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記事 5件
  • 「立憲主義どころじゃないって無茶苦茶」小林よしのりライジング Vol.332

    2019-10-08 20:35  
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     立憲民主党という政党ができ、立憲主義、立憲主義と何度となく繰り返してきたため、「立憲主義」という言葉だけは一般にも知られるようになってきた。
     ところが、「立憲主義」とはどういう意味か、それ以前にそもそも「憲法」とは何なのかということを理解している人が全然いないのだから、全く途方に暮れてしまう。
     れいわ新選組代表・山本太郎は、東京新聞9月22日付のインタビューでこう発言した。
    「『立憲主義に基づいた政治を』との主張は大切だが、それどころじゃない。厳しい生活を少しでも楽にする政策は何なのか、具体的に話さなければいけない」
    「憲法二五条が定める『健康で文化的な最低限度の生活』ができている人がどれだけいるのか。現行憲法を守らずに憲法を変えようという人たちは信用できない」
     これを読んでわしは即座にブログに「山本太郎、終了!」と書いた。
     先の参院選では、わしは山本太郎に投票した。そのこと自体は、重度身障者を2名も国会に送り込み、一気に国会をバリアフリー化してしまうという快挙につながったから良かったと今でも思っている。
     だが、憲法について、立憲主義について、ここまで完全なる無知であることがわかってしまっては、もうこの先は支持できない。
      憲法とは、国民が権力を縛る命令書である。
     そして、権力は憲法に書いてあることを守らなければならないというのが、立憲主義である。
     憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書いてあるのだから、権力はこれを守り、国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障しなければならない。これが立憲主義というものだ。
      山本太郎は、憲法25条が守られていない、すなわち立憲主義が守られていないと憤慨しておきながら、その一方で「いまは立憲主義どころじゃない」などという暴言を吐くのだから、もうシッチャカメッチャカである。脳みそがひん曲がっているとしか思えない。
    「立憲主義どころじゃない」 というのは、 「権力は憲法の縛りに従っている場合じゃない」 という意味である。つまりは事実上 「権力は憲法を守らなくていい」 と言っているわけで、山本太郎は 「権力の暴走を容認する」 と表明していることになるのだ。
     そして、まさに安倍政権も「立憲主義どころじゃない」と思っているから、憲法を守らないのだ。 憲法25条だけでなく、憲法53条に規定された臨時国会召集を無視したケースもそうだし、あいちトリエンナーレの補助金不交付も憲法21条に書かれている「表現の自由」の保障に違反している疑い が濃い。
     政権がそんな状態だからこそ「立憲主義を守れ!」と言わなければならないのに、「立憲主義どころじゃない」なんて言ったら、もうおしまいである。政権にしてみたら、「山本太郎さん、ありがとう! お言葉に甘えて、憲法は守りません!」ってなもんだろう。
     しかし、山本太郎の発言がとてつもなくヘンだということに気づいた人は、果たしてどれだけいただろうか?
     政治家でさえレベルが著しく低下していて、立憲主義とは何かを正確に理解している人の方が少数派だろう。
     ましてや国民は立憲主義なんか一切理解しておらず、山本太郎の発言に違和感も持たずにスルーした者の方が大多数なのではないか?
