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記事 551件
  • 「安倍晋三は“無謬の保守政治家”ではない!」小林よしのりライジング Vol.492

    2024-01-16 17:40  
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     10年ほど前、友人に「自民党のパー券が大量にあるんだけど、見学しない?」と誘われて、政治資金パーティーの会場に入ったことがある。
     自民党が民主党から政権を奪還した翌年、2013年のことだ。2012年にニコニコ生放送『よしりんに、きいてみよっ!』という番組がはじまり、友人が「話のネタになるかもしれないし」と声をかけてくれたのだ。
     父親が経営している会社で、地元議員から頼まれて毎回2万円のパーティー券を20枚ほど購入するそうだが、カネを払うだけで、いつも誰も参加しないという。もったいないし、自民党は政権を奪還して大盛り上がりらしいので、どんな様子か見てみたいと言っていた。
     ホテルニューオータニの「鳳凰の間」という大宴会場と、それに隣接する宴会場など2~3のスペースがパーティー会場になっていたと記憶している。
     壇上に「平成研究会」という横断幕があった。その時はわけがわかっていなかったが、当時の額賀派(現・茂木派)のパーティーだったようだ。
    「髭の隊長」こと佐藤正久が、「中国大陸から見ればいかに日本列島が邪魔で、食糧難を見据えて敵視されているのか」という内容の公演をやっていたのを覚えている。
     会場に入る前に、友人から 「立食形式だけど、とにかく食べ物が少なくて、争奪戦になるから、会場に入ったらまず食べ物を確保したほうがいい」 と言われていた。本当にその通りで、料理を提供するコーナーには黒山の人だかりができており、肘や尻で押し合って陣取りしながら、我先にと料理を奪い合っていた。
     会場内のそこかしこに点在する円卓には、『千と千尋の神隠し』に登場する食い意地の張ったブタの集団みたいな人々がたむろしていて、男も女もガハガハと大笑いしながら料理を貪り食い、瓶ビールを注ぎ合っている。
     ホテルの従業員がたくさん走り回っているが、片付けが間に合わず、飲み干されたビール瓶や、食器、汚れた割り箸の束などが、白いテーブルクロスの上に次々と積み上げられてゆく。
     干からびたビールの泡やオレンジジュースの汁で汚れたコップが、参加者たちによってみだりに積み重ねられていき、しまいにタワー状になって弓なりに反って、倒壊し、ガラスの割れる音が響いたりもした。だが、それもすぐかき消されるほどの乱雑で猥雑なエネルギーが会場に充満していた。
     貪り食うブタたちの姿の間には、平身低頭して誰かをヨイショしたり、握手を交わしてニヤニヤしたりしているスーツ姿のギラギラついたおじさんたちがうろついていた。新宿歌舞伎町なんかより、千代田区永田町のニューオータニのほうがよっぽど「欲望渦巻く」という言葉がぴったりじゃないかと思い、唖然とした。
     いろんな飲み会の現場を見て来てはいるが、後にも先にも、あんなにみっともない飲み食いの場は他にない。酒や料理でなく、権力を手中におさめたこと、その栄華の場に居合わせていることに酔いしれている人間たちの姿があった。
     あのパーティーではいくら儲かって、いくら裏金を作っていたのだろう。
     自民党・安倍派(清和政策研究会)の政治資金パーティーをめぐる裏金作りの問題で、現職議員の池田佳隆・元文部科学副大臣が逮捕され、自民党はぐらぐらだ。
  • 「サブカルしか勝たん!」小林よしのりライジング Vol.491

    2024-01-09 18:25  
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     2024年、とんでもない年明けになってしまったが、今年最初のライジングなので一応言っておこう。明けましておめでとう。
     とにかく正月から暗くなりがちだったが、わしはこの1年、とことん人を楽しませる、人の心を明るくする作品やイベントを創作していこうという意欲で、走り抜ける決意である!

     前回は2023年を「ニヒリズム蔓延の年だった」と、あえてネガティブに総括した。最後に少しだけ希望をほのめかしておいて、続く今回で一気に反転攻勢に出るものを書くつもりでいたら、いきなり出鼻をくじかれたような形になってしまったのだが、だからといって立ち止まってはいられない。
     確かに、日本の現状にはちっともいい材料が見当たらない。国際社会において、政治力では全く勝てない。そもそも国家としての軍事力の点で勝てないのだから、どうにもならない。「話し合い」による解決のためにこそ日本が力を発揮すべきだとか言ったって、現実には何もできない。ロシアを見ても、中国を見ても、イスラエルを見てもわかるとおり、話し合うにもその背景には基本的に軍事力が要るのだ。
     このままでは何が起こるかわかったものではない。ウクライナ戦争の結果次第では、ロシアが北海道から上陸して侵略してくる可能性だって、もうないとは言えなくなってしまった。

     そんな状況にあるというのに国内政治はガタガタで、遠心力だけが働いて、ひたすらバラバラになろうとしていくばかりである。
     かといって、政治に求心力を働かせようとしたらどうなるかといえば、ロシアや北朝鮮や中国のような独裁国家になるか、安倍政権時代のような忖度社会になるかしかないということもわかった。アメリカでも求心力を欲したら、またもトランプが出てくるという有様だ。これでは、いくら政治に求心力が生まれても、国は全く豊かにならない。
     そこで、どうすれば国の結束力を高めながら、権力の持つ拘束性や忖度といった負の部分をなくし、国家を強くすることができるのかということが課題となる。
     これは、まだ世界のどこでも答えの出せていない課題である。

     そして、ある意味でわしがやろうとしているのは、実験室レベルの小さなサイズではあるが、この課題への挑戦でもある。
      わしが『ゴー宣DOJO』でやろうとしていることは、結束力を高めるけれども、ひとりひとりが強制されたり忖度したりすることなく行動して、そうして新しい世代の息吹を自由に開放してあげるという方法を作り出す実験である。
     ひとつの集団性の実験を、ここで行っているのである。
     そしてこれは、漫画家であるわしがやっているというところに意味があるのだ。
     これは、『おぼっちゃまくん』の「茶魔語」の時に顕著だった、漫画の作品を通じて全国の読者が共同体的な感覚を持ち、さらに作品を盛り上げていくという手法の応用である。この手法が『ゴー宣』にも持ち込まれ、さらに『ゴー宣道場』で発展していったのである。
     つまりこれは、漫画家・小林よしのりというサブカル作家が始めた、サブカルから派生した作品の一種であり、だからこそ強いとも言えるのである!

