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ゲーマーの心が折れるとき。
2015-11-26 02:3151pt
『ウィッチャー3』を続けています。
現在、レベル7。相当プレイしたのにまだこれだけかという気もしますが、各所で時間を無駄にしているから仕方ないのかも。
ちなみにこのゲーム、フィールドエネミーを斃してもほとんど経験値は入らず、主にクエストクリアでレベルアップしていくシステムになっています。
そのクエストがまたけっこう歯ごたえがあるものだから、必然的にプレイ時間はかさむことになる。
ぼくは見つけたサブクエストを片端からやっているけれど、ほんとうはそれらは適度に放置してメインクエストに集中するのが合理的なのかもしれません。
まあ、ゲームに合理性を持ち込んでも意味がないけれど。
ちなみにサブクエストは膨大な量があり、メインクエストにも蛇のように絡んできます。
また、このゲームの特色として、なにげない選択のひとつひとつが重い意味を持って迫って来るということがあり、まったく気が抜けません。
ちょっとあまりにも内容が詰まりすぎているので、長時間だらだらとプレイするのに向かない難はありますが、まあ、傑作ですね。
恐ろしくよくできたシナリオぞろいといっていいと思う。
もう少し気を抜いてプレイできるゲームをやりたいところですが――それは『ファイナルファンタジー13』を遊んでいればいいんだろうな。
そういうことをやっているといつまで経っても進まないけれど。
ゲームの難易度というのはじっさいむずかしい問題だと思います。
あまりにやりごたえがなさすぎると退屈だし、ありすぎると辛くなる。
この『ウィッチャー3』の場合は死亡時のロード時間が長いこともあって、あまり気軽にプレイヤーキャラクターを死なせることができません。
そこがこの出色の傑作の欠点といえばいえるでしょう。
じっさい、このゲームをクリアまで持っていけるかどうかは自信がないところですね。
めちゃくちゃよくできた物語なのだけれど、いちいち内容が重たいのでちょっと疲れる。
小説だったらこれでいいのかもしれませんが、ゲームだとプレイのむずかしさと相まって心が折れてしまうのですね。
うーん、サブクエストは放っておいてメインクエストを進めようかなあ。それとも、地道にレベル上げを試みるか。
経験値だけでなくお金もなかなか手に入らないゲームなので、各種アイテムをそろえるのも大変なのですが……。
たしかに -
コンピューターゲームはどこまで現実に近づくのか。
2015-11-17 01:5951pt
先日始めた『ウィッチャー3』をちょっと進めてみました。
いやー、暗い。重い。とにかく暗くて重いゲームです。
初期の『ベルセルク』みたいな暗鬱な展開が延々と続く。
主人公が屈強な剣士だけにカタルシスがないことはないのだけれど、それにしても陰惨。
リアリズムに徹しているといえばそうなのですが、長時間プレイするのはわりに辛いものがあるかも。
クリアまで100時間くらいは軽くかかりそうなんですけれどね。
というわけで、さっそく逃げることにしました。
いや、逃げるわけじゃない、一時退避するだけだ、と自分にいい訳をして『スカイリム』を始めることにしたのです。
まあ、このゲームも相当にダークな要素はあるのだけれど、『ウィッチャー3』に比べると遥かにからっとしている。普通のファンタジーという感じ。
『スカイリム』といえば天下に名のとどろいた有名作品であるわけで、これをお読みの方のなかにもお好きな方はいらっしゃるでしょう。
まず世界的に著名な傑作ゲームといっていいと思う。
この作品の魅力としてよく語られるのが、その自由度の高さです。
とにかく何をやってもいい、なんでもできるということがよくいわれます。
ゲーム中で大学に通ったり、盗賊団を撲滅したり、反対に盗賊になったり、吸血鬼になったり、結婚したり、子供を作ったり、世界を救ったりと、いろいろなことができるらしい。
その気になればこの世界で数百時間過ごすことも不可能ではないとか。
ほんとうはパソコン版のほうがさらに深淵な世界を備えているともいいますが、うちのPCだと動くものかどうかわからないのでぼくはPS3版でプレイ。
そこまで深く世界を探索する必要もないことですしね。
ほかのゲームもやりたいし、そのうちシリーズ続編が出るかもしれないし。
で、さっそく数時間プレイしてレベル6まで上げてみたのですが、さすがに面白いですね。
まだダンジョンをひとつ攻略した程度で、噂に聞く自由度はその片鱗しか味わえていないのだけれど、それでも十分に面白い。
とにかく町を歩いているとクエストが頻発する。その内容も多岐に渡っていて実に楽しい。
メインクエストはドラゴン退治が中心らしいのだけれど、べつに各地に現れるドラゴンなんて放っておいても話はどんどん進んでいくようです。
戦乱のスカイリム地方にとっては災難な話ですが……。
とにかく「これをやらなければならない」ということがないので、あっちを放浪し、こっちを旅行し、楽しく過ごしています。
