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タグ “ひきこもり” を含む記事 13件

夢の生活ブックガイド。

 前の記事でも書いた通り、ぼくには充実した生活を送りたいという野望があります。  しかし、充実した生活といっても、それだけではいかにもあいまいで、捉えどころがない。具体的にどういう暮らしを行えばいいのか。  ぼくはなんでも本から入る人なので、色々な本を読んでいます。  まず、理想の生活の第一は「働きたくないでござる」ということ。  いや、労働とかしたくないですよね! いかにして働かないで生きていくかと考えると、ニート系の本と出逢います。  代表的なのはPhaさんの『ニートの歩き方』や『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』。  働かないままで楽しく豊かに生きていくための知恵が記された本です。  ぼくはとっても共感するのですが、それでは自分が真似できるかというと考え込んでしまいます。ある種、ぼくの理想の生き方が綴られた二冊。  あと、より具体的な「働かない生活」の指南書としては、ファイナンシャルプランナーがひきこもりのままでも生きていける人生プランを考えた『ひきこもりのライフプラン――「親亡き後」をどうするか』もあります。  一生ひきこもりのままでどうやって生きていくかが書かれた本なので、とても具体的に参考になります。ぼくも一生ニートを続けようと思っているので、素晴らしい本ですね。  ニートを「若隠居」ととらえた本としては、『20代で隠居 週休5日の快適生活』があります。  20代で早くも「隠居」して、気ままな生活を送っている著者の人生録です。ぼくの場合は「週休7日」なのですが、それでもなかなか参考にできます。  日々、最低限の収入だけ稼いで暮らす男を描いた『稼がない男』はとてもいい本です。  年収わずか100万円ちょっとというほんとうにわずかな金銭収入を計画的に使い、幸せに生きていっている様子を見ると励まされます。  『減速して生きる:ダウンシフターズ』という本もあります。  これは人生を「ダウンシフト」してゆっくり生きることのススメ。スローライフにあこがれながら忙しく生きることにも惹かれるぼくとしては共感しつつも、やや反感も感じる本です。  より具体的にお金のことが書かれた本としては、『年収100万円の豊かな節約生活術』が参考になるでしょう。  年収100万円だけでもじっさい豊かに生きていけるということが豊富な実例とともに記された良書だと思います。  もう少し緩めの節約生活指南書としては『年収200万円からの貯金生活宣言』もいいと思います。  また、具体的な節約の役には立ちませんが、思想的な参考にするためには年収300万円で暮らすことを薦める『プア充 高収入は、いらない。』もいいかもしれません。  さらに究極まで行ってしまうと、『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』に書かれているような「豊かなホームレス生活」が視野に入ってきます。  いざというときはホームレスでも生きられるということは憶えておくといいかも。  より切実なドキュメンタリーとしては、一時的にホームレス状態に陥った作家が記した魂の記録『ホームレス作家』もありますね。  これは、書かれた当時は「特殊な人の特殊な体験の記録」だったのですが、最近の不況によって「だれにでも起こりえること」というリアリティを感じ取れるようになってきました。恐ろしい時代です。  