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記事 9件
  • 「ニヒリズム蔓延の年だった」小林よしのりライジング Vol.490

    2023-12-26 18:50  
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     2023年最後の配信となるので、一年を振り返っておこう。
     残念ながらこの一年は、ひとことで言えば「ニヒリズム蔓延」の年だった。
     ウクライナ戦争は、まだまだ終わらない。
     侵略されたら国家・国民の消滅を防ぐため、あるいは民族の隷従を防ぐため、徹底的に抵抗するしかない。領土を少しづつ切り売りしながら停戦しても、さらになめられて全土占領を少し遅らせるだけだ。
     だが、あれだけ露骨に国際法を無視して始められた侵略戦争なのだから、世界中がロシアを非難するかと思ったのに、最初から曖昧な態度をとる国々があり、さらにプーチンが居直って長期化したら、ロシア国内にも、国外にも、それを許容する雰囲気すら出てきてしまった。
     国内から厭戦気分が醸成され、良心的な国民が独裁者に反旗をひるがえすなどという希望的観測も、いまや風前の灯火だ。
     もしロシアが侵略で得をしようものなら、もう「国際法」というものの意味が完全になくなってしまう。
     世界の歴史は国際法以前に逆戻りして、力による支配が全ての帝国主義の時代に戻り、特に核を持っている国が何でもできるようになるという結論に達してしまうのだ。
     核は「脅し」において、ものすごい効果を発揮する。
     だからこそウクライナ軍は、ロシアの領土まで踏み込む反転攻勢ができないでいる。
     ロシアの領土が戦場にならなければ、ロシアの国民は自国が戦争をしていることすら実感できず、徐々に関心を失っていく。そのためロシア国内で厭戦感情が高まることもなく、反プーチンの政変が起きて戦争が終結するというシナリオが実現する可能性はなくなってしまった。
     世界中からロシアに向けていくら反戦平和を叫ぼうと、ロシア国民は聞く耳も持たないわけで、平和主義というものは、独裁権威主義の前では、全く空疎な念仏だということが100%証明されてしまう。
     さらにヨーロッパ各国は「支援疲れ」とかいって、支援が続くかどうかわからないという不安感もあり、アメリカも支援の予算が枯渇すると言っている。
     しかもそんな状況の中で、イスラエル・パレスチナ紛争が勃発し、むしろアメリカはそっちに関心が向いてしまった。
     今回の紛争は、もちろんハマスが先に仕掛けたことが発端ではあるのだが、それよりずっと以前からイスラエル・パレスチナは常に戦争状態にあるのだから、今回においてはどちらが先に仕掛けたかなんてことには、そもそも何の意味もない。
     イスラエルの報復攻撃は国際法上非常に問題があり、そのイスラエルを支持する形になったアメリカは、ロシアの「国際法違反」を非難する姿勢との間に、大きな矛盾を抱え込む事態となってしまっている。
     わしはVol.483「パレスチナよりウクライナだ」で書いたとおり、
     https://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar2169399
     パレスチナ問題にはもう関心を持っても仕方がないとまで思うところがあるのだが、それにしても今回のパレスチナの被害は規模が違いすぎる。
     戦闘開始から2か月余りでガザ地区の死者数は人口220万人のほぼ1%にあたる2万人を超え、うち4割の8千人が子供だという。しかもその数は病院で死亡が確認された数だけなので、実際にもっと多い可能性があり、攻撃はさらに南部に広がっているため、まだまだ増えていくのは確実。これまでの紛争と比べても、その犠牲者数と殺戮の無差別性では前例のないものになっている。
     それほどまでの状態になっているのに、イスラエル国民はパレスチナ人の不幸に対して、一切関心を持たないことに決めてしまっている。
     イスラエル国民の意識は、パレスチナ人なんかやっちまえ、虐殺すればいいじゃないかというところにまでなっているわけで、それはホロコーストの際に、ユダヤ人がどれだけガス室に送られて殺されていても、関心を持たなかったフランス人などと何ら変わらない。
     このように、とてつもない不幸がありながら完全に放置されるという事態が平然と頻発しており、それに対して「反戦平和」の呪文を唱えても、その最悪の状況を覆したり、食い止めたりすることなど全く不可能であると分かってしまった。
     理想主義的な言葉が、一切何の役にも立たないということが、明白になってしまったのである。
     そしてさらに、中国の問題がある。
  • 「ジャニーズ問題:マスコミの〈検証〉」小林よしのりライジング Vol.485

