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記事 23件
  • リア充体験企画第一弾。街コンへ行ってみよう!

    2014-05-31 03:32  
    50pt
     ども。海燕です。無線LANの子機を買い換えたら、これが不調で気分はダウナー。300Mbps出るはずの速度が1Mbpsしか出ないというありさまで、サポート電話をかけても埒が明きません。どうなっとるんじゃ。
     おかげで1Mbpsの速度でインターネットしているわけですが、いやあ、リアルタイムウェブは辛いね! ただのブラウジングすら容易でない感じ。光回線、いみねーなー。
     ぼくはひとつうまくいかないことがあるとそれだけで海より深く落ち込む人なので、今回も落ち込みました。いまも落ち込んでいます。たいしたことじゃないといえばそうだろうけれど、ものごとが予定したとおりに進まないといらいらするんだよね……。まったく心が狭いことで情けないです(ため息)。
     さてさて、そうはいってもあまり長い間落ち込んでいるわけにもいかないのは、あした、月初めからいきなりイベントが入っているからです。イベント! ひきこもり
  • 木曜時代劇『銀二貫』は胸に沁みいる名作。

    2014-05-29 21:21  
    50pt
     ふと気づいたら数日間も更新を休んでいました。この数日、何をしていたかといえば、何もしていなかったような気がします。まあ、ラジオとかはやりましたが、そのほか細々としたタスクをこなしたりもしましたが、究極的には何もしていない。
     人間はどこまで無為に生きられるのか実験するような日々でした。うーん、その前はかなり忙しかったのですけれど、ひと通りタスクをこなしてしまったら急にやることがなくなってしまった。
     こういう時は次に忙しくなる時のため色々と準備をしておけばいいようなものの、ぼくはその時になるまで何もできない男なので、そういうわけにもいきません。
     さて、何をしたものか、と考えるうちに二日が過ぎ、三日が過ぎ、そしてきょうという日になってしまったわけです。ああ無情。そんな自堕落な日常のなか、ひとり寝そべりポテトチップスを齧りながら見ていたのが、NHKの木曜時代劇『銀二貫』。
     これがねえ、実に面白い。筋立てそのものの出来もさることながら、芸達者ぞろいの俳優陣の演技が見どころで、毎回毎回、息詰まるような、あるいは涙こぼれ落ちるような物語が展開されています。
     もう全9回のうちの8回まで終わってしまったので、いまさらオススメはしませんが、いずれ必ず再放送されるでしょうから、その時にはぜひ観てみてください。ほんとうにすばらしい作品です。
     在りし日の上方の空気が伝わるような雰囲気もさることながら、やはり何といっても凄いのは各キャストの芸の力。なるほど、演技力とは凄いものだな、と思い知らされます。いやあ、ひさしぶりにいいドラマだった。
     『ブラック・プレジデント』とか楽しそうに見ているうちのオヤジにも観せてやりたいけれど、こういう重厚なドラマは好きじゃないんだよね……。まあいいんだけれど。
     このドラマを観ているとつくづく思い知らされるのは、禍福はあざなえる縄の如し、人生は幸福と不幸のくり返しのなかでくり広げられるものなのだな、ということです。
     人生は決して歓びだけでは終わらない。哀しみがあり、苦しみがあって初めて、ひとは生きることの歓喜を知る。そう、理屈ではなく思い知らせてくれる名作です。いや、ほんとうにすばらしいですね。津川雅彦ってやっぱり凄い役者なんだなあ。
     それにしても、こういう少数の幸福な例外を除外すると、テレビではほとんど時代劇を見ることはなくなってしまいました。かつてあれほどまでに隆盛をきわめ、永遠に繁栄しつづけるかとすら思われた時代劇のこの凋落は何なのでしょう。
     色々な原因があるのでしょうが、 
  • 金持ちのイケメンほど大変な人生はないかもしれない。

    2014-05-24 17:22  
    50pt


     ASKAが覚醒剤の違法所持で逮捕されたことについては過去の記事でもふれましたが、この事件とは無関係に最近、たまたま読んだのがちきりんさんのこの記事。
    http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20071218
     ここには「金づる」になる人について、こう書かれています。

