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記事 10件
  • 「陰性証明でディストピアを」小林よしのりライジング Vol.402

    2021-07-06 20:00  
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     新コロ騒動の話題の中心はワクチンに移ってしまい、SPA!で連載中の『コロナ論4』シリーズでも、危険なワクチン(遺伝子改変剤)に対して警鐘を鳴らすことに重点を置かざるを得ない状態になっている。
     だが、その一方で見逃せない、忌々しき事態も進行しているので、今回はそれを書き留めておく。
     尾﨑会長がAIBOと相談して決めたのかどうかは知らないが、東京都医師会は先月末に新宿・歌舞伎町で飲食店の客や従業員を対象に、入店前に新型コロナの抗原検査をするという実証実験を行った。
     対象者はまずスマホにメールアドレスと顔写真を登録し、自分で両鼻に綿棒を突っ込んで検体を採取し、提出する。
     検体はその場で検査され、15分ほどすると結果がスマホに届く。陰性であればその画面が「陰性証明書」となって店に入れるというのだが…
      そんな店、絶対に、嫌だ!!
     何が悲しゅうて、飲食店に入るのにいちいち自分で左右両方の鼻の穴をグリグリやって提出して、15分も待たされて、「無害」の「お墨付き」なんかもらわにゃならんのだ!
     コロナウイルスが吸着するACE2受容体は腸に一番多いのだから、ケツの穴に綿棒突っ込んで検査すればいいのだ。
     しかも陽性が出てしまったら新宿区の病院を紹介され、今度はPCR検査で長い綿棒を鼻の奥まで突っ込まれて、再度陽性が出たら隔離されるというのである。
     こんなことが本格的に実施されてしまったら恐ろしいとわしは思うのだが、飲食店の側はこれで安心して営業ができると喜んでいる。
     だったらわしは歌舞伎町になんか絶対行かんぞと思ったのだが、ことは歌舞伎町だけで収まるものではないらしい。
     医師会はこの実験の結果を踏まえ、この夏の本格導入を目指すそうだ。問題はコストで、この実験では一人3000円ほどかかったそうだが、これを公費負担として財源を確保できれば、本格展開ができるという。
     また、新型コロナ担当の西村大臣もこれを 「非常に有効な手段」 と評価し、 「飲食店に対しての対策、さらには今後のイベントの対策。そうしたものに、生かしていければと考えています」 と述べている。
     本当にこんな 「陰性証明」 なんてものを国が制度として採用したりしたら、全国どこの飲食店に入るにも検査を受けなければならなくなるし、おそらくその対象は飲食店だけには留まらないだろう。
     もしも映画館にも適用されたら、映画ひとつ見に行くにも鼻グリグリしなきゃならず、下手すりゃ何の症状もなくても病院送りにされて、最悪の場合は隔離だ。そんなことになったらわしは映画も見に行けなくなる。
     これはもう、ありとあらゆるところに対象が拡大される可能性がある。デパートなどの商業施設、遊園地や動物園などの娯楽施設、イベントやスポーツの会場、図書館、美術館や博物館、そのほか公共施設など、なんでもかんでもだ。
     飛行機はもちろん、新幹線なんかも対象になるかもしれない。そうなりゃわしはもうどこにも行けない。「ゴー宣道場」の全国展開もままならなくなってしまう。全くムチャクチャだ。本当に自由がなくなってしまう!
     しかも陰性証明の有効期限は12時間だというから、これが導入されてしまったら、どこかに出かけるとなったら毎日でも、場合によっては1日2度でも検査を受けなければならないのだ。
     羽鳥慎一モーニングショーでこの話題が紹介されると、玉川徹は 「お酒を出さないとか、店を閉めちゃうとかよりずっといいですよ」 とコメントした。
     玉川はこれで調子に乗ったのか、最近あまり言わなくなっていた 「検査をできる限り拡大し、陽性者を隔離すべき」 という意見を再び強調し始め、感染していない者だけで経済を回すべきだなどと、またもや言うようになっている。
     何度も言ってきたように、 「検査」と「隔離」はセットである。
     全く無症状の感染者まで一人残らず検査で洗い出して、隔離しろなんていう狂った思想はもう潰したかと思っていたのだが、全然死んでいなかった。何かきっかけがあれば、いとも簡単に復活してくる。それが怖いところだ。
     どこへ行くにも 「陰性証明」 が必要になり、いちいち検査しなければならないとなれば、当然、隔離される人も今までとは比べ物にならないほど増えてしまうということになるだろう。もちろん、陽性者に対する差別感情もはるかに増大することになる。それでいいのか?
  • 「【公共の福祉】と【ワクチンパスポート】」小林よしのりライジング Vol.397

