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記事 13件
  • 「コロナに対する哲学」小林よしのりライジング号外

    2020-03-10 14:40  
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     来る日も来る日も朝から晩まで新型コロナウイルスの話題ばっかりなので、せめてライジングくらいは話題を変えたいところなのだが、これだけいろんな人がしゃべりまくっていても、わしの考えるような本質的な話が一切出てこないのだから仕方がない。ここで語っておくしかなかろう。
     安倍首相が「対策やってるふり」のパフォーマンスのために思いつきで言い出した「全国一斉休校」のせいで、日本中が大混乱となっている。
     そもそも小中高校を一斉休校にして、イベント等も軒並み自粛させるくらいなら、 高齢者施設だって一斉休業にして、老人を自宅に帰して籠らせなければおかしい。 高齢者ばっかり集まっている施設で感染者が出たらあっという間に感染が広がってしまい、そのリスクは学校の比ではないのだから。
     ところが高齢者に対する感染防止策はほぼ皆無のままで、国会ではなぜ対応をしないのかという質問が出ると、自民党の議員が 「高齢者は歩かないから」 とヤジを飛ばす始末だから、もう無茶苦茶である。
     さらに言えば、 最も感染リスクが高いのは通勤ラッシュの満員電車であることは誰の目にも明らかなのに、その対策も全然ない。
     安倍は外交でも経済でも憲法改正でも、実際には何もやらず、やる気もないのに「やってるふり」だけ見せて7年間支持率を維持してきたが、今回も同じことである。
     そしてまたもや安倍が「対策やってるふり」パフォーマンスの思いつきで突然言い出したのが 「中韓からの入国規制」 、事実上の入国拒否である。
     今回も政府対策本部の専門家にすら一切相談もせずに決めたらしく、専門家からは疑問の声が相次いでいる。
      入国拒否は「水際対策」が有効な時期ならありうるが、本当にそれが必要な時期に、政府は逆に春節のインバウンド需要を見込んで中国人観光客を大量に入国させまくってしまった。
     今さら入国拒否をしても、既に国内に感染が広まっているのだから効果は薄く、今は国内の対策に力を入れるべき時期に入っている。 しかももはや感染地域は世界中に広がっているのだから、本気で入国拒否をするのなら、中韓に限らず世界中の感染国を対象にしなければならなくなる。
     そもそもなぜいまこれを決めたのかといえば、 「習近平の来日延期が決まり、中国に配慮しなくてよくなったから」 だというのは見え見えで、少しは真面目にものを考えろと言いたくなる。
     それでも「羽鳥慎一モーニングショー」の玉川徹は、タイミングが遅すぎることは指摘しつつも、「取れる措置は全て取るべきだ」として、今回の規制自体は支持。玉川は全国一斉休校についても、現場の混乱が報道された後になっても「正しかったと未だに思っている」と安倍支持を表明している。
     そんな大人の都合に振り回されている子供もいい迷惑だろう。テレビでは小学校低学年の子がインタビューを受けて、こんなやり取りをしていた。 
    「学校が急に休みになってどう思った?」
    「まさかって思った」
    「休みはどうするの?」
    「どうせばあちゃんち送りになるから…」
     祖母の家に預けられるのが「ばあちゃんち送り」で嫌だとは、この子にとってばあちゃんちって「収容所」か「刑務所」みたいなものなのか?と笑ってしまったが、ここは子供の言い分を聞くべきであって、いま子供を「ばあちゃんち送り」になどしてはいけないのだ。
     WHO(世界保健機関)の調査報告によれば、 新型コロナウイルスによる子供の感染例は少なく、19歳未満の感染者は全体のわずか2.4%で、感染しても症状は軽いという。
      だが高齢者や持病のある人は重症化や死亡のリスクが高く、80歳を超えた感染者の致死率は21.9%と、5人に1人以上にもなる。
     子供は感染率が低く、感染しても無症状か軽症で済むのだから、普段通りに学校に通わせておけばいいのであって、それを休みにして祖父母の家に預けさせたりして、もしもその子が無症状感染していたら、わざわざ高齢者を感染リスクにさらすことになってしまう。
     つまり「ばあちゃんち送りは嫌だ」という子供の言い分は、エゴイズムのようでいて、結果的に非常にパブリックな意見になっているのだ。
     ばあちゃんちに行きたくないという子供の声は全く正しい。子供って、非常に立派なことを言うなあと思ったものである。
     若者はエネルギーがあり余っているものだから、ひきこもりでもない限り、体調も悪くないのに急に学校が休みになったら、家で一日中じっとしてなどいられるわけがない。やっぱり、カラオケやゲームセンターなどアミューズメント施設に出かけて遊んでしまったりするのだから、これでは休校にする意味など何もない。
      北海道の感染状況を調査した専門家によれば、活発な若年層がリスクの高い場所で気付かないうちに感染し、無症状もしくは軽症の状態で道内各地に移動して、高齢者に感染させたと考えられるという。
     これを受けて政府の専門家会議は、「若者は重症化リスクは低いが、感染を広げる可能性がある」として、若者に対して活動の自粛を求めている。
     しかし、老人が感染したら死ぬかもしれないから、若者が我慢してじっとしてろと行政が言うなんて、とんでもないことだとわしは思う。
  • 「リベラル左翼の人権真理教は通用しない」小林よしのりライジング Vol.344

    2020-02-05 19:40  
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    「人権尊重」「差別反対」といった価値観は、いついかなる場合も死守しなければならないような、絶対的価値であるとは限らない。
     それくらいの認識は、大人だったら持っておくべきじゃないか?