     売人側は、一度こういう人を見つけたら“決して離さない”し、最初から積極的に“アプローチして”きます。たとえば最初は合コンで、かわいい女の子があなたに目線を送ってくるんです。
     で「あれ? えっ? そういうこと?」とか言って、いい感じになったら、ベッドの中でさあこれから!って感じのタイミングで彼女は言い出します。「ねえ、コレ使おうよ」と。
     彼らはどうやれば男性側が最も断りにくいか、熟知してます。ちなみに、この女性もかるーくジャンキーです。こういう役目を担うことにより、彼女は自分の薬代を一ヶ月分タダで手に入れられる。そう言われれば、この役目を(喜んで)引き受けます。
     つまり、あなたが「超有名人の、お金持ちの、息子、娘」であったなら、こういうことの誘惑は、普通の人であるあなた、私より、圧倒的に大きいんです。
     有名な芸能人、スポーツ選手、政治家などの息子、娘であって、一度こういうものが手に入ってしまうと・・・相手が離してくれなくなるんです。

     なるほどなあ。それは断れないよなあ。はっきり覚醒剤だとわかっていたらそれでも断るかもしれないけれど、「ちょっと気持ちよくなるお薬」とか云われたらちょっとこれは断りづらい。
     そして一回使ってしまったらあとは泥沼。つまりは金持ちや金持ちの家族は、こういうことに対して一般人の何倍ものリスクを抱えて生活しているということなんでしょうね。そしてまた、一般人の何倍かの自制心を求められていると。
     かれらがしばしば薬物絡みの事件を起こすのは、必ずしもひとよりだらしない性格だったり、また「甘やかされてダメに育った」からではなく、そもそもリスクが高いところで暮らしているからなんだというお話。うーん、恐ろしい。
     莫大な資産を築きながら一朝にすべてを失った小室哲哉などを見てもわかる通り、成功者のもとにはそのお金を狙う人々が集まって来る。だから成功者はだまされることを警戒しなければならない。
     そうかといって「人間なんて誰も信じられない」とか云い出してしまうと、今度は人間不信の猜疑地獄に落ちるだけだし、ほんとうにここらへんのバランスはむずかしい。いちばんのディフェンスは「経済的に成功しないこと」なのではないかと思うくらい。
     まあ、もちろんそれでもなおすべては自分の自制心の問題なのであり、ひとに責任を仮託する訳にはいかないということも真実ではあるけれど、それはいかにもきびしすぎる正論だよなあ、とも思う。
     正論であることは間違いないけれど、そこには「正しさより大切なものが欠けている」のではないか。ドラッグの使用に対して寛大になれというつもりはない。そうではなく、平均的な人より遥かにリスキーな状況にある人々に対して優しい視線があってもいいのではないか、ということだ。
     あなただって、ようやくベッドに連れ込んだ可愛い女の子に、「ね、ちょっとこのビタミン剤(でも媚薬でも)使ってみない?」と云われたら断りきれないと思いませんか。まさかその子がバイニンの手先だろうとは思いもしないのが普通だろうと思う。
     じっさい、そういうことがあったのかどうかはわからないけれど、そういうような手管が使われたのだとしたら、ぼくはドラッグ中毒者に少々同情してしまう。もちろん決して「仕方ない」わけではないにせよ、だ。
     まあ、日本は世界的に見ても相当ドラッグに対してきびしい国民感情を持っている国で、何年も前から近いうちにドラッグが蔓延するだろうと予言されているにもかかわらず、そういう事態にはなっていない。
     たとえば、いまから9年前の2005年に発売された『こどものためのドラッグ大全』という本では、こう書かれていた。 
  • 「正しい意見」がいつも最大の価値をもつとは限らない。

