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2021年2月の記事 9件

『シン・エヴァ』を見て死ね。

 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の上映が3月8日に決まったそうですね。おそらく会議に会議を重ね、熟考の上にも熟考を経てこの日に決まったものと思われますが、予想よりだいぶ早い。初夏あたりになるんじゃないかと思っていたので嬉しいです。  あとはこのままコロナが収まってくれることを望むばかりですが、そうはうまくはいかないかもしれませんね。  さて、ここでいままでの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』を振り返ってみましょう。『序』、『破』、『Q』と三作続いてきたわけですが、この構成はそのまま「起承転結」の「起」、「承」、「転」であるように思えます。  いままで出ている情報によれば、『シン・エヴァ』が「結」になることは確定的であるようなので、この四作で物語は綺麗に「起承転結」を構成することになるかもしれません。そうなると良いのですが。  いままでの三作のなかでおそらく最も評価が高いのは『破』のクライマックスあたりでしょうが、最もショッキングであったのは間違いなく『Q』でしょう。  主人公でありながらヒーローであることを拒絶しつづけてきた碇シンジが、その主人公の座から追放されたとも見ることができる衝撃的な展開の連続は、絶賛とともに激しい拒否反応をも呼びました。  まあ、いまどきのアニメにあるまじき「鬱展開」が延々と続いているわけで、「こんなのってないよ!」な反応が返ってきたことはむしろ自然にして当然といえるかと思います。  いくら調教もとい訓練済みの『ヱヴァ』ファンたちといえど、さすがにあの苛烈な展開はそうそう受け入れられないことも無理はないところかと。  ただ、もちろんそこで物語が終わるわけではないわけで、『シン・エヴァ』ですべての伏線が回収されて綺麗なエンディングを見られたならば、『Q』を否定していた人たちもくるっとてのひらを返すであろうことは予想できることです。アニメオタクなんてそんな人種だ。  いやまあ、『シン・エヴァ』までじつに10年もかかったために、いままでてのひらを返すチャンスもなかったのですが。  この10年間で、日本の社会情勢はよりいっそう深刻化し、また、エンターテインメントの世界もだいぶ様変わりしました。ぼくたちが「新世界系」と呼んでいる作品群もすでに古くなり、次の世代の物語が登場して来ているのが現状です。  『鬼滅の刃』は 

『シン・エヴァ』を見て死ね。

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の物語のなかで、黒猫はたしかに「生きている」。

 昨日、今日で『せんせいのお人形』の第5巻と『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』の第10巻(電子書籍版)が出ました。う、嬉しい。  何年生きていても好きなシリーズの新刊が発売される歓びは消えないなー。もう、ほとんどそのために生きているといっても過言ではない感じ。  ちなみに来月には『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の第16巻、『ミステリと言う勿れ』の第8巻、『恥ずかしそうな顔でおっぱい見せてもらいたい 赤面おっぱいアンソロジー』の第6巻(ん?)も出るので、楽しみは続きます。わーい。  おもしろいラノベや漫画を読めるのって、なんて幸せなことなのだろう。金銀財宝にもまさるはこれ漫画なり。ぼく、小説や漫画が読めなくなったら何も生き甲斐がないかも。  そのなかでも殊に期待度が高いのは『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(16)』。本編は12巻で完結しているので、この第16巻はそのパラレルワールドを描く、いわゆる「黒猫if」編です。  本編ではついに主人公と結ばれることなく終わってしまった黒猫が、このシリーズではメインヒロインを務めていて、前巻ではようやくふたりは恋人どうしになったわけなのですが、まだ最大の障壁は残っている状態。  さて、いったいどのような展開が待ち受けているのでしょうか……。まあ、ここまで来たらもうハッピーエンドは間違いないので、その意味では本編のようなハラハラドキドキのサスペンスはないのだけれど、それでもやはり気になるものは気になる。  思うに、人が「続きが気になる」というときにはふたつパターンがあって、ひとつは純粋に先の展開が読めないとき、そしてもうひとつは、 