あまりに膨大なクエストがありすぎて、何をしたらいいのかわからないような側面もなくはないですが、それはたぶんぼくがこの広大な世界を旅することにまだ慣れていないというだけのことなのでしょう。
まあ、山賊くらいは楽に倒せるようになり、旅していて突然死ぬことは少なくなってあちこちを行けるようになったので、もっといろいろな地方を見て回ろうかな、とは思います。
それにしても、 -
リアルを神ゲーに高めたい。
2015-06-02 20:1251pt
おがきちか『パルパル&ロケッタ』を読む読む。
玉の輿を狙う乙女勇者のパルパルの冒険を描くライトなファンタジー。
どうということはない話ですが、さすがに面白いです。
『Landreaall』のほうはいまいち停滞気味の展開だけれど、この先、どう動くか楽しみではある。複雑化する一方の物語が解決を見る日は来るのだろうか。
さて、前回の記事に続き、きょうは「自由」の話をしたいと思います。
きのうは「選択肢の多さ」こそ自由であると話しました。
ひとは一般に自由を目ざし生きるものです。つまり、取りうる選択肢を増やしていくことが人生のひとつの目標であるということになります。
幼い頃、ひとは大人の管理下にあり、行動の選択肢が限られています。
それが歳を経るにしたがって(責任の増大とともに)取りうる選択肢が増えていく。人生が自由になっていくのです。
もちろん、いかに選択肢が増えようとも取りうるルートはひとつしかないので、一度にいくつもの人生を歩むことができるわけではありません。
しかし、豊かな選択肢のなかからひとつを選んで生きている人は「自分の意志で人生を選んだ」という実感を得ることができるでしょう。
この自己選択&自己責任の実感こそが「生きている」という感覚そのものであるのだと思います。
もっとも、あまりにも選択肢が多い社会では、ひとは「どれを選ぶのが正しいのかわからない」という状況に陥るわけですが。
しかしまあ、とにかく基本的には「自由であることはいいことだ」とぼくは考えます。
この世界はフリーシナリオ&オープンワールドの超巨大MMORPGみたいなものです。
本来、そこに「クリア」という概念はないし、したがって具体的な「目的」も存在しない。
だから、どんな楽しみ方をしてもいいし、やりたくないことは投げ出してもかまわない。
自分の好きなことを、好きなように遊び尽くせばいい。そういう種類のゲームであるはずなのです。
もちろん、この世界に「クリア」はなくても「ゲームオーバー」は存在するので、死なないように生きていかなければなりません。
しかし、 -
リアルはなぜクソゲーなのか?
2015-06-01 03:3651pt
ニンテンドー3DSでLEVEL5制作のRPG『ファンタジーライフ』を始めました。
ああ、まだ『スーパーマリオ3Dワールド』も『ゼノブレイドクロス』も終わっていないのに新たにゲームを始めてしまうぼくの意思の弱さよ。
ちなみにiOS版の『シュタインズゲート』なんかも途中で止まっています。『逆転裁判2』と『3』、『アサシンクリード4』あたりも途中だな。
いい訳させてもらうならべつだん意志が弱くてひとつのゲームを続けられないわけじゃなくて、むしろ「複数のゲームを同時進行している状態」をこそ快適だと感じているのだと思うのですね。
それもアクション、正統派RPG、スローライフ系RPG、ADVといろいろなジャンルの作品がそろっている状態が心地いい。
ようするにぼくは「選択肢を増やしたい」と考えているのでしょう。
いつでもやりたいと思ったときにそのジャンルのゲームを遊ぶことができるということに「自由」を見いだしているわけですね。
べつにやらなくてもいいのだけれど、やりたくなったらいつでもできる。
それがぼくが考える「自由」であり「贅沢」なのだと思います。
もちろん、事はゲームに限りません。たとえば、中華料理を食べたいな、と思ったときに即座に食べることができるということが「贅沢」だと思います。
そういう意味では、ぼくはなかなかに自由で贅沢な人生を送っているといえるかもしれません。
いつでも寝たいときに寝て、起きたいときに起き、やりたいことだけをやって暮らしているわけですから。
もちろん、そうはいっても、「金銭」という条件によって制限される要素は少なくありません。
たとえば海外旅行に行きたいな、と思ってもすぐに実行するのはむずかしい。
だから、ぼくがお金を欲しいと思うのは、必ずしもそれを使いたいからではないのですね。
仮に貯金が1000万円くらいあったら、たぶんじっさいに使わなくてもそれなりに満足できるんじゃないかと思う。
「いつでも使うことができる」と思っていられることが重要なのであって、じっさいにやりたいことはそれほどないんじゃないか。
この感覚、わかる人はわかってくれると思うんだけれど、どんなものだろう。
さて、『ファンタジーライフ』の話に戻ります。
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