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記事 228件
  • NIKEのCMを考える。「黒人はレイプ魔だ」は差別だとして、「ある黒人をレイプ魔として描くこと」は差別なのか?

    2020-12-02 23:08  
    50pt
     「日本における人種差別」を描いたNIKEのCMが話題だ。
    https://youtu.be/G02u6sN_sRc
     例によってTwitterでは左と右に分かれた不毛な論争が巻き起こっているが、それは脇に措いて、なるべく冷静に考えてみよう。このCMは何か問題があるだろうか?
     初めにぼくの意見を述べておくと、「ぼく個人は「問題ない」と考える」が、「批判される理由もよくわかる」という立場だ。
     玉虫色の解答のようだが、現実はつねに中間色で、純白とか漆黒に分かれることはないと考えるので、べつにそれで問題はない。
     右であれ、左であれ、譲れない潔癖な正義を掲げる人たちは自分の信仰を守るために永遠の闘争を続けるのだろうが、「おれ達はもう飽きたんだ」、「お前らはまた別の敵を見つけ戦い続けるがいい」としかいえない。
     さて、ペトロニウスさんに教えてもらったのだが、このCMに対して肯定的な視点で語っている記事に以下のようなものがある。
    https://note.com/yumaendo/n/ne47e10c9dbc2
     できればリンクから飛んで読んでほしいのだが、簡単に要約すると「NIKEの問題のCMは明確なビジネス的目的を持つものである。そして、このCMに対し怒っている「年長の男性」はNIKEのターゲットではない」という内容だ。
     一部を引用すると、このようなことも書かれている。

    ということで、冒頭の質問……「なぜこのような『社会的な』CMが作られたのか?」に答えるのであれば、それは「それが売上につながっている」ということです。
    彼らがターゲットにしているのは、社会問題に関心を持ち、人種差別に怒り、またそれらをSNSで拡散する力を持っているミレニアル以降世代、つまりZ世代などであり、ニューズウイークの言葉を借りれば「年長の怒れる白人男性」ではない、ということです。