    2023-11-07 16:05  
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     そろそろジャニーズ問題に関する報道が減少してきたが、わしは、これは日本人の危うさが満載の重要案件だと思っているので、「SPA!」の「日本人論」で連載を続けて、単行本で出すつもりだ。
     BBC報道からわずか4か月で、ジャニーズを誇りにしていた連中が、続々被害者として名乗り出て、半年足らずでジャニー喜多川とジャニーズ事務所をキャンセル(消滅)させてしまうという異常事態を、どのように分析し総括するかは日本にとって極めて重大な問題なのだ。
    「人権VS文化」の構図は、歴史に裏付けられた芳醇な文化と、天皇制を持つ日本人が了解しておかねばならない。
     そして報道が下火になってきたタイミングで、各メディアでは「検証ブーム」が始まった。
     これまでジャニー喜多川の「少年愛」の「噂」を知っていながらスルーしていたくせに、このあたりで検証ゴッコをして、反省しているふりだけ見せてお茶を濁そうというわけだ。
     その一例として、「AERA」10月3日号に載った編集長・木村恵子による 『本誌はなぜ沈黙してしまったのか AERAとジャニーズ事務所の関係を振り返る』 と題するザンゲ記事を見てみよう。
     この記事、本論に入る前に、まず編集長のレベルの低さに呆れた。
     なにしろ、冒頭からこう書くのだ。
    「故・ジャニー喜多川氏による性加害問題では、未成年の子どもたちを含む数百人が被害に遭うという未曽有の犯罪が半世紀以上にわたり放置されてきました。」
     ジャニー喜多川の行為を 「未曽有の犯罪」 と言い切っている。しかも続けてすぐその後に 「絶対権力を持つ立場にある性犯罪者」 とまで決めつけている。
     既にライジングVol.482で詳述したが、ジャニー喜多川は犯罪者ではない。
      ジャニー喜多川は一件の刑事告訴もされていない。裁判で有罪判決を受けていないどころか、刑事事件として起訴すらされていないのだから、「犯罪」とも「犯罪者」とも言えないのだ。 少なくとも、法治主義に則るのであれば。
     本当はマスコミもそのことはわかっているはずで、だからこそジャニー喜多川の行為については必ず 「性加害」と記述し、「性犯罪」とは書かなかった。 姑息ではあるが、一応は区別して言葉を変えていたのだ。
     普通なら、編集長は部下が「性犯罪」と書いた原稿を出した時に、それを注意して「性加害」に書き換えるのが役目であるはずなのに、それが自ら率先して混同しているのだ。
     AERAは長らくジャニーズ事務所と絶縁状態だった。1997年にジャニー喜多川の独占取材をした際に「書かないという前提で聞いた内容を書いた」ことが発端で関係がこじれ、記者会見も出禁になっていたという。
     しかし、SMAPや嵐などが大人気になるにつれ、ジャニーズタレントを表紙や記事に使いたいと考えるようになり、和解を模索、その結果2013年に取材が解禁となり、2013年4月15日号の櫻井翔を皮切りに、AERAの表紙をジャニーズタレントが飾り始めた。その回数は2022年度にはなんと18回、3号に1号以上はジャニタレの表紙という状態にまでなっていた。
     この件について、前編集長は 「ジャニ―ズ事務所のタレントを表紙に起用すると販売が見込めて製作部数が増やせる。部数減を何とかしたい、そして新たな読者層にAERAを知ってもらいたい、という思いから」 だったと語っている。
     また、現編集長も全く同様に、 「紙の雑誌の売れ行きが厳しくなっていくに従って、依存度が高まっていったのは問違いありません」 という。
     この辺りの事情はAERAに限った話ではなく、どこのメディアも全く同じである。 どの雑誌でもジャニタレを使えば部数が伸びるから起用していた。同様にテレビ局なら番組の視聴率が上がるから、企業ならCM効果が高いからジャニタレばかり起用していたわけだ。
     他の芸能事務所にそんな人気のあるタレントが大勢いたなら、その事務所のタレントばかり使われていただろう。それだけの話である。
     だから、ジャニーズ事務所がマスコミにはっきり圧力をかけたというような事例が出てくることはない。
     AERAの場合は、数年前までジャニーズを退所したタレントも表紙やインタビュー記事に起用していたが、近年はそれがなくなっていたそうで、それは 「事務所から不満を示されたこともあり、問題になるよりは掲載を控えようという意識が働くようになっていきました」 という事情だったという。また、社内全体にも 「他部署も含めお世話になっているので、なるべくハレーションを起こさないように」 という意見があったという。
     結局は「忖度」だったわけだ。
      視聴率や売り上げが確実に上がるから人気タレントを起用するとか、人気タレントを使えなくなるのを恐れて事務所に忖度するとか、そういうのは商業主義ならば普通のことだ。
     それを「反省」するとか言って、今になってジャニタレをボイコットしているマスコミや企業は、 それならば今後は「売れるタレントは使わない」という結論に達するのだろうか?
     そんなことは決してありえない。 売れるタレントを使えるのならば、使うのは当たり前だし、そのタレントを使うために事務所に忖度することだって、今後も起こるだろう。
      ここで本当に反省したというのなら、「商業主義をやめる」という選択をするしかないのだが、もちろんそんなわけはない。 だったら何が悪かったと思っているのか、全くわからないのである。
  • 「ジャニーズ廃業会見、立証責任の重要さ」小林よしのりライジング Vol.482

    2023-10-04 11:00  
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     10月2日のジャニーズ事務所記者会見を見たが、くだらなさが極限に達していた。
     なにしろその会見場にいる者が誰ひとり、事の本質を一切理解していないままに進行していくのだ。まるで異次元の会話を延々と聞かされているようで、ストレスが溜まって仕方がなかった。

      今後、「ジャニー喜多川」という人物の痕跡はこの世から完全に消し去られるらしい。
      史上最大・最速のキャンセルカルチャーの成立である。
    「ジャニーズ事務所」の名称は「スマイルアップ」に変更され、「被害者」への補償などの業務のみをする会社として存続し、その業務が終了次第廃業するという。そして現在所属しているタレントのマネジメント等の業務は新たに設立する別会社に移行し、その新会社の名称は公募するのだそうだ。
     先月7日の会見に引き続き、ジャニーズ側はひたすらベタ折れ、平謝り。自ら血祭りに遭いに行っているのだから、どれだけマゾなのかと言いたくなった。
     この問題はわしから見れば、これほどまでにチンケな話ってあるのかっていうくらい、卑小な話だ。弁護しようと思えばいくらでも方法はあった。
     それをものすごい大事件のようにデッチ上げられ、そのままに流されてしまったのだから、こんな情けない話はない。