    2021-05-11 16:40  
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     5月3日・憲法記念日に開催したゴー宣道場「憲法は今、生きているか――コロナ禍、自衛権、天皇」は緊急事態宣言の最中とは思えないような大盛況となり、議論自体も大成功だった。
     中でも最大の収穫は、日本国憲法におけるキーワードのひとつといえる 「公共の福祉」 には、大変な問題があると知ったことだった。
     日本国憲法では、 国民の基本的人権は 「公共の福祉に反しない限り」 保障される と規定されている。
     人権は無制限に保障されるものではなく、「公共の福祉」に反する場合は制限してもいいことになっているのだ。
     この「公共の福祉」という言葉は、あまりにも当たり前のように条文に書いてあるので、これが憲法における人権の捉え方のスタンダードであるかのように思い込んでしまっていたのだが、それは全くの誤りだった。
     ゲストとして登壇した慶応義塾大学教授・ 横大道聡氏 は、この日最も重要な指摘をした。
      国連の規約人権委員会は、日本国憲法が人権を制約する根拠を「公共の福祉」としかしていないことに対して、制約が拡大する危険があり、もっときちんと細かく書くべきだと、連続して指摘しているというのだ!
     国際的な人権条約や、国連が「及第点」としている国の憲法では、表現の自由はこういう場合にしか制限できないというように、それぞれ条件を細かく書いており、 全ての人権を「公共の福祉」のひと言で規制している憲法というのは、実は極めて珍しい のだそうだ。
     日本のマスコミは、国連から「日本の刑事制度は遅れている」というような指摘を受ければすぐニュースにするが、憲法の「公共の福祉」が問題だと指摘されても一切報道しない。憲法学者も、みんなこのことは知っているそうだが、誰も言わないという。デタラメな話だ!
      コロナ禍においては、レストランで酒も飲めないわ、デパートも映画館も閉鎖されるわと、ありとあらゆる人権の制限が「公共の福祉」のためのひと言で正当化されてしまっているが、それは全く異常なことだったのだ。
     横大道氏は、もしも自分がロースクールで教えている学生が答案に「人権は保障される、ただ『公共の福祉』による制約がある、今回はコロナだから『公共の福祉』で制約する、ハイ終わり」なんて書いてきたら、落とすはずだという。
     ところが現実には、そんな状況がまかり通っているのだ!
     では、こんな状態を国会議員はどう考えているのだろうか?
     この日は、自由民主党衆院議員・稲田朋美氏と、国民民主党衆院議員・山尾志桜里氏の2名にリモート出演していただいた。
     ここでは以前から「立憲的改憲」を主張し、これまで何度となくゴー宣道場にご登場いただいている山尾氏の発言を追ってみよう。
     山尾氏は横大道氏の話を受け、 緊急事態宣言の発令に「国会の承認」を必要としないことを、多くの国会議員が問題視していない と言った。
     そしてその理由は、国会の承認が不要であれば、宣言を出すか出さないかという難しい判断をしなくて済むからで、後で宣言を出してよかったという結果になれば「よかったね」と言えば済むし、宣言を出したのがやりすぎだったとか、足りなかったとかになれば、後から政府を批判すればいいと思っているからだという。
     とんでもない無責任だが、それについて山尾氏は、説明責任を政府や分科会の尾身会長に押し付けるのではなく、国会議員の一人一人が厳しく責任を負うことが、緊急事態の中で自由を確保するために大事であり、「国会承認」に関する議論はもう一度しっかりやり直すことが不可欠だと主張した。
     この山尾氏の発言を受けて 泉美木蘭 さんが、「やりすぎたら後で批判しておけばいいと思っている」というが、 実際には「やりすぎたら後で批判」するということすら行われていない と指摘した。
     そして、あまりにも曖昧な「公共の福祉」の下で無茶な制約をやりすぎたために、学校に通えなくなった子供が精神的に追い詰められて自殺に追い込まれたり、女性が仕事を失って急にホームレスになってしまったり、あるいは演奏会など文化活動も出来なくなって、自分の生きがいを失ってしまった人がたくさんいて、既に甚大な被害が出ており、 働かなくても大丈夫な人や、家にいても給料がもらえる人の人権しか守られていない と批判した。
     そしてさらに、 学校が閉鎖されるとどんなことが起きるか、派遣で働いている人たち、飲食店やサービス業で働いている人たちがどんな目に遭っているのか、精神的にどういう影響が起きるかということを事細かく挙げていくことが公共の福祉とは何かを考えることになるはずで、そういうことを国会議員の方には議論していただくよう切に望む と発言し、これには大きな拍手が沸いた。
  • 「火星人襲来」小林よしのりライジング Vol.359

    2020-06-02 23:20  
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     人間は進歩も進化もしないと事あるごとに言ってきたが、新型コロナに関する騒動においても、全く同じことを言わざるを得ない。
     今回は、そんな思いを強くさせる82年前の出来事を紹介しよう。
     1938年10月30日夜、全米で少なくとも100万もの人々が、 「火星人が来襲して、米国各地で壊滅的な被害が出ている」 と信じて恐怖に駆られ、数千人がパニックに陥った。
     事の発端はこの日午後8時、ニューヨーク・CBSをキー局に放送されたラジオ番組「オーソン・ウェルズのマーキュリー劇場」だった。
     この番組は『第三の男』や『市民ケーン』などで知られる俳優オーソン・ウェルズが主演のラジオドラマで、その日放送されたのはSF作家の始祖、H・G・ウェルズ原作の『宇宙戦争』だった。
     原作の『宇宙戦争』は、1898年に発表された宇宙人侵略モノの元祖というべき小説で、その後の様々な作品に大きな影響を与え、1953年に映画化、2005年にはスティーブン・スピルバーグが再映画化している。
     巨大な流星に乗って来襲した火星人が、強力な機動兵器に搭乗して問答無用の破壊と殺戮の限りを尽くす。火星人のマシンは地球のいかなる近代兵器による攻撃も一切通用せず、熱線を発射して地上のあらゆるものを焼き払っていく。そして絶望的な大惨事の末、もはや地球人の命運もこれまでと思われたその時、奇跡が起きる…というストーリーである。
     古典中の古典だからネタバレを書いてしまうが、火星人は免疫を全く持っていなかったため、地球人には何の害も及ぼさないような細菌に感染して、全滅してしまったのだ。何となく、現在起きていることにリンクしているような感じもする話である。
     問題の番組は、原作をラジオ向けに大胆に脚色していた。
     ラジオの音楽番組の最中、突如放送が中断され、臨時ニュースが入る。火星の表面に異変が確認されたというのだ。
     その後、放送は一旦音楽番組に戻るが、再び中断してニュージャージー州グローバーズミル近郊に巨大な隕石が落下したというニュースを速報する。
     そして現場に急行したアナウンサーの眼前で、隕石と思われた巨大な円筒から怪生物が現れ、さらに攻撃兵器が現れて熱線を放射する。絶叫が響き、アナウンサーは火の海の中で必死の実況を行うが、突如音声は途切れる。
     その後は、スタジオに刻々と入って来る惨劇の情報や、米軍の指揮官の話、科学者の見解、政府の内務長官の談話の中継など、臨時報道番組の形でドラマは続き、途中で実況アナの焼死体が確認されたとの速報も入る。
     これを聞いて、本物のニュースと思い込んだ人々がパニックを起こしたのだ。
     現存するシナリオを読んでも、なかなか凝った作りでよく出来ている。放送日がハロウィンだったので、制作側にはハロウィンの「Trick(イタズラ)」のつもりもあったらしいのだが、まさかパニックが起きるとは夢にも思わず、こんな荒唐無稽な話は聴取者が途中で飽きてしまうんじゃないかと懸念していたという。
     番組では最初に「オーソン・ウェルズのマーキュリー劇場、今晩はH・G・ウェルズ原作『宇宙戦争』です」とはっきり言っているし、途中に1回CM休憩が入るし、休憩の前後と番組の最後でも、これはドラマだと断っている。
     しかも、1時間の番組で隕石の落下から火星人の全滅までを描いているから、リアルなニュースにしてはあまりにも展開が早すぎるし、攻撃中の米軍機と基地との交信の会話まで入って来るし、ちょっと考えれば不自然だとわかるはずだった。というより、「火星人来襲」なんて聞いた時点で、本気にする方がおかしいというものだ。
     それなのに、パニックは起きたのである。
     社会心理学者ハドリー・キャントリルは、こんなありえないことでなぜこれほど大規模なパニックが起きたのかを解明しようと、放送直後から135人の聴取者に詳細な聞き取り調査を行い、1940年に著書『The Invasion from Mars』を出版。同書は社会心理分析の古典となっている(日本語版・高橋祥友訳『火星からの侵略』金剛出版刊)。
     同書は、当時の様子をこのように記している。
    「番組が終わるかなり前から、米国全土の人々が、祈り、泣き叫び、火星人から殺されまいと必死になって逃げ出し始めた。愛する人を助けようと走り出す者もいた。別れを告げたり、警告するために電話をかけたりする者、近所の人々 に知らせに走る者、新聞やラジオ局に情報を求める者、救急車やパトロールカーを呼ぶ者もいた。」
     なぜこのようなことが起きたのかについては、当時から様々な理由が考えられていた。
  • 「公が狂うとき」小林よしのりライジング Vol.358

