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タグ “ジェンダー” を含む記事 6件

男女平等まで何マイル?

 ども。ニート暮らしを良いことに夜中に記事を書いている海燕です。ぼく、来年には40歳になるんだけれどこんな暮らしで大丈夫なのかしら。  たぶん大丈夫じゃないけれど、まあ良いことにしておきましょう。この世に起こるどうしようもないことは、すべてみんなてれびんが悪いことにしておくと精神的に健康な生活が営めます。なんもかんもてれびんが悪い。この世すべての悪。  ちなみに、こうやって一気にまとめて書いた記事は、一気にまとめて載せてしまうのではなく、小出しにしたほうが良いのではないかという気持ちもあるのですが、面倒なのでそうはしません。  いままで幾度となくそうしようと考えたことはあるのですが、結局、続かないので好きなように書いて好きなように載せることにしています。あしからず。  さて、この記事もまた前の記事の続きです。ジェンダーフリーの話。いま、「ジェンダーフリー」で検索をかけると、半分くらいはこの概念や、この概念を用いた運動に対する批判の記事が出て来ます。  まあ批判するのはまったくかまわないのですが、問題は、その種の記事のほとんどが情報のソースを掲載していないことです。それらの記事を読んでつくづく思うのは、情報のソースが示されていない批判は批判として無価値だということ。  いい換えるなら、ある発言を批判する時には、その批判を読む人が「いつ、どこで、だれが行った発言に対する批判であるのか」はっきりとわかり、また自分でその件について調べることができるように書かなければならないし、そうではない批判には批判としての価値がないということです。  記事にソースが載っていなければ、そもそも批判されている発言が実在するのかどうかすら確かめることができないわけですからね。  そういう批判は、どうしたって、批判者が自分で「こんなとんでもない意見がある」と捏造した上で批判してみせているだけなのではないか、という疑惑を晴らせません。  じっさいに存在しない情報を仕立て上げた上でその情報を批判するマッチポンプなやり口を、一般に藁人形論法と呼びますが、ジェンダーフリーに関してはあまりにも藁人形論法が多すぎます。  それ以外の批判にしても、ジェンダーフリー概念を根本的に理解できていないのではないか、と思えるものがほとんどです。たとえば、この記事。 世界中の男女が、「男らしさ・女らしさ」から『解放』されたら、それって文化崩壊、人類滅亡のはじまり、ですよ。 「あなたの全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」 「きみの全く女らしくないところに、美しい未来を感じるよ。一生女として扱わないから、女っぽさを絶対に見せるなよ」 「恋愛の歌は差別用語のオンパレードだ! 廃絶すべき!」 「今年の我がデパートの販売戦略を考えました。『父の日の贈り物に、ミニスカート』。これをトレンドにしましょう」 これじゃ、人類、繁殖できないよ! しかし、これがジェンダーフリーの方々が求める、理想の世界ということになりますよね。 http://diary.onna-boo.com/?eid=164  なりません。やはりこの記事を書かれた方はジェンダーフリーという概念を根本的に理解できていないように感じます。  だれにでもわかるようわかりやすく説明すると、ジェンダーフリー概念は男が男らしく、女が女らしくあることを否定する思想「なのではありません」。  それは、男が男らしく、女が女らしく「なければならない」という傲慢な押しつけをこそ否定するのです。  世の中には色々な人がいて色々な個性を持っています。その万華鏡のような「色々さ」に対し「男は男らしく」、「女は女らしく」という単純すぎる区分を押し付けてくることがジェンダーの問題点です。  そのしょうもない押しつけを排し、色々な人が色々な個性のままで暮らしていけるようにしようというのがジェンダーフリー。ぼくはそういうふうに理解しています。  