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記事 7件
  • 大晦日だよ。好きなキャラクターランキング男女別ベスト20。

    2017-12-31 01:39  
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     質問箱で「好きなキャラクターランキングを教えてください。」(https://peing.net/q/8acd316f-e553-4950-8c0b-b082c571a50d)という質問をいただいたので、作ってみました。
     けっこう苦労しました。当然、好きなキャラクターは枚挙にいとまがないほどいるわけですが、ランキングをつけるのって大変だよね。ぼくが好きなキャラクターは男女を問わず、何らかの形で「戦っている」という特徴があります。与えられた運命に対し、果敢に抵抗しているキャラクターが好きですね。下のほうにくわしい解説をつけておきます。
    〇男性編
    1位 ヤン・ウェンリー(『銀河英雄伝説』)
    2位 イシュトヴァーン(『グイン・サーガ』)
    3位 ダグラス・カイエン(『ファイブスター物語』)
    4位 尼子司(『SWAN SONG』)
    5位 土方歳三(『燃えよ剣』)
    6位 令狐冲(『秘曲笑傲江湖』)
    7位 オスカー・フォン・ロイエンタール(『銀河英雄伝説』)
    8位 森田透(『翼あるもの』)
    9位 ジークフリード・キルヒアイス(『銀河英雄伝説』)
    10位 伊集院大介(『伊集院大介の冒険』)
    11位 ルルーシュ(『コードギアス』)
    12位 沖田総司(『燃えよ剣』)
    13位 田島久義(『恋愛』)
    14位 上杉達也(『タッチ』)
    15位 ジュスラン・タイタニア(『タイタニア』)
    16位 グリフィス(『ベルセルク』)
    17位 衛宮士郎(『Fate/stay night』)
    18位 グイン(『グイン・サーガ』)
    19位 碇シンジ(『新世紀エヴァンゲリオン』)
    20位 ジョン・スノウ(『氷と炎の歌』)
    〇女性編
    1位 比良坂初音(『アトラク=ナクア』)
    2位 沢渡真琴(『Kanon』)
    3位 ヴィアンカ(『OZ』)
    4位 黒猫(『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』)
    5位 ラキシス(『ファイブスター物語』)
    6位 姫川亜弓(『ガラスの仮面』)
    7位 シルヴィア(『グイン・サーガ』)
    8位 躯(『幽☆遊☆白書』)
    9位 白鐘直斗(『ペルソナ4』)
    10位 美樹さやか(『魔法少女まどか☆マギカ』)
    11位 アトロポス(『ファイブスター物語』)
    12位 久慈川りせ(『ペルソナ4』)
    13位 綾波レイ(『新世紀エヴァンゲリオン』)
    14位 ユーフェミア・リ・ブリタニア(『コードギアス』)
    15位 真賀田四季(『四季』)
    16位 長谷川千雨(『魔法少女ネギま!』)
    17位 アウクソー(『ファイブスター物語』)
    18位 鹿目まどか(『魔法少女まどか☆マギカ』)
    19位 川瀬雲雀(『SWAN SONG』)
    20位 サーバル(『けものフレンズ』)
     男性版1位のヤン・ウェンリーはもうしかたないというか、30年近くファンやっているもので、どうしようもないですね。歳を取ってから見てみると、驚くほど繊細なバランスでできているキャラだと気づきます。この頃の田中芳樹のすごみですね。
     2位のイシュトヴァーンは若き日の野生、たけだけしさ、行動力、与えられた運命に果敢に抵抗していくところもさることながら、後半の殺人王へと堕ちていくくだりも好きです。人生で最も心配して眺めたキャラクターといっても過言ではないかも。
     3位のカイエンは、まあ自分のハンドルネームのもとにするくらいで、それはもう大好きです。非常に男性的な、「男」という生きものの長所と短所というものがもしありえるとすれば、それを凝縮させたようなキャラクターですよね。ひたすら男のロマンを追求したようなというか。かっこいい。
     第4位は『SWAN SONG』の司。やっぱりあまりにも過酷な運命に抵抗しつづけるところが好きですね。人間として強い。強すぎる。ランキングには入っていないけれど、鍬形も好きです。リアリティありすぎ。
     第5位、土方歳三。まあ、ぼくの読書人生でいちばんといっていいくらいかっこいいキャラクターですね。切ないほどの男らしさ。そしてやっぱり行動力が好きです。アクティヴなキャラクターが好きだということですね。
     第6位、令狐冲。いい奴(笑)。とにかくいい奴。あまりにもいい奴すぎてヒーローというより被害者じゃないかという気もするのですが、とにかく気のいい兄ちゃんです。大好き。金庸のキャラクターは他にも魅力的な人がたくさんいます。
     第7位、『銀英伝』からふたり目。ロイエンタール。こいつもかっこいいよなあ。破滅的に生きて、結局破滅する悲劇性が好きですね。女嫌いのくせに女にはモテるところとか、矛盾した性格に惹かれます。
     第8位、栗本薫の初期の名作『翼あるもの』より森田透。この人はね、とても優しい人ですね。9位のキルヒアイスもそうなのだけれど、優しい人が好きです。自分も優しい人間でありたいと思っています。少しは優しくあれているといいのですが、どうだろうなあ。
