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  • SPIKEを使って無料で同人誌を「セルフクラウドファンディング」してみる。

    2014-07-31 07:56  
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     話題のクレジットカード決済サービス付きSNS「note」を使って同人誌のクラウドファンディング的な行為を試みている方がいますね。
    https://note.mu/nanaoku/n/n5a2e15feee2f
     この方の同人誌そのものにはぼくは興味がないのですが(批判しているわけではなくほんとうにただよく知らないだけです。念のため)、このアイディアは素晴らしいと思いました。
     たしかにこの種の決済サービスを使うと、個人でクラウドファンディングができてしまうわけですね。各種クラウドファンディングサービスいみねーな!って感じです。
     ただ、「note」はそうは云っても10%の手数料がかかるわけで、同じことをやるなら手数料0%という素晴らしい決済サービス「SPIKE」を使用するほうが効率的かも。
     これなら利用者が支払ったお金は100%提案者に入るわけで、お金を払うほうもモチベーションが高くなるんじゃないでしょうか。まさにクラウドファンディングの中抜き。
     いやあ、とにかく素晴らしいアイディアだと思います。ぼくの場合、今回に限れば予算的に印刷代が払えないわけではないので、特にクラウドファンディングに頼る意味はないのだけれど、でも面白そう。やってみたい……!
     というか、やってみよう。すでにあちこちでちょこちょこと情報を出していますが、ぼくは夏のコミックマーケットにサークル「残念教養講座」で参加します。『Fate/stay night』の二次創作小説同人誌になります。西館せ04aでお待ちしております。
     この本で、「セルフクラウドファンディング」を試してみようかと。問題はクラウドファンディングの花である「特典」をどうするかという話ですよね。今回は以下のようなものを考えてみました。
     まず、
    1.純粋なカンパ。(作者の愛と感謝以外の特典なし。締め切りなし)――500円。
    https://spike.cc/p/bRZpHDK9
    2.夏コミ後、本編の電子版、EPUB及びテキストをダウンロードサイトを利用し配布。(締め切り8月14日)――1000円。
    https://spike.cc/p/en74oaDg
     それから、「同人誌の取り置き+α」の系統がこちら。なお、取り置きをご希望の方は当日、SPIKEで支払いが済んだあとの画面を印刷して持ってきてもらえると受け取りがスムーズになります(必須ではありません)。ケータイのカメラで取ってもいいかも。
     また、当方での確認のため、取り置きだけでも住所氏名の入力は必須とさせていただきます。名前掲載希望の方には当方からどの名前での掲載を希望するのか確認させていただきます。
    3.夏コミでの同人誌の取り置き。(当日は無料で本が入手可能。締め切り8月14日)――1000円。
    https://spike.cc/p/GkzzUi1e
    4.上記に加え、夏コミ後、本編の電子版、EPUB及びテキストをダウンロードサイトを利用し配布。(締め切り8月14日)――1500円。
    https://spike.cc/p/8pTW9WVB
    5.上記に加え、夏コミ後、非公開の18禁短編小説の電子書籍をダウンロードサイトを利用し配布。(締め切り8月14日)――1800円。
    https://spike.cc/p/iEO7jOAa
    6.上記に加え、作者のサイン色紙を添付。(締め切り8月14日)――2000円。
    https://spike.cc/p/INMIoc22
    7.上記に加え、同人誌にスペシャルサンクスとして名前を記載。(締め切り8月3日)――2500円。
    https://spike.cc/p/FynlCuWO
     さらに、「同人誌の通販予約」の系統がこちら。「同人誌の取り置き+α」より送料&手数分300円が高いだけです。
    8.夏コミ後、指定住所に同人誌を発送。つまり通信販売の予約。送料込み。(締め切り8月14日)――1300円。
    https://spike.cc/p/CcgYAjid
    9.上記に加え、夏コミ後、電子版、EPUB及びテキストをダウンロードサイトを利用し配布。(締め切り8月14日)――1800円。
    https://spike.cc/p/gd4H8Omk
    10.上記に加え、夏コミ後、非公開の18禁短編小説ををダウンロードサイトを利用し配布。(締め切り8月14日)――2100円。
    https://spike.cc/p/B9gJwUPK
    11.上記に加え、作者のサイン色紙を送付。(締め切り8月14日)――2300円。
    https://spike.cc/p/nmr6lfed
    12.上記に加え、同人誌にスペシャルサンクスとして名前を記載(締め切り8月3日)。――2800円。
    https://spike.cc/p/Sz59WUet
     そして、もうひとつ。
    13.夏コミ後(8月17日)の打ち上げに参加していっしょにさわぎ、ついでに冬コミ販売予定の次回作について色々話をする権利。当日飲食無料。(締め切り8月10日)――10000円。
    https://spike.cc/p/XwlQQLge
     この項目は同人誌の取り置き、通販予約とは独立しているので、注意してください。打ち上げにも参加したくて同人誌もほしいひとは両方注文してください。
     また、上記全商品は締め切りが過ぎると購入できなくなります。さらに念のため書いておくと、上記の手段を利用しなくても、当日サークルスペースへ来れば本は買えます。あたりまえですが。以上、ご了承ください。
     いかがでしょ? これくらいの値段なら「あり」なのでわ。「なし」だと思ったら利用しなければいいんだしね。
     ただし、「同人誌にスペシャルサンクスとして名前を記載。」という項目があることからもわかる通り、実はこの同人誌、まだ入稿していません。
     まあ、原稿はすでに上がっているので、98%くらい大丈夫だとは思うけれど、何らかのミスが重なりに重なって印刷が夏コミに間に合わない可能性も微レ存であることはご了承ください。
     万が一、本を落としてしまった場合は当然、振り込みいただいた金額は返金いたします。その場合はあらためて銀行口座をご連絡いただき、そちらに振り込ませていただくという形になると思います。いやほんと、大丈夫だとは思うのですが……。
     あと、特典のひとつである「18禁短編小説」のメインキャラクターはセイバーか凛(あるいはその両方)になると思うのですが、具体的な内容はまだ決まっていません。
     ただし、当然、本編に関連した内容となるでしょう。微妙に百合とか陵辱とか入っているものになる可能性もあるので、そこらへんはご了承いただければと(めっちゃラブラブなものになる可能性ももちろんあるけれど)。
     それから、同人誌にスペシャルサンクスとして名前を載せる権利を含む特典の販売は来月3日までを締め切りとさせていただきます。それ以降だと、本を入稿してしまうので、物理的に載せることができません。
     同人誌の内容の詳細な宣伝はもう少しあとにさせてください。「本の具体的な中味がわからんのにカネが払えるか」と思われるかもしれませんが、そう思われる方はあと数日待っていただければ。
     ちなみにタイトルは『Fate/Bloody rounds(1)円卓戦役開幕』です。そうなんです。シリーズものなんです。次のコミケに続くんです。ごめんよ。でも、中味は面白いはず。信じられないというひとのために、本編から序章を引用しておきます。