     わしが毎日書いているブログのうち、政治・社会や芸能・文化などに関するものは、LINEが運営するニュースサイト「BLOGOS」に転載されている。
     BLOGOSは1300人以上の執筆者のブログを紹介し、通信社などのメディアの記事も掲載している。わしのブログも頻繁に紹介され、閲覧数や支持数のランキング1位になることも度々あって、特に世の中に広めたい意見があるときには役に立っている。
     ところが先週、これこそは世の中に広く訴えなければならないと思って書いたブログが掲載されず、完全に無視されるという事態が起きた。
     そのブログは、1月29日の『日本は中国人旅行者を入国禁止にすべきでは?』である。
    https://yoshinori-kobayashi.com/19692/
     中国湖北省の武漢市で発生した新型コロナウイルスは、ついにWHO(世界保健機関)が緊急事態宣言を行うまでに至った。
      武漢で最初の新型コロナウイルス感染者が発見されたのは、昨年12月8日とされる。
     ところが当初、中国当局は情報を隠蔽。
     12月30日に内部報告の公文書がネットに流出、今年1月1日に中国メディアが流出文書は本物であると報道し、これでようやく事態が明るみに出て、同日ウイルスの発生源と見られる武漢市の海鮮市場が閉鎖された。
     かつてホンダの創業者・本田宗一郎は訪中後に「中華料理は何でも食材にする。4本足なら机以外は」と言ったそうだが、この市場では豚、鶏、ヒツジはもちろん、犬、タケネズミ、キツネ、ヤマアラシ、アナグマ、ラクダ、ヘビ、ワニ、コアラから絶滅危惧種のセンザンコウ(もちろん密漁品)までが生きたまま置かれ、それらの動物の肉や加工品など約150品目が売られており、感染源はここで売られていたコウモリだった可能性が高い。
     だが最初の感染者が発見されてから1か月近くもの間、事態は隠蔽され、ウイルスは無防備に拡散され続けていた。
      そして日本では今年1月6日、武漢からの帰国者に初の感染が確認された。
      ところがその後も中国政府の対応は後手もいいところで、習近平主席が「感染の蔓延を断固阻止」と表明したのが1月20日、武漢市の封鎖を命じたのは23日だった。
     中国は1月24日から30日までが春節の休暇だが、実際にはこの1週間だけではなく、この期間を挟んだ前後40日間にわたって、延べ30億人が旅行やレジャーで国内外に大移動を行う。そのため、中国政府の対応が後手に回っている間に、もう春節の大移動は始まってしまっていた。
      そして武漢市では封鎖が行われる前に、市民1100万人のうち、なんと500万人が市外に脱出していた!
     その500万人のうち7割が湖北省内の地方に行き、6万人以上が北京へ、5万人以上が上海、広州、成都へ、7000人以上が香港、6100人以上がマカオへ移動したという。また、台湾にも桃園、高雄、松山空港経由で7500人以上が入っている。
     さらには、バンコクに2万558人、シンガポール・チャンギに1万680人、そして東京・成田には9080人!
      なんと武漢から9080人もが成田経由で日本各地に入っていた。 そして、武漢からの団体観光客を乗せたツアーバスの運転手とガイドが新型コロナウイルスに感染してしまったのである。
     そんなニュースがようやく報道され始めた頃に、わしは大阪に行った。
     ちょうど春節の真っ最中で、ホテルのロビーに入ったとたん中国語が飛び交っていて、マスクをつけた中国人の旅行客ばかりが目立ち、日本人は自分しかいないのではないかと思うほどで、びっくりしてしまった。
     フロントに並んでも、エレベーターに乗っても、レストランに入っても、中国人の団体客に取り巻かれてしまうので、恐怖だった。
     新型コロナウイルスは飛沫感染だから、エレベーターのボタンなどに唾液などの飛沫が付着し、それに触れた手から感染することもありうる。とにかく日本に来ている以上、接触は避けられず、リスクはあるのだ。
     それなのにマスクをつけているのは中国人ばかりで、日本人はつけていなかった。実際にはマスクには予防効果はあまりなく、自分の飛沫を外に広げないためのエチケットの意味合いが大きいそうだが、わしはその光景を見て、日本人の危機意識の不足を感じた。
      中国政府は1月27日以降、海外への団体旅行を禁止した。ただし個人旅行は禁止していない。そして日本は中国からの観光客を受け入れ続けている。
  • 「『泥にまみれて』は男尊女卑小説か?」小林よしのりライジング Vol.336

    2019-11-19 21:15  
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     次から次へと女遊びをして、その女を自宅に連れ込み、さらに外に子供まで作って、それを妻に洗いざらい話して世話までさせる夫。そんな夫の言動に毎度のごとく驚愕させられ、全身傷だらけのような気持ちに陥れられながらも、折り合いをつけて飲み込んでいく妻。
