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2013年8月の記事 65件

「海燕のゆるオタ残念教養講座」質問コーナー(サンプル編)。

 前の記事で「何か質問をください。だれからも質問が来なかったら世界に絶望してベヘリットで使徒に転生します」と書いたところ(嘘)、さっそく質問をいただきました。  ありがたいですね! どうやらなめくじの化け物に生まれ変わる必要はないようです。よかった。  本来ならこういうコーナーは一週間に一度とか、ある程度量がたまってから実施するべきだと思うのですが、サンプル的に返事を書いてみます。  こういう感じでのやりとりになるという参考にしてください。そして続々と質問をお寄せください。ぼくとしては記事のネタができてありがたいです。  まずは紅蓮さんからの質問。 Q.  海燕さんがいままでもらった中で一番うれしかったプレゼントってなんですか?  A.  プレゼント――? はて、それは伴天連の風習でござるか。拙者、記憶にないでござる。  と、いきなりベタなネタに走りたくなるくらいプレゼント的なものをもらったことがありません。  ぼく、お誕生日会とかも開いたことないですからね。  クリスマス? バレンタインデー? はて、それは耶蘇の習慣で(以下略)。  こうしてみるとたしかに非モテの人生はつまらないかもしれないな。人生の記念日的なイベントが何ひとつ存在しないわけですから。  まあ、いま誕生日オフとか開いたらそこそこひとは集まるかもしれないけれど、さすがに痛すぎる(笑)。  そもそも35歳になると誕生日なんて嬉しくもなんともないですからね。  「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」という一休宗純の作とされる狂歌がありますが、誕生日もまさにそういう意味を持っています。ひとは誕生日を迎えるたびに一年ぶん死へ近づいているのです。  何の話だっけ? そう、 

「海燕のゆるオタ残念教養講座」質問コーナー(サンプル編)。

ついに『ダークナイト』を観たのだが――。

 いまさらというかようやくというか、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』を観ました。  いやあ、面白かった。評判に違わぬ大傑作!と云いたいところなのですが、実はこの映画を観終えたあと、微妙な気分になってしまったことも事実なんですね。  この映画が公開されてから5年ほど経っているわけですが、やっぱり5年前に観るべきだったという思いが消せません。  大傑作には違いないのだけれど、5年の歳月はこの作品からサプライズとインパクトを消してしまったような気がします。  誤解されたくないので急いで付け加えるなら、この映画がすごくないというわけではありません。  何という綺麗なシナリオなのでしょう。恐ろしく頭のいいひとが書いたということが一瞬でわかる物語です。  また、そのテーマの格調高さ。それぞれに歪んだ善と悪の対立と対決という構図には、まさに「現代の神話」と呼ぶべきスケールの大きさがあります。  でも、きわめてインテリジェントかつロジカルに作られていた物語であるからこそ、逆に頭で追いかけていくことが可能なんですね。  もちろん、5年前にリアルタイムで観ていたらぼくも圧倒されて言葉もなかったことでしょう。  でも、そのあいだにぼくは『コードギアス』や『東のエデン』を観たし、『まおゆう』や『魔法先生ネギま!』を読んだし、何より『ガッチャマンクラウズ』を体験しているわけなので、この文脈を整理できてしまっているんですよね。  だから、本来なら感じるはずの衝撃性をあまり感じることなく終わってしまったというのが正直なところです。  この映画は典型的な「ヒーローの孤独と苦悩」の物語です。おそらくこのテーマの最高傑作と云っていいかもしれません。  それには何の文句もないのですが、やっぱりもうちょっと早く観るべきだったなあ、というのが率直なところです。  まあ、いままでさんざん観ろ観ろと云われていたものを観ずに来たぼくが悪いのだけれど。  もっとも、全編を貫くスタイリッシュなアクションと緊密な展開、そしてジョーカー役のヒース・レジャーを初めとする俳優たちの演技は、それだけでも迫力十分で、決して映画を観る意味がなかったというわけでありません。  映画の最後でバットマンがすべての責任をひとりで背負い、悪の汚名を着て去っていくところは、『コードギアス 反逆のルルーシュ』を思わせます。  この映画を観てあらためて思ったのは、 