     序章「カムランの戦い」
     この世の地獄がひろがっている。
     ひと目でもその景色を目にした者は、だれもが声を失い唖然とするに違いない。決してこの地上にあってはならないような死と絶望の光景であった。
     この季節、新緑に包まれているはずのその丘は、しかしいま、見わたすかぎり落日と人血の色に染めあげられていた。あたりには幾本もの剣や矢が突き刺さり、数しれない騎士の亡骸が苦痛に歪んだ顔で斃れている。ある者は深々と槍で刺され、またある者は頭蓋をまっぷたつに割られていた。内臓を抉られ、自分の血に溺れて死んだ様子の者もいれば、何本もの剣で貫かれ落命している人物もある。ひとつとして正視に耐える骸はなかった。
     あきらかに壮絶な激戦の跡である。いったいどんな深い憎しみ、あるいはどれほど気高い理想が、このような惨劇をひき起こしたのか。だれかに訊ねてみようにも、生きて動く者は見あたらなかった。双方合わせ何万という騎士たちが、ひとりのこらず死に絶えていたのである。
     いや――ただひとり、屍体の山のなかから立ち上がる者があった。
     返り血に朱々とぬれた銀の鎧をまとった騎士である。兜をどこへやってしまったのか、秀麗な素顔がそのまま風に晒されている。背後で束ねた髪は金、瞳は高空の青。まさに地獄に舞い降りた天使かと見紛う美貌の少年だ。かれだけがこの戦場のただひとりの生きのこりだった。それでは、かれは己の幸運に感謝し、この場から逃げ去るつもりだろうか。いや、その少年は何と、重い肉体をひきずりつつ、さらなる戦いを求めようとしていた。
    「どこだ、どこにいる、モードレッド。アーサーはここだぞ!」
     少年――後世、伝説に唄われる騎士王アーサー・ペンドラゴンは、このカムランの戦場を、宿敵を求めさまよいはじめた。
     モードレッド。
     その男こそは、かれをこの泥沼の会戦にひきずり込んだ怨敵である。彼奴の首を獲らないうちは、戦いに幕をひくことはできぬ。いま、アーサーは敵の首級を求める幽鬼そのものと化していた。
     ただ、それでもまだいくらか味方を思う心はのこっていたらしい。かれは死骸の森の顔をひとつ、またひとつとたしかめながら、忠臣たちの名を呼んでいった。
    「トリスタン!」
     死の丘に王の声がむなしくひびく。
    「ガレス! ガラハッド! ガウェイン! パルシファル! ベディヴィエール! だれかいないのか! だれでもいい。だれか――いないのか」
     しかし、その悲痛な呼び声に応える者はいない。アーサーの声は広大な戦場にとどろいたが、ただ痛いような静寂と、屍肉を求める黒鴉の啼き声が返ってくるばかりだった。やがてかれは黙り込んだ。もはやこの地に生存者がいないことを悟ったのである。
     あるいは、熱心に探せばまだひとりふたり生きのこっているかもしれぬ。しかし、それよりも宿敵を探し出し、永遠に禍根を断つことのほうが優先されるべきであった。かれはそのためにこそ敵味方数万の人々を死なせたのだから。アーサーはいつもそのように冷酷に目的を優先させてきた人物だった。
     そうして、どれほど歩きまわったことだろう。ときに臭いが鼻をつく血溜まりを越え、ときに痛ましい死骸を避け、戦場を放浪していたアーサーは、ついに、剣を杖に立ち尽くすひとつの影を見つけ出した。
     燃えるような赤い髪と鋭くひかる翠緑の瞳、アーサーその人に劣らない美貌の貴公子。血にぬれてなお美しいその男こそは、かれが信じ、愛し、そしてその信頼と愛情を踏みにじられた相手であった。はたして、かれの宿敵はこの死のカムランでなお生きていたのである。
    「モードレッド!」
     もし傍らで眺めている者があれば、アーサーの全身から蒼白い焔が立ちのぼるようすを幻視したかもしれぬ。それほどの怒気が王の肉体を包み込んだ。
     キャメロットの貴公子モードレッド。
     アーサーが国を離れる折り摂政に任じたこの男は、その機に乗じて叛乱を起こし、並外れた政治力を発揮して諸国の軍を集めると、ここカムランの地でアーサーの騎士団と激突したのである。つまり、この男のために偉大なブリテン国は亡び、壮麗なキャメロット城は潰え、栄光の円卓騎士団は壊滅したのだった。
     この男だけは赦せぬ。
     非情の王といわれたアーサーが激情に流されることがあるとすれば、いまがその時だった。
    「ほう、生きていたか、アーサー」
     モードレッドもアーサーの姿に気づいたようだった。叛逆の貴公子は、ほかの者なら畏れ入って赦しを乞うであろう王の怒気をせせら笑った。
    「久しいな。どうやらこの戦場で生きのこったのはおれと貴様だけか。こんなことなら初めからふたりで斬り合うのであった。あたら勇者どもを無駄死にさせることになったな」
    「モードレッド、貴様――」
    「怒っているのか、アーサー。しかし、おれに怒るのは筋違いだろう。すべては貴様故に起こった惨劇だ。貴様がおれに摂政を任せたためにこのようなことになった。滑稽だな、アーサー。貴様は信じるべきでないものだけを信じる。あのランスロットとグィネヴィアのように」