     で、第10位、伊集院大介。はい、この人も優しい人ですね。栗本薫の作品全作を通じての最大の名探偵であり、弱い人々の守護者のような存在です。意外にも、名探偵キャラクターからはこの人しか入っていませんね。金田一耕助とかも好きは好きなんですけれど。
     第11位は『コードギアス』からルルーシュ。「反逆の」ルルーシュというくらいで、やっぱり運命に抵抗する系統のキャラクターですね。ぼくはとことんこの手の反逆者キャラクターが好きなようです。
     第12位は『燃えよ剣』の沖田総司。土方歳三の相棒ともいうべきキャラクターですが、そのあまりの透明さ、哀切さは強く印象にのこっています。こんなキャラクターをさらっと生み出してしまうのだから、司馬遼太郎という人もたいがい天才ですね。
     第13位、ぼくの最も好きな漫画のひとつ、『恋愛』から主人公の田島久義。狂気のような情熱の持ち主で、一歩間違えばストーカー以外の何ものでもありませんが、そういうところが好きです。
     第14位のキャラクターは『タッチ』の上杉達也。まあ、この人に関してもあまりいうことはないですね。とても辛い、重い運命を背負って、それをだれのせいにもせず、ひとりで孤独に戦い抜いたところが好きです。
     第15位、ジュスラン・タイタニア。いやー、すごいキャラですよね。「中途半端な美形」といういちばんダメになりそうなキャラを、ここまで魅力的に描いてしまう全盛期田中芳樹の凄まじさよ。キャラクターの造形に関してはほんとにものすごい作家だと思います。
     で、第16位なのですが、ガッツではなくグリフィスを持ってくるところがぼくらしいと思ってほしいですね。イシュトヴァーンを好きなのとほぼ同じ理由で好きです。運命に対する抵抗。
     第17位は『Fate』から士郎。まあ、奈須きのこユニバースからひとり持ってくるなら、やっぱり士郎になるのかなあと。凛も桜もセイバーも好きですが、士郎の狂気はすごく好きです。ぼくは狂的なパッションを持っているキャラクターが好きらしい。
     第18位、グイン。まあ、みんなのお父さん的な存在ということで、出てくると安心感がありますよね。あまりにも無敵すぎるのでかれが活躍するとあっというまに問題が片付いてしまうのですが。やっぱり好きは好き。
     第19位はシンジくん。ぼくはかれのことはかなり評価しています。だって頑張っているじゃないか! そりゃ弱音は吐くけれど、それでも戦っているわけで、もう少し評価されてもいいはず。まあ、状況が過酷なんだよね……。
     そして第20位はジョージ・R・R・マーティンの『氷と炎の歌』からジョン・スノウ。非常に人気があるキャラクターですね。ティリオン・ラニスターとどっちにしようか迷ったのだけれど、ジョンのほうにしておきました。ティリオンも好きです。
     女性編の第1位は『アトラク=ナクア』の初音お姉さま。もうダントツで好きですね。邪悪さと可憐さ、攻撃性と被害者性が一身に両立しているところが好きです。これは、男性キャラクターでもそういうキャラクターが好きですね。ぼくの好みなのだと思う。
     で、第2位の真琴。この子はね、純粋にいたいけな無垢の象徴みたいなキャラクターですよね。これは異性として好きというより完全に子供として好きなんですね。ぼくの子供好き(怪しい意味じゃない)が端的に表れているキャラクターだと思います。
     第3位、ヴィアンカ。妹のフィリシアも好きですが、この子の浮かばれなさが好きです。チョロイン属性というか、作者にもあまり愛されていないっぽいところが好き。不遇萌えの窮みみたいなところありますね。
     第4位、黒猫。可愛い。以上。いや、可愛いよね、黒猫。ぼくはフィクションのキャラクターに萌えても恋愛感情は感じないんだけれど、この子だけはちょっとべつで、普通に付き合いたい(笑)。年齢差何十歳あるんだって感じですが……。好きですね。
     第5位はラキシス。まあ、天真爛漫のプリンセスですね。アトロポスやエストも好きなのだけれど、この子のまったくファティマらしくない自由奔放さが好きです。好き勝手にやっているキャラクターが好きなのかも。
     第6位、姫川亜弓。努力の人ですよね。やっぱり「運命に対する抵抗」が好きなんだと思う。マヤのような傑出した天才を持ち合わせていないことを、懸命な努力でどうにしかしようとするその姿勢に強く強く惹かれます。マヤも好きですが。
     第7位、シルヴィア。非常に悲惨な目に遭っている少女ですが、それでもなお、愛を求め、幸福を求め、地獄のような環境のなかであがき、もがいているところが好きですね。『グイン・サーガ』におけるジョーカーのようなキャラクターなのだと思います。
     第8位は躯(『幽☆遊☆白書』)。彼女も被害者性と加害者性を両立させているキャラクターですよね。非常に好きです。ただ、キャラクターとしてあまりに完結してしまっているので、ランキングとしてはそこまで上にはなりません。いいキャラクターですけれど。
     第9位、白鐘直斗。大好きなゲームである『ペルソナ4』からひとり選んでおきたいということで、彼女にしました。非常に知的でそつがなく、女性的なところを抑圧していて、しかしそれがしだいに解放されていくというところが好きです。
     第10位、美樹さやか。『まどマギ』のなかではこの子がいちばん好きです。ぼくはだいたい酷い目に遭っているキャラクターを好きになる傾向が強いようですね。もちろん、それ自体ではなく、その状況に対する抵抗にこそ共感するわけです。