    2020-05-26 20:05  
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     わしは「個と公」をテーマに『戦争論』を描き、「公」の重要さ、「公共心」の大切さを訴えた。
     その主張は今も変わっていないが、ただし現在は、ここに大きな注意を加えておく必要がある。
     それは、 「『公』は狂うことがある」 ということだ。
      今は日本中、「自粛」「STAY HOME」が「公」であり、たとえ緊急事態宣言が解除されても、新型コロナを恐れて決して気を緩めず、なるべく外出を控え、「ソーシャルディスタンス」を保つことこそが「公共心」のある行動であるということとされている。
     政治家から、学者から、芸能人から、一般人まで、誰もがこぞって「家にいよう、大切な人のために」などと唱え、それこそが常識であるとまで信じ込んでいる。
      だが、わしはそんなものは全く「公」だとは思っていない。 日本においてはインフルエンザよりもはるかに弱い新コロなんかを恐れて自粛して経済を止めてしまうのは愚の骨頂であり 、外出して消費して経済を回すことこそが「公」だとずっと主張している。
     ところが今は、そういう行動はあたかも公共心に反することであるかのように、 「自粛警察」の取り締まり対象にされるような「公」が形成されてしまっているのである。
     金沢市の市会議員が、新コロに感染・入院し、退院した後の自宅待機中にパチンコ屋に行ったとして、市民から糾弾された。
     その市議は今月7日に退院し、医師から2週間の自宅待機を命じられていたが、その期間をあと2日残した19日に、休業要請の出ているパチンコ店に行ったという。
     自粛警察の総本部であるテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」は21日の放送で、女性リポーターが市議本人に電話取材して「吊し上げショー」を行った。
     市議は若い頃からパチンコをたしなんでいるといい、その日は客としてではなく「視察」に行ったものの、店内がガラガラで大変厳しい状態になっているのを見て、たまたまポケットに5000円札が一枚あったので、せっかくだからと打ってしまったと、実に苦しい釈明をした。
     女性リポーターは嵩にかかって「今後議員辞職する考えはないんでしょうか?」と質問し、市議はひたすら反省の弁を述べ続けた。
     番組では何の疑いもなく、 新コロに感染していた者が自宅待機中にパチンコに行くなど言語道断であり、それを糾弾することが「公」に適うと信じている様子だったが、もしもその「公」が間違っていたらどうなるのか?
      これがインフルエンザを発症した人だったら、治った後にパチンコ屋に行ったところで、誰も一切非難などしなかったはずだ。
     それが新コロならこんな大騒ぎになるということは、 新コロ感染者はたとえ治っても、危険人物視されるという差別が存在しているのではないか?
     医師からの自宅待機指示を破ったというが、PCR検査で2回連続陰性だったから退院しているはずで、その時点でもう治っているのに、 さらになお2週間も自宅待機せよという医師の指示は明らかにおかしい。
     医師も医師としての判断ではなく、世間の差別感情におもねった指示を出したのではないだろうか?
     もっとも今回の場合、それが「市議会議員」でなければ、単に新コロの元感染者がパチンコをしただけでは、こんな騒ぎにはならなかったはずだ。
     ということは、 この騒ぎの本質は、「公務員」である市議が、県の自粛要請を無視して営業していたパチンコ店に行って、パチンコをしたことがいけないということだったのだろうか?
      だが、そもそも「パチンコ屋は営業自粛せよ」という公の要請そのものがおかしかったらどうなるのか。公務員というものは、間違った公にも従う義務があるのだろうか?
     今は自粛が「公」であって、自粛することこそが「公共心」のある行為であるという認識が、世間の大多数の感覚になってしまっている。
      だがそれは後世になったら「間違った公」だったと評価されるかもしれないし、必ずそうなるとわしは確信している。
     公務員ならば自粛に従わなければならないと無条件に思っていること自体、本当はおかしい。 公務員は「これは本当の公ではない、今の公は間違っている」と告発したっていいはずだ。
      公務員が「集」に埋没せず、「個」が強ければ、国や自治体が決めたこの度の「公」は狂っていると主張することも可能だろう。
     もっとも件の金沢市議のおっさんにそんなことはできないし、それを望むべくもない。そこまでの自覚もなく、ただパチンコがしたいという「私心」を抑えられなかっただけなのだろうから。
    「公務員は、間違った公にも従うのか?」
     これは本当に難しい問題である。
  • 「コロナはまだ流行していなかった!? 迷走モーニングショー」小林よしのりライジング Vol.357