    「云うな!」
     アーサーは怒号とともに佩剣を抜き斬りかかった。かれは屈強な円卓騎士たちを束ね、このカムランの殲滅戦を生きのびるだけの剣士であった。
     目にも留まらぬ一閃。並の騎士なら鎧袖一触で斬り捨てられていたことだろう。だが、モードレッドもまた、異数の剣士だった。ほかの者であれば反応すらできなかっただろうアーサーの剣を、受け、流し、逸らしてゆく。
     ふたりの剣戟はそのむかし王都でひらかれた舞踏会の円舞に似ていた。もし死者たちに意識があったなら、だれひとり生きてその死闘を語り伝える者がいないことを惜しんだかもしれぬ。それほどに、剣に生きる者ならあこがれずにはいられない技の応酬が続いた。
    「モードレッド!」
    「アーサー!」
     十合。二十合。五十号。百合――。
     あたかも互いの影と斬り合っているかのように勝負は決さぬ。
     アーサーの剣は湖の貴婦人より賜った宝剣〈約束された勝利の剣〉である。モードレッドの剣もまた銘のある業物だ。互いに互いを瞳に映し、互いの名前を叫びあいながら、ふたりは剣技の舞を続けた。アーサーが攻め、モードレッドが守る。モードレッドが斬りかかり、アーサーが受ける。何もかも互角、剣術の奥義を尽くした死闘は、いつ果てるともしれなかった。
     すべての一撃に必殺の意志がこもっているにもかかわらず、いずれの剣も紙一重で相手を捉えられない。ときにアーサーの技がモードレッドの髪を掠め、モードレッドの剣がアーサーの鎧を捉えることはあったが、いずれも決定的な打撃には至らなかった。戦いは時を超え永遠に続くかとすら思われた。
     しかし――おそらくその心に抱えた激情の差であったかもしれない。はてしない斬り合いの果てに、アーサーの剣はついに宿敵の兜を打ち砕き、その端正な頭蓋に刃を食い込ませた。モードレッドは絶叫した。おそらくは苦痛のためではなく、屈辱のために。
     驚くべきことに、それでもなお、かれは反撃した。一瞬の隙をついて、モードレッドの剣がアーサーの脇腹を貫く! ふたりは互いに瑕を負って離れた。
     この時、先に動き出したのはやはりアーサーだった。偶然にも傍らに突き立っていた槍をひき抜くと、雄叫びをあげながらモードレッドへ突進する。すさまじい刺突ではあったが、先ほどまでのモードレッドならかわせたかもしれぬ。しかし、いまのかれにその力は残っていなかった。この日最後の血が流れ、この日最後の喘鳴が零れた。幾万もの血を吸って、カムランの戦いはようやく終焉の時を迎えたのである。
     アーサーはその槍を抱えたまま、倒れ込んだモードレッドの横に立った。かれは勝者ではあったが、やはり満身創痍だった。かれは力なく横たわる宿敵を眺め下ろしながら訊ねた。訊ねずにはいられなかった。
    「なぜだ、モードレッド? 何が不満でこのような叛乱を起こした? 王国が欲しかったのか? それともわたしに何か悪いところがあったのか? 教えてくれ」
     モードレッドの翠いろの瞳に、最後の冷笑が浮かんだ。
    「貴様にはわからぬ、ひとの心を持たない王よ」
     聴く者の心を凍りつかせるような冷え冷えとしたひと言だった。かれはその男性的な美貌を歪めながら、なお、呪いの言葉を吐き出した。
    「アーサー、貴様はひとり生きのび孤高の玉座の上で虚妄の栄華を楽しむが良い。だが、忘れるな。このモードレッドが地獄に落ちても貴様を呪っていることを。良いか、わが亡き後もブリテンに平和は訪れぬ。貴様が王として君臨する限り、その首をねらう者は絶えないだろうよ。貴様に王冠はふさわしくない。なぜなら――」
     そこで叛逆の貴公子は血の塊を吐き出した。かれの眸からゆっくりと光が消え失せてゆく。アーサーはなおも言葉を待ったが、その唇がふたたび動くことはなかった。騎士王の国と宮廷を亡ぼした一代の梟雄モードレッド卿は、ここに斃れたのである。アーサーはそれをたしかめて、深く重いため息を吐いた。
    「なぜだ? どうしてこんなことになった? すべて皆、わたしのせいなのか。教えてくれ、マーリン。ランスロット。グィネヴィア。皆――」
     しかし、今度こそ応える者はいなかった。いまや、その地獄に生きのびてある者はかれひとりだったからである。
     アーサーはたそがれの空に向け野獣のように咆哮した。生きてその声を耳にする者はいない。かれが殺した敵と、やはりかれが死に追いやった味方の亡骸に囲まれて、アーサーはいま狂おしいほど孤独だった。いまや、その音に聞こえた宝剣を除けば、かれを支えるものは何ひとつなかったのである。
     剣の丘に王はひとり。
     アーサーは、アーサーの名で生涯を送った少女アルトリアは、ひとり、だれに見咎められることもなく、啜り泣いた。
     ――すべては遠い昔の出来事だ。そして時は過ぎ、このアーサー王伝説を締めくくるカムランの戦いから一千年以上も後のとある異国を舞台に、ふたたび物語の幕はひらく。

