• このエントリーをはてなブックマークに追加

2015年5月の記事 30件

働くのも自由。働かないのも自由。精神を解放する革命思想がここにある。

 先日書いた通り、Phaさんの新刊『持たない幸福論』を読み上げたので、その感想を書いておきたいと思います。  結論から書くなら、非常に面白かったです。  ぼくとしてはビシバシ心に突き刺さる知的にエンターテインメントな一冊でした。  書き手が「日本一有名なニート」としてしられるPhaさんということで、ともすると「ニートのススメ」みたいに読まれかねない本であるとは思いますが、ぼくにいわせればそういう内容ではない。  これは仕事や家族に関する集団幻想を片端から打ち破ろうとするラディカルな告発の書だと思うのです。  この本のなかで、Phaさんは「労働」や「家族」、「お金」といった価値の絶対性に対して次々に疑問を呈していきます。  その人でなければできない仕事などというものはないとか、家族もシェアハウスグループの一種に過ぎないとか、お金がなくても楽しく生きていくことはできるとか。  同い年でやはり無職ライフを堪能している者としては共感せずにはいられない意見ばかりなのですが、それらの幻想をかたくなに信じている人にとっては反感を感じずにはいられない内容でしょう。  これらの意見を通して、Phaさんは読む人をいわゆる「世間の常識」なるものから解き放とうとしているように思えます。  その意味でこの本は過激な告発の書であり、そして偉大な解放の書でもあるのです。  なんだかんだいって世の中にはまだ「働かざるもの食うべからず」とか「結婚して子供を作って一人前」といった宗教を信じ込んでいる人も多いことも事実。  そして、それで満足している人はいいけれど、苦しんでいる人も多いはずなのですね。  この本はそういう人たちに向かって優しく「苦しまなくてもいいんだよ」と語りかけます。  働きたくないのに働かなくてもいい、結婚しなくても、家族を持たなくても、後ろめたく思う必要はない。本書の内容を簡単に表すなら、そういうことになるでしょう。  決してニートになることを奨めているわけではありません。  そうではなく、「世間の常識」という形のない鎖から自分を解き放って生きてみませんか、と誘いかけているだけだと思います。  あらゆる常識や幻想を排して判断してみて、その上で「やっぱり自分は働いてお金を稼ぎたい」と思うならその道を歩めばいい。  そしてもしそうではなく「働くことってしんどいな」と思うようならなるべく働かないで済む生き方を選べばいい。  いずれにしろ優劣はない、そういう思想だといっていいでしょう。  つまり、「なんでもあり」ですね。 

働くのも自由。働かないのも自由。精神を解放する革命思想がここにある。

あなたがハマっている趣味の面白さを教えてください!

