• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 30件
  • ついにドラマ化! 森博嗣の傑作ミステリ小説「S&Mシリーズ」の歴史を振り返る。

    2014-08-31 19:00  
    51pt
     森博嗣のS&Mシリーズがテレビドラマ化されるそうですね……。
    http://news.mynavi.jp/news/2014/08/26/508/
     思わず「……」と付けてしまうのは、このシリーズが、たとえば東野圭吾作品あたりと比べても並外れて映像化がむずかしそうなテーマを扱っているから。
     京極夏彦の妖怪シリーズと並んで、新本格ミステリのメルクマールともなった伝説的作品群だけに、果たしてまともに映像になるものか心配は募る。
     いやまあ、たぶん無理だろう。なんかそれっぽいサイコスリラーみたいになるに違いない。と、頭から偏見を抱いている海燕さんなのですが、そんなかれをへこましてサーセンと云わせるだけの出来だといいな、と思います。
     しかし、「少し変わり者のクールな2枚目でずぼらな性格だが、警察からも頼られるほどの天才的な分析力と考察力を持つ犀川創平」って、既に何か違うw まあいいけれど。
     熱狂的ファンがたくさんいる作品だけに、半端な映像化は避けてほしいところなんだけれど、どうなるものか。一応、見てみることにしよう。
     まあ、いまさら解説は不要と思われる有名作品ながら、一応、説明しておくと、S(犀川)&M(萌絵)シリーズは、N大の助教授犀川創平と学生の西之園萌絵を主人公とした全10作の本格ミステリ。
     森のデビュー作にして歴史的傑作であるところの『すべてはFになる』から始まって、『冷たい密室と博士たち』、『笑わない数学者』、『詩的私的ジャック』、『封印再度』、『幻惑の死と使徒』、『夏のレプリカ』、『今はもうない』、『数奇にして模型』と続き、『有限と微小のパン』で完結している。
     その後、さらにVシリーズ、Gシリーズと続いていくのだけれど、ほかの凡庸なミステリ作品と決定的に違うのは、シリーズが完璧に予定通りに刊行され、完結していること。
     クイーンの国名シリーズあたりを尊敬して長大なシリーズを目論む作家は多数存在するながら、ほとんどが途中で失速しているなかで、森のスケジューリング能力は傑出している。
     特に『すべてがFになる』でデビューした時、その後の刊行予定作品の名前がずらっと並んでいたことは印象的だった。そして、 
  • 辻村深月の最新作『ハケンアニメ!』はアニメ業界を描くお仕事小説の傑作だ。

    2014-08-29 20:04  
    51pt



     王子の顔が、一瞬、完全な無表情になる。そして、――次の瞬間、彼が「ええ」とにっこり微笑みを浮かべ、香屋子は息を呑んだ。
    「リア充どもが、現実に彼氏彼女とのデートとセックスに励んでる横で、俺は一生自分が童貞だったらどうしようって不安で夜も眠れない中、数々のアニメキャラでオナニーして青春過ごしてきたんだよ。だけど、ベルダンディーや草薙素子を知ってる俺の人生を不幸だなんて誰にも呼ばせない」

     王子千晴。若干27歳にして初監督作品『光のヨスガ』を撮り、伝説としてその名を知られる有名アニメ監督。
     並外れた天才と美貌で知られ、9年にわたって沈黙を守っていたかれは、プロデューサー有科香屋子に誘われ、いままた、新作アニメ『運命戦線リデルライト』に挑んでいた。
     しかし、制作作業が煮詰まって来たある時、王子はとんでもない騒ぎを起こす。それは有科のコントロールをすら外れるものだった――。
     辻村深月の最新長編『ハケンアニメ!』はアニメーション業界に材を得た傑作小説だ。いや、面白かった! 複数の架空アニメ会社を舞台に、架空アニメ作品のタイトルをたくさん散らせながら、「もうひとつのアニメ業界」を巧みに描き出してゆく。
     自分の仕事に熱い情熱を注ぐ人々を描く「お仕事小説」としても読み応え十分ながら、それ以上に重要なのは、無から有を創造するクリエイターへのリスペクトたっぷりに描写されるアニメ業界の人々の姿だろう。
     おそらくは自身、いくつものアニメに感動してここまで来たのであろう辻村は、深い思い入れをもってアニメに人生をささげた群像を描き出してゆく。
     本編は三章構成になっていて、三人の女性たちの視点から、それぞれの物語が綴られる。ひとこと、うまい! 子供のような天才監督と美人プロデューサー、若くして作品を手がけることとなった女性監督と敏腕プロデューサー、ネットで「神原画」の異名を取るアニメーターと熱血公務員、という三組の物語は、いずれも燃え上がりそうなほど熱く、小説を読む歓びに満ちている。
     時系列が少しずつずらさながらお話が進んでいくので、前の章のキャラクターが後のほうの小説で異なる役割で再登場するあたりも楽しい。
     何より、全編にわたって名台詞、名場面が山盛りで、アニメオタクでもそうでなくても、楽しめる仕上がりになっている。そこらへんはさすがとしか云いようがない。たとえば、第一章の主人公である香屋子が、第二章の主人公、新人監督の斉藤瞳に出逢う場面。