      今の日本が世界に向かって勝てるのは、サブカルだけだ。「サブカルしか勝たん!」という時代がやって来た。他に希望はない!
     ハリウッドで続々映画化されたアメコミのスーパーヒーローものは、一時期は凄かったが、最近では「何これ?」と思うようなヘンなものが多く、堕落していっているように見える。もう出し尽くした感があり、新しい知恵があまりないのである。
      そんな中で、日本の『ゴジラ-1.0』の成功は痛快だった。
     一時は『ゴジラ』もアメリカにすべて取られてしまって、もうハリウッドじゃないと作れないのではないかと思わされたりもしていたから、見事に巻き返してくれたのが嬉しかったのである。

     あと、やっぱり『シン・ゴジラ』は違ったということが証明されたのも嬉しいことだった。
  • 「ニヒリズム蔓延の年だった」小林よしのりライジング Vol.490

    2023-12-26 18:50  
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     2023年最後の配信となるので、一年を振り返っておこう。
     残念ながらこの一年は、ひとことで言えば「ニヒリズム蔓延」の年だった。
     ウクライナ戦争は、まだまだ終わらない。
     侵略されたら国家・国民の消滅を防ぐため、あるいは民族の隷従を防ぐため、徹底的に抵抗するしかない。領土を少しづつ切り売りしながら停戦しても、さらになめられて全土占領を少し遅らせるだけだ。
     だが、あれだけ露骨に国際法を無視して始められた侵略戦争なのだから、世界中がロシアを非難するかと思ったのに、最初から曖昧な態度をとる国々があり、さらにプーチンが居直って長期化したら、ロシア国内にも、国外にも、それを許容する雰囲気すら出てきてしまった。
     国内から厭戦気分が醸成され、良心的な国民が独裁者に反旗をひるがえすなどという希望的観測も、いまや風前の灯火だ。
     もしロシアが侵略で得をしようものなら、もう「国際法」というものの意味が完全になくなってしまう。
     世界の歴史は国際法以前に逆戻りして、力による支配が全ての帝国主義の時代に戻り、特に核を持っている国が何でもできるようになるという結論に達してしまうのだ。
     核は「脅し」において、ものすごい効果を発揮する。
     だからこそウクライナ軍は、ロシアの領土まで踏み込む反転攻勢ができないでいる。
     ロシアの領土が戦場にならなければ、ロシアの国民は自国が戦争をしていることすら実感できず、徐々に関心を失っていく。そのためロシア国内で厭戦感情が高まることもなく、反プーチンの政変が起きて戦争が終結するというシナリオが実現する可能性はなくなってしまった。
     世界中からロシアに向けていくら反戦平和を叫ぼうと、ロシア国民は聞く耳も持たないわけで、平和主義というものは、独裁権威主義の前では、全く空疎な念仏だということが100%証明されてしまう。
     さらにヨーロッパ各国は「支援疲れ」とかいって、支援が続くかどうかわからないという不安感もあり、アメリカも支援の予算が枯渇すると言っている。
     しかもそんな状況の中で、イスラエル・パレスチナ紛争が勃発し、むしろアメリカはそっちに関心が向いてしまった。
     今回の紛争は、もちろんハマスが先に仕掛けたことが発端ではあるのだが、それよりずっと以前からイスラエル・パレスチナは常に戦争状態にあるのだから、今回においてはどちらが先に仕掛けたかなんてことには、そもそも何の意味もない。
     イスラエルの報復攻撃は国際法上非常に問題があり、そのイスラエルを支持する形になったアメリカは、ロシアの「国際法違反」を非難する姿勢との間に、大きな矛盾を抱え込む事態となってしまっている。
     わしはVol.483「パレスチナよりウクライナだ」で書いたとおり、
     https://ch.nicovideo.jp/yoshirin/blomaga/ar2169399
     パレスチナ問題にはもう関心を持っても仕方がないとまで思うところがあるのだが、それにしても今回のパレスチナの被害は規模が違いすぎる。
     戦闘開始から2か月余りでガザ地区の死者数は人口220万人のほぼ1%にあたる2万人を超え、うち4割の8千人が子供だという。しかもその数は病院で死亡が確認された数だけなので、実際にもっと多い可能性があり、攻撃はさらに南部に広がっているため、まだまだ増えていくのは確実。これまでの紛争と比べても、その犠牲者数と殺戮の無差別性では前例のないものになっている。
     それほどまでの状態になっているのに、イスラエル国民はパレスチナ人の不幸に対して、一切関心を持たないことに決めてしまっている。
     イスラエル国民の意識は、パレスチナ人なんかやっちまえ、虐殺すればいいじゃないかというところにまでなっているわけで、それはホロコーストの際に、ユダヤ人がどれだけガス室に送られて殺されていても、関心を持たなかったフランス人などと何ら変わらない。
     このように、とてつもない不幸がありながら完全に放置されるという事態が平然と頻発しており、それに対して「反戦平和」の呪文を唱えても、その最悪の状況を覆したり、食い止めたりすることなど全く不可能であると分かってしまった。
     理想主義的な言葉が、一切何の役にも立たないということが、明白になってしまったのである。
     そしてさらに、中国の問題がある。
  • 「大谷翔平の記者会見を見て」小林よしのりライジング Vol.489