 ふたつ前の記事でふれたPhaさんの新刊『持たない幸福論』を読み終わった。  くわしい感想はのちほど書くとして、個人的に参考になったのが「お金をかけずに時間をつぶす方法」のところ。  ほぼ、ぼくと同じ結論なので、やっぱりそうだよなあとひとりうなずいた。  たとえば、将棋。  ぼくはまったく将棋をたしなまない人なのだが、一定の興味はあって、いつか覚えてみたいなあと思っている。  もっとも、もう30年近くそう考えているので、このまま一生、覚えずに終わるかもしれないが、とにかくローコストで楽しく過ごすために将棋(や囲碁やチェス)はとてもいい方法だと思うのである。  ほかには、競馬とかサッカーとかアイドルなどが思い浮かぶ。  いずれもハマったら奥深そうで、それなりに資金もかかりそうだが、テレビやネットで観ている分にはほとんどお金はかからない趣味である。  これだけではインドアに偏りすぎているので、フットサルとかハイキングとか山登りを付け加えてもいいだろう。  いまの世の中、ほとんどお金がかからない娯楽があふれていて、ぼくのような貧乏人でも、趣味でお金を使いすぎることは心配しなくていい。  娯楽を供給する側から見れば大変かもしれないが、消費する側としては実にいい時代だ。極楽極楽。  しかし、いくら口先でそういっていも、じっさいには新しい趣味を始めることはわりに大変である。  ぼくが「将棋を覚えたいなあ」と考えてから30年間、ほぼなんの行動も起こしていないことからもそのことはわかる。  どんな趣味でも始めようと思ったらそれなりのハードルを乗り越えないといけないわけだ。  そのとき、最も良いのは既にその趣味に習熟しているだれかから手ほどきしてもらうことだろう。  たとえば、将棋を始めるときにも、ある程度くわしい人から教えてもらうと、入門のハードルがかなり下がると思う。  また、その趣味にくわしい人にしても、自分と同じ興味を持つ人が増えることは嬉しいから、嬉々として教えてくれたりするものだ。  こうして需要と供給がマッチすれば、教える側も教わる側も幸福になる――理屈では、そうなるはず。  ところが、これが必ずしも上手くいかないんだよなあ。  自分が好きなものの魅力を、それについてくわしくしらない人に教えることは、案外むずかしいものだ。  『3月のライオン』に主人公がしりあいの女の子に将棋の面白さを教えようとして失敗するエピソードがあったが、どのジャンルでもそういうことはしばしばくり返されているのだと思う。  これがねえ、どうにかならないものかといつも思うんだよね。  趣味を媒介にした教導関係がうまくいかないのは、教える側が「なぜか偉そう」とか、「初心者の気持ちがまったくわかっていない」とか、「いきなりマニアックなところから教えてしまう」とかだったりするあたりに主な問題点があると思うのだが、これらを解決するノウハウを蓄積することはできないのだろうかと思うわけなのですよ。  たとえば、将棋初心者が気楽に入門できて、その奥深さの一端をしるところまでサポートしてくれるサイトがあるととても嬉しい。  いや、わかっている、もちろんそういうサイトはたくさんあるだろう。  また、入門書などもたくさん出ていることと思う。  しかし、その最も丁寧なものすら、初心者以前のぼくから見ると敷居が高い。  さすがにコマの動かし方を覚えるくらいまでは行くんだけれど、そこから先へ進むことがどうにもできず、挑戦と挫折をくり返してしまうわけなのだ。  べつだん、将棋に限らない、たとえばアイドル歌手なんかも興味はあるのだけれど手を出しづらいジャンルだ。  お前が軟弱すぎるだけじゃないかといわれればその通りだけれど、ぼくのような人種はどのジャンルでも大量にいると思うのである。  そういう「新人」をどうやってその趣味に招き入れるかによって業界自体の栄枯盛衰が決まってくると思うのだけれどどうだろう。  ぼくとしては「一見してわかりやすいもの」だけに人々の興味が集まるのは面白くない、「わかりづらいけれどなれると超面白いもの」も広まっていってほしいと思うから、わりと切実な話なのである。どうしたものやら。  というわけで、何かぼくに新しい趣味を教えてやろうという方がいらっしゃいましたらコメント欄やTwitterに書き込んでください(笑)。  たとえば、野球観戦の面白さについて教えてくださると、ぼくとしては興味津々、聞き入ることと思います。  野球の面白さはまったくわからないわけではありませんが(野球漫画たくさん読んでいるし)、どこを注目して見ると面白いのかはいまひとつよくわかっていないんですよね……。  もちろん、野球やサッカーではなく、フィギュアスケートでも、BL小説でも、YouTubeでも、競艇でも、陶芸でも、パン作りでもかまいません。あなたがハマっている趣味についてぼくに教えてほしいのです。  まあ、コメント欄でのやり取りには限界がありますから、さらにくわしいことはFacebookなりLINEあたりで教えていただけると助かりますが……。  「教わる」ことを通じて、その趣味で初心者がどう挫折するのかあきらかにできたらなあ、などと考えています。  あと、『スプラトゥーン』をプレイする予定の(あるいは、既にプレイしている)人がいたら教えてください。ぜひいっしょに遊びましょう。  いや、ぼくはこれから買う予定なんですけれどね。  人生は楽しみに満ちているなあ。ひきこもり生活も退屈する心配はないようです。 

あなたがハマっている趣味の面白さを教えてください!