     第11位にはアトロポス。これも不遇萌えに近いかもしれない。妹のラキシスに比べ不幸な人生を送っているように見えますが、そういうところが魅力的です。でも、ドラゴンに惑星を亡ぼさせようとするのはやめろ。ものすごく迷惑だぞ。
     で、すいません、『ペルソナ4』からひとりといいましたが、第12位にりせちーも選んでしまいました。本来、ぼくの好みではないはずのキャラクターなのですが、不思議と好きですね。たぶん、あのグループのなかでこそ輝くキャラクターなのだと思います。
     第13位、ぼくたちの綾波。まあ、あの儚そうなところに惹かれるわけですね。彼女については既に山ほど論考があるのでいまさら語りませんが、やはり加害と被害、サディズムとマゾヒズムが同居したキャラクターだと思います。そこに惹かれます。
     第14位、『コードギアス』のユーフェミア・リ・ブリタニア。非常に「女の子らしい」ままであのルルーシュを敗北に追い込んだというところに凄みを感じます。男性的にならないままで運命と戦っているところが好きですね。
     第15位は真賀田四季。これは『四季』の少女四季に一票、ということにしておいてください。まあ、いろいろな意味で非常に画期的なキャラクターなのですが、ぼくは完璧になる前のわずかに欠けたところがある幼い四季が好きです。
     お次は第16位。えーと、長谷川千雨(『魔法少女ネギま!』)。みごとネギと結ばれてしまった勝ち組キャラクターなのですが、あの劣等感を抱えたまま戦っているところに共感します。ぼくも似たようなものなので。オタクキャラですね。
     第17位、アウクソー。ラキシスとアトロポスは女神なので例外と考えるとして、ほぼファティマ代表ですね。あのダメ男に仕えて幸せそうにしているけなげなところが気に入っています。エストとどっちにしようか迷ったけれど、まあ、アウクソーかな、と。
     第18位、まどか。ヒーロー。ザ・ヒーローというイメージです、ぼくのなかでは。この人を「普通の女の子」として捉える人もいるだろうけれど、ぼくのなかでは普通じゃない異常な人ですね。その異常さに惹かれます。でもさやかより順位は下。
     第19位。川瀬雲雀。ひばりん、かわいいよなあ。強いし。田能村のプロポーズに対し即座に「いいよ」と答えるところに惚れました。いい女だぜ! 
     第20位、サーバルちゃん(『けものフレンズ』)。この子はもっと順位が上でもいいかもしれませんね。このラインナップのなかで今年のキャラクターはこの子だけじゃないかな。やっぱり優しさ、懐の広さ、包容力というところが好きなのだと思います。
     以上、好きなキャラクターランキングでした。まあ、暫定版というか、いまの気分に多分に影響されているランキングですが、だいたいこんな感じだと思います。うーん、参考になるかな? 質問者さんに届いていれば幸いです。 
  • 『月姫』の伝説。オタクが日陰の存在だったあの頃を語ろう。

    2017-12-04 07:00  
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     ども。大量更新を始めてから半月くらい経ちますが、どうにか続いていますね。このままひと月、半年、一年と続けていければいいのですが、どうかなあ。
     あまりたくさん更新すると読み切れないという人も大勢いるかとは思うのですが、とりあえずはこのペースで行きたいと思います。会員数も少しずつ増えてきていますから。
     さて、どうにかAmazonで入手した坂上秋成『TYPE-MOONの世界』を読んでいます。『月姫』に始まって『Fate/stay night』、『Fate/Zero』などのヒット作を世に送り出したエンターテインメントメーカーTYPE-MOONについての奈須きのこと武内崇を中心とした通史であり、評論です。
     奈須きのこと武内崇の出逢いに始まり、『月姫』の爆発的ヒット、そして『Fate』へ、といった流れが丹念に描かれているようです。『月姫』以来、TYPE-MOONをリアルタイムで追いかけて来た人
  • 電子書籍『花の勲章』刊行。

    2016-10-01 06:01  
    51pt

     同人誌第一弾『BREAK/THROUGH』を『花の勲章 Breakthrough』と改題して電子書籍化しました。中身は、小説部分を削った以外ほぼそのままです。約10万文字あります。
     いま読むと、作品に関する情報は古びていますが、それでもなかなか面白いですねー。意外に悪くないな、と思います。ところどころ、『戦場感覚』に至るアイディアの萌芽が見られたりしますし。
     最後の第十章「花の勲章」のテンションの高さはいま見てもすごいものがあります。ぼくが書いたすべての文章の中で最もテンションが高い文章でしょう。
     よければ『戦場感覚』と合わせてお読みください。

     目次
    第一章「少年の夢。『プラネテス』が見る風景」
    第二章「世界が空気に溶けるまで――『ほしのこえ』から『けいおん!』へ」
    第三章「阿良々木暦の可能性殺し――『猫物語(白)』とハーレムブレイカー」
    第四章「『日本沈没』か『東のエデン』
  • 特別な1%だけではなく、凡庸な99%が愛おしくてたまらないオタクの心理。

    2016-04-09 11:52  
    51pt
     1%と99%。
     いいえ、べつに「ウォール街を占拠せよ」といいだしたいわけではありません。