      石川達三『泥にまみれて』 を読むと、夫を必死で受け入れようとして、自分の独占欲と闘わなければならなくなった妻の心理描写にはとても共感する部分が多いのだが、現実には、とてもじゃないがこんな男とはつきあいきれないとも思えてくる。
     そもそも夫の女が訪ねてきて悪びれる様子もなかったら、私だったらその女とつかみ合いの乱闘になり、物理的に血まみれ泥まみれの戦争を巻き起こすだろう。
      けれどもこれは、あくまでも現代っ子の、わがままで、ロマンティシズムにはまりがちな私から見た超近視眼的な感想だと思う。 もう少しこの小説を俯瞰しながら考えたい。
    ●夫と妻の決定的な違い
    『泥にまみれて』は、20代前半で結婚した夫婦が、20年間に体験した出来事を、時代背景とともに妻の目線で描いた作品だ。1925年頃に結婚し、1945年の敗戦までの様子が綴られている。
     夫は帝国大学、妻は女子大学で、社会主義思想に傾倒してマルクスの『資本論』を耽読するなど言論活動を行っていた同志で、夫はその中心人物だった。時代的に相当危険な活動をしていることになる。妻は夫についてこう語っている。
     私の心に一番強い印象をあたえたものは、ほかの社会主義者たちが一様に一種深刻めいた暗い表情をしているなかで、あの人だけが明朗闊達な性格をしておられたことでした。天衣無縫と言っては言い過ぎだろうけれど、何ものにも拘らないで押しまくって行くあの強さと、恥も外聞も問題にしないあの開けっ放しな天性とは、私にとってこの上もない魅力でした。
     
     この夫婦には、決定的な違いがある。
     調べてみると、この時代に高等教育を受けていた女性は、わずか0.1%。かなり特殊な人だ。だが妻は結婚すると、ただただ夫のことばかりを考えて生きるようになる。その一方で、夫のほうは、筋金入りの表現者として生きていくのである。
     当時は 治安維持法の時代 だ。夫は何度も弾圧を受けるが、屈することはなく、左翼劇団で社会風刺の脚本や劇評を書きつづける。特高警察に逮捕されても、自由になればまた書きはじめる。そのなかで、どうやら拷問を受けているらしいと想像させる描写もあるのだが、それが夫から語られることはない。
     中国に渡って上海の新聞に掲載されたりもし、戦況の変化に従って、ますます狂気を発して立ち向かう。あえて書けば、女子供が一緒に闘える程度の生易しさではないものと闘う男、という部分が垣間見えるのだ。 超強靭な反骨精神と闘争心を抱えた激情家の男 なのである。
     そして、この激情は権力だけではなく、女性に向かっても発揮される。劇団の女優や、劇場で出会ったピアニストなど新しい刺激をくれる女性に次々と惚れては、自分の女にしてしまうという身勝手な状態を巻き起こすのだ。
     一方の妻は、これほどの反骨精神を持つ激情家の夫に惚れ込み、子供を抱えながら夫の活動を支える人生を選ぶ。自由恋愛からはじまったため、最初は 「愛する夫に愛される私」 という幻想に浸っているが、すぐに夫の凄まじさを目の当たりにする。手始めに、結婚前に付き合っていた女をあっけらかんと紹介され、その現実によって幻想を粉砕されるのだ。
     でも、夫と生きたい。そのため妻の頭のなかはどんどん 「夫と私」の幻想 を求めるようになり、現実の夫の言動によって常に動揺させられ、自分の身の振り方にすら迷うようになる。夫は表現活動をしながら次々と女にも惚れる。ますます 「夫と私」の幸せ だけが欲しい。頭のなかが欲望に占領されてしまう。
     そうして妻は、自分の中に襲い来る数々の感情の波に揺さぶられ、それを夫にぶつけたり、夫の愛人への憎悪として心のなかに積もらせたり、夫を理解しようとするがゆえに、それらの感情を自分の内面で処理しようと論理を展開したり、理屈を編み出したりして苦悶する。
     この苦悶の果てに、ついに妻は、 「妻」という立場にこだわるのでなく、一切の我欲を捨てて「夫の母親となる」ことで、すべてを包んで安定しようという境地 を見るようになる。
    ●『泥にまみれて』に見える男尊女卑
  • 「アメリカの文明の野蛮」小林よしのりライジング Vol.335

    2019-11-06 14:40  
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     以前も紹介したが、岡本太郎は70年大阪万博のテーマ館プロデューサーに就任し、「人類の進歩と調和」というテーマに対して「人類は進歩なんかしていないし、調和もしていない」と断言した。
    「人類の進歩と調和」は「科学技術万歳」で、科学力さえ進歩すれば人類も進歩するという発想によるものだったが、それを真っ向から否定したのだ。
     50年後の今、岡本太郎は完全に正しかったと常に思わされる。
     先月27日、アメリカのトランプ大統領はホワイトハウスで「昨夜、アメリカは世界最悪のテロリストのリーダーに正義の鉄槌を下した」と演説し、米軍の軍事作戦によって武装過激派組織イスラム国(IS)の指導者、アブ・バクル・アル・バグダディが死亡したと発表した。