    2020-05-19 22:15  
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     テレ朝『羽鳥慎一モーニングショー』が、いま、揺れに揺れている。
     5月15日(金曜)の放送は、まずはいつもの流れで「PCR検査体制が甘い」「緊急事態宣言の解除の基準が甘い」「専門家会議の見解が甘い」と次から次へと文句をつけはじめることからはじまった。流れのなかで、岡田晴恵教授が何気なくこう発言した。

    「(新規感染者数は) 夏は上がりようがない と思うんですね」
    「本番は秋冬の大流行が来るか来ないかですから、ここで良くなったなとか、終わりなんだなとか、そういう風にはあまり考えない方がよろしいかと思います」 (岡田晴恵)
     夏は上がりようがない。つまり 「自粛解除後の6月以降に大きなリバウンドが起こり、感染爆発となって指数関数的に感染者数が上がるなんてあり得ない」 という見解を、岡田教授は、はっきりと表明してしまっているのだ。
     だが、「だから安心していつも通りの生活を送りましょう」とは言わない。 「コロナの恐ろしさはこんなもんじゃない。これで終わったとは思うなよ」 という暗雲漂う未来をうかがわせて次回作へとひっぱる、「to be continued..」的な手法で、秋冬の感染爆発と、それに乗じた 『玉川とコロナの女王2』 に向けた意欲を燃やしたのだった。
     だが実はこの日の未明、テレ朝よりも早く、TBSが「独自入手」として驚くべきニュースを報道していた。厚労省と日本赤十字社が協力して、4月半ばに行い、公表を予告していた抗体検査の結果だ。『モーニングショー』では、パネル解説のさなか、午前9時になってスタジオ内に情報がもたらされた。
    『速報:抗体検査、東京の陽性率0.6%』
     生放送中の出演陣に、にわかに動揺が走った。
     この検査は、献血協力者の血液を利用するため、「市中の健康な人の中で、どれほど感染が進んでいるか」を知る目安になるものとして待たれていた。結果は、0.6%。検査キットの精度や、検体数がまだ少ないという前置きはつくものの、 ほとんど感染が広がっていなかった ということがうかがえる。
     2月半ばからつい先ほどまで、3か月間に渡って 「市中感染がかなり広がっているはずだが、PCR検査が絞られているので全貌がわからない」「肺炎死の中にたくさんのコロナ死が紛れている」 などと、陰謀論にまぶした恐怖をさんざんばら撒いてきた岡田教授は、この速報を見て、咄嗟にこう発言。

    「かかった人が0.6%ということは、99.4%の人がかかってないということになります。ですから、 まだ流行が来てない 、と」
     おおおおーーーい! 脳内どないなっとんねん!
     これまで岡田教授が唱えつづけ、「PCRシーヤ派」と「自粛警察」の教義となり、人々を委縮させてきた 「人を見たらコロナと思え」 は、一体なんだったの? むしろ「人を見てもほぼほぼノー・コロナ」、検査数を絞ってきたこともぜーんぜん問題なし! という話になっているじゃないか。
     こんなもののために、店舗を休業させ、倒産させ、文化を消滅に追い込み、人々の活力を奪い、絶望させ、自殺者まで出しているわけだが、岡田教授は自身のオオカミ熟女っぷりについて、一体どうお考えなのでありましょうか? 
     このとき、私の脳裏には、これまでの番組出演者たちの数々の発言が走馬灯のようによみがえっていた。

    「隔離期間をもっと伸ばす。2週間じゃ不十分」「極力別居する」(倉持仁)

    「どこかひとつの子供専用の隔離施設を作る」「物流の人が感染しているかも」(浜田敬子)

    「全国民に週1回ずつ、3回PCR検査を行って陽性者を隔離すればいい」
    「感染者が公共交通機関を使った場合、法律で罰することが必要」(玉川徹)

    「4月10日の時点で東京の実効再生産数が0.5だったなんて、僕ら市中に暮らしてる人間の危機感とは合致しない」(石原良純)

    「1億3000万人、いっぺんに検査して陰性と陽性を分ければ、一番の解決策になる」(長嶋一茂)

    「誰が見ても、PCRを増やすことに反対するという人はいない」(吉永みち子)
     こ、これはもしや、1カ月間つづけてきた私の「モーニングショーいじり芸」のエンドロールなのか!?
     と思いきや、さすがのコロナの女王、打たれ強い……というよりも、打たれるような芯がなかった。おもむろに、ある図の前に立つ。
  • 「吉田豪という臆病者」小林よしのりライジング Vol.356

    2020-05-12 20:30  
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     人の本性というものは、いざという時に露呈するものだ。
     普段愛想よく近づいてくる人がその腹の底で何を考えているか、頼みもしないのに洗いざらいぶちまけてしまう場面など、わしは何度も目撃している。
     新型コロナ(新コロ)をめぐる出来事――ここでは「珍コロ騒動」で定着しそうだが――でも、絵に描いたようなパターンに嵌った者がいる。
     新コロに関するわしの意見に対して、書評家・プロインタビュアーの吉田豪がツイッターやネット番組で無茶苦茶な非難をしているという話は耳に入っていたが、わざわざチェックするヒマもないので放っておいた。
     吉田はわしにも何度もインタビューをしていい記事も書いているし、わしの雑誌「わしズム」のレギュラー執筆者でもあったから、見て見ぬふりで済ませてあげてもよかったのだが、言っていることがあまりにもひどいという報告も入って来る。
     それでその発言内容を聞くと、実に典型的な、ある種の人間の思考パターンが暴露されていて面白くなってきたので、ちょっと分析しておこうと思う。
     吉田豪は4月12日、こんなツイートをした。
     
