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絶好調『アイドルマスター シンデレラガールズ』の可能性を問う。

 三月になりました。春の息吹はまだ遠いけれど、真冬はとうに過ぎ去ったようです。ぼくは石田衣良の性愛小説『水を抱く』を読んでいます。あしたかあさってには読み終えて紹介記事を書くことができるでしょう。  石田衣良は何を書かせてもどこか淡白で情緒が薄い作家ですが、こういうダーク&ビターな話を書かせるとさすがにうまい。繊細な儚さと破滅的な魔性を共存させる「運命の女」に惹きつけられます。  が、いまは昏く物憂い物語世界にひたり切れるほど体力がないので、癒やしを求め平行してアニメを見ることにしました。今季の作品のなかでも非常に評価が高い『アイドルマスター シンデレラガールズ』。  録画したまましばらく放置していたんだけれど、ようやく神回と評判の最新話まで追いつきました。いや、これは素晴らしい。  『水を抱く』から世界を切り替えると、冷たい海の底から突然あたたかな海面へ浮上したようでくらくらしますが、まあそれはそれで味わい深い。  それにしてもよくできたアニメですねー。前作『アイドルマスター』もそれはそれは素晴らしい作品で、ぼくは映画監督のフランク・キャプラなんかを例にあげてその善性に満ちた世界を絶賛したものですが、『シンデレラガールズ』はまた一風変わった面白さがあります。  何といっても、物語がよくできている。シナリオレベルでの成果なのかどうかわかりませんが、非常に練られ考えられたストーリーテリングという印象。  正直、じっさいに見るまでは期待と不安が相半ばする心境だったので、第1話の練度の高さには驚かされました。いや、ほんと、ここまでレベルが高いものをテレビで無料で(衛星放送の料金は払っているけれど、それだけで)見られてしまう時代というのは恐ろしいものがありますね。  ハイクオリティなエンターテインメントが次から次へと湧いて出る魔法の壷を持っているようなもので、もうぼくの人生はウハウハとしかいいようがありません。まさにハピハピ☆  これは『艦これ』もそうなんだけれど、『デレマス』は原作がソーシャルゲームであるわけで、そもそも方法論的に困難を抱えていると思うのです。  端的にいうと、制作時点で既にキャラクターがとんでもなくたくさんいるということですね。ゲーム版の『デレマス』には現時点で200名を越えるキャラクターが存在しているそうですが、その全員を物語に絡めようと思ったら大変なことでしょう。  もちろん、べつだん、すべてのキャラクターをアニメに出したり、物語に絡めたりする必要性は必ずしもないんだけれど、でも、それぞれのキャラクターにそれなりのファンは付いているわけで、なるべく多くのキャラクターを登場させたほうがユーザーの満足度が高くなるはず。  しかし、もともと物語的な必然性からキャラクターが生み出されているわけではないということで、必然的に作劇的な問題が発生して来るのですね。  そうなってくるとどうしたって群像劇にせざるをえないんだけれど、アニメで膨大なキャラクターが絡む群像劇をやろうとするとそう簡単ではない。少なくともひと工夫が必要になってくることは間違いない。  で、『デレマス』はその作劇的な工夫がほんとうによくできていたと思うのです。第1話をわずか3人(実質2人)にフォーカスして描き抜いたところも良かったけれど、第2話と第3話で主要キャラクターの顔見世をして、あらためて第4話でキャラクター紹介をやるあたり、エクセレントとしかいいようがない。 (ここまで1430文字/ここから1840文字) 

絶好調『アイドルマスター シンデレラガールズ』の可能性を問う。

アニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』と『艦隊これくしょん』の違いが興味深い。

 最近、ちょこちょこアニメを見ています。何といっても先が楽しみなのは『ユリ熊嵐』ですが、他にもいくつか面白そうな作品があって、なかなか楽しい。  ぼくは地方在住なのですべてをリアルタイムで見るというわけには行きませんが、インターネットと衛星放送を駆使すればほとんど遅延なく大半の作品を見ることができるようです。いやー、ほんとうに素晴らしい時代ですね。それがセクシー。シャバダドゥ。  既に各地で話題が沸騰しているようですが、『アイドルマスターシンデレラガールズ』の初回が素晴らしい出来でした。このまま行けばかなりの名作が仕上がるんじゃないかな、と早くも期待は高まるばかり。  同じくソーシャルゲームをアニメ化した『艦隊これくしょん -艦これ-』のほうはもうひとつの印象が強いだけに、両作品の落差に着目してみたくなります。  そもそもソーシャルゲーのアニメ化、というか物語化にはどこかに無理があっておかしくないと思うのですね。  もともとがひとつの自然な物語を紡ぐように作られているわけではないわけで、それを一本の物語に仕立て上げることは、ある意味ではゼロから物語を作るよりむずかしい作業になるのではないかと。  それをみごとやってのけたように見える『シンデレラガールズ』のスタッフには感嘆するしかありません。それにしてもなぜここまでクオリティの高いアニメーションが仕上がったのでしょうか?  はっきりいって、事前にヒットが見込めるコンテンツだけに単純にお金がかかっているということも大きいのだろうけれど、あきらかにそれだけではない。とにかく仕事が丁寧なんですよね。愚直なまでに基本に忠実に制作されているイメージ。  おそらくこれも既に大きな話題になっていることだと思うけれど、数百人に及ぶ美少女キャラクターが登場している原作ゲームからあえて数人(実質2人)のキャラクターを選んで初回の物語を作り出した姿勢には驚かされました。  前作『アイドルマスター』の初回は主要なキャラクターを全員登場させて、ひとりひとりを紹介していった感じだったので、異なる方法論で作られている印象です。  で、これが実に決まっている。素晴らしい。あえていってしまうならば、『シンデレラガールズ』の初回に特別なケレンは何ひとつないともいっていいでしょう。  まず主人公を登場させ、その動機(モチベーション)を語り、ほかのキャラクターと絡ませ、ひとりひとりその個性を紹介していく――といった、あたりまえといえばあたりまえの方法論。  一切登場人物を紹介することなくいきなり物語を語り始めた『冴えない彼女の育て方』の初回(正確には第0回みたいだけど)あたりと比べても、むしろ地味とすらいえかねないやり方です。  しかし、正統には力が宿り、王道には魔法が生まれる。シナリオ的にはそこまで特別なことは何もやっていないにもかかわらず、『シンデレラガールズ』は強い印象を残す初回を生み出すことに成功しました。  じっさい、あらゆることがハイレベルに仕上がっているということは、ここまで強い印象を残すものであるということには、いまさらながら驚かされます。  もちろん、「シンデレラガールズ」というタイトルからもわかるように、これから膨大なキャラクターが登場するのでしょう。原作にはちょっとテレビアニメの枠に収まり切らないくらいのキャラクターが存在しているのだから当然です。  しかし、それらのそれぞれに魅力的なのであろうキャラクターたちに幻惑されることなく、まずはごく少数のキャラクターにのみ焦点を絞って物語を作り始めた監督以下スタッフの英断には心から拍手を送りたいと思います。  どうやら、この一作はソーシャルゲームを映像化するための方法論を確立させたといってもいいようです。つまり、「何が変わったわけでもない。王道の方法論を丁寧に実践するやり方はこれからも通用する」ということです。 (ここまで1605文字/ここから1475文字) 

アニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』と『艦隊これくしょん』の違いが興味深い。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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