したがって、「あなたの全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」というのは、「ジェンダーフリーの方々が求める、理想の世界」ではなく、単なるありえる可能性のひとつにしか過ぎません。  ジェンダーフリーは基本的に「こうでなければならない」という押しつけを解消するだけであって、その一方でべつの価値観を押し付けたりしないのです。  ちなみに「これじゃ、人類、繁殖できないよ!」と語っていますが、ほんとうにそうでしょうか?  上記の引用箇所は「男らしさ」や「女らしさ」という概念があくまでポジティヴなものであり、「男らしくなさ」、「女らしくなさ」はネガティヴな概念として受け取られるという前提で書かれているように思えます。  つまり、著者にとっての「あなたの全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」とは、正確には以下のような意味なのです。 「あなたの(性格の弱さや意志の薄弱さといったネガティヴな意味で)全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、(明朗快活な性格や力強い意志といったポジティヴな意味で)男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」  その上で、これはおかしいだろう、といっているわけですね。そう、たしかにぼくもおかしいと思います。  しかし、じっさいには「男らしさ」や「女らしさ」をネガティヴなものとして受け取ることも可能ですし、その逆に「男らしくなさ」、「女らしくなさ」をポジティヴな意味で解釈することもできます。  だから、以下のように補完することだって不可能ではないのです。 「あなたの(優しい言葉遣いや繊細な感性といったポジティヴな意味で)全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、(粗暴な態度や暴力的なしぐさといったネガティヴな意味で)男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」  この意味で解釈するなら「あなたの全然男らしくないところが本当に素晴らしいわ。だから、男らしい部分は、一生涯、絶対に見せないでね」という言葉もまったくおかしくありません。あきらかに人類は繁殖できそうです。  繰り返しますが、ある男性個人が「男らしい」性格だったり、ある女性個人が「女らしい」性格だったりすること自体は、まったく問題がないことです。  ぼくもそこに異論はありません。しかし、世の中には「男に生まれはしたけれど、「男らしい」ことってあんまり好きじゃないな」とか、「女には間違いないけれど、「女らしい」ことって何かイヤ」というふうに考える人もいるわけです。  そういう人は無理に男らしくなったり女らしくなったりすることなく、その人らしく生きていけるようになったほうがいいんじゃないの、とぼくは思います。何かむずかしいこといっていますかね?  「自然にしていて男/女らしい人はそのままに、男/女らしくない人もそのままに」。あまりにもシンプルな話だと思います。『アナと雪の女王』ではありませんが、人はありのままに生きるのがいちばんいい。ごくあたりまえのことではないでしょうか?  これが、通じない人には通じないのですねー。フェミニストを名のる人でも理解していないとしか思えない人が多い。これも繰り返しますが、フェミニストや社会学者がみんな偉い人だと思ったら大間違いなのです。  問題は「フェミニズム対バックラッシュ」、あるいは「リベラル対保守」といった単純な構図ではありません。どんな肩書きを名のっている人の発言であろうが、それとは関係なく正しいものは正しく、間違えているものは間違えている。  何であれ「お仲間」の失言を擁護しようとしたり、むやみに「敵」を攻撃したりといった党派的な行動は無意味です。まあ、人間はなかなかそういうことをやめられないわけですが。  うん、とうとう朝になってしまった。そろそろてれびんが起きて来る頃だ。バットで殴って意識を奪わなければ。では、地球の平和のために「男らしく」戦ってきます! あでゅー。 