    2014-05-24 12:48  
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     小野不由美の『十二国記』に「華胥」と題する短編がある。ある国家の衰亡を描いた作品だが、そのなかでこんなひとことが読者に突きつけられる。「責難は成事にあらず」。
     「何かを非難することはものごとを成し遂げることではない」というほどの意味だ。ぼくはつくづくこの言葉に考えさせられた。
     きょう、インターネットにはひとを非難する言葉があふれているし、だれよりぼく自身、色々な批判をくり返して来た。しかし、それらはしょせん、何かを成し遂げることではないというのだ。この言葉をどう受け止めれば良いのだろうか?
     ひとつには、こんな言葉は妄言だと切り捨てることができるだろう。批判には価値がある、間違えた意見を批判していかなければ社会はそういった意見が蔓延し、社会は腐敗してしまうのだ。間違えている意見を批判し正すことは必要な上に重要なことなのだ、と。
     これは一面で正しいように思う。『十二国記』にしても、批判は必要ないと云っているわけではないだろう。ただ、必要ではあっても、「成事」ではないと云っているのである。
     どういうことか。ぼくなりに云い換えるなら、何かを批判することは「マイナスをゼロにする」行為で、「プラスを生み出す」行為ではないということになる。
     「間違えた意見」という「マイナス」を減らしていくこともたしかに必要だけれど、それが「プラス」を生んではいない以上、その意見を述べている者がそれによって高く評価されないとしても仕方ないのだと思う。
     世の中には、時に間違えた意見を云っているひとが、いつも正しい意見を云うひとより目立っているように思われる場面がある。
     これは理不尽な状況であるようにも思われるが、しかし、収支決算としてみれば、いつも正しいことを云っていても批判ばかりしかしないひとより、時に間違えてマイナスを出しても、プラスの価値を生産できるひとのほうが評価されるのは当然のこととも云えるのである。
     それくらい、社会にプラスの価値をもたらす言説というものは貴重なものなのだ。
     さらに云えば、意見ないし主張の「正しさ」と「価値」はまた別なのかもしれない。「正しくても無価値な意見」はあるし、また、「間違えていても価値がある意見」もありえる。たぶん、「正しさ」こそがすべてだと考えると、色々なことが混乱してくるのだろう。
     いちばんシンプルな例を考えてみよう。だれかが「1+1=3」と主張しているとする。これは明確に「正しくない」意見だ。したがって、「それは間違えている!」という批判が集まることだろう。
     それらの批判は「正しい」。したがって、受け入れられるべきである。ここまでは、ぼくも納得する。
     しかし、「1+1=2に決まっているじゃないか」という意見は、既存の、あたりまえの常識をなぞっているだけに過ぎず、べつだん新たな価値を創出してはいない。それが「責難は成事にあらず」という言葉の意味なのではないだろうか。
     何かしらの批判が「マイナスをゼロにする行為」であるとすれば、「プラスを生み出す行為」とは、 
  • 人生とはゲームなのだろうか?