     まあ、だいたいこんな雰囲気だと思っていただければ。物語の舞台は『Fate』本編の1年後で、士郎、セイバー、凛、桜以外のマスターとサーヴァントは全員死亡している設定です。
     『Fate』本編を知らないひとにも楽しんでいただけるものに仕上げたつもりですが、どうだろ、やっぱり本編を知っていたほうがより楽しめることは間違いないでしょうね。そこはまあ、二次創作ですから。
     ただ、この本から入って今度のアニメを見るとか、そういう楽しみ方はできるかも。本編を知らないとまるきり理解できないというものではないはずです。たぶん。きっと……。
     なかなかものすごい部数を刷る予定なので、ぜひ買ってください。いや、ほんと、お願いします。この本が全然売れないとぼくのソウルジェムが濁っちゃいます。
     では、そういうことですので、皆様、ご協力よろしくお願いします。質問などありましたら、コメント欄ないしメール(kenseimaxi@mail.goo.ne.jp)でよろです。でわでわ。 
  • 「カボチャ大王」を信じ込んだ天才ジョン・W・キャンベルとSF作家アイザック・アシモフの物語。

    2014-07-31 07:00  
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     タイトルからわかるように、スヌーピーの登場する漫画『ピーナッツ』を通じて人生の知恵を学ぼう、という趣旨の本。  『ピーナッツ』は実に奥深い漫画で、そこで見られる悩みの深さはちょっとアメリカ人が書いているとは信じがたいくらい。
     アポロ10号が建造されたとき、司令船と月面着陸船が「チャーリー・ブラウン」および「スヌーピー」と名づけられたことをご存知の方も多いでしょう。アメリカ人にとってはそれくらいメジャーな作品なのです。
     さて、この作品にはライナスという有名な少年が登場します。非常に頭がいい少年で、たぶん『ピーナッツ』の全登場人物中、いちばん聡明かもしれない。聖書をすらすらと暗唱したり、哲学的な警句を吐いたりと、その非凡な知性は行動にあらわれます。
     ところが、その反面、幼い頃からもっている古い毛布を手放せないという癖ももっています。
     依存症ですね。いくら理性ではばかばかしいと思ってもどうしても手放せないわけです。「ライナスの安心毛布」といえば、英語では辞書にも載っているほど有名な言葉だそうです。
     また、かれはハロウィンにはカボチャ大王がやってくるという迷信を信じています。ほかのことにかけてはあれほど聡明なライナスが、そういうばかばかしい話を信じ込んでいるというおかしさ。
     しかし、このライナスの姿にはどこか人間の本質を衝いているところがあるように思います。現実にも、同じような人物は大勢見かけるのではないでしょうか?
     ジョン・W・キャンベル・ジュニアという編集者をご存知でしょうか。『アウスタンディング』というSF雑誌の編集長として、アシモフ、クラーク、ハインライン、ブラッドベリ、スタージョンら超一流の作家たちを育て上げた辣腕編集者です。
     まず編集者としてはSF史上でも一、ニを争うくらい有名な人物といっていいでしょう。編集者になる前は作家で、作家としてもそれなりに優秀だったようですが、編集者としての腕前はそれを凌ぐと思います。
     とにかく頭のいいひとだったらしく、マサチューセッツ工科大学で学んだ経歴のもち主です。しかし、結果としてはMITを卒業することはありませんでした。このことについて、アーサー・C・クラークは、このように書いています。

     彼もMITで学んだが、そこを卒業はしなかった――ドイツ語に落第したからだという伝説があるが、わたしは信じない。ジョン・W・キャンベルにとってドイツ語などは児戯に等しかったろうし、勉学の妨げになるほどSFを書いていたから、MITの厳しい基準に合わなかったというほうが、もっともらしく思える(ささやかなものだったにちがいないが、おそらく金も必要だったのだろう)。

     あのクラークをしてここまで言わせるほどの人物だったわけです。その風貌と人柄は、キャンベルの直弟子ともいうべきアイザック・アシモフによると、この通り。

     現代SFの基礎を築いた男は、背が高くて、肩幅が広く、髪の毛が薄く、クルーカットで、メガネをかけ、高圧的、強烈、いつも煙草をくわえ、独断的で、話好き、移り気な心を持つ、ジョン・ウッド・キャンベル・ジュニアという人物である。