     米軍は数週間前にシリア北西部のバグダディの潜伏先を突き止め、2週間ほど前から秘密裏に作戦を計画。
     作戦は現地時間26日夜に実行され、米軍の特殊部隊がヘリコプター8機で潜伏先の建物を急襲。建物の正面には爆弾が仕掛けられていたため、部隊は建物の横に穴を開けて侵入し、応戦してきた戦闘員5人と、自爆ベストを着ていたバグダディの妻2人を殺害。
     バグダディは周辺のトンネルに逃げ込むが、軍用犬に追い詰められて自爆ベストを起動させ、一緒にいた3人の子供と共に死亡したという。
     トランプはホワイトハウス地下の作戦指令室で現地からの生中継を視聴、「映画を見ているようだった」と言い、自爆する直前のバグダディについて「臆病者のように泣き叫んでいた」と述べた。
     本当にバグダディが泣き叫んでいたかどうかについては、記者会見で作戦の詳細を説明した中央軍司令官が「確認できない」と述べており、トランプがバクダディを「臆病者」として印象づけるために話を「盛った」のではないかと言われている。
     ともかくトランプは、現地から遠く離れた全く安全な場所で、まるでゲームのように面白おかしくそれを見物しておけばいいのだ。
     前任の大統領で、なぜかノーベル平和賞受賞者であるオバマも、かつて同じことをやった。
     2011年、米軍が9.11テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディンを殺害した際、オバマら政権中枢は今回と全く同じようにホワイトハウスの作戦指令室で現地からの生中継を見物し、ビンラディンの死亡を確認すると、記者会見で「正義はなされた」と宣言したのだった。
     科学力の進歩が、そういう事態を作り上げてしまった。アメリカという「文明国」だから、それが出来るのだ。
     わしは基本的に、イスラム国は大嫌いである。あれは日本の自称保守派と同じ男尊女卑の連中だから、潰して全然構わない。とはいえ、その指導者が無惨に殺害されていく様を、全くの他人事のように高みの見物で眺めていられる神経には、呆れ果てるばかりだ。
     トランプは、少しは自分の身に置き換えてものを考えるということができないのだろうか。
     例えばものすごく性能のいいドローンが開発されたら、トランプだってどこかの何者かからどんどん追い詰められて、暗殺されてしまうことだってあり得るのではないか?
     大国にしかできないこととは限らない。このままメカの性能がどんどん発達して行ったら、中東からの遠隔操作で暗殺ドローンが大量にホワイトハウスを襲撃することだって、不可能とはいえない。
     そんなことになったら、トランプはどんな臆病者の醜態を見せることになるだろう? 泣き叫びながら小便垂れ流して逃げ回った挙句、惨めな死にざまをさらすんじゃないか?
     そんなことを一切想像もせず、たまたま自分が圧倒的に有利な立場にいるということだけに乗っかって、追い詰められて死んでいく敗者をせせら笑う精神は、とてつもなく野蛮だとしか言いようがない。
     トランプはイスラム国を潰すために利用したクルド人を、あっさり裏切った。
     米国は2014年、イスラム国の支配圏拡大を阻止するためにクルド人に協力を要請。武器と金を渡し、訓練と後方支援を行い、戦闘に当たらせてきた。
  • 「アイドルはルックス、政治家は能力」小林よしのりライジング Vol.247

    2017-11-21 22:25  
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    第253回「アイドルはルックス、政治家は能力」  新宿ホスト風ライターの古谷経衡が、「SAPIO(11・12月号)」で『女政治家の通信簿』と題する、愚にもつかない記事を書いている。
     記事そのものに対する批判はブログでトッキーが徹底的にやっているのでそっちに任せるが、今回はそれとは別に、記事から一カ所気になったところを取り上げて、考察をしてみたい。
     古谷は、政治の世界への女性の進出が一向に進まないのは、女性の側にも応分の理由があると責任転嫁し、こう書いている。
      とりわけ女性の政治的自立や自覚が足りない。男性側には、「選抜総選挙」と銘打つ女性アイドルを愛玩動物のように消費する幼稚で後進的な女性観が寡占的で、若手批評家が「アイドルの○○推し」を公言して憚らない時期があった。誰もこれを異常と言わない。女性を個として認識せず、愛玩の対象とする異様性は日本特有のものだが、女性側もそれに異を唱えない。
     言論人で「『アイドルの○○推し』を公言して憚らない」者といえば、まずわしのことだと自負してもいいくらいで、古谷も当然わしのことを念頭に置いて書いたはずだが、わしの名前を出して批判するわけでもなく、そればかりか、「若手批評家が」として、わしのことではないかのようにして書いている。そんなにわしを敵に回すのが怖いのか?