     この数字は社会における富裕層とそれ以外の割合ではなく、創作における大傑作とそれ以外の割合を指しています。
     つまり、どんなジャンルであれ、真の傑作と呼ぶべき作品は全体の1%あればいいほうだということ。
     基本的にアマチュアが多くを占めるウェブ小説や同人漫画では、もっと少ないかもしれません。
     しかし、数は少ないとはいえ、その1%こそがジャンルを代表するものであり、残りの99%を合わせた以上に大きなバリューを秘めた存在なのです――と、ぼくのような人間は考えがちであるわけですが、ほんとうにそうなのでしょうか。
     99%の作品の価値は全部合わせても1%に及ばないものなのでしょうか。
     そう考えていくと、どうやら必ずしもそうではないという結論が出そうです。
     たしかに、99%に属する作品はかがやかしい天才による1%ほどの圧倒的存在感を示しているわけではないかもしれない。
     それらはどこかしら平凡であったり、ありふれていたりするでしょう。
     ですが、それでも、なお、ジャンルの大多数を占めているのはそういった作品のほうなのです。
     そして、ジャンルフィクションのファンというものは、大方、そういう99%の作品をこよなく愛しているものなのです。
     シオドア・スタージョンはぼくの敬愛する天才作家ですが、「どんなものも90%はクズである」といういわゆる「スタージョンの法則」を残したとされています(じっさいにはちょっとニュアンスが違うらしいですが、まあ、こういうふうに伝わっている)。
     スタージョン自身は1%に属する作家であったにもかかわらず、99%の作家と作品を擁護したのです。
     スタージョンの法則は、さまざまな局面にあてはまります。
     たとえば、エロゲの代表作というと、ぼくなどは『SWAN SONG』みたいな奇跡的傑作を挙げたくなりますが、その一方でぼくは『To Heart』とか『Piaキャロットへようこそ!』とか『夜が来る!』なんかも大好きなんですよね。
     それらは天才的想像力の産物とはいえないかもしれないけれど、穏やかに心を癒やす作品です。
     やっぱりそういう作品も必要だと思うのですよ。
     SFとかミステリといったジャンルフィクションでも、99%の作品群には愛着があります。
     ロケットと美少女と宇宙海賊! レムやイーガンの傑作だけではなく、そういうありふれたガジェットの小説にも心惹かれるわけです。
     そういうものが好きだということが意外にジャンルフィクションを愛好するということの本質を成している気がします。
     もちろん、1%と99%は明確に分かれているわけではなく、99%の作品のなかでもさまざまなグラデーションが存在しているということもほんとうです。
     しかし、 
  • 15年目にしてまだ考える。『AIR』の感動って何だったんだろう?

    2014-11-02 00:52  
    51pt


     うにー。海燕です。どうも最近、このブログの内容は記事ごとに細切れにして話すにはむずかしい内容を扱っているような気がします。
     難解というわけではなく、「わかる人にはわかる」話をしているのですが、はたしてこれはどの程度正確に伝わっているのか? 不安がなくもありません。
     と書くのも、きょうはいままで書いてきたことを踏まえて、さらにわかりづらい話を展開しようと考えているからです。どうか、付いてきてくれると嬉しいな、と思います。
     さて、この世には「ミクロ」と「マクロ」の問題が存在し、それぞれに対応する物語があるというところまで話をしました。
     そして、マクロとミクロの物語では異なるテーマが存在するが、それらがリンクしあう物語もまたあり、その象徴となるのが「マクロの問題を一身にひき受けるヒーロー」であるということも話したと思います。
     ちなみに、この「無限の責任(responsibility)を背負う、つまり無限の呼びかけに対して応答(response)するヒーロー」が、善悪二元論がまかり通るこの世界において、一身を「悪」に見立て、残るすべての世界を救済するという物語形式を、ぼくは「生贄の王の類型」と呼びたいと考えています。
     典型的なのは『コードギアス』のルルーシュですが、この時、ヒーローはフレイザーのいう「森の王」(だっけ?)よろしく、全社会の全責任を背負って物語から退場するのです。
     じっさいに退場するところまでは行っていませんが、アメリカのヒーロー映画の頂点である『ダークナイト』もこの類型ですね。バットマンはまさに「生贄の王」そのものです。
     しかし、きょうはその話には深入りしません。実はきょう、ぼくはマクロをも超えた「ウルトラマクロ」というものがありえるのではないか、という話をしたいと思うのですよ。はっきりいって自分のなかでもまるで煮詰まっていない話なのですが……。
     それでは、ウルトラマクロとは何か? それは神であり、楽園です。運命であり、悟りです。あるいはイデアとか超越という言葉を使うこともできるでしょう。
     つまり、ミクロとかマクロといった区分が通用する現実世界を超えた超越的次元のことを、ここではウルトラマクロという言葉で指し示しているわけです。
     ――怪しい話だと思いますか? ぼくもそう思います。しかし、一面でひとは現実的な要素だけで生きていくことはむずかしいということもたしかです。