     日本では、誰も「憲法」も「立憲主義」もわかっていないのだ。
     安倍首相は4日の臨時国会の所信表明演説の最後に「令和の時代の新しい国創り」について触れ、 「その道しるべは、憲法です」 と述べ、憲法改正への意欲を見せた。
      安倍晋三は、憲法を「権力を縛る命令書」ではなく「国創りの道しるべ」だと思っている。安倍も立憲主義を一切理解していないのだ。
     もっとも安倍は以前も国会で、「憲法は国家権力を縛るもの」というのは 「かつて王権が絶対権力を持っていた時代の考え方」 であり、今の憲法は 「日本という国の形、そして理想と未来を語るもの」 だなどと、八木秀次あたりから吹き込まれたのであろうトンデモ憲法論を堂々と答弁していたくらいだから、今さら驚かない。
     ともかく安倍は参院で「改憲勢力」3分の2を割った今国会においても、憲法改正に意欲を見せている。それ自体は良い。わしは憲法改正の意欲を持ち続けていることは好意的に評価する。
     ところが共同通信の世論調査では、「内閣が優先して取り組むべき課題」(2つまで回答)のトップは「年金・医療・介護」(47.0%)で、次が「景気や雇用など経済政策」(35.0%)。 「憲法改正」はわずか5.9%で、8番目だった。
     つまり、国民の大多数も山本太郎と同様に、憲法なんか後回しでいい、今は目の前の暮らしの方が大事だとしか思っていないわけで、立憲主義もへったくれもありゃしないのである。
  • 「『ゴー宣2nd』第1巻の秘密の意義」小林よしのりライジング Vol.295

    2018-12-11 21:05  
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     いよいよ明日・12月12日、『ゴーマニズム宣言2nd season』第1巻が発売される。
     わしが「龍皮」と呼んだカバーの質感や、表紙を開くと出てくる中トビラのかっこよさなどは、電子書籍では味わえない魅力であり、ぜひ手に取って、ブックデザインも込みで楽しんでほしいと思う。
     今回の収録作品は、以下の通りである。
     第1宣言 復活の狼煙を上げる
     第2宣言 西部邁、属国に死す
     第3宣言 権力忖度システムの愚劣
     第4宣言 立憲的改憲という選択がある
     第5宣言 女人禁制は伝統ではない
     第6宣言 セクハラより人材だ
     第7宣言 枝野幸男・コスタリカ・ガンジー主義
     第8宣言 長谷部恭男の愚民思想を撃つ
     第9宣言 地位協定と憲法9条
     第10宣言 安倍「自衛隊明記」の危険
     第11宣言 「自衛隊明記」に潜むコンプレックス
     第12宣言 君たちはどう生きるか
     第13宣言 オウム教祖・幹部、死刑執行
     第14宣言 なぜ高学歴の若者がオウムに入ったか
     第15宣言 VXガス暗殺団との戦い
     第16宣言 吉本隆明らインテリの犯罪
     第17宣言 オウムを利する危険なリベラル
      BEFORE 2nd Season
     特別収録 教育勅語で道徳は復活しない
     特別収録 憲法と山尾志桜里の真実
    「週刊SPA!」掲載時とは章立てが異なるので、雑誌連載では「第〇章」、単行本では「第〇宣言」として区別することにした。
     雑誌での第13章『明治憲法も押しつけだった<1>』は、<2>以降をまだ描いていないため、それを描いてからまとめて収録する予定である。
     各章の間にはトッキー、みなぼんとの「公開密談」や解説、「週刊エコノミスト」で連載した『読書日記』から選んだ3作などを収録。特に巻末の檄文は心して読んでもらいたい。
     収録した『ゴー宣』については、ライジングの読者には既に雑誌連載時に読んだという人も多くいるだろうが、それでもう読み終えたと思っていたら、ちょっと認識が甘い。
     実は、これらの作品を1冊の本にまとめたことで、ここに大きな思想的問題が封じ込められたのだが、それがわかるだろうか?