     どうだろう? あなたはこの記事に賛成するだろうか? ぼくとしては「おおむね理解できるが、差別反対を掲げる論者がこのような意見を書いてしまって良いのだろうか?」と考えるところだ。
     というのは、ここで書かれていることはつまりは「おまえら年取った男はCMのターゲットじゃないんだからぐだぐだいうな!」ということでしかないように思えるからだ。
     記事の最後に「そこは年老いたもののの国ではない。」というイェイツの詩を引用しているところなど、「それ自体が差別ではないか?」とすら思えてしまう。
     この人はたとえば今後、女性差別的なCM、あるいはそれこそ在日朝鮮人を差別するようなCMが出て来た時に、「おまえはこのCMのターゲットではないのだから黙っていろ」とか、「そこは在日韓国人の国ではない」といわれたとしたら、それで納得して沈黙するのだろうか?
     そんなはずはないだろう。このような意見は反差別的なリベラル言論人の首を絞めるものではないだろうか?
     この記事を読んでもここでいう「年長の男性」たちがなぜ怒っているのかはわからない。かれらは頭の悪いネトウヨだからわけもわからず崇高な差別反対の運動に抵抗しているのだろうか? もしそのように考えるのだとしたらリベラルの傲慢としかいいようがない。
     ぼくが思うに、このCMに反対している人たちは「自分たちこそが差別されているのだ」と感じているのだ。だからこそ怒っているのである。
     どういうことか、まずはそもそも「差別」とは何なのかから考えてみよう。
     ぼくにいわせれば、「差別」とは多様な内実を持つある集団(たとえば黒人、たとえば女性、たとえば日本人)を単一のネガティヴな属性(たとえば軟弱、たとえば頭が悪い、たとえば犯罪者)で評価することである。
     だから「オタクは性犯罪者だ」といった言説は典型的な差別にあたる。ほんとうはいろいろな性格のオタクがいるのに、それを「性犯罪者」といった一種類のネガティヴな属性で塗り固めてしまうことが差別なのだ。
     いい換えるなら差別とは集団の多様性の否定であり、「単純で頭の悪い見方」そのものである。ここまではオーケー?
     で、これを認めるなら、そのある集団を「差別者」という「ネガティヴな属性」と告発することもまたひとつの「差別」である、ということも認めなければならない。「黒人は犯罪者だ」が差別であるのと同様、「日本人は差別主義者だ」もまた差別なのである。
     「おまえたちは差別主義者だ、このCMを見てよく反省しろ」という「上から目線の説教」そのものがじつはひとつの差別でもありえるということ、リベラル勢力が見逃しているのはまさにこの点ではないだろうか。
     しかし、ここで冷静になってあらためてよく考えてみよう。このCMはじっさいに「日本人は差別主義者だ」と主張しているだろうか?
     ここで重要になるのが、「日本人には差別主義者がいる」と「日本人は(その全員が)差別主義者だ」という主張の論理的な違いである。両者はあきらかに違っているのだが、ある種の人たちには区別しづらい。
     ぼくはこのCMは前者を語ってはいるものの、後者を語ってはいないと感じた。というのも、たしかにCMでは日本人による日本における人種的マイノリティへのいじめが描かれているのだが、だから日本人はいじめばかりしている人種だとはどこにも語られていないからである。
     故に、このCMは「差別」ではない、とぼくは考える。いちばん上に「ぼく個人は「問題ない」と考える」と書いたのはそういう理屈による。クオド・エラト・デモンストランダム(証明終了)。おしまい。
     いや、そうはいかないのだ。ここで話は終わらない。なぜなら、「ステレオタイプ」という問題があるからである。
     上の論理に従えば、こういうことがいえる。たとえば、ある作品のなかに、黒人が「邪悪なレイプ魔」として描かれていたとして、それは「差別」だろうか? 「差別」ではない。なぜなら、その黒人が「邪悪なレイプ魔」であると描かれているとしても、黒人全体が「邪悪なレイプ魔」であると主張したわけではないから、と。
     この理屈は一応は破綻していないように思える。だが、何か不穏なものを秘めていることもたしかだ。
     ある作品のなかにひとりの黒人しか出ておらず、その黒人がある「ネガティヴな属性」を象徴するように描かれていたとしたら、たとえ「黒人はみな邪悪なレイプ魔だ」といったメッセージを直接に伝えていないとしても、そこにはやはり「差別」があるのではないだろうか? そう思うのは無理がないところだと思う。
     これが「ステレオタイプ」の問題である。「ステレオタイプ」は狭い意味では直接の「差別」だとはいえない。上記の差別の定義にはあたらないからである。しかし、どうしてもそこに差別性を見て取らないわけにはいかない。
     直接的には「黒人はレイプ魔だ」とはいっていなくても、間接的に「黒人はレイプ魔だ」という「印象」を与えるからである。人間はべつだん、何もかも論理的に考えて判断するわけではない。この「印象」についてどう考えるのかというのは重要な問題だ。
     そして、ここまで考えて初めて、怒れる「年長の男性」たちが何に怒っているのかわかってくる。かれらはこのCMを「日本人は差別主義者だ」という「ステレオタイプ」として受け取めているのである。
     もちろん、かれらのなかには「日本には差別なんてないのに、ひどいCMだ!」と「日本人のなかには差別主義者がいる」という描写そのものを否定する人もいる。
     が、それはここでは無視しておく。どう考えても日本に人種的マイノリティを含むマイノリティ一般への差別やいじめが「一切」ないとは考えられないからである。
     問題は、このCMのなかには「差別的な日本人」以外が出て来ないという「ステレオタイプ」にもとづく「印象」なのだ。そんなあいまいな印象は無視すればいい? それなら、「黒人」や「在日朝鮮人」や「女性」がステレオタイプで描かれたときも怒ってはならないだろう。
     「日本人」は「ステレオタイプ」で描かれても良くて、「黒人」などはそう描かれてはいけないとするなら、それはまさに「差別」である。
     ぼくは軽微な「ステレオタイプ」的表現は許容されるべきだという立場だから、このCMを許容するし、ツイフェミの皆さんが騒ぐ「女性がステレオタイプとして描かれている」表現も許容する。両者に反対するのも良いだろう。
     ひとついえるのは、同じ「ステレオタイプ」の表現であるのに、片方には反対して、片方には賛成するといったダブルスタンダードは問題があるということだ。
     これが、この問題を「悪い差別に反対する賢くて意識の高いわたしたち」と「その意義が理解できず怒り狂う「年長のネトウヨ男性」たち」みたいな図式で理解している左派の論客には伝わらない。
     どうにか伝われば良いのだが。この記事はいま、SNSで永劫の戦いを続ける諸勢力に当面の「停戦合意」と「穏当な対話」を求めるものである。現実は反差別的な正義と差別的な悪に分かれるほどシンプルではない。世界は灰色なのだ。 
  • 12月も頑張るぞ。

