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「水着審査をなくすミス・アメリカ」小林よしのりライジング号外

 ミス・アメリカが水着審査を止めるそうだ。  その上、イブニングガウンの審査も止めるそうだ。  これを聞いて、瞬間的に 「馬鹿馬鹿しい。そんなものを誰が見るか!」 と思わない男がいるのだろうか?  イデオロギーとしてのフェミニズムに嵌った偽善者ならば、おのれの性的欲求を押し隠して、 「水着審査はセクハラだ―――!」 と叫ぶのかもしれない。  人間の煩悩を断ち切った禅僧のような男なら、 「水着は見たくありませぬ」 と無表情で言えるのかもしれない。  わしはセクハラは嫌いだし、やることもない。イデオロギー抜きでわしは「フェミニスト」だと自認しているし、その手前で「紳士的でありたい」と思っている男ではある。   だが一生、性欲を葬れそうにない煩悩まみれの男でもあるから、「水着審査をなくす」という「設計主義的」な流れには、不快感100%になるのである。    ミス・アメリカは1921年に第1回大会が開かれた、米国を代表するミスコンテストであり、世界で初めて水着審査を導入したミスコンともいわれる。  その主催団体、ミス・アメリカ機構が5日、公式サイトやSNSで、水着審査を廃止することを発表した。  同機構の理事長で、自身も1989年のミス・アメリカ優勝者であるグレッチェン・カールソンはTVのニュース番組で、 「ミス・アメリカはもはや美人コンテストではありません。(単なる)コンテストです。今後は出場者を容姿で審査しません。えぇ、大きな決断ですよ」 と語り、今後の審査基準は 「社会に影響をもたらす取り組みについて自分の言葉で何を語るか」 だと表明した。  水着審査の代わりに、出場者には情熱や知性、ミス・アメリカの役割に対する考えについて審査員からの質問に答えてもらい、判断材料とするらしい。  頭がおかしい!  単なるコンテストって、何のコンテストなんだ?  とにかく立派な人を選ぶ、ただし容姿だけは決して判断材料にしないというのか?  だったら、頭巾でもかぶって顔を隠せ!  いや、それではまだ体形がわかるから、いっそのこと全員にブルカを着せろ!  社会貢献について語る内容を審査基準にするって、それは「弁論コンクール」じゃないか。  だったらもう、ミス・アメリカはブルカを着せた「青年の主張」にしてしまえ!  もう24年前の話になるが、堺市の女性団体が 「ミスコンは女性差別の集大成」 だと言い出し、各地のミスコンが次々に中止に追い込まれたことがある。  わしはこれを「SPA!」の『ゴーマニズム宣言』で、以下のように徹底批判した。  わしは「美」も才能だと思っている。美人は天才なのだ。  人は努力に関係なく、生まれつきのものを与えられる場合がある。  絵を描く才能、曲を作る才能、速く走る才能、知識を吸収する才能、笑わせる才能、肉体で戦う才能、美しさで人の目を楽しませる才能。  これらのどれもこれもがまず才能ありき! それから努力で磨きをかけていくものである。  頭のいいやつはちゃんと受験という学力コンテストを受けて世の中に認められていくが、「東大の入試は頭脳差別の集大成だ!」…と言って抗議するやつはいない。 (ミスコン反対論者が、人を外見で判断するな、「大切なのは人柄よ」と主張しているが、)何が「大切なのは人柄よ」だ!  モーツァルトに向かって「大切なのは人柄よ」なんて言って曲を認めないというのか? 音楽家にとって大切なのは曲の質だ! 美人にとって大切なのは顔とプロポーション。人柄など関係ない!  最近ではおそるおそるやってるミスコンなんか「うちでは教養とか礼儀、性格も見てます」なんてバカなこと言っとるが…  それだともう人間コンテストになって、総合的に質の良い人間と質の悪い人間に分けるという、おそるべき差別を犯してしまうぞ!  美だけ! あくまで美だけで競うから良いのだ。  この資本主義の中で人はいろんなものを消費されて生きてゆく。  漫画を描く才能を…球を蹴る才能を…ブスであること、ブ男であることを消費されるやつまでおる。  なんで「美」だけは消費させてはいかんとのたまう?  差別だ! 美の才能だけはこの世で認めんという才能差別だ!  人は誰しも己に与えられた天賦の才能を利用していく権利があるはずだ。  これは人権侵害である!  美は才能。美人は天才。顔とプロポーションを品評するミスコンは女性差別ではない!  いま見ても、完璧な論理だ。  当時、「この見解にきちんと理屈で返答してくれ」とミスコン反対論者を挑発したのだが、これにきちんと返答してきたものは今に至るも皆無である。そして、ミスコンバッシングの嵐も、なし崩し的に消えていった。   ところが24年経ったら、ミス・アメリカが美人コンテストを止め、今後は外見で判断しない「人間コンテスト」にするという、冗談みたいな事態が出現してしまったのである。  さすが「禁酒法」まで生んだお国柄は、21世紀に入っても変わらないものなのだなあと言いたいところだが、何でもかんでも「アメリカについて行け」がお国柄みたいになっている日本は大丈夫なのか? と思ってしまう。