     顔は知っていたが、会うのは初めてだ。小柄な監督は眼鏡姿で、服装もTシャツとだるっとしたパンツ姿、長い髪は無造作に束ねたものから、数本が外にほつれて垂れていた。ボロボロだ、と思う。香屋子にも覚えがある修羅場明けのような恰好で、それを見た途端、胸がぎゅっとなった。
     かっこいい、と思う。仕事をしているのだ、と思う。その姿が何とも愛おしく、美しかった。真剣に仕事をするものの姿だ。

     監督、プロデューサー、声優、あるいはひとりひとりのアニメーターたち、動かざるものを動かし、生命なきものに生命を与えるため懸命に戦う人々を、辻井は深い敬意ともに活写しつづける。
     いずれもシビアな物語ながら、最後にはささやかに恋愛が絡んでくるあたりがこの作家だな、と思わせる。やっぱりラブコメディが好きなんでしょう。 
  • 一次創作による「縦の関係」と二次展開を共有する「横の関係」の問題。

    2014-08-28 19:00  
    51pt
     どもです。先日、てれびんとラジオを放送しました。彼奴とラジオると、だいたい99%まで下らないことしか喋らないわけなのですが、のこり1%、奇跡的に歯車が噛み合って内容のあることを語りあう場合もあり、前回の放送はその1%だったと思います。わりと真面目にいい話をした感じ。
     何の話をしたかと云うと――何だったっけ。もう忘れたけれど、まあわりといい話をしたんじゃないかと思うんですよ。で、相当に飛躍を繰り返しながら話した印象があるんだけれど、驚くべきことにはリスナーがちゃんと付いてくるんですよね。びっくりだよ。
     これ、たぶん、リスナーもいつも聴いている人たちばかりだから、訓練されているということだと思うんですけれど。まあ、話のバックグラウンドがわかっているとかなりディープな話題でも理解できるということなんでしょうね。面白い。
     何の話をしたのか思い出したので書いておくと、結局、「砂場」の話をしたんですね。この場合の「砂場」とは、創作者と消費者という「縦の関係」ではなく、二次創作者を含む消費者同士の「横の関係」から楽しさが生み出される環境のことです。
     本来、創作活動とその消費活動は、一対一の「縦の関係」に面白さがあるものであるわけです。作家が作品を送り出し、消費者がそれを受け止める。その関係がすべてなんですね。
     ただ、同時にその「縦の関係」を軸にして作品の感想などを共有して楽しむ「横の関係」も楽しいものだということは皆さんご存知でしょう。ニコニコ動画なんてまさに典型的ですよね。
     ニコニコは作品のひとこと感想を画面上で共有することによって「横の関係」を楽しむ「場」、つまり「砂場」なのです。コミケなんかもある種の「砂場」だし、TwitterにもFacebookにも「砂場」は存在します。Pixivに至っては云うまでもありません。
     ある作品を媒介にして感想を共有してみたり、イラストを描いてみたり、音楽を作ってみたり、二次創作を生み出してみたりすることを楽しめる環境はとても貴重なものです。
     ただ、それらは本来、「縦の関係」に付随する「おまけ」に過ぎなかったでしょう。「横の関係」がどんなに楽しいとしても、あくまで重要なのは「縦の関係」だったはずだと思うのです。
     ところが、同人誌即売会のようなイベントごとや、インターネット、特にソーシャルメディアが極度に発達して来ると、「砂場」はどんどん大きくなっていくわけです。
     そして、「縦の関係」より「横の関係」である「砂場」のほうがより楽しく、より重要だというような逆転現象さえ起こっているように見えます。
     ただ、それでもやっぱり「砂場」的なものに物足りなさを感じる人もいる、ということは先の記事で書きました。ぼくなんかも、そうは云ってもやっぱり「縦の関係」だろ、あくまで一次創作あっての二次創作だろ、と思うわけなのですね。
     二次創作的なものは、たしかに面白いんだけれど、やっぱりそこには限界があると思うんですよ。100点は取れるかもしれない、110点もありえるかもしれないけれど、120点は無理、というような。
     それはオリジナリティがどうこうというよりは、作品の大枠そのものをいちばん面白くなるようにチューンできないことに起因していると思うわけなんですけれど。
     オリジナルな一次創作は、そういう意味では120点に到達できる可能性がある。あくまでポテンシャルの話に過ぎませんが。
     で、ぼくはたまに120点を取る作品が出てこないと、やはり物足りなさを感じてしまうわけです。 
  • 「美しい義足」という衝撃。切断ヴィーナスたちの美の世界。