    2023-12-19 17:30  
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     大谷翔平選手のドジャース移籍記者会見を見た。
     野球解説者やスポーツライターにはそれぞれに言いたいことがあるだろうが、わしはそれらとは全く違う視点で、ナショナリストとしての感想を記しておきたい。
     わしが見てまず驚いたのは、大谷ってデカいんだということだった。
     普段の野球中継だと、他の選手に交じった姿しか映らないので気づかなかったが、記者会見やニュース映像でマスコミや球団関係者と並んでいるのを見て、並みのアメリカ人よりもずっと大きいのがわかった。
     あの大谷の体格を、日米で戦争して負けた時の日本の兵隊たちが見たらどう思うんだろうと、まずわしは思ってしまったのである。
     アメリカとの戦争に敗れた時の日本人は、小っちゃかった。
     歩兵はほとんどが百姓で、田畑を耕しているから、背は低いが足腰だけは強くて、重装備を背負ってものすごい距離を徒歩で行軍することができた。
     日本兵にとっては普通の行軍を、米兵の捕虜を護送する際にやらせたらバタバタ倒れて死んでしまって、それが後に「バターン死の行進」と言われたりしたのである。
     日本人が小さいのは人種的な特徴で、そのハンディを克服するような体格の日本人が登場することはないと思っていたのに、それが現れたのだ。これは戦後の経済発展と、それに伴う栄養状況の改善などによることは間違いない。
     ただ、だからといって、敗戦したおかげで戦後こんないい世の中になれたとか、負けてよかったとかいう話ではない。
     戦争はもう否応もないことで、いいとか悪いとかいう判断でやったり、やめたりできるものではない。負けると分かっていても戦わなければならない時だってあるのだ。
     大東亜戦争では、インテリの学生も特攻隊に志願し、死んでいった。『戦争論』で描いたが、彼らは自分が特攻したからといって、それで戦争に勝てるとは思っていなかった。しかし、負けた後に子孫へ残すもののために、自らの若い命を賭けたのである。
     戦艦大和で出撃した秀才たちも、理知的に考えた結果として、未来の日本の礎になるためと思って散っていったのだった。
     そうして彼らが期待をかけた「未来の日本人」が大谷翔平であれば、英霊たちも皆、その雄姿を見て喜ぶだろうなあと思うのである。
     昭和9年(1934)11月、読売新聞の社長・正力松太郎がベーブ・ルースらメジャーリーグ(当時は「大リーグ」といった)のオールスターチームを日本に招請し、「日米野球」を開催した。
     まだ日本にプロ野球チームはなく、読売新聞が「全日本軍」を編成して対戦したが、結果は16戦全敗と散々。伝説の投手・沢村栄治がベーブ・ルースを三振に打ち取るなど、1失点の好投を見せたのが唯一の快挙だった。
     日米野球終了後の12月、読売新聞は「全日本軍」を中心に「大日本東京野球倶楽部」を設立。後に「東京巨人」と改称、これが現在の読売ジャイアンツのルーツである。
     昭和11年(1936)には大阪タイガース(現・阪神タイガース)や名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)などが設立され、プロ野球リーグがスタートする。しかし、戦前は「早慶戦」に代表される学生野球の方が人気だったらしい。
     その後、大東亜戦争が勃発。戦況の悪化に伴い、昭和19年(1944)にプロ野球は休止となり、そして敗戦。
     野球では全くアメリカに歯が立たず、さらに戦争でも圧倒的な国力の差の前に惨憺たる敗北となってしまった。
     まさかその78年後、日本人がアメリカ・メジャーリーグのナンバーワン選手になるなんて、誰も思いもしなかっただろう。しかも、あのベーブ・ルース以来の二刀流で、ルースを上回る記録を残すなんて、ありえないとしか思わないはずだ。
     戦後だってほんの少し前まで、日本のプロ野球はアメリカ・メジャーリーグとは比べ物にならないほどの、レベルの差があると誰もが思っていた。
     一世を風靡した漫画『巨人の星』では、主人公・星飛雄馬は子供時代から元プロ野球選手の父に、「大リーグボール養成ギプス」という児童虐待としか言いようのない装具を付けられ、野球の英才教育を受ける。
     しかし「大リーグボール養成ギプス」と言いながら、親子の目標は大リーグではなく「巨人の星」をつかむこと、つまり日本のプロ野球のジャイアンツのスター選手になることだった。
     飛雄馬は巨人の投手になり、「大リーグボール」という魔球を投げるが、最後まで大リーグに入るという話にはならなかった。
     漫画でしかありえない物理的に不可能な魔球や、漫画でしかありえない不自然な描写が続出して「荒唐無稽」とも思えた『巨人の星』だが、その作品においてさえ日本人がメジャーリーグに入団するという展開は「ありえない」こととされ、描かれなかったのだ。
  • 「男らしさ、女らしさをなくすべきか?」小林よしのりライジング Vol.488

    2023-12-12 16:40  
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     人間、なろうと思えば、必ず何かの「被害者」になることができる。
      現在の自分が不遇なのは自分のせいだと認めることができず、どこかに自分をこんなことにした「加害者」がいると思いたがる、不幸な人は必ずいる。
     そして、そんな人を自分のイデオロギーのために利用しようという人も、必ずいるものだ。

     先月「ゴー宣道場」ホームページで始めた「ゴー宣ジャーナリスト」ブログで知ったのだが、11月19日に「国際男性デー」なんてものがあったらしい。 「『男らしさ』という固定観念や、男性や男の子の健康に目を向け、ジェンダー平等を促す日」 なんだそうだ。
    「国際女性デー」というのがあって「女らしさ」という観念をなくそうとしているというのは聞いていたが、なんとその男性版が出てきたらしい。
     男らしさ・女らしさをなくそうなんて、それでどうしようというのか? わしには、無茶苦茶としか思えない。男がスカートを履いて、両脚を斜めにくっつけて座り、女がズボンを履いて、股開いて座れとでも主張する日なのだろうか?