    2014-05-24 01:17  
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     ども。Playstation3専用ゲーム『アイドルマスター ワンフォーオール』を購入しました。ついにぼくもプロデューサーデビューです。
     世間ではどんどんお金がなくなる魔性のゲームともいわれているけれど、大丈夫、ぼくにはじゃんじゃんお金が出て来る魔法のカードがある! その名もクレジットカード! これさえあればお金の心配は無用さ!
     ――魂まで冷え込むような寒すぎるネタはともかく、今回は色々とシステムやバランスが調整されていて熱心なファンにも評判がいいようなので、楽しみにしてます。
     特にDLC(ダウンロードコンテンツ)を買わなくても楽しめるようだし、まあ、ぼちぼちやって行こうかと。でもなあ。ぼく、けっこう形のない電子データとかに平気で課金しちゃうタイプなんだよなあ。LINEのスタンプとか買いまくっているし。
     いつのまにかDLCに大金をつぎ込んでいた、ということにならないか心配。まあ、そもそもコンピューターゲームの本質は「形のない電子データ」ですから、そういうものにお金を払う人ならDLCが欲しくなっても当然という気もしますけれどね。
     とにかくやってみよう。テレビゲームは一作プレイするとどんどんやりたくなりますね。ぼくは決して熱心なゲーマーではないのだけれど(少なくとも自分ではそう思っている)、やはりゲームの持つ悪魔的な魅力に心惹かれるひとりではあるのかもしれません。それを云うなら人生そのものがひとつのゲームだし。
     「リアルはクソゲーだ」とは、『神のみぞ知るセカイ』の主人公、桂馬の口癖ですが、ぼくの人生はそこまでクソゲーでもない。たぶん難易度はイージーモードに設定されていると思う。
     いろいろと辛いことはあったけれど、でも、基本的にはここまで気楽に生きている。ネットで文章を書いて暮らせるなんて、それはそれは夢のように気楽な人生です。素晴らしいですね。
     ただまあ、気楽なひきこもりライフを続けてみて思うことは、「何もしないでいる」ということは決して楽なことではないということです。
     ニートブロガーで有名なPhaさんは常々「だるい」と口にしていますが、かれはおそらく「何もしないでいること」の才能があるのだと思う。
     ぼくは自分もそうだとずっと思っていましたが、いまにして考えるとそうでもないんでしょうね。やっぱりあまりに何もしないでいると、何かしたくなる。僕は意外にそこそこ行動的な人間なのです。
     パワフルとかエネルギッシュというには、行動力の絶対値が足りないけれど、でも四六時中何もしないでいられるタイプではないみたい。「退屈」というとのとはちょっと違っている。「力が余る」という表現が適切でしょうか。
     だから、何かしたくてたまらないんだけれど、具体的にできることがあまりないということでぼくは長い間、鬱屈して来たような気がします。だれか仕事ください。
     で、まあ、そうかといって「こういうことをしたい」というヴィジョンがあるかというと、それもないんですよね。そもそもぼくは平均と比べて野望とか欲望が強い人間ではないと思う。
     ネットには「お金がない」とか「恋人がいない」ということで自分の不遇を嘆いているひとが大勢いるわけですが、似たような状況のぼくがそれに共感しきれないのは、元々、大した望みを持っていないからだと思う。
     もちろん、ごくあたりまえの生活を送れて、たまにちょっと贅沢できるくらいの収入は欲しいのですが、それ以上のお金とか、名声とか、恋人とか、家庭とか、べつに欲しくないんだよね……。
     もちろんあったらあったで良いものには違いないんだろうけれど、 
  • ニコ生告知。

    2014-05-23 20:39  
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     ども。24日夜22時くらい?から会員限定のニコ生を放送する予定です。めずらしくてれびん以外のゲストをお呼びしました! よければお聴きください。
    http://live.nicovideo.jp/watch/lv180463054
  • ぼくたちは排外主義に対し何ができるだろうか。

    2014-05-23 18:38  
    50pt
     きのうのことだ。書店の店頭で『中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか』という本を見つけてうんざりした。経済が沈滞するなか排外主義が横行する。どこの国でも同じことなのかもしれないけれど、あらためてそのどす黒さを突きつけられた感じ。
     べつにインターナショナリズムの理想に傾倒するわけでもないけれど、こうも低俗なナショナリズムに共感できないのは当然で、まあ阿呆らしいよな、と。
     そういうわけでげんなりしていたところ、「ハラール肉と排外ヒステリア」という記事を発見。
    http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20140523-00035595/?__from=mixi
     イギリスのイスラモフォビア(イスラムに対する嫌悪感)に関する記事なのだけれど、そうか、イギリスもか、とうなってしまう。というか、当然ながら経済の沈滞も、排外主義の興隆も、向こうのほうがずっと先を行っているだ。
     浦沢直樹の『MASTERキートン』や『MONSTER』でしばしば排外的な人物が登場していたことを思い出させられる。
     世界の国々や民族がより近づいていく過程で右傾化が進むのは自然といえば自然で、そういえば最近はテレビも「日本すごい」「日本大好き」と外国人に云わせて悦に入る類の番組が増えているみたいだ。
     イギリスに話を戻すと、こういうのって伝統的な左派のひとから見れば露骨なレイシズム以外の何ものでもなく、嫌悪するべき状況だったりするのかもしれないけれど、ロジックでもってハラール肉に問題がないことを指摘しても何の意味もない。
     なぜならこれは「そういう問題ではない」からだ。大きいのは情緒の問題なのだ。もちろん、排外的な主張に対していちいち「それは論理的に間違えている」と指摘してゆくことも大切だろうけれど、それですべてが解決するわけではない。問題は具体的な言論の背景にある「言葉にならない不安」なのだから。
     それはこの場合は「イスラム教徒に国を乗っ取られるかもしれない」というものだろうし、日本でいうなら「中国に侵略されるかもしれない」「韓国人に支配されるかもしれない」ということだろう。そして「伝統に帰れ」という主張が声高に叫ばれることになる。
     その「伝統」なるものも、じっさいには近年に捏造されたものに過ぎなかったりすることも少なくないわけだが――。しかし、繰り返すが、ロジックでもって解決する問題ではないのである。
     「論理的に批判すれば問題は解決する」という考え方は、それ自体、きわめて非合理的なものだということ。現実を無視した論理至上主義は、それそのものがある種の信念というか、宗教というか、そういうものだとすら云えるのではないだろうか。
     これはべつに論理を軽んじているわけではなく、ただ、論理だけで何もかも解決するという訳にはいかないと云っているだけである。あたりまえのことだ。ひとはそもそも論理的に生きているわけではないのだから。
     まあ、21世紀が進むにつれイスラム教徒は増加してゆく一方だそうで、イギリスはこれからぼくたちがイメージするイギリスとは違う国になっていくのかもしれない。それも歴史の必然、と達観しきれるひとだけではないことは、むしろ当然といえるのではないだろうか。
     いったん排外主義に染まったひとの考えを変えることは、きわめてむずかしそうだ。だから、問題は 
  • 放射能汚染された病の時代を描く名作「On You Mark」。