    2014-08-27 22:06  
    51pt


     質問。「美しい」って、どういうことだと思う?
     おそらく、この問いには千人千様の答えがあることだろう。ある人は、形よく整っていること、と答えるだろうし、別の人は異形であること、妖しく、なまめかしいこと、と応じるかもしれない。
     ひとは誰もひとりひとりが、その心の内側にそれぞれ異なる「美の世界」を隠し持っている。あたかも古ぼけた館の奥の秘密の一室のように。
     しかし、そうは云っても、多くの人にとって、「美」とは端正さ、秀麗さ、整然としていること、に近いところにある概念だろう。
     失われたものに惹かれる人は少なくないとしても、殊更、「欠落」に美を見いだす向きがさほど多いとも思われない。ある種のフェティッシュな嗜好として「欠落」を愛好する者はいるとしてもだ。
     「欠落」とは欠けているということ。十全ではないということ。そこにふしだらに妖しい日陰の美の世界を見いだす者は存在するとはいえ、それはあくまでアンダーグラウンドな表現として注目されるに留まるもの、そう考えることが通常の認識なのではないか。
     ところで、Eテレに「バリバラ」という「障害者」テーマの番組がある。先日、その番組で「切断女性たちの美の世界」と題した内容が取り上げられていた。
     タイトル通り、肉体の一部を切断した、あるいは生まれつき欠損している女性たちの「美」の世界を追いかけた内容となっている。
     そのなかで紹介されていたのが写真集『切断ヴィーナス』。11人の義足の女性たちをフォーカスした一冊である。表紙を見ただけでも分かる通り、そのなかには、妖異でありながらも、美しいとしか云いようがない世界が表現されているようである。
     この番組を見て、ぼくは強く惹きつけられた。何て美しい――そして力強い世界なのだろう。
     足がない、ということは本来、ある種の「欠落」であり、「不足」であるはずである。少なくともそれが世間一般でのあたりまえの受け止め方だろう。
     何らかの事情によってあるべき足を失った彼女たちは、まず「障害者」であり、同情や憐憫を向けられることこそあれ、颯爽とカメラの前に佇むことなどないものと考える人は少なくないはずだ。
     だが、じっさい、美々しく装ってカメラの前に佇立するヴィーナスたちの姿には、「わたしを見なさい」と云わんばかりの強烈な自負が感じられる。
     おそらく、初めからそこまでの自尊を手に入れていたわけではないかもしれない、どこかで「壁」を乗り越え、自分自身をはっきりと受容してカメラの前に立つことができるようになったのかもしれない、そう思われるからこそ、女神たちはいっそう美しい。
     そう――「美」とは、力。カメラの視線の前であるいは不敵に、あるいは挑発的に立つ彼女たちの姿からは、強烈なパワーが放射されているかのようだ。
     その姿はまるでタイムスリップして未来からやって来たアンドロイドのようでもあり、肉体の一部を機械化した「サイボーグ」の趣きも感じさせる。
     彼女たち「切断ヴィーナス」の麗姿を眺めていて、ぼくが初めに連想したのは、『攻殻機動隊』の草薙素子だった。彼女もまた、全身義体のサイボーグでありながらきわめてパラフルでビューティフルな印象を与えるキャラクターだ。
     第三次世界大戦後の日本の治安を支える「攻殻機動隊」公安九課のリーダーとして、荒くれ者の男たちを従える美と戦いの女神。
     番組に次々と登場し、ハイヒールを履いたりスポーツを試みたりする切断ヴィーナスたちの姿を見ていると、彼女のことが思い出されてならなかったわけである。
     ここでは、「欠落」というネガティヴな要素が、まさに「美」という「力」に置き換えられている。己の瑕を、嘆きを、苦しみを、そして痛みを隠すことなく、どこまでもさらけ出すことにより、奇妙にサイバーな現代のヴィーナスが生まれる、そのスリリングな興奮。
     これこそ、まさにアート。自己表現。素晴らしいとしか云いようがない。「美しく」、「可愛い」、「格好いい」、女性ならではの肉体表現がそこに確立されている。
     それでは、あらためて問うてみよう。「美しい」って、いったい何だろう? 
  • 雑談ラジオ