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の物語のなかで、黒猫はたしかに「生きている」。

イエス・キリストは人類の積み(ゲー)を背負って十字架の上に斃れた、のかもしれない。

 やたらむずかしくて死にまくる『ダークソウル3』をとりあえず放り投げて、『スーパーマリオ3Dワールド+フューリーワールド』をプレイしています。  こうやって途中で投げて最後までたどり着いていないゲームがいくつあるか、数えるのもイヤになる感じですけれど、まあ、とりあえずは『マリオ』を終わらせることにしましょう。  『スーパーマリオ3Dワールド』はじつはWiiUで一度クリアしているのですが、そのときの記憶はもう完全に忘却の彼方なので、じつに新鮮な気持ちでプレイできます。  うん、面白い。膨大な『マリオ』シリーズのなかでも『ギャラクシー』と並んで最高傑作のひとつなのではないかと思うくらい。まあ、3Dになっているだけで操作方法はいつもの『マリオ』なのだけれど、これでもかと創意工夫あふれる各ステージが素晴らしい。  いったいどこからこの発想を持って来たのかと思わせられる秀抜なアイディア盛りだくさんのステージが延々と続く。  ちなみに、途中まではすべてのグリーンスター(各ステージに三つずつ配置されている緑色のスター。巧妙に隠されていることもある)を取っていくつもりだったのだけれど、ステージ5ともなるとただクリアするだけでも苦労するところもあるので、さすがにあきらめました。最後までクリアして、もしまだ余裕が残っていたら集めることにしよう。  いやー、それにしても、『マリオ』といい『ゼルダ』といい、『スマッシュブラザーズ』や『ファイアーエムブレム』といい、任天堂のゲームはどれもレベルが高いですね!  どのシリーズも大ヒットしているうえ、新作を出すたびに最高傑作を更新していっている印象で、この期に及んで新しい挑戦を怖れない姿勢には脱帽です。  『ファイアーエムブレム 風花雪月』も18時間ほどプレイして投げ出しているので、この機会にクリアしておきたいのですが、三つ(ダウンロードコンテンツを入れると四つ)のルートをすべて制覇するためには果てしなく長い時間がかかるというウワサも聞くので、ちょっと二の足を踏んでしまう。  まあでも、これと『マリオ』と『ダークソウル3』がいまのところ、ビデオゲームの優先順位トップ3ですね。あと、アリスソフトの集大成といわれる『ランス10』とかもやりたいのだけれど、そのまえに『戦国ランス』とかもやっておきたいので、なかなか大変。  神さま、ぼくに長時間ゲームをやっていても疲れないだけのコンセントレーションをください。  それから、昨日もふれたメトロイドヴァニアの傑作『Bloodstained』と、PSP版の『タクティクス・オウガ』もクリアしておきたいんですよね。  それをいうなら『サイバーパンク2077』もまだ終わっていないし、いったいいくつ積みゲーがあるのか、もうよくわかりません。やりかけで止まっているものだけで十数本はくだらないと思う。  『パンツァードラグーンリメイク』とか、『聖剣伝説 レジェンド・オブ・マナ』とか、なつかしのリメイクもの、移植もののなかにも気になる作品はあるのだけれど、そこにまで手を出していたらほんとうに時間がいくらあっても足りないのでやりません。  いや、さっきの『タクティクスオウガ』のほかにも、『ゼノブレイド』とか『ファイナルファンタジー7リメイク』とか、手を出しているリメイクものもいくつかあるんですけれどね。それらもすべて途中で止まっているんだよなあ。  もう何か、 

イエス・キリストは人類の積み(ゲー)を背負って十字架の上に斃れた、のかもしれない。

ビデオゲームはいまこそまさに黄金時代! 無数の傑作がぼくらを待っている。

 冒頭からいきなりどうでもいい話なのですが、コロナウィルスが流行を続けるなか、ついにわれらが島耕作もコロナに罹患してしまったようです。 https://gunosy.com/articles/aNbOT  うーん、島ほどの人物ですらかかってしまうことがあるのだから、これは気をつけないといけませんね! ……いや、もう何が何やらわからないよ。  それはともかく、きょうはゲームのほうのファンタジーの話です。このところ、以前購入した『ダークソウル3』を始めたのですが、むずかし過ぎてさっぱり進みません。  もともとアクションゲームが得意なほうではないのですが、いや、このゲーム、難易度高くね? 何度も何度も死んで操作を習得する「死にゲー」という噂は聞いていたけれど、ほんとうにクリアできるかどうか、いまから心配。  まあ、一時代を画したゲームなので、その世界といい、アクションといい、面白いことは面白いんですけれどね。問題はぼくの腕前がついていかないことだ。  しかし、日本に棲んでいるとあまり実感できない一面もありますが、いま、コンピューターゲームはほんとうに黄金時代を迎えていますね。  巷にはスーパーファミコンとか初代プレイステーションの時代をなつかしんでいる人もいるようですし、その時代はその時代でたしかに面白かったのですが、でも、客観的に見れば現代ほど質の高いビデオゲームが次々に発表されている時代はないと思います。  次々と買っては積んでいるぼくがいえたことではないかもしれませんが、まさに時代はゴールデンエイジ、素晴らしいフロンティアが目のまえに開けていることを感じます。  いわゆるAAA級といわれるような膨大な資金を蕩尽した大作ゲームも良いのですが、もう少し規模の小さい作品も凄いものがいろいろと出てきているようです。  個人的には『メトロイド』と『キャッスルヴァニア(悪魔城ドラキュラ)』の名前を足して「メトロイドヴァニア」といわれている2D探索ものが好きなので、『Bloodstaind』や『ENDER LILIES』といった作品に興味が湧いています。  あと、『Wizardly』も好きなのでダンジョンクローラー系の『Operenncia』もやってみたい。あ、ネットではどう見ても『タクティクスオウガ』じゃんといわれてる『Project TRIANGLE STRATEGY』なども気になっているのですが、これは来年の発売になるようですね。  これらにオープンワールド系の大作ロールプレイングゲームを足すと、とてもプレイしている時間が取れないくらいの膨大な作品が発売されているわけで、ちょっとどうしたものかと思ってしまいます。  Steamではウォッチリストに入れたセールになるたびに購入しているので、積み(罪?)ゲーは溜まる一方なんですよね。『真・女神転生』の新作もやりたいんだけれど、これはいつ出るのか。  ちなみに、きのう触れた『炎と血』の作者であるジョージ・R・R・マーティンは『ダークソウル』シリーズを制作したフロムソフトウェアの新作オープンワールドゲーム『エルデンリング』にもかかわっているそうです。  いいからあんたは『氷と炎の歌』の続きを書けよといいたくなるところですが、『炎と血』の訳者あとがきによるとマーティンは他にも山ほどシリーズを抱えているそうで、ほんとうに『氷と炎の歌』の完結を見ることができるのかどうか、ますます心配になって来ます。  いや、きのうも書いたように、ぼくはきっと終わらないだろうと思っているのだけれど、それでも結末を見たいという気持ちはある。『ベルセルク』といい、ダークファンタジーの傑作には未完の呪いでもかかっているのだろうか。 