追悼タニス・リー。バビロニアの女神の名を与えられた天才作家。

 タニス・リーが亡くなったそうで、追悼として、以前、『悪魔の薔薇』のレビューとして載せた記事を再録しておきます。世界は不世出の天才物語作家を失いました。残念です。 1947年9月19日。  この日付は記憶されるべきだろう。この日、世界は不世出の語り部を得たのだから。  もちろん、そのときにはだれひとりそうとは気づかなかったことだろうけれど。  その日生まれた赤子はタニスと名づけられた。タニス・リー、と。  バビロニアの月の女神にちなんだ命名である。いかにもそのひとにふさわしい名前ではないか。  やがて赤子は育ち、九つのとき、作家を志す。  初めて長編を上梓したのは二十を三つ過ぎた頃。  そして、その生涯の傑作といわれる『闇の公子』を生み落としたのは、さらにその数年後のことだった。  その物語を一読した読者は、リーの才能が尋常なものではないことを、いやでも悟らずにはいられなかっただろう。  リーの世界はトールキンの箱庭には似ていなかった。C・S・ルイスのナルニアにも程遠かった。  それははるかに遠い日、はるかに遠い国で語られたアラビア夜話に似た世界であり、しかもはるかに暗く、はるかに邪悪で、美しかった。  リーには言葉で異世界をつむぎ出す天稟があった。  その昔、地球が平らかなりし頃、と彼女は語りはじめる。  平たい地球には五人の闇の君がおり、それぞれ、〈悪〉や、〈狂気〉、あるいは〈死〉を司っていた。  王侯も奴隷も、学者も乞食も、しょせん彼らのチェスの駒。  しかし、ときには、おそらく数千年年に一度のことではあるだろうが、駒が操り手を上回ることもあった、と。  リーの紡ぐ神秘的な物語は、灰色の都市生活に疲れた人びとを熱狂させたことだろう。  そして、彼女は飽くことなく新たな物語を生み出し続けた。  彼女は泉である。尽きることを知らない物語の泉。そしてその水の芳醇さときたら。 

追悼タニス・リー。バビロニアの女神の名を与えられた天才作家。

「無職の才能」が足りなくて。

 再度、記事に付いたコメントを転載させていただきます。  転載されたコメントの「メディアへの接触は自由である」というのは、ネットへの書きこみや投稿ができる状態でしょうか。  もしそうでないのならば、そのうち楽しくなくなると思います。これは他の記事でもコメントしたことですが、「自己承認欲求」が満たせないからです。  いくら面白いコンテンツを自由に消費できても、これだけだと「自分は世の中の何かに役だっている」という実感を得られません。  「自分は何のために生きているのか」「この世に自分は必要なのか」「このまま何も成し遂げずに死ぬのか」という疑問がわいてきて、楽しむどころじゃなくなってくるのではないかと。  自己承認欲求が無い人も、中にはいるかもしれません。でも、そういう人は少数だと思います。  たいていの人は、社会と関わって他人や自分自身によって「自分を何らかのかたちで認められる」ことがないと、欲求不満になってしまうのではないでしょうか。  ――ああ、承認欲求、ありますよねえ。  いまの世の中には楽しいことや面白いものが山のようにあふれているわけですが、やはりひたすらそれらを楽しんで面白おかしく生きていくことはできないようです。  いや、できる人もいるのだろうけれど、ぼくにはできない。やっぱり「ぼくはなんのために生まれてきたんだ?」とか思い悩んでしまう。  なんといっても人間は社会的動物で、社会との関係を構築せずに生きて行くのはしんどいのだと思います。  ひとは「他者」という鏡があって初めて自分の立ち位置を確認できるようなところがある。  ぼくにしてからそれは変わらず、お気楽なニート暮らしを満喫しているとどうも不満感が高まっていくようなのですよね。  ぼくですらやっぱり何かひとの役に立つことをしたいとか思ってしまうわけなのです。  そういう強迫観念に捕らわれず自由に人生を楽しめる人もいるのだろうけれど、どうやらぼくはそうではない。  そういう意味ではぼくにはあまり「無職の才能」はないのかもしれません。ただやむを得ず無職しているだけなんですね。 