     少し調べてみたが、「国際女性デー」の源流は20世紀初頭まで遡り、オーストリア、デンマーク、ドイツ、スイスで初の「国際女性デー」の記念行事が行われたのが1911年。現在、3月8日とされている「国際女性デー」は1975年に国連が定め、1977年に国連総会で決議されている。
      もともと「フランス人権宣言」が女性の人権を認めていなかったことに顕著なとおり、世界中で女性の権利は著しく低く抑えられていた。
     そのため歴史の必然として女性の権利・地位向上運動が起こり、その一環として「国際女性デー」の発想が生まれたわけで、「女らしさ」の否定にまで暴走してしまった現在のありようは論外としても、その着想の時点においては十分な必要性があったとはいえるだろう。
      それに対して「国際男性デー」には、何ら歴史的な必然を感じない。単に「『国際女性デー』があるんなら、『国際男性デー』も作らなきゃ、男女平等じゃないやい!」というような、駄々っ子の発想としか思えない。

     実際、「国際男性デー」はカリブ海の小国トリニダード・トバゴで1999年に始まったもので、まだ歴史も浅く、国連も正式に認定していない。
     なんでトリニダード・トバコかというと、たまたまこれを提唱した学者がトリニダード・トバコ人だったからで、「人権真理教」の本場・アメリカの発祥ですらないのだ。今まで知らなかったのも当然としか言いようがない。
     そしてなぜか今年になって、その話題をわずかながら聞くようになったわけだが、 それは、例によって左翼マスコミが煽り立てたからだ。
      朝日新聞は今年初めて「国際男性デー」のイベントを開催、これに併せて11月18日から25日まで(web版)、8回にわたって「らしさって 国際男性デー」と題する連載特集を組んだ。
     では、朝日新聞がこの特集で「国際男性デー」の普及のためにどんな主張をしたのか、見てみよう。

     連載の第1回では64歳の元消防士を取りあげ、次のような身の上話を紹介する。
     何不自由ない家庭に育ち、23歳で子供の時に憧れた消防士になる。
      消防は軍隊を思わせる、厳しい上下関係の男の世界。勤務は苛酷で、同僚は過労で倒れるが、「頑張るのが当然と思っていた」。
     40歳の頃、8歳下の女性と見合いし、結婚を前提に付き合ったが、女性の母親から「顔も見たくない」と言われるほど嫌われ、頭に来て「親を捨てろ」と言い放って別れを切り出され、やり直そうとしたが破局、今も独身。
     55歳の時、部下に声を荒らげて「パワハラ」と訴えられ、処分には至らなかったが、職場では孤立。家でも一人きりで孤独。
     5年前、定年退職して駅ビルの管理会社に再就職するが、周りはほとんど女性で、何を話していいかわからない。上司から「お客様」を迎えるお辞儀の角度を細かく指導されていらつく。「言い方がすごいきつい」などと苦情を言われたこともある。
     初日から辞めたくなった。お金にも困っていない。でも辞めない。 その理由は「男のプライドがあるから」と、記者の目を見つめて真剣な表情で言った。

     こんな男の身の上を延々と読ませて、いったい何が言いたいのかというと、要するに 「この人がこんなにつらい人生になってしまったのは、世の中に『男はこうでなければならない』という、『男らしさ』の観念があるせいだ」 と主張しているのだ!
     男性は認定心理士のセミナーで 「『男はこうあるべきだ』にがんじがらめになっていますね。つらくないですか?」 と言われ、はっとしたという。そして、女性と別れた時や職場で孤立していった時、いつも 「男たるもの強くなければ」と言い聞かせてこなかったかと自問したそうだ。 それで、「あのときこうしていればという後悔ばかり。自分で選んだ人生だけど、孤独ってしんどいな」と言ったそうだ。

