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記事 41件
  • 「宮沢孝幸の【帰る芸】は幼稚で醜悪な議論破壊である!」小林よしのりライジング号外

    2022-06-07 20:25  
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     感染経路を議論で明らかにされるのが、よっぽど怖かったんだろう。
     もともと宮沢孝幸氏は、宮坂昌之や西村秀一と同じ「飛沫感染」派であり、だから最初からマスクを外せない人だった。
     今になって急にマスクもワクチンも不要と言い出したが、でも飛沫感染説は揺らいではいけないらしい。ウイルスの「量」が肝心らしく、空気の中に膨大な量のウイルスが入っていたら、感染するという奇妙な説を唱えている。
    「量」ならスマホという歩く便器の方がはるかに大量のコロナウイルスが付着していて、電話すればそれを直接吸入しており、まるでコロナウイルスのどぶろくを飲んでいる状態だし、一日中、指で何百回も触れまくりだから、コロナウイルスで化粧し、鼻をほじり、口中にポテトチップスや甘納豆やその他のお菓子と共に大量に入れている有り様だ。
     感染対策をいくらしたって、日本人はスマホを手放せないから、防げるはずがない。
     スマホは我々にコロナを感染させてくれて、免疫の軍事訓練をしてくれるありがたい動く便器だと、わしは会場の人々に説明したかったのだが、それを察知した宮沢氏の 「激昂・帰る芸」 で妨害されてしまった。あれは感染経路を明らかにされたくない宮沢氏の逆切れなのだ。「いやだ、いやだ、その話はさせないぞ!その話をするなら帰るから~~~~~~~~~!」
     6月4日の「オドレら正気か?関西LIVE」における、宮沢氏の「激昂・帰る芸」〜中川淳一郎氏の「制止・はね飛ばされる」様子は、誰かが動画からそこだけ切り取って拡散し、あっという間に75万回再生を超えたという。全く呆れてしまう現象だ。
     誰も彼も、刺激的な場面を見てその瞬間だけ楽しめればそれでよくて、なぜこんなことが起きたのか、そこで誰が何をやったのかなんてことには、全く興味がないのだ。
     しかし、わしはそんな刹那的な娯楽を提供するために、膨大な労力を費やして公論イベントをやっているのではない。毎回開催に向けて尽力してくれる公論サポーターの面々も、参加者、視聴者、読者の方々も同じ思いだろう。
     だからここで、あの時に宮沢氏が何を意図して、何をやったのかということは詳細に記して残しておかなければならない。
     宮沢氏は最初から、わしや井上正康氏と感染経路に関する議論をする気なんか一切なかった。
      もしもその話が出てきたらとにかくキレまくって、「帰る芸」で席を蹴って、場を無茶苦茶にして議論をぶち壊そうと、最初から企んでいたのだ。
     当日の動画が無料で全編上がっているから、確認してみればいい。
     https://www.nicovideo.jp/watch/so40581232
     当日はなかなか感染経路の議題に入れなかったのだが、第2部の64分過ぎ、たまたま質疑応答で、わしがブログで予告的に感染経路のことを書いていたのに、まだその話が出ていないからそれが聞きたいという要望があった。
     そしてここから宮沢氏の態度がにわかに変わってくるのだ。
     井上氏が、最もウイルスが溜まっているのはスマホだと発言し、これに宮沢氏が「接触感染はほとんどない」と反論するのだが、そのやりとりの中で宮沢氏は突然、何の脈絡もなくキレて怒鳴り始め、ついには 「いいですよ! いいです! じゃあ、帰りますからね!」 と席を蹴り、止めようとした中川氏を突き飛ばしたのである。
     わしは知らなかったのだが、宮沢氏は関西のテレビでは突然キレて席を蹴って「帰ります!」と言い出すということを何度もやっていて、それが氏の「芸風」にまでなっているらしい。
     オドレらLIVEのあの場面を見て、研究者ってものはもともと世間知らずなのだからしょうがないと、好意的に解釈した人もいるだろうが、騙されてはいけない。あれは明確な悪意を持って、わざとやったことだ。そこは見抜かなければならない。
     むしろ宮沢氏は、学者であれば少々奇行を働いても、むしろそういう大人げないところがあるからいいんだと、大目に見てもらえる風潮があるところまで計算づくの上でやったとしか思えない。
     関西のテレビ視聴者には宮沢氏の「帰る芸」のファンまでいるそうだ。 女性の中には、宮沢氏が被害者意識を丸出しにして、脅迫されている、殺される、大学を追われるなどとありとあらゆる大げさなことを言うのを見て、母性を刺激されてカワイイとか言ってる者もいるらしい。
     宮沢氏のツイッターなどには、そうやって氏をチヤホヤしてれる人が集まって来るし、氏もそんな自分を甘やかしてくれる反応を見て、どんどん有頂天になって、堕落していった。これでは岡田晴恵や北村義浩とどこも変わらない。明らかに宮沢氏はテレビに出るようになって堕落したのだ。
     宮沢氏は「専門家がテレビに出るようになったらオシマイ」と何度も発言しているし、この日もそう言った。そして宮沢氏はその自分の言葉が正しいことを、自分の行動で証明しているのである。
     そもそも、なぜ宮沢氏が感染経路に関する議論を避けたかというと、それは、議論になったら必ず負けるからだ。
  • 「謝ったら死ぬ病」小林よしのりライジング Vol.436