     これだけだと、たいして褒めているようには見えません。しかし、アシモフは続けてこのように記しています。

     わたしの文筆生活の全部が彼のおかげである。わたしに『夜来たる』の冒頭の引用句を含むあらすじを示唆してくれ、その小説を書くようにと、わたしを家に帰らせた。わたしの三度目か四度目のロボット小説では、首を振って、こう言った。『いや、アイザック、きみはロボット工学の三原則を無視しているよ、それは――』。そんな用語を聞いたのは、それが初めてだった。

     「わたしの文筆生活の全部が彼のおかげである」――いったいこれほどの感謝と賛辞を一編集者にささげる作家がどれだけいるでしょう。キャンベルがアシモフに与えた影響の大きさがわかります。
     「夜来たる」はアシモフの短篇を代表する名作であり、ロボット三原則は、いうまでもなく、SF作家アイザック・アシモフを有名にしたロボット・シリーズの基本原則です。
     アシモフによると、この三原則は決してかれひとりで考えたものではなく、キャンベルがいてこそ生まれたものだったとか。
     また、クラークによれば、かれは投稿された作品を没にするときでさえ、「投稿した短篇より長い断りの手紙」を書いてよこしたといいます。
     それだけだったなら、キャンベルはサイエンス・フィクションの「黄金時代」を演出した名伯楽としてのみ歴史に名をのこしたことでしょう。
     ところが、晩年のキャンベルはさまざまな疑似科学運動にのめりこんでいくことになります。まさに、聡明なライナスがカボチャ大王の実在を信じ込むように。その様子をクラークはこう書きます。

     彼は晩年に近づくにつれて、ありとあらゆる(ひかえめに言っても)論争を呼ぶアイデア――ダイアネティックス、超心理学、反重力機械(〝ディーン駆動〟)、極端な政治的見解――に関与し、かつての示唆に富む編集後記は意味不明に近くなった。

     ダイアネティックスとは、SF作家のL・ロン・ハバードの創案になる疑似科学的アイディアです。
     「サイエントロジー」という名前をご存知の方もいらっしゃるでしょう。あのトム・クルーズも信者だというアメリカの巨大新興宗教です。その教義の根幹になっているのがダイアネティックス。『アシモフ自伝』にはその運動にはまっていくキャンベルの姿がえがかれています。

     それからニューヨークに戻ると、四月十四日にキャンベルを訊ねた。彼の話題はダイアネティックスのことばかりだった。私はあまりさからわなかった。ただ無感動に聞いていて、自分は信じないといっただけだった。ついにキャンベルは、怒りとも冗談ともつかない口調でいった。「まったく、きみは先天的な懐疑論者だな、アシモフ」
    「ありがたいことですよ、キャンベルさん」と私はいった。

     注目すべきは、アシモフにしろクラークにしろ、かれの信じる疑似科学をかけらほども信じないにもかかわらず、ひとりの人間としてのキャンベルに対する尊敬を失ってはいないということです。クラークはキャンベルをこう評しています。

     もう一度、アイザック・アシモフから引用しよう。「科学や社会に対する観点がいかに型破りであっても、個人的には正気の穏やかな人物でありつづけた」。そしてわたしは、「本質的には思いやりがあった」とつけ加えたい。

     ここにもキャンベルとライナスの共通点を見出せるような気がします。ライナスの友人たちはカボチャ大王などという迷信をこれっぽっちも信じないにもかからわず、それでも人間としてのかれを見捨てようとはしません。
     ただ、もっとも聡明な人物が、もっともばかばかしいことを信じ込んでしまうという事実に皮肉な何かを見るのです。
     キャンベルは1971年7月11日、61歳で亡くなりました。アシモフは「そのショックは、二年前に父の死を知ったときに次ぐものだった」と書き記しています。
     ――と、ここで終わってもいいのですが、実はこの話には後日譚があります。
     『アシモフ自伝』によると、 
  • その瞬間、「真実のリアル」がかいま見える。タナトスの漫画家石渡治の世界。