     この切り取り方に既にかなりの悪意があるのだが、これが5000以上リツイートされてちょっとした「炎上」となり、 「ゴーマニズムじゃなく、デマゴーグ宣言のお粗末。」 とか 「万一、自分が罹患してもこういう軽口が叩けるのでしょうか…。」 とか、吉田に焚きつけられてわしを非難するコメントが殺到した。
     そして4月20日、吉田はネットの生放送で、雑誌編集者・フリーライターの久田将義と、わしの新コロ論をボロクソに罵ったのだった。
     久田は実話雑誌の元編集長で、ゴシップ、犯罪、アウトロー等々を扱い、「日本の裏社会をえぐり出す!」と標榜しているライターだ。
     吉田豪も、「アンタッチャブル」な存在と思われているような人まで直撃してインタビューを取るのを得意としており、二人とも「怖いもの知らず」や「男臭さ」を売り物にしている物書きである。
     ところがこの日の放送は、二人がそれぞれの自宅にこもって会議ソフト「Zoom」で話すという「テレワーク対談」で、画面は薄暗いわ、音声はプチプチ途切れるわで、ものすごく見苦しいものになっていた。
     しかも、ふたりともどうやらずっと外出せずに自粛生活をして疲れ切っている様子で、表情には全く精彩がなく、吉田などは憔悴しているようにも見えた。
     
     もうこの光景が、爆笑である。
     わしは新コロなどインフルエンザよりも怖くないと確信しているから、ネット生放送の『オドレら正気か?』でも泉美木蘭さんと密閉空間で、「ソーシャル・ディスタンス」なんてクソくらえの至近距離で濃厚接触してしゃべりまくっているし、泉美さんも全くそれを気にもしていない。
      ところが吉田と久田は、新コロが怖くて怖くて家から出られず、いつもつるんで話している相手と顔を合わせることすらできないのだ!
     わしは世の中が、いくら自粛が善だとか「うちにいよう、大切な人のために」とか言おうと一切無視してマスクもせずに普通に外出している不良だが、こいつらは普段からアウトローを気取っていたくせに、今はあろうことか、小池百合子なんかの言いつけに黙って従っておとなしく「STAY HOME」している、従順なよいこちゃんに成り果てているのだ!!  

     番組ではまず吉田が「SPA!」4月14日号掲載の『ゴー宣』の上のコマのわしのセリフを読み上げ、そして言った。
    「だから、高齢者は、死んでもいい。しょうがないっ!寿命だしっ!ってね。それよりも、経済を回そうというね、話をしていて」
     そんな乱暴な言い方はしていないことは普通に読めばわかるはずだが、吉田はまず、わしがとんでもない暴言を吐いたかのようなイメージ操作から始める。
     その上で吉田は、わしが 「命よりもまずはお金」 という考えだと決めつけた上で、こう言ったのだ。
    「怯えるよりもまず経済という発想になっていくとね、老人どうせ死ぬんだしという発想になって、この発想の先って、障害者は別にね、救わないでも(いい)みたいな発想と同じじゃないですか、これ。経済的な意味がないなら(死んでもいい)、みたいな発想になっちゃうから、それはやっぱり怖いなと」
     吉田豪がここまで幼稚だとは思わなかった。これは「命VS経済」の問題ではない。経済が落ち込めば確実に自殺者が増える。経済も人の命なのだ。ところが吉田はそんなことすら一切理解できず、わしが「津久井やまゆり園」事件の植松聖死刑囚と同じことを言っていると思い込んでいるのだ!
  • 「PCR検査=隔離って意味あるか?」小林よしのりライジング Vol.355

    2020-05-05 20:25  
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     新型コロナの緊急事態宣言は、今月末まで延長されることになってしまった。
     そこには何の科学的根拠も必然性もない。ただただ恐怖に駆られた大衆の作り出す「空気」に逆らえなかったからで、その恐怖を煽って来たのはマスコミ、特にテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」であり、その罪はあまりにも大きい。
     その羽鳥モーニングショーの今朝(5月5日)の放送には驚いた。
     番組ではパネルでこのグラフを示して、日本はPCR検査の数が少ないと政府を責め立てたのだ!
     