    2022-05-24 17:30  
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     新型コロナなんか罹ったって大したことのない病気だということは、もう明確にわかってしまった。
     だがその一方で、罹ってしまったら一大事となる病気があることもわかった。
     この病気の感染が広がったら、国まで丸ごと危なくなる。
     その病気の名は、 「謝ったら死ぬ病」 だ。
     たけし社長が、新たな意見広告を作成して各地方紙に展開している。
     これは究極的に分かりやすい出来である。
     https://www.worldofgosen.com/
       
     この意見広告に掲載された図を見れば一目瞭然。諸外国に比べ、日本の死者数は全く微々たるものでしかなかったのだ。
     
     しかも 新型コロナで死亡したとされる人の平均年齢は東京都発表で82.2歳であり、これは男性の平均寿命を上回る。
     そして、一見70代以上の死亡者が多そうに見えるが、日本では「1年で」140万人前後が亡くなっているけれども、 新型コロナ感染死とされる人は「2年2ヶ月間の累計で」2.8万人に留まる のである。
     
     データを見れば、日本においては新型コロナによる被害なんか出ていないに等しい。何も起こっていなかったのだということは、あまりに明白である。
     ところが最初にスタートした時点で、これはパンデミックだと政府が判断し、専門家がお墨付きを与えてしまった。
     感染症学者は、「ただの風邪ウイルス」の研究をしても全然注目されないが、人類の存在を脅かすウイルスが出てきたとなれば、たちまち脚光を浴びる。 そのウイルスが危険であればあるほど、世間の注目度は爆上がりとなる。
     こうして、それまで地味で日陰の存在だった専門家が、ついに一世一代の出番が来たと思って舞い上がった。 そして、危機を煽れば煽るほど「時の人」になっていくものだから調子に乗って、どんどんエスカレートしていって、全国民を巻き込む大騒動にしてしまい、自分がその渦中にあって救世主にでもなったかのような快感を覚え、これに酔いまくったのである。
     さあ、そこまでやっちゃったら、もう後戻りはできない。今さらこれが「ただの風邪」程度のウイルスでしたと反省するわけにはいかない。「実は日本では何も起こっていなかった」なんて、絶対に言えない。 「私が間違ってました、ごめんなさい」だなんて、死んでも言えないのである。
     そんな「専門家」と共犯関係になって危機を煽りまくり、日本の社会・経済・文化に大打撃を与え、自殺者を増加させる結果を招いた 政治家も「ごめんなさい」が言えないし、官僚も言えないし、マスコミも言えない。
     そこで 自分たちの失敗を糊塗するためには、ワクチンの普及によってコロナが撃退されたという「神話」をつくるしかないということになり、そのために誰でも彼でもワクチンを打て、子供にも打てという大宣伝を繰り広げるしかなくなってしまった。
     ところがこのワクチンがまた大問題だった。 従来のインフルエンザワクチンでは、副反応疑いの死亡者が多くても年間4~5人程度なのに、この治験も済んでいない未知のワクチンでは、既に厚労省発表だけで1700人以上もの副反応疑いの死亡報告が上がっている。
     しかし、こうなっちゃったら、もう後戻りはできない。今さらこれが 「危険なワクチンだったかもしれません、ごめんなさい」 だなんて、死んでも言えないのである。
     そこで自分たちの失敗を糊塗するためには、 ワクチン接種とその後の死亡の因果関係は「不明」「評価できない」として一件も認めず、さらには死亡例の報告自体が上がって来ないようにして、事実を隠蔽するしかないわけである。
     免疫学の権威といわれた大阪大学の宮坂昌之のインタビュー記事が、17日配信の「東洋経済ONLINE」に載った。
  • 「はじめてのおつかい」小林よしのりライジング号外