     「ひとはパンのみにて生きるに非ず」。そして、パンに加えてサーカスだけあればいいというものでもありません。何か日常世界を超えて気高いもの、美しいものにふれたいという想いが、人間にはやはりあるのだと思います。
     もちろん、そんなものはいらないという考え方もあるし、そういう考え方だけでも十分に生きていくことができることはたしかですが、今回はそういうウルトラマクロを必要とする人々がいるということを前提として話をしたいと思います。
     さて、 
  • 【Q&A】あなたの心に、白鳥の歌がとどきますように。(6822文字)

    2013-09-13 19:46  
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     紅蓮さんからのメール。

     「どんちゃんがきゅ〜」、「らくえん」のレビューとても楽しく読ませていただきました。なら是非「SWAN SONG」 のレビューも再掲していただきたいです。somethingoraoge様で初めてレビューを読んだときは衝撃でした。またあの レビューが読めたらとても嬉しいです。気が向いたら再掲お願いします。 

     『SWAN SONG』のレビューですか。再録するのはやぶさかではありませんが、超ネタバレなんだよなあ。まあネタバレでも良ければ読んでください。
     この作品はぼくのこの10年のベスト、掛け値なしの最高傑作なので、いろいろ書いてはいるのですが、まずは最初に書いたレビューを載せておきます。
     これは『SWAN SONG』を「解読」する前に書いた文章ですね。まだ『SWAN SONG』の構造についてはっきりわかっていない頃の内容です。
     超ネタバレなので、未プレイのひとは読まないほうがいいと思います。この作品だけは何が何でもネタバレなしでやってほしいものです。まあ、少々のネタバレで崩れるような内容でもないけれども。
     まず、ぼくの人生でも全五指に入る「物語」です。エロゲがどうこうという次元を超えて、ひとりの天才クリエイターの最高傑作ですね。
     未プレイの方は、ぼくの言葉を少しでも信じるなら、ぜひ、何の情報も仕入れずにプレイしてみてください。おそらくその凄まじさに驚くと思います。
     よければそのあとに、このレビューと、「解読編」を読んでみてください。作中の謎めいたやり取りがすべて理解できるかと思います。
     くり返します。紛うかたない大傑作です。人生でこれをやらずに死ぬのはもったいない。男性も女性も、「物語」を愛するひとはプレイしてみてください。壮絶な内容ですが、ここには愛があります。
     ――――――
     先日、田村由美『7SEEDS』の最新刊が発売された。
     劇作家の鴻上尚史、直木賞作家の角田光代らの絶賛を受けた現代漫画の傑作である。
     その物語は、ある日、何事もなく眠ったはずの主人公たちが、見知らぬ世界で目ざめるところから始まる。
     それから、かれらは必死の冒険のなか、世界が既にほろび去ってしまったこと、少なくとも以前とは変わり果ててしまったことを知る。
     読者の注意を逸らさない巧みな展開、一切の容赦なく主人公たちを地獄へ突き落とす語り口、と現代を代表する「語り部」田村由美の本領がいかんなく発揮されたカタストロフィ・テーマの傑作である。
     ここ数年、漫画業界では巨大災害を描いた作品が何作か続いたが、そのなかでは桁外れの作品といっていいように思う。十分に、あるいはそれ以上におもしろいし、感動的だし、何より人間性についての深い思索を感じる。
     しかし、『SWAN SONG』を知ったいま、その『7SEEDS』ですら少し色褪せて見える。この作品も同じ滅亡ものの傑作であり、しかも、私見では『7SEEDS』をもしのぐ歴史的マスターピースなのだ。
     実に『雫』以来のこの十年のなかの最高傑作と言って良い。
     物語は、ある年のクリスマスから始まる。その日、激烈な大地震が起き、霏霏として吹雪が吹きあれるなか、街はあっさりと灰燼に帰す。
     多数の死者を出したその震災を、幸運にも生きのびた尼子司は、ある古びた教会へと避難し、そこで5人の若者と邂逅する。
     田能村慎、佐々木柚香、川瀬雲雀、鍬形拓馬、そして、八坂あろえ。司をふくむ6人は、仲間としての絆をむすび、地獄と化した街で生き抜く努力を開始する。その先に待ち受ける非情な運命を知ることもなく。
     この種のカタストロフィ・テーマの作品は、まず視点をどこに置くかが問題となる。
     こういった大規模な災害は、まず第一に社会的問題である。しかし、それと同時にいたって個人的な問題でもある。ミクロとマクロの問題軸が同時に発生するわけだ。
     そのいずれの視点を選ぶか、まずはその時点で作り手の力量が問われる。たとえば『アニマート』などは、その段階で半端になり、凡作に堕した印象がある。
     『SWAN SONG』はマクロの視点を捨て去ってしまう。空を翔ける鳥の視点は切り捨てられ、地を這う蟻の視点に寄り添う。そしてその蟻たちが、どんなに愚かに、どんなに懸命に、生きようとし、そして死んでいったか、そのことがひたすら執拗に描写されていく。
     ある者は狂気に陥り、ある者は気高く生き抜き、ある者は何もわからぬまま自分の世界に没頭し――そして、それらの生きざまを通して、人間賛歌が謳い上げられる。
     しかし、これほどに暗黒な賛歌がありえるものだろうか。
     初め、すべてが崩れ去ったとしても、司たちは希望を失っていない。一時的に社会秩序が崩壊しても、すぐにそれまでの価値観が失われるわけではないのだ。
