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  • 「『レッテル貼り』はいけないのか?」小林よしのりライジング Vol.139

    2015-07-07 18:45  
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     先日、テレビ朝日「モーニングバード」の「そもそも総研たまペディア」の取材を受けた際に、レポーターの玉川徹氏が、自分には「反日」とか「売国」とかいう「レッテル貼り」がされているようだと気にしていた。取材先で、そんなことを言われる場合があるらしい。
    「そもそも総研」はかなり厳しく政権批判をしているから、安倍政権を支持することが「愛国」だと思っているような、思考能力の欠如したネトウヨなどが、「反日」だの「売国」だのと言ってくるのだろう。
     一方、安倍晋三も「レッテル貼り」を異様なほど気にしている。6月21日の朝日新聞で読んでつい笑ってしまったが、安倍は昨年7月14日、民主党の海江田万里に対する答弁で、こんなことを言ったそうだ。
    「レッテルを、私がレッテルを貼ったなら謝るが、海江田さんもレッテルを貼ったなら取り消していただきたい。お互いにレッテルを貼りあうという不毛な。海江田さんがまずレッテルを貼ったから、私もレッテルを貼った。レッテル貼りの議論ではなくて、レッテル貼りではなく中身の議論をすべきだと思う」
     1回の答弁で、「レッテル」「レッテル」と8回も繰り返している。異常な執着ぶりである。
     ちなみに「レッテル」とは、広辞苑によれば「 商標。ラベル。転じて、ある人物や物事に対する特定の評価 」であり、「レッテル」自体は必ずしも「不当な評価」という意味ではない。
     それが、「レッテルを貼る」となると、「一方的に、ある評価・判断を下す」という意味になり、不当な評価を与えて、イメージダウンを図るといった意味合いを含むようになってくるわけである。
      とはいえ、一方的に貼られたレッテルでも、それが正しい場合だってあるわけで、全部ひとくくりに「レッテル貼りはいけない」と言うのも乱暴な話である。
     最も簡略化した表現で相手を批判することは必ずしも悪いことではない。
      貼られたレッテルが正当か、不当かをその都度検証することが不可欠であり、それが間違ったレッテルであれば非難するというようにしなければならないのであって、「レッテル貼り」を全ていけないものとするのは、単なる思考停止である。
     百田尚樹や自称保守やネトウヨは、朝日新聞に「 反日 」「 売国 」のレッテルを貼る。
     朝日の記者や論説委員だって、「反日」や「売国」のためだと自覚的にやった人などいないだろう。わざわざ慰安婦問題に火をつけたのも、それが日本のためになると勘違いしてやったのだろう。
    自衛戦争と侵略戦争の区別もせずに、「戦争=悪」のレッテル貼りをした方が、平和を維持できると思い込んでいたのである。
     そして、それが結果的に「反日」「売国」となったのである。慰安婦問題や靖国問題で、中国や韓国に「ご注進」報道を繰り返し、向こうのナショナリズムを沸き立たせて、実際に日本の国益を損なう事態が起きたのだから、自覚的でなくとも、確かに「反日」「売国」の意味合いはあったといえる。
     過去の朝日新聞を見ると、「反日」「売国」というレッテル貼りを否定するのは確かに難しい。
     ただし、朝日新聞の記者たちも、そろそろ世代交代しているだろうから、過去の悪行を叩くだけよりも、今後の更生を見守ろうとわしは思う。櫻井よしこや自称保守派やネトウヨや自民党議員のように、「廃刊にせよ」とか、「潰せ」などとは、わしは言わない。
     百田が沖縄の2紙を「 左翼 」だとレッテル貼りして、袋叩きにあっているが、「潰さなければいけない」と権力者の勉強会で言論弾圧を煽るからである。
     もっと丁寧に根拠を出しつつ言わねばならない。