     そんなジャニーズに対して、さらに図に乗って襲いかかろうというハイエナみたいなマスコミの醜悪さは、とても見られたものではなかった。
     前回の会見の質疑応答で「1社1問まで」という取り決めを無視して、ひとりで10分以上東山紀之を糾弾しまくった東京新聞の望月衣塑子は、今回も最前列中央に陣取り、質疑応答で挙手しまくっていたが、さすがにジャニーズ側も前回のルールもマナーも無視した所業を見かねたようで、司会者は徹底的にスルーし続けた。
     そして、今回は決して指名されないと察した 望月は、マイクなしで勝手に東山に「セクハラ疑惑」を糺したり、野次を飛ばしたりし始めた。
     東山が「セクハラはしていません」と答えても望月は何度も「セクハラ」について怒鳴りまくり、その様子はまるで総会屋か、ストーカーみたいだった。
     いくらなんでもこれはひどいと他の取材陣も思ったらしく、井ノ原快彦が「落ち着いていきましょう」と諭した時には拍手まで起きた。
     記者会見後のネットの反響を見ても、やはり今回はマスコミ側の異常さを指摘するものが多く、望月がやったことは完全にオウンゴールになった。もっとも、自分が絶対正義だと信じて疑わない望月は、絶対に気づいていないだろうが。

     そんな望月の隣で挙手し続け、一緒にスルーされた記者が憤慨してX(旧ツイッター)に長文の恨みつらみを書き連ねていたが、その中でジャニー喜多川がやったことをこう評していた。
    「ジェフリー・エプスタイン事件やハービー・ワインスタイル (ママ。正しくはワインスタイン) 事件よりおぞましい、戦後史に残る、世界でも最悪といっていい性加害事件」
     これだけで、この記者が何もわかっていない馬鹿だということが完全に露呈している。
     アメリカの著名な実業家だった ジェフリー・エプスタイン は児童への性的暴行などの容疑で2006年に起訴され、2008年に禁固18カ月の有罪判決を受けた。そして2019年には別の性的虐待事件で再び逮捕され、拘留中に死亡。自殺と発表された。
     アメリカの有力な映画プロデューサーだった ハービー・ワインスタイン は、長年にわたる性暴力や性的虐待事件によって2018年に逮捕され、2022年にニューヨークの裁判所で禁錮23年の判決を受け、2023年にはロサンゼルスの裁判所で更に禁錮16年が上乗せされ、現在服役中である。

      だが、ジャニー喜多川は犯罪者ではない。
      ジャニー喜多川は逮捕も起訴もされなかった。
     ジャニー喜多川の「性加害」は、1件の刑事事件にもなっていないのだ。
     会見中、記者たちの発言に「ジャニー氏の犯罪」などという言葉が平気で出て来ていたが、それを聞いても、誰ひとりこのことすら認識していないのは明らかだった。
      ジャニー喜多川の「性加害」の事実は最高裁で認められているというが、それは 民事裁判においてである。
     民事裁判と刑事裁判は全く違う。というより、裁判には「刑事」と「民事」があるということすら、はっきりわかっていないのではないか?
  • 「キャンセルカルチャーとは何か?」小林よしのりライジング Vol.481