     かれらは困難な探索の果てに、ある学校を利用した避難キャンプにたどり着き、合流する。そこでは、生きのびた人びとが、かすかな希望にすがりながら救援を待っていた。
     しかし、いつまで経っても救いの手が訪れることはない。消防も警察も、そして自衛隊も、なぜか皆、沈黙したまま。次第に、人びとの心に暗い影のような焦燥が忍び寄ってくる。
     そして、そこにもうひとつの共同体が出現する。竜華樹と呼ばれる予知者の少女をかしらに戴き、得体のしれぬ信仰に没頭するなぞの宗教団体「大智の会」。殺人者をも受け入れ、平等に遇する狂信の集団。
     あまりにも胡散臭い連中だ、とだれもが思う。予知のことばを盲信するかれらを、学校の人びとは見下し、軽蔑する。かれらの狂気に対し、激しい怒りが燃え上がる。
     自分たちこそが正常だと信じ、他人の異常さを嘲笑うこと、それもまたひとつの狂信の形なのだとは気づかない。
     やがて、学校と「大智の会」の間で争いが起こる。初めは小さな揉め事に過ぎなかったその火種は、やがて燎原の火のように燃え広がっていく。
     宗教戦争である。
     その展開は、あまりにも生々しく人類の歴史をなぞっている。それまでは平和な世界で穏やかに暮らしていた人びとが、いくつかの修羅場をくぐりぬけるうち、あっさりと狂戦士へ変わっていく。
     「ひとを殺してはならない」という究極の禁忌を犯した瞬間、ほかのあらゆる禁忌は色褪せ、かれらの心からはがれ落ちる。
     目の前にいる敵、それはもう人間ではない、たんなる敵なのだ。つい先日までは、同じ社会であたりまえのように共存していた人びとが、武器をもって殺しあう。
     「敵」と「仲間」とを峻別し、自分の集団に属するもののみを「人間」と見なす非情の思想が浸透していく。そして、だれもが少しの躊躇もなく「敵」の命を奪い、陵辱するようになる。
     「敵」の男は野獣であり、「敵」の女は家畜にひとしい。かれらはひたすらに奪い、奪い、奪う。正義のため、仲間のためと、あらゆる残虐行為は正当化され、肯定される。
     そのようにして、はてしない争いに色取られた人類の歴史がなぞられていく。
     この物語はただの物語である。現実とはかけ離れた、ただの夢、ただのお伽噺である。しかし、このお伽噺は人間の真実をあばき立てている。
     その展開そのものはただの物語に過ぎないとしても、その血まみれの歴史のなかで、じっさいに人間たちはこのように「敵」を殺し、犯し、葬り去ってきたのだ。
     何という残虐であり、何という非情だろう。平和な世界に生きる我々の目から見れば、それは明白なる「悪」であるに違いない。
     しかし、法も秩序も崩壊しきったいま、昔日の倫理がいかなる意味をもつだろう? 「仲間を守る」という新たな倫理が打ち立てられ、ほかのすべてを塗りつぶしていく。
     初め、もっとも純粋な正義感を抱いていた鍬形は、しまいにはもっとも残虐な殺人鬼と化す。その潔癖な正義感こそが、かれを殺戮に駆り立てる。かれは自分が弱いからこそ、他人の弱さを赦せない。
     そして敵に対し最も冷酷にふるまったために、鍬形はこの狂った世界で信望を集めることになる。以前、手に入るはずもないと思っていたものすべてが、かれのもとに集まってくる。
     かれはその新たに生まれた社会を支配し、狩りを愉しむようにして「敵」を殺戮していく。そして「仲間」に対してすらも、恐怖政治を実施する。
     手段と目的がすりかわり、共同体維持のためにほかのすべてが犠牲にされることになる。
     そこには、もはや、あの気弱な青年の面影はない。ただ、真紅の夢に心冒された狂気の独裁者の姿があるのみ。しかも、そんなふうになってなお、かれは少しも幸福にはなれない。
     あの無力な日々のなかで、あれほどに渇望した女、権力、そして愛すらも手にいれ、それでもなお、あいかわらず劣等感と人間不信がかれを苛む。
     かれはもうだれも信じることはできない。かれの目にはあらゆる人間が醜く歪んで見える。そして、それこそが人間の真実なのだと考える。独裁者の孤独。
     それに対し、田能村はどこまでも誇り高く生き抜いていく。奪われ、汚され、踏みにじられてなお、その瞳から尊厳が失われることはない。
     どんな苛烈な暴力もかれをおとしめることはできない。風のようにひょうひょうと、かれは人間の尊厳を保ちつづける。
     しかし、まさにその誇り高さの故に、田能村は孤立することになる。殺戮の夢に染まった学校に、もはやかれの居場所はなかった。
     田能村はだれよりも靭い。気高い。その靭さ、気高さがさらに鍬形たちを追いつめる。やがて田能村はすべてを失い、ひとりになってしまう。
     そしていまや血まみれとなった虎は、ただひとりの少女のまえにひざまずく。「心からきみが好きだ。いっしょに行こう」。
     告白は断られ、さしだした手は拒絶されるはずだった。いったい、だれが、仲間殺しの虎と同行するだろうか? しかし、その手はあっさりと握り返される。
     その少女は、血にまみれることなど少しも怖れはしなかった。そして一匹の虎に一羽の雲雀が寄り添うことになる。のぞむのならもっと多くのものを手に入れられたはずの虎は、たったそれだけで充足する。
     その穏やかな姿は、暴力で他者を蹂躙しながら孤独に追いつめられていく鍬形とは対照的だ。
     それにしても、いったいなぜこんなことになってしまったのか? 何がかれらを分かったのか? 同じ目標をかかげていたはずなのに?