しかし、まあ、そうはいってもやっぱり家は欲しいよね、ということで、安く家を作る方法も知りたいところ(ぼくはこのまま実家暮らしを続けるつもりですが)。  『Bライフ 10万円で家を建てて生活する』はなんとわずか10万円(!)でともかくも家を建ててしまった人の記録。いや、こういう人もいるんですねえ。  もう少しちゃんとした家が欲しいという場合は、『セルフビルド―家をつくる自由』が参考になるかもしれません。自分で家を作る方法について書かれた本です。  さらに、どうせなら「隠れ家」も欲しいというぼくのような空想家には『かわいい隠れ家』が考える材料をくれます。  また、『大人が作る秘密基地 屋外、ツリーハウス、リノベーション、シェアオフィスまで』といった本も読んでみるとわくわく感がつのることでしょう。秘密基地! いいですよね。ぼくも欲しい。  しかし、大きな家を建てることは財政的にむずかしいという場合は『スモールハウス』を読んで小さな家を構想してみるのもありでしょう。  『二畳で豊かに住む』を読むと、日本人が昔から狭い空間を苦にせず暮らしてきたことがわかります。  ぼくも「狭さ」はまったく苦にならないほうなので、こういう暮らしもいいかもなあ、と考えます。  また、どうせ夢の生活、理想の暮らしを考えるなら、田舎暮らしというのもいいかもしれません。  ただ、「ほんとうの田舎暮らし」は色々と苦しそうではある。そこで、『週末移住からはじめよう:田舎に小さな家をもつ2拠点ライフ』や『週末は田舎暮らし ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記』に書かれている「なんちゃって田舎暮らし」もいいと思うのです。  田舎と都会に複数の拠点を持つ他拠点生活には惹かれますね。まあ、ぜいたくという気もしますが、考えるだけならタダ。せいぜい妄想を膨らませることにしたいと思います。  もう少し本格的にやりたい場合は『フルサトをつくる』が役に立つかも。  田舎に自分でかってに「フルサト」を作ってしまおう!という本で、読んでいると、ああ、いいかもなあ、などと思えてきます。  まあ、フルサトを作るためにはある程度のバイタリティが必要でしょうが……。  田舎暮らしまで行かなくても、家庭菜園などを楽しみたいという気もします。  古来、「晴耕雨読」は最上の生き方とされてきました。それを実現させるために、『半農半Xという生き方』、『シティ・ファーマー:世界の都市で始まる食料自給革命』といった本は考える材料を提供してくれると思います。  「半農半X」とは「農業」をやりながらべつの仕事(「X」)も行うという生き方のことで、本格的に農業に乗り出すつもりはないぼくには役立ちそうな内容です。  『シティ・ファーマー』のほうは各国の都市部での菜園が描かれています。  一方、ぼくは「農」だけではなく「猟」にもあこがれを抱いたりします。  『ぼくは漁師になった』はこのジャンルで名著として知られる一冊。  『わたし、解体はじめました ─狩猟女子の暮らしづくり─』は賛否両論ながら個性的な「狩猟女子」を描く一冊です。ちょっと衝撃的な内容となっています。  さて、こうやって理想的な人生を追い求めていくと、最終的には「禅」あたりにたどり着きそうです。  その世界を知るにあたっては、たとえば『「見えないもの」を大切に生きる』がわかりやすいでしょう。  『禅的生活ダイエット』もなかなかいい本です。  シンプリズム、ミニマリズムという考え方からすると、『シンプルに生きる』も非常に参考になる内容だといえます。  ぼくはたとえば良寛の清貧な生き方に惹きつけられるのですが、真似できるかというとむずかしそうですね。  あるいは、こういう 