    2022-05-17 17:50  
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     唐突な話題と思うかもしれないが、「はじめてのおつかい」が海外で大評判になっているらしい。
     確かにあの番組、とにかく子供が可愛いいものだから、女性に特に好評のようだ。
     だがあの番組を欧米でつくるのは、まず無理だろう。
     2歳から6歳ぐらいの子供が、生まれて初めてひとりでお使いに挑戦する様子をドキュメンタリー風に描く日本テレビ系のバラエティー「はじめてのおつかい」は、不定期のスペシャルで30年以上放送されている人気番組である。
     この番組を今年の春からネットフリックスが世界190カ国で同時配信し始めたのだが、そうしたら大きな反響を呼んでいるという。
     例えばイギリスでは、ツイッターにこんな感想が多く流れたそうだ。
    「これまでに見たネットフリックスの番組の中で、最高。どのエピソードを見ても泣いてしまう」。
    「とってもキュート。子供は大人が許す限りの能力を持っていると思う」
     だが一方では正反対に、こんな反応も寄せられているという。
    「これでもうネットフリックスは見ない」
    「子供を大人であるかのように、独立した存在として扱うなんて。いったい、なんていう番組なのかしら」
      そもそもイギリスでは、「はじめてのおつかい」のように幼児がひとりで交通機関を使ったり、買い物を頼まれて出かけたりすることはない。 そんなことをして子供が事故に遭ったり、変質者に襲われたりしたらおしまいだからだ。
      子供は大人が守るべき対象であり、幼児は外では保護者が付きっきりなのが当たり前で、小学校への通学ですら低学年の子は親が付き添っている。
     法律で親が送迎するよう定めているわけではないが、子供の人権擁護組織などは8歳までは送迎するよう推奨し、これを基に多くの学校が独自にルールを決めているという。
     下校時刻に会社勤務をしている親は、仕事を中断して迎えに行くか、学校によっては料金を払えば午後6時過ぎまで預かってくれたりもするらしい。地域によってはスクールバスもあるが、バスの停留所までは親が送り迎えしている。
     遠い距離を歩いて登下校するということすら危ないというのが普通の感覚なのだから、「はじめてのおつかい」なんて絶対にありえない。 もしそんなことをしたら、親が子供を保護する義務を放棄しているということで「虐待」と見なされてしまうのだ。
     他の国でも大体似たような反響で、子供の可愛さにメロメロになっている感想が多いのだが、その一方で、 「自分の子供に、こんなことさせらせない」「わが国でこんなことしたら、その子の姿は二度と見られなくなる」 といった反発もあるようだ。
    「こんなことできるのは日本だけじゃないか?」 という感想もずいぶんあって、ネトウヨっぽい奴はそれを誇らしく思っているようだが、本当は日本でも、あのロケは事前に現場を入念に調査した上で、撮影の際はカメラマンを始めスタッフが大勢ついていて、周囲で見ているからできるのである。
     実際に番組を見ていれば、画面にスタッフが映り込んだりしているからそれくらいはすぐにわかるはずなのだが、 バカな親があれを見て、うちの子供にもやらせてみようとか思ったら、大変なことになりかねない。 どこで交通事故に遭って死ぬかもわからんのだし、どこでさらわれるかもわからんのだから。
     あれは、本当はやっちゃいけないことなのだ。
     3年前に山梨県・道志村のキャンプ場で当時小学1年生の女児が行方不明になった事件で、現場に近い山中で人骨と当時女児が着用していた靴や衣服の一部が発見され、骨のミトコンドリアDNA型は「母親と親族関係があることに矛盾がない」という鑑定結果が出たという。
     その女児は、友達が遊んでいる場所へ向かおうとひとりで山道を歩いていく後姿を母親が見送ったのが目撃された最後だったといい、母親は「なぜ一緒について行ってやらなかったのか、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない」と語っていた。
     ネット内ではこの母親を誹謗中傷しているバカもいるらしく、そのバッシングに与することを恐れて、メディアは母親への批判と取られそうなことは何も言えなくなっている。
     だが、それではこの事件から何の教訓も引き出せない。
     この母親を絶対に責めてはならないし、ここでこんなことを言うのは非常に酷だというのは重々承知しているが、それでもこの痛ましい事件を無駄にしないためにも言っておくしかない。
  • 「科学なし・論理なしの不思議な医療ライターからのご反論」小林よしのりライジング Vol.435

    2022-05-10 17:40  
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    「ベストセラー漫画小林よしのりの『コロナ論』をぶった斬る」というタイトルの記事があったので読んでみた。書いたのは、篁五郎なる人物で、西部邁の表現者塾にて保守思想を学び、都内の医療法人と医療サイトをメインに記事を執筆しているフリーライターらしい。
    『コロナ論』がベストセラー漫画として認知されて、反論記事が出てくるのはいいことだ。どんな反論なのか、その論理構成をしっかり読み解いてみたいと思う。
    『コロナ論』で、コロナを「新コロ」「コロナくん」と呼んできたことを、篁氏は 「矮小化」「医学的な根拠もなく」「マスコミや医師、製薬会社を悪玉扱い」 と述べる。さすが、医療サイトでの記事執筆をメインに活動しているライターだ。1から5までシリーズを重ねるにつれ、ますます医学的根拠が強靭に盛り込まれている『コロナ論』を読んでも、内容を読解することができないらしい。
     小林氏とは無関係だが、反ワクチンの団体はノーマスクで接種会場に押しかけて開場を妨害したり、ワクチン接種をしているクリニックへ無断侵入をしたりするなど過激な行動をしている。先日、中学2年生を妊娠・出産させたと報じられた平塚正幸氏が党首の反コロナ・反ワクチンの政治団体も同様の行為をして、党員が逮捕されている。
     彼らはワクチンの効果をいくら説明しても聞く耳を持たず、自分が信じている医師や学者、言論人の言うことしか聞かない・・・(後略)・・・ここまで極端な暴挙をすれば社会にとって害悪な存在である。
    「小林氏とは無関係」と言いながら、その無関係の団体について長々説明する、印象操作したさ具合がすごい。ワクチン接種をしているクリニックに無断侵入するなんて、主義主張以前に、ただの犯罪者ではないか。
     さらに、平塚正幸という人物が中学生を妊娠させたとかいう情報も、私はこの記事で初めて知ったし、彼が「ノーマスク・デモ」と称して、大勢で電車に乗り込むなどのイベントを開催した際は、日本の強力すぎる同調圧力のなかでは、かえってそのような行動が裏目に出てしまい、むしろマスク全体主義が強化される原因になるのではという点を危惧していた。
    『コロナ論3 第10章』では、マスク着用を拒否してピーチ航空機から降ろされた男が、その後、ホテルや皇居内の展覧会場など、複数の場所でも同じような警察沙汰をくり返していたことについて、わざとトラブルを起こして注目を集めようとする姿勢を批判し、
    「マスクの無効性を科学的に説明してマスク全体主義を終わらせようとしているわしにとって迷惑な存在だ」
    「マスク・トラブルの度に逆に『マスク圧』が高まって、健康上の理由でマスクができない人々が、ますます苦悩する社会になってしまう」
    とはっきり記述してもいる。
    「こんな状況はおかしい」という点は一致していても、肝心の目的が、自身の承認欲求を満たすことや、目立ちたい、ストレス発散したいという欲求、幼稚な暴れん坊なだけでは、逆効果になってしまう。それほど全体主義と戦うのは難しいという点も含めての主張をずっと展開しているのだが、篁氏にはそこまで複雑な内容は、理解することができないらしい。
    『戦争論』を読んだあとネトウヨになった人々を指さして、「小林よしのりの責任だ」といきり立っている人と同じタイプかもしれない。その短絡さこそ、ネトウヨと同類なのでは、と言いたくなるが。
     小林氏のコロナに対する主張は「反コロナ」「反自粛」「反マスク」「反ワクチン」の4つだ。  えええーっ!  「反コロナ」 て、なに?
    『コロナ論』では、「コロナくん」というかわいらしいキャラが誕生し、コロナはぜーんぜん怖くない、「ウィズコロナ」できるやさしいウイルスだということをとことん解説しており、「反コロナ」どころか、むしろ 「親コロナ」の書 だと思うけど!?
    PCR検査をやって、コロナ感染者は隔離して社会から追い出せ! という空気を固め、自粛だマスクだワクチンだと一直線に猛進している人々のほうが、よっぽど強固な「反コロナ」だろう。
  • 「こびナビは知っていた~『治験停止するほどの有害事象が出ている』」小林よしのりライジング Vol.433