     続いて記事には大妻女子大学准教授の田中俊之という「社会学者」が登場。
  • 「偏見は大事である」小林よしのりライジング Vol.487

    2023-11-28 19:55  
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    「偏見はいけない」 という言葉は、当たり前の道徳のように使われる。
    「差別や偏見をなくそう」というように、偏見は「差別」とセットで使われることも多い。
    「私の独断と偏見ですが」といえば、あえて一般性を無視して、自分の好みだけで話すけれども勘弁してねというエクスキューズになる。
     しかし、 「偏見」 とはそんなに悪いことなのだろうか?
     前回、草津町長の冤罪事件について論じたが、その中でわしは、この件に最初から違和感を持った理由として、 「被害を訴えている女が、ものすごいブス」 で 「町長が大変なリスクを冒してまで関係を迫るような女とは、とても思えなかった」 からだと書いた。
     そして、「もちろん、これは偏見である」とした上で、 「偏見だって、重要な判断材料なのである」 とした。
     実際に、ここまではっきりした答えが出て、「偏見をなくそう」と言うリベラルどもの方が全員間違っていたことが明白になった以上、これを否定することなどできないはずだ。
     そもそも、思想的にも「偏見」とは本来、マイナスだけの概念として捉えられていたものではないのである。
     18世紀イギリスの政治家、政治哲学者で「保守思想の父」といわれる エドマンド・バーク にとって、 偏見は「伝統」とさほど変わらないものだった。
     バークはフランス革命に反対して『フランス革命の省察』を書き、その中で 「偏見」とは自然な感情であり、大切にすべきものである と説いた。
      英語で「偏見」は 「prejudice」 で、 あらかじめ(pre)の判断(judice) という意味である。
     最近の訳書では「偏見」の語のマイナスイメージを避けて「先入観」と訳しているものもあるが、やはりこれは「偏見」の方が適していると思う。
      偏見(prejudice)とは、伝統や慣習といった先人の知恵によって「あらかじめなされた判断」をいうのである。
     バークがこの本を書いた時代においても、偏見とは払拭すべきものであるというのが進歩的な知識人の考え方だとされていた。
     そんな中でバークは、 「私はこの啓蒙の時代に、あえて次のように告白するほど不遜な人間だ」 と自虐的な前置きをした上で、こう述べている。
    「私たちは一般に、教育を度外視した感情で動く人間で、自分たちの古くからの偏見を丸ごと投げ捨てるどころか、それを心から大切にする。さらに恥ずかしいことに、まさに偏見であるからこそ大切にする。それもその偏見が長続きしたものであればあるほど、世に広まったものであればあるほど、いとおしむ」
    「恥ずかしいこと」と言いながら、堂々と「自分は偏見を大切にする」と宣言したのだ。
     さらにバークは 「人が自分の理性だけを頼りに暮らし、それで取引するようなことを恐れている」 という。
     なぜかというと、 「各人のなかにある理性の蓄えなどそう多いものではないから」 だという。人間ひとりが自分の理性から得ている知恵の量などたかが知れており、それだけで物事を判断するのは危険だというのだ。
     そしてバークは、 「様々な国民と様々な時代を通じて蓄積されてきた共同銀行と共同資本を利用する方がいい」 と言う。ここでいう「共同銀行と共同資本」というのが、多くの先人たちが積み重ねてきた伝統であり、常識であり、偏見であるわけだ。
     バークは、イギリスの思想家の多くは 「こうした一般的な偏見を否定せず、偏見の中に生きている潜在的な叡智を掘り出すために知恵を巡らせる」 という。
     そして重要なのは、偏見の中から「潜在的な叡智」を発見することに成功した場合でも、 「偏見の衣を捨てて、その中の裸の理性だけを取り出したりはしない」 ということだ。
     バークによれば、イギリスの思想家は 「内側に理性を含ませながら偏見を維持する方が望ましいと考える。というのも、理性を含む偏見は理性に行動を起こさせる動機になるし、そこに含まれている愛情によって永続するものになるから」 だという。
     例えば、わしは「裸の理性」では薬害エイズ運動の支援はしなかった。 「自分の読者である子供は守らなければならない」 という 「理性を含む偏見」 こそが行動を起こす動機になったのだし 、 その偏見の中に含まれた「情」がある限りにおいて、運動を続けた わけである。
     そしてバークはこうも言う。
  • 「〈証言〉を鵜呑みにして冤罪を作る奴ら」小林よしのりライジング Vol.486