    2014-08-26 21:03  
    51pt
     毎日更新のリズムが崩れちゃっていますね。なんとか修正を試みていますので、少々お待ちを。
     それはともかく、てれびんとひさびさのゆるゆる雑談ラジオを放送します。暇で暇でしょうがないという方だけお聞きくだされば、と思います。 では。http://live.nicovideo.jp/watch/lv191102720
  • 『艦隊これくしょん』が生み出す「広い砂場」。

    2014-08-24 19:00  
    51pt
     ども。ようやくコミケアフターの脱力感から回復してきた海燕です。実は通信販売で購入された方に同人誌を送ったものの、宛先を間違えたせいで何冊かの本が自宅に返ってきてしまいました。まだ届かない方はもう数日だけ待ってください。申し訳ありませぬ。
     さて、何の話をするべきか――コミケで何かと印象的だったのは、『艦これ』コスチュームの女性たちだったので、その話でもしましょうか。
     いや、べつにコスプレの話をしたいわけではなく、いまのオタクシーンを一望してみると、やっぱり最も注目するべきは『艦これ』とかその辺のソーシャルゲームの流れですよね、と思うわけです。個人的にはアニメよりラノベより興味を惹かれる。
     だからといって自分でやろうと思わない辺りがぼくのダメなところであるわけですが、じっさい、ぼくはこの種のゲームそのものには、そこまでの関心がないのだと思う。ぼくが惹かれるのは、あくまでそのゲームのまわりに発生してる「砂場」なのです。
     どういうことか。「砂場論」とは1年ちょっと前に話題になった話で、このインタビュー(http://animeanime.jp/article/2013/04/11/13652_2.html)が元ネタになっているらしい。
     この記事のなかで、プロデューサーが『革命機ヴァルヴレイヴ』という作品について以下のように語っているんですね。

    アニメが好きだったり、メカが好きで見てくれる方々やスタッフ含めてみんなが、毎週遊べる砂場みたいなものになれたら幸いですね。

     で、正確なソースがわからないので孫引きになりますが、この発言のさらなる元ネタは庵野秀明による1999年のインタビューにさかのぼるようです(http://d.hatena.ne.jp/mattune/20130512/1368374772)。

    庵野 ロボットアニメの流れみたいな、それを一通り検証してですね。
       で、その後に、その時に、その時の主流だった『セーラームーン』を
       検証してみた。で、『セーラームーン』で分かったのは
       「緩い世界観というのがいい。要は遊び場を提供すれば良いんだ」
       という事だったんです。
       個性的な、分かりやすいキャラクター配置と、遊べる場所。
       だから、何体かの人形と砂場が用意されていて、
       ファンがその砂場で自分達で遊ぶ事ができるというのが、
       『セーラー』人気の秘訣だと思った。だから、わざと緩く作る。
       ガチガチに作っちゃうと、余裕が無くなるんだよね。
       最近のサンライズのアニメとか、そうだと思うんですよ。