     この本の中には、あらかじめ重大な矛盾を含ませている。
     この本に収録した作品の大きなテーマの一つは、「立憲的改憲」である。
     その一方で、わしはオウム真理教幹部の死刑執行に関連して、死刑制度に賛成する主張を展開している。
     この二つの主張は、実は衝突するのである。
  • 「ファッションとしての立憲主義に誤魔化されるな」小林よしのりライジング Vol.163

    2016-01-26 21:35  
    153pt
     民主党は現在、維新の党と合流交渉を行っているが、合流が実現した場合は「民主党」の党名を変更することが既に決まっているという。
     民主党政権時代のマイナスイメージがどうしても払拭できないものだから、夏の参院選までに看板を掛け替えたいらしい。
     思えば自民党も、民主党に敗れて野党に転落した当時は見るも無残な落ち込みようで、「『自由民主党』の党名を変えるべきではないか」と真剣に言う議員もいたのだが、変われば変わるものである。
     そんな民主党の新党名について、朝日新聞1月22日の天声人語は「立憲民主党」はどうかという案を紹介していた。
     これは「立憲政治を取り戻す国民運動委員会」なる一派の設立記者会見の中で出た提案だという。
     同委員会は憲法学者の小林節慶応大名誉教授や樋口陽一東大名誉教授らが代表世話人を務め、学者や弁護士ら約200人が参加している。
     団体設立の目的は、安保法に対するさまざまな反対運動を支えたり、夏の参院選に向けて広く政治のあり方について考えてもらったりするため、学識的に情報を分析し、発信していくことだそうで、小林節は会見で「この団体としては政治運動は一切しない」と発言した。
     ……「安保法に対するさまざまな反対運動を支え」「夏の参院選に向けて広く政治のあり方について考えてもらう」ための情報分析・発信って、それはどう見ても反自民党の政治運動だと思うが、何を言ってるんだ小林節は?
     世話人の一覧を眺めても、女優の木内みどりや城南信金相談役の吉原毅のように「脱原発」のテーマでゴー宣道場に登壇してもらった人もいるが、シールズの奥田愛基や異常精神科医の香山リカまで名を連ねていて、ほぼサヨク人脈という様相である。
     もっとも今回は、同委員会の批判がしたいわけではない。
     会見では「安保法の強行成立は、立憲主義を否定した暴走」とする声明を発表しているが、これには同感できる。 安保法制については、確かに立憲主義の無視であったとわしも思う。
     だがここで問題にしたいのは、護憲派サヨクが立憲主義を言い募る大きな矛盾についてである。
      安保法制について言う以前に、そもそも自衛隊の存在自体が、明確に憲法9条に違反している。
      にもかかわらず、改憲もされないままに自衛隊が存在する現状こそが、まさに「立憲主義の否定」そのものなのだ。
     この事実に目をつぶることは、欺瞞以外の何物でもないのである。
     だからこそ、わしは改憲を主張している。改憲派が立憲主義を無視してはいけないのは当然のことだ。憲法を重視しているからこその改憲論であり、憲法なんかどうでもいいと思っていたら、それをわざわざ改正する必要もないのだから。
     自衛隊は憲法9条に違反しているというのは、今でも憲法学界の通説である。
     まずは憲法9条の条文を確認しておこう。
    1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
    2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
     中学生程度の読解力があれば、読んだだけで「違憲」とわかるはずだが、もう少し詳しく解説しよう。
     上記のように、第9条は第1項と第2項でできている。
     まず議論になるのは、第1項が「侵略戦争」のみならず「自衛戦争」まで禁止しているか否かである。
     これも学説は分かれるのだが、ポイントは「 国際紛争を解決する手段としては 」の一文である。
  • 「憲法に理想や道徳は要らない」小林よしのりライジング Vol.153

    2015-10-27 16:25  
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     それにしても、「憲法9条」がノーベル平和賞をとらなくて本当によかった。
     チュニジアの民主化団体が受賞したのは、「アラブの春」がもたらしたシリアなどの惨状も顧みず、相変わらず中東の歴史・文化を無視して、民主化こそが至高の価値だと信じ切っている西洋の傲慢を感じさせられるので不愉快ではあるが、それでも憲法9条がとるよりはまだましである。
     しかし、これからも毎年毎年、村上春樹のファンと憲法9条信者がから騒ぎするのを、この時期の風物詩としてながめなければならないのだろうか? そう思うと、なんだかうんざりする。
    「憲法9条にノーベル平和賞を」というのは、神奈川県の38歳の主婦が2年前に思いつきで始めた運動だ。
     彼女は20代でオーストラリアの大学に留学したとき、スーダンの難民から、小学生の時に両親を殺され、正確な年齢も知らずに育ったと聞き、平和や9条の大切さを実感したという。
     おいおい、スーダンは憲法9条がないから内戦をやってるのか?