夢の生活ブックガイド。

オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな、このはてしなく遠いダメ人間坂をよ。

 あした朝早く起きないと、と思ったらさっぱり眠れません。我ながらこういうところは神経細いよなあ。  いやまあ、きのうは昼近くまで寝ていたのでいま眠くならなくて当然なのかもしれませんが。  しかたないので、Phaさんの『しないことリスト』をぱらぱらと読み返しています。  Phaさんの文章は口語に近く、しかも力みがないのでとても読みやすい。こういうとき読むには打ってつけですね。  この本は以前にも紹介しましたが、人生において「しないこと」、「しなくてもいいこと」をリストアップした内容です。  リストは「買い物をしない」、「お金で解決しない」から始まって、「突き詰めない」に至るまで、36項目に至ります。  いずれも「ダメ人生の達人」としての極意が簡潔に示されていて、非常に参考になります。  これから先、ダメ人間として生きていくつもりのぼくとしては「先人の教え」にも等しい話ばかり。  いいよなー、この人。一切気負わずに脱力しているというか、無駄な力みがない感じ。ヒトとして素晴らしいと思います。  Phaさんと比べると、ぼくなんか、やっぱり無為に耐えられない性格をしていると思う。  その意味ではニートにもひきこもりにもあまり向いていない。基本的に無能だからひきこもりをやっているだけで、働けるものなら働きたいと思うもん。  もちろん、「労働」になんらかの美徳を認めているわけではないのだけれど、働いていないととにかく暇でしかたないのですね。  映画とかゲームとかでは暇をつぶし切れない。そしてやっぱり努力していないつもりでもいくらか努力してしまっているところもある。  ようするに中途半端でキャラが立っていないのです。  以前にも書いたかもしれないけれど、Phaさんはよく「だるい」と書きますが、ぼくはあまり「だるい」とは思わないのです。  もちろんやりたくないことはたくさんあるけれど、それは積極的にやりたくないという意味であって、「だるいからやりたくない」とは違う。  やっぱりPhaさんと比べるとぼくは体力が余っているんだろうなあ。だから、無意味なことにも力を注いだりしてしまうのだろう。  そこらへん、まだまだダメ修業が足りないな、と思います。  そうかといって、一般的な社会人として暮らしていけるほどのスキルも持っていないわけで、いや、ほんと、半端者ですね。  まあ、それがぼくという人間だからいいのだけれど。  ぼくはなんだかんだといってもやっぱり自己責任でひとと競って成果を上げることがけっこう好きです。  それはべつにそのことに高尚な意味があると思っているわけではありません。  当然、社会のためになるなどという幻想も抱いてはいない。  ただ、ある種の「ゲーム」として数字をアップしていくことが好きなのですね。  だからこそ、こうして1日に4本も5本も記事を更新しつづけているわけです。  「お金のため」といえばそうなのだけれど、やっぱり基本的には「暇つぶし」、「退屈しのぎ」というほうが近い。  もし書くことを「だるい」と思っていたら、これほど更新したりしないでしょう。  ぼくはふしぎと書くことについては一切「だるい」とは思わないのですよね。  へたすると1日10000文字とかをテーマに沿って書いているわけですけれど、それでも全然飽きないし、書き足りないくらいに感じる。  やっぱり書くことが好きなのだと思います。それが少額とはいえお金につながっているわけだからもう文句なしですよね。  つまりはぼくはやっぱりダメ道においても悟り切れない凡人でしかなく、Phaさんの遠い背中を見てはため息を吐くばかりです。  でも、 

オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな、このはてしなく遠いダメ人間坂をよ。

寝ころんでアニメを見る簡単なお仕事が楽すぎてどうしよう。

 どうも、ちょっとだけ暇じゃなくなってきた海燕です。  さすがに1日4本とか5本も記事を書いていると、かなり暇がつぶせますね。  いや、執筆にかかっている時間は合わせて2、3時間というところなのだけれど、記事を書くためにはインプットも必要なわけで、アニメを見たり漫画を読んだり本をめくったりと、かなり暇つぶしができます。  それでもまだ時間が余るけれどね。  ほんとうのところ、記事なんてただ書くだけならまったく苦労はないんですよ。  書くだけなら1日10本だって楽に書けるけれど、ただ書くだけではダメなわけですからね。  読んで面白いものを書く必要があるので、それはやっぱりわりと大変だったりする。  おまけに毎日まじめに更新するとなると、休日らしい日もなくなりますしね。  ただ、べ、べつに休日なんていらないんだからねっ!と思っているわけではまったくないものの、休みはなくても特に気にならないことはたしかです。  見方を変えるなら365日毎日休みですからね。これでさらにはっきりした休日が欲しいなどといったらばちがあたるでしょう。  どうしても休みたくなったらかってに休めばいいわけだし。  そういうわけで、きょうもきょうとて更新します。  読者の皆さんのなかには、プロブロガーなんて楽な仕事だと思い込んでいる方もいらっしゃるかもしれませんね。  じっさいのところどうなのかというと、とても楽です(笑)。  大変なんていっても、たかが知れているという気がする。  こんなに楽な作業でお金をもらっていいのかと思うくらい。  いやー、ぼくの人生これでいいのだろうか。  まあ、ほかのことは何もできないからこれをやるしかないのだけれど、それにしても人生サボっている感がパない。  たぶん、いまのクオリティを保ったままで倍の記事を書けといわれたらそこそこ辛くなるかもしれないけれど、これくらいの量ならまったくどうってことはありません。  だったらいままでサボっていたのはなんだったといわれるかもしれませんが、どんな楽な作業でもやる気がないとできないということなのですよ。  サボっている間にだいぶ会員が減ったので、とりあえずそれを元に戻さなくては、と思っています。がんばるぞー。おー。  それにしても、 

