      八咫鏡の本体は伊勢神宮に 、 草薙剣の本体は熱田神宮にあり 、 皇居の鏡と剣は「形代(かたしろ)」と呼ばれる分身である。
     分身というのは「レプリカ」とか「複製」とか言われることが多いが、「模造品」というわけではない。
     例えば小さな神社は大きな神社から祭神の分身を勧請して創建される。大国主命は出雲大社の御祭神だが、全国の多くの神社も大国主命を祀っている。しかし、だからといって出雲大社が祀る大国主命だけが本物で、他が「模造品」というわけではない。大国主命は出雲大社にも、他の神社にもいるのだ。
     それと同じことで、 神器の分身も本体に準ずる神器なのである。
     三種の神器のうち八咫鏡は、天皇の祖先である天照大神の魂を宿した、別格に重要なものとされており、滅多に動かされることはなく、 皇居の鏡は天照大神を祀る祭殿「賢所(かしこどころ)」の奥深くに安置されている。
     一方、剣と勾玉はセットで 「剣璽(けんじ)」 と呼ばれ(「璽」は勾玉のこと)、 常に天皇と共にあるものとされ、普段は天皇のお住まいである御所の寝室の隣の「剣璽の間」に置かれている。
     天皇即位の際に最初に行われるのが 「剣璽等承継の儀」 で、天皇が代替わりするとまず剣と勾玉が引き継がれる。また、古くから剣璽は災害や戦乱から天皇が避難する際にも、必ず一緒に移動していた。
     源平合戦の際にも、源氏に追い詰められた平氏が8歳の幼帝・安徳天皇と共に都を逃れた時には三種の神器を擁しており、壇ノ浦の戦いに敗れた時、 安徳天皇は剣璽を収めた箱と共に入水したのだった。
     この時、勾玉を収めた箱は海上に浮かんできたところを回収されたが、 剣は水没し、ついに発見されなかった。 それは熱田神宮の本体ではなく形代だったが、以降二十数年間、宮中では剣が不在となった。
     そしてその後、 順徳天皇の夢に神示があり、伊勢神宮から贈られた剣を新たな形代とすることになった。それが現在、皇居に伝わる剣である。
     このような古くからのしきたりに従い、戦前は天皇が一泊以上の行幸(外出)をする際には必ず剣璽も一緒に移動していた。これを 「剣璽動座」 という。
     敗戦後、昭和天皇は人々を励ますため全国御巡幸を始めるが、昭和21年6月、初めて一泊することになった千葉県巡幸の際には剣璽を伴わず、それ以降、剣璽動座は中止された。
     天皇の「神格性」を否定するGHQの方針を受けて、当時の侍従長が「天皇の神格性と、人間天皇として行う地方巡幸は分けて考えた方がよい」と考え、さらに巡幸先で剣璽を安置する場所を確保するのが困難という事情もあって、昭和天皇の許しを得て決定したのだった。
     その後、神道界を中心に剣璽動座の復活を求める運動が起こり、昭和49年(1974)、伊勢神宮の式年遷宮後の参拝で復活、以降、 伊勢神宮参拝に限って行われることになった。 そのため、今上陛下の即位のご報告と、平成に2回行われた式年遷宮後の参拝の際も剣璽動座が行われ、この度の退位報告でも踏襲されたわけである。
     今回の剣璽動座によって「三種の神器」に対する関心が高まり、テレビのワイドショーなどでも「三種の神器って何?」といった番組が組まれたが、4月18日放送のテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」での東大教授・本郷和人の解説は危うかった。
     そもそも本郷の専門は中世史で、天皇や皇室に対してはそんなに詳しくなく、この日の説明もかなりあやふやだった。
     例えば八咫鏡について、本郷は「鏡は、ちゃんと、皇居の内侍所(ないしどころ=賢所の別名)っていう、女官の人たちがお守りするところに安置されてるの。だからもう二つである、勾玉、それから剣は外に出るんだけど、鏡だけはちゃんと、同じところに置いてあるんですね」と説明したが、これに対して羽鳥に「鏡って、でも、伊勢神宮にあるんじゃないですか、形代っていうのが皇居にある」と突っ込むような形で聞かれると、 「今の解釈だとそうですね。今の解釈だと、伊勢神宮にあるのが本物」 と答えた。
     明らかに予想外の質問に対応できず、いい加減なことを言って取り繕ったのだ。「今の解釈」って何だ? そうじゃない解釈だった時があるのか!?
  • 「『悩みのるつぼ』で更なる“悩みのるつぼ”に」小林よしのりライジング Vol.290

    2018-10-23 15:15  
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     朝日新聞の土曜「be」版に、『悩みのるつぼ』という人生相談コーナーがある。これがなかなかインパクトのある相談と回答の宝庫で、読み物としてひそかに楽しみにしている。
     好きな男から月に1回ほど、相手が会いたい時にだけ「今から指定の場所へ来い」と呼び出されて応じるような関係を17年間続けているという30代の女性相談者に対しては、よりにもよってあの岡田斗司夫が、
    「あなたの悩みは質より量だ。彼の恋人としての品質ではなく、会う量を増やしたいだけ。そして、呼び出されないあなたは、ヒマで困っているのだ。その男は会う量を増やしてはくれないのだから、あなたがヒマを埋める趣味を作るのがいい」
    などと理屈をこねくりまわして回答していた。
     朝日新聞って一体どういう人選してるんだと首をひねりつつ、岡田斗司夫って、自分の女たちにも、面と向かってこんなこと言ってきたんだろうと呆れた。(参照:もくれんの「ザ・神様!」第49回『御宅王岡田斗司夫之命』)
     また、美輪明宏を回答者に指名したゲイの男性相談者は、自分の彼氏にはかねてから「子供が欲しい」という希望があり、また親から説得されたこともあって、自分の反対を押し切って女性と見合い結婚して子供を作ってしまったという。それでも今でも隠れて会い続けており、これからも会って欲しいと言われているが、彼の妻に嫉妬してしまい、苦しんでいるとのことだ。美輪明宏はこう答えていた。
    「あなたは彼に惚れ足りていない。彼と会いたい、抱き合っていたいというのはただ孤独を逃れたいという自分本位の欲望にすぎない。彼の妻に嫉妬するのは、自分本位である証拠。自分だけでは彼を満足させられず、子供も産めないのだから、彼の子供を産んでくれた妻に感謝して、彼が幸せならいいと思うのが愛だ。それに気づかず突き進めば、ただのウザいストーカーになり、重荷になって嫌われる」
     覚悟がないなら、醜い感情に堕す前に身を引けということだ。男女の関係にも言えると思う。
     相手の男も調子の良すぎる奴だと思うが、相談者も、自分だけでは相手は満足していなかったという現実は受け入れなければならない。
     ただ、このケースの場合は、美輪明宏が言うから通るのであって、異性と結婚して子供のいる人が同じことを言えば、「子供も産めないとはなにごとか!」「LGBT差別だ!」と怒り出す人が現れそうだ。世の中、いろんな人がいる。
     そして、直近の『悩みのるつぼ』10月20日(土)には、これまた驚きの悩みと、目をむく回答が掲載されていた。