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2020年11月の記事 47件

「エコーチェンバー効果」はどこまで真実なのか?

 「エコーチェンバー効果」という言葉をご存知でしょうか。Wikipediaによると、このような意味です。 世の中には様々な人がおり、様々な意見を持った人と触れ合うことが出来る。世界に開かれたグローバルでオープンな場で、「公開討論」のような形で意見を交換し合うことができるコミュニティがある。一方で、同じ意見を持った人達だけがそこに居ることを許される閉鎖的なコミュニティもあり、そのような場所で彼らと違う声を発すると、その声はかき消され、彼らと同じ声を発すると、増幅・強化されて返ってきて、「自分の声」がどこまでも響き続ける。それが「エコーチェンバー」である。 「エコーチェンバー効果」とは、エコーチェンバーのような閉じたコミュニティの内部で、誰と話しても自分と同じ意見しか返って来ないような人々の間でコミュニケーションが行われ、同じ意見がどこまでも反復されることで、特定の情報・アイデア・信念などが増幅・強化される状況のメタファー(隠喩)となっている。 この「エコーチェンバー」の内部では、「エコーチェンバー」内の「公式見解」には疑問が一切投げかけられず、増幅・強化されて反響し続ける一方で、それと異なったり対立したりする見解は検閲・禁止されるか、そこまでならないとしても目立たない形でしか提示されず、すぐにかき消されてしまう。そうするうち、たとえエコーチェンバーの外から見た場合にどんなにおかしいことでも、それが正しいことだとみんなが信じてしまう。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E7%8F%BE%E8%B1%A1  さて、長々と引用してしまいましたが、じつはぼくはこの考え方に批判的です。というか、この「エコーチェンバー効果」という考え方は大ウソだと思っているんですよ。以下、くわしく説明します。有料部分でね! 

「エコーチェンバー効果」はどこまで真実なのか?

ぼくたちのこの「生きづらさ」の原因ってどこにあるの?

 おそらく皆さんご存知なのではないかと思うのですが、永田カビさんという漫画家さんがいます。  デビュー作『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』で話題を集めたところから始まり、いまのところ書く作品はすべてノンフィクション。そのセキララで(読むほうが)ハラハラな内容はどれも強烈で、「この人、大丈夫なのだろーか?」と思わせるものばかりです(あきらかに大丈夫じゃない)。  まあ、長生きはできないだろうな、むしろ長生きしないほうが本人にとっても良いのかもしれない、とすら思わせる人なのですが、ぼくはこの人の本を読むたびに、「いったい何がこの人をこんなに生きづらくさせているのだろーか?」と、その本質的理由に思いを馳せてしまうのですね。  何を隠そう、ぼくもたいがい生きづらい人間なので、「同類」という気もしつつ、「でも、おれはさすがにここまで生きづらくないわ」とも思うわけで、ほんとうはどんな理由がこの女性をここまで生きづらくさせているのだろうか、と考えるわけです。  で、考えに考えた結果、ひとつの結論が出ました。もちろん、「ほんとうのところ」はまったくわからない、ただの推測に過ぎないわけですが、それでも、「ある種のパターン」としていえそうな「生きづらさの根源」が思い当たったのです! それは、 

ぼくたちのこの「生きづらさ」の原因ってどこにあるの?

いまさらながら、小説を、読みたい。

 かつて読み、そうしてあっけなく忘れ去ってしまった名作を再読しようと思っているのだが、どこから手をつけたものか迷う。惑う。思い出はいつもうつくしく、しかし砂丘の蜃気楼さながらに幻で、いまとなってはほんとうに読んだものかどうかすら怪しく感じられる。  いや、たしかに読んだはずなのだけれど、かぎりなく曖昧な「印象」のほかはほとんど何も記憶していないありさまなのである。特に海外作品はそうだ。さらにいうと短編はまったく記憶できていない。  一部の、ほんとうにかがやかしい名作はそれでもつよく印象に残っているのだが、そのほかは日々の雑多な記憶に洗われて、何ひとつ残さず消えてしまっている。  もういちど読み返したとして、その失われた記憶を取り戻せるかどうかはわからない。おそらく無理だろう。しかし、それでも、未読の新作として読んでみるのも悪くはない。そう思う。  ティプトリーの「たったひとつの冴えたやりかた」や、「愛はさだめ、さだめは死」。ル・グィンの「帝国よりも大きくゆるやかに」。ロジャー・ゼラズニイの「伝道の書にささげる薔薇」。  こういった短編を読み耽ったのは中学生とか高校生の頃で、おそらくそもそも完全には理解できていなかったのだろう。いま、読み返してみるとどのような感想になるのか興味深い。  あるいは日本人作家の作品にしても、京極夏彦の『魍魎の匣』や『絡新婦の理』はもういちど読んでみたい。また、『虚無への供物』に『匣の中の失楽』といったいわゆる「四つの奇書」も、この機会にぜひ読み返しておきたい。  

いまさらながら、小説を、読みたい。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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