「無職の才能」が足りなくて。

お金をかけず幸せに暮らすためには、技術が必要だ。

 日本一有名なニートとしてしられるPhaさんの新刊が出るそうで、クリスマスまでの日を数える子供のように楽しみに待っている。  タイトルは「持たない幸福論」、26日発売だとか。  26日になったら即座にKindleで落とそう。まったく便利な世の中である。  で、そのPhaさんが「お金がないと幸せになれないのか」という記事を書いている。 http://pha.hateblo.jp/entry/2015/05/22/003115  もちろん、イエスかノーでシンプルに答えられる問題ではないのだけれど、Phaさんのアンサーはイエスに近いようだ。  ぼくとしては「ある程度は収入があったほうが幸せになりやすい」と答えたい。  やっぱりいまの時代、大半の人間は社会のなかで生きているのだし、その社会で通用する通貨をたくさん持っているといろいろ便利ではある。  お金がたくさんあれば幸福というものではないことは諸々の調査があきらかにしているが、そうかといって極端な貧乏もやはり辛いものがある。  昔、「清貧の思想」と題する本がベストセラーになったが、清貧とはなかなかむずかしいもので、やはり大抵の貧乏はただ貧しいだけなのである。  ただ、貧乏が即座に不幸かというと、必ずしもそうではないらしいこともたくさんの証言がある。  また、現代日本のような社会インフラがきわめて高度に整備された社会における貧乏は、そうでない社会における貧乏とはまた性格が違っているだろう。  「貧乏」が即座に「貧困」ではないのだ。  『貧乏は幸せのはじまり』というなかなか面白い本があって、そのなかには赤貧の有名人のエピソードがいくつも出て来る。  ほほえましく読めるものもあれば、読んでいるほうが辛くなってくるものもあるのだが、それらを読んでいるとたしかに裕福さと幸不幸は関係ないのだな、と思えて来る。  すべてはその人の内面の問題。  もちろん、そうはいっても、凡人にとって貧乏は楽ではない。  凡人は、それが可能であるならおとなしく一定のお金がある生活を送ったほうがいいだろう。  ただ、最低限の収入でもなかなか楽しそうに暮らしている人たちがいることは事実だ。  社会の整備が進んだ上に、いろいろなものが極端に安価で入手できるようになった昨今、「貧しいが楽しい暮らし」を送ることは以前より容易になって来ている。  というか、 

お金をかけず幸せに暮らすためには、技術が必要だ。

人類滅亡後、シェルターでひとり見るアニメは面白いか?

 「デフレ化するエンターテインメント」の記事に付いたコメントが興味深かったので、ここに転載して返事を書くことにします。  転載にあたって、失礼ながら文頭にインデントを入れるなどして整形させていただきました。  コンテンツ消費が楽しいのは、どういうことなのか、最近よく考えます。  例えば、終身刑のような形で、人とは全く会うことができないのだが、コンテンツの消費やメディアへの接触は自由である環境で、コンテンツ消費は楽しいと感じられるか?  ・・・私は楽しいと感じられるような気がする・・・  そうであれば、ミニマムのコストで、限りなく消費できるコンテンツがある現代は、やはり楽園ということでしょう。  なるほど、それは極限的なシチュエーションですね。  つまり、社会と完全に絶縁した状態でもコンテンツを楽しめるか、という話だと思います。  こういう話をするとき、ぼくがよく思い出すのは岡崎二郎のSF短篇集『アフター0』に収録されていたある作品です。  もう記憶もあいまいなのですが、たしか宇宙線の増大によって社会が壊滅した状況でシェルターに閉じこもる男の話だったと思います。  その男は本を愛していて、本さえあれば生きていけるという性格。  しかし、運悪く本棚は汚染されてしまい、目の前にあるのに近づけない状態になってしまいます。  手元に残されたのはわずか一冊の本。それも一度読んでしまえば興趣が削がれるアイディア勝負のショートショート作品集。  さて、男はどうなるか、という話でした。  ネタバレ 

人類滅亡後、シェルターでひとり見るアニメは面白いか?