    2023-11-22 09:55  
    300pt
    「証言」というものは、本当に扱いが難しい。
     扱いを誤ればとんでもない事態を招く、非常に恐ろしいものだ。
     だが、その自覚を一切持っていない者が多すぎる。
     それが最も恐ろしいことである。
     草津温泉で有名な群馬県草津町、この人口7000の穏やかな町に令和元年(2019)11月以降、大騒動が巻き起こった。
      草津町議会議員の新井祥子という女性が、町役場の町長室で町長の黒岩信忠氏から性交渉を迫られ、肉体関係を持ったという「証言」を突如として始めたのだ。
     その証言はまず、飯塚玲児というライターが自費出版した電子書籍『草津温泉 漆黒の闇5』で公表された。
     これに続いて新井は記者会見を開き、 町長にいきなりキスされ、床に押し倒された などとして、 「町に住む弱い女性の立場をもっと尊いものにするため、町長を告発することにした。最終的には町長の辞任を目指す」 と主張。
      黒岩町長は事実無根だと反論し、新井と飯塚を名誉毀損で刑事告訴、総額4400万円の慰謝料や謝罪広告の掲載などを求める民事訴訟を起こした。
     性加害が行われたとする日時は 「2015年1月8日の午前中」 と明記されていたが、その時間に、町長室で黒岩町長が新井町議と会う旨の アポイントの記録はなかった。
     しかも1月8日の午前中は、年始の客がアポなしで来るため対応に追われるし、 仕事始めで職員との打ち合わせも次々入ってくるし、とても男女が二人きりで時間を過ごせるような状態ではない という。
     そして何よりも、 町長室の扉は常に開けっ放しだった。 草津町付近には二つの活火山があり、いつ緊急事態が起きても町長室を対策拠点にできるようにするためで、打ち合わせ中でも職員が入って来れるようになっていたという。
     さらに町長室の隣には応接室、副町長室、総務課があり、何かあったら誰でも気づくし、 しかも部屋はガラス張りで、草津町交番や商工会館から中の様子が丸見えで、性交渉などできるわけがなかったのだ。
     明らかに荒唐無稽な証言で、しかもその内容はコロコロと変遷した。
     実は、最初の告発をした電子書籍で新井は 「黒岩町長を本当に好きになってしまった。町長室で二人きりになった時、私の気持ちが通じた時には本当に嬉しかった」 と書いており、身体を求められて嬉しい反面、不安や複雑な気持ちを感じ、拒んだら町長の気持ちが離れてしまうので受け止めるしかなかったとしていたのだ。
     ところが、出版後まもなく行われた記者会見やメディアの取材では、証言が 「強制的な性被害を受けた」 に変わった。
     さらに新井は、町議会の本会議場で突然 「私以外にも数名の性的被害を受けた女性がいる」 と発言。だが町長が「どこの誰か? いつのことか?」と質しても、 「プライバシーの侵害になるので言えない」 と何ひとつ明らかにしなかった。
     また、町長室で関係を持つのは物理的に不可能であることを追求されると、 「町長が部屋の模様替えをして証拠隠滅した」 と発言。だが模様替えが行われていないことは、過去の写真を見れば明らかだった。
     さらに、新井のこの主張は特に問題となった。
    「このまちでは女性はまるで"モノ扱い"です。有力者や宿の主人の愛人になるというのも昔からよくあることですし、愛人になれば、湯畑周りのいい場所にお店を持たせてもらえるとか……。女性の方にも問題はあるのかもしれませんが、そうせざるを得ない雰囲気がこの町にはあります」
     おそらく、こんなに女性の地位が弱いから町長の求めを拒めなかったと言おうとしたのだろう。
     だがこれは黒岩町長のみならず、 草津町で働く女性に対する大変な侮辱だった。 草津でいい場所に店を出している女性は「有力者の愛人」だと言っているのも同然なのだから。
     これで草津町民は、新井に対して圧倒的な不信感を抱いたようだ。
      新井は町議会に黒岩町長の不信任決議案を提出したが、賛成したのは中澤康治という町議ひとりだけで、反対多数で否決。 逆にその際の発言が「議会の品位を傷つけた」として懲罰動議が発議され、新井は失職した。
     しかし新井は群馬県に異議申し立てを行い、県がこれを認めて復職させたため、改めて新井に対する解職請求(リコール)運動が開始された。
     すると署名収集期限を半月以上残して、リコール発議の必要数を1500人近くも上回る3292人分の署名が集まり、これを受けて令和2年(2020)12月、リコールの是非を問う住民投票が行われた。
     その過程では、 新井が住所を偽っており、草津町に居住実態がないという事実も明らかにされた。
     そして投票の結果はリコール賛成が有効投票の9割以上を占める2542票。反対は208票で、新井は即日失職した。
     かくして、地元においてはこの問題は終息したはずだった。
     ところが、本当の騒動はここから始まったのである。
  • 「ジャニーズ問題:マスコミの〈検証〉」小林よしのりライジング Vol.485

    2023-11-07 16:05  
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     そろそろジャニーズ問題に関する報道が減少してきたが、わしは、これは日本人の危うさが満載の重要案件だと思っているので、「SPA!」の「日本人論」で連載を続けて、単行本で出すつもりだ。
     BBC報道からわずか4か月で、ジャニーズを誇りにしていた連中が、続々被害者として名乗り出て、半年足らずでジャニー喜多川とジャニーズ事務所をキャンセル(消滅)させてしまうという異常事態を、どのように分析し総括するかは日本にとって極めて重大な問題なのだ。
    「人権VS文化」の構図は、歴史に裏付けられた芳醇な文化と、天皇制を持つ日本人が了解しておかねばならない。
     そして報道が下火になってきたタイミングで、各メディアでは「検証ブーム」が始まった。
     これまでジャニー喜多川の「少年愛」の「噂」を知っていながらスルーしていたくせに、このあたりで検証ゴッコをして、反省しているふりだけ見せてお茶を濁そうというわけだ。
     その一例として、「AERA」10月3日号に載った編集長・木村恵子による 『本誌はなぜ沈黙してしまったのか AERAとジャニーズ事務所の関係を振り返る』 と題するザンゲ記事を見てみよう。
     この記事、本論に入る前に、まず編集長のレベルの低さに呆れた。
     なにしろ、冒頭からこう書くのだ。
    「故・ジャニー喜多川氏による性加害問題では、未成年の子どもたちを含む数百人が被害に遭うという未曽有の犯罪が半世紀以上にわたり放置されてきました。」
     ジャニー喜多川の行為を 「未曽有の犯罪」 と言い切っている。しかも続けてすぐその後に 「絶対権力を持つ立場にある性犯罪者」 とまで決めつけている。
     既にライジングVol.482で詳述したが、ジャニー喜多川は犯罪者ではない。
      ジャニー喜多川は一件の刑事告訴もされていない。裁判で有罪判決を受けていないどころか、刑事事件として起訴すらされていないのだから、「犯罪」とも「犯罪者」とも言えないのだ。 少なくとも、法治主義に則るのであれば。
     本当はマスコミもそのことはわかっているはずで、だからこそジャニー喜多川の行為については必ず 「性加害」と記述し、「性犯罪」とは書かなかった。 姑息ではあるが、一応は区別して言葉を変えていたのだ。
     普通なら、編集長は部下が「性犯罪」と書いた原稿を出した時に、それを注意して「性加害」に書き換えるのが役目であるはずなのに、それが自ら率先して混同しているのだ。
     AERAは長らくジャニーズ事務所と絶縁状態だった。1997年にジャニー喜多川の独占取材をした際に「書かないという前提で聞いた内容を書いた」ことが発端で関係がこじれ、記者会見も出禁になっていたという。
     しかし、SMAPや嵐などが大人気になるにつれ、ジャニーズタレントを表紙や記事に使いたいと考えるようになり、和解を模索、その結果2013年に取材が解禁となり、2013年4月15日号の櫻井翔を皮切りに、AERAの表紙をジャニーズタレントが飾り始めた。その回数は2022年度にはなんと18回、3号に1号以上はジャニタレの表紙という状態にまでなっていた。
     この件について、前編集長は 「ジャニ―ズ事務所のタレントを表紙に起用すると販売が見込めて製作部数が増やせる。部数減を何とかしたい、そして新たな読者層にAERAを知ってもらいたい、という思いから」 だったと語っている。
     また、現編集長も全く同様に、 「紙の雑誌の売れ行きが厳しくなっていくに従って、依存度が高まっていったのは問違いありません」 という。
     この辺りの事情はAERAに限った話ではなく、どこのメディアも全く同じである。 どの雑誌でもジャニタレを使えば部数が伸びるから起用していた。同様にテレビ局なら番組の視聴率が上がるから、企業ならCM効果が高いからジャニタレばかり起用していたわけだ。
     他の芸能事務所にそんな人気のあるタレントが大勢いたなら、その事務所のタレントばかり使われていただろう。それだけの話である。
     だから、ジャニーズ事務所がマスコミにはっきり圧力をかけたというような事例が出てくることはない。
     AERAの場合は、数年前までジャニーズを退所したタレントも表紙やインタビュー記事に起用していたが、近年はそれがなくなっていたそうで、それは 「事務所から不満を示されたこともあり、問題になるよりは掲載を控えようという意識が働くようになっていきました」 という事情だったという。また、社内全体にも 「他部署も含めお世話になっているので、なるべくハレーションを起こさないように」 という意見があったという。
     結局は「忖度」だったわけだ。
      視聴率や売り上げが確実に上がるから人気タレントを起用するとか、人気タレントを使えなくなるのを恐れて事務所に忖度するとか、そういうのは商業主義ならば普通のことだ。
     それを「反省」するとか言って、今になってジャニタレをボイコットしているマスコミや企業は、 それならば今後は「売れるタレントは使わない」という結論に達するのだろうか?
     そんなことは決してありえない。 売れるタレントを使えるのならば、使うのは当たり前だし、そのタレントを使うために事務所に忖度することだって、今後も起こるだろう。
      ここで本当に反省したというのなら、「商業主義をやめる」という選択をするしかないのだが、もちろんそんなわけはない。 だったら何が悪かったと思っているのか、全くわからないのである。
  • 「学歴秀才が日本を劣化させる」小林よしのりライジング Vol.484