     それはともかく、AKBの総選挙が女性アイドルを 「愛玩動物のように消費する幼稚で後進的な女性観」 による 「日本特有」 の 「異様性」 の産物だというのなら、ミスコンテストは一体どうなるのか?
     あれだって女性をずらっとステージ上に並べて「品定め」して序列をつけているんだから、女性を 「愛玩動物のように消費する幼稚で後進的な女性観」 の産物だと言えてしまうではないか。
      ミスコンは「日本特有」のものではない。むしろ海外から入ってきた文化で、世界中で行われているのだが。
     90年代、堺市の女性市民団体がミスコン反対運動を起こして、話題となったことがある。
     同団体は 「ミスコンは女性差別の集大成」 と主張し、ステージ上にエントリーした女性を並べて審査する方法については、 「昔のアメリカの奴隷制度がまかり通っていた暗黒時代の人身売買のエントリーのしかたと何ら変わりがない」 とまで言っていた。
     同団体の運動のために、一時は各地のミスコンが次々と中止に追い込まれたが、今ではかなり復活して来ている。
      古谷はこの女性団体と同意見で、ミスコン廃止を訴えているのか?
     そもそもこんなこと言い出したら、グラビアアイドルだって成立しない。
     グラドルだって、女性をルックスだけで 「愛玩の対象」 としており、 「個として認識」 していないということになってしまう。
     もちろんグラビア雑誌だって海外にもいくらでもあり、グラドルが 「日本特有」 の 「異常性」 だというわけでは全くない。
     前述の堺の女性団体は、女性をルックスだけで評価するのはけしからんとして、「大切なのは人柄なのよ」と唱えていたが、古谷が言っているのも全く同じことである。
     だが、わしはこれをそんなにイデオロギー化しては捉えられない。
  • 「男の人ってやっぱり恐い…と思った日のこと」小林よしのりライジング Vol.238

    2017-09-05 21:30  
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     今回は、前回の牛乳石鹸CM炎上事件の考察から、「男尊女卑とはなにか?」を思い巡らせたとき、頭の中に浮かんだ光景を、ちょっと素直に自分の目線から綴ってみたいとおもう。
     こういうことを“創作”でなく“体験エッセイ”として書くと、「やっぱり水商売の女だな」と思われそうで嫌だし、特に女性からは白い眼で見られたりするかもしれないけれど、しょうがない。まずは私の立ち位置から見える男女の姿を、そのまま書いてみたい。
    ***
     私は水商売の経験がとても長い。若い時に借金を作ったからだ。ライターの仕事だけでは何十年かかるかわからないと不安だったので、とにかく夜でも時間給のつく場所にいたかった。
     水商売と言っても、いろいろ。新宿歌舞伎町、銀座、東中野、門前中町……高級会員制バーで、色気もないのに無理してドレスを着て厚化粧して、 「女なのに女装」 のようなトンマな状態になっていたこともあるし、四畳半ぐらいの店をひとりで切盛りして、生活保護のおやじに飲み逃げされたこともあるし、大きなキャバクラのキッチンで、着飾ったキャバ嬢たちに命令されてお酒を作ったり、吸い殻の入った灰皿を投げつけられたりして、 「クソ女どもぶっ殺す」 と本気で思っていたこともある。
     今は執筆や編集の仕事がメインなので、新宿二丁目にある家族経営の音楽バーで週末にちょっと手伝うぐらい。時給はコンビニの深夜給と変わらないし、別に高額のお酒を売っている店でもない。酔った客の乱闘にたびたび巻き込まれるので、服装はいつもTシャツ、ジーンズ、スニーカー。
     LGBTの町なのもあって、一般的に想像される「女が男に媚びてキャイキャイ」とか「男性を気持ちよくさせて、カネを吸い上げる」ような、『黒革の手帖』的世界とはかなり違って、どちらかと言うと、女尊男卑な空気があると思う。
     ちなみに私は、男性よりも女性に誘われることのほうが多い。そういうちょっと特殊な環境にいる。
    ●背中に矢の刺さった男性たち
     もともと飲み歩く習慣のない人間だったので、最初のうちはどうしてこんなに人が外で酒を飲むのかわからないほどだった。けれど、いろんな場所から、いろんな男女を見てきた中で、ずっと気になっていることがある。
     それは、どんな店でも、 飲み屋の扉を開いて入ってくる男性のなかには、背中に折れた矢が刺さっているように見える人がいる ということだ。
     すごく変な言い方をしていると思うし、私が勝手になにかを投影しているだけで、気分よく働くための偏見なのかもしれない。でも、たしかに刺さっている。
     もちろん、なにも刺さっておらず、身軽そうで楽しそうな空気の人もたくさんいる。
     そのなかで、“まるで戦から帰ってきたかのような”疲労困憊した雰囲気や、押し詰められた感情、敗北感、やせ我慢のようなものが入り混じった空気を無意識のうちにまとっている人が男性には少なからずいて、そして、 そういう人は、飲み屋には決して楽しむためにワクワクした様子でやってくるわけではない ということだ。
     パーソナリティもさまざま。楽しい話だけをする人もいれば、ちょっとだけ愚痴をこぼす人もいるし、威張って得意気になる人もいれば、話しかけると「ごめん、ちょっと放っておいてくれる?」と突き放したきり寡黙な人もいる。酔うとやたら横柄になってきて、やっぱり優しくできないなと思えてくる人も、もちろんいる。
     で、この矢は酒を飲んだところで抜けない。まとった空気は多少軽くなったり、気分が良くなったりはするようだけど、帰っていくときも矢は刺さっていて、ちょっと足元をふらつかせながら、夜の街を歩いて去ってゆくその背中は、本当に哀しく見えるのだ。
     あの哀しみは、いったいなんだろう?
