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かよわさ、儚さ、脆さ、いじらしさ、健気さ、清潔感、透明感――フラジャイルでピティな感覚に惹かれる。
2015-06-09 03:2751pt
きょうは前回の記事の続きを書く予定だったのですが、そこを変更して思いつき記事をお送りします。
まだ全然煮詰まっていない生煮えのアイディアなのですが、LINEで話していたら個人的に盛り上がってきたのでそのままメモしておこうかと。
どういえばいいのか、ぼくが昔から好きなある「感性」、あるいは「表現の傾向」の話なのですが。
うーん、これでは漠然としていますね。
ぼくは昔からずっと「ある種の作品」や「キャラクター」が好きなのですが、具体的にそれをどう表現したらいいのかわからずにいました。
いまでもわからないのだけれど、最近、時代がずいぶんぼく好みの方向に進展していると思うのです。
それで目につくところで起こっている現象をメモしておこうというわけです。
どこから話したらいいのか――そう、まずは「Future Bass」という音楽ジャンルについて話したいと思います。
「Future Bass」とはどんな音楽なのか? 実はよくわかりません(笑)。
この記事(http://www.edmbanana.com/entry/future-bass)によると、「キラキラ系かわいい感じのテイストや、ゴージャスなシンセが特徴で、ときにはゲームサウンドっぽいものが入ったりするElectronic Music」ということのようです。
じっさいにどんな音楽なのかは、リンク先に飛んで聴いてみてください。ちょっと新しい感じがするものを聴けると思います。
具体的にどのくらい影響を与えあっているのかちょっとぼくにはわかりませんが、ボカロなんかを聴き慣れている人にとっては耳障りのいい音なのではないでしょうか。
ボカロのあの現実から浮遊した感じ、生々しさがない感じが共通しているかな、と。
上記したように具体的にどういうジャンルなのかもよくわからない音楽なのですが、Youtubeなんかで続けて聴いていると、ぼくは非常に自分の好みに合うものを感じます。
そうそう、これこれ、こういうのが好きなんだよね、という感じ。
この、音の「軽さ」みたいなものにぼくは非常に惹かれるわけです。
ぼくがアニメを好きなのも、結局はその「軽さ」が好きなのだと思う。
ここでいう「軽さ」とは、「生々しさ」の対局にある概念だと理解してほしいところです。
ちょっとチープな、リアリティのない、ニセモノっぽい、なめらかでプラスティックめいた感じ、といえばわかってもらえるでしょうか。
アニメのキャラクターが持っているその非現実感が好きなのです。
とても綺麗で花やかだけれど、現実的から何センチか浮遊している感じ。
最近、ぼくはゲームをプレイするようになったのですが、欧米のゲーム企業が作る大作はいずれも大金を投じてリアリティを突き詰めているように思えます。
息を呑むような生々しさ、まるで現実であるかのような実在感。それはそれですごいものではあるのですが、ぼくはそういう方向性にあまり興味がないのですね。
ぼくはやっぱり非実在の存在であることをそのままに主張しているキャラクターが好きなのだと思います。
これはぼくだけではなく、日本で生まれ育ち、かつては「オタク」と呼ばれていた人たちにはある程度共通する感性なのではないでしょうか。
アニメキャラクターが持つ「過剰なまでの清潔さ」をこそ愛するセンス。
そして、ぼくがその「リアリティから浮遊するほどのクリーンさ」と合わせて重視しているのは「フラジャイル」の感覚です。
「壊れやすい」を意味する英語ですが、そこには「儚い、脆い、かよわい、虚ろな」というイメージが重なります。
この「軽さ」と「壊れやすさ」を併せ持つ表現がぼくは好きでならないのです。
つまり、「非現実的なほどに清潔で、儚く、かよわく、壊れやすい」ものを愛でる感覚。
わかってもらえるでしょうか?
おそらく -
あなたがハマっている趣味の面白さを教えてください!