    2022-04-19 19:00  
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     こびナビの峰宗太郎と日経の編集者・山中浩之の共著 『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』 という本をたまたま入手した。
     2020年12月8日に日経BPから出版されていた本だが、読み始めてみると、驚くべき記述の連続だった。
     こびナビでは、「ワクチンを打て!」と煽りまくっている張本人が、本書では、mRNAワクチンが猛スピードの開発競争案件になってしまっており、治験の判断基準も激甘だと指摘。そして、 「治験停止するほどの有害事象が出ている」 と明かしているのだ。さらに、接種後の副反応だけでなく、 「10年後に何が起きるか誰も分からない」 とまで言及。
     本書は「危険性を知っていて、ワクチンを打てと煽りまくっていた」という証拠でもある。その内容をここに報告しておきたい。
     
    ●「テレビに出ている人で専門の人はいません」
     序盤で、峰は、コロナの感染経路についてみずからの知見を披露している。
    「飛沫感染がメインで、マスクに効果あり」 という考え方が基本で、 「だからユニバーサルマスクには意味がある」 と結論づけるというありがちな発言が続くのだが、 「接触感染、糞口感染も起こりうると早くに分かってもいる」 と述べ、この2つの感染経路を徹底的に否定する論者とは距離を置いているようだ。
     手が汚染される部分として、ドアノブ、ボタン類、銀行ATM、現金などを挙げ、「洗っていない手で目、鼻、口などの粘膜にふれるのはやめましょう」という。この点は、同意する。鼻をいじるのはやめられないが。
     さらに、 「テレビに出ている人で専門の人はいません」 と述べ、実名を挙げることは避けているものの、あきらかに、岡田晴恵、北村義浩、児玉龍彦、二木芳人、西浦博などを批判してもいる。
     この流行はいつまでに終息するかという予測とか、長期的、中期的展望を述べる人は全部、根拠の薄弱な発言をしていると思っています。 端的に言えばうそつきです。
     ところが、人脈の問題なのか、持ち上げておけば自分がトクをする相手なのか、「うそつき」の中から、尾身茂と西浦博のことだけは、名指しをして急角度のフォローを入れる。
     尾身茂には 「述べる資格がある」 、西浦博は 「疫学モデリング分野の第一人者」 と持ち上げ、西浦の予測については 「かなり精度が高い」 と褒め上げた。
     尾身には資格がある、という上から目線は一体なんなのか、そして、西浦の予測が大外れだったことなんて、本書刊行時点で日本中が知っているのに、アンタこそ、どんだけ見え透いたうそつきなのかと言いたい。
    ●「薬物には慎重派」だった!
     読み進めて驚いたのは、薬に対する見解だ。
  • 「マスクは子供の虐待である!」小林よしのりライジング Vol.432