    2014-05-22 00:17  
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     ども。海燕です。ついに長かった『ソードアート・オンライン ホロウ・フラグメント』のエンディングを見ました。いやー、長かった。悪いゲームではない、いや、むしろ良作の部類に入る作品ではあるのだけれど、いろいろと操作が複雑で、疲れました……。
     もうしばらくRPGはいいかな、って思ってしまう。アクションかシミュレーションかアドベンチャーをやりたい。『チャイルド・オブ・ライト』をやろうかなあ。それとも積みゲー化している『シュタインズ・ゲート』をいいかげんクリアするか。それともそれとも『ゼルダ』なり『マリオ』なり『逆転裁判』をやってみるか――。
     ここ何年かほとんどゲームをしない生活を送って来たのだけれど、いざやってみるとやっぱりもっとやりたくなりますね。テレビゲームは人間を堕落させるための悪魔の贈り物なのかもしれないという気がします。芥川龍之介の『悪魔と煙草』みたい。
     そろそろプレイステーション4を買おうかなあとも考えているのですが、いかんせん、まだソフトがそろっていない印象ですね。もうちょっとラインナップが充実したら買いましょう。いま買いたいの『アサシンクリード4』くらいしかないもんね。
     ああ、そういえば、『アイドルマスター ワンフォーオール』なんかも出ていますね。うーん、やってみてもいいけれど……。
     それにしてもゲームを一本クリアしようとすると、時間をごっそり持って行かれます。最近のゲームはワンプレイ60時間くらいかかるのがあたりまえな感じなので、ほんとうに大作をプレイした感じがします。
     いやー、でももっとタイトにまとまった作品をやりたい気もあるんだけれどね。そうなると『rain』とかになるのかなあ。興味はあるんですけれど、『rain』。6月5日発売か。
     さて、話は変わりますが、ASKAが覚醒剤所持で捕まったおかげで、宮崎駿監督の11作品を収録した『宮崎駿監督作品集』の発売が延期されたそうです。
     同作品集には映像特典としてCHAGE&ASKAのプロモーションフィルム「On Your Mark」が収められていたため、これを削除するのだとか。思わず「えー」と云わずにはいられないアレな展開ですね。
     「On Your Mark」を収録していたDVD『ジブリがいっぱい SPECIAL ショートショート』の出荷も既に停止したそうで、まさかこの作品がこのまま封印されてしまうのではないかと思うと恐ろしいです。
     うーん、べつにドラッグの使用を正当化するつもりはないけれど、こんな形で音楽に罪を着せる必要はないと思うけれどなあ。薬物中毒のアーティストを追放したら音楽史がどれほど貧しくなることか。
     そもそも『On Your Mark』はプロモーションフィルムとはいっても、れっきとした一個の作品で、しかも歴史的な傑作。いちファンとしてこの事なかれ主義的な判断にはブーイングを起こしたいところです。
     まあ、「On Your Mark」は 
  • 資料あさりの日々。

