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『Re:ゼロ』は骨太にして王道の傑作ループファンタジーだ。

 『Re:ゼロから始まる異世界生活』の第2話を見ています。  ほんとうは世間は第3話が放送されているのだけれど、ぼくの住んでいる地域では見れないので、ニコニコで第2話を視聴しているわけです。  このペースで行くと次の次くらいで原作第1巻の内容が終わるかな?という感じ。  さすがに面白いですね。いまどきのアニメのなかでは特別に目立つ内容ではないかもしれませんが、物語としてのクオリティはぴかいちなので、未見の方がいたらぜひ見てみることをお奨めします。いい作品ですよ。  以前にも書きましたが、ぼくはこの作品は一本の物語としては『Fate』に匹敵するくらいのポテンシャルを持っていると考えています。  つまり、現代最高水準ということです。  それくらいこの『Re:ゼロ』という物語への評価は高い。めちゃくちゃよくできたシナリオだと思うのですよ。  少しずつ「面白さ」を積み上げていく王道にして正統派のストーリー。  ただ、まさに正統派であるだけに「掴み」は弱いかもしれないんですよね。  ループものという設定も最近ではありふれているし。  最近ではもっと変則的な作品も増えているわけだし。  『はいふり』とか『はいふり』とか『はいふり』とかね(第1話の終盤で初めて『ハイスクール・フリート』という真のタイトルがあきらかになった作品。おかげで第2話を録画しそこねた人が続出しているようですね……)。  そういう作品と比べると、『Re:ゼロ』はある意味で直球勝負だし、べつの意味では古くさく思えるかもしれない。  非常にストレートなだけに骨太な力強さがあって、ぼくとかペトロニウスさんみたいな「物語」を愛するタイプの人は好きになるわけだけれど、現代においてはどうなんだろうなあ。ウケるのかなあ。  純粋な「物語」の骨格という文脈では『Fate』とかに匹敵するにしても、キャラクターの魅力という意味では奈須きのこ作品みたいなスーパー個性を持っているわけではありませんしね。  いってしまえば地道で地道な作品なのです。  いや、物語としての面白さはずば抜けているので、ほんとうにヒットして第二シーズンまで行ってほしいのですが、どうなんだろ。  アニメは非常にていねいに作られているので、大切にされている作品だということはわかるのですが。  これも以前に書きましたが、『Re:ゼロ』は必ずしも「小説家になろう」的な作品ではありません。  「なろう小説」としてはあまりにも構成が秀抜すぎる。文章もうますぎる。ようするに一本の小説としての完成度が高すぎるのです。  小説としての品質はおそらく「なろう」でもトップクラスにある。  そして、王道にして骨太の物語でもある。  ただ、 