寝ころんでアニメを見る簡単なお仕事が楽すぎてどうしよう。

毎日を遊んで暮らすことには才能がいる。

 Phaさんの新刊『しないことリスト』を購入しました。  「どうしてもこれをやらなければならない」という思い込みに縛られている現代社会に対し、「やらなくていいこと」のリストを作ることでの脱出を目指そうとする一冊です。  書かれていることはいままでの本とほとんど変わりありませんが、一貫性があるといういい方もできるでしょう。  全編、「怠け者の哲学」ともいうべき独特の思想が通底していて、とても面白い。  ぼく自身は日々、懶惰な人生を送っているわけですが、忙しくしている人は読んでみるといいかもしれません。何か気づきがあるかも。  あまりに世界が違い過ぎてなんの参考にもならないという可能性もありますが……。  ニートを自称するPhaさんはいわば「怠惰の達人」です。  忙しく働いている人からすればその生き方はただ怠けているだけに見えるかもしれませんが、じっさい本人が幸せそうなのだから傍から文句をいうような問題ではないでしょう。  ぼくから見ると、すごいなー、偉いなーと感嘆するばかりで、ぼくもこういうふうになりたいな、と思わせられるものがあります。  ぼくが実在の人物をそういうふうに評することはめったにないのですけれどね。  しかし、あまりに達人すぎて、凡人であるところのぼくにはとても真似できそうにないということもほんとうです。  Phaさんはいま、執筆などで年間100万円ほどの収入を得るほかは一切働いていないそうです。  それで暮らしていけるものなのかと驚きますが、つつましやかな生活をしていれば特に困ることもないようですね。  ぼくも同じくこのブログを更新するほかはほとんど働いていない身の上ですが、ぼくのほうはいまの自分に不満があるのですよねー。  というのも、ぼくは退屈に耐えられないのです。  仕事をしていないと、家族以外の人と逢ったり話したりすることもほとんどないので、どうしても日常が退屈になって来る。それが辛い。  ひきこもりの辛さですね。  普段から忙しい人からすればそんなものは辛さのうちに入らないというかもしれませんが、いや、じっさい、ほとんどやることもなくただ日々をむなしく過ごすというのも辛いのですよ。  アニメ見たり漫画読んだりここを更新したりする作業そのものはまったく大変じゃないし、むしろ楽すぎてどうなのだと思うくらいなのだけれど、日常の灰色さは真剣に辛い。  「やらなければならないこと」がいくつかあったほうがよほど楽だろうと思う。 

毎日を遊んで暮らすことには才能がいる。

電子書籍『弱いなら弱いままで』を執筆しています。

 ども。暇を持て余すこと幾千日目の海燕です。  いやー、ニート飽きるわー。マジ飽きるわー。  1日にやるべきことといえばせいぜいブログを更新することくらいですから、とにかく時間が余る。余って余ってどうしようもなくなる。  そんなに暇を持て余しているなら、溜まっている本やアニメやゲームを一気に消化すればよさそうなものですが、そういうわけもいかない。  人間、いくら時間が余っているからって1日10時間もアニメを見たり漫画を読んだりことはできないものなのです。  そういうわけでどうにも暇で仕方がないので仕事をすることにしました。  といってもぼくに依頼をしてくれる奇特な人もいないので、かってに原稿を書いて電子書籍で出すことに決めた。  タイトルは『弱いなら弱いままで きっと主役にはなれないぼくたちのためのエンターテインメント論』になるんじゃないかと。  同人誌『BREAK/THROUGH』、『戦場感覚』に続く内容になります。  といっても、この2冊のようにむやみと読みづらい本にはならないと思います。  このブログと同じくらい読みやすく、また気楽に読め、それでいて心に響く、そういう内容を目指したいものです。  ボリューム的にはだいたい文庫本1冊ほど、10万字程度になるのではないでしょうか。  このブログで書いた内容も多く含まれることになるでしょうが、よければ読んでいただければ幸いです。  まあ、いつになったら出るのかはわかりませんが。来月か再来月あたりには出せるんじゃないかなあ。  同人誌と違ってコミケに合わせたりする必要がないぶん気が楽ですね。  いや、たぶんまったく売れないだろうし、儲からないだろうとは思うけれど、出して損はないからね。  とりあえず執筆作業は暇つぶしくらいにはなるはず。  また、そろそろいままで書いてきたことをまとめておく必要も感じているのですね。  この本にはいくつかのキーワードがありますが、それらはすべてこのブログで語ってきたことです。  扱われる作品もこのブログでおなじみのものになるでしょう。  そういう意味では案外読む意味はなかったりするかもしれませんが、買ってくれるとぼくの生活が楽になるので感謝します。  ほらほら、まとめて読むと案外面白いかもしれないし。当然、全編書き下ろしだし?   いや、ほんと、いつ出るのか、ほんとうに出るのか、さだかではないのですけれどね……。  でも、 