     おそらく、その差は、「どうしようもないもの」に対する姿勢の差なのだろう。
     ひとの人生は、生まれ落ちたその時から、否、生まれるよりもっと以前から、ひとつのこらず「どうしようもないもの」に規定されてしまっている。
     「どうしようもないもの」、ある人はそれを「神」と呼び、またある人は「運命」と呼び、べつのある人は「絶望」と呼ぶ。
     この汚れた地上に生まれ落ちた人びとは、だれも皆、その「どうしようもないもの」とたたかう戦士である。
     「どうしようもないもの」はどうしようもなく不公正で理不尽だ。ある者にすべてを与えたかと思うと、ある者からはすべてを奪う。
     懸命な努力をあっさり無に返したかと思うと、はるかに怠惰な者に思わぬ幸運を授ける。あらゆる人間の努力など、「どうしようもないもの」の気まぐれなさいころ遊びの駒に過ぎぬ。
     司の握力を失った右手は、その「どうしようもないもの」の象徴である。
     かれはかつて、幼くして天才と謳われる少年ピアニストだった。極東の島国に生まれながら世界を遍歴し、どこに行っても聴衆を圧倒した。
     しかし、あるとき、かれの手は事故でその機能を失ってしまう。そしてかれはその天才を手折られたあと、「どうしようもないもの」との不毛な対決に、10年を費やすのである。無駄に、無意味に。
     すべてを犠牲にした懸命な努力にもかかわらず、その失われた右手は少しも回復しない。「どうしようもないもの」は、本当にどうしようもないからこそ、「どうしようもないもの」なのだ。
     司の克己も、研鑚も、天才ですらも、「どうしようもないもの」を前にしては無力だ。だからこそ、ひとは皆、その前にこうべを垂れ、赦しを乞い、目の前の小さな幸福だけを追って生きていくのだ。
     それにもかかわらず、司は「どうしようもないもの」との決闘を止めようとはしない。その愚かしいまでの一途さを、実の父親からあざけられ、踏みにじられても。
     そして、そんな司に、さらに、さらに悲惨な運命が襲いかかってくる。友人は殺され、恋人は奪われ、夢も、希望も、ほんの小さな望みさえも、永遠に断たれて劫火のなかへ消えていく。
     しかし、そのときに至ってもなお、司は敗北を認めようとしない。かれは最後の最後まで希望にかじりついて生きていく。
     その瞳のなかに、何か異様に高貴なものがほの見える。失われたその手が、あの不世出の天才少年のピアノよりも、もっと美しい、奇跡の音楽を奏でる。
     だれにも聴こえない音楽、非力なその腕でどうしようもないものとたたかい、生きて死んでいった人間たちの賛歌を。
     一方、かれの恋人である柚香は、「どうしようもないもの」をもっと静かに受け入れている。
     彼女はそれとたたかおうとはしない。みずから進んで敗北を認め、どんな悲惨な展開をも従順に受け入れる。
     廃墟と化したこの世界は彼女の心そのもの。あの大地震よりずっと昔、まだごく幼い頃、彼女の心は既に打ち砕かれてしまっているのだ。そう、ほかならぬ、司の手によって。
     彼女が司に対して抱いている感情、それははたして恋と呼べるものだっただろうか? 彼女は司にも敗北を認めさせようとする。自分といっしょに「どうしようもないもの」に拝跪させようとする。
     しかし、司は折れない。決して他者に依存しない。いつまでも、どこまでも、無駄かもしれない努力をつづける。柚香の心をたやすく折ってしまった「どうしようもないもの」も、司を打ち負かすことはできない。
     柚香はそんな司に嫉妬とも愛情ともつかない思いを抱く。おたがいに理解しあえないまま、恋人たちは対決する。
     そしてまた、鍬形は「どうしようもないもの」に敗れ、敗れた自分を嘲笑いながら狂っていく。
     かれは始終、自分の醜い(と、かれには思える)容姿について思い悩む。かれにとっては、それこそが「どうしようもないもの」の象徴なのだ。
     あるとき、そんな鍬形を愛していると言い出す少女があらわれる。それなのに、かれはその愛を受け入れることができない。自分に愛される資格があるとは思えない。かれはその愛を疑い、ためし、みずから踏みにじる。
     なぜこんなことになってしまったのか? かれ自身にも、もうわからないのかもしれない。
     そして、炎に燃える学校で、司と鍬形は対決する。あのクリスマスの日、教会に集まったあの時とは何もかもが変わってしまった。
     鍬形はすべてを得、司はすべてを失った。しかし、それでも司の高貴なる意思は鍬形を圧倒する。何がかれをそこまで駆り立てるのか? 何がかれをそれほどに立ち上がらせるのか?