ビデオゲームはいまこそまさに黄金時代! 無数の傑作がぼくらを待っている。

創作論はとりあえず「役に立つ」。しかし――

 そういうわけで、はたして創作論の本はじっさいに役に立つのだろうか? 結論からいってしまうと、おそらくまったく意味がないわけではない。  何といっても音楽や美術といった芸術領域ではもっと繊細で緻密な方法論が構築されているのだ。物語創作においてのみ一切の方法論が無意味であるはずもない。  というか、少なくともいま日本で流通しているレベルの本は、案外良質のものが多いと感じる。極端に日本語として読みづらかったり、ちょっとオカルトめいていたりするところがあったり、「怪しい」と感じさせる本もなくはない。  だが、創作とはそもそも果て知れぬ迷路のなかをひとりさまようような行為である。何らかの指針はあったほうが良いだろう。それが己の自由を制約するものと感じられるようなら無視すれば良いだけのことなのだから。  創作において、先人たちが編み出してきた方法論はそれなりに「役に立つ」。そういうことにしておこう。しかし、だからといってあまり過信するのもどうかというところではあるだろう。  たしかにその手の本のなかには「具体的にこのように書け」とばかりに記してある本もあるのだが、その通りにやったら結果が出るというものではないことは先述した通りだ。  すでに完璧な方法論が確立されているのならいくらでも名作傑作が出て来るはずだが、そうなってはいないのは、やはり創作にはかならず「前人未踏」の領域があり、そこを踏破するためのやり方は各人が探っていくしかないということなのだろう。  それはべつだん、「創作の神秘性」といった特別なものではない。ただ、 

創作論はとりあえず「役に立つ」。しかし――

創作論の本ははたしてあてになるのか?

 きのうの続きです。前回は「いま、脚本術や物語論の本を読んでいる。そこから考えると面白い物語とは人物や状況が変わりつづづけるものである」と話しました。  まあ、世の中には『サザエさん』みたいなほとんど人物も状況も変わらない例もあるわけですが、ぼくは『サザエさん』がふつうの意味で「とても面白い物語」だとは思わないので、特に例外というほどには考えません。  そして、「その変わり方にはポジティヴなものとネガティヴなものがある」という話もしましたね。「主人公が闇の奥にまで堕ちていく」といったダーティーでアダルトな物語は、一見すると一般的な「王道」に対する「邪道」であるようにも思えますが、決してそうではありません。  それは結局、変わっていくベクトルが違っているだけのことであって、「変化を描く」ということには何の違いもないのです。いわば「逆方向の成長物語」ということもできるかもしれません。  そして、成長物語が成長し切って完全に立派な人物になってしまったらもう面白くないのと同じように、堕落物語もその人物が完全に堕落し切って悪人そのものになってしまったらもう読者の興味は持続しません。  あくまで「そこに至る変化」にこそ読者の興味をそそるものがあるわけです。  その最も典型的な例は『スター・ウォーズ』のアナキン・スカイウォーカーことダース・ベイダーだと語りましたが、たとえば『グイン・サーガ』で「狂王」と呼ばれるまでに堕ちていくイシュトヴァーンなどもまったく同じパターンといえるでしょう。  『グイン・サーガ』が巧いのは、より完璧な人物へ成長していくグインと、その反対に魂が堕ちていくイシュトヴァーンを並行して描いているところですね。いずれか片方だけだったら長い物語はもたなかったと思います。  そしてイシュトヴァーンは物語を通してしだいに兇悪に、残酷になっていくわけですが、最後まで無邪気な少年の心を失いません。純粋な悪人に堕ちそうでいて堕ちないわけで、ここら辺もまあ、さすがに巧いところだと思います。  「読者は変化しつづける人物や状況にだけ興味を抱く」、不変のものはスルーしてしまうという原則が守られているのです。まあ、それにしては変化のしかたがいささかならず冗長ではあるのですが……。  『クリエイティヴ脚本術』という、一見するとまともな脚本術のようなタイトルでありながらその実、ユング心理学を応用したかなり非実践的な方法論ばかり書いてある奇妙な本があるのですが、そのなかではこの「アンチヒーローの魂の堕落」は、人類の脳の動物的な部分を象徴しているのだということになっています。 