電子書籍『弱いなら弱いままで』を執筆しています。

無職を楽しむには条件がある。

 きのう、大人の日常系作品では「仕事」が重要なポジションを占めるよね、と書いたのですが、よく考えなくても当然、無職の主人公を描いた作品もありますよね。  その手の作品は必然的にどこか重くならざるを得ないのかな、と思い、参考までに『働かないふたり』を読んでみました。  うん、全然重くないですね。あくまで軽いコメディとして楽しく読める。  ただ、リアルニートの身の上からすると非常に身に詰まされる話で、ほんとうに楽しく読んでいていいのかな、と疑問に思ったりします。  あるニートの兄妹が主役の楽しい日常ものなのだけれど、このまま行くといつかは破綻する生活だよなあと思えて来るところが微妙に辛いです。  もちろん、そういうことは考えないで単なる日常ものとして読むこともできるのだけれど、いや、どうしても考えてしまうよなあ。  まあ、ぼく自身がこの兄妹と変わらないごくつぶしの生活を送っているわけなので、ことさらに非難しようとはまったく思いませんが、先の見えない人生にはどうしたってある種の緊張感がただようもの。  『のんのんびより』を読むのと同じ感覚で読むのは無理でしょう。  いや、『のんのんびより』だって未来は閉ざされているかもしれないけれど……。  そうですね、たとえば『妹さえいればいい。』や『エロマンガ先生』にしたところで、主人公は作家という不安定な職業です。  あすをもしれぬ、とまではいかなくても、決して明るい未来が保証されているわけではない。  こうしてみると、案外、不安定な境遇こそがいまの楽園性を強化しているのかもしれません。  ある種の逃避には違いありませんが、将来が不安であればあるほど、いまは輝きを増したりするのかも。  いまの時代、日本全体が未来が見えない状況にあるわけで、将来の幸せまで確実に見えている人は少数派でしょう。  となれば、未来が見えないにもかかわらずいまの日常を楽しむ姿にこそ、リアリティがあるのかなあ、とも思います。  とはいえ、完全に社会と隔絶したひきこもり生活はどう想像してもあまり楽しいものにはなりそうにありません。  だから、どこかで社会との接点を持つ必要がある。  この場合は、 