    2020-12-01 01:35  
    50pt
     12月ですね。今年ももうすぐ終わりです。ぼくにとっては、例の就労移行支援事業所に通いつめた一年でしたが、皆さまにとってはいかがでしたでしょうか。
     いや、まだぜんぜん終わってはいないのだけれど、何だかもうクライマックスを過ぎてじきにエンディングロールが流れて来そうな、そんな空気を感じます。
     ぼくのプライベートはともかく、日本全体としては、このまま行くとコロナに始まり、コロナに終わる一年という形になってしまいそうですね。そのなかで仄かに灯る希望の火が『鬼滅の刃』の歴史的大ヒットということになるでしょうか。
     ぼく的には、ほぼ三年間放置していたブログの更新を再開したことも大きい。書き始めてみるとやっぱり楽しいので、ぼくはやっぱり書くことが好きだったのだなあと、いまさらながらに思います。
     もっとも、毎日それなりのクオリティの記事を用意するのはちょっと大変。一応、ネタ帳みたいなものを作ってネタをメモしてあるのですが、一日に二本ずつ書いているとさすがにすぐなくなります。
     ちなみに、ネタ帳とはいってもほんとにただメモしてあるだけです。何か「思い出すきっかけ」があればそれで良いのですね。具体的にはこんな感じ。

    ・文化大革命、クメール・ルージュ
    ・『クイーンズ・ギャンビット』
    ・『パーマン』
    ・不思議とワンダー
    △『リアル』
    △『Shrink』
    ○『その着せ替え人形は恋をする』
    ○『ジョジョリオン』
    〇ケアの倫理
    〇結婚もの
    〇ゴシック論
    〇ゴシック論続き
    〇『トワイライトサーガ』
    〇『猫目石』

     〇が付いているものはすでに書いたタイトルで、△は書いてはあるのだけれどまだ更新していないタイトル、それ以外は書いてもいないタイトルです。
     これだけではわけがわからないようではありますが、ぼく以外の人にとっては何の話になるかわからなくても、ぼく自身はアイディアがすでに頭のなかにあるから、その箱を開く鍵さえあれば良いのです。
     まったく何も「きっかけ」を用意しておかないと、そのまま忘れ去ってしまう可能性がありますからね。じっさい、そうやってあまたの記事が中空に蒸発して消えてしまったような気もする。
     いまのところ未執筆のタイトルは、

    ・文化大革命、クメール・ルージュ
    ・『クイーンズ・ギャンビット』
    ・『パーマン』
    ・不思議とワンダー

     の四つなのですが、このままだと数日のうちに消化し切ってしまいますよね。どうしよう。まあ、その頃には新しいアイディアが浮かんでいるとは思いますが、ストックがないのは不安ですね。
     まあいいか。何か考えよう。『葬送のフリーレン』とか、『せんせいのお人形』とか、ここにメモしていなくても書きたいネタはいくつかあることだし。『せんせいのお人形』は凄いぞ。
     『パーマン』の記事は早く書きたいですね。『クイーンズ・ギャンビット』についてはペトロニウスさんの記事(https://petronius.hatenablog.com/entry/2020/11/26/052213)を参照し長文の記事を書くつもりです。 
  • 「エコーチェンバー効果」はどこまで真実なのか?

    2020-11-30 21:03  
    50pt
     「エコーチェンバー効果」という言葉をご存知でしょうか。Wikipediaによると、このような意味です。

    世の中には様々な人がおり、様々な意見を持った人と触れ合うことが出来る。世界に開かれたグローバルでオープンな場で、「公開討論」のような形で意見を交換し合うことができるコミュニティがある。一方で、同じ意見を持った人達だけがそこに居ることを許される閉鎖的なコミュニティもあり、そのような場所で彼らと違う声を発すると、その声はかき消され、彼らと同じ声を発すると、増幅・強化されて返ってきて、「自分の声」がどこまでも響き続ける。それが「エコーチェンバー」である。
    「エコーチェンバー効果」とは、エコーチェンバーのような閉じたコミュニティの内部で、誰と話しても自分と同じ意見しか返って来ないような人々の間でコミュニケーションが行われ、同じ意見がどこまでも反復されることで、特定の情報・アイデア・信念などが増幅・強化される状況のメタファー(隠喩)となっている。
    この「エコーチェンバー」の内部では、「エコーチェンバー」内の「公式見解」には疑問が一切投げかけられず、増幅・強化されて反響し続ける一方で、それと異なったり対立したりする見解は検閲・禁止されるか、そこまでならないとしても目立たない形でしか提示されず、すぐにかき消されてしまう。そうするうち、たとえエコーチェンバーの外から見た場合にどんなにおかしいことでも、それが正しいことだとみんなが信じてしまう。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E7%8F%BE%E8%B1%A1

     さて、長々と引用してしまいましたが、じつはぼくはこの考え方に批判的です。というか、この「エコーチェンバー効果」という考え方は大ウソだと思っているんですよ。以下、くわしく説明します。有料部分でね! 
  • にこにこなまほうそうのよてい。

    2020-11-29 15:00  
    50pt
     今週も土曜21時からニコニコ生放送やります。雑音対策としてちゃんとしたマイクを購入し、きちんとスケジュールを立てて放送する予定。お暇な方はお聴きください。
    https://live2.nicovideo.jp/watch/lv329268422
  • にこにこなまほうそうはじまるよ。