    2023-10-24 17:10  
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     先週号で書いた「イスラエルよりウクライナだ」は、ライジングの読者には大好評で、やっと納得がいったという感想を多数もらった。
     しかし、予想通りとはいえ、これと同じ意見を唱える知識人は一人もいない。こんな意見は、マスコミには皆無である。
     決して「逆張り」などしていないのに、わしの意見は圧倒的少数となることが非常に多い。時には今回のように、唯一の意見になってしまうこともある。
     なぜ、いつもそうなるのだろうか?
     最初に結論を言ってしまおう。
     それは、知識人やマスコミの全員が 「学歴秀才」 だからだ。
     学歴秀才は、テストでいい点を取ることだけを目指して生きてきた人間だ。
      出題者が求めているとおりの答案を書くことしか知らない人間だ。
      出題者が間違っているかもしれないなんて発想は、死んでも思いつかない人間だ。
      学歴秀才は褒められる解答を目指す。学歴秀才は嫌われる解答が書けない。
     だから、学歴秀才は必ず全員が同じことを言う。
     パレスチナ・イスラエル問題では、 「このままでは夥しい民間人の犠牲者が出る。今は双方とも冷静になって、ただちに銃を置き、両者が対話のテーブルに着くべきだ」 と言いさえすれば、100点満点の解答だ。 「パレスチナ問題は放っておけ」 なんて書いたら、0点なのだ。
     どうやったら真実に迫れるかではなく、どうやったら100点が取れるのかということしか考えずに生きてきた人間だけが、東大だの京大だのに入り、その後、ある者は学者になり、ある者は新聞社やテレビ局に就職する。
      だから知識人・マスコミ人は全員が学歴秀才であり、全員が同じ意見しか持たない。そういう構造が出来上がってしまっているのだ。
    「AERA(10月23日号)」では姜尚中が、ハマスに対するイスラエルの報復が「現代のゲルニカ」になる恐れがあるとして 「とにかく即時停戦を叫ぶ必要があります」 と書き、東浩紀が「報復合戦は犠牲者を増やすだけ」として 「一刻も早い停戦を望みたい」 と書いている。
     二人とも、言ってることが全く同じだ。しかも、そんなことを言ったところで、何の意味もない意見だ。だが、それが求められる100点満点の解答なのだ。
     学歴秀才の知識人なんか何百人いても同じことしか言わないのだから、一人いれば用が足りる。いや、今ならチャットGPTで十分だ。
      そして大衆ってものは、そんな学歴秀才に権威を感じてしまっている。
     大衆と庶民は違う。 庶民は、生活に根付いた歴史感覚に基づく自らの常識で判断する。
      だが大衆は、自分では判断しない。高学歴の偉い偉い秀才様がそうおっしゃるんだから、これが正解だと疑いもなく信じる。 やがて、自分も最初っからそう考えていたとまで思い込んでしまう。そして、マスコミに登場する知識人らと同じことを、みんなで言い始めるのだ。
     テレビのコメンテーターには学歴のない芸人やタレントがよく使われるが、これなど典型的な「大衆」代表だ。学歴秀才様のお気に召す意見を言うことだけが求められ、忠実にその役割を果たすのである。
      そうして大衆は学歴秀才の意見と完全に同化し、時にはその意見に反する者をバッシングし、炎上させたりもする。
     だから 「パレスチナ問題は放っておけ」 なんて意見は、絶対にどこの雑誌にも載らない。たとえそれが真実かもしれないと思うマスコミ人がいたとしても、載せたらバッシングされてしまうから、怖くて載せられない。真実なんかどうでもいい。人に好かれなければ商売にならないのだ。
     ジャニーズ問題でも同じである。
     学歴秀才は全員 「子供の人権を侵害したジャニー喜多川を徹底的に断罪せよ」 と唱える。それ以外の意見は、決してマスコミには登場しない。
      そもそもテストで100点を取るためには、「人権」という言葉を決して疑ってはならないのだ。
     現在の法制度が全て「人権」という言葉の下に出来上がっているから、裁判官だろうと弁護士だろうと全員、「人権」は決して疑ってはならない概念として受け入れている。だから「人権」と言われたら、脳がしびれて一切の思考が停止してしまうのだ。
      一度「人権侵害」と認定されたものは、問答無用で「絶対悪」として糾弾しなければ、100点が取れない。
     だからジャニー喜多川が既に故人であるにもかかわらず、ジャニーズ事務所までも「性加害」を犯した組織として糾弾しまくり、消滅させてしまうところまで追い込んでしまうのである。
  • 「パレスチナよりウクライナだ」小林よしのりライジング Vol.483