無職を楽しむには条件がある。

退屈は人類最後の課題だ。

 先日教わった『地龍のダンジョン奮闘記!』というなろう小説がなかなか面白くて、読み耽っている。  タイトルだけ見ると異世界ファンタジーのようだが、じっさいには地龍に転生した主人公ができるだけ居心地のいいダンジョンを作ろうとするいわゆるスローライフもの。  最強の地龍に生まれ変わったくせに、徹底してニートな主人公の発想が心地よく、なかなか読んでいて楽しい。  ストーリーが一挙に動き出してからは面白くなるのかどうか微妙だけれど、何しろストレスがなく気楽なのですらすら読み進めてしまう。  考えてみればわざわざ異世界に転生してまでなぜスローライフを送らなければならないのだとも思えるが、現実世界の現実的な条件に縛られないあたりがこのジャンルの人気の理由だろう。  異世界ものではないが、『妹さえいればいい。』とか『エロマンガ先生』あたりも似たようなところに面白さの根幹があると思う。  多くの人が、派手な冒険や過酷な成長よりも、まったりとした成熟した日常にあこがれを抱くようになっているのかもしれない。  もちろん、その一方で冒険活劇はしっかりと生き残っているのだが。  ところで、ぼく自身もまずスローライフといっていい暮らしを送っている。  このブログそのほかでいくらかの収入を得て、毎日だらだらと暮らしているわけだ。  1日1回ジムに通うほかは、いくら寝ていてもだれにも怒られない。生きたいように生きられる。  自由で快適なひきこもりライフ。  しかし、この至福とも思える生活は、ひとが思うほど良いものではないともいえる。  なんといっても、退屈なのだ!  孤独はSkypeで話すなどして晴らすことができるが、退屈はまさにいかんともしがたい。  読書とか映画とかテレビゲームとか、そういう内向的な趣味には限界がある。  いくら面白くても自分のなかに情報を詰め込むだけでは飽きて来るのだ。  たぶん、行動することが必要なのだと思う。  前の記事で書いたように、くだらないことでもコミットしてみるのだ。  そうして本気になってバカをやって汗をかくことで、人生のむなしさを乗り越える。それしかない。  しかし、現実に地方都市でひとりひきこもりをやっているだけだと、できることは限られているのも事実。  ぼくはつまり「生きがい」が欲しいのだが、そんなもの、そこかしこに落ちているわけがない。  働きに出かけるか? しかし、いま現在、特にお金に不自由しているわけではないし、時給650円でバイトしたって、辛い思いをするだけでいいことはないと思う。  そういうわけで、悩むところなのだ。  この退屈という魔物を打ち倒すことができれば、ぼくのスローライフは理想的だといえそうなのだが……。  いったいどうすればいいだろう?  ぼくは本のなかに答えを探してみた。  何冊かの本は、プアでフリーでスローな人生こそが素晴らしいのだと示唆しているように思えた。  たとえば、こんな本たちである。 

退屈は人類最後の課題だ。

どんなに恵まれていても、ひとは飽きる。

 「いばや通信」のこの記事が非常に面白かった。 http://ibaya.hatenablog.com/entries/2015/06/29  ここで坂爪さんは「漁師とコンサルタント」という有名な寓話を取り出してこう書いている。 坂爪「これさ、俺は『半分同意、半分違和感』って言うのが正直な感想で、半分の同意は『そう言う生活を既に手に入れている漁師は非常に豊か!』ということで、根本的に、自分で自分の人生は最高だと思っている人は、その時点で(他の人間がとやかく言うものじゃないし)勝ち組だと思っているのね」 みっつ「はい」 坂爪「でね、半分の違和感は自分自身に対してなんだけど、『幸せな日々に飽きることはないのかな?』っていうことなの。毎日シエスタをして、自然を楽しみ、仲の良い人達とのんびり過ごす時間は絶対に豊かだと思うけど、もしも自分だったら『絶対にもぞもぞしてくるだろ!』って思うのね」 みっつ「はい」 坂爪「男の子的なもぞもぞ感、とでも言いましょうか。確かに幸せなんだけど、幸せなだけじゃ足りないんだよ。毎日同じことをしていたら必ず飽きるし、『新しい何か』をしてみたくなると思うんだよ。世界にはまだ俺の知らない面白い場所があるはずだ!って、俺は絶対に思っちゃう気がするんだよ」  まさにいまのぼくのことだな、と思う。  家はあるし、そこそこの収入もあるし、友人はたくさんいるし、娯楽もたくさんあるし、とても幸せなのだけれど、同時に「やることがない」という退屈さの地獄に閉じ込められた感がある。それがぼく。  もちろん、あまりに忙しいとそれはそれで苦しいことになるのだが、暇すぎることも楽ではないんだよね。  まあ、真面目に働いている人たちからすれば何をほざいているんだと思う悩みかもしれないが、しかし、この問題、リンク先で坂爪さんが書いている通り、本質的なものだとも思う。  「幸せなだけじゃ足りない」。  たとえ贅沢といわれようと、それはほんとうのことなのだ。ひとは幸福なだけでは生きていけないのである。  じっさい、ポジティブ心理学の本などを読むと、宝くじがあたった人の幸福度は予想されるほど高くないらしいということが書かれている。  その反対に、事故などに遭って障害を負った人の幸福度も意外に低くないようだ。  もちろん宝くじがあたった瞬間は嬉しいだろうし、怪我を負った瞬間は嘆くことだろうが、それらは長くは続かない。  ひとは幸運であれ、不運であれ、あっというまに慣れてしまう。そういう事実があるのである。  だから、ひとは「幸福」にも慣れるし、飽きてしまう。  子供の頃は「学校に行かずに漫画だけ読んで暮らせたらどんなにいいだろう」と思ったものだが、じっさいにそういう暮らしをできる身の上になってみると、やはり飽きるのである。退屈するのだ。  ニートをしていると、どうしてもこの問題に対する答えを出すことを求められる。  ニートブロガーのPhaさんは、一箇所に常住するのが良くないと考えて、他拠点生活をすることにしたようだ。  それが正解なのかはどうかはぼくにはわからないが、とにかく常に新しいことをしていないと退屈するというのが人間のさがであるらしい。  これは非常にむずかしい問題である。なぜなら、この問題に対しある対策を見つけ出して実行したとしても、それがあたりまえになるとやはり慣れ、飽きてしまうからだ。  この退屈という名の地獄に耐えることができる、あるいはそもそも退屈さを感じない能力が、即ち「無職の才能」なのだろう。  しかし、だれもがその種の才能に恵まれているわけではないし、坂爪さんのように大人気ブログの管理人になれるわけでもない。  それでは、どうすればいいのか? 