ついに『ダークナイト』を観たのだが――。

『ガッチャマンクラウズ』はゼロ年代以降のヒーロー論を総決算し「その先」へ向かう先端的作品だ。

 次の日曜日、『ガッチャマンクラウズ』のニコ生を放送しようと思います。 http://live.nicovideo.jp/watch/lv150656748 この傑作(になりえる作品)が、いまだ「知るひとぞ知る」ポジションに収まっていることはいかにも惜しい! 微力ながら宣伝と拡散に力を尽くす所存です。  こういう時、いつもぼくにもっと多くのひとに伝える力があればいいのと思いますね。  まあこのブログも、アクセスだけは月間80万PVとか行っているのですが、そのほとんどが一見さんでしかないので、ほんとうの意味での人気ブログということははばかられます。  ぼくにもっとひとの興味を惹きつける力があったら、マイナーな名作をマイナーには終わらせないのに、と思うのです。  18禁ゲームの『らくえん』とか『SWAN SONG』に対しては特にそういうことを考えました。  しかしまあ、現実にはぼくは無名の一ブロガーであるに過ぎないので、できることといえばこういう記事を書く程度です。  それでもこの作品がより広い層に広まっていけばいいな、という祈りを込めて放送完結まで見守っていきたいところです。  それでは、『ガッチャマンクラウズ』のどこがそんなに凄いのか? それについてはこれまでの記事でも書いてきました。 http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar322009 http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar325498  で、この作品がどうしてぼくのような古参のマニアックな視聴者を魅了するかといえば、それは時代の文脈をものすごい勢いで駆け抜けているように見えるからです。  第2話にしてはじめちゃんが共存不可能とも見える異星生命体MESSとコミュニケーションを果たしてしまった時に唖然としたマニアは多いはず。  それはいままでの物語では最終回あたりに届くかどうか?という射程だったからです。  「悪にしか見えないコミュニケーション不可能の「他者」を倒すのではなく、かれと和解する」という方法論は、ほんの数年前の最先端なんですね。  しかし、はじめちゃんはあっというまにそれを成し遂げてしまう。  そして登場するGARAX! この「大衆の善意を組み上げ直列につなげるシステム」は、これも何年か年前の作品が「結論」として提示していたアイディアです。  しかし、これも第4話あたりでもうその限界が見えてきてしまう!   おいおい、いったいどこへ行くつもりだよ? どこまで行っちゃうつもりなんだよ? いままでの文脈をきっちり押さえているひとほどそう思うはず。  だって、それ自体、当時、最先端の作品であったはずの『東のエデン』や『サマーウォーズ』の「結論」をあたりまえのものとして「前提」にして、「その先」を目指していることがあきらかにわかるのです。これが興奮せずにいられるでしょうか。  作中、爾乃美家累が生み出したGARAXのシステムが『まおゆう』のメイド姉のテーマをさらに洗練させたものであることはすでに書いた通りです。  『ガッチャマンクラウズ』では従来のヒーローの限界が提示されるとともに(「暴力大好きですやん!」)、「その解決策の限界」まで示されてしまう。  これはね、すごすぎる。もちろん、 

『ガッチャマンクラウズ』はゼロ年代以降のヒーロー論を総決算し「その先」へ向かう先端的作品だ。

バロックからシンプルへ。赤松健の新連載は王道に回帰し新境地を目指す。

 よろよろよろ。何となく精神的によろよろで仕事する気も起きない海燕です。理由は簡単で、ここ数日、記事を書きすぎて飽きたからでしょう。  ほんとうなら仕事ですから、飽きたなどと云っていてはいけないのですが、でも飽きるものは飽きるんですよね。  まあそういうときはこういうどうでもいい書き出しから始めると勢いがついて書けるようになったりするわけです。  で、今週号の『少年マガジン』で赤松健さんの新連載『UQHOLDER!』が始まったので、さっそくその話をしたいと思います。  以下ネタバレなので気をつけてください。オーケー?  さて、待望の新連載、1ページ目で吸血鬼エヴァンジェリンが登場し、前作『魔法先生ネギま!』と同じ世界を舞台にしたお話であることを暗示しています(あえて続編とはいうまい)。  すごいのが2ページ目で、『ネギま!』の全物語を2コマに圧縮して見せています。  そしてエヴァが進んでいく先には新たな物語のキャラクターたちとのぼる朝日が!  古い物語の終わりと新たな物語の始まりを告げる鮮烈なオープニングです。  で、表紙となるわけなのですが、いや、かなり絵柄を変えて来ましたね。  「萌えより燃える! 熱くなる!! 新連載82P!!」「近未来バトルファンタジー開幕!!」というキャッチコピーを見てもわかる通り、『ネギま!』とは大きく方向性を変えて来たようです。  しかし、これはおおよそ予想の範疇にあります。  『ネギま!』は、女の子萌えファンタジーの極北を示してしまったようなところがある作品ですから、あの方向性にはほとんど可能性が残されていません。  同じ方向性を目ざせば二番煎じとなり失敗することはあきらかです。  そもそも何千万部というヒット作を出した作家がその次の作品でコケることが多いのはここに原因があります。  一作で自分のすべてを出し尽くしてしまい、次の作品で新しいものを提供することができないのですね。  どんな人気作家といえども、二番煎じは必ず失敗します。少なくとも週間少年誌で人気を維持できるレベルの作品とはならない。  そのことは歴史を見るかぎり自明なのですが、それでもなかなか一作ごとに新しい方向性を打ち出すことはむずかしいようです。まあ、それはそうでしょう。  しかし、赤松さんは新連載にあたって女の子萌え漫画のバロック的進化の極北とも云うべき『ネギま!』から内容を一転させて、シンプルな王道の少年漫画を描き始めました。  これも 