    ***
     私にはきっと好みの男性を色眼鏡で見る部分があるから、そういう人を都合よく武士のように見立てて、もてなそうとしているだけかもしれないと考えてみた。
     でも、好みでもなく、人となりをよく知らなくても、やっぱり第一印象でそのような空気を帯びている人はいる。何年も何年も飲み屋で人を迎えてきて、なんだか見えてしまうんだからしょうがない。
     それに、不思議なことに、女性にはそのような矢の刺さった人はいない。
  • 「『政治分野の男女共同参画推進法』は必要」小林よしのりライジング Vol.205

    2016-12-20 21:15  
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     自民、公明、日本維新の会の3党は12月9日、「 政治分野における男女共同参画推進法案」 を衆議院に提出した。
     これは国政や地方議会への女性の政治参加を促し、選挙では男女の候補者数をできる限り均等にするよう政党に求めるものだ。
     現在、女性の国会議員の割合の世界平均は、約22%。
      ところが、日本の女性国会議員は衆参合わせて11.6%。これはIPU(列国議会同盟)によるランキングでは、189か国中147位である。
     なお、両院制の国では下院のみを集計したランキングもあるのだが、日本で下院にあたる衆議院の女性割合は9.5%で、こちらだと153位まで沈む。
     いくら「女性活躍推進」などと言ったって、政治の現状がこれでは掛け声倒れになるのは必至で、まずは政治分野における男女共同参画を推進しようというのだろう。
     この法案は、当初は超党派の議員連盟で国会に提出する動きがあった。
    議連は2015年2月に発足、民主党の中川正春が会長、自民党の野田聖子が幹事長を務め、同年8月に骨子案をまとめた。そして、2016年5月の国会提出を目指して、一度は与野党で大筋合意に至っていた。
      ところが提出直前の国会会期末、自民党内の部会で異論が噴出し、提出できなくなった。 そのため民進、共産、生活、社民の野党4党のみで国会閉会前日の5月30日に衆院に法案を提出したが成立せず、継続審議となった。
     この法案は 「国政選挙の候補者は、できる限り男女同数をめざす」 となっていたが、 自民党からは「同数」ではなく「均等」にすべきだという強い異論が出たという。
    「同数」と「均等」では大して違わないような気もするが、「同数をめざす」と「均等をめざす」だと、やはり後者の方が目標の緩い表現だろう。少しでも男女平等は遠ざけたいという、自民党の意識が透けて見える。
      自民、公明、維新の3党は対案として、 「均等をめざす」 とする法案をこの秋の臨時国会に提出しようと検討していた。
      ところがこれもまた自民党内で紛糾した。
     11月の合同会議では、西田昌司参院議員が 「女性の社会進出で、社会全体が豊かになっているとは思えない。もっと根本的な議論をしてほしい」 、山谷えり子参院議員が 「法律をつくることで、かえって男女の対立が生じてしまうのでは」 と反対を唱え、他にも 「能力のある人は自力ではい上がる」「政党が自ら努力する話」 などと異論が噴出し、 法案の了承は見送りになった。
     12月7日の党首討論では、民進の蓮舫代表が安倍首相に 「『輝く女性』と言ったのなら、党内をまとめてくださいよ」 と自民の対応を批判。
      そうしてようやく自民党も法案提出となったわけだが、総務会で法案を了承する際には「反対だ!」との怒号が飛び交ったという。
     今後は既に法案を提出している野党4党とも協議に入るようだが、今国会での成立の見通しは立っていない。
     12月16日の産経新聞オピニオン欄「ニッポンの議論」は、賛成派の野田聖子と、反対派の西田昌司へのインタビューを両論併記で載せた。
  • 「タネと畑というトンデモ説の正体」小林よしのりライジング Vol.196

    2016-10-11 21:05  
    153pt
     先週は「女性の活躍で圧勝した『朝ナマ』の議論」と題して、9月30日深夜の「朝まで生テレビ! 激論!象徴天皇と日本の未来」における、弁護士の萩谷麻衣子さんと、国際政治学者の三浦瑠麗さんの発言を中心にまとめた。
     だがその議論にはもう一人「女性」が参加していた。皇位の男系継承固執を主張した、「次世代の党」前衆議院議員、杉田水脈(みお)氏である。
     今回は、その杉田氏の意見を検証してみよう。
    杉田「男系継承っていうものは、今までずっと続いてきたもので、これは、私はちゃんと尊重すべきだと思っておりまして、このまま続けていくべきだと思っています。
    その理由といたしまして、この男系継承というのは、実は、よく女性差別だと、この間も国連の女性差別撤廃委員会でそういうことを触れられたというような問題もあるんですけれども、女性差別だと言われるんですが、実はこれは男性を排除してきたのであって、女性差別ではない」
     さっそく竹田恒泰のコピペである。
     最も尊い「天皇」になれるのは男性だけ、女性はダメ、女系はもっとダメと言ってるのだから、女性差別に決まっているではないか。 
    杉田「結局、日本女性は、誰でもプリンセスにはなれるんですよ。だけれども、男性は、皇室に入ることは出来ないわけですね、男系でつないで…」
     プリンセスという言い方は美しいが、実態は「産む機械」に過ぎない。しかも「男子を産む機械」ではないか。
     男性は「産む機械」の役割りが果たせないから、必要ではないというだけのことだ。