語りきれないものを語りたい。

 たとえば、どういう作品が好きですか、と訊かれたとき、「こういう作品です」とシンプルに答えることはむずかしい。  もちろん、ぼくにもたくさん好きな作品はあって、そこには共通項もあるようなのだけれど、「こうだ」といい切った瞬間にすでに何かがずれ始めている気がする。  それでもあえて言葉にするなら、ぼくはたぶん矛盾する概念の相克が見たいのだと思う。  少々格好をつけたいい方になってしまった。もう少し噛み砕いた言葉にするなら、互いに相いれない観念がぶつかりあって火花を散らすところが見たいのだ。  つまり、「こういう主題の作品だ」とはっきり言葉にして表せない作品こそが好きなのである。  たとえば、娯楽作品であるはずなのにひたすら陰惨で淫靡であったりとか、そういう、内部に矛盾を抱えた作家性が好きだ。  いい換えるなら、無矛盾に整合させられた作品には、ぼくは関心がない。  わかってもらえるだろうか? エンターテインメントは好きだけれど、ただのエンターテインメントは好きではないということ。  常にエンターテインメントの定石から逸脱する何かを秘めながら、それでも、なお、エンターテインメントの枠組みのなかになんとか収まった作品が好きなのだ。  この場合、「エンターテインメントであること」を放棄して、「わかる人にだけわかればいい」と決めてしまったなら、矛盾がなくなってつまらない。  その反対に「エンターテインメントであること」に特化して、「ウケさえすればそれでいい」と考えるとしても、矛盾がなくなってしまうので面白くなくなる。  ぼくはあくまで相互に矛盾し対立しあう概念が衝突し相克しつづけるその現場にこだわりたい。  ぼくはハッピーエンドの物語が好きだけれど、それもシンプルな予定調和になってしまうとやっぱり退屈に感じると思う。  大切なのは「いま、そこ」で、過去のどの作品とも違う未知の物語が生まれているという感触なのだ。  「こういうものだ」とか「これが正しいのだ」と訳知り顔で悟ってしまったその瞬間に、新しいものは生まれて来なくなる。  ぼくはやはり何が正しいのかわからない五里霧中のなかから生まれてくる新作にこそわくわくする。  「いったいこれは何なのだろう?」という謎と神秘を秘めた作品にこそときめく。  わかってもらえるだろうか? 語りきれないものこそ語る価値があるということなのだ。  だから、 

語りきれないものを語りたい。

海燕の月額3000円コンテンツ充セット(2015年5月編)。

 前の記事で書いた通り、月額3000円以内で楽しめるエンターテインメント・コンテンツをパックで入手するアイディアを提案させていただきます。  じっさいには個別で買ってもらうことになるわけですが、たとえばこんな内容で1ヶ月をお安く楽しんでみてはいかが、というサジェスチョンです。  小説、漫画、映画、アニメ、ゲーム、とそれぞれ簡単な紹介を付けてオススメします。  小説とアニメはテレビや図書館で入手すればいいので0円としてもいいのですが、それではあまりに身も蓋もないので両者ともお金を払って手に入れることを条件とします。  また、「駿河屋」や「ブックオフ・オンライン」といった古本屋サイトでは一定額以上でないと送料無料にならないシステムがありますが、これはまとめて購入することを前提として送料無料で考えることとします。  では、一ヶ月のエンターテインメント生活の一例としてご覧ください。 ・小説――リサイクルショップ「駿河屋」で「我孫子武丸尽くし」。『少年たちの四季』70円。『人形はこたつで推理する』70円。『探偵映画』100円。総計税込み240円。 http://www.suruga-ya.jp/search?category=&search_word=%E6%88%91%E5%AD%AB%E5%AD%90%E6%AD%A6%E4%B8%B8&adult_s=1&rankBy=price%3Aascending ・漫画――「駿河屋」で『DEATH NOTE 全12巻+DEATH NOTE HOW TO READ 全13冊セット』を購入。税込み1300円。 http://www.suruga-ya.jp/product/detail/WK1714 ・映画――レンタルサイト「ぽすれん」で『風立ちぬ』、『最強のふたり』、『英国王のスピーチ』をレンタル。税・送料込み553円。 http://posren.com/ ・アニメ――アニメ配信サイト「dアニメストア」で『コードギアス 反逆のルルーシュ』全25話を鑑賞。1話25分×25分で10時間25分。税込み432円。 https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/ci_pc?workId=20029 ・ゲーム――「駿河屋」で『久遠の絆 再臨詔』(プレイステーション2)を購入。税込み450円。 http://www.suruga-ya.jp/product/detail/144004273001  総計2975円!  けっこうオススメの作品をそろえさせていただいたのですが、いかがでしょう。 