    2014-05-18 22:12  
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     ども。海燕です。最近、妙にタスクが溜まっていて忙しないような、充実しているような、微妙な感じです。
     まあ、ぼくの忙しないというのは、一般的な感覚に照らし合わせると「ヒマ」ということになるのかもしれませんが、でもタスクが溜まっていることは事実なんだよなあ。
     もっとも、このタスクというのも「ブロマガの新しい記事のため資料を読み込む」とかだったりするわけですから、まあ、やってもいいしやらなくてもいいという性質のものではあります。
     ただ、それを云い出すとどこまででも堕落できてしまう。本なんて読まなくてもいいし記事を書く本数だって減らしてもいいわけです。だけど、これ以上そういう努力を欠かしたらおしましだよね、という気がしなくもない。
     まあ、それを「努力」といえるかというと、かぎりなく怪しい話ではあるんだけれど……。自分が面白いと思わない本でも教養のために読んでおこう、とかそういう発想はない
  • 豊穣な友人関係は何ものにも代えがたい価値があるが、作ることはむずかしい。

    2014-05-18 03:06  
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     前の記事の続きというわけでもないんですけれど、『ロケットマン』の話をもう少し。この漫画にはすごく好きな話があります。
     クライマックス近く、主人公の属する組織が敵側の圧力によって銀行口座を使えなくされてしまう窮地の場面です。そこに、それまで役立たずとしてのけ者にされていた形のヒロインの女の子がやって来るんですね。
     彼女は基本的には「普通で平凡なただの女の子」で、特別な能力は何もありません。しかし、主人公を初めとしてたくさんの有能な人々がどうしようもない事態にあって、彼女は一本の電話をかけるのです。
     その電話の先は以前の事件で知り合いになった経済学の天才少女。その事件のときに携帯電話の番号を交換していたのです。で、その少女がまた知り合いのアメリカ経済の守護神グリンストーン議長(笑)に電話をかけて、何と、その事態を解決してしまうんですね。
     そしてそのヒロインは主人公に向かって云うのです。「どう? 私がいてありがたいと思うでしょ!」。主人公は唖然とするばかり。この話がもう、最高だと思うんですよ。
     いろいろな難事件を経ていまやロケットを飛ばすまでになって、ある意味ではこの「平凡な女の子」を甘く見ていた主人公がしっぺ返しを食う展開がもうね、すばらしい。
     と、同時に、「権力ってこういうものだよなあ」とつくづく思わせられるんですよね。何度も云いますが、このヒロイン自身は何の力もないのです。
     でも、偶然に力を持った存在と知りあったときに、携帯番号を交換しておいたというだけで、居並ぶ天才たちですら解決できない事態を何とかしてしまう。たった一本、電話をかけただけで、です。これを権力と呼ばずして何と云おう、と思いますね。
     つまり、才能ある人間を押さえておくということはこれほどまでに重要なことなのだということですね。『パスポートブルー』でも、最後に信じられるのは同じ夢をみた仲間たちです。才能ある人物と友達になっておくと、こんなにも良いことがある。
     ただし、そこでは当然、「それでは、お前は何を差し出せるのか?」と問われることになります。才能ある人物は、大抵、利用されることにうんざりしてるわけで、かれらと友達になったりするためには、多くの場合、同等の能力を持っている必要があるわけです。
     このヒロインの場合は、うまく事件を通して恩を着せることに成功しているのだけれど、現実にはなかなかそういうわけには行かないでしょう。
     だから、才能や能力を持った友達を作ることは自分自身の人生にとってすごく大きいことだけれど、自分自身が空っぽだと、なかなかそういうこともできないのです。「一方的に利用するだけ、利用されるだけの関係」は友達とは云わないのですから。
     で、こういうふうに考えていくと、