    2023-09-26 20:00  
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     先週は9月7日に行われたジャニーズ事務所記者会見がいかに異常なものだったかを検証したが、その後もマスコミの暴走は止まらず、「ジャニーズ事務所」という名称を消滅させるまでに追い込んでしまった。
      ジャニーズ問題は、日本史上最大の「キャンセルカルチャー」となった。
     2019年にジャニー喜多川が亡くなった際には東京ドームで「お別れの会」が開催され、一般参列者は8万8000人に及んだ。東京ドームで芸能関係者のお別れ会が行われた例は、現在のところ後にも先にもこれだけであり、参列者数は日本の著名人の葬儀関連行事で最多だった。
     ところが、そこまで称えられた功績が、今や丸ごと「キャンセル」され、「なかったこと」にされようとしている。
     ジャニー喜多川は「もっとも多くのコンサートをプロデュースした人物」「もっとも第1位のシングル曲をプロデュースした人物」として、2010年にギネス世界記録に認定された。性加害をしていようがいまいが、このプロデュース記録の事実に変わりはない。
     ところが、ギネスはこの記録を削除してしまった。そしてついには事務所に「ジャニーズ」の名を冠することすらできなくなった。
     もはや「ジャニー喜多川」という人物など、最初からこの世に存在しなかったかのように扱わなければ、許されないような有様になってしまっている。
      このように、ある個人の過去の言動を問題化し、その人物の存在を社会から完全に消去してしまう運動のことを「キャンセルカルチャー」という。
     もともとキャンセル(cancel)とは、「予定をキャンセルする」とか「計画をキャンセルする」というような使い方をする言葉だ。
      その「キャンセル」を、 「これまであった好ましくないものをやめる、否定する、ボイコットする」 といった意味で使う言い回しは、40年ほど前から黒人コミュニティで始まったそうだ。
     その形容を広めたのは70年代に人気だったファンクバンド「シック(Chic)」の「ユア・ラブ・イズ・キャンセルド(Your Love is Cancelled)」という歌だという。「お前への愛は終わった」ということを、まるでレストランの予約でもキャンセルするかのように 「お前への愛をキャンセルする」 と表現したわけで、これは奇をてらったジョークの性質を含んでいた。
     そんな軽薄で滑稽な言い回しだった「キャンセル」の意味合いが大きく変わったのは 2010年代半ばから である。
     この頃から主にSNS上で、 「キャンセリング(cancelling)」 と呼ばれる糾弾行動が頻繁に起こされるようになった。
      芸能人や政治家などの著名人、あるいは一般人の過去の犯罪や不祥事、不適切な言動の記録を掘り起こして炎上させ、その過ちを徹底的に追及、その対象者に対して「ユー・アー・キャンセルド(You are cancelled. お前はキャンセルされた)」と宣告し、その人物を社会的に葬り去り、世の中から完全に消し去るまで糾弾を続けるという運動である。
     このような運動を 「コールアウトカルチャー(call-out culture)」 といった。
      そしてアメリカでは、このコールアウトカルチャーがリベラル派による人権運動と結びつき、一大ムーブメントとなった。
     2017年、ニューヨーク・タイムズが映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる数十年にわたるセクハラ問題を告発する記事を掲載、これが大反響となり、被害者が続々と「私も」と名乗りを挙げ、 「#MeToo」運動 に発展。ワインスタインは翌年逮捕され、禁固23年の有罪判決を受けた。
     #MeToo運動はさらに拡大し、俳優のケビン・スペイシーやコメディアンのルイ・C・K、NBC重役のマット・ジマーマンや看板情報番組の司会者マット・ラウアー、CBS大物ニュースキャスターのチャーリー・ローズ、メトロポリタン・オペラ名誉監督ジェームズ・レヴァイン、コメディアン出身の民主党上院議員アル・フランケン等々、 多くの人が続々とセクハラを告発されてキャンセルされ、降板、解雇、辞職などに追い込まれていった。
     わしが好きな映画監督の ウディ・アレン はハリウッドから追放され、作品はアメリカでは公開できなくなっている。
     そんなヒステリックともいえる「キャンセリング」の波が、日本にも押し寄せたことを わしが初めて意識したのは2018年4月、財務省の福田淳一事務次官が辞任させられた件だった。
     福田には女性記者に対して誰にでもかまわず「胸触っていい?」「手縛っていい?」などと口走るヘンな癖があった。もっとも実際に手を出したことは一度もなく、それまで取材に当たっていた女性記者はみんな受け流していたし、嫌なら「やめてください」と一言いえば済むはずのことだった。
     ところがテレビ朝日がこれを「セクハラ発言」と報じ、福田は否応なく辞職に追い込まれたのである。
      同年9月には雑誌「新潮45」が衆院議員・杉田水脈の「LGBTには生産性がない」とする原稿を掲載したために、廃刊させられてしまった。 なぜか発言した本人ではなく、載せた雑誌がキャンセルされてしまったのだ。
     杉田の発言は差別心丸出しで論外のものだったが、だからといって言論の場をひとつ潰してしまうというのは、明らかにやりすぎだった。
  • 「ジャニーズ記者会見の狂気」小林よしのりライジング Vol.480