2015-05-28 12:2851pt
ふたつ前の記事でふれたPhaさんの新刊『持たない幸福論』を読み終わった。
くわしい感想はのちほど書くとして、個人的に参考になったのが「お金をかけずに時間をつぶす方法」のところ。
ほぼ、ぼくと同じ結論なので、やっぱりそうだよなあとひとりうなずいた。
たとえば、将棋。
ぼくはまったく将棋をたしなまない人なのだが、一定の興味はあって、いつか覚えてみたいなあと思っている。
もっとも、もう30年近くそう考えているので、このまま一生、覚えずに終わるかもしれないが、とにかくローコストで楽しく過ごすために将棋(や囲碁やチェス)はとてもいい方法だと思うのである。
ほかには、競馬とかサッカーとかアイドルなどが思い浮かぶ。
いずれもハマったら奥深そうで、それなりに資金もかかりそうだが、テレビやネットで観ている分にはほとんどお金はかからない趣味である。
これだけではインドアに偏りすぎているので、フットサルとかハイキングとか山登りを付け加えてもいいだろう。
いまの世の中、ほとんどお金がかからない娯楽があふれていて、ぼくのような貧乏人でも、趣味でお金を使いすぎることは心配しなくていい。
娯楽を供給する側から見れば大変かもしれないが、消費する側としては実にいい時代だ。極楽極楽。
しかし、いくら口先でそういっていも、じっさいには新しい趣味を始めることはわりに大変である。
ぼくが「将棋を覚えたいなあ」と考えてから30年間、ほぼなんの行動も起こしていないことからもそのことはわかる。
どんな趣味でも始めようと思ったらそれなりのハードルを乗り越えないといけないわけだ。
そのとき、最も良いのは既にその趣味に習熟しているだれかから手ほどきしてもらうことだろう。
たとえば、将棋を始めるときにも、ある程度くわしい人から教えてもらうと、入門のハードルがかなり下がると思う。
また、その趣味にくわしい人にしても、自分と同じ興味を持つ人が増えることは嬉しいから、嬉々として教えてくれたりするものだ。
こうして需要と供給がマッチすれば、教える側も教わる側も幸福になる――理屈では、そうなるはず。
ところが、これが必ずしも上手くいかないんだよなあ。
自分が好きなものの魅力を、それについてくわしくしらない人に教えることは、案外むずかしいものだ。
『3月のライオン』に主人公がしりあいの女の子に将棋の面白さを教えようとして失敗するエピソードがあったが、どのジャンルでもそういうことはしばしばくり返されているのだと思う。
これがねえ、どうにかならないものかといつも思うんだよね。
趣味を媒介にした教導関係がうまくいかないのは、教える側が「なぜか偉そう」とか、「初心者の気持ちがまったくわかっていない」とか、「いきなりマニアックなところから教えてしまう」とかだったりするあたりに主な問題点があると思うのだが、これらを解決するノウハウを蓄積することはできないのだろうかと思うわけなのですよ。
たとえば、将棋初心者が気楽に入門できて、その奥深さの一端をしるところまでサポートしてくれるサイトがあるととても嬉しい。
いや、わかっている、もちろんそういうサイトはたくさんあるだろう。
また、入門書などもたくさん出ていることと思う。
しかし、その最も丁寧なものすら、初心者以前のぼくから見ると敷居が高い。
さすがにコマの動かし方を覚えるくらいまでは行くんだけれど、そこから先へ進むことがどうにもできず、挑戦と挫折をくり返してしまうわけなのだ。
べつだん、将棋に限らない、たとえばアイドル歌手なんかも興味はあるのだけれど手を出しづらいジャンルだ。
お前が軟弱すぎるだけじゃないかといわれればその通りだけれど、ぼくのような人種はどのジャンルでも大量にいると思うのである。
そういう「新人」をどうやってその趣味に招き入れるかによって業界自体の栄枯盛衰が決まってくると思うのだけれどどうだろう。
ぼくとしては「一見してわかりやすいもの」だけに人々の興味が集まるのは面白くない、「わかりづらいけれどなれると超面白いもの」も広まっていってほしいと思うから、わりと切実な話なのである。どうしたものやら。
というわけで、何かぼくに新しい趣味を教えてやろうという方がいらっしゃいましたらコメント欄やTwitterに書き込んでください(笑)。
たとえば、野球観戦の面白さについて教えてくださると、ぼくとしては興味津々、聞き入ることと思います。
野球の面白さはまったくわからないわけではありませんが(野球漫画たくさん読んでいるし)、どこを注目して見ると面白いのかはいまひとつよくわかっていないんですよね……。
もちろん、野球やサッカーではなく、フィギュアスケートでも、BL小説でも、YouTubeでも、競艇でも、陶芸でも、パン作りでもかまいません。あなたがハマっている趣味についてぼくに教えてほしいのです。
まあ、コメント欄でのやり取りには限界がありますから、さらにくわしいことはFacebookなりLINEあたりで教えていただけると助かりますが……。
「教わる」ことを通じて、その趣味で初心者がどう挫折するのかあきらかにできたらなあ、などと考えています。
あと、『スプラトゥーン』をプレイする予定の(あるいは、既にプレイしている)人がいたら教えてください。ぜひいっしょに遊びましょう。
いや、ぼくはこれから買う予定なんですけれどね。
人生は楽しみに満ちているなあ。ひきこもり生活も退屈する心配はないようです。
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