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  • 「麻原遺骨騒動の奇妙さ」小林よしのりライジング Vol.277

    2018-07-17 18:00  
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     麻原彰晃(本名・松本智津夫)の死刑が執行され、これでオウム事件も大きな一区切りがついたと思っていたら、その遺骨をめぐっておかしな争いが勃発して、たちまち新たな騒動が始まってしまった。
     麻原は死刑執行直前、自分の遺体の引き取り人に四女を指名していたという報道が出て、これに対して三女が「作られた話」だと反発した。
     さらに参院議員でジャーナリストの有田芳生や、宗教学者の島田裕巳らも、これは法務省による政治的判断で、遺骨を教団とは完全に決別している四女に渡そうとしているのではないかという旨の発言をしている。
     だが、わしは最初にこれを聞いた時、事実だろうなと思った。いくらなんでも、死の直前の言葉を捏造するほど悪質なことをするとは思えないし、しかも、信者が遺骨を奪還しようとすれば、四女に危害が加えられる恐れがあることくらい法務省の人間だって見当がつくはずで、あえて一般人を危険にさらすような嘘を発表するはずがないと思ったのだ。
     そんな中、TBSは関係者への取材から、麻原の死刑直前の詳細な様子を報じた。それは以下のようなものだったという。
     7月6日午前7時ごろ、麻原は東京拘置所の独居房で起床。朝食は部屋でほぼ完食した。
     7時40分ごろ、刑務官から声がかかる。
    刑務官「出房」
     連れて行かれた先は教誨室だった。
    刑務官「お別れの日が来ました。教誨はどうしますか」
    麻原「・・・」
    刑務官「じゃあやらないんだね。言い残したことはある?」
     麻原は終始、呆然としていたという。
    刑務官「引き取りはどうする?」
    麻原「・・・」
    刑務官「誰でもいいんだぞ」
    麻原「ちょっと待って」(しばらく考え込む)
    刑務官「誰でもいいんだよ。妻・次女・三女・四女がいるだろう」
     少し間が空いたあと・・・
    麻原「四女」
     小声でよく聞き取れなかった刑務官が「四女?」と聞き返すと、麻原は四女の名前を口にした。
    刑務官「四女だな?」
    麻原「グフッ」
     麻原はそう言って、うなずいた。
     暴れたり、抵抗したりするようなことはなかったという。
     特定の死刑囚の執行前の様子がこんなに詳細にリークされるのは極めて異例ではあるが、「法務省陰謀説」なんかが喧伝されては、そうせざるを得なかったのだろう。
     こんな真に迫った描写を刑務官が嘘で言ったり、法務省がでっち上げたりするとは思えないし、作り話をするなら「麻原は最後まで見苦しく抵抗した」などと、もっとイメージダウンを図ったはずだ。
     麻原と妻の間には娘4人、息子2人がいる。
     三女は、遺骨引き取りの権利は母(麻原の妻)にあると主張し、四女と真っ向から争っている。
     三女はかつて「アーチャリー」のホーリーネームで呼ばれ、麻原が教団の後継者に指名していた。
     その後、オウムがアレフと改称した際に教団を離れ、実名・顔出しで手記を発表するなど、積極的にマスコミにも登場している。
     ただ、現在の教団とは決別したとは言っても、 「たとえ父が事件に関与していたとしても、私は父のことを大切に思い続けます」「オウムとの決別は、故郷というか、育ってきた町を離れる感覚に似ています」 などと発言していて、 明らかに今も麻原やオウムに愛着を持ち続けており、これを客観視し、批判する感覚は乏しい。 要するに、物理的には教団を離れていても、精神的には離れきっていない状態といえる。
     それでも三女は、経済的に教団から独立して生活する決意だけはしているようで、 今もアレフに生活を支えられている母とはかなり仲が悪いらしい。
     麻原の妻と三女は連名で、遺骨の引き渡しを求める要求書を法相と東京拘置所長に宛てて提出しているが、四女を共通の敵とすることでのみ手を組んだようだ。
     一方の四女は11年前、ジャーナリストの江川紹子が未成年後見人となり、その元に身を寄せていたが、半年ほどで出て行った。