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タグ “涼宮ハルヒの憂鬱” を含む記事 2件

ゼロ年代からテン年代に至るアニメの演出が進歩していく流れを考える。

 きょうのラジオで、最近、アニメの演出がきわだって進歩しているよね、という話をしました。  ぼくの場合は『心が叫びたがってるんだ。』で思い知らされたわけなのですが、いやー、この頃のアニメってほんとうにレベル高いですよね。  まあ、ぼくはそこらへん専門ではないので詳しく語れないのですが、ゼロ年代を通してアニメの演出が別次元のものへ変わっていったという印象はあると思います。  特に日常系がはやったことから日常の演出がすばらしく進歩したと感じています。  そういう意味でのエポックメイキングな作品を一作選ぶとすると、やっぱり『涼宮ハルヒの憂鬱』だと思います。  ほんとうはその前に『AIR』があり、『フルメタル・パニック?ふもっふ』があり、特に『AIR』は個人的に衝撃の一作だったわけなのだけれど、それにしても一般的には『ハルヒ』のインパクトは大きかった。  さすがに最近のことなのでみんな憶えていると思うのですが、けっこうみんな『ハルヒ』でびっくりしたわけなのですね。  テレビアニメでここまでの作画が可能なのか、と。  そのあとの京アニの快進撃は皆さんご存知の通り。  『けいおん!』を初めとする数々の傑作を生みだし、最新作『響け! ユーフォニアム』に至っています。  『ユーフォ』にまで至るともう歴然としているのですが、アニメの演出はほんとうに進歩しました。  これも何かで話したのだけれど、昔だったらひょっとしたら宮崎駿くらいしかやらなかったことをいまはみんながやるようになって来ているという印象です。  それがどこで見られるかというと、たとえば『けいおん!』の劇場版だとか、『たまこマーケット』の劇場版に結実しているわけなんですけれど、あたりまえのテレビアニメでも高度な演出を普通に見るようになりました。  これっていまでこそ当然のようになっているけれど、ほんとはすごいことだと思うんですよ。  ぼく、90年代に青春期を過ごしているのですけれど、その頃の有象無象のアニメは、いま見るとかなりきついものだと思います。  もちろん、その時代にも名作はあり、『少女革命ウテナ』とかそれはそれは凄かったのですが、ここでいうのはそれには及ばない、歴史の露と消えていった作品群のことです。  いやー、あの頃はぼくもいろいろ見ていました。  『ハイスピードジェシー』とか、そういういまとなっては無名でしかない作品をたくさん見ていたのですが、それらの作品はきょう的な意味でのバリューは少ないと思うのです。  そして時が過ぎ、ゼロ年代が訪れて、ぼくは京都アニメーションと出逢うことになります。  『AIR』です。 

ゼロ年代からテン年代に至るアニメの演出が進歩していく流れを考える。

萌えラブコメが「ハーレムファンタジーのタブー」を乗り越える日は来るか?

 ぼくの今年いちばんのオススメ作品であるところの『妹さえいればいい。』などを読んでいると、日常系ラブコメがだんだん「現実」に近づいていっているのを感じます。  不毛な対立軸を乗り越え、ルサンチマンを乗り越え――人々はついに現実を受け入れようとしているように見えるのです。  もちろん、そこで描かれる現実はきわめて誇張されたものであるには違いないのですが、どうだろう? それくらい極端な日常は、案外、いまどきめずらしくもない気もします。  少なくともぼくは『妹さえいればいい。』を読む時、「ああ、ぼくの日常とたいして変わらないな」と思う。  ただ女の子がいないだけで(笑)、ひたすらばかなことをやって遊んでいるところは共通している。  もはやこのファンタジーはそこまで極端にファンタジーだとはいえなくなっているんじゃないか。  ところが、いまのところそこにひとつだけ残った明確なファンタジーがあるんですね。  それは「ヒロインは主人公のことを好きになる」ということ。いわゆるハーレムファンタジー。  このファンタジーがあるかぎり、どんなに魅力的な男性キャラクターが出て来ても、主人公以外と結ばれることはありえないということになります。  もちろん、『ニセコイ』みたいに端っこと端っこでくっついている、つまり主人公の友達とヒロインの友達がくっついている、みたいなパターンはあります。  しかし、基本的にはやはり「序列上位」のヒロイン、つまりいちばん可愛い女の子たちは主人公のものでなければならない、というのが萌えラブコメのルールなのです。  それこそ『ニセコイ』でも『化物語』でもいいですが、上から数えて1番から5番くらいまでの可愛い女の子はすべて主人公を好きになる。  そういうルールが萌えラブコメには存在しています。そういうものなのです。  ただ、ぼくはどうしてもそれが納得いかなくてね。  だって、不自然じゃないですか? 世の中にはたくさんの魅力的な男性がいるというのに、主人公ひとりだけがすべてを持っていくということは。  長い間、萌えラブコメにはある種のテンプレートを除いては男性キャラクター自体が登場しえないことが常識的でした。  「主人公の友達」とか「主人公の師匠」とか「金持ちのライバル」とか、そういう必要最小限のキャラクターは出て来るんだけれど、本格的に主人公を脅かす存在は出て来ないということですね。  もちろん、細かく見ていければいくらか例外はあるでしょう。  しかし、全体的に見ればやはり主人公にとって危険な存在となりかねない魅力的すぎる男性キャラクターは(あて馬的登場を除けば)ありえないものだったといっていいと思います。  それも少々変わってきているのかな、と思わせる作品はあります。  たとえば 

萌えラブコメが「ハーレムファンタジーのタブー」を乗り越える日は来るか?
弱いなら弱いままで。

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海燕

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