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  • 2019年のエンターテインメントを総括し、未来の物語を展望する(その3)。

    2019-12-30 08:01  
     うひー。疲れたー。もう書けねー。でも、書く! 2019年のまとめのはずが、ここまで『天気の子』の話題だけで終わっちゃっているものね。
     さて、整理しましょう。まず、「セカイ系」とは何でしょうか? それは一般にこう定義されます。「ミクロな個人(きみとぼく)」のラブストーリーと、「マクロな世界」の危機をその中間点である「社会」を省いて描いた物語である、と。
     杉田氏はこの「社会」をオミットして「セカイ(人間の手で変更不可能な状況)」を代入した(ように見える)ところを批判して、「シャカイ系」の物語をこそ描くべきだ、といったわけです。
     しかし、ぼくにいわせればその種の「シャカイ系」の物語(リベラルな社会改革の物語)は、現代の視聴者層に響かない可能性が高い。
     なぜなら、現実がきわめてきびしく、社会改革が容易ではないことが広く認知されているから。また、リベラルな社会改革の理想が一面で独善でしかあ
  • 2019年のエンターテインメントを総括し、未来の物語を展望する(その2)。

    2019-12-30 04:15  
     続きです。
     えっとね、何度でもいいますが、そのクールな認識を「あきらめ」とか「絶望」と受け止めてはいけません。そうではなく、「社会を変えることはかくもむずかしく、また、変えたからといって良くなるとは限らない」と知り、その事実を受け入れているのです。
     「それを受け入れてはダメなのだ!」という人はいるでしょう。人間は必ず社会を良くしていけるという希望的な見方を保持するべきなのだ、と。ぼくはいうでしょう。「だったらおまえが社会を良くして見せろよ」と。
     口先でいうだけならだれにでも何でもできます。むずかしいのは現実にやってのけることなのであって、単純な「正義」はむしろ有害であることは、マジメにアニメを見ている人ならだれでもわかっていることです。
     そう、この種の「現実離れした理想論」を、「現実社会の不透明な複雑さ」を無視して、「唯一の正義」であるかのように押しつける独善性こそ、現在のリベラ
  • 2019年のエンターテインメントを総括し、未来の物語を展望する(その1)。

    2019-12-30 01:12  
     ども。海燕です。このブログ、更新がとどこおりにとどこおって末期症状を呈しているわけですが、それは来年こそは何とかことにするとして、とりあえず、そのほか諸々のことを書いておきたいと思います。
     いやー、有料ブログなのにまったく更新がないってサイアクだよね。こんなどうしようもないブログにまだ何かしらの期待を抱いてくれている皆さまには感謝の至り。
     来年はどうにか――でも就職したら時間がなくなるだろうし――いや、それでも何とか――と、想いは錯綜するのだけれど、まあ、それはともかく! いよいよ2019年、冬のコミケがあしたに迫りました。
     わがサークル「アズキアライアカデミア(物語三昧)」は、南館ム-29aで参戦します。で、当然ながら、同人誌『マインドマップで語る物語の物語』の第6巻と第7巻(最終巻)を頒布します。
     これでついにシリーズ完結です。いやー、ここまで来るまで長かった。というか、よく