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「カネで魂を売る資本主義は無謬ではない」小林よしのりライジング Vol.172
2016-04-05 21:55153pt
わしは以前『おぼっちゃまくん』で、下唇に輪っかをはめた「マチャイ族の酋長」というのを描いたことがある。
70年代くらいまではこういう、近代人には奇異に映る原住民の姿や風習などをよくテレビでやっていて、その記憶から普通にパロディ化して描いたのだが、今だったら編集者に止められるアイディアだろうか?
いつの間にかこういう風習をメディアで目にすることはなくなっていたが、朝日新聞3月22日の記事「世界発2016」で、昔ながらの下唇に輪っかをはめた姿の女性の写真が載っているのを目にして、今でもこういう部族がいるのかと驚いてしまった。これはアフリカの「最後の秘境」と呼ばれる、エチオピア南部のオモ川流域に住む「ムルシ民族」の女性だという。
だが記事によれば、最後まで伝統的な暮らしを守ってきたこの地域にも、変化の波が押し寄せているらしい。
1990年代にこの地域を訪れた外国人観光客は年間数千人だったが、2000年代に周辺の道路が整備されると激増、現在は年に数十万人が訪れているという。
「観光地」と化した「最後の秘境」では、着飾った少女たちが外国人観光客を囲んで写真を撮るように催促し、引き換えにお金を要求するようになったという。
たぶん最初は観光客がチップの感覚で金を渡したのだろう。だが、それで写真を撮らせたら金がもらえるんだと思った少女たちは、自分から進んで観光客に写真を撮れ、金をくれと言うようになってしまったわけだ。
ムルシ族では人に金や物をねだることは特に卑しい行為とされ、長老がたしなめる光景も見られるそうだが、もう後戻りはできないだろう。
こうなったら伝統は崩壊である。
ムルシ族の長老は 「ここの生活は牛が中心。お金を持つと、若者は牛を捨てて集落を出て行ってしまう。お金は恐ろしい」 と嘆いているという。
その国ごと、その民族ごとの中に、伝統として受け継がれてきた平衡感覚というものがあるのだが、それがお金によって崩されていく。
お金によって、伝統が破壊されてしまうのだ。
エチオピアは2014年の実質GDP成長率が10.3%で、世界でもトップクラスの高度経済成長の最中にある。だが、本当にそれがいいことなのだろうか?
お金を持った若者は牛を捨て、街に出ていく。しかし、お金を使い果たしてしまったら、もう街で働くしかなくなってしまう。それでいい職があるはずもなく、結局は街の最下層に入らざるをえなくなる。その一方で、故郷の村は滅びていくのだ。
果たして、それが幸福だろうか?
話が飛ぶようだが、同じ3月22日の朝日新聞には、「ハリウッド映画“中国色”濃く」と題する記事が載っていた。
火星にたった一人残された男のサバイバルを描いたリドリー・スコット監督のSF大作『オデッセイ』は、中国が主人公を救出する重要な役割を果たすという話になっている。
こういう傾向はここ数年続いていて、『ゼロ・グラビティ』でも中国製の宇宙船のおかげで主人公が生還できたことになっていたし、『トランスフォーマー/ロストエイジ』『X-MEN:フューチャー&パースト』など、舞台に中国が登場したり、中国人キャストを起用したりする作品は増えている。 ハリウッドが、どんどん中国に媚を売っているのだ。
これらの映画は作品として見ても、何かというと重要な場面で中国が出てくることに、ものすごい違和感がある。
それは別にわしだけの感覚ではない。朝日新聞の記事中でも、映画評論家の秋本鉄次氏が『オデッセイ』について、 「『70億人が彼の帰りを待っている』というキャッチフレーズなのに、米国以外は中国ばかり。まるで米中共同救出作戦のようで、違和感を覚えた」 と語っている。
結局、ハリウッドは金で魂を売っているのだ。
中国の巨大市場で金儲けするためには、作品の不自然さに目をつぶってでも中国に媚を売っておかないとならない。こうして、金に目がくらんで作品の魂が崩れていくのだ。
最も原始的なアフリカの原住民族と、最も最先端のハリウッド映画。
一見、全く無関係のようだが、この両者で同じことが起きている。
どちらも、金で魂を売っているのである。
金が、人間の幸福感や、作品の完成度といった、根本的な価値を次から次に壊している。
これで、本当に資本主義がいいものだなどと言うことができるのだろうか?
さて、さらに話が飛ぶように思うかもしれないが、同じく3月22日の産経新聞には、1面トップで「パチンコで浪費 国“黙認”」と題する記事が載っていた。
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