    2014-07-31 07:00  
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     漫画家石渡治をご存知だろうか。いまとなってはメジャーシーンで活躍しているとは云えないかもしれないが、ひと昔前の少年漫画が好きなひとなら必ず熱く語れるであろう描き手である。
     もちろん、いまもって現役で、パワフルな新作を上梓しつづけてくれている。その石渡の最新作が『ODDS VERSUS!』。先日、第1巻が発売されたばかりだ。
     無印、『GP!』と続いてきた『ODDS』シリーズの完結編という位置づけなのだが、冒頭からして何とも暗く、陰惨な展開が示されている。
     長年の読者にとっては、「ああ、石渡漫画だなあ」と思わせられる展開なのだが、どうやら主人公の伴侶である女性が死んでしまっているらしいのである。
     物語はその事実を描くことなく過去にさかのぼって語り始めるので、ほんとうに死んだのかどうかはわからないのだが、とにかく何とも暗く、やるせなく、絶望的とも云えるオープニングだ。うーん、ダーク……。
     石渡治は、『少年サンデー』黄金時代(正確には「白銀の時代」かなあ、という気もする。ほら、サンデーのほんとうの黄金時代は『タッチ』とか『うる星やつら』が連載していた頃だという気もするわけで)に活躍していた作家のひとりなのだが、比較的明るい雑誌のカラーに逆らって、とにかく暗い情念がただよう作風の作家だ。
     当時、「不幸漫画の代名詞」的な扱いだった『B・B』を始め、その姉妹編である『LOVE』、また隠れた名作の『パスポートブルー』でも、すべての作品で主人公のパートナーである人物が、ほとんど必然性もなく死んでいる。
     相当に人気のある描き手だったはずなのにもかかわらず、アニメ化している作品がひとつもないのは、この「理不尽な死の描写」に原因があるような気もする。
     登場人物はひょうひょうとして明るい人物が多いにもかかわらず、世界観そのものは何とも残酷なのだ。突然、ほとんど意味もなくヒロインが死んでしまうのである。
     いや、『B・B』でヒロインの小雪が亡くなったときはほんとうにびっくりした。そこまでするか?と。『LOVE』の最終回で、いきなり時間が流れ、主人公の少女があっさりと物語中では脇役かと思われた男と結婚し、そして死別してしまう展開にも驚かされた。
     ある意味で異様としかいいようがない展開で、じっさい、連載当時は賛否両論うずまいたという。しかし、まさにこういう展開のために、『B・B』や『LOVE』はいまなお忘れがたい印象的な作品となっているのである。
     『LOVE』のストーリーやキャラクターはほとんど忘れてしまったけれど、あの悲壮感ただよう最終回は忘れられない……。
     いったい石渡はなぜ、こうも悲劇的な展開を好むのだろうか? 読者を泣かせるため? いや、どうやらそういうわけでもなさそうだ。何といっても、石渡が描く悲劇は、物語的に脈絡がなさすぎて、「泣ける」というより「怖い」ものに仕上がってしまっているのだ。
     これはやはり、この作家がそういう世界観を持って生きていると考えるしかないのではないか。つまり、「ひとはいつ死んでもおかしくない」、「この世界ではどんなに不条理なことでも起こりえる」という世界観である。
     ぼくなりの言葉を使うなら、この作家は「人間社会の裂け目」から露出した「自然世界のリアル」を描き出そうとしている。
     その 
  • スラッカー(怠け者)ヒーローの系譜を考えてみる。

    2014-07-30 07:00  
    51pt


     「小説家になろう」で津田彷徨『やる気なし英雄譚』を読みはじめた。ペトロニウスさんが、何かのラジオで「この主人公みたいなキャラクターは、いそうで案外いないよね」と云っていたので、どういうキャラクターがいるのか考えてみた。
     思うに、この種のキャラクターの特徴は、「怠け者」というネガティヴな個性を背負っているところだと思う。
     トム・ルッツの『働かない 「怠けもの」と呼ばれた人たち』によると、こうした「怠け者」たちは、その時代、時代でさまざまな名前が与えられるものの、現代ではスラッカーと呼ばれているらしい。Wikipediaではこんなふうに記述されている。

    スラッカー, slacker は、第1次/第2次世界大戦間の時期に、徴兵制を拒否していた人々を指していたが、1990年代には、静的、熱心でない、努力をしないような人々の状態を表す言葉として使われる。典型として、スラッカーは無職・或はサービス業で不安定な被雇用状態にある。
    イギリスでは、アイドラー, "idlers" とも呼ばれる。

     また、同書の訳者あとがきでは、「『ドラえもん』ののび太くん、『釣りバカ日記』のハマちゃん、フーテンの寅さん、放浪芸術家の山下清などなど」が日本のスラッカー文化のキャラクターとして挙げられているのだが、ぼくとしてはここに『必殺』シリーズの中村主水、『機動警察パトレイバー』の後藤隊長と、『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーを付け加えたいところだ。
     『ルパン三世』のルパン、『シティハンター』の冴羽獠あたりにも何か共通するものを感じる。Twitterで指摘されたところでは、キン肉マンや『DEATH NOTE』のLなんかもあてはまるかもしれない。
     それから、『ファイブスター物語』のダグラス・カイエン。『涼宮ハルヒの憂鬱』のキョンや『氷菓』の折木奉太郎は微妙なところか。
     こうやって並べてみると、ある程度の共通点が見て取れる気がする。これらのキャラクターの共通点は、 
  • イケダハヤトさんの有料メルマガを購読したはじめたのですが……。