創作論の本ははたしてあてになるのか?

『鬼滅』、『進撃』、『転スラ』、『無職』、ぼくたちの好きな物語はなぜ面白いのか?

 ども、また間が空いてしまい、ひさしぶりになりますが更新します。今日からまた続けて更新する予定です。ごめんなさい。  さて、最近、脚本術とか物語論の本を読みあさっています。この場合の物語論とは、「小説、映画、ドラマ、アニメなどのストーリーテリングの方法論について書かれた本」の意味。  どうやらこの手の本はかなりの需要があるらしく、日本だけでも数十冊出ています(エンターテインメント映画の殿堂ハリウッドを擁するアメリカではもっとたくさん出ているらしい)。  で、ぼくはそのほとんどを読みました。具体的には、以下のようなタイトル。 ・『[冲方式]ストーリー創作塾』 ・『クリエイティヴ脚本術』 ・『アウトラインから書く小説再入門』 ・『ストラクチャーから書く小説再入門』 ・『海外人気ドラマの法則21』 ・『小池一夫のキャラクター創造論』 ・『シナリオライティングの黄金則』 ・『ストーリーメーカー』 ・『キャラクターからつくる物語創作再入門』 ・『10のストーリー・タイプから学ぶ脚本術』 ・『ストーリーの作り方』 ・『キャラクターメーカー』 ・『キャラクターの作り方』 ・『ストーリー世界の作り方』 ・『キャラクター小説の作り方』 ・『物語の力』 ・『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』 ・『ストーリーの解剖学』 ・『物語のひねり方』 ・『ストーリー』 ・『神話の法則』 ・『物語の法則』 ・『「感情」から書く脚本術』 ・『世界を創る女神の物語』 ・『ダイアローグ』 ・『英雄の旅』 ・『ヒロインの旅』 ・『SAVE THE CATの法則』 ・『SAVE THE CATの逆襲』 ・『SAVE THE CATの法則で売れる小説を書く』 ・『映画脚本100のダメ出し』 ・『キャラクターメイキングの黄金則』  ちなみに以下はまだ未読だけれどこれから読む予定の本。 ・『工学的ストーリー創作入門』 ・『物理学的ストーリー創作入門』 ・『物語を書く人のための推敲入門』 ・『脳が読みたくなるストーリーの書き方』 ・『ストーリー・ジーニアス』 ・『超簡単!売れるストーリー&キャラクターの作り方』  これらの本を読めばすぐにでも優れた物語が書けるようになるかというと、残念ながらそうはいかないのですが、とりあえず「面白い物語とは何か?」という問いに対する答えの輪郭みたいなものは掴めるかと思います。  で、上記の一覧を読み上げたうえで考え出したぼくなりの答えはというと、「キャラクターが常に変化しつづける物語は面白い」ということ。  この「キャラクターの変化」を専門用語で「キャラクターアーク」といいますが、端的にいってキャラクターアークが持続する物語は面白いということがいえる。  そんな単純なものか?と思われるかもしれません。じっさい、たしかにその通りでそこまでシンプルにはいい切れないかもしれないのですが、キャラクターアークこそが物語の本質であるとは断言しても良いのではないかと思います。  なぜなら、物語とは人物や状況が時間とともに変化していく、そのダイナミズムに他ならないのですから。逆にいうと、いくら待ってもキャラクターが変化しない物語は面白くないともいえる。  もっとも、これをいい出すといくらでも「例外」が見つかりそうではあります。たとえば、以前名前を挙げた『転スラ』などがそうです。この物語では、主人公であるリムル・テンペストの人格はほとんど成長していないように見える(今後はわかりませんが)。  しかし、それにもかかわらずこの作品は面白いし、ヒットしている。いったいどういうことなのか? ぼくの結論としては、 

『鬼滅』、『進撃』、『転スラ』、『無職』、ぼくたちの好きな物語はなぜ面白いのか?
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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