     ある作品の周りに発生する「砂場」。あるいは「遊び場」。ぼくにとっては、『艦これ』のようなソーシャルゲームの最大の魅力はそこにあるように思えてなりません。
     まあ、ぼく自身はそこまで『艦これ』や『モバマス』にくわしいわけではないから、見当外れのことを云っているかもしれないんですけれどね。でも、『艦これ』をやっている人たちを見ていていちばんうらやましいのはそこなんですね。
     とはいえ、じっさいにゲームをプレイするのは億劫だから、何とかゲームをやらずに「砂場」を楽しむすべがないだろうか、と思うわけなんですけれど。
     ともかく、ひとつ云えることがあります。『セーラームーン』の段階では「何体かの人形と砂場」で満足できていたのかもしれないけれど、最新のソーシャルゲームでは「何百体かの人形と広大な砂場」が用意されている、ということです。
     端的な事実として、「人形」の数は膨大に増え、またその背景となる世界も複雑怪奇に発展している(あるいは現実世界と設置することによって広がりを獲得している)。
     この「広い砂場」性こそが、ソーシャルゲームの最大の魅力であるように思えます。コミケで『艦これ』がナンバー1ジャンルになったことは必然としか云いようがありません。それはコミケのような二次創作の場でこそ、最も輝くコンテンツなのですから。
     まあ、でも、当然というか、「砂場」的な作品には批判も存在しています。

    ■「砂場」としてのアニメがある、日々の楽しみ。(たまごまごごはん)
    先ず、一番最初に書いておきたいことは…あのね、上記のエントリを読んでも、引用されているインタビューを読んでも、自分、全く共感できなかったんですよ。もうね、一切、共感できなかった。
    (中略)
    そういうフィーリングの持ち主からするとね。例えば、「ヴァルヴレイヴ」みたいな作品を観ると凄く勿体ない気がするんですよ。良い悪いじゃなくて"勿体ない"。沢山の人が力を合わせて作って、時間とお金を掛けて、その結果が「砂場」って勿体なくないですか? っていう。そこは、遊びなんかいらないんじゃないか、シッカリと作りこむべきなんじゃないか。で、受け手ももっと"本気"になるべきなんじゃないかって…そりゃスピルバーグとかコッポラ、キューブリックの映画みたいな完璧なものを目指せとまでは言わないまでも、裏側はどんなにボロボロのハリボテでもいいから、表向きだけは完璧な…立派なエンターテインメントを作ってくださいよって思うんですよ。今だと、そのハリボテの裏側を敢えて見せちゃって、突っ込み入れられるのを待ってる状態なわけじゃないですか。それは、ちょっとどうなのよって感覚がある。それは、「砂場」で遊ぶことができない人間の劣等感と僻みが大部分を含んでいるという自覚をした上で。
    http://d.hatena.ne.jp/tunderealrovski/20130425

     で、まあ、ぼくなんかはこういう意見もわかるわけなんですよ。いくら「砂場」が楽しいとしても、「遊び場」に転がっている人形や玩具に心惹かれるとしても、それはやっぱりガチでマジな「傑作」があって初めて楽しいと思えるものなんじゃないか、という消せない想い。
     「作品を通してのクリエイターとのマンツーマンでの対話」を置き去りにして、「砂場」だけがひたすらに発展してゆくことに対する、何とも云えない違和感。それはなくはない。
     ぼくは6年以上前に「二次創作は一次創作をスポイルするか?」(http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080411)という記事を書いていて、その時は自分が何を云いたいのかうまく説明できなかったんだけれど、ようはこういうことなんだよね。
     「砂場」の面白さが先行して「作品」の魅力を削ぐようなことがあるとすれば、本末転倒ではないか? 「砂場」でウケるために物語が歪んだり、演出が手抜きになったりすることはあってはならないのではないか?
     いや、仮にそういう「ゆるい」作品の存在を認めるとしても、「ガチの傑作」が正当に評価されることがない状況はおかしいのではないか。そういうふうに考えていくと、ぼくもまたちょっと「砂場なんていらない!」と叫びたくもなる。
     しかし――とりあえずその意見は下げることにしましょう。『艦これ』なり『モバマス』がそういう問題点を抱えているというわけではないのですから。 
  • Twitterでなにげないツイートがなぜかバズっているなう。