    2014-07-29 07:00  
    51pt
     「かわんごのブロマガ」でぼくの記事が取り上げられていることに気づきました。
    http://ch.nicovideo.jp/kawango/blomaga/ar580829
     アクセス解析とかほとんど見ないので、ひとが自分の記事にどういう意見を持っているのか気づかないことがほとんどなんですけれど、今回は運良く把握できました。
     いや、取り上げていただきありがとうございます。ここで取り上げられている「新世界」の記事は、ぼく的にはすごく面白い内容だと思っていたので、たくさんのひとに読んでいただけたことはありがたいです。
     たぶん、ぼくの書くことをずっと追いかけているひとのなかには、「そういうことだったのか!」と膝を叩いたひともいると思うんですけれどね。最近、いままで曖昧なまま書いてきた諸々が整理されてきていて、個人的には気持ちいい感じがします。
     で、まあタイトル通りなんですが、イケダハヤトさんのメールマガジンを購読しはじめました。ぼくはこの他にアルテイシアさんのメルマガと、渡辺文重さんのメルマガを購読しているので、これで三本目の有料メルマガということになります(公言しておくと何か良いことがあるかもしれないので、はっきり云っておきますが、アルテイシアさんに関しては著書はほとんど読んでいるくらいのファンです。ええ)。
     迷った挙句に「まあ、お試しで」ということで始めたんだけれど、んー、個人的にはもうひとつかも。正直、無料のブログのほうが内容的に充実していて、ほんとうに「ファンクラブ」的な中味しかないので、あまり読みつづける気になれない感じ。
     いや、もちろん、膨大な量のブログ記事の更新と並行して、ほとんど儲けにならないと思われる(現在、会員数が86人なので、そこからの収入は良いところ月数万円のはず)有料メルマガに力を注ぐことはむずかしいことはよくわかるんだけれど、これだけだと「ブログ読んでいればいいや」になってしまうなあ。
     ここらへん、イケダさんのやり方に問題があるというよりは、有料メルマガ全体の問題であって、やっぱり労力の割にお金にならないんですよ。
     もちろん、会員数数千人ということになれば、非常に安定した収入源を確保することができることになるわけですが、そこまで行くのはめちゃくちゃ大変なんですね。
     じっさい、ネットの有名人もチャレンジしては失敗しているのが現状です。数百人単位で会員がいるぼくはそれなりに偉いのです。もちろん、「ブロマガ」というシステムがバックにあってこそだけれどね……。
     まあとにかくせっかく入ってみたのでもう少し購読を続けてみますが、うーん、ちょっと微妙かも。
     ちなみにこのブロマガは月末と月初めに退会するひとが多いのですが、その心理は非常にわかりやすいですよね。月末にやめるひとは当然、 
  • 雑談ラジオ。

    2014-07-28 15:56  
    51pt
     本日午後9時ごろからまりさんと雑談ラジオを放送します。
    http://live.nicovideo.jp/watch/lv187723634
     ほんとうは夏コミの原稿が追い込みなんですが……。やります。では、そういうわけで、よろしくお願いします。
  • 絢爛豪華な歴史冒険小説の傑作! ジョン・ディクスン・カー『喉切り隊長』。

    2014-07-28 07:00  
    51pt

     上着のすそのポケットから、警務大臣はかぎ煙草の箱を出した。もろいバラ色瑪瑙で作った楕円形の箱で、ふたには一ぴきの蜜蜂とNの字を中にしてダイヤモンドを小さな円状にはめこんであり、そのダイヤが薄よごれた部屋には不似合いな輝きを発していた。ジョゼフ・フーシェは昔の彼にくらべたら何層倍も金持ちになっていたが、趣味はあいかわらず質素だった。この箱はまちがいなく皇帝から下賜されたものであり、皇帝は腹わたが煮えくり返って癇癪の発作を起こすほどこの男を憎んでいたが、ほかに彼ほど有能な人材を見つけられないでいたのである。

     ジョン・ディクスン・カー『喉切り隊長』、これはおもしろかった。時は西暦1805年、舞台はフランス。折りしも皇帝ナポレオンの全盛期、ヨーロッパの諸権力に続いて、いま英国もまたナポレオンに呑み込まれようとしていた。しかし、ここにひとつの障害が立ちふさがる。
     ナポレオン麾下の「大陸軍」で、白昼堂々と兵士惨殺をくりかえす「喉切り隊長」がそれだ。この幽霊のような殺人者の影は、一歩まちがえれば大陸軍を崩壊させかねない。この危急の事態を前に、皇帝は警務大臣フーシェに喉切り隊長捕縛を命じる。
     そしてフーシェは、つい数日前逮捕されたばかりの英国のスパイ、アラン・ヘッバーンをこの件に利用することを考える。英国人であるかれに、フランス軍を悩ませる「喉切り隊長」を探させるのだ! もちろん敵側のアランがそう簡単にいうことをきくはずがない。
     しかしこの才気あふれる19世紀版ジェームズ・ボンドにも、たったひとつだけアキレス腱があった。心ならずも別れた愛妻マドレーヌのことだ。フーシェは彼女の身柄をえさに、巧みな策略でアランを追い込む。しかもその腹にはまだべつの謀略があるらしい。
     はたしてフーシェの真意とは? 喉切り隊長の正体は? アランはフーシェとナポレオンの思惑を裏切って、イギリスにフランス軍の情報を伝えられるのか? いくつもの運命の糸がもつれてはほころびながら、歴史のタペストリが編み上げられていく――。
     ざっとあらすじを書けばこんな感じなのですが、実際にはアランの宿敵となる大陸軍最強の剣客やら、お人好しの仕官やら、可憐で聡明なヒロインやら、アランをたぶらかす美貌の女スパイ(なんと実在の人物)やら、多彩な人物が登場し、飽きさせません。
     しかし本書登場人物の白眉はなんといっても警務大臣フーシェでしょう。フーシェ。王制時代から共和国時代、そしてナポレオンによる帝政時代と、たびたび主を変えながら生きのびぬいた、悪魔のように、あるいは悪魔以上に狡猾な男。
     この冷酷非情な大策謀家をあいてに、アランは危険な賭けを挑む羽目になります。だまし、だまされ、だまされたふりをし、相手の思考の裏まで裏まで読んでその一歩上を行こうとする、アランとフーシェの超絶頭脳戦が本書の最大の読みどころです。
     フーシェとナポレオンの関係は、どこかしら 
  • 「ほどほど豊かでほどほどデジタルな貧乏暮らし」の本を書きたいです。