     だが、このグラフで注目すべきところは、「日本の検査数の少なさ」ではない!
    「日本の死亡者数は、圧倒的に少ない」 というのが最大のポイントだ!
      他の国は、PCR検査数が日本よりはるかに多いにも関わらず、日本よりもケタ外れに死亡者が多い。
      PCR検査数を増やしても、死亡者を減らせるわけではないのだ!
     このグラフが語っているのは、そういうことだ。
     専門家会議も、 「PCR検査数は各国と比較して明らかに少ないが検査陽性率は十分に低く、潜在的な感染者をより捕捉できていないというわけではない」 と言っている。単純に検査数を増やせばいいというものではないのである。
      極端な話、PCR検査なんかしなくても、死亡者さえ増えなければいい。
     感染者を完全に捕捉する必要はない。感染しても8割は軽症・無症状で、重症者を含め、感染者の8割は他人にうつさないのだから、医療は重症者に特化して、死亡だけ防げばいいのだ。
     それなのに番組では、日本のPCR検査数が少ないということだけを躍起になって糾弾した。
     コメンテーターの玉川徹は、いつものごとく居丈高に「がっかりしましたね」と吐き捨て、自分たちは2月からPCR検査数を増やせと言っているのに、専門家会議は検査数を増やせない言い訳しかしていない、言い訳なんか聞きたくない、どうすれば検査数を増やせるかを聞きたいんだとまくしたてた。
     PCR検査数を増やすことだけが絶対真理の信仰になってしまい、このグラフを見ても 「日本の死亡者数は少ない」「他国はPCR検査数が多いのに、死亡者が多い」 ということが全く頭に入らないのだ。
      PCR検査数と死亡者の抑制には関連がないということを認めたら、玉川は自分の絶対信仰が崩れてしまうのだ!!
     完全に「PCR真理教」と化した番組では、コロナの女王・岡田晴恵も、他のコメンテーターも日本の圧倒的な死亡者数の少なさについて一切言及せずにひたすらPCR検査の拡充を訴え続け、わしはその姿に悪寒がした。
     少なくとも日本では、新型コロナはインフルエンザよりも弱いウイルスである。 5月5日時点で感染者数は1万1968人、死亡者数は521人。 (厚労省発表)。 インフルエンザの年間感染者数は約1000万人、死亡者数は直接死で約3000、間接死を合わせて約1万人 だから、依然として及ぶべくもなく、こんなものに過剰に反応して、経済に壊滅的打撃を与えるなんて愚の骨頂と言うしかない。
     ところが、マスコミがこんな「弱毒性ウイルス」を「罹ったが最後、周囲にうつしまくって死に至る悪魔のウイルス」であるかのように煽り立て、恐怖に駆られた大衆がパニックに陥り、マスクやトイレットペーパーや食料品を買いあさり、「政府はなぜ緊急事態宣言を出さないんだ!」と騒ぎまくった。
     安倍政権は経済への影響を考慮して緊急事態宣言の発令には慎重だったが、同様に慎重姿勢だったはずの小池百合子東京都知事が、東京オリンピックの延期が決まるやたちまち豹変、ここがチャンスとばかりに大衆に迎合して、緊急事態宣言を出せと政府を突き上げた。
     大衆の不安に付け込んで、とにかく強硬そうな姿勢さえ見せれば支持率は上がるという現象を見た各地の知事もこれをマネして政府を責め立て、ついに政府は4月7日、緊急事態宣言の発令を余儀なくされた。
     それから1か月、ゴールデンウイークの稼ぎが丸ごと消失して瀕死の店や企業がどれだけあるか、想像するだけでも恐ろしいのに、それでも緊急事態宣言は延長されることになり、テレビではそれに「反対する人はいない」と平然と言っている。狂気の集団自殺全体主義社会の出現である。
     実際には、わしの他にもホリエモンなど、延長に反対の人はいるのだが、そういう人にはネットの 「自粛警察」 の連中が寄ってたかって大バッシングを繰り広げている。自粛警察は街に繰り出し、まだ営業している店があると110番通報したり、店に嫌がらせの貼り紙を貼ったりと、手の付けられない有様だ。
     どれもこれも、マスメディアが 「まだ終わってない! まだ怖い! 自粛続行! 従わない奴は非国民!」 という空気を作り出してきたからである。
     そして前述のように「羽鳥慎一モーニングショー」が、毎日毎日狂気の信仰で 「徹底的にPCR検査をして、陽性反応者を隔離しろ」 と繰り返した。
     4月30日の放送では、玉川徹がなんと、 「全国民に毎週1回のPCR検査」 を実施せよという、驚異の提言をしていた。
  • 「指数関数的にトンデモ大爆発中の『モーニングショー』」小林よしのりライジング Vol.354

    2020-04-28 17:35  
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     借金が1000万円ほどあった頃、私はふたつの選択肢を考えた。ひとつは、いままでの部屋に住みながら高収入の風俗店で働いて、生活を維持しつつ借金を早期に完済すること。
     もうひとつは、家財道具を売り払ってマンションを引き払い、やや給料の良い住み込みの仕事をしながら、細々と借金を返していくこと。「給与」「まかない」「寮の充実」などの面で当時の私がピックアップしたのは 「パチンコ屋の住み込み」 と 「旅館の仲居さん」 だった。
     結局、「自分はまだ20代前半だし、とにかく短期間で爆稼ぎして仕切りなおしたほうがよい」と考えたので、高収入のほうを選んだ。
     そういう経験があるので、ギャンブル性や依存症だけをクローズアップして、ここぞとばかりにパチンコ屋を目の敵にする人々や、観光地を休業させろと平気で訴える人々を見ると、「底辺の苦労を知らずに生きられて、いい御身分だなあ」と思う。
     都会のパチンコなんて、どう見ても坪単価の高い場所にあるし、どんどん新台を入れ替えてものすごい経費を使って営業しているのだから、サイクルを止めたら、たちまち超莫大な資金ショートが起きる店もあるのではないだろうか。現在見直しが検討されているようだが、風営法の兼ね合いで融資の対象から除外されているなど、裏事情もあったようだ。
     世の中はいろんなものが絡み合って複雑にできているものだと思うが、名もなき人々の辛苦などつゆ知らず、『羽鳥慎一モーニングショー』は、 《新コロ怖い怖い商法》 を指数関数的に大爆発させている。
     4月27日(月曜)の放送では、東北新幹線・山形新幹線の自由席で「乗車率0%」が出ていること、日本航空・全日空で運行が「約9割減」になっていることなどを取り上げた。昨年のゴールデンウイークは10日間で国内旅行人数2400万人、消費額8836億円だったそうで、観光地の受ける大打撃を想像すると、恐ろしい。
     だが、『モーニングショー』の出演者たちは、そんなことは痛くも痒くもないらしい。岡田晴恵教授は「補償を~」と判で押したような言葉を消え入りそうな声で付け足し、玉川徹氏は、スーパーやゴミの回収業者、医療関係者に力いっぱいの敬意を表したあと、こう言った。