海燕の月額3000円コンテンツ充セット(2015年5月編)。

デフレ化するエンターテインメント。

 5月27日に定額制音楽配信サービス「AWA(アワ)」が正式スタートするそうです。料金は「Lite Plan」が月額360円、「Premium Plan」が月額1080円。2016年末までに1000万曲の提供を見込むとのこと。 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1505/20/news123.html  うーむ、いままでレコチョクBestを利用していたけれど、乗り換えようかな。  それにしても月額360円で1000万曲て。1円で3万曲くらい聴ける計算になりますね(苦笑)。  いくら歴史の趨勢とはいえ、これでは音楽ビジネスも成り立たないはずだよなと唸ってしまいます。  音楽だけではなく、エンターテインメントは総じて限りなく無料に近づいていますよね。  ぼくはいまWiiUの『ゼノブレイドクロス』をプレイしているのだけれど、このゲーム、端から端まで楽しもうと思ったら300時間くらいかかるらしい。  じっさい、いま25時間くらいやっているけれど、あきらかにストーリーはまだ序盤で、まあ300時間とまでは行かないにしてもクリアまで100時間以上はかかることは必至だと思われます。  これは極端な例ですが、テレビゲームはどれもプレイ時間が長時間化していて、80時間とかかかるものは普通になっている。  ソフトの価格は昔とそれほど変わっていないわけで、一本買えばそれだけ長い時間楽しめることになります。  テレビアニメとかテレビドラマなんかは、放送を録画すれば無料なのは当然として、各種視聴サービスも整って来ています。  たとえばdアニメストアでは400円で1000作以上が見放題。ただ視聴するだけならほとんどお金はかからないといっていいかと。  また、小説や漫画などもネット古書店を使えば安く入手できますし、Geoなどではさらなる安価でレンタルもしています。  映画も、劇場で見れば1800円かかるけれど、ビデオをレンタルしたり動画配信で見たりするだけなら300円程度で済む。  制作費100億円の映画を100円で見ることすら可能。  もう、何もかもが安くなっているわけです。  もちろん、音楽にしろ映画にしろゲームにしろアニメにしろ漫画にしろ、最新作をリアルタイムで入手しようと思ったらいままでと変わらない価格になる可能性が高いわけですが、ほんの数ヶ月待つだけで劇的に安くなることが大半です。  ただ時間を豊かに潰すだけならほとんどお金はかからないわけです。  スマホやゲーム機に初期投資は必要であるにしろ、それも最新型をそろえようと思わなければきわめて安く済む。  コンテンツのほうは、そうですね、1ヶ月3000円もあればお釣りが来るのではないでしょうか。  アニメや動画は 

デフレ化するエンターテインメント。
弱いなら弱いままで。

愛のオタクライター海燕が楽しいサブカル生活を提案するブログ。/1記事2000文字前後、ひと月数十本更新で月額わずか300円+税!

著者イメージ

海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

https://twitter.com/kaien
メール配信:ありサンプル記事更新頻度:不定期※メール配信はチャンネルの月額会員限定です

月別アーカイブ


タグ