どんなに恵まれていても、ひとは飽きる。

ひきこもりに居場所はない。だから自分で作るしかないということ。

 ども。『スプラトゥーン』と『ゼルダの伝説 風のタクト』を買おうかどうか迷っている海燕です。  さすがに未クリアのソフトを増やしすぎるのもどうかと思うんだけれど。うーん。  さて、日々、リアルライフを神ゲーにしたいと願っているぼくですが、じっさいにはそれとは程遠い生活を送っております。  いや、楽は楽なんですけれどね。働かなくても一定の収入は入って来るし、一日中寝転んでいても文句をいう人はいないし、ある意味でこれほど気楽な人生はないといえそうですが――でも、退屈。  星里もちるの漫画『本気のしるし』のなかに、すべてを失って無為に暮らす主人公が、公園のベンチか何かの上に座って「この退屈だけは耐えられない」と呟くシーンがありましたが、いまのぼくはその気持ちがしみじみとわかります。  やっぱりひとは無為には耐えられない生き物なのです。  何かを積み上げている実感、つまり「生きがい」がないと、生きていけないのが普通だと思う。  もちろん、積み上げることにどれほどの意味があるかといえば、何もないのかもしれない。  しかし、それでもひとは何かが積み上がっていくことそのものに喜びを感じるのではないでしょうか。  ひとはいくら頑張っても何も積み上がっていかない状況に長くいると、ついには狂ってしまいます。  そういうわけで、人生を神ゲーにするためには「努力の成果が積み上がっていく実感」がほしいところなのですが、そこでいったい何をしたらいいものやら途方に暮れてしまいます。  できれば、書くことで何か実りを得たいのだけれど、まあ、むずかしいよね。さりとて、ほかに何ができるわけでなし。  安定してはいるが退屈な生活という牢獄に閉じ込められて、この先、何をしたら良いものやら、悩み、迷うところです。  しばらく前にぼくは「自分自身を主人公にした自分のライフストーリーを生きて行きたい」というようなことを書きました。  これは、他人の物語を受動的に読んだり見たりしつづけることに限界を感じたことから出た発言です。  つまり、ぼくはやはり他人の物語を読んだり見たりするだけでは満足できないと気づかざるを得なかったのですね。  どうしても自分の人生を充実させなければ他人の物語を楽しむこともまたできないのだということです。  いま、 

ひきこもりに居場所はない。だから自分で作るしかないということ。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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