    「そういう仕事についていない人ができることと言ったら、 一生懸命休むこと ですよね。休みだから遊びに行くんじゃなくて、休めない人がいるってことも考えて、 休むことが仕事だ というぐらいに思った方がいい」 (玉川徹)

    「休める我々、休めるサラリーマンは、それだけで幸福なわけですよ。一生懸命休まなきゃ」 (玉川徹)
     右肩上がりにスゴイ。玉川氏は、世の中には「休めるサラリーマン」と「休めないライフライン関係業者」しかいないと思っているらしい!
     しかも「休める我々」とか連帯感を醸し出しておきながら、自分はちゃっかり休むことなく毎日テレワークで働くことができる、超高給取りの大企業の社員である。自分だけは稼ぎながら、8836億円が蒸発するGW期間中、その陰で苦渋をなめさせられる人々のことは一切無視して、平気な顔で「休め」と言う。ただただ消費者としての視点しかないのである。
    「休むことが仕事」なんて、 「子どもは寝るのが仕事」 とか 「赤ちゃんは泣くのが仕事」 とか言っているのと変わらない。全国放送で、よくそんな幼稚なことを言えるなあと驚く。
    『モーニングショー』は、感染2学会がとっくに 「軽症例には基本的にPCR検査を推奨しない」 という考え方を公表しているにも関わらず、いまだにそれを隠蔽しており、 《PCRやれやれ真理教》 の布教につとめている状態だ。
     そして、とにかく徹底して人と人とをバラバラにしたがる。4月22日(水曜)の放送では、濃厚接触の定義を 「マスクなしで、1m以内で15分以上会話」 など紹介。どうやら人に対する感染は、症状が現れる2~3日前にはじまり、0.7日前にピークとなる可能性があるという。このことを熱心に、そしてものすごく不安と心配を誘発するふわふわふわ~っとしたテンションで話した岡田晴恵教授は、こう述べた。

    「これはやっかいなウイルスなんですねえ、 『人を見たらコロナと思え』 という感じになっちゃうわけですから」 (岡田晴恵)
    <PCRやれやれ真理教・教義>
    一、人を見たら、コロナと思え
     さらに岡田教授は、自分が紹介した濃厚接触の定義も気に入らないらしい。
  • 「東京はニューヨークにはならない!」小林よしのりライジング Vol.352

    2020-04-14 22:15  
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     生きてるうちに、こんな世界規模のパニックが見られるとは思いもしなかった。しかもそのパニックを巻き起こしている恐怖の正体が実はデマにすぎないのだから、まさに現実は漫画よりも奇怪である。
     だが、わしがいくらこれはデマだと発信しても、一向に世間には浸透しない。
     マスコミがあまりにも愚かで悪質だからだ。
      日本における新型コロナウイルスの死亡者は4月12日時点厚労省発表で 98人 、諸外国に比べて極めて少ない。
     デマ恐怖を煽りたいマスコミは「不都合な真実」である死亡者数を一切無視し、ひたすら感染者数だけを取り上げて「今日1日で何百人感染した、過去最高だ!」と連日煽りまくっている。
     4月12日時点厚労省発表の感染者数は6748人だが、こんなのは微々たる数字と言っていい。本当は、検査せず表に出ていない感染者は既に5万人くらいいるのではないかとわしは思っているが、それでも大した数字ではない。
      毎年のインフルエンザの感染者は1000万人だし、2009-10年に流行した新型インフルエンザは、免疫を持っている人が少なくワクチンもなかったため2000万人が感染したと推計されている。
     新型コロナの感染者数も、死者数さえ抑えられれば2000万人まで増えても全然かまわないのであって、そうなれば集団免疫ができて、これは単なる「ふつーのウイルス性感冒」になるのだ。
     マスコミの中でも特に極悪であるテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」では「コロナ真理教」の二人の教祖・玉川徹と岡田晴恵が毎朝毎朝恐怖を煽りに煽り、出来る限り 全国民にPCR検査を行え、感染者は一人残らず隔離せよ、新型コロナウイルスを根絶せよ という主張を繰り返し、そのためならば 経済が崩壊しようとかまわない とでもいうような勢いである。
     ウイルスとは共生していくしかないのであって、根絶などできない。玉川・岡田の言うことは、できるわけのないことをできると言い張るカルトの教義そのものなのだが、マスメディアの威力で、異論を許さぬ全体主義の空気を生み出している。
     そして連中が最近必ず言うのが、 「東京もこのままではニューヨークのようになる」「今のニューヨークは、2週間後の東京だ」 である。
     現在のニューヨークは世界で一、二を争うような悲惨な状況だから、その映像を見せて東京もこうなるぞと脅せば、洗脳効果は抜群である。
     かつてオウム真理教は「地獄のビデオ」を見せて恐怖で信者を思考停止にさせ、教団の教義を吹き込んで洗脳していたが、やっていることはそれと全く同じなのだ。
     ところがこんなカルトにお墨付きを与える「専門家」もいるのだからタチが悪い。
     英国キングス・カレッジ・ロンドン教授で、WHO(世界保健機関)事務局長上級顧問の渋谷健司とかいう医師は「ダイヤモンドオンライン」のインタビューで、日本の現状は手遅れに近いと主張している。
     渋谷は、「外出自粛要請」をベースとする緊急事態宣言では効果が望めず、都市封鎖(ロックダウン)の対策強化をしなければ、日本で数十万人の死者が出る可能性もあるとまで言う。
     そして「検査と隔離」を徹底し、ロックダウンで交通を遮断して人とウイルスの動きを止める以外に感染拡大を防ぐ方法はないとして、こう断言する。
    「ロックダウンはやるかやらないかではなく、やるしかないということです。本来であれば4月初めにロックダウンすべきでした。今からやっても遅過ぎますが、やるしかない段階です」
     ウイルスを止めるには社会を殺すしかないと言っているようなものだが、渋谷は、ロックダウンの際には 「休業補償などもしっかりとやらなければなりません」 と言うのだ。どこまで現実離れしたことを考えているのか?
     玉川徹などは間違いなくこの記事を読んで勇気づけられて、ますます狂気をエスカレートさせているのだろう。
     だがいくら渋谷が力説しようと、日本政府がロックダウンに踏み切ることはない。 そんなことをする法的根拠はないのだから。
     その結果、数十万人の死者が出るのかどうか? 渋谷健司という医者は正しいことを言ったのか、単にカルトなだけだったのか? その結論は、いずれ必ず明確に出るのだ。
  • 「命が大切だから専制待望?」小林よしのりライジング Vol.351