    2014-07-27 15:54  
    51pt
     2年半ほど前に出した同人誌『戦場感覚』を読み返している。いやー、自分で書いた本ながら、面白いですね。
     当時は自分が何を書きたいのかもよくわからず、しゃにむに書いていたんだけれど、いまならここに書いてあることをある程度は整理できるように思う。
     で、当時は「書き尽くした……」という感じで、もうこの路線で本を書くことはないだろうと思っていたのだが、いまになってみると「続編」を書きたいという気持ちがふつふつと湧いてくるのを感じている。
     続編というか「姉妹編」になるだろうけれど、何か「暮らし」の本を書きたいなあ、と。この本、宮沢賢治で締めているんだけれど、そこらへんももっと深く探ってみたい気がする。
     参考資料とはしては、最近読んだ/読むつもりの本のなかでは、
    ・『スモールハウス』
    ・『Bライフ』
    ・『二畳で豊かに住む』
    ・『中身化する社会』
    ・『「いいひと」戦略』
    ・『自分でつくるセーフティネット』
    ・『簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。』
    ・『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』
    ・『稼がない男』
    ・『ニートの歩き方』
    ・『年収100万円の豊かな節約生活術』
    ・『英国式スローライフのすすめ』
    ・『イギリス式シンプルライフ』
    ・『「イギリス病」のすすめ』
    ・『ぼくは猟師になった』
    ・『わたし、解体はじめました』
    ・『山賊ダイアリー』
    ・『諦める力』
    ・『神山プロジェクト』
    ・『ノマドライフ』
    ・『仕事するのにオフィスはいらない』
    ・『週末田舎暮らし』
    ・『フルサトをつくる』
    ・『里山資本主義』
    ・『ハウスワイフ2.0』
    ・『神去なあなあ日常』
    ・『プア充』
    ・『自殺島』
    ・『バガボンド』
    ・『銀の匙』
    ・『無痛文明論』
     あたりが適当かな、と思う。探せば 
  • 先崎学のエッセイはなぜこんなに面白いのだろう。

    2014-07-27 07:00  
    51pt


     先日読んだ大崎善生のエッセイがあまりにも面白かったので、続けて将棋の本を読んでみる気になった。プロ棋士先崎学が「週刊文春」に連載した記事をまとめた本である。
     読んでみて驚いた。あれほど面白いと思った大崎氏の本よりもっと面白かったのだ。これはあきらかに将棋指しの余技という次元を超えている。本業のエッセイストでもなかなかこれほど抱腹絶倒の文章は書けないだろう。
     読んでいる間中、ぼくは浮世の憂さから解放されて、それはそれは幸せだった。活字の本を読んで腹を抱えて笑えるということはめったにない。稀有な名著といえると思う。いや、ほんとに。
     たとえば羽生善治が小学生相手に百面打ちをしたという話をきいて、本人に「いや凄いねえ。頭も丈夫だけど足腰も丈夫なんだねえ。悪いのは性格だけ?」といったという話などは読んでいてにやにやしてしまう。
     天下の羽生四冠を前にして、なかなかいえないセリフであろう。
  • 充実した貧乏生活で残る最後の課題とは。

    2014-07-26 07:00  
    51pt
     以前にも取り上げた『プア充』という本がある。ざっくり云ってしまうと「年収なんて300万円くらいあればいいよ。それ以上は過剰だよ」という内容なのだが、その説得力はともかく、「プア充」という概念そのものには魅力がある。
     「ほどほどに働き、なんとか一定の金額を稼いで、余った時間を楽しく過ごそう」といった発想は、元来、労働意欲が低いぼくを魅了するわけだ。
     まあ、そのためには色々とあきらめなければならないだろうが……。しかし、忙しく働いて年収600万円なり800万円を稼いだところで、必ずしも幸せになれるとは限らないことは、前の世代を見ていればわかることではないだろうか?
     じっさい、『ニートの歩き方』、『年収100万円の豊かな節約生活術』、『稼がない男』といった本を読んでいると、年収100万円前後(!)でもそれなりに豊かに生きていくことは可能なのだという実例を見ることができる。
     いや、ほんと、贅沢さえしなければなんとかなるとは思うんですよね。田舎に引っ込んだり、住居をシェアしたりすれば家賃はある程度浮かせられるし、自炊すれば食費は何とかなる。
     健康に気をつけて病気にかからないよう注意すれば医療費も下げられる。服はいまファストファッションがあるからそんなにお金はかからない。娯楽は図書館とネットさえあればどうとでもなるだろう。古い漫画なんかはネット古書店などをうまく使えば1冊20円とかで買えてしまう。
     だから労働ストレス起因の「不必要な出費」さえ避けることができれば、ローコストでそれなりに充実した生活を送ることは意外にむずかしくないのかもしれない。
     もちろん、「それでいざという時どうするの?」と思う人もいるだろうけれど、その時はその時だというしかない。
     普段からネットでディープに活動している人なら、案外、カンパが集まって何とかなったりする可能性もなくはない(もちろん、どうにもならずに破滅する可能性もあることはあるが)。
     ここらへん、きょう発売の佐々木俊尚『自分でつくるセーフティネット ~生存戦略としてのIT入門~』とリンクする話かもしれないですね……。
     そういうわけで、お金がなくても楽しく生きることはできる。じっさい、ぼくは(年収100万円代でこそないが)そうやって楽しく生きている。まったく良い時代。
     で、そうやって楽しく生きていった末に直面する最後の問題とは何だろうか? それは