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サバイバーズ・ギルト。生きのこった者だけが負う荷物の重さを想う。(2137文字)

 ここ最近、どうにも体調が悪くて起きたり寝たりを繰り返していたのだが、そのあいだに石塚真一の『岳』を読み返した。  日本アルプスでテント暮らしをしながら山岳救助ボランティアとして活躍する青年、島崎三歩とかれを取り巻く人間模様の物語。基本的には一話完結で、さまざまな山のドラマが描かれている。  初めは不定期連載だったものがそのうち定期連載となり、映画化までされた上に全18巻完結にまで至ったという評判の作品だけあって、実に面白い。含蓄に富んでいる。  個人的には登山の趣味はなく、また一生、山登りをすることはないだろうと思うのだが、物語のなかで山を駆け巡ることは悪くない気分だ。三歩は力強く野山を駆けまわり、読む者に広漠たる大自然の風景を見せてくれる。  ただ、かれも優秀なボランティアではあっても超人ではなく、救えないものは救えない。だから毎巻、幾人もの死者が出る。読後感は爽やかではあるが、軽くはない。読み進めるほどになぜひとは山に登るのだろうと考えさせられる。  「船は港にいるとき最も安全だが、それは船が作られた目的ではない」ということわざがあるが、登山家も同じなのだろうか。辛く苦しい冒険のなかでしか感じ取れないものがあるのか。  一生、平地で生きて死ぬつもりのぼくが想像するに、ひとが山を登る理由は、ひとつには地上では見られないものを見たいという好奇心であり、もうひとつは肉体と精神の極限のなかで自分を試したいというチャレンジスピリットなのではないだろうか。  並大抵のことでは生きている実感を感じ取れないという気もちはぼくにも多少はわからなくもない。自分の限界を究めてみたい。そう思うひとが山に挑んでいくのだろう。  しかし、山の現実は過酷で、ひとの感傷を受け付けない。ほんの少しの油断が死に直結する。あるいは生と死を分かつものは純粋な偶然で、どんな努力も無意味だという局面もあるかもしれない。  運命の分かれ道を、右に往くか、左へ赴くか、ささやかな幸運と不運が、ひとの生死を決定する。それが山なのだろう。自然、偶然に助けられて生きのこった者は運命に助けられた自分の責任を思わずにはいられない。  「サバイバーズ・ギルト」という単語がある。サバイバーは「生きのこった者」、ギルトは「罪悪感」を表し、壮絶な事故や事件を超えて生きのこった人間が抱く罪悪感を意味する。  

サバイバーズ・ギルト。生きのこった者だけが負う荷物の重さを想う。(2137文字)
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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