    2020-11-28 18:53  
    50pt
     21時からニコニコ生放送を行います。今週更新した記事のことを話しますので、よければ見ていただければ。https://live2.nicovideo.jp/watch/lv329181584
  • まともな人間になんてなってたまるか。

    2020-11-28 02:49  
    50pt
     作家栗本薫には、『グイン・サーガ』や『魔界水滸伝』のようにベストセラーとなって巷間に知れわたった作品もあれば、『真夜中の天使』や『翼あるもの』のように徹底してマイナーで、そもそもほとんど読者を想定していないであろう作品もあります。
     栗本の名声を高めたのは前者であるかもしれませんが、ごく一部の熱心な読者(ほとんど女性)にとっては、その作品のすべてが大切なものです。
     で、じつは彼女にはアマチュア時代に書かれた『真夜中の天使』などよりさらに少数の読者しか想定していないかもしれない、同人誌の形で出版された本も何冊かあります。
     そのすべてがJUNEテーマ(男性同性愛もの)なのですが、ぼくはいままであえて読まずに来たのですね。まあ、ものが同人誌なのでそもそも入手が困難だということもありますが、あえて商業作品以外の形で発表したものを読まなくても良いかなという気持ちもあったのです。
     でも、今日、
  • ニコニコ生放送前夜。

    2020-11-27 23:43  
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     ニコニコ生放送の期日があしたに迫っているけれど、例によってまだ何も話す内容を考えていません。もし、こういうことを話してほしいといったリクエストがありましたらコメント欄に書き込んでください。
     なぜかいまになってニコニコチャンネルのシステムが改善されて、どの記事にコメントがついたのか簡単に確認できるようになったので、コメントは非常にありがたいです。書きつづけるモチベーションにつながります。
     ちなみにニコ生はあしたの21時から、ここで行います。お暇な方は聴いてみてください。よろ。
    https://live2.nicovideo.jp/watch/lv329181584
     それにしても、いったい何を話したら良いのやら。どうにか会員数を増やしてウハウハ生活を送るためにも動画とか生放送はうまく使いこなしたいところなのだけれど、そもそもしゃべりはそこまで得意じゃないのでいかんともしがたい。
     でも
  • またニコ生やるよ。

    2020-11-23 16:42  
    50pt
     21時からニコニコ生放送を行います。
    アラフォーオタクハゲの陰キャでも配信したい!@ニコ生
     ネタはいまから考える。ひとりもリスナーがいないと寂しくて死んでしまうかもしれないので、ぜひ、聴きに来てください。お願いしますm(__)m
  • ぼくは濾過器。

    2020-11-16 05:33  
    50pt
     うに。今日も夜中に覚醒してしまった。どうも睡眠が浅くて良くないなあ。昨日は月一のラジオ(YouTube生放送)の日で、ひたすらペトロニウスさんとLDさんの爆速トークを聴いていたので、まだ神経が興奮しているのかもしれません。
     知っている人は知っていると思いますが、このラジオ、ぼくはただ参加しているだけでほとんどしゃべりません。どのくらいしゃべらないかというと、3時間とか4時間の内容のうち、2分とか3分くらいしかしゃべっていないんじゃないかな。
     大袈裟じゃなく、ほんとうにほとんど黙って聴いている。これはもう、十数年前の最初のラジオを9時間連続で放送したときからずっとそうですね。
     当時はYouTubeで手軽に放送したりはできず、インターネットラジオのサービスを使って流していたんですけれど、そのときもぼくはずっと黙っていた。ひょっとしたらラジオのリスナーのなかにはぼくのことを無口な人だと思
  • 退屈は人を哲学者にする。

    2020-11-15 04:09  
    50pt
     うに。時刻は真夜中ですが、暇なので更新します。この記事はもう完全に内容がない駄文なので、何か少しでも面白いものを読みたい方は飛ばしてください。ただ内容がないだけでなく、読むと???とフラストレーションが溜まる可能性があります。
     おけ? じゃあ続けるけれど、どうもここ数日は少し記事を書き過ぎですよね。あまり数を書くとどうしてもひとつひとつの記事の内容が薄くなってしまうので、ほんとうは一日一本程度きちんと練った記事を書くほうが良いのでしょう。わかっていてもついつい書いてしまうわけですけれど。
     更新しないときはまったく更新しないのに、ぼくもほんとうに極端ですね。毎日平均的に更新できるようだともっと良い結果が出ていただろうから、このアンバランスさはあきらかにぼくの性格の欠点だなあ。
     仮にもお金をもらっているブログである以上、きちんと構成と内容を考えて記事を書くべきだとは思います。しかし、あ