    2023-09-19 17:49  
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     9月7日に行われたジャニーズ事務所の記者会見は、異常としか言いようのないものだった。
     しかもその異常性を誰一人自覚することもなく、ひたすらジャニー喜多川やジャニーズ事務所を「悪」として排斥する動きが続いている。そこには常識も良識も正気も存在しないのに、誰もが「正義」を背負っていると思い上がっている。
     今回はその記者会見の異常さを記録として残そう。
     記者会見の質疑応答で出た質問のレベルの低さには、思わず耳を疑った。
     最初に質問をしたTBS「報道特集」の村瀬健介は、開口一番こう言った。
    「半世紀以上の長期にわたって、数百人の少年に対して性被害が行われたという、史上空前の加害行為ということになると思うんですけれども」
     ジャニー喜多川のしたことが、 史上空前の加害行為!?
     報道特集は、ウクライナ戦争を扱っていないのか?
     ウクライナ当局によれば、 これまでに少なくとも1万9000人のウクライナ人の子供たちがロシア支配地域およびロシア本土に連れ去られ、そのうち帰還できた子供はわずか400人足らずだという。 国際刑事裁判所(ICC)はこれを戦争犯罪として、プーチンに逮捕状を出している。
      ジャニー喜多川が、子供を一人でも強制連行したか!?
     だが、この記者会見ではこんなデタラメな誹謗中傷でも何でも言いたい放題で、ひたすら故人を吊し上げるのみだった。
      そしてジャニーズ側も、ひたすら記者たちに同調してジャニー喜多川をどこまでも悪者に仕立て上げることで、許しを乞おうと決めていたらしい。
     新社長となった東山紀之は、いつも「ジャニーさん」と言っていたはずなのに、この会見では「喜多川氏」と言い続けた。そして、そのことを指摘して「ジャニーさんへの想い」を問う質問が出ると、こう答えたのだ。
    「喜多川氏に関しては、エンターテイメントというのは人を幸せにするためにあるもので、それはそうじゃなかったと」
    「沢山の人を巻き込んで迷惑をかけて、結果あの方は誰も幸せにしなかったなと。なので喜多川氏と呼ばせていただくことになりました。」
      ジャニー喜多川が作り上げたエンターテインメントは間違いなく多くのファンを幸せにしたはずだし、東山自身もその作品のひとつだったはずだ。
     ところが東山は「あの方は誰も幸せにしなかった」と決めつけ、もうそんな人を「ジャニーさん」とは呼びたくないから、距離を置いて「喜多川氏」と呼ぶことにしたと言ったのである。
      これはジャニー喜多川と共に、自分自身をも完全否定するものだった。
     東山がここまでベタ折れしたのを見て、取材側は「水に落ちた犬は叩け」とばかりにますます図に乗った。
     ユーチューブで発言しているという本間龍とかいう作家は、「ジャニーズ事務所」の名称を変更しないという件について、こんなことまで言ってのけたのだった。
    「ジャニーズ事務所と言えばジャニー喜多川氏の作った会社で、その方が下手をすると40年、50年、数百人、数千人の人々を不幸のどん底に叩き落としてきたという状況の中で、その方の名前を今後も頭に乗っけていくというのは、あまりにも常識外れだと思います。あえて言うと『ヒトラー株式会社』『スターリン株式会社』なんて無いわけですよね。それに匹敵するほどの犯罪を犯したというご自覚が足りないのではないかと思うのですがいかがでしょうか」
      ジャニー喜多川が、ヒトラーやスターリンに匹敵する犯罪をした!?
      ジャニーがいつ、600万人のユダヤ人を虐殺したホロコーストに匹敵するようなことをした?
      ジャニーがいつ、1000万人を虐殺したといわれる大粛清に匹敵するようなことをした!?
     こんな暴言を吐く馬鹿が、平気で記者会見の場に入り込めることが信じられない。ここまで来ると、いくらなんでも単なる名誉毀損だ。
     ところがなんと、この暴言に対しても東山は 「おっしゃる通りでございます」 と答えた。ジャニー喜多川はヒトラーやスターリンに匹敵する悪事を成したと認めてしまったのだ。しかも東山はその後さらに 「本当に人類史上最も愚かな事件だと思います」 とまで言った!
     ここまで故人の名誉を踏みにじっていいのだろうか!?
     もしかしたら、質問した方もされた方も、ヒトラーやスターリンが何をしたのかという知識すらなく、ただ漠然と「極悪人の代名詞」としか思っていないレベルだったのかもしれないが。
     そしてさらに仰天したのが、東山の 「今回は法を超えて、救済、補償というものが必要だなと思っています」 という発言だった。
  • 「芸能とは何なのか?(後編)」小林よしのりライジング Vol.479

    2023-09-05 18:40  
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     ジャニーズ問題は案の定、慰安婦問題と同じ道を辿る一途だ。
     右も左も、日本が「文明開化」で西欧の価値観を無批判に受け入れていった明治以降の歴史しか知らないから、こうなるのだ。
     今回も前回に引き続き、本来の日本を取り戻すため、日本人が忘却した江戸時代以前の歴史について語っていこう。
     歌舞伎の元祖とされる 「阿国歌舞伎」 と、その人気を奪った 「遊女歌舞伎」 は売春と一体だったため、風紀を乱すとして 幕府に禁止され、女性は舞台に立てなくなった。
     そして少年だけで構成された 「若衆歌舞伎」 も、男娼が問題となって禁止され、 前髪を剃った男だけが出演できる 「野郎歌舞伎」 に代わった。
     当時は元服した男性は額から後頭部にかけて髪を剃っていた。剃る部分を 月代(さかやき) といい、成人しても月代を伸ばしているのは病人か浪人くらい。 少年の前髪は若さと美のシンボルであった。
     しかし前髪を剃ったくらいで男娼文化は全く揺らぎもしなかったことは、前回書いたとおりである。
     とはいえ、役者当人は前髪がないことを気にしていたようで、 頭に綿をつけたり、頭巾を被ったり、色染めの手ぬぐいを置いたりして月代を隠した。
     さらには「前髪髷(まえたば)」と呼ばれる付け髪をつけて舞台に上がることが流行ったが、それでは前髪を禁止した意味がないと、幕府は前髪髷も禁止。そこで役者は 方形の絹布の四隅に重りをつけて前髪に載せる 「野郎帽子」 というものを開発して舞台に上がるようになった。
      こうして役者は、無理やりにでも前髪がないことを隠して少年の若さを保っているということにした。 また、野郎帽子が紫縮緬で作られるようになると、これがさらに優美であると人気を呼ぶようになったという。
     その頃の舞台は後世の歌舞伎とは比較にならないほど単純で、 「華やかな服装の伊達者(かぶき者)が茶屋の遊女に通ってくるところ」 とか 「殿様が一人の小姓を特に寵愛していることに他の小姓たちが嫉妬して怒るところ」 といった風景を寸劇にした内容で、演目の数も少なく、同じようなものを繰り返し上演していた。
     それがなぜ飽きられもせず続けられたかというと、 舞台はいわば遊女屋の「張見世」みたいなものであり、客が役者を買うための装置 として存在していたからだった。
     これがその後、舞台そのものの魅力で客を呼ぶエンターテインメントとして洗練され進化していって、現在の歌舞伎にまでつながっていくのである。
     歌舞伎の劇場の傍には上演前後に客が楽しむ茶屋があり、 役者が客をもてなしていた。そのもてなしのひとつに男色があり、これが後の 「陰間茶屋」 の発祥 といわれる。
     初期の時代の役者は不特定多数を相手にしていたわけではなく、パトロンとなる金持ちに身を任せる男娼だった。
     その後長らく男娼のことを 「野郎」 と呼んでいたが、18世紀初めの享保の改革でいったん下火になった男娼が復活した頃から 「陰間」 という言葉が使われるようになる。この言葉自体は以前からあり、まだ舞台に立てない未熟な者のことを指していたが、やがて舞台に関係しない者も含めて 男娼全てを「陰間」と呼ぶようになった。
     当初は裕福な武士や僧侶くらいしか陰間茶屋の客にはなれなかったが、経済が発展すると町人の客が増え、それと共に女性の客も増えていった。そして、歌舞伎とは関係ない個人営業の陰間も出てくるようになったという。
     天保年間の『三葉雑記』という書には、役者を養成するには 「男子を遊女屋の女を抱える如くに抱え置きて、芸をしいれるなり」 とある。
      役者修業の間に、12歳になると肛門を少しずつ広げる訓練がされて肛門性交の技法が施され、舞台の芸と共に寝屋の芸までが仕込まれる。
     歌舞伎役者になるための教程には男色の技法も入っており、舞台に上り始めたもののまだ一人前ではない 「舞台子」 は、舞台で役者としての芸を磨くと同時に、 客からの要請によって座敷も勤め、体を売っていた。
     また、本舞台に上がる前に田舎廻りで芸の修業に行くものは 「飛子(とびこ)」 と呼ばれたが、 飛子は巡業に行って芝居の興行主から夜の伽を請われれば、自分の利益のため断ることはできなかった。
     男娼として売れるにも修練が必要で、容貌をよくするため、 10歳から12歳くらいの時に毎晩、鼻を板で挟み、紐で結び付けて面をかぶったような状態にして寝させていた という。当時は目を整形することはできなかったが、これを続けることで、鼻筋はある程度高くできたらしい。
     肌をきれいに保つためにザクロの皮の粉末で体を磨き、歯を磨くにはハチクの笹の葉を炭にしたものを用いた。
      陰間は女性的な容貌と若さが勝負で、無毛や薄毛の者が人気だったため、ムダ毛の処理は入念に行われた。特にヒゲは陰間の大敵で、毛抜きを使って処理していたという。
  • 「芸能とは何なのか?(前編)」小林よしのりライジング Vol.478