    杉田「それで、これは何かというとやはり私は、男性の野心、本能的野心を食い止める歯止めだったんじゃないかと思ってます。というのは、結局、男性はね、よく聞くのは本能的に、自分のタネを子々孫々残したいという方はたくさんいらっしゃいますけど、女性でそういうことを言う方いらっしゃらないですよね」
     男性は野心がある、つまり主体性を持っている。
     女性は安心、野心がない、主体性がないという考え方を無意識に信じているが、これも男尊女卑である。
    杉田「そこは、私は男性と女性の違いだと思っています。これはほんとに本能的な違いだと思ってまして、渡部昇一先生なんかは、男性はタネで女は、あの、女性は畑だとおっしゃるんですけれども、」
     おっと、今度は渡部昇一のコピペである。
     わしはここで、思わず「それアホだよ! アホ!」と馬鹿にしてしまった。
    杉田「でもそれは渡部昇一先生だけがおっしゃっているわけではなくて、江戸時代なんかの子供向けの図鑑なんかに、そういう人体とかをちゃんと男性と女性の違いというのを図解した中にも、そういった記載がちゃんとあるんですね」
     あまりにもバカバカしい。わしはここで、稲の種子は、種子の中に雄しべと雌しべが入っていて自家受粉される、畑は関係ない、理科で習うことだと、手っ取り早い説明で言ってしまったが、実は正確ではない。
     あとで正確な知識を書こう。
  • 「天皇は『Y染色体を入れる器』か?」小林よしのりライジング Vol.192

    2016-09-13 22:40  
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     9月11日、「天皇陛下のお気持ちをなぜ叶えないのか?」と題して第58回「ゴー宣道場」を開催した。
     当初の予定にはなかった緊急開催で、先月の関西道場に引き続き天皇陛下の生前退位がテーマである。
     安定的な皇位継承が実現するよう支援することを最重要のテーマとして掲げてきたゴー宣道場としては、事態が切迫しているいまこの問題を出来る限り議論していく以外にない。
     それにしても日本の歴史上、一般国民がこれほどまでに天皇陛下に堂々と盾突くことのできる時代などあっただろうか!?
     天皇陛下の「玉音放送」である8月8日のビデオメッセージで、陛下はお言葉の最後に 「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話ししました」 とおっしゃり、 「国民の理解を得られることを、切に願っています」 と締めくくっておられる。
     あのお言葉は、自らの高齢化による譲位が入り口であり、その出口は皇位の安定的継承を願い、それを国民に託すというものになっている。
     本当なら、これを聞いてすぐにご真意を拝察し、皇室典範を改正して譲位の制度化に向かう以外にないのである。
     ところがこのお言葉を受けても、政府は制度化ではなく「一代限り」の生前退位を、しかも特措法で実現してしまおうとしており、皇室典範には手を付けずに済まそうと目論んでいる。
     そして「保守」を騙る者たちがこれを支持しており、それどころか中には生前退位そのものにも反対し、天皇陛下が間違っていると公然と主張する者までいるのである。
     わしはこういう者たちを「逆賊」と呼ぶ。そもそも彼らはこんなことを天皇陛下に面と向かって言えるのだろうか? そこまでの諫言をするのなら、作法として切腹しなければいけないくらいの大ごとであるのに、彼らは何の覚悟もなく、平気で言ってのけるのだ。
     自称保守派は、天皇は祭祀と国事行為さえしておけばいいと主張し、今上陛下が最も重視してこられた被災地ご訪問などの公務は、もともと必要ないとまで言っている。
      公務は天皇と国民が直接対話していくことであり、昔の天皇でいえば「国見」にあたる。
     古代国家の建設期、天皇は積極的に地方へ行幸(天皇の外出を「行幸」、複数個所を回ることを「巡幸」という)して「国見」をした。
     天皇は国見をしてよい言霊を放つことでよい国になるように祈り、その際に詠んだ国褒めの歌がいくつも残されている。そして、天皇は国見によって支配下の国の様子を知り、在地の主張と服属儀礼を結んだのである。
     近代国家の形成期にも、明治天皇が全国を巡幸し、人々に新たな時代の到来を実感させると共に、地方の民衆を統合して近代国家建設のために効果を上げた。
     そして明治天皇が崩御し、明治神宮が建設される際には、生前の天皇のご厚情に報いようと全国から10万本もの献木が寄付され、15万人ものボランティアが手銭手弁当で上京し、広大な鎮守の森を人手によって造り上げたのである。
     戦後の混乱期にも、昭和天皇が自らのご意思で、国民を慰め、励まし、復興に立ち上がるための勇気を与えるために全国をくまなく巡幸している。この時の天皇と国民の触れ合いは『昭和天皇論』に描いた。
      今上陛下は歴代の天皇の国見に学び、象徴天皇として国民と共にあるという姿を作るためには公務が絶対に必要だとお考えになり、地方巡幸などの公務を増やしてこられたのだ。
     だが自称保守派は天皇が公務として全国に出かけ、国民と触れ合うこと自体に反対している。なぜなら自称保守派の連中は、いつでも自分たちに都合よく天皇を政治利用できるようにしておきたいというのが本音であり、そのために、天皇と国民の間を分断させておきたいのだ。
     だから自称保守派は、天皇が勝手に公務を増やしてしまったのであり、高齢なら減らせばいい、天皇は祭祀と国事行為だけやっておけばいいのだと言うのだ。 
      だがこれは、今上陛下が長年にわたって全身全霊をかけて築いてこられた象徴天皇像を根本から叩き壊そうとしているに等しい。今上陛下の人生を全否定しているに等しいのである!