バロックからシンプルへ。赤松健の新連載は王道に回帰し新境地を目指す。

速いか? 遅いか? 30分2000文字という執筆スピードを考える。(2059文字)

 ども、海燕です。深夜1時ではありますが、まだ更新作業をつづけています。  もうそろそろ眠くなってくる頃合いではありますが、そこは慢性ひきこもりのぼくのこと、不健全な生活を営んでいるので夜遅くまで起きていても大きな問題はありません。  このまま漫画喫茶に雑誌が配達される時間まで起きていて『少年マガジン』と『メロディ』を読んでしまおうか、などと不埒なことも考えていますが、たぶんそれまで起きているのは無理でしょうね……。『快楽天』はあしただっけ。  それにしても、この時刻にして、すでに3本目の記事です。我ながらよく書きますね。  購読者の皆さんが読まずにゴミ箱に放り込むところは容易に想像できるのですが、ぼくとしては書くだけで満足なのです。  いったいなぜぼくはこんなにたくさんの記事を書くのでしょう?  ひとつには、たくさんアクセスを集めて注目をあびるためです。  ふたつ目は、膨大な記事数を確保することによってほかのブロマガと差別化するため。  そして三つ目は、ただ書きたいから、それだけですね。  ぼくはわりと欲求不満を書くことによって解消しているところがあります。  おしゃべりなおじさんおばさんがひたすらだれも聞いていない話を続けることがありますが、本質的にはあれと同じだと云っていいでしょう。  それでお金がもらえるんだから、これは天職と云うべきかもしれません。  読者の皆さんのなかには、これだけの記事を書くためにどれくらいの時間が必要なのかと思われる方もいらっしゃるでしょう。  ぼくはそういうことを聞かれると、いつも「1記事につき30分から1時間くらい」と答えてきました。  それがおおよその実感だったのですが、最近、書き慣れてきたせいか、書くことが速くなっている気がします。  「思考のほうがキーを叩くよりも速い」という感覚が、少しわかるようになってきた。  まあ、ぼくはそれほどクロック(頭の回転)が速い人間ではないので、そこまでものすごいスピードにはならないのですが……。  ちなみにふたつ前の記事は00時19分に投稿されており、その次の記事は00時51分になっています。  つまり、ひとつの記事を書いてから、次の記事を投稿するまでに33 

速いか? 遅いか? 30分2000文字という執筆スピードを考える。(2059文字)

読者の期待は裏切られることがふつうである。ふつうでない作品を「傑作」と呼ぶ。(2109文字)

