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  • 「川崎殺傷事件:自殺テロの防ぎ方」小林よしのりライジング Vol.317

    2019-06-04 20:10  
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     何とも痛ましい事件が起こってしまった。
     川崎市の20人殺傷事件である。
     犯行は計画的で、スクールバスを待つ小学生らに背後から無言で忍び寄り、両手に持った刃渡り30㎝の柳刃包丁で手当たり次第にめった刺ししてから自殺、その間わずか十数秒だったというから、これではいくら警備を強化しても防ぎようがない。
     しかも目的が「自殺」にあるのだから、どんなに刑を厳罰化しても何の抑止力にもならない。
     それならば、同様の事件の再発を防ぐにはどうしたらいいのだろうか?
     犯人の51歳男性・岩崎隆一は両親の離婚後、父母のどちらにも引き取られず、父方の伯父夫婦家族と暮らし、中学卒業後は定職にもつかず、30年以上子供部屋に籠って社会との繋がりをほぼ拒絶して生きていた。
     NHKが取材をしても、 中学卒業後、犯行に至るまでの間の岩崎について知っている人は一人も見つからなかったというし、当人の写真も中学の卒業アルバム以降のものは、どうやら一枚も存在していないようだ。 近所の人も、事件を起こす間際に見かけるようになるまで30年以上、その家に岩崎が住んでいることも知らなかったという。
     伯父夫婦とのコミュニケーションも断絶していたようで、ひとつ屋根の下に住んでいながら、何か言うにも部屋の前に手紙を置かなければならないような状態だったらしい。
      親の愛情も、社会との関わりも何もない、一切の束縛を失った「自由」の中では、人間は狂う。 わしは『戦争論』などで何度もそのことを描いてきたが、今回もまさにその典型例と言うべきだろう。
    「自分を一番自由にしてくれる束縛は何か?それを大事に思う心を育てよう」
    『戦争論』でそう描いたのに、誰もそこを重要視しない。日本軍は正義だったか、悪だったかと、喧嘩してるばかりで、「個と公」というテーマには、右も左も熟考することがなかった。
     岩崎が「ひきこもり」傾向にあったことで、ひきこもりが「犯罪者予備軍」であるかのような偏見が助長されることが危惧されるとして、ひきこもり当事者の支援団体「ひきこもりUX会議」は声明文を発表した。
     声明文では「『ひきこもり』かどうかによらず、周囲の無理解や孤立のうちに長く置かれ、絶望を深めてしまうと、ひとは極端な行動に出てしまうことがあります」と主張している。
     確かに、今回の犯行は池田小事件の宅間守、秋葉原通り魔事件の加藤智大や、新幹線通り魔事件の小島一朗らと同種のものであり、それらの犯人たちはひきこもりだったわけではない。
     ひきこもりによる孤立感や、80代の老親が50代のひきこもりの子を養っている「8050問題」による、将来に対する絶望感が要因となったことは考えられるが、ひきこもりだから事件を起こしたというよりは、今回はたまたまひきこもりの男が、宅間守や加藤智大と同様の心理状態になって起こしたものと考えるべきであろう。
      ひきこもりかどうかに関係なく、未来に孤独と絶望しかなく、自暴自棄になって凶行に及びかねない「予備軍」は、いつどこにいるかわからないと思っておかなければならないのである。
      強い自殺願望を抱いている者が社会に恨みを持ち、一人で死ぬのは嫌だ、バカらしいと考え、誰かを巻き添えにして死のうとすることを「拡大自殺」というそうだが、わしはこれを「自殺テロ」と呼びたい。
     失うものがない「無敵の人」がヤケクソで起こした自殺テロの巻き添えで、幼い子供や将来有望な人物が犠牲になるなんてとても許せるものではなく、わしとて「死ぬなら一人で死ね!」と言いたくもなるが、公にそう言っては、かえって危ないらしい。
     自殺テロ予備軍の人間は、宅間や加藤や今回の岩崎隆一のような人間に感情移入し、自分と重ねて見ていたりするので、彼らが「一人で死ね!」と言われると、自分が「一人で死ね!」と言われているように感じ、社会から疎外されているように思い、社会に対する恨みを募らせてしまうのだという。
     勝手な被害者感情だとは思うが、そう感じるのをやめさせることはできないのだから、それならなるべく刺激しないようにしておくしかない。その代わり、社会や行政がそういう人間を孤独から救い、就職の面倒まで見るようにする施策が必要である。
     岩崎隆一は携帯もパソコンも持っておらず、かつて所有していた形跡も一切なかったという。