男女平等まで何マイル?

アニメはほんとうに女性を差別しているのだろうか。

 先日、「本を書きたい!」といった通り、アニメや漫画、ライトノベルなどのポップカルチャーとジェンダーについての本を、どこで発表するあてもなく(笑)書いています。  とりあえず20000文字くらいは達したかな。書いたら推敲しなければならないので単純にどこまで仕上がったとはいえませんが、まあ、それなりに進んではいます。  で、ぼくがそういう本を書こうと思い立ったのは、既存のこの種の本に文句があるからなんですねー。どうもこの手の本はあらかじめ「アニメやマンガのなかにはひどい性差別があるに違いない!」という結論を決めてしまって、それに見合う作品ばかりを取り上げているように思われるのです。  もっとひどい場合には、ありもしない問題を見つけ出してしまっていることすらある。  いや、ぼくはアニメやマンガのなかに性差別的描写が存在しない、といいたいわけではありません。ジェンダーの呪縛は大いにあるでしょう。  しかし、すべてのアニメ/マンガ/ラノベが一様に性差別の標本として使えるわけではないし、なかにはそこらの学者の本よりよほど先進的な内容の作品もあるはずなのです。  それを上から目線で「サベツしているに決まっている!」と決めつけるのはいかがなものか。たとえば、水島新太郎さんの『マンガでわかる男性学』にはこのような記述が存在します。  近年、マンガのなかに描かれる女性像には大きな変化が見られます。これまで母親や恋人といった脇役を押し付けられてきた女たちが、男から独立した、強くてたくましい女として描かれるようになったのです。  ガンダム・シリーズでは、マリュー・ラミアス(『機動戦士ガンダムSEED』)やスメラギ・李・ノリエガ(『機動戦士ガンダム00』)が、艦長として活躍しますし、スポーツマンガでは、百枝まりあ(『おおきく振りかぶって』)や相田リコ(『黒子のバスケ』)が、監督・コーチとして重要な役割を担います。『少女革命ウテナ』では、王子様になることに憧れ、自分を「ぼく」という一人称で語る男装の少女・天上ウテナが、男顔負けの戦いぶりを見せてくれます。  しかし、彼女たちは、本当に男から独立した、強くてたくましい女たちなのでしょうか。  『機動戦士00』の女艦長・スメラギは、重度のアルコール依存に苦しむ女として描かれていますし、女監督を務める百枝まりあや相田リコにしても、物語の主体として描かれることはありません。『少女革命ウテナ』に登場する女たちも、シリーズ構成を務める榎戸洋司いわく、「男に守られる女であり、守ってもらえるよう試行錯誤する女」でしかないのです。  『ベルサイユのばら』のオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ、『美少女戦士セーラームーン』の月野うさぎ、『スレイヤーズ』のリナ=インバースなど、悪者と戦う強くてたくましい女主人公たちにも同じことが言えます。オスカルにはアンドレ、月野うさぎにはタキシード仮面、リナ=インバースにはガウリイがいるように、彼女たちはみな、守ってくれる男ありきのヒロインなのです。  えー(疑いの声)。それはないでしょ。まさにそういう女性像を生み出す社会構造からの脱出をテーマにした作品であることを無視して、『ウテナ』の女性キャラクターを、榎戸さんの発言(出典がないぞ!)を引いて「「男に守られる女であり、守ってもらえるよう試行錯誤する女」でしかない」と総括するのもどうかと思うけれど、それ以上に後半が問題。  まあ、百歩譲ってオスカルや月野うさぎはまだ良いとしても(ほんとうは良くないわけですが)、どう無理筋の解釈をしてもリナ=インバースが「守ってくれる男ありきのヒロイン」だとは思えません。  たしかにリナはガウリイに助けられることもあるけれど、その反対にガウリイを助けることだってある。一方的にガウリイに頼って守ってもらっているわけではまったくないのです。  もし、リナの描写では「男から独立」度が足りないというのなら、いったいどんなキャラクターなら十分に主体的で独立していることになるのかと問いたいくらい。  この本にはほかにも納得のいかない箇所がたくさんあるのですが、ようするに、ぼくにはただ自論を補強するために漫画作品を利用しているように思えてならないのですね。  あるいはそうでなければ、初めから上から目線で作品を見ているので、作品を読んでいても読めていないことになっている。  「ライトノベルが自立した女性なんて描いているはずがない」とあらかじめ結論を固定しているから、じっさいには存在しない「守ってくれる男ありきのヒロイン」が見えてしまうのではないかと思えてなりません。  ぼくはこういうのが嫌なんですよねー。作品に対し特に愛情も敬意もない人たちが自分の主張を強化するためにアニメやマンガのなかのジェンダーを批判するという、あまりにも偏った構図。  これと同種の本である『お姫様とジェンダー』や『紅一点論』にも似たような不満を感じました。  アニメやマンガのなかのジェンダーを批判するな、とはいいません。大いに批判してもらってけっこうだけれど、そのときは偏見に曇らされていない目で見てほしいと思うのです。  その意味では、高橋準『ファンタジーとジェンダー』は良かった。この本はファンタジー小説のなかのジェンダー描写を取り上げて問題にしているのですが、よくある『指輪物語』などの名作どころだけではなく、『グイン・サーガ』や『十二国記』といった作品まで取り上げているのが面白いところです(できれば『カルバニア物語』も扱ってほしかったけれど、ひょっとしてこの本の刊行時期は『カルバニア物語』の開始より前なのかな)。  『グイン・サーガ』を初めとするファンタジー小説の男性中心性に関してはぼくはかねて疑問を抱いていたので、この本の語るところには非常によく納得できました。  まあ、『西の善き魔女』なんかは、あえてその構造を踏まえてメタ的にずらしているのでひと口にはいえないのだけれど。  とにかくぼくはここら辺の本を踏まえて、ぼくなりの本を書きたいのです。しかし、はたして書けるかな……? うん、まあ、がんばります。うす。ふぁいと。おー。 

アニメはほんとうに女性を差別しているのだろうか。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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