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  • 「アフガン大使館の恥辱」小林よしのりライジング Vol.410

    2021-09-21 16:00  
    150pt
    「かつて 日本人は清らかで美しかった
     かつて 日本人は親切でこころ豊かだった」
    「どうして どうして日本人は こんなになってしまったんだ」
     30数年前、マレーシアの元国会議員、ラジャー・ダト・ノンチックはそう嘆いた(『戦争論2』に全文引用)。
     だが、その後も日本人の劣化は止まらず、ついに行き着くところまで行ってしまったという感がある。
     8月15日、アフガニスタンの首都カブールをタリバンが制圧し、政権を掌握した。
     図らずも8月15日が二つ目の「終戦記念日」となったわけで、これにより20年にもわたったアフガン戦争における、米国の敗北が確定した。
     もちろん日本も、同盟国として米国に協力してきたのだから、同じく「敗戦国」であることに変わりはない。
     しかもこの時、日本人として信じがたい国辱行為が行われていたということを、決して見過ごしてはならない!
     タリバンの政権掌握によって、それまで米軍などに協力していたアフガン人は今後迫害を受ける危険が生じ、国外に退避しようと空港に殺到、大混乱となった。
      その際、イギリスやフランスなど各国の大使や大使館員は空港内に大使館機能を移転し、アフガン人のためにビザの発給を続けるなどの業務をしていたという。
     ところが、そこに日本の大使や大使館員の姿はなかった。
      カブールが陥落した8月15日、大使の岡田隆はすでにアフガニスタンから退避していた!
     そして、駐アフガニスタン日本大使館員12人も17日に全員、英軍機で出国した!
      現地の民間日本人や、日本関係機関で働いていたアフガン人現地スタッフを全員置き去りにして、大使館員が真っ先にトンズラしたのである!!
     もう日本に「杉原千畝」は現れないのだ。
     それどころか、かつて杉原千畝のような人がいたことを、日本人として誇ることすらもはや恥ずかしくてできたものではない。
     7年前、韓国で旅客船「セウォル号」の沈没事故が起きた際、船長が真っ先に逃げたことをネトウヨ界隈は「やっぱり韓国人は民度が低い」などと嗤っていたものだが、今回は日本の大使館員が全員「セウォル号の船長」になってしまったのだ。
     その一方、今回の 韓国大使館の動き はどうだったか。
     韓国の駐アフガニスタン大使館員らも8月17日に国外に退避したが、韓国ではカブール陥落前の早い時点から退避を進めており、 大使館員は民間の韓国人全員を退避させた後、最後に現地を離れた。しかもその後、4人の外交官がカブールに戻っている。
     雲泥の差という他ない。
     韓国の外交官4人がカブールに戻ったのは8月22日で、同日深夜には韓国軍が現地に展開。経由地となるパキスタンの了解を取り付け、韓国大使館などに勤務していたアフガン人とその家族390人の移送を開始した。
     カブール空港周辺はタリバンが厳しい検問を敷いており、自力で空港まで行くのが困難だったことから、韓国政府は6台のバスを手配。
      こうして韓国関連のアフガン人は25日の時点で全員が空港に集合、パキスタンのイスラマバードを経由して、27 日までに全員仁川に退避した。
      その間、現地職員との連絡やバスの早期手配、タリバンとの交渉などは、現地に戻った外交官が行った。彼らが危険を冒して戻ったからこそ、退避は成功したのである。
     一方、日本の民間人と現地スタッフを退避させるための自衛隊機が日本を出発したのは8月24日で、明らかに遅かった。
     しかも、大使や大使館員は全員トンズラしており、現地で救出作業に必要な調整や交渉事を行う人がいない。
     そうこうするうちに26日に空港で爆破テロが起き、移送ができなくなった。空港周辺でテロが起きる可能性については22日頃から米軍が呼びかけており、迅速に動かなければならなかったのに、それを怠ってみすみす退避の機会を失ったのだ。