    2023-10-17 14:50  
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     まさかここに来て、ハマスがガザ地区からイスラエルへ越境攻撃し、イスラエル史上最大規模の戦争状態になろうとは思ってもいなかった。
     こんな時に、まだジャニー喜多川の「性加害問題」なんかを追及している日本のマスコミに、存在する意味なんかあるんだろうか?
     パレスチナ自治区のガザ地区を実効支配するイスラム組織・ハマスは、2021年5月の大規模戦闘の後、イスラエルに対する戦意を喪失したかのように装いながら、周到に計画を練っていたらしい。
     そして10月7日、ハマスはイスラエルの油断を突いて作戦を実行。ドローンでイスラエル軍の監視システムを空爆、複数の戦闘員が電動機付きパラグライダーで空から越境。さらに地上ではガザを封鎖していたフェンスを破って、多くの戦闘員と武器を積んだトラックが越境した。
     これと同時にハマスはロケット弾数千発をイスラエルの中部、南部に向けて発射。イスラエル軍が混乱している間に、野外の音楽イベントや警備の手薄な集落を襲い、多数の住民を殺害し、女子供まで連れ去って人質にした。
     この攻撃は米政権にも「寝耳に水」の奇襲だった。完全に不意を突かれたイスラエルはガザ地区への燃料や水、食料の供給を遮断する「完全封鎖」を実施した上で、地上戦を開始。近く全面侵攻に踏み切るとみられる。
     ハマスとイスラエルの死者は戦闘開始から1週間で合計3500人を超えたが、戦闘の長期化は避けられず、死者数は到底これでは済まないだろう。
     朝日新聞社説は11日、ハマスに対して「いかなる理由であれ、一般市民の殺害や誘拐は卑劣なテロ行為であり、容認できない」と非難。
     だがその一方で、結論では 「イスラエルは占領地への違法な入植を拡大し、解決を遠ざけてきた。パレスチナ人を絶望の淵に追い込んだことが、今回理不尽な形で暴力が噴き出した背景にあることを忘れてはならない」 と、イスラエル側も批判している。
     産経新聞社説は同じく11日、ハマスを 「これは無差別の大規模テロ行為であり、民間人や非軍事目標を攻撃した国際人道法(戦時国際法)違反の非道な戦闘行為である。いかなる理由があれ、到底容認できない」 と非難した。
     ただし、産経はイスラエル側の責任について触れながらも 「だからといって、多くの人命を奪う攻撃が正当化されるわけはない」 として、あくまでもハマスだけを非難する。9.11から1ミリも動いていない「テロは絶対悪」とする単純脳だ。
     だが、この事態にどう対応すべきかという点に関しては、朝日も産経もほとんど意見は同じである。
     朝日はこう書いている。
    「憎悪と報復の連鎖を止め、流血拡大を抑えるため、国際社会は最大限の働きかけを講じる必要がある。」
    「イスラエルに大きな影響力を持つ米国や、ハマスとパイプがあるエジプト、カタールなどアラブ諸国には、連携した外交努力が求められる。」
     一方、産経はこうだ。
    「戦火の拡大はなんとしても防がなくてはならない。」
    「『2国家共存』を支持するバイデン大統領は今こそ『中東の仲介者』としての役割を発揮してほしい。イスラエルやアラブ諸国と良好な関係を持つ日本にも大きな役割があるはずだ。」
     どちらも、国際社会の働きかけで戦争を止めなければならないという論調だ。
     だが、わしの意見は朝日とも産経とも違う。
     国際社会の中で問題を解決するのであれば、当然ながら「国際法」がベースになる。
     だが、ハマス対イスラエルの戦いは、国際法秩序の範囲内には入らない。なぜなら、どちらも国際法を守る気が全くないからだ。
     ハマスがやっている、民間人を拉致して人質にするとか、非軍事目標を攻撃するとかいうことは、産経新聞も指摘するとおり明白な国際法違反である。
     だが、産経はスルーしているが、イスラエルも国際法違反をやりまくっている。そもそもヨルダン川西岸のパレスチナ自治区内でユダヤ人入植地を拡大していることが国際法違反だし、今回のハマスの攻撃以後、ガザのパレスチナ民間人を標的に水や食料、エネルギーを遮断したのも明確な国際法違反である。しかもイスラエル軍はガザへの砲撃で国際人道法に違反する白リン弾も使用している。
     そして、それら数々の国際法違反については、国連やEUや国際人権団体が抗議をしているが、イスラエルは聞く耳を持とうともしないのだ。