    2014-08-22 21:06  
    51pt


     諸事情につき大変遅くなりましたが、同人誌『Fate/Bloody rounds(1)』の通信販売予約をされていた皆さまに向けて、同人誌(と、サイン色紙)を発送いたしました。明日か明後日には皆さまの所に届くものと思われます。よろしくお願いします。
     色紙に関しては、おそらく十人が十人、「なんだ、この汚い字は」と思われることでしょうが、どうかご容赦を。色紙代と送料を合わせるとほとんど黒字は出ていませんしね。
     なぜぼくはこんなだれも幸せにならないアイディアを出してしまったのだろう……。いつも思いついた時は良いアイディアだと思うんですけれどねえ。
     通販予約特典の電子書籍と短編小説についてはもう少々お待ちを。
     また、正式に『Fate/Bloody rounds(1)』の通信販売を開始いたします。SPIKEでクレジットカード決済可、送料込み1300円です。
    https://spike.cc/p/CcgYAjid
     ちなみに、電子書籍版(テキストファイル+EPUB)も販売を続けています。1000円です。
    https://spike.cc/p/en74oaDg
     また、通信販売+電子書籍はぐっとお安く1800円。
    https://spike.cc/p/gd4H8Omk
     通信販売+電子書籍+未公開18禁短編小説は2100円となっております。
    https://spike.cc/p/B9gJwUPK
     ただし、上記しました通り、電子書籍と短編小説の発行にはあと数日お時間をください。すいません、色々立て込んでいまして……(ダメな言い訳ですね)。あ、サイン色紙付きは既に書いたようにだれも幸せになれないのでやめようと思います。
     あと、同人誌『戦場感覚』及び『BREAK/THROUGH』もひきつづき販売しております。送料込み800円というお安さ。さらに2冊合わせると1500円になります。
    https://spike.cc/p/dD23B3S9
    https://spike.cc/p/pzKHubR0
    https://spike.cc/p/6r9vgAr0
     ちなみに、両者ともA5、144ページで、十数万文字の文字数があります。よろしく。なお、SPIKEを利用したくない向きは、「kenseimaxi@mail.goo.ne.jp」まで通販希望のメールをくだされば、銀行口座をお知らせしますので、そちらに振り込んでください。振込手数料はかかりますが。また、同人ショップへの委託も考えています(ただし、当然、少し割高になると思います)。
     さて、きょうの記事なのですが――何を書こう。ここ数日、何も本を読んでいないので、ひさしぶりにネタがない。というか、コミケ疲れと大きなイベント後は必ず起こる鬱で、しばらく何もできない状態が続いていたのですけれど、いいかげん始動しないとなあ。うーん。
     どうでもいい話なのですが、いま、この記事を書いている最中にリアルタイムでぼくのツイートがバズっています。 
  • 覚醒せよ! 人類の意識を目覚めさせるべく、天才監督のもとに集まる魂の戦士たち。