     何もかも無くしてしまったはずなのに、何ひとつ失ってはいないかのようだ。その気高い瞳はあの遠い日の、怖いもの知らずの天才少年そのまま。
     かれはもうピアノを弾くことはできない。「どうしようもないもの」は司をあっさりと打ち倒してしまった。その努力も、辛苦の日々も、すべては無意味だった。
     それなのに、司は立ち上がる。かれのなかに、鍬形を駆り立てる凶暴なものがないわけではない。かれのなかにもまた、その暗い情念はうずまいている。
     しかし、司はそこに逃げようとはしない。それがまちがいであることを知っているから。それは天才指揮者だったかれの父親をも追いつめたものだった。
     司は正面からその情念と対決し、そして、かれを、かれらを翻弄した「どうしようもないもの」に反撃の一撃を加えようとする。その凄惨な姿は、すべての人間を代表して美しい。
     たぶん、かれは敗北したのだろう。「どうしようもないもの」の絶対的な力をまえに、どうしようもなく敗れ去ったのだろう。しかし、これほどに崇高な敗北の姿があるだろうか。
     
  • 世界は子供たちの亡骸の上に築かれている。(2542文字)

    2013-04-07 08:24  
    53pt




     どう言えばいいのだろう、どう語れば伝わるのだろう。世界について。人間について。
     ぼくはいままで一貫して「非モテだろうが、オタクだろうが不幸だとは限らない。むしろ幸福でさえある」という意味のことを語ってきたわけですが、こういうことを書くと激烈な反論が返ってきます。
     その内容はそれぞれですが、あえて集約するなら「お前は幸福かもしれないが、おれは不幸だ! ひとのことを軽々しく幸福だなんて言うな!」ということになるようです。まあ、ごもっとも。自分でそういうからには不幸なのでしょう。
     しかし、それではぼくはそういうひとたちに対しどう言えばいいのでしょうか? 「そうですね。あなたは一生不幸で救われず、あらゆる幸福と縁もなく可哀想なまま死んでしまう運命ですね。さようなら」といえば満足なのか?
     そうではないでしょう。それなら、幸福になることを目ざしたほうがいいと思うんだけれど、何といおうと「いや、おれ(たち)は不幸だ」といわれてしまう。
     まあ、どんな人生を送ろうがそのひとの自由ですから、不幸でいたかったらそうしてもいいのですが、それなら周囲を妬んで攻撃したりしないでほしいものです。「リア充爆発しろ!」。なんでリア充だからっていって爆発しなければならないか? だれに迷惑をかけているわけでもないのに。
     そんなことをいっているから、あなたは「不幸で可哀想な自分」から脱却できないのですよ、といいたい。ネタで言っている分にはいいんだけれど、ネタは気をつけないとあっというまにベタ化するものだからね。
     人間は幸福で充足した「リア充」とか「モテ」と、不幸で哀れな「非リア」とか「非モテ」に分かれるというほどシンプルには分かれていません。人間の幸不幸はそんな区分とは関係がない。
     だからペトロニウスさんは「勝ちは必ずしも勝ちではなく、また負けが負けであるとも限らない」というのですが、この価値観は伝わらない人にはまったく伝わらないことでしょう。
     「そうはいっても、勝つほうがいいに違いないし、負けたくないに決まっているじゃないか」といわれて終わり。でもね、そうじゃないんですよ。世界も人間もそんなシンプルにできていない。単純な「勝ち」とか「負け」といった二極的な価値観で語り切れないところにこそ、人生の妙味はあるのだと思うのです。
     「そうはいってもおれは不幸だ。辛くて苦しいんだ。リア充の奴らには爆発してもらわなければ気が済まない」というひともいるでしょう。しかし、それをいうなら世界には五歳で難病に倒れ死んでいく子供もいるのです。スモーキーマウンテンでゴミをあさって短い一生を終える運命の子供もいる。
     幼児期にレイプされ性奴隷として人生を過ごす女の子もいれば、少年兵士として洗脳され利用され銃弾に斃れた子供いる。もしあなたが「あいつらばっかりモテてずるい」というのなら、その子供たちは「お前らばっかり生きていられてずるい」という権利があるはずです。
     その子供たちにこそ、「お前らは卑怯だ。幸福を独占している。お前らなんかに自分の気持ちはわからない。お前らも自分と同じように不幸になってしまえばいい」と叫ぶ権利があるでしょう。でも死者は何も叫ばない。何か叫ぶことすらできない。ぼくたちの社会はそういう死者たちの亡骸の上に築かれている。
     「だからお前は我慢しろ」ということではありません。不幸比べはそういう話にしか繋がっていないということ。あなたはだれかが持っていて自分が持っていない幸福を妬むかもしれないけれど、でも、そういう自分もまた、持っていないひとから見ればうらやましくてたまらないものをたくさん持っているのだと気づいたほうがいい。