  • 「オリンピックに見る女性の時代とボコハラム」小林よしのりライジング Vol.189

    2016-08-23 20:55  
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     わしはナショナリストだが、オリンピックに関心が強い方ではない。
     テレビで中継を見始めてしまうと仕事にならなくなるから、あえて関心を持つまいとしてきたということもある。
     わしは女子マラソンのファンだったので、オリンピックでもそれだけは見ていたのだが、最近では日本人の有力選手がいなくなってしまったので、関心を失ってしまったというのも大きい。
     ところが今回のリオ・オリンピックでは、女子選手の活躍につい興奮し、感動までしてしまった。
     特に卓球の福原愛、石川佳純、伊藤美誠の活躍とその背景を見ていると、昔の日本人とはずいぶん違ってしまったなあと感慨深い。
     昔の根性論は、例えば『巨人の星』のように、親父が息子をスパルタ教育するものだった。それは戦時中に軍隊教育を受けた親父が多かったからという事情もある。
     わしの父も、戦時中は徴兵にとられて軍事教練を受けていたし、わしが小学生の頃は、学校の先生も戦時中の体験があるから、スパルタ教師が多かったものだ。
     戦中派の教師が定年退職し、戦後派の教師と入れ替わるころには、『巨人の星』のような父と息子の根性論はやがてパロディのネタにされ、反戦平和教育の中で、スパルタ教師なんていなくなってしまっていた。
      だが今は、母が娘を根性論でスパルタ式に英才教育している。
     福原愛が母親の特訓を受ける姿は、幼児の頃からメディアに出ていたのでよく知られているが、石川佳純や、今回脚光を浴びた15歳の伊藤美誠も同様で、二人とも卓球選手だった母親から英才教育を受けている。
     伊藤が卓球を始めたのは2歳の時。母は伊藤が幼稚園の頃から毎日7時間程度の練習をさせ、どうしてもできない技術があったときは、夜遅くまで練習させることもあったという。
     石川が卓球を始めたのは6歳で、トップ選手になるためには早期教育が特に重要とされる卓球においてはやや遅いスタートだったが、それをカバーするために、母は自宅に卓球場を建てて練習させた。
     そして、伊藤も石川も過酷な練習を強いられているのに、母と仲が良く、母娘密着がものすごく強い。娘は母が自分のためを思って泣く泣くスパルタ教育をしているということを知っていて、それで母に感謝しているのである。
     レスリングでは伊調馨が、女子ではオリンピック全競技を通じて史上初となる個人種目4連覇を達成したが、伊調の場合も母の影響が強いという。
     伊調の家は父と兄姉がレスリング選手だったが、勝負に対する厳しさはむしろレスリング経験のない母から教わったものらしい。何しろ教育方針が 「勝負事には死んでも勝て」 だったというのだから、すごい母親だ。
     伊調の母は一昨年亡くなったが、伊調はその遺訓を噛みしめながら戦い、土壇場の大逆転でオリンピック4連覇を達成。「最後はお母さんが助けてくれた…」と泣いていた。
      いまは母が娘にスパルタ教育をしている。
      不思議なことに、いまはむしろ父がスパルタ教育をできなくなっているのだ。 伊藤美誠、石川佳純は父も卓球経験者らしいが、なぜかその存在はほとんど見えない。
     男がスパルタ教育をやると何か毛嫌いされてしまうし、父と息子がものすごく強く結びついていたら気色悪いという感覚になってしまう。今となっては『巨人の星』の世界などちょっとヘンタイかと思われそうなのだが、母と娘だったら、それが許容されてしまうのだ。
     リオ・オリンピックを見ていてさらにもう一つ、変わってきたと思うことがある。