    2014-08-20 19:00  
    51pt


     先日、渋谷のアップリンクであの『ホドロフスキーのDUNE』を観ました。「あの」と付けてもたぶん知らないひとのほうが多いだろうけれど、これがとんでもない傑作映画。めちゃくちゃ面白かった!
     題材があまりに面白すぎるので、どう撮っても面白くなってしまう気配はあるのだけれど、それにしても素晴らしいとしか云いようがない内容で、今年のベストの一角に入って来ることは間違いなし。
     先日の『STAND BY ME ドラえもん』といい、最近は良い映画に出逢う確率が高いな、とほくほくします。まあ、面白い映画はいつでもやっていて、それと出逢えるかどうかがすべてであるのかもしれませんが……。
     アップリンクは20席ほどしか席がないいわゆるミニシアター系の劇場なのですが、平日の昼間であるにもかかわらず、ほぼ満員になるくらいひとが入っていたので、それなりに注目されている映画ではあるのだと思います。
     いや、じっさい、これはとんでもない。なぞの天才映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーのすべてがここにある!と云ってもいいでしょう。
     まあ、ホドロフスキーの名前を知っているひとは一定以上の映画ファンに限られるとは思います。いわゆる「カルトムービー」の作り手で、『ホーリーマウンテン』などの怪作で知られてはいますが、決して一般受けするクリエイターとは云えないでしょう。間違えてもデートなんかに使ってはいけない映画かと。
     しかし、この人、それでいて紛れもない奇才なんですよ。あきらかに変人ではあるんだけれど、ただの変な人ではなく、映画を通して人類の意識の変革を成し遂げようとこころみる革命家なのです。
     そのホドロフスキーが、ただ一度、メジャーシーンに殴りこみをかけようとして挫折したことがありました。
     その映画こそ『DUNE』。『スター・ウォーズ』に先立つこと数年前、フランク・ハーバートのSF小説を大胆に脚色し、人々を「覚醒させる」ことを目ざした伝説の作品です。惜しむらくは未完成に終わったものの、映画史上でも最も有名な未完成作品と云われているのです。
     しかし、なぜこの映画がそれほど注目を集めるのか? それは、この映画がきわめて個性的なメンツを集めて制作される予定であったからに他なりません。
     まずは、バンド・デシネの伝説の天才作家として知られる男、メビウス。そして、特殊効果を手がけることになる当時無名の人物、オバノン。あるいはのちに映画『エイリアン』のクリーチャーデザインを手がけ有名になるギーガー。さらにはSF小説の挿絵で活躍するクリス・フォス。
     そして、オーソン・ウェルズ(!)や、サルバドール・ダリ(!!)やらミック・ジャガー(!!!)まで、ホドロフスキーは巧みに口説き落として映画に参加させていくのです。
     ちなみに音楽を手がけるのはピンク・フロイドにマグマ。いま考えるとほとんど異常と云ってもいい超豪華メンバーで、ほとんどノンフィクションとは思えないくらい。
     ホドロフスキーはかれらを人類覚醒のための「魂の戦士」と呼び、ありとあらゆる手段を使って集めてゆきます。意識の覚醒とか、魂の戦士とか、一歩間違えるとほとんどカルト宗教以外の何ものでもないのだけれど、しかしまさにそうであるからこそ、ホドロフスキーのヴィジョンは強烈な魅力を放っています。 
  • 帰還。

    2014-08-19 19:00  
    51pt
     ども。コミケから帰還した海燕です。いやー、疲れた! でも楽しかった! 初の自分のサークルスペースでの活動ということであったわけですが、おかげさまでたくさんの人に来ていただいて、助かりました。
     差し入れをくださったり、暖かい言葉をかけてくださった皆さまには感謝の言葉もありません。ありがとう、ありがとう。みんなのおかげで生きているよ!
     冬コミにも参加して『Fate/Bloody rounds』の続刊を販売する予定なので、良ければ来てください。まだまだお話は続くのじゃよ。
     あと、『Fate/Bloody rounds』を読まれた方はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで、感想など送ってくださると嬉しいです。書き手は自分が書いている物語が面白いと信じているうちは書きつづけられるものなのですよ。その信仰が崩れた時に、作品は「エタる」のですね。
     とりあえず、ひとりでも読んでく
  • コミケ当日!

    2014-08-17 07:00  
    51pt
     さて――いよいよというかようやくというか、きょうは夏コミ参戦当日です。宣伝のため、早朝に更新させていただきます。この文章が掲載されている頃、ぼくは既に東京にいるはずですにょろ。あらためてサークルスペース番号を書いておくと、
     西地区せー04a
     ですので、皆さん、ぜひ遊びに来てください。トイレと食事を除けば、おそらくぼくは一日中サークルスペースにいるはずです。よろしくお願いいたします。
     いやー、しかし、この日が来るまで大変だった。二次創作とはいえ、長編小説を一冊分仕上げるのには、やはり手間がかかるわけです。しかも、シリーズものの一冊目だしね。どうしてぼくはこう楽を求めながら自ら大変なことを背負い込んでしまうのか……。
     まあ、ほんとうにただ楽なだけの人生は面白くもなければ張りあいもないはずなので、仕方ないんだろうけれど。どうせ生まれてきたからには、やはりいくらか面白い人生を歩みたいものですからね。
     とはいえ、面白すぎると破綻してしまうので、そこらへんの兼ね合いはむずかしいところなんだろうけれど。
     今回は新刊として『Fate/Bloody rounds(1)円卓戦役開幕』を持って行きますが、既刊の『BREAK/THROUGH』及び『戦場感覚』も合わせて何十冊か用意してあるので、よければ買ってやってください。
     『BREAK/THROUGH』のほうは残部少数です。ここで買わないともう半永久的に買えなくなる可能性があります。ぼくとしてはわりあいに心血注いだ本なので、お買い求めいただければ嬉しいです。
     では、サークルスペースにてお待ちしております。