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『大東亜論』のエロスの限界は?
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『大東亜論』のエロスの限界は?

2014-01-16 16:30
     

    『大東亜論』はすでに切り拓かれた道や市場があるわけではない。

    今からわしが開拓しなければならない。

    漫画は始めから商売目当てで描いたってうまくいくものじゃない。

    作家の全く個人的な好奇心や欲望をぶつけてみるしかない。

    『大東亜論』は戦後、隠されてしまった
    もう一つの近代史に光を当てる作業だが、
    エンターティメントにできるほど充実した史料があるわけでもない。

    資料の欠落部分は想像力を働かせ、
    登場人物に魂を吹き込んで動かしてみるしかない。

    司馬遼太郎がそのように創作したのかもしれないが、
    わしとしては未知の分野に挑んでいる。

    第2巻はすでに「SAPIO」の連載でスタートしているが、
    玄洋社までの前史を描く。

    結構、血なまぐさい戦いがバンバン描かれ、
    近代ナショナリズムを受容する日本人の懊悩を、
    現代人にも感情移入できるように描いていこうと思っている。

    女のエロティシズムを出してほしいというのが
    「SAPIO」編集部の要望だから、応えたいが、
    この展開の中でなかなか難しい注文だ。

    しかしどこまでエロを描いていいのだろうか?

    第1巻でも頭山満と花魁・苅藻のラブを描いたが、
    セックスシーンをもっと過激に描いてもいいのだろうか?

    大東亜論

     

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