『Re:ゼロ』は骨太にして王道の傑作ループファンタジーだ。

『Re:ゼロから始める異世界生活』はプロフェッショナルな「なろう小説」だ。

 dアニメストア+chromecastでアニメ『ハンドレッド』を見ています。  いや、見ているのだけれど、え、これ、箕崎さんの原作なの(驚)。し、知らんかったー。  いやー、びっくりしたびっくりした。あー驚いた。  それはともかく、といきなり本筋に入るのですが、ニコニコ動画で『Re:ゼロから始める異世界生活』第1話を見ました。  うん、よくできていますね。いくらかショートカットしつつ、原作を巧みにアニメ化していると思います。  というか、最近のアニメってほんとうによくできているよなあ。  今期はBSとdアニメストアで視聴できるアニメはほとんど見ているんだけれど、どれもそれなりかそれ以上の出来だったもの。  『ばくおん!!』とか『三者三葉』とか『あんハピ』みたいなどうということはない萌え日常アニメですら見ていてそれほど退屈しない。  『Re:ゼロ』はある意味ではそれらの対極にあるような異常にきびしい話であるわけですが、これもクオリティが高い。  原作を思い出しつつ、最後まで追いかけていきたいと思います。  これは2クールかな? そうだとしたらかなりいいところまでアニメ化できそうですね。  ただ、意外と第1話の序盤で切ってしまう視聴者はいなくもないかも。  この序盤を見ただけではあとの展開はまったく想像できないでしょうから。  いや、普通、想像しないよな、ここからあんな地獄のような物語が展開しようとはてんてんてん。  第1話の後半に入るとかなり恐ろしい展開になってこの作家のカラーが出て来るので、おそらくそこで継続視聴を決定する視聴者も出てくることでしょう。  いや、逆に切る人もいるかもしれないけれど、そういう人はもうしかたない。  ここで厭になるようなら、この先の展開に耐えられるわけはありませんからね……。  そういう意味では、第1話で2話ぶんの時間を取った意味はあったでしょう。大事にされている作品だな、と思います。  原作は「なろう」でもちょっとずば抜けた印象の作品ですから、アニメを制作するほうも力を入れているのでしょうね。  そう、原作のクオリティはおそらく「なろう」でもトップクラスにあるものだと思います。  その出来のよさといったら、ごく狭い意味では「なろう小説」に入り切るものじゃないんですよね。  なろう小説にしては構成がしっかりしすぎているw  もう一読しただけで物語の隅々に至るまで緻密な「計算」が行き届いていることがわかるわけです。  どこで伏線を敷き、どこで裏切り、どこで盛り上げ、どこで恐怖を演出し、どこでそれを乗り越えさせるか、一から十まで何もかも「計算」されている。  その十全なコントロールの感覚こそが一般のなろう小説にはめったにないもので、「プロらしさ」の根源です。  以前にも述べたように、プロフェッショナルな小説とアマチュアの小説を分かつ境界は構成力の有無にあると考えます。  もちろん、プロの作品にだって構成がだめだめな作品もあるにはあるのだけれど、そうはいってもプロはそれなりに構成する人が大半でしょう。  しかし、アマチュアのウェブ小説はそこまで構成にこだわらないことが普通なのですね。  これは技術的にそこまでこだわれないということもあるでしょうが、それ以前に構成の必然性を感じていないということが大きいかと思います。  アマチュアの書き手はその多くが漠然とした構想に従って書いている。  しかし、プロは、というか実力ある作家は明確な構想のもと精密に書いていく。  あるいは「ただなんとなく」書いても無駄なくまとまってしまうという人もいるかもしれませんが。  いや、ほんとにいるんですよね、そういうわけのわからない才能の持ち主が。世界は広い。  ともかく、一流の書き手は大抵そうであるわけです。  しかし、これは単にプロが優れていてアマチュアは劣っているという話ではない。  いや、「プロの基準では」そういう話なのだけれど、そもそもアマチュアの小説はその種のプロのスタンダードを無視したところで成立しているわけなのです。  読むほうだって必ずしも緻密な計算を求めて読んでいないし、それはそれで楽しく読めるものなのです。  そこには「すべてが制御され切った美しさ」はないけれど、「だらだらとした気楽さ」はあるわけですからね。  ただ、その点、『Re:ゼロ』はものすごくプロフェッショナルな印象を受ける。  「なろう」の作品としては異常なほど構成意識が高いのです。  細部に至るまで描写が操作されていて、全く無駄がない。  こういう作品を称してひとは「構成力がある」というのでしょう。  そういう意味では『Re:ゼロ』はまさに破格のなろう小説ですね。「1%の特例」といいたくなるほどに。  もっとも、一般的な小説の基準としてはそんなにおかしいことをやっているわけではないので、「スペシャル」というのははばかられますが。  『Re:ゼロ』がスペシャルな点はほかのところにあるでしょう。  ご存知の通り、かどうか知りませんが、ペトロニウスさんはかなり初期からこの小説を取り上げて絶賛していました。  ペトロニウスさんが『Re:ゼロ』を好きなのはよくわかるのですよ。  あのきつい物語を根性で乗り越えていくところが好きなのでしょう。たぶん。  ただ、やっぱりあまりにもきつい話には違いないと思うので、いま、この物語がどういうふうに受け入れられるかは気になるところですね。  いや、原作はアニメ化されるくらいだから売れているのだろうけれど、アニメがどう受け止められるかはまたべつの話ですから。  ぼくは個人的には『Re:ゼロ』の物語的なポテンシャルは『Fate』とかに匹敵するものがあると考えています。  ただ、 

『Re:ゼロから始める異世界生活』はプロフェッショナルな「なろう小説」だ。

オタクにとっての「教養」は崩壊した。次は「常識」がなくなるだろう。(2124文字)

 ペトロニウスさんに奨められて「小説家になろう」の人気作品『Re:ゼロから始める異世界生活』を読んでいます。 http://ncode.syosetu.com/n2267be/  まだ序盤で、いまのところ、なかなかおもしろいですね、というくらい。いまとなってはお約束ともいえる定番のループもので、「死ぬと過去に戻る」という能力を持っている主人公の話みたい。  まだ全貌が見えるところまで行っていませんが、ペトロニウスさんが絶賛するほどの作品ですから、「何か」はあるのだと思います。続きが楽しみ。  で、直接は関係しない話なのですが、このお話のなかに「剣聖ラインハルト」という人物が出て来るんですね。ぼくはこの名前を見たとき、ちょっと苦笑してしまいました。いやいや、ラインハルトといえば金髪の孺子だろう、と(笑)。  ひょっとしたらわからないひとがいるかもしれないので解説しておくと、ラインハルト・フォン・ローエングラムは田中芳樹『銀河英雄伝説』の主人公(の片割れ)です。ぼくのなかではラインハルトといえばこの金髪の若者であって、ほかのラインハルトなどありえないんですね。  あまりに有名なキャラクターだから、ほかの作品でもかれの名前を使用することは避けて当然だと思うんだけれど、この作品ではそういう配慮はされていないみたい。で、ふと思ったのは、ひょっとしたら作者さんは『銀英伝』を読んでいない世代のひとなのだろうか、と。  ぼくの感覚では、まあ『銀英伝』を読んでいないことはまだありえるとしても、ラインハルトの名前すら知らないなんてことはありえないことなんですが、もうそういう時代じゃなくなっているんだろうなあ。  昨日のラジオでも少し話したんですが、オタクにとっての「常識」というものが急速に崩壊しつつあるようです。「あの作品を読んでいないのはオタクとしてダメだよねー」みたいなオタク教養主義はとっくに崩壊したけれど、教養なんてものじゃない「これはさすがに読んでいるだろう」みたいな作品でも、「存在すら知りません」ということがありえるようになった。  ぼくはそれを非難するつもりはないけれど、やっぱりね、もったいないとは思う。ひとつにはリアルタイムで生み出されるコンテンツがあまりに充実しているので、古典的名作(クラシック)に目が行かないということもあるんでしょうね。  

オタクにとっての「教養」は崩壊した。次は「常識」がなくなるだろう。(2124文字)
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年新潟生まれ。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。

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