    2022-04-05 19:10  
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     普通にマスクを外して出歩けない限り、コロナ禍は終わりではない。
     ところが先週あたりからまた新規感染者(陽性者)数が増加傾向に転じたとかで、マスコミは「感染対策の徹底を」と連呼し、マスクの着用を推奨している。
     このままいくと今年の夏も、猛暑日に人々がマスクをして出歩くという狂気の光景を見ることになるのだろうか? 3年も連続で!
     諸外国ではもうマスクの義務化は撤廃され、ほとんど誰もマスクをしていない。
     先月24日にブリュッセルで行われたG7首脳会議でも誰もマスクをしておらず、岸田首相もマスクをしていなかった。
     ところが岸田は帰国して国会で報告する際には、しっかりマスクを着けていた。国会議員たちも全員マスクをしていたし、 海外ではノーマスクの日常を取り戻しているのに、日本ではマスクの同調圧力に逆らえないのだ。
     29日にトルコで行われたウクライナとロシアの停戦協議のニュースを見ていたら、誰もマスクをしていない中でただひとり日本人記者だけがマスクをしていて、そのマスク姿のままテレビカメラに向かってレポートをしていた。
     ものすごい違和感だった。テレビ画面を介して、日本の視聴者にウイルスが感染するとでも思ったのだろうか?
     とにかく 日本人は、法律で義務化もしていないのに、マスクを外した顔を見せてはいけないという、強固な観念に縛られ続けている。
     週刊ポスト3月4日号に、『感染症の権威が断言「7月以降はマスクを外せ」』という記事が載った。
     その「権威」は浜松医療センター感染症管理特別顧問の矢野邦夫という医師で、ワクチンの効果に何の疑問も持っていないなど肯定できないことも言っているが、マスクの弊害に対する警鐘については注目すべきものがあった。
     矢野医師はこう語っている。
    「人間は生まれてから様々な病原体に遭遇し、それに感染することで抗体を獲得していきます。特に幼少期は、親や同年代の友人の唾液などを介して、病原体に自然に感染するものです。
     しかし、長期にわたってマスク生活を続けていることにより、子供たちは水痘(みずぼうそう)やムンプス(おたふくかぜ)、手足口病といった『かかっておくべき病原体』と接触する機会を奪われているのです」
     コロナ論シリーズを読んでいる人なら、すぐ納得のいく話だろう。人は、それも特に乳幼児には、 「免疫の軍事訓練」 が必要なのだ。
     矢野医師によると、 幼少期に感染すべき病原体に感染せず、抗体を持たないまま大人になって、それから初めて感染すると、重症化や後遺症が残るリスクが高くなる という。
      水ぼうそう も成人になって初感染すると重症化しやすいし、 おたふくかぜ だと、睾丸が腫れて精子の数が減少するという。
     ヘルペスウイルスの仲間である サイトメガロウイルス は、子供の頃に感染すれば無症状か鼻風邪程度で済むが、大人になって初感染すると、様々な大病を発症することがある。
     特に妊娠中の女性が感染すると深刻だという。妊娠初期の女性が 風疹 に罹るとお腹の子に障害が出る恐れがあることはよく知られているが、 サイトメガロウイルスの場合は、お腹の子の目や耳に生まれつきの障害が出たり、小頭症という頭が小さな状態で生まれたりする恐れがある。 しかもその 発症リスクは風疹の数千倍 といわれ、そのうえ風疹のようなワクチンもないのだ。
     矢野医師は、こんな怖いことを言う。
    「ずっとマスクをしていて幼いうちにサイトメガロウイルスに感染せず、免疫を持てなかった子供たちが20~30年後に妊娠適齢期になった時、目を覆うような事態が待っているかもしれません」
      子供たちは既に2年間マスクを着けさせられて、感染しておくべき病原体に感染していない状態にされている。
     それで昨年は子供に突然 RSウイルス が大流行したわけだが、 ここで一斉にマスクを外したら、水痘、ムンプス、サイトメガロウイルスなどが同時流行して、小児科の医療が逼迫するかもしれない と矢野医師は言う。また、2年間流行していない インフルエンザ のピークがずれて、夏頃に流行する可能性もあるという。
     だがそれでも、夏が来る前にマスクは外させてやらなければならない。マスクの最大のリスクは、 熱中症 だからだ。
     マスクをつけると熱が体外に出にくく、体内温度が下がりにくい。また、マスクで口の中が湿っていると喉の渇きを感じにくく、無自覚のうちに脱水症状になりやすくなる。
     消防庁の統計によれば、新型コロナでマスク生活が日常化した 2020年の熱中症患者の救急搬送件数は、8月だけで全国4万3000件超で、調査を始めた2008年以降で最多だったという。
     コロナで子供は死なないが、熱中症では死ぬ危険があるのだ。
     いいかげんにマスクを外さないと、このままじゃまずい。特に子供たちは将来にわたって、さらに深刻な問題を抱えてしまう恐れがある。
  • 「クライテリオンの皇室論を検証」小林よしのりライジング Vol.428

