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情報洪水の時代をいかに生きるか。あるいはウェブ小説と音楽定額配信の共通点。

 敷居さんがブログで「ウェブ小説を読むことの気楽さ」について語っていますね。 http://d.hatena.ne.jp/sikii_j/20160314/p1  なぜわざわざ素人が書いた小説を読みあさるのかという問いへの解答です。  曰く、「小説家になろう」を読むときは「ちょー気楽に、面白くない場合もあるってことを織り込み済でとりあえずパラパラ読む」。  なるほど、納得です。多くのアマチュア小説は、最低限の面白さすら保証されていないわけですが、なぜそういうものをあえて読むのかといえば、まったく期待せずに読むから労力を使わなくていいのだということですね。  いい換えるなら、「心が正座していない」ということができるかもしれません。  真剣な姿勢で物語に向き合っているのではなく、ごく気楽にページをめくってみるという態度。  あるいはそれは小説に向き合う態度として不遜なものとそしられるかもしれませんが、じっさいのところ、ウェブ小説のような媒体を読むためには必然的なスタイルだと思われます。  敷居さんはこの姿勢を「雑誌」を読むときに喩えていますが、ぼくはむしろ音楽の定額配信を連想します。  ウェブ小説を読む気楽さは、1000万曲とか3000万曲といったまさに途方もない数の楽曲をてきとーに流して聴いていく気楽さと、一脈通じているのではないか。  その昔、といってもわずか数十年前のことに過ぎませんが、その頃には音楽はある程度「正座して聴く」ことが普通のものだったでしょう。  日常生活のなかで音楽を聴く方法がレコードを聴くことくらいしかなく、「好きな楽曲を好きなように好きなだけ」聴くというスタイルは困難だったからです。  人間のアートの受容のしかたはテクノロジーに規定されるわけで、その時代には音楽を聴くということはいまよりいくらかシリアスなことだったと思われます。  もちろん、そのさらに昔、レコードすら存在しない頃にはさらに真剣だったことでしょう。  トーマス・マンの『魔の山』で、山上のサナトリウムでモーツァルトか何かのレコードを流す場面がありましたが、とても神聖な時間として描写されていた記憶があります。  ようするにテクノロジーの進歩は、ひとが小説なり音楽といったアートに向き合うことをきわめて気楽なことにしてしまったのです。  それが良いことなのかどうかは一概にはいえません。  見方を変えるなら、ぼくたちは作品にほんとうに真剣に向き合うことを忘れてしまっているということもできるかもしれません。  あまりにも大量の小説やら映画やらアニメやらがあふれているいまの時代、かつてのように「人生で数少ない貴重な体験」として物語を味わうことは不可能に近いように思われます。  いまではもう一期一会の真剣さで物語と付き合うことは非常にむずかしい。  どうしたって、ある程度は「気楽」なスタイルで膨大な物語を次から次へと消費していくという形にならざるをえません。  しかし、 

情報洪水の時代をいかに生きるか。あるいはウェブ小説と音楽定額配信の共通点。

飯田一史『ウェブ小説の衝撃』で納得したところと物足りないところ。

 飯田一史『ウェブ小説の衝撃』読了。  ここ数年、「小説家になろう」や『E★エブリスタ』から始まって無数の作品を世に出しているウェブ小説を特集した一冊。  ぼくは「ウェブ小説」ではなく「ネット小説」という表記を使いますが、内実は同じことです。  「インターネット上で発表された小説」のことですね。  昨今、「なろう」や「エブリスタ」から生まれた作品は数多くが出版され、商業的にも成功し、注目を集めています。  しかし、そうはいっても「しょせんウェブ小説」と見られる傾向はなくならないわけで、そういう意見に反論する本といってもいいでしょう。  で、その反論の内容がどうだったかというと――うーん、イマイチ?  いや、誤解してほしくはないのですが、この本の内容に特に問題があるというわけではないのです。  むしろ、全体が限りなく見通しづらいウェブ小説の世界をともかくも一覧したということで、画期的な意味のある本だと思う。  今後、ウェブ小説について語る人は、肯定するにせよ否定するにせよ、この本の内容を参照せざるをえなくなるはずです。  そういう意味ではなかなかエラい一冊といってもいいかと考えます。  しかし、やはりこの本だけだと片手落ちという印象は否めない。  この本で語られていることは、どこまでも「ウェブ小説ビジネス論」でしかないわけで、「ウェブ小説文化論」とでもいうべき本が必要だと感じます。  そうじゃないと、いくら「こんなに売れている」、「こんなにウケている」といわれたところで、もうひとつ納得できないのですね。  どんなに売れていても、ウケていても、くだらないものはくだらないとしか思えないわけですから。  セールスを絶対の尺度とするような見方は、インターネットではわりとメジャーになりましたが、ぼくはそういう尺度で物事を考えようとは思わないのです。  だから、この本のどこが悪いというわけではないのだけれど、「ビジネスではなく文化の側面からウェブ小説を熱く語った本が欲しいな」という思いは残ります。  ビジネスと文化。両方の側面がそろって初めて、「なるほど、ウェブ小説ってすごいんだな」と心から納得できるでしょう。  だれかそういう本を書きませんか。ものすごく大変だと思うけれど。  この本のなかで語られているものは、 

飯田一史『ウェブ小説の衝撃』で納得したところと物足りないところ。
弱いなら弱いままで。

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海燕

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