    2023-08-22 19:15  
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    「ジャニーズ問題と日本の性文化」と題して、日本には歴史的に男色文化があったことを書いたら 「ジャニーズ問題と、日本に男色の歴史があったことに何の関係があるのか?」 という反応まで出て来て、本当に驚いた。
     我々、日本人の現在の文化やルール感覚とて、古代から中世から江戸時代から明治以降の歴史に繋がっていることくらい当たり前ではないか!
     日本は欧米やシナのように、革命で歴史が寸断された国ではない。古代から連綿と繋がっていることを実感できない鈍感人間が出てきたこと自体が危機的なのだ!
     ほかならぬ漫画文化も、漢字という表意文字があって、鳥獣戯画から発展してきた文化である。歴史感覚のない人間など、そもそも日本人ではない。
      ジャニーズ問題と、日本の男色文化は間違いなく深すぎる関係があって、だから欧米キリスト教徒の日本バッシングは、「人権真理教ザビエル派」だと、わしは言ったのだ!
     ここに来て、「なぜ歴史が必要なのか?」なんて初歩の初歩を、幼児に教えるように説明しなければならないのだろうか?
     必要ならばそんなこともやってもいいが、今回は論を先に進めて、日本の「芸能」の歴史について語っておきたい。

     日本最古の「芸能」とは何だろう?
     神話の世界では、高天原(たかまがはら)の天(あめ)の岩屋の前でアメノウズメノミコトが行った舞踏が最初である。
     以下、わしがかつて「新しい歴史教科書」に書いた記述を引こう。

      スサノオの命は天照大神を訪ねていくが,何しろ気性の荒いスサノオは神殿に糞をするわ,天照大神の神聖な機屋に,馬の皮をはいで落とし入れるわで,ついに天照大神はおそれて天の岩屋にこもってしまう。すると,天も地も真っ暗になり,あらゆる災いがおこった。
     そこで神々は策を考え,祭りを始め,常世の長鳴き鳥を鳴かせる。アメノウズメノ命が,乳房をかき出して踊り,腰の衣のひもを陰部までおしさげたものだから,八百万の神はどっと大笑い。天照大神が不思議に思って,岩屋戸を少し開けたところをアメノタヂカラオの命に引き出され,岩屋には注連縄を張られてしまったので,ついに世界に光がよみがえった。

     神話を歴史教科書に載せる(もちろん「史実」としてではないが)というのは画期的なことだったが、この記述は次の改定の際にあっさり消されてしまった。一度は文部省検定も通ったのに、「新しい歴史教科書をつくる会」の側が自主規制してしまったのだ。
     教科書に「乳房」とか「陰部」とかいう言葉はふさわしくないと思ったのかもしれないが、これは『古事記』にある 「掛出胸乳、裳緖忍垂於番登也〈胸乳(むなぢ)を掛(か)き出で、裳緖(もひも)を番登(ほと)に忍(お)し垂れき〉」 という記述そのままである。
      日本における芸能は最初から、神に奉げるものであるのと同時に、相当にワイセツなものだったわけだ。
     その後、アメノウズメはニニギノミコトの天孫降臨に加わり、その途中で出会ったサルタヒコノカミと結婚した。
     アメノウズメの話は、古くから 「舞」 が神に奉げるものとして存在していたことを反映している。