    2022-03-02 13:45  
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     世の中に、正しい意見しか言わない人などいない。
     わしだって、皇統は男系男子継承を守るべきだと言っていた時期がある。
     単に「男系男子で続いてきたのなら、絶やすのはもったいない」という程度の認識、そしてわしが「側室に憧れていた」という理由、さらに「保守系の言論人がほぼ全員一致でそう言ってるから、そんなものかと思っていた」だけだが、それが完全に誤りだとわかったら躊躇なく考えを改めた。
      大事なのは間違わないことではなく、間違いに気づき、改めることができるかどうかだ。「誤ったら死ぬ病」が多すぎる。
    「王様は裸だ」と言い続けることが思想である。
    「表現者クライテリオン」という雑誌がある。
     故・西部邁氏が発行していた雑誌「表現者」の後継誌で、現在の編集長は京都大学大学院教授の藤井聡氏。藤井氏とは同誌の2019年3月号で対談(『ゴーマニズム宣言2nd season 3巻』に収録)、同年4月の「第81回ゴー宣道場」や2021年3月の「オドレら正気か?関西LIVE」にご登壇いただくなど、交流がある。
     その「表現者クライテリオン」が3月号で「皇室論」を特集し、巻頭に『「皇室論」を国民的に加速せよ!』という、藤井氏が司会する座談会を載せている。
     その出席者の一人が九州大学大学院教授・施光恒(せ・てるひさ)氏で、施氏には2020年10月の第92回ゴー宣道場にご登壇いただき、来月24日発売の『コロナ論5』では対談を行っている。
     藤井氏、施氏ともに勉強させてもらっているところは多く、その点は感謝している。
     だが、この座談会における発言には全く同意できなかった。二人とも男系派だからだ。
     藤井氏は冒頭、論点整理として 「第一に皇位継承は日本の伝統の中心に位置するもの」 であり、そして伝統には 「時効」 があるという。
     ここでいう「時効」とは、時間が経過したら法律等が無効になるという一般的に使われる「時効」ではなく、むしろ逆に 「長く続いてきたものには重大かつ深淵な意味が宿っているという意味」 だというから紛らわしい。
     ともかく藤井氏は、伝統は長く続いて来たものだから「重大かつ深淵な意味が宿っている」と言いたいらしい。
     そしてその上で藤井氏は、こう言っている。
    したがって伝統として継続してきたものの前ではむしろ積極的に改変改革を慎み、粛々と継続しなければならない、という原理があります。だからその原理を踏まえれば、これまで例外なく続けてこられた、「皇位継承を男系男子に限る」、という「男系論」を採用するのが当然だということになります。
     これを読んで、わしはびっくり仰天してしまった。
    「これまで例外なく続けてこられた、『皇位継承を男系男子に限る』、という『男系論』」 ……
      藤井氏は、過去に10代8方の女性天皇がいたことを、知らないのか!?
     結局のところ藤井氏の論点整理では、男系継承を正当とする理由が 「伝統だから」「長く続いてきたものだから」 と、それだけである。これではあまりにも雑駁と言わざるを得ない。
      そもそも日本で男系継承が重んじられるようになったのはシナから儒教文化が入って以降のことであって、日本にはそれ以前からの伝統もあった。
      そしてそれによって母系を中心とする社会や、男女を問わず継承される双系の社会が形成されていたのだ。
      それなのに藤井氏はなぜ、その後に入って来たシナ男系主義のみを「伝統」として議論しようとするのか?
     しかも、ここでいう藤井氏の「伝統」の捉え方は根本的におかしい。
    「伝統として継続してきたものの前ではむしろ積極的に改変改革を慎み、粛々と継続しなければならない、という原理があります」 と、いみじくも 「原理」 という単語を使っているが、まさにこれは単なる 「原理主義」 である。これでは、ただひたすら「前例踏襲」をすることが「伝統の継承」だということになってしまう。
     それに、単に 「長く続いてきたものには重大かつ深淵な意味が宿っている」 というのなら、 因習 や 陋習 も、長く続いてきたからには 「重大かつ深淵な意味が宿って」 いて、 「改変改革を慎み、粛々と継続しなければならない」 ということになってしまう。
      伝統と因習の区別は難しい。その判断をするのが歴史や時代に育まれた常識に基づくバランス感覚であり、保守主義者であればそういう感覚をこそ大事にしなければならないのではないか。
      原理主義と保守主義は違うのだ!
     伝統とはどういうものか、『天皇論』を読んだ人ならわかると思うが、かつて美智子上皇后陛下は、伝統の大切さを十分強調しながらも、こうおっしゃっている。
    「一方で、型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い習慣が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは、好ましくありません。」
     さらに上皇后陛下は、野球のWBC2009年大会で優勝した選手たちを例に挙げ、こうおっしゃった。
    「WBCで活躍した日本の選手たちは、よろいも着ず、切腹したり、「ござる」とか言ってはおられなかったけれど、どの選手もやはりどこかサムライ的で美しい強さを持って戦っておりました。」
     伝統は時代によって変化していく部分もあるし、表面に現れる形が変化しても、 内に秘められた伝統の 「エートス・魂」 が厳然と残っている場合がある。
     他ならぬ 上皇后陛下ご自身が、皇太子の結婚相手は皇族か一部華族の出身者に限るというのが「伝統」とされていた時代に、民間から皇太子妃となり、さんざん「伝統の破壊者」呼ばわりされてきた方だ。
     しかし、美智子さまほど立派に皇室の伝統を受け継ぎ、次代に手渡した方はおられないということに、今では異論をさしはさむ人などいないだろう。
     さらに言えば、 「男系」が伝統だというのなら、「側室」も伝統だったのだ。側室があったから男系が継続できたのだから、「男系」と「側室」はワンセットの伝統である。
     側室を事実上なくしたのは大正天皇、制度上も正式に廃止したのは 昭和天皇だが、大正天皇や昭和天皇は「伝統の破壊者」だったのだろうか?
     あくまでも伝統は 「改変改革を慎み、粛々と継続しなければならない」 ものであるというのならそう言わなければならないし、男系を伝統として守れというのなら、側室も伝統として復活させよと主張しなければおかしい。
     ところが藤井氏は論点整理の第二として、サラっとこう言うものだから、わしはあっけに取られてしまった。
  • 「いるいる詐欺は犯罪です」小林よしのりライジング Vol.427