「水着審査をなくすミス・アメリカ」小林よしのりライジング号外

「フランスのセクハラ罪を知っているか?」小林よしのりライジング Vol.270

 麻生太郎氏の「セクハラ罪はない」発言に対する攻撃が止まない。  麻生の発言がいつも大雑把なことくらい、誰でも知っている。中には擁護のしようがない暴言もあっただろうが、基本的に男っぽい美学と茶目っ気もあるキャラクターを持っているので、わしは人格として嫌いではない。  かつて京都で芸者の踊りを見ながら、酒を飲んだこともある。  アルファベット英語で堂々と外国人とおしゃべりする豪胆さは大したものだなと思う。  安倍晋三の下で働いているから、損をしているなとわしは思う。  麻生自身はセクハラをするような男ではない。部下が犯した道徳的な罪に対して、世間の風圧に負けて断罪するのではなく、「セクハラ罪はない」と抗弁するのは、それほど非難されるべきだろうか?  問題とされているのは4日、麻生が訪問先のマニラで行った記者会見での発言だ。  そもそもこの記者会見は、マニラで行われたアジア開発銀行年次総会などについてのものだったのだが、その質疑応答で朝日新聞の記者が、福田淳一前事務次官のセクハラ問題の調査を財務省が打ち切ったことに対して、テレビ朝日側がなおも徹底調査を求めるという文書を出したが、これについての見解を聞きたいという質問をした。  それに対して麻生は 「これは1対1の会食ということになっていたそうですから、そういったやりとりについて、財務省だけで詳細を把握していくということは不可能です。これはいくら正確であったとしても、それはいかにも偏った調査ではないかと言われるわけですから」 と答え、さらにこう言ったのだ。 「御存じのようにセクハラ罪という罪はないのですよね、あなたよく知っているように。殺人とか傷害とは違いますから。訴えられない限りは、親告罪ですから、あれは。」  一対一の会食の場で何があったかを、財務省だけで詳細な調査をするのは不可能だし、仮に調査をして、それが正確なものだったとしても、偏った調査だと言われることは目に見えている。  じゃあ警察に調査を委ねるかといっても、セクハラについて殺人や傷害と同様に警察が捜査できるような「セクハラ罪」というものがないのだから、それもできない…麻生はそう言ったのだ。   福田は女性に直接手を触れたわけでもなく、ただ不快な言葉を言っただけだから「強制わいせつ罪」にも当たらず、罪に問うとすればせいぜい 「名誉棄損罪」 か 「侮辱罪」 であり、これは本来、当事者同士で解決すべき軽微な罪ということで、被害者からの訴えがなければ刑事事件として起訴することができない 「親告罪」 となっている。  福田に刑法上の犯罪行為があったとして、警察に捜査してもらおうというのであれば、 まずは被害者が福田を「名誉棄損罪」か「侮辱罪」で刑事告訴しなければならない。   ところがテレ朝は匿名の社員が被害を受けたと抗議をしているだけで、被害者は告訴どころか、被害届すら出していないのだから、どうしようもない。  ここで麻生が言ったことは、全く正しいのである。  やや余談であるが、強制わいせつも昨年、性犯罪を厳罰化した改正刑法が施行されるまでは親告罪だった。  TOKIOの山口達也に呼び出され、無理やりキスされたり顔をなめまわされたり押し倒されたりした女子高生は、警察に被害届を提出したが、ジャニーズ事務所との話し合いで示談が成立、被害届を取り下げた。  親告罪であれば、話はこれで終わっていた。おそらく事務所も山口も、昨年の法改正の意味をはっきり把握しておらず、今まで同様、これでもみ消したと思っていたのだろう。  ところが強制わいせつは非親告罪になっていたため、被害者が被害届を取り下げても捜査は続き、山口は書類送検され、事件が表沙汰になったのだ。  警視庁は書類送検の際、起訴を求める最も厳しい「厳重処分」の意見を付している。既に示談が成立しており、不起訴になるのはほぼ確実なのに「厳重処分」の意見がつくのは異例のことで、山口が有名タレントであることが考慮されたからかもしれないし、もしかしたら捜査において犯行が相当に悪質だったと認められたのかもしれない。