     アメノウズメは芸能の神であると共に、 巫女 の起源ともいわれる。
      古事記にはアメノウズメは 「神懸り」 して踊ったと書かれているが、巫女の源流は「シャーマン」であり、神霊や精霊をその体に憑依させて神託を伝えたり、舞を踊ったりしていたと考えられている。
     後に仏教が伝来すると、仏教の儀礼で披露される 舞楽・雅楽 なども定着し、やがて神前で舞楽が神に奉げられるようになり、一方で日本固有の舞も整えられていった。
     平安時代には、神社での祭祀に 雅楽や神楽舞 が奉納されるようになり、その祭祀には アメノウズメの子孫とされる 猿女君(さるめのきみ) の一族 が携わった。
     そして中世以降には、各地の神社で巫女による神楽の奉納が恒例となっていく。

     こうして神社における祭祀が整備されるに伴なって、 巫女は神社に所属して祭祀を補助し、神楽を舞う存在となり 、神懸りして神託を告げるという役割は失われて行った。
      その一方でイタコやノロのように、神社には所属せずに、昔ながらの神のお告げや占いを行って生業とする「民間の巫女」のような者は各地に存在した。
     そしてその中には 定住の場も持たず、諸国を放浪しながら神のお告げや占いや、舞を披露するなどして生計を立てる「歩き巫女」という女性もいた。
     歩き巫女は 「旅女郎」 とも呼ばれ、 中には売春を生業としながら各地を渡り歩く者もいた。 そういう意味では、 神事と売春は非常に近い関係 にあったともいえる。

     日本人は古来、万物に神が宿ると信じ、神と共に生きている。そのため神に奉げる舞踊も、神職が独占するものではなかった。
  • 「男色文化は明治をどのように生き延びたか?」小林よしのりライジング Vol.477

    2023-08-15 19:25  
    300pt
     ジャニーズ問題は、単なるひとつの時事問題では済まないものになった。
     これは日本古来の文化・民俗性に関わる重大なものであり、今後もライジングでは連続して取り上げていくことにする。

      キリスト教文化圏は、性に対して極めて厳格である。
      日本では、性に対して限りなく寛容である。
     男性同士の性行為にしても、キリスト教では自然に反する最悪の罪とされているが、日本では古代から「男色」の文化があり、自然なこととして受け入れられてきた。
     ジャニー喜多川がやっていた「美少年愛」という性癖は、 「今ならもう許されることではないし、変質者と言うしかないが」 、江戸時代なら咎められることはなかっただろう。
     レイプでは絶対なく、 同意の上の性的いたずらなら枕営業 ということになる。拒否することも可能、逃げることも可能、警察に訴えることも可能なら、強制性がなくなってしまう。
     唯一、強制性を訴えるなら、「グルーミング」しかないが、子供には「主体性」が全くないのか?子供を預けた親にも「主体性」が全くないのか?ジャニーズ出身のスターは、全員、「グルーミング出身者」で、変質者に騙されて餌食になった男たちか?ということになって、とてつもない偏見を植えつけてしまう。

     そもそもジャニーズ問題は個人の精神性の問題に帰結するものではない。
     キリスト教文化と日本文化の感覚の差は埋めがたいほど大きい。 ジャニーズについて、日本国内ではずっと 「黙認」 されていたにもかかわらず、欧米からの外圧によって問題化されてしまったという構図も、この価値観の相違がもたらした典型的なケースといえる。

     日本では豊臣秀吉の時代から明治時代半ばまでの300年余りの間、キリスト教が禁じられていた。
     その理由としては、西欧がキリスト教の布教によって他国を侵略していたためということがよく挙げられるが、今後はそれだけではなく、そもそもキリスト教と日本の価値観が、根本的に異なっていたという面にも注目していかなければならないだろう。
     日本は明治時代「文明開化」の名のもとに急速に西欧化を目指し、キリスト教的価値観を 「無批判に」 受け入れようと邁進した。
     わしはこれこそが日本の堕落の始まりであったと確信している。
     そのように考える人は、かつては右側にはいたものだが、今では右にも左にも全くいない。 今の右側は、皇統問題で明らかなように、なんと明治以降につくられたものを「伝統」と思い込むほど劣化し尽くしてしまったし、左側は昔も今も、欧米的価値観こそが「進歩的」と信じて疑わないのだ。

     明治政府は西欧の価値観に合わせて「文明国」の仲間入りをするために、男性同士の性交を禁ずる法律をも制定したというところまでは、前回述べた。
     そもそも男色文化は、江戸時代後期には大都市の男女比が正常化したことや、幕府の改革政策によって既に衰退に向かっていた。
     これに明治の文明開化政策が加わったのだから、男色文化はすんなり消滅してもおかしくないところだったのだが、ところが実際には全然そうはならなかった。
     その原因は、第一には倒幕維新の雄、薩摩にあった。