    2022-02-22 19:40  
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     皇統問題には、もうとっくに結論が出ている。
     議論はとっくのとうに終わっていて、これ以上話しても何一つ意味はない。
     それなのに、なぜまだ議論を吹っ掛けてくる者がいて、事態が動かないままになっているのか、わしには全くわからない。
      側室が存在せず、その復活もあり得ない現代において、男系男子のみで皇統を維持するのは不可能である。
     それを可能にするためとして、男系固執派が提唱している唯一のプランは、 昭和22年(1947)に皇籍を離れた「旧皇族」の子孫の男系男子を皇族にするという案だ。
     そして、安定的に皇室が維持されるためにはあと4つの宮家が必要なので、 4人の旧皇族系の男系男子を皇族にすればいい というのだ。
     だが、この議論は根本の根本から終了している。
      なぜなら、肝心のこれから皇族になってもいいという旧皇族系の男子など、ひとりもいないからだ。
     4人どころか、ひとりもいないのだ!
      旧皇族の子孫は、全員生まれた時から一般国民であり 、国民としての権利を持って生活し、人間関係を築いている。その全てを捨てて、国民に保障された人権がない皇族になりますという男なんて、いるわけがない。
      実際、今まで複数のメディアが当事者に取材をかけているが、皇族になると答えた者はひとりもいないのである。
     これだけで男系派のプランは最初っから失格である。その後で、いくら男系が正統であるかとか、伝統であるかとか、そもそも伝統とは何ぞやとかいうことをどうこう論じ合ったところで、何の意味もない。
      ところがそれでも男系派は、これから皇族になる旧皇族系の国民男子が「いる」と言い張るのだ??????
     しかもよく聞くと、 「いると聞いている」 だの、 「時が来れば名乗りを挙げると聞いた人がいる」 だのという話ばっかりで、 直接に「私は見た」と言っている人は全くいない。
     ただし、この世にたったひとりだけ、私は皇族になってもいいと言う旧皇族系の人を見たことがある、それどころか話し合って意思を確認したことがあると言っている人がいて、その証言がなんと新聞の1面に載ったことがある。
     それがこれだ。

    (産経新聞2012年2月29日)
     この記事では、その証言者を「旧皇族の慶応大講師、竹田恒泰氏」と紹介している。
      だが、竹田は「旧皇族」ではない。単なる一般国民である!
      旧皇族とは「元皇族」であって、皇族として生まれ育ち、後に国民になった人のことである。 その子孫は生まれた時から一般国民であり、「旧皇族系国民」とはいえるが、決して「旧皇族」ではない。 それは 「消防署の人」 と 「消防署の方から来た人」 くらいの違いがある。
     ところがこの記事の最後には旧皇族の定義を、「占領政策で皇室が経済的に圧迫され、 昭和22年に皇籍離脱を余儀なくされた11宮家(うち4家は廃絶)の 男系子孫たち 」と書いている!
      記事を書いた産経の記者は、旧皇族の子孫も旧皇族であり、竹田恒泰も旧皇族だと信じ切っているのである!!
     実はこの記事は、その翌日に発売された産経新聞社の雑誌「正論」2012年3月号に掲載された、 「皇統問題 旧皇族一族の覚悟」 と題する竹田恒泰の文章(記事中では「論文」と称しているが、とても「論文」などと呼べたものではない)の宣伝である。
     
     そこで、この文章について検証してみることにしよう。
  • 「特報!〈mRNAは数日で分解される〉はウソだった」小林よしのりライジング Vol.426

    2022-02-15 19:25  
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     mRNAワクチン接種推進派は、「体内に入ったmRNAは数日で分解される」として、「だから心配ありません、みなさん接種しましょう」と言い続けてきた。
     ところが、全世界で103億回、42.3億人に2回以上の接種が行われた今、続々と「新しい結果」が発表されている。
     今年1月24日、米国スタンフォード大学病理学教室などの研究者によって、科学誌『Cell』に発表された論文によると(Cell Press)、 ヒトの体内に接種されたスパイク抗原とmRNAは、ワクチン接種後数週間、リンパ節の胚中心に残存している という。
    「胚中心」とは、免疫反応が起きる際に、脾臓やリンパ節などの免疫組織につくられる微小な構造のことで、抗体づくりを担当するB細胞が、増殖したり成長したりする場所だ。
     この研究は、感染者とワクチン接種者のリンパ節を分析し、抗体などがどうなっているのかを血清学的に調査したものである。
     一連の調査報告のなかに、「mRNAワクチン接種後のリンパ節胚中心における、 ワクチンmRNAの検出と、リンパ節胚中心および血液中のスパイク抗原の検出の長期化 について」という項目がある。専門用語を省略し、かみ砕いて内容を要約する。
     ワクチン接種後のmRNAやスパイク抗原、SARS-CoV-2感染後のウイルス抗原の生体内分布、量、持続性は不完全に理解されているが、免疫反応の主要な決定要因であると考えられる。
     2回目のワクチン接種から7~60日後に採取した、接種と同じ側の腋のリンパ節の生体検査で、mRNAの検出を行った。
      ワクチン接種後7、16、37日目のリンパ節の胚中心に集まったワクチンmRNAは、60日目にも、低いがまだ評価できる特異シグナルを検出した (下図)。胚中心の外には、ごくまれにワクチンmRNAの病巣が見られる程度だった。