ついこないだうちのサークルが夏コミに出した新刊『敷居の部屋の最前線』の座談会で出てきた話題で「似たようだけどちょっと違うもの」ってのがあったんですよね。 「小説家になろう」について、似たようなテーマ・アイデアを元に色んな人が「そうだそうだ。でもこことここがちょっと違うんだよな、俺はこうだ」ってのをいろいろ試行錯誤していて、それって創作の基本だよねという。で、基本的に長編で作者の「俺はこう思う」と読者の「僕らこういうのだと思う」が一致し続けることはなく、いつかは絶対に作者の個性によってずれていく。ずれた結果が面白ければ何の問題もなく、また奇跡的に長期間ずれないまま保持されるととんでもない人気が出たりする……とかまあ、そんな話なんですが。 http://d.hatena.ne.jp/sikii_j/20130825/p1  あまりわかりやすくない敷居さんの記事がなぜか100ブクマに到達しているので引用してみた。  しかし、この話題はおもしろいなあ。以下、敷居さんが語っていることとは微妙にずれるかもしれませんが、ぼくなりの話を展開しましょう。  さて、小説なり漫画なり、映画なり、何かしら作品を読んだり観たりする消費者は、その作品にふれる前に何らかの「期待」を抱いているものです。  そうでなければそもそも作品にふれようなどと思わないでしょうから、これはあたりまえのこと。  しかし、その期待が完全に満たされることはめったにない。  それはその期待に応えられるほどの傑作がめったにないからでもありますが、そもそも期待というものが消費者の側のかってな願望に過ぎないからでもあります。  消費者はわがままなものです。仮に作り手の側が「至純のラブストーリーを描きたい」と思っていたとしても、受け手のほうは「スカっとするアクションものを見たい」と思っているかもしれない。  製作者の想いと消費者の期待は、すれちがっていることがむしろふつうなのです。  もちろん、あまりにすれ違いすぎていたらだれも読まないし観ないで終わるでしょうが、とにかくこれらが完全に一致することはまずありえないと云える。  しかし、世の中にはそのありえない例というものがちゃんとあるんですね。  「おれたちが見たかったものはまさにこれだ!」という素晴らしいイメージを提供してくれる作品が、じっさいたまにはある。  そういう作品は時代に冠絶するヒット作になりえます。そしてそのすごみは、消費者が自覚すらしていなかった「ほんとうの気もち」をも汲み取っている(ように見える)ところにある。  そういう作品を受け止める消費者は、「そうだ、自分では気づいていなかったけれど、おれが見たかったものはまさにこれだ!」と考えるわけです。  その場合、 

読者の期待は裏切られることがふつうである。ふつうでない作品を「傑作」と呼ぶ。(2109文字)

最近いちばん続きが気になる漫画は実はこれ。いまおもしろい麻雀漫画の話。(2055文字)

 月末ですね。そろそろ『メロディ』と『ZERO-SUM』が発売される日付けです。  『花咲ける青少年特別編』と『Landreaall』の続きを読めることを大変楽しみにしております。しかしまあそれについてはあとで別立てで記事にすることとしましょう。  あと、きょう発売の『少年マガジン』で赤松健さんによる新連載が始まるはずなのですが、それもあとに回すことにしましょう。  さて、何を書くか。ネタを考えずに書き始めていることが露骨にわかる構成ですが、そうだな、『凍牌』の話でもしましょうか。  おもしろいですよ、『凍牌』。さすがに『ヤングチャンピオン』を購読しているというひとはほとんどいないと思うのですが、いま最も熱い――というか「冷たい」麻雀漫画です。  そのクールさは『アカギ』と比較しても数十倍にのぼるとかのぼらないとか。  まあ最近の『アカギ』は、あれはさすがに「ないわー」な展開ですから比べるのもどうかと思うのですが、いやじっさい、『凍牌』、素晴らしいです。  日本の裏社会で活躍する天才少年雀士「氷のK」の物語。このKの秀抜な造形もさることながら、波瀾万丈の物語が圧巻。  命がけの麻雀勝負なんていまではありふれたものと云えなくもありませんが、この漫画の場合、特に「人柱編」に入ってからは「ここまでやるのか!」という展開の連続で、目が離せません。  じつはいまいちばん先の展開が楽しみでならないのはこの漫画だったりするんですね。  青年誌らしくセックス&バイオレンスな描写がなくもないのですが、基本的には壮絶な頭脳戦であり心理戦です。  初めはお金を賭けていたはずの勝負が、いつのまにか「命や、命より大切なものを賭ける」ところまでエスカレートしていくところはひとつ麻雀漫画にかぎらず、ギャンブル漫画全体のお約束ともいうべき展開ではあります。  Kを初めかっこいい男性が目白押しなので、女性ファンがついてもおかしくないと思うんだけれど、さすがに『ヤングチャンピオン』をチェックしている女性読者は少ないだろうなあ。  最近まで平井和正原作の『ウルフガイ』が連載されていたりして、ぼく的にはオススメの雑誌なんですけれどね。  まあでもそういうひとがまったくいないかというとちゃんといるものなんだけれども。  最近の麻雀漫画では、青山広美&山根和俊の『ギャンブルフィッシュ』コンビによる『バード』なんかもオススメです。  こちらは美貌の 

最近いちばん続きが気になる漫画は実はこれ。いまおもしろい麻雀漫画の話。(2055文字)
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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