      当時の男色文化の状況には地域差がかなりあったが、薩摩は日本で最も盛んといっていいほどだった。
     その理由は、他のどの藩とも異なる薩摩の社会構造にあった。
      他藩は武士の比率が5~7% で、ほとんどが城下町に居住していたが、薩摩では武士が30%近くを占めており、領内100以上の「郷」に分かれて居住し、半農半士の生活をしていた。
     その武士の子弟は、郷ごとに兵児組(へこぐみ)と呼ばれる数百人単位の組織に編成され、 14、15歳までの元服前の少年を「稚児(ちご)」 、 元服してから妻帯するまでの14~25歳くらいまでの青年を「二才(にせ)」 といった。
     二才は稚児に剣術などを教え、薩摩隼人としての人間形成を担い、二才と稚児は、とても親密な関係にあった。
     しかも 薩摩には極度の女性忌避があり、「道を歩いていて女性に会っただけで、女性は穢れているからと避けて通っていた」というほどで、そんな男尊女卑感覚の中、男だけの集団が作られていた。

     さて、そうなると、どうなるか?
  • 「ジャニーズ問題と日本の性文化」小林よしのりライジング Vol.476

    2023-08-01 18:20  
    300pt
    「ジャニーズ問題と慰安婦問題はよく似ている」
    『ゴー宣』読者は、固定していない。流動的だ。コアな読者はずっとついてきてくれるが、『コロナ論』から入って来た人もいて、わしの慰安婦問題での戦いも『脱正義論』も読んでいない人が増えた。
    『ゴー宣』読者の中にも、 「ジャニーズ問題と慰安婦問題はよく似ている」 の一言ですっかりわかったという人もいれば、猛反発して離れていった人もいる。
     その分かれ目は、キリスト教系の人権真理教に、どのくらい冒されているかによる。
     戦後民主主義の歴史教育しか知らない者と、学校では教わらない歴史を知っている者との間には、教養の落差がある。
      日本文化は歴史的に性に対して寛容である。
     これに対して欧米キリスト教文化は性に対して極めて厳格である。
     日本では売春に対するタブー感が薄く、江戸時代には吉原をはじめとする遊郭文化が花開き、遊女を身請けして結婚するというケースも普通にあった。
     その文化がその後も残り、戦時中には「慰安所」となった。また、現在の日本に多種多様な性風俗が存在するのも、その「性に対して寛容」という歴史が基底に残っているからである。明日花キララや三上悠亜がAV女優であるにも関わらず、女性にまで人気があるのも、「性に対して寛容」な日本文化のおかげだろう。
      ところがキリスト教文化においては、これが全て「性奴隷」ということになってしまう。
     まだヨーロッパでは売春がやや大目に見られているところもあるが、特にアメリカでは原理主義的に忌避されてしまうのだ。
     それと同じ構図で、 日本には古くから「男色」の文化があるのに対して、キリスト教圏では男性同士の性行為は自然に反する最悪の罪とみなされた。
     その歴史的な価値観の根本的な相違が問題なのである。
     日本の男色は歴史的に 「古代ギリシャに匹敵する」 ともいわれ、その最古の記録は「日本書紀」に表れているとする説もある。
      だが、定説としては日本の男色文化は仏教とともに伝来したとされる。
      仏教では女性を不浄とみなし、寺院は女人禁制だったから、男だけの世界で僧侶が男色に走ることはよくあった。 ただしシナ大陸や朝鮮半島では「破戒僧のやること」とされ、あまり好ましくない行為とされていた。
      ところが日本ではこれが寛容で「許容範囲内の逸脱」程度の扱いで黙認され、仏教の広まりと共に、寺院における男色も広まっていったのである。
      僧侶が自分の身の回りの世話をする有髪の少年「稚児」を寵愛する風習は、奈良時代以降広く仏教界に浸透した。
     天台宗などでは僧と稚児の初夜の前に 「稚児灌頂(ちごかんじょう)」 という儀式が行われ、 灌頂を受けた稚児は観音菩薩の化身とされ、僧侶は灌頂を受けた稚児とのみ性交が許されたという。
     そして 平安時代末期には男色の流行が公家の世界にも及び 、盛んとなった。
     日本の男色文化は、 武士の台頭と共にさらなる展開を遂げた。
      女性を連れて行けない戦地や寝所の護衛などに就いた武士が、部下や身辺に仕える「小姓」を相手にするようになったのが始まり で、室町時代中期以降、特に盛んになった。
     そして、もともとは女性のいない場所での性欲処理から始まった男色が、 強力な精神的な結びつきを伴う 「衆道(しゅどう)」 へと独自の発展をする。 肉体関係のみならず、 武士同士の主従関係など独特の「道義」を説く「道」 になったのである。
     それは戦場で生死を共にする間柄として、絶対的な信頼感を確認するための行為であり、主君と家臣の関係では、究極の忠義のかたちとなった。
      男色は主従の絆を確かめる行為であり、家臣は主君と体を交わすことによって信頼を得て、出世が期待されるということもあった。
     戦国武将の男色については、 織田信長と森蘭丸 のように今も有名なものがある。また、現在の大河ドラマ『どうする家康』では同性愛的な描写が出て来て、いまの視聴者に媚びて「BL展開」を入れたのかなどという的外れな批判もされているが、本当はこれこそ時代考証的に合っているともいえるのだ。
     そのような文化が、キリスト教圏の人間に理解できるはずがない。
      聖書には、同性愛を罪 とすると読める記述がいくつもある。