    2020-04-07 19:25  
    150pt
     新型コロナウイルスで、欧米各国の都市でロックダウン(都市封鎖)や外出制限が行われ、生活の自由が失われている様子を報道で見るにつけ、日本はそこまでの事態じゃなくて本当によかったと思っていた。
     ところが、日本でも早く政府が強権発動して国民の自由を制限してくれと待望する声が続出して、ついには「緊急事態宣言」の発令に至ってしまったのだから、わしは不思議でたまらない。
     緊急事態宣言は、先月13日に成立した改正新型インフルエンザ等対策特措法によって発令できるようになっていたが、安倍首相も菅官房長官も再三にわたり、「現時点では緊急事態宣言を発令する状況にはない」と表明し、慎重姿勢を保ってきた。おそらく、あまりにも経済へのダメージが大きいため、経団連あたりからストップがかかっていたのだろう。
     これに対して日本医師会や新経済連盟が緊急事態宣言の発令を求める声明を発表、東京都、大阪府も発令を働きかけ、楽天の三木谷社長もツイッターで「これが緊急事態でないとはどういうことなのか? 安倍さん、今すぐ緊急事態宣言をお願いします!」と訴え、ソフトバンクの孫社長も緊急事態宣言が出されないことに疑義を呈した。
     メディアは「羽鳥慎一モーニングショー」を筆頭に、政府の対応が遅すぎる、なぜ緊急事態宣言を出さないんだという意見一色に染まり、有名人ではⅩ JAPANのYOSHIKIやら、タレントの坂上忍やら、カンニング竹山やら、武井壮やら、Mattやら、JOYやら、登山家の野口健やらが続々と緊急事態宣言を出せと発言、政府はそんな圧倒的な国民の声に押されて発令する形となった。
     今回、安倍首相は東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県・大阪府・兵庫県・福岡県の7都府県に対して緊急事態宣言を発令した。福岡県は当初案には入っていなかったが、県知事が臨時会見を開いて対象地域にしてくれと要望して指定され、念願叶った知事は「大変心強い」と喜んでいた。我が故郷ながら、実に情けない。
     都道府県ごとに指定するのは感染症の進行状況が地域によって異なるためで、指定地域の知事は 「住民に外出自粛要請」「休校などの要請・指示」「大規模施設の利用停止、イベントの開催制限や中止の要請・指示」「臨時の医療施設設置のため土地や家屋を強制使用、医薬品などの売り渡しの要請・収用」 などができる。
     ただし欧米のような都市封鎖はできないし、個人の外出自粛も「要請」に留まり、強制的に禁じるものではない。
     だが問題なのは 「大規模施設の利用停止、イベントの開催制限や中止の要請・指示」 で、 これは強制力を伴う「指示」まででき、これを盾に取れば、権力が政治・言論に関する集会を中止させることが可能になってしまう。
     さらには、 首相が「指定公共機関」に必要な措置を指示できる という規定があって、この「指定公共機関」にはNHKが明示され、民放も含まれる余地がある。 要するに首相が全放送局の報道内容に介入することも可能なのだ。
      つまりこれは著しく国民の私権を制限し、言論・報道・集会の自由という、民主主義が機能する前提条件を侵害しうる、非常に危険なものなのだ。
     しかも 緊急事態の期間は2年が上限だが、その後1年ごとに延長でき、延長の回数制限はない。 つまり無制限に続けられるのだ。民主主義のインフラである言論・報道の自由を奪い、それに異議を唱える集会すら禁止できるという強権を、いつまでも持ち続けることができるのである。
     そして、これだけの強制力を持つにもかかわらず 国会の承認は必要なく、報告だけで発令できる。 それも「やむを得ない場合を除き、国会に事前報告をする」となっており、政府が「やむを得ない場合」だと判断すれば、事後報告でもいい。しかもこれは拘束力のない「付帯決議」に書かれているだけだから、たとえ政府が報告すらしなかったとしても、国会はほとんど何もできない。
     ここまで立憲主義も民主主義も破壊しかねない緊急事態宣言の発令を可能にする法改正に対し、あろうことか「立憲民主党」が賛成に回ったから、山尾志桜里議員は離党を決断したのである。
      ところが国民の大部分は「緊急事態宣言」がどういうものなのか知りもせず、ただ不安に駆られて、なんとなく緊急事態に対応して国民を守ってくれるものなんだろうと思い込み、本当はこれによって自由を奪われる側の立場なのに、なぜ緊急事態宣言を出さないんだ、早くしろと、必死になって安倍首相をせっついたのだ。その倒錯ぶりには、呆れるしかない。
     せっかく安倍政権は緊急事態宣言に慎重だったのだが、ここまで国民世論が高まってしまうと政権支持率が急落しかねず、これ以上抗することはできなくなったのだろう。
     もうこれは安倍首相の責任とは言えない。奇妙な話だが、安倍政権は必死に避けようとしたにもかかわらず、国民の圧力によって国民の自由を縛る宣言を出さざるを得なくなったのだ。
      昭和13年(1938)、近衛文麿政権は蒋介石の国民政府と支那事変の和平交渉を進めていたが、国民の激烈な強硬意見に屈して「国民政府を対手とせず」の声明を出して交渉を潰した。
     その結果、支那事変は泥沼化し、英米の介入を招き、大東亜戦争に突入して日本は破滅したのだった。
     いま起きているのは、それと同じようなことである。