「フランスのセクハラ罪を知っているか?」小林よしのりライジング Vol.270

「セクハラとジャーナリストの覚悟」小林よしのりライジング Vol.267

『脱正義論』で薬害エイズ運動に嵌った学生たちに向かって、わしは将来、会社・組織に入っても、組織自体が悪を遂行している場合は、個人として戦い、腐敗した組織を変えよと演説した。  それができぬのなら官僚バッシングをするなと言った。  ところがわしの読者のみならず、マスコミや一般人の多くが、「普通の人間は組織に依存せざるを得ず、個人では戦えない」「だから社員を会社が守るべきだ」と主張し、セクハラを理由に官僚バッシングに精を出している。  官僚のトップは叩きやすいが、テレビ局や新聞社は叩きにくいらしい。  セクハラをなくすには、セクハラが起こるシステム自体を変えるしかない。  それはむしろマスコミの側に責任があって、なぜ美人で才媛の女性記者が、官僚に深夜、電話一本で呼び出されて、酒を飲まねばならなかったのか、1年半に何度も二人きりで会食せねばならなかったのか、そこに人々の関心が向かないように、マスコミは財務事務次官にすべての「悪」を背負わせようとしている。  悪いのはセクハラ発言をする「男」であり、「男一般」が女に性欲を感じなければよい、感じても封印する完全な紳士であればいい、品行方正な聖人になればいいと、教育しようとしている。 「記者を男にすればいい」と言えば、女性差別だと言い、女性だって深夜でも権力者の元に駆けつけて情報をとりたいのだと主張する。  権力者がなぜ電話で女性記者を呼び出すのかと言えば、まちがいなく「下心」があるからであり、たまたま情報を漏らしたくなったからではない。情報を漏らしたいだけなら男性記者と会えばいい。  女性記者は権力者の「下心」を百も承知でパジャマを着替えて駆けつけるのである。  女性記者が「ジャーナリスト」ならば当然のことだし、あえて危険を顧みず、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の覚悟で飛び込んでいくのである。  テレビ朝日やマスコミは、女性記者の役割りはそういうものだと割り切っている。くノ一のように女性記者は権力者の懐に飛び込んで、特ダネを取るのである。プロのジャーナリストはそういうもので、セクハラに遭わないように会社が守ってくれるものではない。  それは大人の世界の常識のはずだが、マスコミもコメンテーターも、女性記者には「覚悟」は要らない。会社が守り、権力者がセクハラをしなければいいだけだとウルトラ欺瞞を主張している。  戦場ジャーナリストには「覚悟」は要らない、スポンサーが守ってくれて、兵士やゲリラが銃撃しなければいいだけだと、そんな途方もない馬鹿を主張できるのか?  わしの『新堕落論』を読んだ者なら、「弱者のルサンチマン」について少しは理解したはずだろうが、やっぱり読解できていないのがほとんどなのだろう。  強者の傲慢さを見たら、自分と同じ弱者の位置まで引きずりおろすことしか考えていない。それを繰り返せば、社会には品行方正な小市民しかいなくなってしまうのだが。  Me too運動を「国の将来のために」賛成したわしにも、バランス感覚が働く。それが「保守」の真髄だからだ。  わしは、例え小児性愛者で、養女を性的虐待していたウディ・アレンでも、映画作りを止めろとは言わない。  天才や秀才エリートの中には、品行方正ではない者が多いだろうが、わしは作品や仕事の能力を評価するのである。

「セクハラとジャーナリストの覚悟」小林よしのりライジング Vol.267
小林よしのりライジング

常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!

著者イメージ

小林よしのり(漫画家)

昭和28年福岡生まれ。昭和51年ギャグ漫画家としてデビュー。代表作に『東大一直線』『おぼっちゃまくん』など多数。『ゴーマニズム宣言』では『戦争論』『天皇論』『コロナ論』等で話題を巻き起こし、日本人の常識を問い続ける。言論イベント「ゴー宣道場」主宰。現在は「週刊SPA!」で『ゴーマニズム宣言』連載、「FLASH」で『よしりん辻説法』を月1連載。他に「週刊エコノミスト」で巻頭言【闘論席】を月1担当。

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