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天才作家連城三紀彦、その伝説の手際に戦慄する。

 綾辻幸人、伊坂幸太郎、小野不由美、米澤穂信という当代一流の作家たちが、いまは亡き天才作家の輝かしい業績を追ったアンソロジー『連城三紀彦レジェンド』を読んだ。  随分と昔に買ったはずだが、読むのは遅れに遅れていまになってしまった。  しかし、この本が素晴らしい一冊であることに変わりはない。  レジェンド――伝説の人。  物故したのち、そう呼ばれるに値する作家が、この日本に何人いるだろうか。  ともかく、連城三紀彦その人は紛れもなく伝説となるべき存在であった。  その作品をひと言で表すなら、華麗、ということになるだろう。  とにかく無駄がなく、完成度が高く、しかもただそれだけに留まらない「艶」のある作品を書く人だった。  ただ単によくできた小説を書く作家はほかにもいるだろう。  だが、連城の書き方はほかのすべての作家と違っている。  すべてがあまりにも完璧に洗練さているせいで、読む者に異常に華麗な印象を与えるのだ。  それは晩年の作品に至るまでついに変わらなかった。  まるで重力を無視して自由に飛ぶ蝶のような、とでもいえばいいのか、自由自在な作品は熱狂的な愛読者を生んだ。  そして、その着想。  一生涯を通じて、連城はほかのだれにも思いつくことができないだろうと思われるアイディアを次々にひねり出す天才トリックメーカーだった。  連城の作品を読みながら、幾度、突然に重力が狂ったような酩酊感を味わったことだろう。  卓抜な発想のトリックメーカーはほかにもいるだろうが、連城という魔術師は、そのトリックを操る手際が並外れて巧みだった。  最後の最後まで読者にトリックの存在を気づかせない手際の素晴らしさ。  そして、その文章の香気馥郁たる美しさ。  探偵小説はトリックを成立させるためにときにその構造を歪めなければならないなどといういい訳は、一作の連城三紀彦を前に恥じ入って退散するしかない。  なぜなら、連城の作品は、その内に驚天動地のアクロバティックなトリックを仕込まれていながら、何よりもまず小説として美しく完成されているからだ。  この作家は、何かしら逆転のトリックを仕込むために、小説としての洗練を犠牲にするということをしないのだ。  たとえ、あまりに破天荒なプロットのためにどうしようもなく全体の構造が歪むことがあるとしても、その歪みすらもが美しく整えられている。それが連城三紀彦独創の世界なのである。  なんという作家だろう。  たとえば 

天才作家連城三紀彦、その伝説の手際に戦慄する。

書き出しが良いとそれだけで傑作に思える症候群。

 ども。  なんかめちゃくちゃ長い記事を書いてしまったので、すぐには内容のある記事を書く気になれません。  あの長さの記事をだれが読むのかという気がしますが、何人かには読んでいただけたようで幸いです。  我ながらひきこもりの身の上でよくこれだけ書けるものだと思いますにょろ。だれも褒めてくれないから自分で褒めておこう。  まあとにかくやる気が湧き出てこないので、ひとつコピペだけで安直な記事でも作ろうかと思います。  ちょうどTwitterで「印象にのこる小説の書き出し」に関するツイートが流れてきたので、これに便乗することにしましょう。  ぼくが、個人的に印象に残っている小説の書き出しです。  まずは、そう、  九歳で、夏だった。  乙一ですね。  「夏と花火と私の死体」。  極限まで簡潔な――というかほとんど極限を超えて文法的におかしいのではないか、と思われる一文が印象的です。  16歳でこれが書けてしまうということは、やはりただ者ではない。天才の片鱗は既にここに表れています。  続いては、  申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。  太宰治の「駈込み訴え」。  この疾走的なリズム感。こういう小説を書かせると太宰は日本文学最強の書き手ですね。「生かして置けねえ」と崩れるところの迫力が凄い。  ちなみにこの小説は青空文庫で読めます。かなり泣かせる傑作短編なので、オススメ。  香気馥郁たる美文、ということでは、やはり連城三紀彦の文章が印象深いものがあります。  特にこれ、と挙げるのなら「花緋文字」でしょうか。「花葬」シリーズのなかでも凶悪ともいうべき一作ですが、その冒頭の美しいこと。  石畳に水でも打ったように滲む茶屋の灯を小波だたせ、一陣の秋風が吹きぬけるなか、三津が、私の呼び停めた声につと高下駄の音をとめてふり返り、 「――兄さん」  思わずそう呟いたものの、まだ誰か思い出せぬように、首を傾げて立ち竦んでいたのを、今でもはっきりと憶えております。  また、個人的に気に入っているところでは、石田衣良『波のうえの魔術師』があります。  石田衣良の全作品のなかでも、この作品の書き出しはスペシャルに格好いいと思う。凡手が真似できない匠の切れ味。  灰色のデジタルの波が、水平線の彼方から無限に押し寄せてくる浜辺。夜明けの青い光りのなか、馬鹿みたいに砂遊びをしているおれが目をあげると、遥か沖合いにダークスーツの小柄な老人が見える。つま先を波頭に洗われながら、魔術師は灰色の波のうえに立っている。足元で砕け散る波は、細かな数字の飛沫を巻きあげ、老人の全身に浴びせかける。だが、魔術師は濡れもせず、波のうねりに揺れもしないで、視界を圧して広がる海原のただなかにまっすぐ立っている。  波のうえの魔術師だ。  秀抜な文章もさることながらイメージそのものが美しい。  「灰色のデジタルの波」、「細かな数字の飛沫」、そして「波のうえの魔術師」。  こういう繊細なイメージを味わえるのが小説の醍醐味ですね。  石田衣良は格好つけるとほんとうに格好いい。天才的です。  さて、ここらへんで有名どころをひとつ押さえておきましょう。ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』。  港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。 「別に用(や)ってるわけじゃないんだけど--」  と誰かが言うのを聞きながら、ケイスは人込みを押し分けて《チャット》のドアにはいりこんだ。 「――おれの体がドラッグ大欠乏症になったみたいなんだ」  《スプロール》調の声、《スプロール》調の冗談だ。《茶壺(チャツボ)》は、筋金入り(プロ)国外居住者用のバーで、だからここで一週間飲みつづけても、日本語はふた言と耳にしない。  うん、一読して「は?」となった人もいるかもしれませんが、「空きチャンネルに合わせたTVの色」とは、つまり曇り空の灰色のことです。  この小説の冒頭の舞台ははるか未来の「千葉市(チバ・シティ)」なのだけれど、いったいどこの千葉なのだろう……。  個人的にあらゆる書き出しのなかでもベストに近いと思っているのが、 

書き出しが良いとそれだけで傑作に思える症候群。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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