     
    ※画像中の太字は泉美が補足
     ワクチン未接種者とCOVID-19感染患者については、この検出検査の結果は、陰性であった。
     mRNAワクチン接種者のリンパ節の検査では、スパイク抗原の反応には個人差があったが、2回目接種後16日目に胚中心に豊富なスパイクタンパクを示し、2回目接種後60日目でもスパイク抗原が存在した。スパイク抗原は、胚中心細胞の周囲に網目状に局在していた。
     COVID-19感染患者のリンパ節は、スパイク抗原の量は少なかったが、まれに胚中心が陽性反応を示した。(泉美要約)
    「mRNAは数日で分解される」という推進派の定説は大ウソ で、少なくとも2回目接種後の7、16、37日目まで、脇下のリンパ節でしっかり検出されており、さらに60日目でも、低レベルだが検出されている のだ。
     気持ちが悪いのは、自然にコロナに感染した患者については、このような現象がほとんど起きないということである。
  • 「30周年記念・『戦争論』の経緯」小林よしのりライジング Vol.425

    2022-02-01 18:25  
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     先週はゴーマニズム宣言30周年記念ということで、「ゴー宣スペシャル」の誕生を振り返ってみたが、さすがに「ライジング」はコアな読者が多いから、反響も大きかった。
     今回はその続き、いよいよ『戦争論』シリーズについて紐解いていこう。
     なお、前回もそうだが、わしは過去のことは片っ端から忘れていくので、細部に関してはトッキーの記憶で補強している。
     新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論(1998.7.10 幻冬舎)
     
     言わずと知れた、「ゴー宣SPECIAL」(細かいことだが、この作品から「スペシャル」の表記が「SPECIAL」になる)最大のヒット作であり、代表作である。
     わしはSAPIO誌の連載『新ゴーマニズム宣言』で、薬害エイズ運動の総括と入れ替わるように「従軍慰安婦問題」に関するシリーズをスタートさせた。というより、それは運動の総括と地続きだったとも言える。
     もともと薬害エイズの被害者救済が目的だったはずの運動が、左翼に乗っ取られたらたちまちイデオロギー化して、薬害エイズ被害者だけが被害者ではないとか言い出して「永久運動」へと向かった。そしてそうなれば「日本の戦争責任追及」は必ずセットになる。
     実際、ラップで薬害エイズを訴えた学生たちに触発されたといって、薬害エイズ被害者の次は従軍慰安婦の救済だと「ロックで慰安婦問題」を訴える若者まで出てきて新聞記事にもなった。そこでわしとしては、薬害エイズ運動に参加した学生たちを、こんなもんに関わらせるわけにはいかないと思ったのだ。
     そしてここでさらに重大なのは「従軍慰安婦」って本当に「被害者」なのか? という問題だった。
     そもそも「従軍」とはあくまでも軍の命令により軍務を担った「軍属」につけられた名称であり、「従軍看護婦」とか「従軍記者」、「従軍僧侶」などはあるが、「従軍慰安婦」なんて人はいない。そして「慰安婦」とは戦地で兵隊を相手にしていた娼婦だということは、昔の映画などを見ていれば常識のはずだった。
     それが「戦争被害者」ということになったのは、慰安婦とは日本軍によって奴隷狩りのようにして「強制連行」されて戦地に送られた少女たちだというデマを、朝日新聞などのメディアが流布して定着させてしまったからで、これも完全な「インフォデミック」だったのである。
     慰安婦強制連行デマの定着で、日本における「自虐史観」の全体主義は完成の域に達し、これに異議を唱えようものなら「極悪人」扱いされてしまう空気が出来上がっていた。
     そんな中で「従軍慰安婦問題」を扱うに当たって、わしは「両論併記」から始めた。全体主義の中で完全に封殺されているが、実はこんな意見もあるんだよということをまず示したのだ。そうしたら読者の反響は轟轟たる非難で占拠されてしまうだろうから、それをどう説得していくかを考えようという計画だった。
     ところがフタを開けてみたら、反響の8割が「強制連行ナシ」の意見で、「アリ」は2割程度、しかも「ナシ」の側が圧倒的に論理的なのに対して、「アリ」は感情的でヒステリックなものばかりだった。
     これもまた現在の『コロナ論』を巡る状況とそっくりで、世間の大多数が信じ込んでいる情報がデマだと気づきながら、沈黙せざるを得ない人が世の中には一定数いて、その思いをわしが代弁したことで、我が意を得たりと殺到してくるのである。
     それが世間の目には「邪教のミサ」に映ってしまうわけだが。
     ともかくそんな読者の反響に力づけられ、わしは確信を持って慰安婦問題をどんどん描き進めていったが、同時に、それだけでは足りないとも感じていた。
     わしは薬害エイズ運動や、その前に関わったオウム真理教事件から感じた問題に、解決策を提示しなければならないと思っていた。
     なぜ薬害エイズ運動に参加した学生たちは「個」を持てず、いともたやすく運動体に呑み込まれてしまったのか? そしてオウム真理教信者の若者たちも、なぜいとも簡単に「個」を失い、荒唐無稽な教義を掲げる教団に呑み込まれてしまったのか?