     その後、二人の子供の母親となって「子どもはかわいい。戦争になったら世界中の子どもが泣く」と思ったが、子育てで家を空けられず、集会やデモには参加できないので、自宅でできることはないかと思って始めたのが、この運動なのだそうだ。
     まずはインターネットで見つけたノーベル委員会に、英文で「日本国憲法、特に第9条に平和賞を授与して下さい」とメールを計7回送ったが、なしのつぶて。
     そこで署名サイトを立ち上げ、集めた約1500人の署名を添えてノーベル委員会に送信すると、ノミネートの条件を記した返事が来たという。
     それを読んで初めて、ノーベル平和賞の受賞者は人物か団体に限られ、「憲法」は受賞できないことや、「立候補」は受け付けておらず、国会議員や大学教授、平和研究所所長、過去の受賞者など、ノーベル委員会が依頼する推薦人によって候補者がノミネートされる仕組みであることを知ったそうだ。
     それで、候補者を「憲法9条を保持している日本国民」にして、どっかの推薦人の協力をとりつけて、ノミネートにこぎつけたらしい。
     なんだかツッコミどころ満載の話で、この異常な「ノーベル賞信仰」にもひとこと言いたくなるが、ここで問題にしたいのは、この主婦が憲法9条にノーベル平和賞を受賞させたいと思った理由だ。
     彼女は2012年の平和賞を欧州連合(EU)が受賞したのを見て、
    「EUには問題もあるが、ノーベル平和賞は、理想に向かって頑張っている人たちを応援する意味もあるんだ。日本も9条の理想を実現できているとは言えないが、9条は受賞する価値がある」
    と考えたのだそうだ。
     憲法9条信者は全員、このように 「9条には、人類の理想が書かれている」 と思っているのだろう。
      そもそも、これが根本的な間違いなのである。
      憲法は、「理想」を記すものではない!!
      憲法は、国民が権力を縛る「道具」にすぎない。 道具に「理想」を込めてどうなるんだ?
  • 「天皇機関説事件の再来」小林よしのりライジング Vol.142

    2015-08-04 17:15  
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     憲法学者の圧倒的多数が、安倍政権が成立させようとする安保法制を「違憲」と判断している事実は、もはや動かしようがない。
     安倍政権は「合憲」と主張する憲法学者も普通にいるはずだとたかをくくっていたのだろう。だからこそ、ろくに調べもせずに参考人に違憲論者の長谷部恭男教授を招致するという特大オウンゴールをやらかしたわけだし、それを取り繕おうとして菅官房長官は「合憲とする憲法学者もいっぱいいらっしゃる」と発言し、実際には3人の名前しか挙げることができないという醜態をさらして、さらに傷口を広げたわけである。
     ここまで来てようやく、安倍政権やその支持者である自称保守派の言論人たちは憲法学者の「違憲」の見解は覆せないということを理解したようだ。そこで今度は、違憲論を唱える圧倒的多数の憲法学者の意見は、無視してもいいと主張し始めた。
     例えば拓殖大学特任教授・森本敏は、「 憲法学者の意見が憲法に関する意見のすべてではない。政治家は現実を見て憲法解釈のギリギリを行っている 」と発言している。
     要するに、憲法学者の意見は憲法の条文だけを見て言っているが、それでは現実に対処できない。そこは政治家が判断すると言うのだ。
     こんなのが防衛大臣をやっていたことにも呆れるが、現実を見ていようがいまいが、 今回の安保法制は「憲法解釈のギリギリ」ではなく、明らかに「逸脱」である。
      現憲法では現実に対応できないというのなら、改憲しなければならないのである。
     そして、「ギリギリ」か「逸脱」かを判断するのが憲法学者の役割である。
      立憲主義とは憲法が国家権力を縛るものであり、その時の権力者である与党政治家の判断で憲法がどうとでも解釈できるというのなら、もう憲法に意味はない。 こんなことは、立憲主義の基本中の基本である。
     ところが安倍政権やその取り巻き連中はほとんど「立憲主義」という言葉すら知らないほどの低レベルで、今や自称保守の間では「安保法制を違憲とする憲法学者たちは現実知らずだ」という言説が大流行という有様である。