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記事 2件
  • 「福島原発:終わらない収束作業と利権問題」小林よしのりライジング Vol.127

    2015-04-07 21:30  
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     福島県双葉郡。海に面する全8町村のこの郡は、 東京電力 の3つの発電所を抱え、首都圏へと電気を送り続けてきた。
     北から、双葉町と大熊町に 第1原発 。富岡町と楢葉町に 第2原発 。そして最南の広野町に 火力発電所 。このうち広野町の火力発電所は、震災後に増設を行い全6機で稼働し、現在も7号機の増設を急いでいる。
      
     地図を眺めると、つくづく、発電所というものは、非常に巧妙な位置に設置されるのだなと感じる。 第1も第2も、原発はふたつの町の境界をまたぐように建てられている。これによって、 ひとつの発電所から、同時にふたつの町へ原発マネーを流すことができる というわけだ。
     交付金、固定資産税、核燃料税そして東電からの寄付金……。財源の乏しい町が、効率よく 原発ジャンキー にされていった過程が、生々しく地図上に浮かび上がる。
     双葉・大熊・富岡・楢葉の4町には中間貯蔵施設の設置受け入れ要請がなされ、除染廃棄物の搬入がはじまったというニュースも記憶に新しい。
    「ウチは、東電の『植民地』から、とうとう『ゴミ箱』になった」――。
     地元民の声だ。
    ◆不思議な常磐道モニタリングポスト
     4月3日、曇り。
     この日は海から吹き込む湿った東風が非常に強く、東京では桜の花びらが白い空へと吹き上げられていた。
     常磐自動車道でいわき市を北上していくと、広野ICの手前に、放射線量を示すモニタリングポストが登場する。この先の帰宅困難区域については、二輪通行不可を予告する案内板もくり返し現れ、ライダーたちは姿を消してゆく。
      
       この日は、0.2~5.5μSv/hかあ……って、どこが0.2で、どこが5.5なん?
     測定範囲も数値の幅も広すぎて、一体どう参考にしてよいのかすらわからないこのモニタリングポストは、広野IC~南相馬IC区間に、上下あわせて9つ設置されているもの。サービスエリアに入ると各区間のリアルタイムな測定値を、モニターで見ることもできる。
     ……できるが、ただ、見るだけだ。
     通行中の被ばく線量を計算する方法を紹介したパンフレットも置かれていたが――
    広野ICから南相馬IC(49.1㎞)間の空間線量率(μSv/h)を基に、時速70kmで1回通行する際に運転手等が受ける被ばく線量は?
    自動車の場合: 0.37μSv
    二輪車の場合: 0.46μSv
    「もくれんさん。では問題です。
     きょうの浪江IC~常磐富岡ICの空間線量は5.36μSvでした。時速100kmで8km走ったところで車が故障して、再発進するまで40分間立ち往生となりました。この間の被ばく線量は何μSvでしょうか?」
     わかるかーっ! どこの高校の入試問題だ。サイン・コサイン・タンジェントで悩んでゲロ吐いて、担任の先生に「きみには国語があるから」と励まされたほど数字の苦手な私に、こんな危険な計算を振らないでほしい。事故る。
     だいたい、0.2~5.5マイクロシーベルトなら、 『最大5.5マイクロシーベルト』 と表示してくれたほうが目安としてはよっぽど親切だし、 そもそも、線量なんてほんの数十センチ位置をずらすだけでとんでもない差が出る のだから、正確さもあやしいものだ。
     難解な数式の並ぶパンフレットなんかサービスエリアで大量に配って、NEXCO東日本、いったい、ドライバーをどうしたいんだよーっ!
     すっかりカッカして、広野ICを降りる。今日の目的地は、広野火力発電所近く、海べりの広野工業団地だ。
    ◆原発のない、原発作業員タウン「広野町」
      第1原発から20kmラインのすぐ外側に位置する広野町 は、震災前の人口が5490人。もともと炭鉱の町だったこともあり、火力発電所が誘致された。
     事故時は全町避難が指示されたが、風向きが幸いして放射線量が“相対的に”低く、1年後には解除。しかし、町民のうち戻ったのは1300人程度で、転出も多く、生活環境が整わなかった。
     戻らない町民の代わりに、続々とこの町を占拠したのは、東京電力の社員と、大勢の原発作業員、そして除染作業員たちだった。 現在、町民の2倍以上にのぼる3000人弱の作業員が暮らす とされている。
     福島ルポ②でまた詳しく紹介するが、広野町には、 東京電力が総工費130億円で寄贈した『Jヴィレッジ』と呼ばれる世界規模のサッカートレーニング施設 がある。
      
       Jヴィレッジ内にあるサッカー場の看板。広野は「サッカーの町」だった。
     1997年に開設されたJヴィレッジは、代表チームなどの強化合宿や練習試合、児童・学生向けのサッカークラブ育成、住民のフィットネス施設として利用されてきたが、事故直後、その立地条件と線量の低さから国の管理下となり、事故対策本部、自衛隊ヘリの発着場、原発作業員の線量検査を行う入退管理施設などが置かれることとなった。
     現在も、Jヴィレッジは東電が借り上げており、原発作業員や作業車両などの一大集合施設となっている。そして、このJヴィレッジが旗印になり、広野町は、 原発が存在しないにも関わらず、 原発事故収束作業の最前線として変わり果てることになった。
  • 「ドルチェ&ガッバーナvsエルトン・ジョンからの教訓?」小林よしのりライジング Vol.126

    2015-03-24 16:35  
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     今週の「小林よしのりライジング」はいかがでしたか?
     毎月、泉美木蘭さんとのニコニコ生放送「よしりんに、きいてみよっ!」がある日は、打ち合わせを兼ねて一緒に夕ご飯を食べに行きます。
     会話の流れで、デザイナーのドルチェ&ガッバーナと歌手のエルトン・ジョンの間で起きた論争の話題になりました。
     木蘭さんから騒動の詳細を一通り聞いた先生ぼんは、まず自分が愛用している洋服のデザイナーがゲイの元パートナー同士(現在は解消中)ということを初めて知り、
    「そうだったのかー!!
     ドルチェ&ガッバーナってゲイだったのかー!!」
    …と大層驚いておりました。
     デザイナーやアーティストにはゲイが多いということを聞くと、
    「そうかー!!
     天才が多いのかー!!
     やっぱりゲイは差別しちゃいかんな!!」
    と、ちょっとよくわからない理由でゲイ差別反対を訴える先生ぼん(笑)
     その上で…